表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/3

1 旺は消え、新宿によい魔女がやってきた

 新宿。

 裏さびれたビルの四階に、看板を出していない小さなタピオカ屋がある。


「すっかり暑さも和らいできたねえ……」


 店長をつとめるイッカはのんびりした声を出した。


 この夏は諸事情あって怒涛の夏だった。だがその喧噪もすっかり落ち着き、客のいない店内でイッカはソファ席にくつろいで窓の外を見ている。

 時刻は夕方で、あたりは薄暗い。


「秋になるとさあ、本格的なお茶が飲みたくなるよねえ……。アールグレイでしょ、シロニバリでいれたミルクティでしょ、シングルオリジンの日本茶もいいし、凍頂烏龍茶が飲みたくなるのもこの季節なんだよねー」


 イッカは客がいないのをいいことに行儀悪く足を組んで、ほっそりした白い足をぶらぶらさせている。


「秋の限定味はなににしようかなあ。四季春(しきしゅん)かマロンかで今悩んでるんだよねえ。あでもブルーベリーは必須じゃない? あとさあオーちゃん、パンプキンも毎年秋になったらやろうって思ってできてないから、今年こそはやりたいなってー」


カウンターの中で拭き掃除をしていた少年は、ふと手を止めると形のよい眉をひそめた。


「……種類多すぎだと思うよ」

「ええー」


 イッカは口を尖らせたが、これは少年の言うのが正しかった。

 今年の夏は例外的に客が増えたが、もともとこの店は宣伝もしておらず、きわめて客の少ない店なのだ。経営者はイッカだから少年は基本彼女のやり方に従うのだが、そこまで品数を増やす必要があるとも思われない。


「イッカが一番飲みたいものを作ればいいんじゃないの」

「全部!」

「だから全部は多すぎだって」


 ふたたびのダメ出しに、イッカは細い足をばたつかせた。


「だって全部飲みたいもんー」

「俺はどっちかと言うと食事をしてほしいけどな」


 これをイッカは聞こえないふりをした。


「試作しようよ、オーちゃん。試作。マロンは渋皮和栗のペーストを使って、北海道産の牛乳をベースで。ブルーベリーならヨーグルトと合わせたいなあ」

「……真面目に言ってるんだけど?」


 イッカがこちらを見ようともしないので、はっとするほど整った容貌の少年はエプロン姿のままカウンターから出てくると、その幼さに不似合いな大人びた表情を浮かべた。


「ねえイッカ、食事をちゃんととってよ。でないと体壊すよ」

「壊さないもん」


 イッカはそっけないというよりもまともに取り合っていない返事をする。


「一緒に暮らしてるからわかるよ、イッカは昨日も今日もタピオカドリンクしか飲んでない。そんなのダメでしょ」


 これにイッカは人差し指を顔の前に立てて左右に揺らした。


「わかってないなあ、オーちゃん。キャッサバはね、アフリカでは主食なんだよ? タピオカの原料はキャッサバよ?」

「ここ日本だから」


 いつになく冷ややかに返す少年に、イッカはぐっと詰まった。

 視線をそらし、オーちゃんのくせに生意気だとか、だってお腹すいてないもんとかつぶやくイッカに、少年はつらそうに声を落とす。


「お願い……イッカ、頼むよ……」


 そして、少年にそんな顔をされるとイッカは弱いのだった。

 ピンク色の唇を尖らせ、オーちゃんは心配しすぎだとぶつくさ言ってはいるものの、その勢いはさっきまでと比べて明らかに弱い。


「俺が作ったものなら食べてくれる? だったら作るよ、なんでも」

「いやいやいや」


 これに、イッカはなぜか慌てた。


「じゃあ……じゃあねえ、えっと、そうだ、太々(たいたい)酒家の香港レモンチキンだったら食べてもいい」

「食べても、いい……」


 少年が声を落としたので、イッカは急いで言い直す。


「食べたい気分だなあっ。どうする、一緒に食べに行く?」

「いや、お客さんが来るかもしれないし、イッカはここにいてよ。俺買ってくる」

「わかった」


 太々(たいたい)酒家はこのあたりに昔からある中華料理屋だ。店主は湖南の出身なので辛い料理を得意としているが、歌舞伎町の客のニーズに合わせて中華粥や薬膳スープなどもメニューに加えている。


「雨降ってきたよ、オーちゃん、傘」


 窓の外を見てイッカは言ったが、少年は首を横に振った。


「いいよ、すぐそこだし」


 実際中華料理屋はイッカのビルの反対側にある。中道を通れば2分とかからないのだ。


「行ってくるね」


 だが、そう言って出て行った少年はいくら待っても帰ってこなかった。

 あたりが次第に暗くなり、ビルの看板やネオンが輝き出しても、まだ。


 イッカは微動だにせずソファに腰掛けて窓の外を眺めている。

 どのくらい時間がたっただろう。エレベーターのないビルの階段をゆっくりと上がってくる靴音が静かな店内に反響する。

 看板もなければ中も覗けないようになっている、一見の客は例外なくあけるのをためらう黒い扉がひらく気配がした。


 振り向くと、そこに立っていたのは長身の女性だ。

 イッカは行儀悪くソファにもたれたまま、首だけ動かして言った。


「──あ、魔女が来た」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ