DIVE(5)
身体を、ユサユサと揺さぶられ目が覚める。
目を開けると、ぼやけた視界にお兄ちゃんが映る。
「おはよ。よく眠れたか?」
「おはよう、お兄ちゃん。私寝てたの?」
眠る前の記憶を呼び起こす。
確か、とてつもなく美味しいパンに、舌鼓を打った後……、
「お前は満腹になって、寝たんだ」
「え、うそ?野生のアニマルじゃないんだから、そんな訳……、そんなわけ」
必死で言い訳を探すも、事実、満腹になって寝てしまったのでグゥの根も出なかった。
「てっきり毒でも盛られたのかと思ってた」
「そんな訳ないじゃないですか。今後一緒に働くかもしれない方にそんなことしませんわ」
心外そうにアイリスさんは頬を膨らませる。
だいぶ年上で、普通の人がやったらイラつくだけだと思うが、美人だからか妙に様になっていた。
「深里、無駄話している暇はないぜ。あと10分位で到着だ。色々準備する必要があるから眠いなら顔でも洗ってこい」
「ふぁーい」
欠伸をしながら、顔を洗いに手洗い場に向かう。
あと10分程で着陸か。随分と長い時間寝ていたみたいだ。
顔を洗って客室に戻ると、様々な紀章をつけたローブを持ってお兄ちゃんが立っていた。
「セーラー服の上からでもいい。こいつを羽織っておけ」
「これは?」
「お嬢の予備のローブ。ちょっとでかいけど我慢してくれ」
促され、大きめのローブを羽織り、フワッと花のような香りが全身を包む。
「あの、深里さん……。目の前でそのように匂いを嗅がれると……、恥ずかしいと申しますか、照れくさいと申しますか……、洗濯はしているから臭わないはずですが……」
「いや、めちゃくちゃいい匂いです。一生嗅いでいたい」
恥ずかしそうなアイリスさんを凝視しながら、これみよがしに脇に鼻を当て、深呼吸を行う。
「スーー……ハーー……スー……ハー……」
「もう!やめてくださいまし!」
「スハスハスハスハスハ!!!」
「深里、セクハラも程々にしとけよ?弄りがいがあるのは分かるけども」
「はーい」
「もう!そうやって2人してワタクシのことを揶揄って……!」
何か喚いているアイリスさんをスルーし、ローブのボタンを締めてゆく。
アイリスさんのスタイルが良い所為か、はたまた私の手足が短いのか、だいぶ袖も余ってしまったので、お兄ちゃんに手伝ってもらい、袖を折り曲げた。
「うっし!馬子にも衣装だな。だいぶ様になってる」
そう言いながら、フードを被せてくるお兄ちゃん。
『あー、あー、もしもし聞こえる?』
フードの耳の辺りにスピーカが仕込まれているのか、お兄ちゃんの声が聞こえた。
「なにこれ凄い!」
『ふふん!魔法省特注のバトルローブですわ!南極から砂漠、超低酸素空間まで、あらゆる気候、温度でも活動出来る上に、対物理障壁、対魔法障壁の着いた優れものですわ!』
自慢気に、アイリスさんは胸を張る。
『もっとも、並の訓練を受けた冒険者の攻撃魔法なら10数発当たれば穴が空くし、徹甲弾なんて当たったら一発でお陀仏だ。万能って訳でもないから過信は禁物だ』
お兄ちゃんの補足に、へ〜と感嘆する。
「って、お兄ちゃんは着なくて大丈夫なの?そんな装備で大丈夫か?」
よく見ると、先程まで着ていた軍服は脱ぎ去り、ネクタイまで取ってかなりラフな格好をしていた。
「あぁ、大丈夫だ、問題ない」
「牛と?」
「セッ─────「言わせませんことよ!!」」
叫ぼうとしたお兄ちゃんの口を慌ててアイリスさんが塞ぐ。
なんだ、お嬢様の割に、そんなのも見ているのか……。青森に行ったら、是非とも最後の詩人に会いたいものだ。
「で、ぶっちゃけ本当に大丈夫なの?」
「おう!僕は頑丈だから、無問題だぜ」
「頑丈かどうかの問題ではないと思いますわよ。むしろアンデッドに近────「アイリス」」
何かを言いかけた、アイリスさんにゆっくり首を振るお兄ちゃん。
いつもの、お嬢呼びでもなく、ふざけた雰囲気もない。
「ごめんなさい。姥堂……、ワタクシ」
「大丈夫だよ、お嬢。失敗は誰にでもあるさ」
アイリスさんの肩を軽く叩き、「さ、降りるぞ〜」と能天気モードに戻ったお兄ちゃんを見る。
さっきの違和感はなんだったのだろうか。
気にはなったが、気軽に聞ける雰囲気でもなさそうだったので、とりあえず黙ってお兄ちゃんの後を追いかけた。
移動した先は、少し広めの倉庫の様な空間だった。
床にはレールが敷いてあり、でかい荷物などが簡単に積み下ろしできるような仕組みになっている。
フードを深々と被ったアイリスさんが、ローブの口元に向かって囁く。
「ハッチオープン」
『ハッチオープン』
すると、スピーカから男の人の声が聞こえ、ゴウンゴウンと音を立てながら、輸送機のハッチが開いた。
邪魔くさく思って、フードを取っていた私は、お兄ちゃんにいきなりフードを下ろされ、睨む。
瞬間──────
室内を強風が襲う。
髪は巻き上がり、ローブに着いているフードはバタつく。
ガシャンっ!と音を立てて完全にハッチは大口を開け、眼下にはオレンジ色の雲海が広がっていた。
『いま、フードを取ったら酸素薄くて気絶するだろうからな。絶対に取るなよ?』
そう言いながら、何もつけずにケロリとしているお兄ちゃんが横に立っている。
『ねぇなんで!?そろそろ降りるって、ついさっき言ってなかった!?まだ全然上空なんだけど!?』
『そんなこと言ってないで、こっち来てみろよぉ。雲の間から集落見えんぜー?』
聞こえていないのか、聞こえててスルーしているのか分からないが、ハッチの端部から下を見下ろしているお兄ちゃんは、テンション高めに手招きをする。
私は恐る恐る、お兄ちゃんの横に四つん這いで近付き、同じように下を覗いた。
地上はもう、日が沈んでいるのか、所々明かりが着いている。
それを覆う雲は、夕日を反射し、幻想的なオレンジ色の海を作っていた。
『綺麗だろ?』
『綺麗だけど、少し怖いや……』
『じきに、なれるさ』
隣に目を移すと、ハッチの縁に手をかけ、逆立ちしながら腕立て伏せをするお兄ちゃんがいた。
この人、死ぬの早いんだろうな。
だってぶっ壊れてんだもん。みさと
つい、みつを風に詩をよんでしまった。
それもこれも、このノスタルジックな風景のせいだろう。
1人で、感傷に浸っていると、アイリスさんが声をかけてくる。
『さて、あと1分で目的地上空ですわ!姥堂、深里さん!準備はよろしくて?』
『おう!バッチリだぜ!』
『おう!バッチリだぜ!じゃなくて!まさか!嘘でしょ!?こっから降りるの!?絶対10000メートル以上の高さはあるよ!!こんな所から飛び降りたら死ぬアルよ!!』
『正確には18000メートルな!あとお前、語尾が渋滞起こして、怪しい中華系風俗の姉ちゃんみたいな喋り方になってるぞ?』
お兄ちゃんにツッコまれるが、そんなことに気を使っている場合じゃないのだ。
一刻も早く、ここから逃げなければ……!
即座に立ち上がり、奥の客室へ逃げるべく、1歩を踏み出そうとした瞬間
『ダメだ……、逃がさねーぜ?』
お兄ちゃんから、腕を掴まれ、その場に捉えられる。
『お兄ちゃん!離して!まだ私死にたくないの!』
『だぁいじょうぶ!!死なん死なん!こんぐらいじゃ死なねーし、な?な?先っぽだけだから!』
『い〜や〜だぁ〜!!』
押合い圧し合い、ハッチの端部でもみ合っていると、急に輸送機がガタンと揺れた。
『あっ……』
空中に投げ出される私の身体。
何とか、レールを掴んで耐えたお兄ちゃんと目が合う。
お兄ちゃんは、私に手を伸ばし……
『行ってら』
トンっと、腹部を軽く押し、私の身体は輸送機から完全に投げ出された。
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輸送機から投げ出され、次第に小さくなってゆく深里を見下ろしながら、洋は呟く。
『ちと、早かった?』
『20秒早かったですわね』
『今、叫んだら、あいつ巨人になったりしないかな?』
『馬鹿なこと言ってないで、サッサと飛んだらどうですの?』
『うぉぉぉぉぉ!!!!!!……。ダメか。俺にユミルの血は流れていなかったらしい』
『……』
アイリスは、親指を下にし、無言で飛び降りろと促す。
諦めた様に、ポケットに手を突っ込んだまま、洋は空に身を踊らせた。