砂漠の蜃気楼
歴史も朧ろげな古代中国に、トゥルファンというオアシス都市がありました。その南西には大きな砂漠が果てしなく広がり、その砂漠を取り囲むようにオアシスの道がありました。
トゥルファンに行くために、二人の親子がオアシスの道を歩いていました。普通なら、隊商の一行が歩くはずの砂漠の道を、二人の親子が歩いていたのです。熱砂と太陽のギラギラする熱で、今にも倒れてしまいそうな様子でした。
それでも、二人は一生懸命歩きました。時折、強い熱風が吹いて、二人の周りに小さな砂の嵐が現れたり消えたりしていました。その風で子供が倒れそうになると、父親は必ず子供を励まして手を引きました。
「大丈夫か、しっかりしろ」
子供は歯を食いしばって、一歩一歩歩きました。父親は子供の様子を気にしながら、息も絶え絶えな様子で歩いていました。
どこまで歩いても、砂とギラギラする青い空しかありませんでした。二人は砂漠の所々にあるラクダや馬の乾いた骨を頼りに、オアシスの道を歩いていました。
気が遠くなるほど歩いた時、二人の遥か前方にユラユラと揺れた湖が見えました。二人は、それが砂漠の蜃気楼であることは知っていましたが、それでも微かに心が救われたように感じました。
「お父さん、湖が見えるよ」
「ああ、あれは蜃気楼の湖だ」
「うん。だけど、なんだか気が楽になった」
「そうだな。しかし、所詮は蜃気楼だ。かえって、喉が渇いてくるよ」
「そう言えば、蜃気楼の湖には神様が住んでいらっしゃるんでしょ? もし、それが本当だったら、お父さんにお水をくださるようにお願いするよ」
「だったら、私はお前にお水をくださるようにお願いするよ」
二人は立ち止まって、砂漠の湖を見ていました。
「お父さん……大分歩いたけど、なかなか都市につかないね」
「夕方頃にはニヤという都市につくはずだから、もう少しがんばろう」
「トゥルファンは、まだまだ先の方だね」
子供はとても疲れていましたが、父親が心配しないように笑って言いました。父親は子供の気持ちを知ってか、とても辛そうな顔をしていました。
二人は疲れ果てた顔をしながら、ゆっくりと前へ進みました。父親は妻と子供のために、子供は母親と父親のために、歩き続けました。
トン、トン、トン……。
トン、トン、トン、トン、トン、トン……。
トン、トン、トン……。トン、トン、トン……。
どこからともなく、小太鼓の音が聞こえてきました。砂漠では、心身の疲労で幻覚を見たり、幻聴を聞いたりすることがあるので、二人は幻聴だと思っていました。
トン、トン、トン。トン、トン、トン。
小太鼓の音は行ったり来たりするように、小さくなったり大きくなったりしました。二人はとうとう、頭がおかしくなったように感じました。
トン、トン、トン。トン、トン、トン。ヒュー、ヒュールルー。
今度は、小太鼓といっしょに横笛の風のような音が聞こえてきました。笛の音は、小太鼓と絡み合うように美しい音色をしていました。
「お……お父さん、あれを見て……」
子供はワナワナと震えながら、前方を指差しました。父親は驚きのあまり、声も出ませんでした。
蜃気楼の湖が、二人のすぐ目の前にありました。その湖の上に、二人の美しい男女が浮かんでいました。白い衣を着た美しい男女は、フワフワと上空に浮かびながら楽器を奏でていました。
男は横笛を吹き、女は小太鼓を叩いていました。その音楽は、心に浸透するような透明な幻想曲でした。二人の親子は、ただ呆然とその曲を聞いていました。その曲を聞いていると、さきほどまで砂漠にいたのが嘘のようです。
トン、トン、トン。ヒューヒュールルー。トン、トン、トン。
美しい男女の音楽は、透き通った水のように広がりました。音楽の水は、二人を包むように広がると、ゆっくりと消えていきました。
トン、トン、トン。ヒューヒュールルー。
音楽が少しずつ遠ざかるにつれ、蜃気楼の湖はだんだんと遠くの方へと消えていきました。
しばらくしてから、子供が言いました。
「……なんだか、疲れが取れたような……」
それは気のせいかとも思いましたが、父親は無言で頷きました。幻覚とは言え、子供の言うように少しだけ疲れが取れたような気がしたからです。
ふと我に帰ると、夕方になっていました。砂漠の西には、大きな夕日が空に溶け込むように、地平線の中に半分沈んでいました。
「どうしたというのだ。さっきまで、太陽は真上にあったはずなのに」
「お父さん、あそこに街並みが見えるよ」
「あれは……ニヤの都市だ……」
父親は、呆然としながらポツリと呟きました。
いつ、どこで、蜃気楼の湖を見ることができるのか分かりませんが、遠くて近くにあることは確かです。