1章_0009話_ラウプフォーゲルの王子 3
「ケイトリヒ様は少食で、お食事だけに集中されるとあまり量を召し上がれません。適度に会話をしながら意識をそらしつつお食事を進めることが肝心です。……ケイトリヒ様、護衛騎士が3名も付きましたので、御館様から外遊を許可されましたよ。行ってみたい場所などがおありですか?」
自室で朝食の前にテーブルに座るなり切り出されたのは、返答に困る問いだ。
ドア付近には新しい護衛騎士のガノ、ジュン、3名が俺のお世話の研修と称してずらりと並び、お食事のお世話の様子を真剣な眼差しで見られている。主にペシュティーノの動きを見ているようだけど、こっちまで緊張しちゃう。全然気づかなかったけど、俺の扱いって結構ペシュティーノの工夫が凝らされてたんだね。
「行ってみたい場所……」
俺がうーんと唸っていると、口元に小さな匙が差し出されたのでパクリと口に入れる。食事の前には、小さじ1杯ほどのヴァルトビーネの蜂蜜を出されるのが最近の習慣だ。
俺が蜂蜜に夢中になっているうちに目の前に朝食がセットされる。黒パン、スフレのような卵焼き、野菜のスープ、水っぽいハムみたいなあっさり風味のお肉。お肉は、今までチャレンジした数多くのお肉の中で唯一と言ってもいい、ギリギリ食べられるお肉だ。
香草でしっかり臭みも抜かれているので、質素な料理でありながらかなり手間のかかっているお肉らしい。ララが言ってた。
小さなお皿に並べられたそれらはどれもピンポン玉一個分にも満たない量だ。ペシュティーノが導き出した、俺の最適解の食事量がこれ。
かなり少ないけど、これを1日8回食べる。
「市井をご覧になりたいと仰るならば御館様にお願いして日程調整をして城下町見学してもよろしいですし、城下町を出て遠乗りしたいと仰るなら城の護衛騎士をあと2名ほど追加すれば可能です。馬は私と相乗りになりますが」
ペシュティーノが小さなフォークでスフレのような卵焼きをすくって考え込む俺の口元に差し出すので、パクリと食べる。もぐもぐして、黒パン。
「とおのり……馬に乗るのですか」
「窓からラピスブラオ湖が見えるでしょう。城下町の外れには平民たちの間でも気軽にピクニックできる湖畔がございます。そこで少し水遊びしても構いませんよ。兄殿下もよく訪れているそうです」
湖畔で水遊び。
子供には胸躍る提案だろうけど、正直あまり興味ない。うーんと考えていると、また口元に何かを差し出されたのでパクリと食べる。もぐもぐして、黒パン。
「水遊びは、いいです。城下町見学は、お触れがないとダメですか?」
「ええ、お忍びでの見学は無理だとお考えください。防衛上の理由で」
うーん、王子様の市井見学。お触れありの行事的な見学なら、あまり意味がないし肩がこりそうなイベントだ。目をつぶって考え込んでいると、口先につんつんと触れるものがあるのでパクリと口に入れる。ん、これはスープ。ゴクリと飲んで、黒パン。
ペシュティーノとあれこれ外遊について話している間に、朝食完了。
結局、俺の要望は「先触れを出さずに城下町を流し見したい」と「魔物を見てみたい」という2つだけに絞られた。すぐにOKは出ず、ペシュティーノはそれを可能にするために側近内で相談して決める、という結論に。
そして3人の新人側近は、俺の食事風景を見学して何かを学んだようだ。
ふむふむと頷いたり、ガノは何かメモっぽいものに書き込んだりしている。
「今日の予定は、ラウプフォーゲルの謁見室でお客様のお出迎えをします。お着替えはカンナとガノに担当してもらいましょうね」
「はーい」
食事テーブルセットの椅子からぴょいと飛び降りると、すぐにペシュティーノに抱っこされる。お着替えの準備だ。
「食後の抱っこはお腹を圧迫しないように注意してください。また、眠そうにされていたらすぐに予定を変更して、よっぽどの重要な用件でない限りはお休みを優先します」
ペシュティーノがおもむろにまた俺の「トリセツ」案内。俺のおねむはどんな予定よりも優先されるらしい。そうだったのか……。おねむより重要な用件ってなんだろうな。
食事は真剣に見ていたが、今は集中力が切れたようだ。ガノはにこやかに、ジュンは難しい講義でも聞くように、エグモントは少し退屈そうにその説明を聞いている。こんな些細なことから、性格が丸わかりだ。
ペシュティーノに抱っこされた俺に、にこやかにガノが目線を合わせてくる。
「ケイトリヒ様、これからは私もお召し替えのお手伝いをさせていただきますね」
子供に1ミクロンも警戒心を抱かせない優しい笑顔で話しかけてくるガノに、俺もニッコリ笑って頷く。
「ケイトリヒ様、ガノに抱っこしてもらいましょうか?」
ペシュティーノが聞いてくる。着替えの手伝いをするなら今後ペシュティーノと同じくらい触れ合いは増える。ペシュティーノ以外の側近に抱っこされることにも慣れておかないとね。
「うん」
「よ、よろしいのですか」
「抱き上げるところから慣れておいてください。私の手がふさがっている場合は、ガノにケイトリヒ様の馬になってもらいます」
ちょこんと床に降ろされると、ガノが「失礼しますね」と笑顔で目線を合わせるように跪いて慣れた手付きで抱き上げる。圧迫感もないし、体の重心を押さえた的確な抱っこだ。しかもガノはミントのような爽やかないい匂いがする。これは抱っこのプロ。
「慣れてますね」
「はい、商隊では依頼人の子の護衛をすることもありましたから」
すぐ近くにあるガノの瞳は、ペシュティーノとは色味の違うグリーンだ。深みのあるグリーンで、眉も睫毛も髪と同様に暗いカーキ色なのがよくわかる距離。鼻毛とかも緑なのかな、と変なことを考えた。下から見てもよくわからない。
「ガノ、髪の毛みどりね」
「はい。ラウプフォーゲルではよく見られる色です。王子殿下の御髪は綺麗ですね」
「ラウプフォーゲルで珍しい色って、あるの?」
「ペシュティーノ様のような明るい色の方は少ないですね。それでも珍しいというほどではありません。魔力が変わると体毛や皮膚の色が変化することもあるそうなので、どんな色でもさほど珍しがられることはありませんよ」
俺の白髪をフォローしてくれてるのかな? 幼児向け番組のお兄さんみたいな優しい口調と声色で話すガノは、とても心地良い。頭をコテンと肩口に預けると、優しく背中を撫でられた。そのタイミングや力加減や位置が、絶妙。
「おや、本当に随分と上手です。私が不在でも心配なさそうですね」
「今はペシュティーノ様がお側にいらっしゃるからというのもあるでしょう」
謙遜の仕方もオトナ。
ガノ、側近としては完璧じゃない?
その後、衣装室という名の倉庫みたいな場所でお着替え。
急に服が増えたので、急遽使ってない部屋を衣装室にしたんだけど、薄暗いし使ってない家具がいっぱいあってちょっと居心地の悪い部屋なんだよね。1人にされるとちょっと怖い感じの部屋。
カンナが熱心にお洋服の説明をしている間も、ガノはおとなしくスツールに座って待つ俺の方をチラチラと気にしている。子供から目を離さない……保護者としても完璧。
まあ俺は中身オトナだからチョロチョロ動き回ったりしないけどねっ。
今日はお客様と会うので、フォーマルっぽい衣装にお着替え。
「ケイトリヒ様は何色がお好きですか?」
「お勉強で一番イヤだなーと思われたことは何ですか?」
「ペシュティーノ様のどこが好きですか?」
なんでもないようなものからやや斬り込んだものまでしきりに質問を繰り返しながら、ごく自然に会話が続く。俺が曖昧な返事をしても咎めることなく上手く会話をリードして質問の応えを導き出す話術は、相当な手練だ。
俺も負けじと質問で返すこともあるが、それに対しても真摯に応えてくれる。
大きな商談を共にしている交渉相手のように、お互いの情報を引き出したり与えたりしつつ距離感を縮めているような感覚だ。悪くない。
着替えが終わる頃には子供に向けるような声色や表情が少し変化して、大人を相手にするようなものになった気がする。
「これはこれは、愛らしさと知的さを的確に表現した素晴らしいお召し物ですね。今日のお客様が何者であろうと、きっとケイトリヒ様に圧倒されることでしょう」
「ガノさんって、商家の子息なんですよね? 私達メイドよりもずっと言葉遣いが貴族っぽいですわ……なんだかペシュティーノ様改良版2号って感じです」
カンナがちょっと困惑したように言うので、俺はくすくすと笑ってしまう。見た目は全然違うけどペシュティーノ改良版2号って、たしかにそんな感じだ。完璧主義のペシュティーノよりも柔和で人当たりが良く、相手を油断させるようなユルい雰囲気がある。だが実はペシュティーノよりもずっと損得勘定がハッキリしてて、合理的でちょっと狡猾な部分もありそうな腹黒さもチラチラと垣間見える。一言で言うなら、「根っからの商人」だ。目を合わせるとガノは今までの善良そうな営業スマイルと違ってニヤッと口の端で笑ったので、俺もそれに応えるように上目遣いでムフフと笑う。
ガノとは気が合いそう。
「ケイトリヒ様、客人とは一度謁見室で挨拶し、その後応接室で簡単な検査をします。以前、魔力の測定をしたのを覚えていますね?」
本城へ向かうピロティで、俺はジュンに抱っこされながらペシュティーノの説明を聞く。
ジュンもなかなか抱っこが上手い。ガノのような細かな気配りはないけど、しっかりした体幹と筋力があってガノよりも小柄なのに力強い。
護衛騎士の中では最年少だけど冒険者をやっていただけあって戦闘経験としては他の2人よりずば抜けている、らしい。
「……また検査するんですか?」
ペシュティーノを混乱に陥れた魔力検査を、客の前でやるの? 大丈夫?
不安そうに見えたのか、俺のちっちゃな手をとって手の甲を指先でスリスリしながら笑顔で言う。
「大丈夫ですよ、ケイトリヒ様には私がついています」
そう言って手の甲を見ると、不思議な魔法陣がふわりと浮かび上がった。あっ、これってもしかして、何かペシュティーノが対策してくれた?
まじまじと手の甲の魔法陣を眺めてからペシュティーノを見ると、ペシュティーノはさりげなく他の側近に気取られないように人差し指を立てて口元にあてる。
異世界でも「内緒」のジェスチャーは同じのようだ。
外の庭園が一望できる、廊下がちょっと広くなったようなスペースに置かれたソファセットに座らされて、待機。日当たりが良くてすごくまぶしいけど、暑くはない。
「今、客人と御館様がお話されてますからね。合図が出たら、エグモントに抱っこされて謁見室に入りましょう。エグモント、抱っこの練習を今やってみましょうか」
「……練習が必要ですか?」
エグモントは不機嫌そうに口答えする。そういう態度、社会人としてはイクナイぞっ。
「慣れない抱っこにケイトリヒ様のご負担を増やさないためです」
ペシュティーノは努めてにこやかな態度で練習の必要性を説明するけど、エグモントの態度の悪さは変わらず。渋々といったように俺を抱き上げる動作は案の定、態度と同様に粗い。指が脇の上あたりをギュッと押してくるので微妙に痛い。
「んう」
「おい、そんなふうに抱き上げたらダメだ、王子殿下が痛がってるだろ。脇に手を入れたら掴む必要はない。引っ掛けて持ち上げるだけでいいんだ」
ジュンが痛がっている俺を見かねて言う。
エグモントは一瞬イラッとしたようだが、痛がる俺を見て慌てて言われたとおりにする。しかし騎士服のカフスが裏腿にめりこんだり、尻が安定しなかったりと、とにかく下手。抱っこにこんな下手とかあるの、ってくらい下手。
ジュンの熱心な指導のもとようやく安定すると、ペシュティーノが頷く。
「ジュン、要点を押さえた的確な指導です。エグモント、不慣れなのにしっかり指導を聞き入れたのは良い姿勢でしたね。ケイトリヒ様の護衛として心強いです」
ペシュティーノが褒めるとジュンはニカッと笑い、エグモントも不機嫌そうだが満更でもない。この世界では16歳が成人年齢だけど、前の世界の感覚で言えば全員少年だ。
今はちょっと態度の悪いエグモントも、慣れればきっと周囲と上手くやるだろう。
「ケイトリヒ第4王子殿下、御館様がお呼びにございます」
城の騎士が、丁寧に膝を折って知らせてくれる。
俺はエグモントに抱き上げられ、その少し前をガノとジュンが歩き、ペシュティーノはエグモントの斜め後ろ。王子様を運ぶって、厳重だなー。
謁見室に入ると、予想以上のヒトの数にちょっとびっくり。
ちょっと高くなった位置には父上、その横に騎士隊長のナイジェルさん。旗飾りがはためく壁に張り付くように沢山、少なくとも20人以上の重鎧騎士。すごいゾロゾロといる。もしかして鎧飾りに見えるのも中身が入ってるのかな?
そして、謁見室の分厚いカーペットの上には、ラウプフォーゲル騎士とは違うデザインの鎧を着た騎士、そして数名の魔術師らしき服装の人物と、ペシュティーノと似た普通のスーツみたいな人物は文官だろう。こちらも総勢20人以上いて、一斉に俺を見ている。
エグモントの腕の中で居心地悪そうにもぞもぞすると、父上が猫なで声で呼ぶ。
「ケイトリヒ、さあおいで」
ちょこんと床の上に降ろされて、手を広げる父の方へ……行ってもいいのかチラリとペシュティーノの方を見る。父上、仕事中じゃないのかな?
彼が頷くので、テテテ、と歩いて父上の手の中へ。
「今日は朝は早かったのか? しっかり朝食は食べたか?」
「あたらしいそっきんの、ガノとジュンとエグモントがお世話をしてくれました」
わざとちょっと幼い口調で応えると父上とペシュティーノが満足そうに頷き、騎士や父上の側近たちも心なしかニヨニヨしている。
「ほう、早速世話係の研修か。どうだ、新しい側近は? ケイトリヒと歳の近い若い騎士を用意したが、3人も気に入るとは予想外だったな。ペシュティーノの代わりになることもあろうが、大丈夫か?」
なんだか質問に隠れた意図を感じるぞ。
俺はちょっともじもじして悩むフリをして応える。
「本当はペシュがいいけど……ペシュはパパのお手伝いをしてるんでしょう? ガノもジュンも優しいから、ちょっとならだいじょうぶ。でも本当は、ペシュがいい」
「そうかそうか」
父上は笑いながら色んな方向に視線を巡らせて、何やらウンウンと頷く。
エグモントの名前を出すのを自然に忘れたけどまあいいや。
「今から帝国の中央魔術研究所の者たちと話すのだが、ケイトリヒも聞くか? パパの仕事を見学してみてはどうだ? ん?」
玉座みたいな立派な椅子に座った父上が俺を膝に乗せて、ゆさゆさとやさしく揺する。
「おきゃくさんは、まじゅつしのひと?」
「そうだ。正確には魔術の研究をする研究所のヒトだ。ケイトリヒはもう魔法陣についてペシュティーノに習っているそうだな。興味があるのではないか?」
「興味、ある! でもパパのおしごと、僕もいていーの?」
「もちろんだ。さあ、ローヴァイン卿。手間をかけるが、もう一度説明を。ケイトリヒの魔術指導については世話役のペシュティーノに一任しておるから、彼の前で同じ説明を申してみよ」
ローヴァインキョーと呼ばれた男性は、お客人の団体の中でも最も数が少ない文官の1人のようだ。団体の一番前で跪いていて、ガノと似たカーキ色の長い髪を後ろでひとつにまとめた顔色の悪いおじさんが父上の声に応える。
「では、恐れながら私が」
ローヴァインキョーさんが説明するには、以前ペシュティーノが行った魔力系の検査は簡易的なもので、貴族の子女にはたいてい10歳になるまでに行われるもの。そこで非凡な才能や能力が見出された子供にのみ、こうやって中央から調査団がやってきて本格的な魔力検査をするのだそうだ。
と、いう話を子供に向けられたものとは思えないほど仰々しいうえに馬鹿丁寧な言葉で説明された。
父上は退屈そうに俺のふわふわクセッ毛をいじってるし、ペシュティーノはそもそも知っていたのか聞き流している雰囲気。これ、俺だけに向けた説明?
「……で、そのけんさで、何がわかるのですか? わかったらどうなるですか?」
俺が父上に言うと、父上はペシュティーノの方を見る。ペシュティーノはローヴァインキョーさんを見る。俺もローヴァインキョーさんを見る。
「……非凡な才能を見出された一定の爵位以上の御令息につきましては、皇位継承権を持つ皇子として皇帝陛下の養子となる権利を所持することが可能です。ラウプフォーゲル公爵の御令息とあらばその条件は十二分に満たしておりますゆえ、この度の検査で良い結果が出た暁には、議会で皇位継承皇子としての認定会議ののち帝都へ住まいを移して頂き、然るべき教育を……」
「えっ?」
俺が大きな声をあげたので、ローヴァインキョーさんは聞いてて眠くなるような一定速度と抑揚のまったくない説明を止めた。
「こうていへいかの、ようし? すまいをうつす?」
俺の甲高い声が謁見室に響く。
その話は治療の魔法と、魔法陣が見えるって話がバレなければ大丈夫じゃなかったの?
魔力が高いだけでも帝都へ連れて行かれるの?
話が違うとばかりに父上とペシュティーノを交互に見るが、ふたりとも真意のわからない曖昧な笑みを浮かべているだけだ。……父上はこんなに俺を可愛がってくれているのに、帝都へ連れて行かれてもいいの? ペシュティーノは帝都へは行けない、と言ってたはずだ。お別れになるはずなのに、そんなに余裕の顔でいいの?
俺は……いらない子なの?
ぶわっ、と感情の波が渦巻いて、涙があふれる。
「いっ、い……ぃやだーー! パパと、ぺふゅっ、ぺしゅとすむー!!!」
ボロボロと大きな涙粒が頬を流れた瞬間、はたと気がついた。
この2人は、俺がこの場で嫌がるように一部の情報を隠したんじゃないか? と。
……それならそれで、思いっきり嫌がってやろうじゃないか!
「おお、かわいそうに。大丈夫だぞケイトリヒ。イヤだというのなら、父は其方をラウプフォーゲル領主として全力で守る。皇帝陛下も親と愛子を引き裂くような真似はすまい」
「ケイトリヒ様、大丈夫ですよ。心配しなくても意に沿わないことにはなりません。御館様が守ってくださいますから、検査は受けましょうね」
「ぃやーーー!!」
俺が泣き叫ぶと予想通り父上もペシュティーノもどこか嬉しそう。
調査団の面々も、どういうわけか満足そうだ。帝都としても、ラウプフォーゲルの子を皇子として迎え入れるというのはあまり歓迎できないのかもしれない。
ギャン泣きの俺をペシュティーノとローヴァインキョーさんが宥め、どんな結果でも帝都に連れて行かれることはないと何度も何度も念押しで確認。父上にもペシュティーノにもローヴァインキョーからも「絶対養子にさせない」と約束を取り付けた上で、渋々検査することになった。
初めて入る、本城の応接室。
西の離宮は必要以上に豪華だと思っていたが、こちらは少しタイプの違う豪華さだ。見るからにギラギラと絢爛な装飾ではなく、部屋の壁のさりげない部分に宝石が埋め込まれていたり、真っ白に見える壁が壁紙ではなく大理石であったり。
地政学で習ったけど、純白色の大理石は帝国では最も貴重で高価で、金を積んでも手に入らない代物なので貴族の垂涎の的なのだそうだ。
父上はお仕事があるので同席せず。騎士隊長のナイジェルさんと、たくさんの騎士たちが調査団を取り囲むように応接室に並ぶ。
ペシュティーノが行った検査器具とは全然形の違う、妙にデコラティブな計測機器が並ぶテーブル。こういう実用的な機器にフローラルな装飾をつける意味ってなんなんだろう、と現代人の俺は思ってしまう。
10人ほどの魔術師らしき人物がカチャカチャとテーブルの上の計器を操作し、俺に何かを握らせたり触らせたりと忙しくしているけど、俺はずっとペシュティーノの膝の上。
魔術師たちがちょいちょい袖を装飾に引っ掛けたりしてるので、ほんとムダで邪魔な装飾だなーと思いながら見ていた。
「……ふむ、なるほど。たしかに宮廷魔術師級の魔力をお持ちでいらっしゃいます。しかし属性については何と申し上げてよいやら、これまで見たこともない結果になりました。こうなりますと精霊漿を使うほかありますまい」
ローヴァインキョーさんが言うと、魔術師や帝都の騎士たちが全員、慌ただしくバタバタと準備し始める。馬車に積んだままの荷物を準備しなければならないようだ。
そんなに大掛かりな装置なのかな?
「せいれいしょう、ってなんですか?」
「『精霊漿』は、精霊になる一歩手前の魔力体です。聖教で考案された属性判定技術で、純化した精霊漿によって属性適正を高い精度で判定できるのですよ」
「まりょくたい?」
「魔力が凝縮した存在のことです。液体であったり固形であったりしますが、何もしなければ魔力は霧散します。それを集めて変質しないよう固定する魔法で守られているので、扱いが大変なのです」
ドライアイスみたいなものかな、とぼんやり考えていると、帝都の騎士たちが大きな箱を応接間に運び込んできた。魔術師たちがそれを開き、中身を仰々しい手付きで別のテーブルに並べていく。
「ヒメネス卿、王子殿下をあちらのテーブルへご案内頂けますか」
ローヴァインキョーが丁寧に頼んでくる。ヒメネスキョー? ペシュティーノの家名がヒメネスだっけ。
ってことは、もしかしてローヴァインキョーのキョーって、「卿」? ですか?
テーブルには大きな魔法陣が描かれた布が敷かれ、その上に6つの布の塊が並べられ、その前にペシュティーノが俺を抱っこして座る。
「せいれいしょうのけんさ、こわい?」
「怖くも痛くもないですよ」
テーブルを挟んで向かいにはローヴァインキョー……いや、ローヴァイン卿が座り、布に包まれたモノを慎重に配置する魔術師に指示を出している。俺が興味津々に見ていると顔色の悪いローヴァイン卿がぎこちなく愛想笑いしてきた。
頬はコケてるし目は落ち窪んでるし、長い髪はぴっちりまとめられているけど微妙にガイコツっぽくて、笑ったほうが怖い。
「王子殿下は何もしなくて結構ですよ。ただ、準備が整ったら膝の上ではなくお一人でお座りください。精霊漿が、ヒメネス卿に反応してしまうかもしれませんので」
え、なんかやだな。
思わずペシュティーノを見ると「すぐそばにいるので大丈夫ですよ」と宥めてくる。
テーブルの上には6つの布の塊と、ローヴァイン卿の代わりに魔術師のひとりが座る。
20代後半くらいの肉付きのいい青年だ。血色も良くて、あまり魔術師っぽくない印象。
「では、精霊漿を使いますのでお世話役の方はしばしご退席を。これから結界を張りますので、その外でお待ち下さい。王子殿下、数分で終わりますから我慢なさってくださいね。結界を張ると、少し耳がキーンとするかもしれませんが、お体には問題ありませんからね」
健康的な青年が小児科のお医者さんのように優しげに説明してくれる。
ペシュティーノが離れると他の魔術師がテーブルを中心に円を描くように立ち、それぞれ胸の前で手を組んで俺と青年を取り囲む。ちょっとなんか、へんな儀式みたい。
「略式結界、魔力影響遮断式、準備完了です」
「略式結界、精神影響遮断式、準備完了です」
「一部結界、融合阻害術式、準備完了です」
マジで儀式だった。俺たちを取り囲んだ魔術師が、順番に何かを報告する。目の前の青年がテーブルに敷いてある魔法陣をチェックして頷くと、6つの布の塊を順番にほどいて中身をあらわにしていく。中身はガラスの壺のような容器。
布をほどいた瞬間、何もなかったはずのガラス壺の中に順番にふわりと色付きの霧のようなものが現れる。不思議。
やがて霧は真っ青な液体になったり、紫色のもやもやした綿になったり、石ころが現れたりと変化して、ガラス壺の中央にふわふわと浮いている。
へえ、ゲームや漫画なんかでよくある「属性」の概念そのままだ。タイトルによって区分は様々だけど、この世界では【火】【水】【土】【風】と【光】【闇】の6つ。
「おお……!」
「こ、これは……こんなに顕著に、全ての属性が反応するとは初めて見ました!」
「全属性、という判断でよろしいのでしょうか。それとも魔力の高さに反応している?」
「いずれにしろこれは異例の事態です、詳細を……おい、キミ、書き留めなさい」
調査団がざわつくのが不安でチラチラとペシュティーノを見るが、ペシュティーノも早く終わってほしいようでソワソワしている。
あ、これだけなんだね。確かに怖くも痛くもない。けど早く終わってほしい。
「もう結果はわかったのでしょう、早く結界を解除していただけませんか」
「お待ち下さい、もう少し精霊漿の変化の記録を……」
「これは稀有な現象です、観察のため何卒ご猶予を」
ペシュティーノがついにイライラしてきたのか、少し強めに要求したにもかかわらず調査団の魔術師たちは聞き入れない。これ、調査団が満足するまで俺たちの事情はお構いなしにムダに引き伸ばされるパターンじゃない? なんとなく不安になってきちゃった気持ちが、ペシュティーノに正確に伝わってしまった。
「ケイトリヒ様が不安がっています、今すぐ結界を解除しなさい」
「あともう少しご猶予を! ああ、御覧ください、精霊漿があんなに大きく具現化を!」
「精霊漿がこのように変化するなど、初めて観察されることですよ!」
「いい加減にしなさい、強硬手段に出ますよ」
「いけません! 今結界を解いたら、具現化した精霊漿がどうなるか!」
「それもまた興味のある条件ではありますが、予想がつかないので王子殿下がいらっしゃる前でできることではありませんね」
ペシュティーノが魔術師たちと言い合いになっている。
魔術師もまあまあ聞かん坊ですね。
「これ以上待たせるようなら王子殿下の簒奪とみなします、今すぐ解除しなさい!」
「そ、それは……言いがかりです。ペシュティーノ卿、貴方はシュティーリ家の傍系ならば研究所の価値を理解しているはずでは……」
「ウルリヒ、さすがにそろそろ撤収しましょう。精霊漿の封印を」
俺の目の前で慌ただしくガラス瓶を風呂敷のような布で包もうとしてる青年はウルリヒというらしい。だが、不思議な力が働いてガラス瓶の周囲に見えないバリアでもあるようになかなか布で包むことができない。
「ウルリヒ、何をしている。早く封印を……」
「で、できないんです! 何か、内部から邪魔が……これは、精霊漿から漏れ出ている力かと!」
え、どういう状況? ようやく本格的に不安になってペシュティーノを見る。
俺と、ウルリヒという青年だけしかいない何か魔法的に遮断された空間に、ペシュティーノも他の魔術師も近づけないようだ。
「今すぐ対処しなさい! これ以上待たせるようであれば干渉します!!」
「お、お待ちを! ウルリヒ、早く!」
「ローヴァイン様、魔力影響遮断式が内側から瓦解しています!」
「他の結界も同様です!」
「ローヴァイン様、精霊漿の封印魔法陣が作動しません!」
なんだなんだ、なんかヤバい展開?
目の前のウルリヒという青年は、ひとりでコントでもしているかのようにガラス瓶の周囲にある透明な何かと格闘している。パントマイムみたいで思わずちょっと笑ってしまう。
その瞬間、「ピシッ」と、ものすごく大きな音が応接室中に響いた。
明らかになにかにヒビが入ったような音。
ウルリヒが格闘していたガラス瓶に、一直線にヒビが入っている。
続けざまに「ピシッ」、「パリッ」と響いて、他のガラス瓶にも大きな亀裂が入る。
「あ、出たがってる……みたい?」
俺が言うと、ウルリヒは苦悶の顔をこちらに向けた。
「王子殿下、何かわかるのですか!? この状況を抑えられますか!!?」
「えっ? えーと、話せばわかる……かな? あの、無理やり出ちゃダメだよ、怪我するかもしれないからちょっとまって」
俺が言うと、何かと格闘していたウルリヒが急に相手がいなくなってしまったかのようにガクンと滑って体勢を崩し、並んでいたガラス瓶をなぎ倒してテーブルに突っ伏した。
その拍子に下に引いていた布がズレて、ガラス瓶が次々とテーブルから落ちる。
「ああっ!」
「ケイトリヒ様!」
普通であれば分厚い絨毯の上に落ちたくらいでは割れそうもないガラス壺が、絨毯に着地した瞬間に粉々に割れた。