状態変化同好会のクリスマス例会
──とある放課後。状態変化同好会の活動部屋での一幕。
「じゃーん! 魔女っ子ミッチー、参上〜!
見つけたわ! あなたが、この学校に忍び込んだ薄汚い泥棒さんね?」
「ケーッケッケッ!
出たな!
この学校一の美少女、そして頭脳明晰・容姿端麗・ポ◯モンマスターだと噂の超絶悶絶魔法少女め!
この僕ちゃんを捕まえられるものなら捕まえてみろ!」
若葉色のファンシーな魔法少女衣装に身を包み、ミッチーが僕に向かって赤いステッキを右手で掲げ、ビシッと決めポーズをとっている。
それに対して、僕は全身を真っ黒なヒートテ◯クで固め、頭には黒いほっかむりを被り目元にはサングラスをかけた胡散臭さ極まりない黒尽くめの格好で、張った両肘とガニ股をワシャワシャと最大限に蠢かしながら、いかにも悪役っぽい所作を表現しようと努め続ける。
「抵抗しても無駄よ! 私の魔法によって、あなたの体は既に自由を奪われている!」
「な、なに〜っ! いつの間に?!」
僕が自分の足元に視線を向けると、そこには緑色の魔法陣が浮かび上がっているではないか。この空き教室の片隅に置かれたプロジェクターから床に投影されているようにも見えるその魔法陣は、ミッチーの放つ魔力に反応しながら、鼓動を打つように発光している。
そして彼女はステッキで宙に何らかの模様を描き出しながら、呪文を唱え始めた。
「バキシムバキシム、ルルルルル〜♪
猛々しく怒張した巨大な●●●にな〜れ〜♪」
「ふぎゃあああ〜!!」
ミッチーが呪文を唱え終えるのとほぼ同時、僕の足元の魔法陣が激しく明滅を繰り返す。その間に、僕はカーテンの蔭に身を隠し、そこにあらかじめ仕込んでおいたブツを着込んで早着替えを完了させ、再びミッチーの前に姿を見せる。
「な、なんじゃこりゃ〜!!
ぼ、僕ちゃんの体が、バッキバキにそそり立った人間大の●●●になってる〜?!!」
恥ずかしいどころの騒ぎではない台詞を、僕はしっかりと滑舌に気をつけながら大声で読み上げる。ミッチーの演技に対する拘りは非常にシビアなのだ。噛もうものならガチの怒られが発生しかねない。
「うわぁ……なんて汚く穢らわしい姿になってしまったの……?」
所々黒光りしながら全身を包み込む、言葉で表すことも憚られるような衣装の中でろくに身動きを取ることもままならない僕の姿を目の当たりにし、左手を口に当てながらさも可哀想なものを見るような目で、ミッチーは実にドン引きしたという表情を露わにしている。お前がこの姿に変身させたんやろがい!
「そのままだと、なんだかすごく辛そう……。
あなたの中に溜まった邪悪なるソウル・ジャムを吐き出させて浄化してあげるね!
今から私の魔法でサポートしてあげる!
そーれ、頑張れ♪頑張れ♪」
赤子をあやすような優しい手つきで、ミッチーは赤いステッキで浅黒い被り物をしている僕の頭をツンツンし始める。
「う、うわあぁぁ!! やめろおぉ!
ぼ、僕の心が浄化されてしまうぅぅ!
僕の中の×××が出ていっちゃうぅぅぅ!!!
今にも、煮えたぎるマグマが噴火してしまいそうだぁ!」
彼女のその恐るべき魔力に抗うことも叶わず、五体丸ごと衣装の中に収納してしまっている僕はその場でモゾモゾと悶絶し続けるばかりだった。
……やべぇ、これキツすぎる。
何がと聞かれれば、もう、目にうつる全てのことがキツイ。
もうマヂ無理。心が折れそう……。というかもう折れてる……。
この状態変化同好会の例会では、僕とミッチー、それぞれが出し合ったアイデアについて日々ディスカッションを繰り返しながらネタを蓄積していき、そのストックをもとに、互いを状態変化させるロールプレイを交代制で実施することになっている。
ただ、その上で問題なのは、ミッチーが提出してくるアイデアというのが……まあ大体どれもこれもこういうエゲツない内容のものばかりであることだ。
彼女は状態変化というものについてはまだまだ初心者である割に(或いは初心者であるが故か)、ジャンル内でも特にハードコアな嗜好を好む傾向がある。
僕自身もそうした題材の作品が“刺さる”精神状態になる時はあるし、そういう分野の作品だけが持ち得る“美味しさ”みたいなものも一通りは理解できているつもりだ。ただ、『それでは自分たちで状態変化を実践してみましょう』という段になってみると、いの一番にそういう系統のアイデアを挙げるだけの勇気は流石に持ち合わせていなかった。それは、ミッチーという同級生の女の子にそんな酷い格好をさせてしまっていいのだろうかという遠慮による部分も多分にある訳だが……。
一方で、当の彼女はと言うと、そうした躊躇などは全く見せる様子がない。変化させられる側でも、変化させる側でも、「さすがにこれはちょっと……」というようなNGを出すことがほとんどなく、一切の妥協もない。例えば、今僕が着込んでいるこのあまりに最悪すぎて活字に起こすことも躊躇われるような衣装について「僕も着たんだからさぁ、ミッチーも着てみせてよ」と頼んだとすると、「えっ、女の子の私も着ていいの?!面白そう!」とか言いながらノリノリで着替え始める姿が容易に想像できてしまう。面白いのはお前だよ! なんなら、この禍々しい衣装を気に入ってしまった挙句、「もう着ないなら私の備品にしていい?」とか聞いてきて、次の日にはウキウキしながら自分仕様の若葉色に塗装し直してる様子までが脳内再生可能である。
……全力で状態変化ライフを漫喫する彼女と共に日々を過ごすことは、僕としても悪い気はしないと心から思っている。ただ、状態変化同好会というのはあくまでも学校の承認を得て最低限の予算と活動場所を確保してどうにかこうにか成り立っているサークルであるため、生徒会や教師陣によく思われないような活動内容については決して表沙汰にすることはできない。それこそ、今僕がしているようなこの世の終わりを思わせる格好などは、生徒会にでも勘づかれたら一発でこの同好会そのものを吹っ飛ばしてしまうだろう。
だから、僕としてはミッチーの意向は可能な限り尊重したいとは思いつつも、「我々はこうした活動をしています!」と上にきちんと報告できるような形に着地させられるよう、日々調整作業に精を出している訳だが……。
「頑張れ♪頑張れ♪」
「うわあぁぁ!!」
ミッチーの熱意にやりこめられて調整に失敗した結果、こんな惨状になってしまうこともたまにはある。
精を出すってそういう意味じゃないんだよなぁ……。
一言一句、全てミッチーの指示通りに言わされているだけなんです!
このネタは彼女の単独プロデュースで、僕はノータッチなんです!信じてください……。
とほほ〜、中間管理職はもう懲り懲りだよぉ……。
あらかじめ仕込んでおいた謎の液体を口に含んで、水鉄砲のようにピューイと吹き出してみせながら、僕は内心でそう嘆いていたのだった。
◆
「メリークリスマ〜ス!!」
「……うおっと!」
十二月下旬のある日、チョメスケが例会に出席すべく状態変化同好会の活動場所である空き教室の扉を開けて中に入ろうとした時、部屋の中からパァンという破裂音が鳴り響いた。驚いたチョメが室内を覗き込むと、そこには彼を待ち構えるような体勢でミッチーが立っていた。
彼女はチョメとともに状態変化同好会に所属する同志であり、状態変化フェチのド変態であること以外完璧な女である。破裂音は彼女が手に持つクラッカーによるものだった。
「うお〜、ビックリした……。
め、メリークリスマス……」
「うんうん、メリクリメリクリ♪」
彼女の方が先に到着していることは分かっていたものの、まさかいきなりクラッカーを鳴らされるとは思っていなかったチョメは苦笑いを浮かべつつ部屋の中に入る。
不意打ちが上手くいってご満悦なのだろう、ミッチーは昔流行った踊る花の玩具のようにクネクネと身体を揺らしながら上機嫌を表している。また普段よりもテンションが高く見えるのは、彼女の姿が既に“変化”を遂げているからでもあるようだ。
チョメスケよりも先回りして来て、手早く着替えたのだろう、ミッチーはクリスマスツリーの扮装をしていた。
緑色のフワリと広がりのあるドレスのようなクリスマスツリー衣装を、指先までピタッと包み込む若葉色の全身タイツの上から着込んでいるようだった。袖口のところから彼女の肘より先、若葉色の細い手がニュッと生えている。左手の手首には、彼女がいつも愛用している黒いヘアゴムをミサンガのように引っ掛けている。そして衣装の表面には所々、キラキラとしたオーナメントやモールでもって飾り付けがされている。
ウエストのところに黒いベルトを巻いていて、それをキュッと締めてシルエットにメリハリを付けることによって、ツリーのあのジグザグしたイメージを演出しつつ、全体像を引き締める効果を上げていた。このベルトは少し前までチョメが制服を着る時に使っていた物で、「余ってるベルトとか持ってない?」と尋ねてきたミッチーに先日貸してあげたものである。なるほど、こういう風に使うつもりだったのか。体が成長したことでチョメには小さくなってしまったものだが、華奢な体格の彼女には丁度いいサイズ感らしく、そのベルトを巻いている周辺箇所だけ、ミッチーのそのほっそりとした体型が浮かび上がっている。
スカート状にフワリ広がる形になっているツリー衣装の裾からは、彼女の細くて長い両脚がスラリと伸びる。若葉色の全身タイツの上から厚手のストッキングを重ね履きしているのだろうか、その色合いで樹木の幹を表現している。その足元には、赤煉瓦によって組まれた花壇を模った四角いブーツを履いていた。履き口にさりげなくあしらわれたフワフワとした白い綿飾りが降り積もった雪を彷彿させる。
そんな非常に可愛らしいデザインの衣装を身に纏ったことでミッチーも興が乗ったのだろう、小さな星の髪飾りを頭にチョコンと乗せてさりげない仕上がりに収めたくなりそうなところ、顔面全体に金色のドーランをベットリ塗りたくった上に金色の星形の被り物を装着し、顔全体でツリーのトップに飾られている金ピカの星を体現してみせていた。この辺は、彼女なりの絶対に譲れないこだわりポイントであるのだろう。
パッと見では何ともネタ感の溢れるコスプレにしか見えないかもしれないが、クリスマスの賑やかそうな空気に当てられて楽しそうにはしゃいでいる彼女の陽のオーラが派手な色合いと相まって、パーッとした華やかさを放っている。
「えっ、ヤバ、それ可愛い……。
ミッチー、それ自分一人で準備したんでしょ? やば……」
不意に“変化”した姿の彼女を目の当たりにしたせいだろうか、チョメは気の利いたコメントもすぐには思いつかず『ヤバ……ヤバ……』としか呟けない生き物になってしまっているが、ミッチーはその反応を引き出せただけでも十分そうな様子だ。
「うふふ……そうでしょー?
私は今、世界で一番可愛い樹木なんだもんねー」
無骨な煉瓦のブーツから伸びる細い脚を傾げたり、ベルトを巻いた腰に手を当ててみたり、「変身した私の姿を見てみて!」とばかりにポーズをとってみせている。彼女が身を捩るたびにツリーの衣装の所々に皺が寄り、時折その生地越しに彼女の華奢な身体つきが垣間見える。『世界一可愛い樹木』というのも、確かにそうなのだろうとチョメは思っていた。
最近は巷で流通しているようなパーティーグッズ類も種類が豊富になってきて、ネット通販でも使えばそれこそ今ミッチーが着ているようなクリスマスツリーのコスプレ衣装などという飛び道具寄りなアイテムでさえ容易に入手できる時代になった。大半は工場の流れ作業で作られているような大量生産品だが、技術が日々進歩していることもあってか価格の割になかなか侮れないクオリティを持っているものも多い。実際、この同好会でもそうした量産品を安価で仕入れて、用途に合わせて自分達で仕立て直して使うことは多い。もしかすると、その気になってネット上を探しさえすれば、今ミッチーが着ているこの衣装よりもさらにクオリティの高いものが簡単に安く買える可能性だって全然あるように思われる。
チョメスケが可愛いと言っているのはそういう出来栄えだけのこととは少し違う。月並みな表現になってしまうが、ミッチー自身が『こういう姿になりたい!』というインスピレーションを形にしようとした気持ち、何よりもそれが彼女を可愛らしく見せることに繋がっているということだ。
細かいことを言い出せば、クリスマスツリーは手首にヘアゴムを引っ掛けることもなければベルトを巻くこともない。それでも、今のミッチーの立ち姿には不思議と異物であるはずのそれらが馴染み、それぞれがデザインの中のアクセントとなっていてとてもよく似合っている。きっと、色々試しながら『自分が着るならこうした方が面白いかも』と考えた末、このような取り合わせにしたのだろう。
そして、ミッチー自身が『自分こそが世界一可愛いクリスマスツリーなのだ』と本気で信じていることが、チョメスケにはよく分かった。それだけでもう、チョメも彼女と同じことを確信するには十分過ぎる理由だった。両手でピースしながら金色のドーラン越しに見せる彼女の屈託のない笑顔は、ファインダー越しでも冬の夜空に輝くどの一番星よりも眩しいものに見えた。
その眩しさに当てられたのか、急遽チョメスケも有り合わせの品々で何か簡単で面白そうな変化衣装をこしらえてみることにした。クリスマスにちなんで、たまたま活動部屋に置いたままにしていたいかめしい見た目の獣の着ぐるみを活用してグレムリンに扮してみることにする。ミッチーほどちゃんとした準備はしてこれていない分、そこは彼も気持ちでカバーしようということだ。
グレムリンのあのいかにも凶暴そうな顔つきを表現しようにも、特殊メイク用具のような気の利いた物などはないので、ミッチーから近い色合いのドーランを借りて顔に塗りたくり、あとは己の表情筋と気合いによるぶっつけ本番だ。変顔のような要領で顔中の至る所に皺を立てながら、思いっきりかっ開いた眼と口を限界まで吊り上げようと試みる。普段使わない筋肉を酷使しているせいで、顔面のそこかしこが青筋を立ててピクピクと震えている。
その表情の滑稽さに笑いながらも、自力で本物に肉薄するような奇跡の一枚を収めようとミッチーがチョメにレンズを向けている。
そうして撮られた写真の数々はお世辞にも本物のグレムリンに似ているとは言い難いものばかりであったが、一枚だけ、『作画班の筆が乗りすぎた結果、顎が異様に長くなった顔芸状態の時の城之内』に瓜二つな表情のものが発見され、その一枚は向こうしばらく二人の間での笑い種であり続けた。
✳︎✳︎
部屋の真ん中に置かれた木製の大きな台座の上、人間の肩周りが収まるほど巨大なホールケーキが乗せられている。円形のスポンジ生地を三段重ねにして作られたと思しきそのケーキの表面は、若葉色の抹茶クリームが満遍なく塗り均され、白いホイップクリームで装飾が施されていた。二段目のスポンジの上、やや小さめな三段目のスポンジとの間の段差のところに、ミッチーがいつも制服で着ているブラウスの襟元の意匠がホイップクリームで形作られており、その真ん中には制服のリボンを模った赤いチョコレート菓子がポツンと配置されている。
そしてそのケーキの一番上、普通のケーキであれば果物や飴細工などで飾られているであろう平らな面には何故かポッカリと穴が開けられており、そこから観光地でよく見られるような顔はめパネルから覗き込む時のような形で、ミッチーの顔がムニュッと生えてきた。簡易なメイク落としだけでは完全には取り除けなかったのだろう、先ほどまで塗りたくっていた金色のドーランの跡が顔中に面影を残している。しばらく丁度良い感じの体勢を探るべく微調整をしたのち、ケーキの前でカメラを構えてスタンバイしていたチョメスケに向かって、彼女はこれ見よがしにたまげたような表情をしてみせる。
「ひゃあぁ! 私の身体、AIにクリスマスケーキ化させられちゃったぁ?!
これはまるで、人類への叛逆や〜!」
「………………はい」
「はい」
一通りチョメスケが鳴らすシャッター音が落ち着いたことを確認すると、ミッチーはケーキから覗かせていた顔を引っ込めて、内部に人ひとり収められるくらいの空洞が設けられた台座の中からリンボーダンスのような体勢で身体を引っ張り出し始めた。厚手のストッキングに包まれた彼女の細い両足が少しずつ見えてくる。
「よっこらしょ、うんしょっと…………あーたたたたた……」
「うおっとっと、気をつけて。ゆっくりね、ゆっくり……」
狭い所で真上に顔を向けるという無理な姿勢を取っていたせいだろう、背筋がカチカチになってしまっているようだった。かと言ってケーキ自体を引っくり返す訳にもいかず、彼女は海老反り状態の肢体をピクピクと震わせながらも時間をかけ慎重に台座の中から出てこようとしている。チョメも彼女の体重を支えながら補助してやり、やがて前髪のところから手足の先までピタッと包み込む若葉色の全身タイツの下半身にストッキングを重ね履きしたままの彼女の華奢な身体が姿を表した。
「これとこれと……これにしておこうか」
「うん、それで良いと思う」
二人でカメラの小さい液晶画面を覗き込みながら、今日撮った写真を確認し、簡単な選別作業を記憶が鮮明なうちに済ませておく。『AIの利活用に関する問題提起として……』とかなんとかいう適当な題目をつけた上で、四半期ごとの活動報告として纏めて生徒会に提出するのだ。
こんなものを受領した執行部が頭を抱える様子が目に浮かぶようだ……。しかし今までもこんな調子で学校の承認を得ることができてるし、まあ今回も大丈夫やろ!
僕が言うのもなんだけど、なんでこんなのが通るんだろなぁ……。そんなことを思いつつ、チョメはカメラをケースに仕舞い込む。
「よーし、今日の活動内容はこれで一通り完了だね!
早くケーキ食べようよ!」
「オッケー。僕が用意しておくから、炬燵でゆっくりしといで。お疲れさん」
グッと背伸びをして身体を解したのち、彼女は空き教室の一角の畳床に冬場あつらえてある炬燵に潜り込もうとしていたが……。締め付けが気になるのか、全身タイツの上から重ね履きしているストッキングを脱ぎたがっている仕草が視界の隅にチラと見えた。更衣スペースにいちいち引っ込むのも億劫だったようで、畳の上で無造作にストッキングを脱ぎ始めてしまう。……色気よりも珍妙さが上回ってしまっているシチュエーションではあるものの、さすがにチョメも一端の健全な男の子なのだ。人前で着ているものを脱ぎ始めるという彼女の大胆すぎる無防備さに、ケーキを切り分ける手元に集中しなければならないとは分かっていながらも、無意識にチラチラと横目で彼女の脱皮の様子を窺ってしまっていた。
まもなく、ストッキングを脱ぎ終わると、彼女は若葉色の全身タイツ一丁の格好に落ち着いた。この一年で、ミッチーのこの全身タイツ姿をすっかり見慣れてしまったことにチョメスケは気づく。彼女がよく変化衣装のベースに使うこの全身タイツだが、だんだんこの格好でいるのが気楽に感じるようになってきたのか、最近では部屋着感覚でこの全身タイツ一丁になり炬燵に潜ってゴロゴロしている姿を見かけることが多くなった。それも律儀に前髪までしっかりタイツの中に収めた状態で。
基本的に他の同級生たちの前でもマイペースを貫いている彼女だが、さすがに普段クラスでそこまで寛ぎモードを決め込んでいるところはチョメも見たことがない。リラックスしている時の方が色々なインスピレーションも湧きやすいだろうし、チョメとしても彼女が同志として心を許してくれているように思えるので、普段そこまで気にはしていないのだが。
不意に、長く艶めいたまつ毛の下、ミッチーの視線がチョメの方に向く。チョメスケの視線に気づいたらしい。タイミングの問題で、チラリと視線を向けたチョメと目がバッチリ合ってしまう。ストッキングを足先でポイッと脱ぎ捨てた後、彼女なりの配慮なのか炬燵に入る前にタイツの上から白靴下を履こうとしている片足立ちの彼女の全身像が目に映る。
…………慌ててチョメは彼女から視線を外したが、黙ったままでは気まずくなってしまいそうなのが嫌に思えて、苦笑しながら彼女に声を掛ける。
「そろそろ紅茶も淹れ終わるから、一緒にそっちに持っていくよ」
ミッチーはその言葉になんだかキョトンとした表情で頷きを返したが、ふと自分が今脱ぎ捨てたストッキングに目を遣り、ほんのりその色白な頬に朱が差したように見えた。『普段全身タイツ姿でだらけてる姿を見られるのは平気なのに、全身タイツの上に履いてたストッキングを脱ぐところを見られるのは恥ずかしいってどういうこと?』とかチョメは思ったりする。
照れ隠しのつもりなのか、ミッチーは意を決したようにその場で手足をワキワキと動かして、チョメに向かっておどけてみせた。
「ヤッホー!ヤッホーヤッホー!◯ーブラヤッホー!」
「似合いすぎるな……」
彼女の全力フルスイング振りに、チョメは感嘆せざるを得なかった。すっかり着慣れた全身タイツであるおかげでバッチリ様になってるし、なんならカラーリング的に三人目として加入できそうだよね……。
懐かしいなぁ、あの人たち、今もお元気にされているだろうか……。
「……あ、これ意外と美味しいね」
切り分けたケーキを口に含んで、半分驚きを含んだような声音でチョメスケは呟きを漏らす。
「うん、最近のって、案外味も良くなってるんだよ」
炬燵の向かい側に座って全身タイツ姿でケーキを頬張るミッチーが返事をする。
今回使用したケーキは二人の手作りの品であり、実際に食べられるホールケーキのスポンジ生地の内側をくり抜いて顔を覗かせられるような構造に仕立てた力作だ。
当初、表面に塗り込むクリームには100%の抹茶パウダーを混ぜることで若葉色を表現しようという手筈だった。しかし下調べの結果、本物の抹茶パウダーだけでその色味を表現しようとすると、その巨大なサイズもあって予算オーバーとなってしまうことが分かった。粉末の抹茶は結構値が張るみたいなのだ。
そこでミッチーからの提案で、苦肉の策として、より安価な青汁をブレンドすることで嵩増しすることになった。チョメはあまり乗り気ではない様子だったが、近頃は味の良い青汁も入手しやすくなっているようで、抹茶単体の味とは勿論違うものの普通に美味しく頂けるようなケーキに仕上げることができていた。罰ゲームを受ける時くらいの覚悟で食べ始めたつもりが、これは嬉しい誤算だった。
考えてみれば、若葉色を表現するのに大麦若葉を混ぜ込むというのは理に適っているのかもしれない。知らんけど。
流石にこのサイズのケーキを今日一日だけで消化することはできないが、小林教諭にお裾分けしたり家に持って帰ったりすれば残りもあっという間に片付くだろう。
食後の紅茶で一服しながら、二人は年末年始の過ごし方について軽い世間話を交わす。
「僕は家でずっとダラダラ過ごしてると思うなぁ。今年は色んなことがあったから、久しぶりにノンビリしたい気分だし。本当はカウントダウンイベントとか初詣とか、色々行ってみたいんだけどねぇ……」
「あはは、私も大体同じ感じ。クラスの子達と三日に初詣行くくらいかなー」
ミッチーは少し恥ずかしそうに苦笑する。チョメからすると、彼女にとってどこからが恥ずかしく、どこまでが全然平気なのか、その線引きがいまだによく分かっていなかったりする。あと、まさか家でもその全身タイツ姿で過ごしている訳ではあるまいな……。
「……ていうか、十二月に入ってからずっと同好会に入り浸りだったけれど、本当に良かったの?
やっぱ、クリスマスシーズンだしさ、他にも大事な予定とか、ミッチーみたいな人ならあるかもー?とか思ったりしてたんだけど……」
せっかくなので、チョメスケはかねてから薄々気になっていたことを彼女に尋ねてみることにした。
ミッチーはクラス内でも人気者だし、そのマイペース振りを含めて好印象を抱いている生徒は校内にも数多い。だから、なんというかこう……キャッキャウフフな話が持ち上がっていても不思議ではない。そういう魅力的な女の子なのだ。
べ、別に、僕としては彼女の私生活がすごく気になってるとかそういうのは全然マジで全くないんだからね!……とチョメスケは内心思っている。というか、そうでなければならないとすら考えているところがある。彼の中の理性が、『「頑張れ♪頑張れ♪」「うわあぁぁ!!」みたいなことをやっている相手をそういう対象として見ることができるのか?目の前で全身タイツ姿でゴロゴロしてるようなのをそういう対象として見られるのか?』というような根本的な問いを投げかけてくる。まあ……正直なところ、そういう点を秤にかけてもなお、彼女はすごく魅力的な女の子だとチョメスケは思える訳だが。
どのみち、ミッチーのような人気者が自分のような日陰者をそういう目で見るようなことは有り得ないわけで……。だから、自分が彼女をどう思おうが、何かが変わることもあるまい。そんな風にチョメは結論づけていた。
ただ、もしミッチーの交友関係に何か大きな変化があった場合には、その都合も加味した上で同好会のスケジュールを組むことになる。現在は自分が同好会の代表者なわけだから、会員の予定とかどうしても確認しないといけないんだよね!しょうがないよね!……そんな風に、彼は何に対してか分からぬ言い訳を心の中で繰り返す。
「………………」
もしかしたらチョメの逡巡が伝わってしまったのだろうか、彼の質問に対して、ミッチーは少し眉根を下げて微笑みながら、じっと無言で彼の目を見つめ返してきた。
お、なになになに?
なんだこの間は……?
なんでそんな困ったような笑顔を浮かべているの?
………………えっ、まさか、意外と俺のことをそういう目で……?
これ、もしかして、ワンチャンある…………?
チョメスケは一人で勝手にトゥンクトゥンクしながら彼女の二の句を待っていた。
そんな彼の心情を知ってか知らずか、ミッチーは舌でペロリとその血色の良い唇を湿らせてから、その表情の真意を彼に告げる。
「私、今は状態変化が恋人だから……」
「でしょうね!!」
そんな答えだろうと思ってた!と思いながらチョメはスパーンと畳に受け身を取った。
どうやら、状態変化のことばかり考えていると思われるのが恥ずかしくて、困った表情を浮かべていたらしい。逆に、この期に及んでまだそんな恥じらいの感情なんてものが残ってたんですねあなた……。
「あと、クリスマスは毎年、家族と一緒に過ごすことにしてるんだ。多分、今年は家で◯-1グランプリ見てると思う」
「あー、そういえばお笑い好きって言ってたもんね」
チョメはいつだったかミッチーとそういう話をした時のことを思い出す。
「マヂ◯ルラブリーとかラン◯ャタイが好きなんだっけ?」
「そうそう! ああいうのが好きなの!」
ミッチーがうんうんと頷く。彼女はそういうフィーリングに訴えかけるタイプの笑いが好みのようだった。志◯く師匠の審査が一番しっくりきたらしい。なんか、すごくイメージ通り……。
なんなら、そういう芸人さんのネタを自分の部屋で真似して遊んだりしているんだとか。見たすぎる。
「か、カラダがっ♡ 夏になるッ♡
過激で、最高ッ……♡」
「今ここでやらんでいい」
ラーメンの丼から飛び出そうとするTMレボリ◯ーションのマイムを再現しようとするミッチーを、チョメは冷静に嗜める。
なんで他人のネタをいちいち色っぽくアレンジしちゃうのかなぁこの子は……。
全身タイツ姿でそれやるともう完全に芸人さんにしか見えないんだよなぁ。
あと、『カラダが夏になる』ってどういうこと? 夏化ってこと? それは状態変化的な意味として受け取ってよろしいのだろうか?
「はいはいはい! その話はこれでおしまい!」
チョメの追及が面倒臭くなったのか、あるいは全身タイツ姿で芸人さんみたいなことをやった自分がじわじわ恥ずかしくなってきたのか、少し赤らんだ顔のミッチーがこの雑談を締めようと仕切り始める。あなたが始めた物語なんですがこれは?
「今年も一年、色々ありましたけれども、状態変化にいっぱい触れられて、とても楽しかったです!お疲れ様でした!」
「はいはい、お疲れ様でした」
ミッチーが炬燵から白靴下を履いた脚を出して、畳の上に正座をしてみせる。完全に年末のご挨拶モードになってしまったようなので、チョメスケも仕方なく流れに身を任せることにする。
前髪まで折り目正しくタイツの中に仕舞われているので、殊勝な面持ちがよく見える。チョコンと両手を畳につけ、チラと上目遣いで、彼女が丁寧にご挨拶申し上げる。
「良いお年を」
久しぶりに書き始めてみたら、文章の書き方を忘れてしまっていてビックリしました。
参考動画
「『TMラーメン』ランジャタイ 漫才」
h ttps://youtu.be/MVCdGCVXOGE?si=gZ94RyL5eA0WpBt3
あと多分この子はマヂラブの『オーロラ』とか好きそうな気がします。