DIVE(4)
輸送機の中に入り、その広さに感嘆する。
赤を基調とした空間、まさしく映画の中に出てくるプライベートジェットの内装と相違ない。
部屋の中央の窓際には、幅2メートル程のソファーが向かい合って鎮座してある。
その真ん中にある机は、足から天板までガラスでできており、細かな装飾まで施されている。
「いつ見てもすげぇな。どこのヤクザ事務所だって感じだ」
「ふふん!私専用のオーダーメイドですわ。同じ機体はこの世に1つとして存在しないでしょうね」
ドヤ顔で胸を張るアイリスさん。
「え?この輸送機ってお兄ちゃんのじゃなかったの?」
私の言葉に、変な汗をかきながら目を逸らすお兄ちゃん。
これはおそらく、張ったな。見栄を。
「はぁー、なんでお兄ちゃんってば、そんなすぐバレる嘘ばっかりつくの?」
「すんません。つい妹ができたことが嬉しくて見栄を張ってしまいました。ほんとすんません。出来心だったんす。マジ勘弁してください」
その様子を横で見ていたアイリスは、ため息を着きながら話始める。
「この男、その場のノリで適当なことばっかり言ってますゆえ、いちいち真に受けない方がいいですわよ。大事なのは嘘とホントを見極めて情報を取捨選択することですわ」
と、見事に騙され続けているアイリスは、胸を張りながら得意げに語る。
お姉さん、情報の取捨選択できてないっす。
「ま、それはそれとして、もうすぐ飛び立ちますわよ。ちゃんと座ってシートベルトをお締めになって」
「へーい」
「はーい」
大人しくシートベルトをつけると、輸送機は動き出し少しの加速感と振動の後に浮き上がる。
しばらくすると、ベルト着用ランプが消え、シートベルトを外すことができた。
ふと、横から腕が伸びてきて、私の目の前にカップに入ったお茶が置かれる。
見ると、背筋のピンと伸びた渋めの老人が、執事服を着て立っていた。
「このあいだ仕入れた、ダージリンですわ。お砂糖は横のポッドからお好きなだけお取りになってくださいまし」
「ダーリン?旦那さんの煮汁でも入ってるんですか?」
「ダージリン。ヒマラヤ山脈の麓で取れる希少なお茶ですことよ。ちなみに私にはまだ、殿方もいませんわ」
アイリスさんは薄く、微笑みながら教えてくれる。
紅茶なぞペットボトルに入っているもの以外は飲んだこともないので、適当に角砂糖を2つほど入れて口をつける。
ほのかな、甘い香り。
若干の渋みはあれど、スッキリとした味わいだ。
「美味しい……」
「お口にあったようでなによりですわね」
「お嬢、僕紅茶じゃなくて緑茶がいいんだけど緑茶」
「あなたはトイレの水でも飲んでればいいんじゃありませんの?」
「つっめてー」
暖かいものを飲んで、ほっとしたからか、思いっきり腹がなる。
「そういや、深里、今日なんも食ってないんじゃねーの?」
「今日というか、しばらく何も食べてない」
「まぁ!それはいけませんわ!爺や、機内にある軽食を少々、持ってきてくださる?」
アイリスさんが、通路の向かいに座っていた執事に言うと、軽く頷いてから執事はバスケットを持ってくる。
中には、クロワッサンやコロネ、サンドイッチなど様々なパンが入っていた。
「遠慮なさらず、お食べになって」
「あ、ありがとうございます……」
「お嬢、僕、米が食いたいんだけど、なんかおにぎりとかないの?おにぎり」
「あなたは自分の指でも食べてればよろしいんじゃありませんの?」
「ジュパッ!ジュポッ!ジュポポポポ……」
「何、馬鹿なことやっていますの?」
いきなり自分の親指をしゃぶり出したお兄ちゃんにドン引きしつつ、クロワッサンを齧る。
ほんのりとしたバターの香りが鼻を抜け、サクサクの食感に心を踊らせる。
うん。間違いなくこれは五つ星シェフに作らせた逸品だろう。
蕩け落ちそうになる頬を両手で支えていると、お兄ちゃんと目が合った。
「……食べる?」
1口ほど残った、食べかけのクロワッサンを差し出す。
「いや、別に食べたいとかじゃないけど……、美味そうに食うなって」
「そこに沢山あるのに、食べればいいじゃん」
「いや、僕、諸事情あって今は米しか食べないんだよね」
「あっそ」
こんなに美味しいのに、勿体ない。
一瞬、そんなことも考えたが、目の前に映る美食の暴力には勝てず、次の瞬間にはお兄ちゃんのことなんか頭から消えていた。
黙々と、パンを腹に格納していき、紅茶で喉を潤し、一息つく。
久々に味わう満腹感。
腹が満たされることがこんなに幸福だったなんて、長年忘れていた感覚だ。
ふと、視界が揺らぐ。
目の前に映る、アイリスさんがだんだん歪んでいき、視界の隅が黒ずんでゆく。
「あれ?あれれれれ?」
頭が揺れる。
「おーい?大丈夫?」
お兄ちゃんの言葉が、グワングワン響き、だんだん視界が渦を巻き始める。
「うぅ。わかんらい」
呂律が、回らない……。
やばい、紅茶になにか入れられていたのだろうか。それともパンか。
いずれにせよ、油断した……。
目の前で、あいも変わらず微笑んでいるアイリスを視界に捉えながら、私は気を失った。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
洋が、完全に脱力した深里を揺さぶる。
「おーい、おーい?」
頬を軽く叩くも、目を覚ます気配はない。
その様子を見た洋は、静かに肩を震わせる。
やがて、震えは大きくなり、口から声が漏れる。
「……クク……クククク……」
いよいよ我慢できなくなったのか、洋は大声をあげた。
「アハハハハハ!!あーっはっはっは!!マジかよwwこいつ!!」
洋が深里の肩を持ったまま、ガクガクと揺らすと、脱力した首もガックンガックン揺らいだ。
「こいつ!!腹いっぱいになったからって寝やがったよ!!見て!お嬢!鼻ちょうちん作ってらぁ!!」
洋が大声で喚いても、深里は起きる様子がない。
もはや熟睡の域だろう。
「可愛そうですわ。そのまま寝かしてあげててくださいまし」
洋が、人差し指で器用に、右の鼻腔から出た鼻ちょうちんを左にくっつけ、鼻ちょうちんが増える。
「ダブル鼻ちょうちん……」
「…………」
「お嬢、そんなに震えるまで堪えるならいっそ笑ってまえよ」
「か……、かわいそ……可愛そうですわはははは!!」
「すげぇ!!絵に書いた様な猫の口みたくなってる!!ヒーヒー!!ダメだこれ!写真撮ろ写真!!」
「可愛そうですわ……可愛ですわ……ブホっ!!姥堂、その写真、後で私にも送ってくださいな」
「任せろ!4Kの超高画質で送ってやんよ!」
寝ている14歳の少女を囲い、ひとしきり爆笑した後、深呼吸で心を落ち着かせた2人であったが、2つの鼻ちょうちんが同時に割れたのを皮切りに、再び爆笑しだす。
「はぁ……はぁ……、あ゛ぁー笑った笑った。びっくりするほどの逸材だろ?」
「ダメですわ。あれはダメですわよ。2つの同時にパァン!って……ぶふふ……!」
「くっそ!思い出しただけで腹が破壊されるっ!!」
「全く、今から真面目な話をしようとしてましたのに……、全然そんな雰囲気ではなくなりましたわ。爺や、キリマンジャロと、あと緑茶を」
アイリスは執事が持ってきたコーヒーを飲み、一息つく。カフェインの注入により、スイッチが入ったのだろう、真面目な顔で呟いた。
「さて、姥堂、あなたの所為で、あと15時間後に市街地1つが消滅しますわ。どう責任を取るおつもり?」
洋は、湯のみの緑茶をすすりながら、真っ直ぐにアイリスを見つめ返す。
「15時間か……、全然余裕じゃねーか。ま、作戦はチェスでも打ちながら考えようぜ」
能天気にも思えるその発言に、呆れたのか、慣れているのか、アイリスはため息をついた。