6章_0090話_小領地へ 3
1ヶ月半におよぶラウプフォーゲル滞在を切り上げ、ユヴァフローテツに帰ります。
事業の話はあらかた父上とすり合わせできたし、鉄道業についても基本的には父上が計画面を引き受けてくれることになった。
おかげでラウプフォーゲルではまた文官の大量採用が始まったそうだが……まあ、領の雇用に貢献できたのなら何より。
あれから城下町視察は3回ほど問題なく完遂。絶対にダメと言われると思っていた城下町の闇の部分、スラム街も遠目ではあるけど見ることができた。
治安と食糧事情の良さもあって、さほどひどい様子ではなかったのは意外。ヘタするとこればかりは現代の先進国のほうがひどいかもしれない。
そして棚上げされていた件。城下町で声をかけてきた謎の商人フィッツ・ローゼンメラーは中央で有名な食品関係の商団に所属する有名な買付人。彼にかかればどのような食品も瞬く間に帝国全土に広がると言われている人物。
だが、実力は申し分ないとはいえ現在の所属がシュティーリ家の直属の商団ということであまり関わり合いを持ちたくないというのがガノの本音だそうで。なるほど納得。
ヘッドハンティングできれば相当な人材だが、シュティーリ家との「確執」が「対立」にランクアップするからやめておけという話。大人の事情だね。
ちなみに彼と会うことは慎重に避けていたので回避できたけど、3回とも姿を見かけた。
スパイにしては堂々とし過ぎ。ビジネスマンとしての訪問ってことなんだろうな。
今回ユヴァフローテツに戻って、次の親戚会までの宿題として課された課題がこれだ。
・製紙業の工場生産化に向けて初期製品の開発
まあこれはユヴァフローテツの工房に任せているので俺は「そろそろできた?」って聞くだけだからあまり考えなくていい。今は木材からできる紙の開発と、濡れたら歪むだけでなく模様が浮き上がるような紙を開発中。学院にいるあいだもユヴァフローテツの技術者たちはせっせとサンプル作りに励んでくれてたし、きっとすぐに製品化レベルのものができる。
・魔導騎士隊の制服づくり
どうやら皇帝陛下がトリューと魔導騎士隊のお披露目会的な企画をしているそうだ。迷惑な話……と一瞬思ったが、俺の将来のためだというので頑張るしかない。
・蒸気機関エンジン試作品1号の完成
蒸気機関と名目上は呼んでいるけど、たぶん前世の正しい蒸気機関とは似て非なるものになると思う。なにせ開発しているのはこの世界の人間だから、魔法や魔導を応用したものになるはずだ。とりあえず蒸気機関車そのものではなく、エンジンの試作品を作れとのことだ。これはおそらく、ディングフェルガー先生がヤル気なので俺はあまりやることないかな。
そう考えると……。
「僕、ユヴァフローテツでひまかもしれない」
「それはないでしょう」
ユヴァフローテツに向かうトリューの中。精霊の改良により、俺がどこにいても魔力供給に影響がないようになったのでペシュティーノの膝の上でぬくぬくしてる。
「なんで」
「ユヴァフローテツはユヴァフローテツで、まあまあ問題が出ています」
「え」
「帰ったら統治のお仕事がたくさんですよ」
「そんなのきいてない〜」
「ユヴァフローテツに戻るまでは、学業に専念してほしいと考えておりましたから……ケイトリヒ様が不在の間はユヴァフローテツの統治官たちだけでどうにかして欲しいという思惑もございましたし。……いまお聞きになりますか?」
戦闘機型のトリューは、俺の要望で天蓋に少し日除けのための色味がついている。車の中みたいに程よく薄暗い中、ペシュティーノの膝の上という最高のロケーションであまり仕事の話は聞きたくない気分……。
「もうちょっとあとで」
「はいはい。承知しました」
眠いような半分寝てるような、でもペシュティーノの頭を撫でる手の感触を心地よいと感じつつ、むにゃむにゃしていると、もうユヴァフローテツだ。巨大なオベリスクが見え、その下には整然とした町並みと水辺。見慣れた景色。トリューはやいねー。
「ケイトリヒ様、もうすぐに着陸となりますが……問題箇所がここからよく見えます」
「んぁ」
ペシュティーノに抱き上げられて下を見ると、ユヴァフローテツの街がある湿原が広がる台地の下、岩砂漠が広がる過酷な土地にテントのようなものがチラホラと見える。
「だれかいるの」
「転移魔法陣からの進入が許可されずユヴァフローテツに入れなかった商人や労働者が、自力で岩砂漠を渡り台地の下に無断で居を構え始めたのです。定住するなと忠告してもこれはキャンプだと言い張るばかりで聞き入れようとしません」
「ほっとけば?」
「まあ、それでも良いのですが……いずれ命を落としますし」
「え、しんじゃうの? そ、それなのにまだいるの?」
「ええ。確認していませんが、おそらく流民も紛れ込んでいます」
「りゅうみん……りゅうみんって、見つかったらすぐ処刑されるんだよね?」
「ええ。ユヴァフローテツがまだ幼いケイトリヒ様の小領地と知って温情措置を期待しているのかもしれません」
スモークのかかった天蓋からでもはっきりわかる、黄土色の岩砂漠、大きな岩の下に隠れるように立つテントや掘っ立て小屋。
よく見ると、小さな人影が走り回っていてそれを追いかける大人が見える。
「……こどももいるの? こんな岩砂漠のまんなかに?」
「ケイトリヒ様、辛いご決断になるでしょうが、この命令を下すのは小領主しかできないことです。……あるいは、精霊様に頼んで魔獣を差し向けるという手もございます。心の負荷は同じでも、政治的な責任となると少々身軽になるかと」
ペシュティーノは、暗に「処分しろ」と言っている。
エーヴィッツから初めて聞いた「流民」の問題。
その後新聞や学校の図書館で調べたところによると、これはどうやら前世で起きていた問題とは全く様相が異なる。
「流民」とは、帝国が公式に広く移民を受け入れているにもかかわらず、その公式な手続きをせずに不法入国しているもののことを指す。
ラウプフォーゲルの移民制度はさほど金も知識もなくてもちゃんと手続きすれば段階を踏んで移民として正式に取り扱ってくれる、かなり良心的な制度だ。
そんな誰にでも開かれた門を通らずに、塀をよじ登って侵入する人物は調べられて困る犯罪者か無知な無法者なので、殺して良い。それがラウプフォーゲルの考え方だ。
なんというか……前世の感覚では賛同しにくい内容だが、批判することもできない。
つまり、正式な移民手続きをしていない流民は殺処分対象。ヒトとしてすら扱わない「殺処分」という言葉に、流民への嫌悪感が表れている。
「……りょうみんをまもるためだもんね」
「そうです。勤勉に働き、税を収め、子を養い社会に貢献する領民の生活を、流民は脅かす存在。決して甘い顔を見せてはなりません。彼らは敵兵と同じ、いえ無自覚であるゆえにそれ以上に悪質な存在です」
天蓋から覗き込むのにつかれたのでポスンとペシュティーノの膝の上に座り直す。
複雑な気持ちだけど、ユヴァフローテツに暮らす領民のことを考えると、流民の命を絶対に守りたいという気持ちは思いのほかない。子供はさすがに不憫だとは思うけど、領主は領民の命と生活を守るのが使命だ。
「さいごつうこくをして、それでも残ったものは処分しましょう。どう処分するかは……ちょっと精霊とそうだんするね」
「承知しました」
ペシュティーノは恭しく応えながらも、褒めるように俺の頭を撫で回す。
気の重い仕事だけど、必要なんだ。……でもやっぱり、無抵抗な大人や、何もしらない子供の命を奪うのはつらい。それは、魔導騎士隊だって同じだ。
「僕がちょくせつ出る」
「……大丈夫ですか? 魔導騎士隊に任せてもよいのですよ」
「んーん。僕は小領主だもん。自分がくだすめいれいの重みを、ちゃんと知らないといけないとおもうの」
「ケイトリヒ様……ご立派です」
ものすごく気は重いけど、人任せにはできない仕事だ。現実を知らないと、俺はいつまでも異世界人感覚が抜けないかもしれない。領主になったり皇帝になったりしたいわけじゃないけど……いつまでも他人事でもいられない。
白の館の前には、数十人の市民が集まってトリューに向かって手を振ってくれた。
口々に「小領主様、おかえりなさいませ!」と言ってくれているみたい。
ユヴァフローテツの街は、以前よりも全体的に建物が白い。
「一旦お部屋で休んで、魔導騎士隊と不法占拠民の対応について話し合いましょう」
「うん」
いまはまだ流民ではなく、不法に居座ってるヒト、という意味で不法占拠民。
執務室に行くと、見慣れた顔が出迎えてくれた。
「小領主様、おかえりなさいませ」
「学院の早期修了をお喜び申し上げます」
「小領主様! その……、……お変わりなく……いえ、おかえりなさいませ」
ユヴァフローテツの暫定統治官のシュレーマン、農業開発部主任のラウリ・ヘイヘ、そして都市計画主任のパーヴォが順番に挨拶してくれた。パーヴォ、「大きくなりましたね」って言えなくて口ごもったね? 俺にはわかるんだからな! いいけど!
この半年で1スールどころかマジで1ミリも成長してないからね!
体感としてわかるよ。このくらいの年齢の子供って、半年見ないと結構大きくなるよね、わかる。だって兄上たちはどんどん大きくなってるもん。
「諸君、ケイトリヒ様はこれから下の不法占拠民たちの対応に向かわれます。今すぐ報告が必要なもの以外は、戻ってからにしてください」
ペシュティーノが言うと、3人が報告したくてソワソワしていたのをピタリと止めて「承知しました」と頭を下げた。何より不法占拠民対応が最優先みたいだね。
「魔導騎士隊総隊長、マリウス・フォルクマン、参上いたしました」
「同じく魔導騎士隊ユヴァフローテツ駐在部隊長、ガント」
「同じく魔導騎士隊哨戒部隊長、ケリオン」
「同じく魔導騎士隊の訓練部隊長、イェルク・ライヒェンです」
4人の魔導騎士隊隊員が来て、不法占拠民の対応について話す予定だったのだが……。
「あつまってくれてありがとう。……ところで、みんながきている制服、どこの?」
俺が興味深そうに4人の制服を見ているものだから、隊員たちも顔を見合わせた。
「今魔導騎士隊に所属する隊員は全員、元ラウプフォーゲル騎士隊の所属です。そこで支給された騎士服の濃紺色の染料を落として明るくし、染め直したものに白鷲の紋章を入れたものです」
やや褪せた青色だと思っていたけど、なるほどラウプフォーゲル騎士隊の濃紺を落としてたのか。急場しのぎの対応だ。そりゃあ早く制服を作ってあげなくちゃね……。
魔導騎士隊の設立はかなり急だったこともあって、隊長クラスとまともに喋るのは初めてかもしれない。いかんいかん。
「よくかんがえるとまともにおはなしするのはじめてですね」
「そのような、勿体ないお言葉。我々は王子殿下の手足となる兵にございます。直接お声がけいただける機会を賜っただけでも僥倖にございます」
総隊長のマリウスが貴族然とした物言いで柔らかく社交辞令を述べる。
家名があるってことは、貴族なんだろうね。
「てあしと言うなら、なおさらちゃんと連携をとらないと。いざというときに僕の思いどおりに動けなかったら、僕のかんりのうりょくぶそくになるでしょ」
「……王子殿下のご懸念の通りにございます。魔導学院の就学期間を終えた今、急場しのぎで結成された魔導騎士隊の体制見直しも是非ご検討ください」
鋭い目つきで愛想笑いもしないイェルク・ライヒェンが淡々と意見した。うん、つまりそれなりに魔導騎士隊内では問題があるということを言いたいんだね。
「シュヴェーレン領とトリウンフ領から引き上げたあと、希望者から選りすぐりの兵で結成しましたがやはり暫定体制ということで指揮系統が不十分です。ケイトリヒ様、今回ユヴァフローテツにいる間に制服だけでなく、体制構築をたたき台だけでも運用に乗せることを目標としましょう」
もうひとつ宿題ができちゃったね。
ペシュティーノの言葉に俺が頷くと、魔導騎士隊の隊長たち4人はやや複雑な顔。……キミたちの懸念は、理解しているつもりだよ。
「とはいえ、僕はまだ洗礼年齢まえのこどもだし、騎士隊のことをかんぜんにしりつくしてるわけもない。きみたち4人には、たいせいこうちくに協力してもらいたいとおもっているけど、どうかな」
4人の隊員は一斉に目を輝かせて「もちろん全力でご協力いたします!」と元気な返事をもらえた。うんうん、子供に任せるのは不安だよね。それに俺の側近には騎士隊出身者もいない。唯一のエグモントが除籍された今、騎士隊の体制は彼ら自身にかかってる。
「……そういえば、エグモントがユヴァフローテツに来たら魔導騎士隊にはいるのかな」
「いえ、ケイトリヒ様、それは不可能です。魔導騎士隊はケイトリヒ様の私兵とされていますが扱いはラウプフォーゲル軍と同じ。彼の所属は許されません。その話はまた追々……」
4人の隊員たちは複雑そうに視線をさまよわせたが、発言することはなかった。
「じゃあ、ひとまず下のふほう流民……じゃなくて、ふほーせんきょみんの対応だけど」
「はっ」
4人は表情を引き締め、跪いて命令を待つ。
それから俺は、俺の「全知」の能力で魂を見て彼らを判別するという案を出した。
魔導騎士隊たちは俺の能力に驚いたようだが、ある程度は納得してくれたみたい。
「……つまり、戸籍登録版で得られるようなこれまでの人生遍歴の情報を……王子殿下は魔法で簡単に見ることができるということ……でしょうか。それから、対応を分けると」
「そう」
4人の魔導騎士隊隊員は、本当にそれでいいのかと問うようにペシュティーノに目を向ける。
「……ケイトリヒ様。今回の対応は、ユヴァフローテツにとっても前例となります。そのような対応をすれば今後も同じように求められますが、本当にその対応でよろしいのですか? 今後ケイトリヒ様がお忙しくなればまた方針を変わり、救いを求めてやってきた者たちが殺処分されることになりますよ」
「流民はどこにいっても殺処分でしょ」
基本的に流民を助けることは禁止されているのだが、正規の手続きを踏んで流民から移民になれば不可能ではない。本で読んだ話によれば、やむを得ない理由で流民となった人々を救済する団体もあるそうだ。
「それは……そうですが。ケイトリヒ様、1つ決定的に、流民を殺処分する条件があることをお忘れはないですか?」
仕方なかろうが意図的であろうが、絶対的に「こうなったら流民は殺処分しなければならない」という条件がある。それは俺も知っている。
「不法に集落をつくったばあいでしょ?」
「……今回のキャンプがそれに当てはまらないとは思えないのですが」
そう、流民が集まり、20人以上の「集落」を形成した場合。その集落は例え乳児であっても殺処分の対象となる。すごく残酷な決まり事だけど、これはアンデッドの発生とも関係があって、「それくらい許してやれよ」じゃ済まないことなのだ。
実際、流民たちがつくった集落がアンデッド大発生の発生源となった例は歴史的に少なくない。亡骸を正しく弔わないことでアンデッドが発生し、集落を飲み込んでアンデッド大発生となる。
つまり帝国民全体の脅威となりえるからこそ、流民が厳しく規制されているというわけ。
「それは、じっさいみてから」
「……承知しました。ケイトリヒ様のご判断に従います」
ペシュティーノが腹をくくったことで、魔導騎士隊の4人も納得したようだ。
ギンコに乗った俺とペシュティーノはの前後にはジュンとオリンピオ、パトリック。
そして魔導騎士隊の4人は1人5人ずつほどの部下を連れて不法占拠民のところへ。
岩砂漠って、日本人が思い浮かべる砂の海のような砂砂漠と違って見通しも悪いし、足で歩けば軽い登山のくりかえしだ。ユヴァフローテツには、俺が小領主になる前に使っていたギリギリ馬が通れる道があるらしいけど、今は整備されてないらしいからどうなってることやら、とシュレーマンが話していた。
ユヴァフローテツの街の南側の正門を出ると、真正面には転送陣が設置された建物。西へ行くと湿地に伸びる道。そして東へ曲がる道は、台地の側面をゆっくり下る坂道になっていて、不法占拠民はその下にキャンプを張っていた。
岩の合間に布を張り、僅かな平地に歪んだテントを張ったりと、さながら難民キャンプのように急ごしらえで粗末。
ぞろぞろと兵士を連れた俺たちを見て、慌てて身支度を整える者や跪いて大声で請願するもの、果ては逃げ出すものさえ出てきた。
「逃げたものはいかがいたしましょう?」
「おわなくていい。兵士をおそれるということは、罪人でしょ」
俺が言うと、魔導騎士隊総隊長マリウス・フォルクマンがそれを認めるように頷いた。
大声で請願する者は、商人のようだ。
「帰ろうにも水がなく帰れないから売って欲しい」と言っている。
坂道の途中で足を止め、下にいる不法占拠民たちに向き直る。
「静まれ! これからユヴァフローテツの小領主様、ケイトリヒ・アルブレヒト・ファッシュ殿下の温情により、不法占拠民である其方たちから事情聴取を行う。場合によってはこの場で沙汰を下す。我こそはと思うものから名乗りを上げよ。このまま、やり過ごしても構わん。不法占拠民が魔獣に食われても、我々には関係のないことだからな」
マリウスはよく通る声で言うと、ざっと見えるだけで15、6人ほどいる不法占拠民たちが顔を見合わせる。
「お、恐れながら申し上げます! 先ほども申した通り、私は旅の行商人です! ユヴァフローテツの街がこのように厳重だと知らず転移魔法陣代をケチり岩砂漠に迷い込んだ挙げ句、街に入る許可も降りず途方に暮れておりました。戻ろうにももう水が尽きかけており、私の水魔法も馬の維持だけで限界です。どうか樽一杯、いえ、2杯の水を恵んでいただけないでしょうか。もちろんお代はお支払いいたします!」
マリウスが「小領主様、いかがなさいますか」と聞いてくるので、ことさらエラソーに声を張り上げる。
「あいわかった。其方のせいがんを聞き入れる。だれか、水魔法で水をていきょうせよ。本来、水をうりものにはしていないが、迷惑料として……」
チラリとペシュティーノを見ると「にひゃく」と口を動かした。
「迷惑料として、200FRをもらい受ける。ほかはないか!」
2万円か〜。払えない額じゃないけど、痛いよなあ。
次々に不法占拠の事情を口にするが、請願に妥当性があったのは最初の商人だけだった。
だいたいがユヴァフローテツの移民申請をしたが落ちたので無理やりやってきた、入れないので入れて欲しいという人物。なんで落ちたかわかってないみたい。
ジッと見つめると、彼らの胸や手、目などの体の一部にもやもやとした赤黒い不吉なモヤが見える。……これはまるで最初のエグモントみたいだ。
ふと後ろに現れたウィオラが解説してくれた。以前はわからなかったけど、今ではわかるらしい。クラスアップしたからかな。
手にモヤが見えるのはスリと万引きの常習犯。目にモヤが見えるのはノゾキの常習犯。胸にモヤが見えるのは嘘つきの常習犯で、どれもこれももともと住んでいた街や村で住めなくなってやってきた人たちだった。おたずね者というほどではないけど、街にいてもらうと小競り合いを招きかねない小悪党。
単純に、どうあがいても転入を許可できない人物たちというわけだ。
申し開きをはねつけて、さっさと去れと告げると落胆したように肩を落とした。
俺からしたら、むしろゴネたら入れると思ってる考えがちょっとやばいんですけど。
そして、そんな中、岩陰からおどおどと出てきた痩せた男性。
不法占拠民の中でも群を抜いてみすぼらしい格好。靴は無く、足は布を巻き付けただけ。髪もヒゲも伸び放題で、ボロ雑巾のような衣服でかろうじて裸だけは免れた原始人みたいな格好だ。
俺がチラリとその男性を見ると、かろうじて聞き取れるくらいの、カラカラに乾いた喉から絞り出すような声量で何かを叫んだ。
「……? よく聞こえません、ハッキリと申しなさい」
ペシュティーノが怪訝そうに言うが、俺には聞き取れた。
「Dites-le encore|(もう一度言いなさい)」
「!? ……ケイトリヒ様? いまなんと仰いました?」
「Nous avons été amenés ici en tant qu'esclaves. Nous avons besoin de protection !|(私たちは奴隷としてここへ連れてこられた。保護してほしい!)」
嘘だろ? フランス語だ!
信じられないとばかりに食い入るように見つめると、彼の魂からは清廉な輝きが見える。
その輝きは強く、とてもキレイだ。嘘をついていないし、言っていることは事実に違いない。そして何か……不思議な力を感じる。
「Amenez votre femme et vos enfants ici.|(あなたの妻と子供をここに連れてきなさい)」
「け、ケイトリヒ様……?」
男は言葉が通じたことを喜ぶように、後ろに向かって手招きをした。すると、男と同じように性別もわからないほどにみすぼらしい姿の、子供を抱えた女性1人と、長いマントのような布を頭からかぶり、ずるずると引きずってあらわれた子供が……ぞろぞろと5人。いや、一枚のマントに2人いたりするみたいだ、6、7人?
「……このおやこは、ほごします。マリウス。今、ガノにいちじてきな宿泊施設をてはいさせてますので、そこへいそうして」
「は、はい。承知しました」
魔導騎士隊の隊員がすぐさま坂道を飛び降りて男性と子どもたちを囲むと、周囲から怒声が響いた。
「おいおい! どういうことだよ! 俺たちは生粋のラウプフォーゲル人なのによぉ!」
「そうだそうだ、ユヴァフローテツは地元民よりも外国人を優遇するのか!?」
「俺たちも入れてくれよ! 同じくらいみすぼらしい格好になればいいってのか? じゃあここで脱いでやらぁ!」
謎に興奮したならず者たちが騒ぎ出すと、近くにいた魔導騎士隊が彼らから親子を守るため身構える。
「おい、黙れ」
静かな声色なのに怒声の中でキィン、と耳鳴りがなるほどに響く。
騒いでいた連中はピタリと止まって声の主を見上げた。
「主の決定は絶対だ。みみっちい小悪党どもが調子にのってんじゃねえぞ。いまここで全員斬り捨てられて、岩砂漠で腸さらけだして干し肉にでもなるか? あ?」
ジュンが太刀に手をかけてゆらりと前に出ると、坂の上から睨めつけられた小悪党たちが震え上がる。大きな声量ではないのに一言一言がまるでイヤホンで聞いているかのようにしっかり耳に届くのが不思議だ。
尋常でない殺気に怯えたのは調子に乗った小悪党たちだけでなく、魔導騎士隊もだ。ギンコも同調して唸るものだから、馬も興奮して必死に商人がなだめている。
「ジュン」
「ケイトリヒ様。こいつらただの小悪党でしょう。斬り捨てても問題ないですよね?」
「お、お待ち下さい! 私たちも、路頭に迷った一家なんです!」
いきなり岩の隙間から、妙に身ぎれいな女性と大きめの子供が出てきた。
「主人を亡くして借金取りに追われて……」
「ママと僕をたすけてください!」
そう語る女性と、その子供は全身が赤やら紫やらのどす黒いモヤモヤに包まれてもはやヒトの形をしていない。
「……ジュン、あれは斬ってもいい」
「王子、俺と同じものが見えてるみたいだな」
ジュンは俺の隣でフッ、と身をかがめると、次の瞬間にはその親子の背後に回っていた。
体を真っ二つにされると血が吹き出すものかと思っていたけどそうでもないんだなー。
ごろり、と地面に転がったものと、乾いた土にしみて広がっていくどす黒い液体をみて、小悪党たちは身じろぎもせず言葉を失った。
保護された親子たちは魔導騎士隊の配慮でマントで包まれ、子供は背負われて坂道を足早に運ばれていった。
俺は……俺は、思いのほか冷静だ。
以前はジュンが生徒を斬るつもりだったと聞いて動揺したけど、今回は腹を決めて臨んだからだろうか。後ろに俺が守るべき領と領民がいるからだろうか。
理由はわからない。
けど、前世では絶対に見ることのなかったものを見ても何の恐怖も動揺もない。
「さて、申し開きしたいものはもういないか?」
マリウスの声が朗々と響くが、誰も反応しない。
魔導騎士隊の数名が、黒い布を広げて、ヒトだったものを片付けている。
「では以上。今夜は小領主様の命により、子飼いの魔獣を放つ。食料調達は自由にしていいと命じてあるため……命が惜しくば夕方までにこの場所から2リンゲ以上、離れるように」
やり過ごせばいいと高をくくっていた小悪党たちが慌てだす。
あ、これ水を確保した商人が襲われちゃうな。
ペシュティーノの袖をくいくいと引っ張ると、言いたいことを理解したのかペシュティーノが仕方ないというように笑う。
「そこの商人」
「は、はい!?」
「ああ、商人だけでなく、他の者も同様ですが……街で護衛の冒険者を手配するか、街道沿いの転移魔法陣まで転移するか。相応の額を払えばどちらか手配しましょう」
「て!! 転移でお願いします!」
「俺もだ!!」
「俺も!」
「……商人は馬車を含めて商人価格で総額500FRですが……特に何の益もないあなたたちの場合、一人当たりの転移魔法陣の使用料は600FRですよ、払えるのですか?」
小悪党たちが絶望の顔でお互いを見る。
ひとり6万円……持ってるかどうかもあやしいなー。
「……今、発てば日暮れまでに2リンゲ離れられると思いますよ」
ペシュティーノの涼し気な提案に、小悪党たちは我先にと脱兎のごとく踵を返して逃げ出した。
「あ……テントそのままなのめいわくー」
「焼き払っておきましょう」
そう言ってペシュティーノが杖を振ると、岩の間にわたされた布や木箱などが勢いよく燃えだした。
と、いうわけで不法占拠民の問題は解決……かな?
逃げた彼らは、ユヴァフローテツでどういう扱いを受けたか広めるといいよ。
さて、フランス語を話す親子は一体何者なんだろうね。
悪い人ではないみたいだから、じっくり話しを聞こう。