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6章_0086話_帰省 2

「おお〜、すごい! これすごい。ふつうに紙!」


ガノから渡されたサンプルは、前世で見た上質紙、またの名をコピー用紙と呼ぶそれとほぼ変わりない仕上がりになった。尖った鉛筆で書いても滑らかで、ガラスペンでも羽ペンでもまったくひっかかりがなく、インクをよく吸うのににじまない。まさに上質!


ラウプフォーゲル城のお勉強部屋で、俺専用のちっちゃな勉強机にどっかと座って試し書きと称していろいろなペンで落書きをする。安定のウンコマークも落書きの定番だ!


「……この仕上がりですと、現状では1枚12FR(フロー)です」


「え」


1200えんもする紙にめっちゃウンコとかかきまくっちゃった。


洗浄(ヴァッシュン)!」


杖からじゃば、と出た水に濡れると、紙に書かれたインクはキレイに消え去る。

でも……。


「ああ〜、ふにゃふにゃになっちゃった」

「早くもお気づきになりましたか。従来の紙でしたら洗浄(ヴァッシュン)では歪まないのですが、何故かこの紙は元通りにならないのです。何故なんでしょうか……」


この世界の人は簡単な生活魔法なら子供でも使える。俺のように魔力が暴走して危ない、なんていうのはものすごく稀なケースだ。

魔導学院の生徒なんて、全員洗浄(ヴァッシュン)が使えるし、鉛筆にも使う。

そしてそのおかげでこの世界に消しゴムは存在しない。


洗浄(ヴァッシュン)で消せないとなるとどんなにねだんを下げてもいっぱんの普及はむずかしそう……紙にしみこんだインクにだけにはたらきかけるような魔法ないかな」


生活魔法学で習った「魔法術式」を歪んでパリパリになった紙に書き込む。

さっきよりも手触りはザラザラで毛羽立っているのでインクもじわりとにじみ、明らかに質が違う。ちなみに魔法術式というのは、魔法陣よりもシンプルな魔法の仕組みを図式化した記号の羅列だ。ちょっと数学式に似てる。


「異世界にはどういった修正方法があったのですか」

「うーん、たしかにインクは消すことができなかったから、修正テープとか修正液みたいなもので白くぬりつぶしてたなあ。熱で消えるインクとか、剥がれ落ちるインクとか、特別なペンはあったんだけどねー」


「テープ……? なるほど、異世界では魔法がないから、インクはそもそも消えないものであり、インク自体を変える必要があったということですか。……ケイトリヒ様。冷静に考えれば、洗浄(ヴァッシュン)が使えない紙というのは画期的かもしれません」

「え……? ああ、改ざん防止?」


洗浄(ヴァッシュン)で帳簿や重要書類を改ざんするという手口は、原始的でありながら効果的らしい。使われた痕跡を見つけることはカンタンだが、疑われなければまず調べられない。皇帝居城(カイザーブルグ)でも頻繁に起こる横領や書類偽造の手口らしい。


「ラウプフォーゲルでは重要書類に洗浄(ヴァッシュン)を弾くような保護魔法をかけるのが習慣化していますが、中央ではその対策を怠ることが多いそうです」

「なんでだろうね?」


ガノは少し口ごもりながら、「ラウプフォーゲルが中央に何度もその手口で辛酸を嘗めさせられたからですよ」と恨みがましく言った。なるほど、そりゃ対策もたてるわけだ。


「そっか。じゃあ、じゅうような書類や、しょせき向きの紙ってことで売ろうか?」

「そうですね。で、あれば魔樹紙よりもかなり安いことになります。魔樹紙となると1枚25FR(フロー)前後ですから」


「学院でうってたノートはまじゅし? じゃないの?」

「ああ、コアントロウ紙とフリントロウ紙ですか。あれも原料は魔樹なので魔樹紙と呼んで違いないですが、学院で説明申し上げましたとおり暑さ寒さに弱いため、あれでもかなり安いのです。温度変化に強く、魔法陣や契約のために使われる紙はさらに上質なパーントロウ紙で、これだけを『魔樹紙』と呼ぶことが多いです。ケイトリヒ様がお使いになっている製図用紙などがそれですね」


「え、そんなにじょうとうな紙だったんだアレ」


俺はパリパリになった上質紙をナデナデして、なんとか伸ばそうとするけど本質から歪んでるのでカンタンには直らない。そういうモノとして売り出すならば、もう少し明らかに見た目が変わるようになったほうがいいかもな。


「……学生むけには、えんぴつはあるから、消しゴムをかいはつすればいっか。バガスいがいの素材では、ためしてみた?」

「はい、もう少しお時間を頂ければ同程度のものになるであろう木が何種類か特定できており、加工の手順も実験であらかた見えております。量産体制に入ればそちらの研究も進め、増産に対応できます。最初の投資で工場の敷地は確保し、現在建設中です。量産機械の設計もすでに技師たちが着手しており、ラウプフォーゲルの製紙組合(ギルド)も全面協力ですよ」


キュアを始めとした精霊たちに聞いても、今ある洗浄(ヴァッシュン)から水要素を除くのはまず無理だという話だ。もし水の要素を除くとなると、浄火(プッツェンフォイア)みたいな別の呪文にするしかないって。

そして、書き物と浄火(プッツェンフォイア)はとても相性が悪い。なにせ火は焼くと灰が出るから、染み込んだものを取り除くのには向かないんだ。不潔なものを焼き払うのにはピッタリなんだけどね。


「じゃあ、このサンプルではんばいけいかくのきかくしょを書いて、父上にていしゅつしよう。このぶぶんと、このぶぶんをかきかえてくれる? あと、ここを、こう……」

「……はい、はい! ……ふふっ、いいですね。お任せください!」


先に渡された販売計画書の修正箇所に付箋を貼り付けてをガノに返すと、ギラギラした目で受け取って去っていった。俺、この世界でもちゃんと仕事してる。

ほんと、ガノは金儲けに関しては頼りになるよ。



ガノと入れ違いに俺の勉強部屋のドアをばーんと開けたのは、なんとディングフェルガー先生。


「あ、せんせえ、学院のおしごとおわったの!」

「公爵閣下への挨拶を済ませ、やってまいりました。ケイトリヒ殿下、これからもよろしくお願いします。ところでこの内燃機関の構造についてですが、これは」


扉を開くなり書類を手にツカツカ歩いてくるディングフェルガー先生を、慌てて部屋付きの衛兵が止めるもんだから「何をするッ!」なんて声を荒げる。後ろで控えていたお付きのオリンピオもゆっくりと俺に近づいてくる始末。


「せんせえ、僕これでもこうしゃくれいそくなんですから、いちおう城ではもうすこしれいせいにお話してもらわないと」

「ぐっ、し、失礼した。どうも貴族的なしきたりは性に合わなくてね」


このオトナ大丈夫かな……。


「ユヴァフローテツにはいっちゃえば、せんせえみたいなヒトいっぱいいるから。お城にいるあいだは、がまんね」

「わ、わかりました。それで、早速お尋ねしたいのですが、この構造は私の育った村で使われてた水車の構造と似ています。これが巨万の富を生むかもしれないというお話は本当でしょうか? 私の魔法陣がお役に立てるなら、是非この事業に……」


「せんせえの参画はもうけっていじこうだよ」

「ふっ!!」


殺人鬼メガネがあきらか興奮して謎の声をあげる。

ジリアンが見たら引くだろうなあ。


「この内燃機関のこうぞうを再現するには、おそらくこのせかいにあるふつうの素材ではたえられないと思います。だからかくじつに魔法陣による強化がひつようになるので、せんせえにはこのじぎょうぶからの依頼はさいゆうせんでちゃくしゅしてほしいです」

「ふふっ……それならいいのです! ええ、ええ! もちろん喜んで!! 私の作った魔法陣が、巨万の富を……貧しい領を豊かに……これは、なんてロマンのある」


ディングフェルガー先生はニッヤニヤしながら足をふらつかせて、ユヴァフローテツの技師が清書したエンジン設計図の素案を舐め回すように見つめて部屋を去った。

部屋付きの衛兵がすっごいヘンな目で見てるのがちょっとおもしろかった。


「……ディングフェルガー先生のおへや、よういしてある?」

「はい、側近たちと同様に1階に。ユヴァフローテツでも白の館にご用意しております」


オリンピオが丁寧に応えてくれる。


「アヒムは、いつユヴァフローテツにくるかなあ」

「分寮のウルバウム(油の木)を始めとした庭園の植物たちに夢中だそうで……本当に、ユヴァフローテツに来るつもりがあるのかどうか」


「分寮の庭園がんばっても、僕がそつぎょうしたらサヨナラだもんなー。ユヴァフローテツでもっとがんばってほしいんだけど」

「ではあまりにもユヴァフローテツに来ないようでしたら、強制的に移住させましょう」


「え、そんなことができるの?」

「兄殿下がお戻りの際に、私が迎えに参ります」


オリンピオに担がれて運ばれるアヒムを想像して、笑ってしまった。


「それと、ですが。分寮に残してはまずい植物も多くあるのでは?」

「そ……そういえばそうだね」


学院の植物園に同じものがある程度のものなら問題ないけど、たしかにサヨナラは無理かもしれない。最悪、焼き払うハメになるかも。


「大丈夫だよ、主。俺ァ今となっちゃ精霊神だぜ? 主があの屋敷を去るときは、屋敷と庭園ぜーんぶひっくるめてユヴァフローテツに運んでやるよ」


オリンピオの後ろからバジラットが少年の姿で表れる。

あ、なんか背の高い青年の姿になってたけど、それが平常運行の姿なんだ。


「やしきも、ぜんぶ……?」

「バジラット様、あの屋敷には地下空間もございますが」

「ん、だからぜーんぶ、だよ。あの山一帯をまるっと移動させちまえば、よくね? あの屋敷も俺達がつくったものだからなー。建物自体、主が住まないとちょっと……」


山一帯を、まるっと……?


「ちょっと? なに?」

「暴れるかも」


「やしきが?」

「そう」


ウーン。よくわかんないけど、そりゃたいへんだ。


「あ、そう……じゃ、それはそつぎょうのときに、かんがえよ」

「そーだな!」

「ケイトリヒ様……そうやって、先延ばしにするのは良くないですよ。きちんと聞いておいたほうがよろしいのではありませんか」


オリンピオはそう言うけど、今はね……。


「めのまえにあるこの書類をかたづけたら、聞くか聞かないかまたかんがえる」

「そ、そうですか」


トリュー事業に関しては大部分を父上が肩代わりしているからいくつかの確認事項だけだけど、他にも色々ある。


砂糖と製紙を担う「甘草」の生産計画は着々とすすんでいる。ほかにもそれに伴う砂糖の工場、製紙の工場、労働力と土地の確保に事業拡大の計画。砂糖は皇帝陛下の許可が必要な事業だけど、製紙は制限がない。

着々と増産の準備が整い、すでに民間の協力者も確保してあると父上から聞いている。


そして石炭コークスは大きく分けて2つ、内燃機関の設計計画と、石炭コークスそのものの製造と流通の計画。コークスのほうは木炭組合(ギルド)と協力しているが、この事業は順調にいけば、いずれ膨れ上がって国家事業レベルの規模になることが予想される。どこぞの貴族にかすめ取られることも対策しないといけない。トリューと違ってすでに組合(ギルド)が関わっているため事業化すれば完全に秘匿するのも難しいからね。


樹脂容器についてはユヴァフローテツの研究者待ちだが、徐々に成果が出はじめている。アクリルのような硬化樹脂はすでに完成しているが、欲しいのはペットボトルやビニールのような弾力性のある樹脂素材。密封に必要なのは柔軟性だもんね。

これはユヴァフローテツで開発してるのでアイデアを盗まれる心配はないが、普及させるにはすこし工夫が要りそう。


「……ねまわし、だね」

「根回しですか。そういった事柄には私はとんと明るくありませんので、ガノかペシュティーノ様とご相談ください。お呼びしましょうか」


「ん〜、まだいいや」


ガノはさっき書類修正をお願いしたばかりだし、ペシュティーノは父上のトリュー事業を補佐しつつ城の文官に「できるかぎり恩を売っておく」と書類仕事を手伝っている。

うーん、やっぱり文官系の側近が足りない……。

パトリックはペシュティーノとガノの補佐もできると踏んで雇ったのにな。


「ケイトリヒ様〜ァ!」


ばーん、とまた扉を開けて現れたのは、パトリックだ。


「パトリック、ちょうどいいや。いくつか事業を……」


「すみませんっ! その前に! アラクネ織をいくつかご試着いただけませんか!?」

「アラクネ織……素晴らしい素材です。ケイトリヒ様、これもきっと、貴族の垂涎の的となること間違いなしですわ」

「こちらのサッシュだけでも!」

「こちらのパレオだけでも!」

「こちらの髪飾りだけでも!」


ディアナと3人のお針子衆を連れてやってきたパトリックの両手には、ハンガーに掛けられた上下セットの豪華なお洋服がたくさん。他にもなんかひらひらふわふわキラキラないろいろを両手にてんこ盛り。

でもなんだろう……いつもより、イヤじゃない。

どういうわけか試着してもいいかな?という気分。なんか新鮮な感覚。


「……ケイトリヒ様、朝からずっと書類仕事ばかりでしたから、少し息抜きしては? レオ殿に頼んで、昼食を運ばせましょう」


オリンピオの冷静な声に時計を見たら、もう7刻(14時)。朝4刻(午前8時)くらいから書類仕事してたんだから、そりゃあ試着もしたくなるってもんだ。


「あっ、おひるごはんたべてない」

「軽食はつまんでいらっしゃってたので声をかけませんでしたが、そろそろ休憩にしましょう。子供が昼食を忘れるほど働くものではありません。……パトリック」


オリンピオが手にしたティーカップを差し出すと、パトリックがそれを包むように手を添える。やがてほかほかと細いスジの湯気がたった。温め直された甘いミルクのカップを俺に差し出してきたので、ゴクリと飲むとジワッと染み渡る感覚。

魔法で温め直してくれたのか。


「あー。おいしい」


甘いものが染みるってことは、疲れてたんだな。


「よし、きゅうけい! ごはんしながら、しちゃくね!」

「やったー!」


パトリックが異様に喜んでくれるので、俺もちょっとテンションがあがってきた。

昼食は、レオ特製のさっぱりあんかけやきそば。お肉がどっさり入ってるのに脂っこくなくて、野菜もたっぷりでぱくぱく食べられた。


そして3回試着して、安定の寝落ち。


パッチリ目が覚めると、なんか首にシャンプーハットみたいなものがついてた。

これ中世ヨーロッパの肖像画で見たことある。勘弁してくれ。


「あ、ケイトリヒ様がお目覚めですよ」

「ディアナ様、今です! 髪飾りをどうぞ!」


首のシャンプーハットを無理に引き抜こうとして顔がひょうたんみたいになってるところにディアナがやってきて、フックを外して取ってくれた。そういうしくみだったのね。

俺の髪を撫で回しながら、ディアナが目を細めて俺をまじまじと見る。


「ケイトリヒ様、水マユの事業についてご相談が……アン」

「はい! 王子殿下、そのままでお聞き頂けますか? ご就学中、私達お針子はラウプフォーゲル城に滞在しておりました。夏場は社交が減りますが、秋の社交にむけての準備期間でもございます。事業の協力者、あるいは競合となりえる服飾、被服、繊維事業の情報収集をおこないました!」


アンと呼ばれたお針子が冊子状の報告書を手渡してくる。

紡績業と服飾製造業の関連事業をてがける商会のピックアップと、その業績、売上までが事細かに記されたかなりよくできた書類だ。


「これ、だれがさくせいしたの?」

「……わ、私です」


アンと呼ばれたお針子が、恥ずかしそうに手を挙げる。

前世の会社で市場調査したときの報告書に劣らない、情報はキレイに整理されていて要点は明確なすばらしい書類だ。


「ラウプフォーゲルの秋の社交はまだあついから、綿や麻がしゅりゅうなんだね」

「そうです。他の繊維も軒並み夏場には業績を伸ばしていますが、水マユどころか一般的なセーリクス(シルク)さえ、一般的な貴族にもまだ高級品です」


セーリクス(シルク)はここ10年でどんどん値が上がっているのですわ」

「逆に、綿や麻は供給過多で値が下がり続けています。帝国産の綿や麻は、北部に輸出しようにもなかなか売れませんから」


「どうして?」

「不人気なんだそうです。昔から言われてることですので、今さら帝国の綿花を輸出する者はおりませんよ」


綿でも麻でも、しっかり織ればじゅうぶん防寒具としては役立つはずだけど……と、思っていたら机の下からカルがにょきっと顔をのぞかせてきた。びっくりするじゃん!


「帝国、暑い。暑い土地ノ植物は、すこしでも自分ヲ冷やすためニ、火属性での中でモ、アルジの言葉でいう『マイナス属性』がツク。」


「マイナス属性……じゃあ、帝国産の綿布にはひやすこうかがあるってこと?」

「加工されちゃウから、そこまで冷えナイ。でも、温かくならナイ」


帝国は地球で言えば赤道直下の気候だ。土地の条件によっては熱帯雨林だったり、砂漠だったりする。対して共和国はロシアのモスクワからシベリアあたり、王国となると地域によってはどうやら南極レベルの寒さもざらにあるという。

なんでそんな寒い土地に住み着いているんだろうか……。


「そっか……そりゃ不人気なわけだ。土地のじょうけんででる特性なら、ゆしゅつはあきらめるしかないね」

「属性を変質させることもできルけど、そうすると布、脆くなル。諦めル、仕方ない」


カルが机の下で消える。


「そういう理由だったんですね……それは販路拡大も難しいでしょう。アイスラー公国やドラッケリュッヘン大陸と交易できれば話は別ですが」


お針子のアンがふむふむと納得している。

報告書は、要は供給過多の綿や麻を栽培している農家を養蚕へ転身させてはどうかという事業提案報告書だ。それに伴う細かな費用計算やかかる時間など、事細かにシュミレーションされていてとても展望がわかりやすい。妙に情熱を感じる報告書だ。


「アン、商会のぎょうむにむいてるかも」


「仰るとおりアンはラウプフォーゲルの北に位置する小さな町の商家の生まれです」

ディアナがニヤリと笑う。俺もつられてなんとなくニヤリ。


「両親は綿花を扱う商会の頭目で、親戚も近所も皆、綿花栽培や綿製品の手工業を生業(なりわい)としています。最近の買いたたきには本当に困っていて……精霊様さえ販路拡大が難しいと仰るのですもの、私の提案は町にとって活路になるとおもいますわ」


聞けばアンの出身地、ミンミの町の働き手は7割が綿関連の事業。

近年の価格下落に、町全体が衰退しているのだそうだ。


「でもたしか、ミンミの町は……」

「メラヒントン男爵の小領地に属しております」


……顔はわからないけど、さすがに俺が口を出すのはお門違いだ。


「町にちょくせつ手をだすのはムリだけど、商会をとおして事業を後援するくらいなら」


「そう仰っていただけるだけで幸いですわ! もちろんユヴァフローテツの小領主である殿下になにもかもお願いするわけにはいきませんもの。ただ、御館様に現在の状況と、将来の展望を、その、それとなく伝えていただけると……」


アンはエプロンの裾をもじもじしながら赤くなっている。

なるほど、要は根回しかあ。


「いいよ! 男爵も、領地がかいぜんされるのは歓迎してくれるとおもうし」

「えっ、あ〜ん〜、そ、そうですね」


歯切れの悪い返事。

いや、よく考えたらこの事業提案は本来その男爵に出すべき書類だ。いくらアンが俺の専属になったとはいえ、それを俺のところに持ってきたということは……そういうことか。


「アンに商才があるなら、水マユの事業をいちぶてつだってもらったらどうかな」

「私もそれを考えたのですが、我々にはそれよりも少々別の野望が」


「やぼう?」


「ケイトリヒ殿下はすでにラウプフォーゲルのみならず、帝国、いえクリスタロス大陸の希望の星! つまり存在そのものがブランドです! その殿下が手掛ける製品となれば、平民貴族とわず垂涎の的。水マユやトリューといった超高級品だけでなく、広く殿下の存在感と影響力を知らしめる事業を興してはどうか、とですね!」


パトリックが熱弁するけど、それで?


「ケイトリヒ殿下が就学中、私たちお針子はほとんどお仕事がないんですぅ」

「魔導学院を卒業後も、特別な催し物があるとき以外は基本的に制服を設定してそれをお召しになる予定だと聞くと……私たち、手が空いてしまいます」

「ですから、殿下のために作った色々なお召し物や装飾品を、貴族や庶民向けにアレンジして売る『ぶらんど』をたちあげてはどうかと思いまして!!」


もじもじしながらアンが差し出してきた事業計画書は、ミンミの町の事業転換よりもさらに熱量の高いものだ。

一応、事業の主軸はアパレルだが、想定の価格帯が高すぎる。そのカバー策として、比較的安い小物類を町の工房に発注してプロデュースし、それを売る事業。これは帝国ではかなり新しい(こころ)みだ。だが王国の貴族の間では一般的に広まっている手法らしい。

将来的には布製品をメインにした室内家具なども考えているとなると……これってつまり、デザイナーという確立した職業が生まれる瞬間かもしれない。


「……おもしろい事業だね!」


「本当ですか!?」

「やった!」

「そ、それで殿下。実際には、私たちだけでは力不足です」


「うん、わかってる。でもちょっと、やっぱり僕じしんの市場調査がひつようかな。僕が確信もってイケる!っておもわないと、推しづらいというか」


俺がチラリとパトリックを見ると、きらりとめを光らせてすぐに両方向通信(ハイサー・ドラート)で誰かに話をしはじめた。話の早い側近で助かるよ。


「既存の事業がまだまだたいへんだからパトリックにてつだってもらおうとおもったのに、新しい事業をもってくるなんて……想定外だけど、無下にはできない内容だからこまっちゃうなあ」


「いえ、殿下! それは私も常々思っていたことなのですよ。ペシュティーノ様とガノ様のお手伝いをしたいと思っておりましたが、今はどちらも手一杯でなかなか引き継ぎができません。ですが彼らと同じように事業を一つ受け持てば、必然的にお二方と連携する必要も出てまいりますし、学びながら引き継ぎができると考えました」


に、してもねえ。

農業に工業と手広くやってはいるけど、さらに製造業まで手掛けることになって、なかなかに大変だと思うよ? この事業にGOサインを出すには、やっぱり「絶対売れる!」という確信がないとちょっと尻込みしちゃうね。

何しろファッション分野に足を突っ込もうという話だもの。


「お呼びですか、ケイトリヒ様……おや、そのお召し物は素敵ですね。とても凛々しく見えます」


ペシュティーノが着替え室にやってきて俺を見るなり言う。

そういえば自分がどんな服を着てるのかしらなかった。姿見を見ると、フリルもレースもないセーラー襟のジャケットだ。たしかに、シュッとしててかっこいい。


「あ、ほんとだー。みてなかった」

「こちらはレオ殿から聞いた、異世界の水兵の制服を模したファッションだそうです」

「この大きな襟、シンプルなのにとても可愛いですわよね! 殿下にピッタリですわ!」

「襟のラインと袖のラインのデザインを揃えるところとか、とても考えられてますわ」

「スカーフとリボンどちらかを選べるのも素敵ですよね」

「1枚で着こなせるのは子供に最適ですわ。冷えたときは、襟を出してカーデガンをあわせますの」


服の話になったのでお針子たちがエキサイトする。


「じゃなくて! ペシュ、お願いがあるんだけど!」

「はい、なんなりと」


「じょうかまちのしさつ!」

「ああ、今しばらくお待ち下さい」


「えっ」

「御館様もケイトリヒ様の城下町視察の必要性を実感してらしたでしょう? すでに準備しておりますので、終わり次第視察に入れます」


「ほんと!」

「もちろんですよ」


「やったー! やったー! たのっ、しみっ、だなっ! わあい、わーい!」


おれはぴょんぴょん跳ねながらペシュティーノににじりよって、ぴょんと長い脚に抱きつく。すぐに抱き上げられて、撫で回されてからの頬ずり。


「こんなに喜んでいただけるとは思っておりませんでした。御館様にも是非、ご準備のお礼を」

「うん! でも、じゅんびってなにしたの?」


「それは……いろいろです」

「あ。またじょうかさくせん……?」


以前、馬車で回っただけの城下町視察のときは父上が一斉浄化作戦を決行して、かなりのあやしい人物をあぶり出したと聞いた。今回もいっぱいいたのかな? あやしい人物ってそんなに湧いて出るもの?


「それもございますが、他にもいろいろと」

「おしえてよー」


ぶーと口を尖らせるけど、ペシュティーノははぐらかすようにディアナと話しだす。

なんだよー子供扱いしない、って前いったのに。

いつまでもなんだかどうしても子供扱いが抜けないんだよなあ。

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