第15話:お隣さん_3
「あ、これ私の旦那。同い年なんだ。会社の同期でさ」
砂苗ちゃんが、写真を見せてくれた。
「本人曰く『将来有望だから急に異動があった』らしいんだけど。そういうものなのかな? 結構異動で転勤とかも多い会社だからさ。私はそういうのなしで入ったから、給与も比べると少ないんけど。総合か一般かみたいな?」
「へぇ。うちも異動はよくあるけど、転勤伴うのは少ないんだよね」
「会社によるよね? やっぱり」
写真の中で、砂苗ちゃんのご主人が笑っている。人のよさそうな爽やかで優しい笑顔だ。体格はがっしりしているようで、なにかスポーツでもしているのかもしれない。私もスマホの写真ライブラリの中から、あお君の写っている写真を探す。そういえば、最近一緒に写真を撮っていない。大人になってから写真自体あまり撮らなくなった。それでも、付き合っているときは比較的撮っていたほうだと思うのだが、結婚してからはグッと少なくなってしまった。
「タカヤっていうの。旦那の名前。そのうち会うと思うから、せめてそのときにあいさつできたらなー」
「ウチは蒼飛っていうの。草冠に倉の蒼で、飛行……飛ぶでアオト」
「珍しいね」
「私もそう思う。タカヤさんは?」
「旦那はカタカナなんだよね」
「カタカナも珍しいかも?」
「そうかも。初めて旦那の名前見たときは、珍しいなって思ったもん」
「あ、あった! 玄関の写真以外にもないか探してたんだけど、これだと普段っぽいかな?」
私はようやく見つけた【そこそこ最近と変わらない風貌、かつ、表情や雰囲気が良くわかる正面から撮影した写真】を砂苗ちゃんに見せた。もちろんピンボケもしていないからハッキリとあお君が写っている。結婚式の写真は、多少盛ってある。当然私もだが。
「わ、ありがとー! ちゃんとあいさつしなきゃね!」
「……結構いないことが多いからさ。帰りも遅いし、朝早くいなくなったりするし。なかなか顔合わせられないかも」
「そっかぁ。……あ、ねぇ、じゃあ、旦那さんいない休みの日、どこかで一緒に買い物へついてきてくれない? 新しいインテリアとか、引っ越しで処分した服の代わりとか、買いに行きたいんだけどウチの旦那あんまりそういうの付き合ってくれなくて。ひとりで買い物するより、一緒に誰かと見られたらなぁって思ってて……」
「私で良いの? もちろんだよ! せっかくだし、ランチとかも食べない?」
「いいね! 買い物とご飯行こ!」
「やった! あお君、一回出かけると結構長い時間帰ってこないからさ……」
「わかる! うちも帰ってこないよ! でもさぁ、私が長時間出かけるのは機嫌悪くなるんだよね」
「え、それ大丈夫なの?」
「んー……もう慣れてきたっていうか、諦めてるっていうか。ケンカもしたくないし? 私、怒られたり大きな声出されるのってすごく苦手でさ」
「……旦那さん、もしかして怒鳴ったりするの?」
「う、うん」
「それってDVじゃない……?」
「殴られたりとかはしてないよ!? 気に入らないことがあると、無視されたり物に当たったりとかはあるけど……。お説教とかさ。でも、私のためって感じだし」
「それモラハラになるじゃん……? え、大丈夫なの?」
「そういうとき以外はすごく優しいよ?」
「遊びに行くと行く前とか帰ってきてからいろいろ詰められたりしない……?」
「出かけてるあいだは結構連絡来るよ? あとは『レシート出して!』とかは言われる!」
「旦那さんが家計管理してるの?」
「ちゃんとそこに行ったのか確認するんだって! あとは無駄遣いしてないか? とか。子どもの話出てるから、節約したいんだと思う!」
「……旦那さんも節約してるの?」
「会社の飲み会も多いし、煙草もお酒もするし、全然かも。でも、付き合いがあるから仕方ないって。確かに、みんな飲み会のときとか、仕事も煙草休憩でいろいろ喋ってるよね」
砂苗ちゃんは、そう言ってあっけらかんと笑って見せた。私から言わせれば、悪い方向の飴と鞭なんじゃないかとか、今の砂苗ちゃんのソレはハネムーン期というやつなのではないかとか、彼女に言いたいことはいくつかあった。が、本人はなにも気にしていないのか、心配になった私をよそに不思議そうな顔をしてこちらを見ている。
(……? 私が気にし過ぎなのかな……?)
自分の感覚がおかしいのかと不安になった。本人がなにも気にしていないというのなら、部外者があれこれ口を出しても意味がないだろう。
「……そうなんだ! あ、砂苗ちゃんって日記書いてる?」
「ううん? 書いてないよ?」
「新しく発見したお店のメモとか、その日あったことの整理とか、結構楽しいよ? 私も去年の年末くらいから書き始めたんだけど、見返しても『あ、この日こんなことあったっけ』って思い出しても楽しいし。……ひとりで家にいて、つまんないな、暇だなって思うなら、少し書いてみると退屈しのぎになるんじゃないかな? ……って、余計なお世話だよね」
「全然そんなことないよ! そっか、日記良いかも! 私かたちから入るタイプだから、百均で日ごとのメモも書ける手帳買ってこようかな? まだ売ってるよね、きっと」
「売ってると思うよ! 最近の百均って、本当に便利だよね。なんでも売ってるし、こういうのほしかった! っていうのも結構あるし、え、ホントに百円? って聞きたくなるようなやつもあるし」
「わかる! 引っ越したあと絶対頼ることになると思ったから、先に近所のどこにあるのか調べたくらい!」
「消耗品とか安くていっぱい入ってるのも多いから、地味に助かるよね」
私は日記を勧めて、それを砂苗ちゃんが受け入れてくれたことにホッとしていた。私の杞憂かもしれない。それならそれでいい。ただ、もし、私の思っているようなことが万が一にも起きていた場合、少しでも砂苗ちゃんの助けになる物があれば良いと思った。私は早苗ちゃんの家庭のことを、今ほんの少し聞いたぶんしか知らない。もちろん、旦那さんのことも。いきなりネガティブな印象を持つことは失礼かもしれないが、私の思い違いだったときは心の中で謝ろう。
「わっ、思ったより長いしちゃったかな? シオちゃんの旦那さん、もう帰ってきてるかも?」
「あれ、もうそんなに時間経ってた?」
気が付いたら、お店に入ってからもう二時間が経過しようとしていた。幸い席が空くのを待っているお客さんはおらず、もう少し話したい気もしたが、今日は解散することにした。あお君が帰ってきているかもしれないと思うと、少し胃が痛い。なんでもない顔をして帰るつもりだが、実際は顔を合わせたらなんとも言えない気持ちになりそうだったからだ。
「私ミルクティー買って帰ろうかな。シオちゃんは? テイクアウトしていく?」
「うん。私は抹茶ラテにする。ホットにしようかな」
「めちゃくちゃ寒いもんね、外」
「ね。早く春になってほしいけど、春短そう……」
「暑いか寒いかの二極だもんね。毎年偏っていってる気がする」
「落ち着かないよね。……夏と冬で落ち着いてもらっても困るけど」
「薄手の長袖、出番なくない?」
「去年の秋は、二週間くらいしか着なかったよ! すぐに上着が必要になったし、ニットとか裏起毛とか……」
「だよね」
私たちはそれぞれテイクアウト用のドリンクを頼み、それを持って帰宅した。帰るときは当然ながら部屋の前まで一緒に向かう。
「なにか困ったことがあったら連絡して?」
「うん、そうする。シオちゃんお隣さんで良かった! お友達できて嬉しい!」
「私も砂苗ちゃん越してきてくれて良かった、またいろいろ話そうね!」
「うん! それじゃ、またね」
「うん、またね!」
家の前で手を振って別れる。鍵を取り出してドアを開けると、玄関には見覚えのある靴が置いてあった。あお君の靴だ。帰ってきたらしい。
「ただいま!」
リビングのドアが開いているから、きっと声が通るだろうと大きな声で帰宅を知らせた。
「……おかえり」
のそのそとリビングからあお君が出てきた。
「ただいま。お隣さんに会ってきたよ。ご夫婦なんだって、歳は私と変わらないみたい。ご主人は仕事で会えなかったけど、奥さんは話しやすい気さくな人だったよ!」
「そっか」
興味がなさそうに見える。が、気にしない。気にしてはいけない。
「あー、来週から、仕事忙しくなりそう。帰り遅くなる」
「……わかった」
まともな会話をしたと思ったらこれかとうっかり落胆してしまったが、本当に仕事が忙しいのか調べるいい機会かもしれない。
「あ、明日用事ないよね? どこかご飯食べに行かない?」
「用事で来たから、朝から一日いない」
「そう」
自分でも驚くほど笑顔を見せながら軽い返事を吐いて、私はこの日あお君ともう口を利かなかった。




