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6章_0089話_小領地へ 2

「きたか、ケイトリヒ。城下町の見学はどうだった」

「たのしかったですっ!」


視察の2日後。

父上に呼ばれて、執務室へやってきた。

ペシュティーノとガノ、シャルルも連れて。

父上は朗らかに話しかけてきたけど、後ろに立ってる騎士隊長のナイジェルさんはなんだかちょっぴり気まずそうにしてる。なんだろ。


「そうか。今日はな、其方の側近について話す必要があったため呼んだのだ。さ、お膝においで」

「そっきん……」


嫌な予感がして硬直したが、父上が手を広げているのでもたもたとソファーから降りて父上のところへ行く。父上は俺の頭を撫で回して、抱き上げて膝に乗せた。


「実はな、そなたの側近であるエグモント・リーネルだが、反逆罪で投獄された。故に、そなたの側近の役目も騎士隊も除籍だ」

「えっ」


衝撃で、理解が追いつかない。

父上をまじまじと見たあと、ペシュティーノとガノを見る。2人とも、俺を心配そうにみつめているだけだ。


「はんぎゃく……? 何したの?」

「計画そのものは未遂だ。ラウプフォーゲル議会貴族の数人の派閥が、ペシュティーノを排除する計画を立てていたのだが、其方への忠義との板挟みになったエグモントが堪らず密告したことで明るみに出たというわけだ」


え? ペシュティーノを排除……はいじょって、命を奪うことも含まれてるのかな?

エグモントが自白した? じゃあエグモントはペシュティーノを守った? いや、俺を守ったことにもなる? もともとそういうグループと関わりがあったってこと?


「エグモントは……こ、ころされるの?」

「其方はどう思う。エグモントに死んで欲しくないか?」


「だめ、ころさないで! エグモントがしゃべったから、罪がバレたんでしょ? じゃあエグモントがもししゃべらなかったら、けいかくが……ペシュが……エグモントのおかげで、そしできたんだよね! じゃあ功績だよね!?」

「……そうか、そう思うか」


父上が俺の頭に手をおいて、ガシガシと撫でる。強いです。


「……計画の首謀者は父親であるリーネル男爵です。エグモントは逆らえなかったのでしょう。それでも、王子殿下の情報を父親に流していたのは事実ですぞ。王子は裏切られていたのです」


難しい顔をした騎士隊長のナイジェルさんが、「本当にそれでいいのか」と言わんばかりに俺を鋭い目で見つめる。


「でもエグモントは、僕のじゅうような情報はしらないから……ねえ、ペシュ!?」

「はい、そうですね。もともとラウプフォーゲルの貴族派の一族であることを考慮して、重要な情報からは遠ざけておりました」


「つまりもともと、それほど信用していなかったのだろう? なぜ処刑を拒む?」

「し……しょけいは、イヤです。ヒトのほんしつは、そうかんたんに変わらないけど……かんがえかたは、かわります。エグモントはまだ若いでしょう? ころしておわり、なんて、イヤだ。おねがい、ちちうえ……」


「ふむ……」


父上は目が潤んだ俺をジッと見て、ニヤリと笑った。


「本質は変わらないが、考え方は変わる……か。面白い文句だな。まあいい。父親である男爵は早々に処刑になったが、息子の方はどうしようか考えあぐねていたのだ。もちろん密告という功労者でもあるからな。ペシュティーノはそれでいいのか?」


「もちろん、ケイトリヒ様がお決めになったことに私が口を挟むことはありません。それに、たとえ計画が進んだとしても私は簡単には排除できなかったでしょう。それがわかったから、エグモントは父の愚行を止めたくて密告したのでは?」


「ほう、其方もエグモントを庇うのか。まあいい。では奴の処遇はケイトリヒに任せる。しかし連座で処刑がラウプフォーゲルのこれまでの慣例。どうするつもりだ?」


連座。納得いかない中世の制度。犯罪者の子や伴侶も犯罪者に仕立て上げる悪法だ、と、前世では思っていたけれど……。


「貴族をれんざで処刑するのは、残されたほうがみのおきばがなくなるから?」

「……そうだな。下手に許して世に放てば、我々が許しても世の中が許さぬこともある。ましてや今回の罪状は反逆。エグモントにとって旧ラウプフォーゲルはもう生きていけぬほどの地獄となるであろう。許された罪人の家族たちの多くはそれに耐えきれず、アイスラー公国やドラッケリュッヘン大陸を目指す。渡った者たちの行方は知らんが、風の噂ではひどいものだときいている」


「ちちうえ、ひとつだけ例外のとちがあるよ」

「うむ?」


父上が面白そうにニヤニヤしている。きっとこれを待っていたんじゃないだろうか。


「ユヴァフローテツ!」

「……そうだな。実は、其方からその話が出なかったら処刑を強行するつもりでおった。貴族であるあやつに気まぐれに恩赦を与えても、自決するしかなかろうて」


父上は満足そうに俺をみつめて、またガシガシと頭を撫でる。

強いんですって。首がグラグラしちゃう。


「じゃあ、僕がユヴァフローテツに帰るときにつれてっていい?」

「いや、名目は追放とする必要がある。護送馬車で送るから、其方の後追いになる。それよりもケイトリヒ、ユヴァフローテツには『帰る』ではなく『行く』だ。其方の家はまだここラウプフォーゲル城だぞ」


えー。小領主なのに!

でも父上がスネたように言うので、かわいいからゆるす!


ヘヘッ、と笑うと、父上も釣られて笑いながら「それともう1つ」と続ける。

まだあるの!


「スタンリー・ガードナーの所属を、近く別部署と兼任にする。基本的には其方の側近としてこれまで通りだが、魔導学院に就学していない期間……つまり其方がユヴァフローテツにいる期間だな。その間は、もうひとつの所属のほうで経験を積んでもらう」


「えっ?」


またもや衝撃でフリーズして、ペシュティーノとガノのほうを見る。2人は無言で頷くだけで、何も言わない。


「え……じゃあ、にいに……スタンリーと会えるのは、魔導学院でだけ?」

「いや、一切ユヴァフローテツに戻らないというわけでもないだろう。どうだ?」


父上がナイジェルさんのほうに視線を向ける。


「そうですね、その辺りは本人の采配かと」

「だ、そうだ」


「もうひとつのぶしょってどこ? 騎士隊?」


「それは本人から……スタンリー、入りなさい」


ナイジェルさんが呼ぶと、見慣れない黒っぽい騎士服を着たスタンリーが入ってきた。

見たことない服を着ているだけで、スタンリーがどこか別の所属になってしまうのだと痛烈に実感した。


「にいに……もうひとつのしょぞくさきって、どこなの」


スタンリーはチラリとナイジェルさんを見る。ナイジェルさんは頷いた。

もう、スタンリーの上司は……ナイジェルさんになってるんだ。


「暗部です」

「あんぶ?」


あん……(あん)? 餡部? アン部? アン? お針子の?


「……あんぶ?」


まじで思考が停止してしまったので改めて父上を見ると「諜報部ともいう」と補足してくれた。ちょうほうぶ……諜報? あっ、スパイみたいな!? CIAとかMI6みたいな?


「なんで!」


思わず口をついたのはそれだ。いやまじでなんで。


「ジュンやオリンピオ様と訓練しているうちにわかったことなのですが、私の魔導や魔法の質は、とても暗部の活動に向いているそうなのです。ケイトリヒ様のお役に立つため、オリンピオ様を通じて騎士隊長様に相談させて頂いておりました」


スタンリーは紫色とカナリア色の目で俺を見つめる。


「ケイトリヒ様、私は末永くケイトリヒ様のお側にいたいと思っております。実戦経験が少なく、おそらく将来的にも小柄であろう私がケイトリヒ様をお守りするには、ジュンやオリンピオ様の手ほどきでは不足なのです」


ジュンは状況判断やスピード性に優れた斥候タイプではあるけど、戦い方はスピードを駆使した力押しの一辺倒。

オリンピオもまた、圧倒的な腕力と膂力に物を言わせる力押しタイプ。

ガノがそう冷静に分析しているのを聞いたことがある。

その2人は、どうあがいてもスタンリーの師匠にならないことはよくわかった。


「あんぶって……なにするの?」

「その名の通り、騎士にはできないことをやります。陰にかくれ、敵を撹乱したり誘導したり、物や情報を気づかれないよう盗み取り、時には同じように命も奪います」


……忍者! ニンジャだそれ!


「レオ殿がいうには、ニンジャだと」

「えっ! ちょっと、なんで僕より先にレオにはなしてるの! そっちのほうがなっとくいかない!」


「も、申し訳ありません。これはジュンやオリンピオに『暗部に向いてる』と言われたときの話でして……」

「ケイトリヒ、妙なところで声を荒げるでない。スタンリーは其方の側近であろう」


でも今日イチ納得できんかった点である! ぷんぷんだぜ!


「ユヴァフローテツにいるあいだは、にいににあえないの?」

「……ッ。それを、お許しいただきたく……」


「……にいには、それでいいの……」

「……申し訳、ありません……」


エグモントのときには目にたまるだけだった涙がぷっくりと膨れ上がってこぼれた。

一緒に添い寝してくれてたのに。

いつも側にいて、手を繋いでくれたのに。

ユヴァフローテツでは、それができない。


「私がケイトリヒ様のお側にお仕えするためには、将来を考えると一線を画した優秀な技能が必要です。他の者にはそれがありますが、私にはまだありません。どうか、ケイトリヒ様。将来のために、今少しお側を離れることを、お許しください」


スタンリーは腰を直角に折って頭を下げた。


将来のためと言われると、俺のワガママでスタンリーの成長を邪魔できない。


「……ずっとあえないの、やだ」

「魔導学院に戻る時期には、帰ってまいります」


「それいがいでも、たまにあいにかえってきて。つきいち!」

「……三月(みつき)に一度でお願いします」


「ひどい! ひどいひどい!!」

「申し訳ありません」


「ブッ……クク、言いなりになっているのかと思えば、そうでもないのだな」

「ふむ、簡単に言いくるめられる相手ではないとわかっているから、こうやって駄々をこねるわけか。ふふ、なかなか良い関係だ」


ナイジェルさんと父上がなんか感心してるみたいだけど俺はそれどころじゃない。

なんかすごい裏切られた感! エグモントが情報流してたことよりもずっと衝撃だよ!


「に、にいにがそいねしてくれてたぶん、ペシュが代わりになってくれるならゆるす!」

「構いませんよ」


ペシュティーノが即答する。

そこ即答するところじゃないー!


「わぁーん! しかたないからゆるすー! ゆるすけどさびじぃー!」

「ケイトリヒ様」


スタンリーが手を差し出すので、俺は父上のお膝からぴょんと飛び降りて駆け寄って抱きついた。迎え入れてくれた首筋に顔を埋めるけど、スタンリーはあまり匂いらしい匂いがない。強いていうとリネンの香り。でもほぼ無臭だ。

もしかしてこういうのもニンジャの素養のひとつ?


「ケイトリヒ様のために強くなります。強くなったら、いつでも一緒にいますから」

「……やくそくだからね。……ケガしちゃだめだからね。しんでもだめ」


スタンリーはフフッ、と声を出して笑った。耳に息がかかってくすぐったい。


「わかりました、約束です」

「みつきに1回でガマンするから、ぜったいかえってきて」


ひとを殺さないで欲しい。と、密かに思ってたけれど、その言葉がスタンリーのとっさの判断力をにぶらせるかもしれないと思うと言えなかった。

暗部ともなれば、きっとスタンリーはこれから汚いものをたくさん見る。奴隷を経験し、人体実験までされていたのだ。スタンリーにはもっと清らかで平和な道を歩んでもらいたいと思っていたのに……。本人が望むのならば、ムリは言えない。


「僕も、スタンリーがかえってきたいとおもえるばしょをつくる」

「……ケイトリヒ様」


抱きしめる腕がいっそう強くなった。


「ぐえ……ぐるぢい」

「も、申し訳ありません。ケイトリヒ様、これを」


ちゃり、とちいさく鳴った金属音に目を向けると、繊細な白いチェーンと俺の小指の先ほどに小さなしずく型の宝石。


「これなあに?」

「……これは、私を守る御護りです。ケイトリヒ様のためのものではなく、私が生きるためのもの。差し出がましいお願いですが、私のために身に着けていただけますか?」


普通なら俺を守る御護りと言うだろうけど、スタンリーは確信的にそう言った。


「みにつけるだけでいいの?」

「ええそうです。肌身はなさず。思い出したときで構いませんので、ときどき念を込めてください」


小さな宝石は紫色の中にチラチラとカナリア色が交じる。スタンリーの瞳の色をかたどったようなそれはおそらく、精霊が生み出した何らかの力を持つものだろう。

ジッと見てもその正体はわからない。


「わかった。ケガしませんように、とか、しにませんように、とかでいいの?」

「ええ、それで構いません」


俺の顔を覗き込んだスタンリーは、今まで見たこともないほど嬉しそうに笑った。

それを見て、俺もようやく笑った。



――――――――――――



「……スタンリー。よかったのですか、あれで」

「まだ仰るのですか。……ケイトリヒ様のご様子は」


西の離宮、スタンリーの個室。

独房のように殺風景な部屋で粗末なチェストに腰掛けていたスタンリーに、王子を寝かしつけてきたペシュティーノが訪ねてきた。


「一度に2人も側近を遠ざけることになったのです、落ち込んでいじけていましたよ」

「ペシュティーノ様がここにいらしたということは安らかにお休みになったのですね」


「……ええ、そうです。スタンリー、それよりも、あのペンダントの件……」

「私は貴方の子ではない。それに、すぐに子供ではなくなります」


わざと拒絶するような言い回しをするのは、スタンリーのクセだ。

ペシュティーノはわかっていた。


「私の子でなくとも、貴方はまだ子供で未熟です。せめてケイトリヒ様に本当のことを伝えるべきではありませんか?」

「私より、ケイトリヒ様のほうが子供です。……子供は、守られる存在でしょう?」


「ケイトリヒ様を守るためにそうしたというのですか。真実が露呈すれば、より傷つける可能性もあるというのに」

「承知の上です。精霊様と話して、絶対に秘密にすると約束していただきました」


スタンリーはふい、とペシュティーノから顔を背ける。


「スタンリー、立ちなさい」


ジャリ、と靴底に細かな砂を踏みしめる音を立ててペシュティーノがスタンリーに歩み寄る。スタンリーは訝しげに見ていたが、素直にチェストから足をおろして立ち上がった。


「私にとって、ケイトリヒ様は命に替えても守りたい特別な子です。貴方もですよ、スタンリー」

「ええ、理解しています。私にとってもそうです」


「違います」


スタンリーが顔を上げようとすると、目の前が真っ暗になり温かいものに包まれた。


「違います、スタンリー。貴方もまた、私にとって大事で特別な子だと申しているのですよ。傷ついてほしくない、つらい思いをしてほしくない。なのに貴方はそれを望んでいるかのように飛び込んでいく。私にとってこれがどれほど辛いことか、貴方にはまだわからないでしょう」


「……」


背の高いペシュティーノの鳩尾(みぞおち)あたりに埋まった自分の顔を、不思議な気持ちで第三者視点で見ているような気分だ。スタンリーはそう思った。

ケイトリヒに抱きしめられることはよくあったが、自分より大きな人物からそうされたことはもしかしたら初めてかもしれない。


「もし真実が露呈して、ケイトリヒ様を傷つけたとしても……私は貴方を許します。泣きながら貴方を責めるケイトリヒ様に、私も謝ってあげます。だから……」


蜘蛛のように長い指が、スタンリーの頬をすくいあげる。


「だから、どんなに辛くとも、どんなに苦しもうとも……貴方にはケイトリヒ様と私たちがついていることを、どうか忘れないでください」


ライムグリーンの瞳が潤むのを見て、スタンリーは硬直してしまった。

そうして再び、大きな手と温かい腕に強く抱きしめられる。

ぽつん、と頭になにか雫が落ちてきたような気がした。


「……もとより私はケイトリヒ様になにかのことがあれば生きていけぬ身です。それが私だけ()()()()()()()。それだけのことです。大した違いはありませんよ」


「……精霊様の説明をきちんと聞いていなかったようですね、スタンリー。『不死』はそのように簡単なことではありません。肉体は何度でも蘇るでしょうが、魂の傷は元通りというわけにはいかないのですよ」

「わかっています。いえ、わかったつもりでいました。ペシュティーノ様、もっとギュッとしてもらってもいいですか?」


ペシュティーノは少したじろいだようだが、スタンリーの言う通り抱きしめる腕に力を込めた。くっついた部分が温かくて心地いい。ペシュティーノの脇腹におずおずと腕を回して抱きしめ返すと、より温かくなった気がする。


「……ケイトリヒ様がくっついてくる理由が、わかった気がします。大きなヒトに抱きしめられるというのは、気持ちの良いものなのですね。ペシュティーノ様、ありがとうございます」


もう十分だというように、スタンリーは離れた。


「スタンリー……」


心配するように見つめてくるペシュティーノの眼差しが、ついさっきまで煩わしいと感じていたのに今は面映(おもはゆ)いくらいに嬉しい。スタンリーはそう思うと、思わず微笑んだ。


「全てを知るペシュティーノ様がいてくれるだけで、心強いです。私の魂は、ケイトリヒ様に預けました。決して濁らせたり、壊したりしません。これは私にしかできない、私だけの強みになるのですから」


スタンリーの決意を新たにした強い眼差しに、ペシュティーノは諦めのような安心のような複雑なため息をついた。


ケイトリヒが正体不明の穴に落ち、姿を消した瞬間。

ウィオラだかジオールだかわからないが、謎の声が「アルジハイキテイル」とだけ残してケイトリヒの全ての痕跡が辿れなくなったあの日、スタンリーは仮死状態となった。

それは、スタンリーの驚くべき特性が明るみに出た日だった。


「スタンリーはこの世でも史上でも唯一無二の、『不死』のちからを持てる。だが、その能力と特性の源は主であり、主が命を落とせばスタンリーも命を落とす」


精霊からそれを聞いたときペシュティーノは怖気がしたが、スタンリーは喜び、シャルルは羨ましがった。拒否感を覚えていたペシュティーノはスタンリーが不死の力を得ることをなかなか受け入れられなかったが、スタンリーの言う通りでもある。

ケイトリヒが万が一、何者かに命を奪われたり病気で命を落としたりすれば、自分を含め精霊もスタンリーも生きるすべがない。ジュンやガノ、オリンピオやパトリックは落ち度がなければ再びラウプフォーゲルで取り立てられるかもしれないが、ペシュティーノは無理だ。


精霊から生存の知らせだけを受けていたものの行方不明になったあのときでさえ、まともに食事もできなかったのだ。もしも失ってしまったらと思うと、たとえラウプフォーゲルが許してもまともに生きてはいけないだろうとペシュティーノは思った。

それが、スタンリーはケイトリヒに()()()()()()()がゆえに、本当にケイトリヒが死んだら死んでしまう体になっているというのだ。


(シャルルが羨ましがるのには、少しだけ共感できるが……未来ある子供がそのような身であることは、どうにも受け入れ難い。だが本人が望んでいるのだから、これ以上は止められない)


スタンリーの部屋からさほど離れていない廊下で物思いにふけっていたペシュティーノに、静かな物音が聞こえた。


(スタンリーは寝台から抜け出し、またあのチェストの上で膝を抱えて眠るのだろう)


簡素でいいと言うスタンリーの申し出で作られた部屋ではあるが、あまりに気になって訪ねたときにそうやって寝ていたことに気づいた。なぜ寝台で寝ないのかと聞くと、スタンリーはバツが悪そうに体を横たえて寝ることに慣れていないのだと言った。


奴隷としての悲惨な経験と、人体実験の被検体にまでなった壮絶な過去は今でも十分にスタンリーを「普通でない子供」にしている。それならば暗部でその特性を活かしたほうがいいと本人が考えるのも無理はない。


ケイトリヒがラウプフォーゲルの公爵令息として輝かしい道を歩む中、光の当たらない陰でせっせと汚れ仕事を引き受けるスタンリーを思うと胸が痛い。スタンリーにもまた光の道を歩ませたいと願うのは、ペシュティーノの勝手なエゴなのだろうか。


答えが出ないことをわかっていても考えずにはいられないペシュティーノは、その日は少しだけ自室で酒を飲んだ。



――――――――――――



「石炭コークスとそれに伴う蒸気機関エンジンの展望についてはだいたい理解した。帝国全土を揺るがす一代事業になるだろうが、トリューと砂糖で出た利益があれば十分現実的な計画だ」


父上が俺を執務室に呼び、俺に関連する事業のラウプフォーゲル上層部での進捗を共有してくれる。

といってもトリューはもうほとんど俺の手を離れているし、砂糖はまだ規制が厳しい。


「蒸気機関エンジンの事業については私も目を見張りました。これは帝国、いえ世界の物流改革となるでしょう。その影響の余波はクリスタロス大陸だけでなく、遠くドラッケリュッヘンの資源開発にも夢が膨らみます。それはさておき……」


父上はニヤニヤしながらシャルルの報告を聞き、シャルルもニヤニヤしているけど、ピタリと俺を見て真顔になる。


「ケイトリヒ様の発案された革命はどれも旧ラウプフォーゲルに利をもたらすものばかりです。特に、砂糖については規制がなければ友好国である王国にかなり手痛い経済打撃となるでしょう。ここで、どうですか。王国になにか……こう、目に見えた利になるようなものを開発できないでしょうか?」


「シャルル、それはケイトリヒに提案するのはお門違いというものではないか?」

「いえ、ザムエル様……それがそうでもないのです。砂糖だけでなく、おそらく蒸気機関エンジンによる『鉄道業』。これもまた、計画が進行し実際に運用にこぎつければ、王国に打撃を与えるものになることは間違いありません。そうなると、ケイトリヒ様の将来に外交的な陰を落とす可能性があります。ラウプフォーゲル領主になるにしろ、皇帝になるにしろ、これは小さくない問題です」


シャルルは地図を示し、帝国南部を指でなぞる。


「鉄道の計画はウンディーネ領との共同計画で始動しますが、その動きが本格化すれば同じく『極貧領』と呼ばれる周辺のヴァッサーファル領とゼーレメーア領の3領も手放しで協力してくることでしょう。そしてリーラクエーレ領も絡んでくるかもしれませんね」


「リーラクエーレは無理だ。間にヴュステラーゼンがあるからな」


リーラクエーレ領は、たしか元・旧ラウプフォーゲル領地だったっけ。たしか史上最も悪質な裏切り者を出して除名されたとかで、今でも()()()となっている領だ。


「ちちうえ、びゅ、ゔっゆっ、ぶっ……」

「ケイトリヒ様、ゆっくり。ヴュ、ステラーゼン、です」


「ヴッユッステラーゼン、が、あるとダメなんですか?」


いえてない。言えてないけど父上は許してくれた。


「いや、領としての関係は悪くないが、あそこにはアンデッドすら干からびる『死地』と呼ばれるロートヴュステ砂漠しかない領だ。鉄道を通すのは難しいだろう」


むむっ、また「ヴュ」!


「精霊神が下僕の王子殿下にとって『死地』の砂漠などどうということもありますまい」


シャルルが笑いながら言うと、父上とペシュティーノから睨まれた。


「砂漠に鉄道を通す間、ケイトリヒ様に人足を保護せよと申すおつもりですか?」

「ケイトリヒが負担せねば実現しない事業は、排除すべきだ」


ペシュティーノも父上も、過保護はつげん〜。

まあ俺だって死の砂漠なんて呼ばれてる場所で、労働者を守るために汗水たらすのはちょっとしんどい。子供に重責を課すような事業は欠陥だ。しゅーろーほーいはんだ!

でも俺には精霊様がいるわけで。


「さばくじゃなくしちゃえばいいんじゃない?」


俺がケロリと言うと、頭からおにぎりサイズのバジラットが出てきて「そーだそーだ」と言った。オトナたちが、その様子を見てビミョーな顔をする。

父上は少し困ったようにペシュティーノを見るし、シャルルはさすがとでも言うようにニコニコしてるし、ペシュティーノは心配そう。ガノとパトリックもいるけど、俺の後ろなので表情はわからない。


「ま、まあリーラクエーレ領の話はまだ先です。が、要するにケイトリヒ様の事業は全て帝国南部の発展に注力しすぎています。外から見れば、まるで帝国から王国を排除しているように映るのは問題だと申し上げたかった次第で」


たしかに。

手掛けている樹脂製品の開発についても原材料は大陸の南、海峡を挟んだローレライ自治領だ。それに実現化しつつある製紙業についても生産ラインが確立すれば原材料の調達は周辺領に限られるだろう。まだ鉄道できてないし、木材は運ぶのが手間だからね。


「そっか。王国は、おさとう、うれなくなっちゃうもんね……」


さらに製氷業まで奪おうとしてると知ったら確実に王国排除と思われても仕方ない。王国にとってはほとんど元手ナシで外貨を得られる貴重な産業だからね。ちなみに製氷業はまったく急ぐ必要がないということで、棚上げ状態だ。今ある事業で手一杯ともいう。


「そうです。ただでさえ、王国は寒冷地で農業は常に限界値。むしろ農業の国内生産量に人口を合わせているとさえ言われていますから」


王国の小さな村では口減らしのために帝国へ移住するヒトが後を絶たないという話もきいた。王国で養う国民の量は、今現在で限界なんだろう。


「王国、あったかくなればなんとかなるかな?」


「そのようなことがっ!?」


思わずパトリックが口走り、「し、失礼しました」と口をつぐむ。

帝国内の事業は、もう俺が関わるレベルの話ではなくなってきた。あとは父上とシャルルと、あと皇帝陛下にお任せしちゃいます。なんなら今の皇帝陛下の功績としていくつか引き取ってもらえたらラッキー。


じゃ、目先を変えて、王国のことでもかんがえる?

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