6章_0084話_学院祭 3
俺が代母を得たという噂は、思いのほか話題になった。
新聞にも載った。なにせ突然あらわれた平民の女性が、俺の命を救ったことで爵位を得て代母にまでなるという、母親版のシンデレラストーリーみたいなもんだ。
建付けだけ見たらね。真相は全然ちがうんだけど。
ちなみにラーヴァナは帝都で夫と子供を亡くし、失意のもとで人目を避けて暮らしていた未亡人という設定らしい。色々と齟齬があっては困るので、済んでた設定の周囲の小さな村などにはラーヴァナの目撃情報を散りばめておいた。ウィオラが一部の人の記憶を操作して。よく考えるとほんと怖い能力だ。
「王国の新聞にもケイトリヒの代母が決まったことが載ってるよ」
「グランツオイレの新聞なんかはすごく祝福してる。見てごらん、市民の声では『これで次期領主指名の手はずは整った』だって……はは」
エーヴィッツとアロイジウスと3人で、俺の勉強部屋で今日届いた新聞を一緒に読んでいる。みんなで読むと、大見出しを読み上げたくなるものだ。
「それはさすがに父上もお元気でアロイジウス兄上もいるのに、時期尚早でしょう」
「いや、エーヴィッツ。私は何よりも能力ある者こそがラウプフォーゲル領主になるべきだと思っている。派閥の動きがあるので滅多なことは言えないが、ケイトリヒが相応しくないとは思わないよ」
アロイジウスはにこやかにエーヴィッツの不満げな発言を諌める。
俺は別に領主になりたいわけじゃないんだけど。文化的にも兄上も、寛容でよかった。
「あ、メリハッテいせきの、だいきぼちょうさだんがけっせいされるって」
「ケイトリヒ、ヴェリハッテ、だよ」
「う、ゔ、ヴェっリッハッテ」
「ゆっくりなら言えてるよ、上手じゃないか」
「うへへ」
「それで……代母のラーヴァナ様だが」
「ぬん?」
深刻な表情で、アロイジウスが俺を見据えて聞いてくる。
「いまは、どちらに?」
「フォーゲルのお山にかえりました」
アロイジウスとエーヴィッツは互いにチラリと目を合わせる。
「あの御方は、本当に精霊王でいらっしゃるのか?」
「うん。僕がユヴァフローテツにきてくれて、うれしいって、ごあいさつに来てくれたことがあるんです。そのときはペシュいなかったし、騎士はねむらされました」
「ラウプフォーゲル城には、いらっしゃらないのか」
「父上とそういう話になってるみたい。きほんてきには、お山ですごすって」
2人は顔を見合わせて、大きなため息をつく。
「エーヴィッツあにうえも、ヴァイスヒルシュの養父さまにゆっちゃだめよ」
「言っても、さすがに信じてくださらないだろうな……それでも、代母様が政治的な権力を持つつもりはないってことだけは言っても構わないだろう? いいよね?」
「それくらいはいいんじゃないか? それと、前々からちらほら姿を見せる少年従者はケイトリヒが契約している精霊だって話は本当なのか?」
精霊たちは精霊神になったといっても相変わらず、人前に姿を見せるときはウィオラとジオールが青年、基本4属性の4柱は少年の姿だ。「神性は封印してる」とは言ってるけどかなり存在感が強くなったみたいで、姿が人によって見えたり見えなかったりするようなことはなくなった。そういえば、メイドと挨拶を交わしたり分寮の兵士たちと会話している姿をよく見るようになったな。いままで見えてなかったのか。
「そーです」
「……はあ、再来年の帝位継承順の発表がおそろしいな」
「あまり高いと、私たちの魔導学院での生活にも影響がある。今から気を引き締めねば」
「僕のじゅんいがあにうえたちに? なんで?」
「当然だろう、皇帝になるかもしれない子の兄だぞ。悪意であれ媚であれ、近づくものが増える。そろそろ、私達も婚約者を決めておきたいところだ。エーヴィッツ、君はヴァイスヒルシュの次期領主指名があるんだから、婚約者のことは急ぎながらも慎重にな」
「婚約者……! じ、女子……ゴホンッ! わかりました、兄上」
アロイジウスはサラリと言ったけど、エーヴィッツは耳が赤い。
こんなんでメイド喫茶に行って大丈夫かね。
「そこでだ。ケイトリヒに相談なんだが……ナタリー嬢に私が求婚しても構わないか?」
「フェっ!! え! ほ、ほんき!? ほんとに!?」
「ああ、彼女は好き放題のワガママ令嬢などと言われているが、それなりにブラウアフォーゲルで地盤を持ち、派閥に関係なく大事にされている令嬢だ。ケイトリヒには不足かもしれないが、私の第一夫人としては申し分ない。年齢も同じだし、ちょうどいいと思う」
「僕はぜんぜんかまいません! きもちはありませんし、兄上ならちょっとやんちゃなナタリー嬢をうまくぎょせるきがします」
アロイジウス兄上がニコリと笑う。エーヴィッツは突然のことに少し慌てているみたい。
「アロイジウス兄上……ぼく、いえ、私は」
「エーヴィッツ、君は焦ってはいけない。これから発展するヴァイスヒルシュには、同じ南部ではなく北部の女性が理想だろう。大物狙いでいくならフランツィスカ嬢かマリアンネ嬢だが……今は時期が悪い。彼女たちがケイトリヒを諦めるまでは、ケイトリヒについて彼女たちに協力しつつ、親睦を深めておくべきだろう。手堅いところを狙うならグランツオイレ領主の側近、ルクソール男爵家の長女エディンタ嬢だ。フランツィスカ嬢に負けず劣らず気が強く、人脈づくりに余念がないうえに人心掌握に長けていると噂だよ」
「あにうえっ、あにうえ! クラレンツあにうえはどうですか、おあいては!」
「クラレンツは……領主になりたくないと公言しているからなあ。身分や能力より、お互いの気持ちがある相手のほうがいいんじゃないか? すでに兄君が次期領主指名となっているジリアンも同じだな」
気持ち! いちばんむずかしそう!
ま、俺は関係ないけどね。
そのへんはペシュティーノとガノと……シャルルがいてくれれば、きっと色々と予定通りに進めてくれるだろう! うん! 他力本願ですまんな! 俺、いま子供だから!
と、丸投げして開き直ったのもつかの間。
予定とは予定でしかなく、確定ではないわけで。
いうなれば想定通りに、予定通りに行かなくなったことが出てきた。
それも学院祭が始まる2日前。
「え……フランツィスカとマリアンネが、がくいんさいに来る!?」
「どこからか観劇の話をききつけたようでございまして……こちらがお2人からのお手紙です。先に御館様のほうへ届き、それからこちらに届いております。内容は早期修了の祝福と観劇についてです。ぬかりのないルートですね」
ペシュティーノが上質なお香の焚きしめられた手紙を2通、トレイに乗せて気まずそうに俺の勉強机に置いてくれた。一応、横にはなんかオレンジと青色の花が1輪ずつ添えられている。これってそういうルールなの?
「マリアンネは魔導学院にこないはずじゃなかったの」
「それがどうも、領主間の思惑も動いたようで」
一応手紙を読んでみると、ナタリー嬢の抜け駆けを非難する内容が6割、今後の魔導学院の改革について触れているのが4割。そして最後に一文だけ、「学院祭ではご一緒の観劇を楽しみにしております」と書かれていた。どうやら決定項のようだ。
「お、おしがつよい……」
「気になるのは、魔導学院の内情がほとんどお2人に筒抜けということです。まあ、もし平民の生徒から事情を聞いているのであれば彼らは拒否できないので当然ですが……」
確かに、「今後の魔導学院の改革について」のくだりでは俺が優秀な件はさておき、魔導学院内で飛び交う噂話や雰囲気まで的確に把握している内容だ。それも、平民だけでは聞き及ばないような貴族間の力関係までしっかりつかんだうえで、ざっくり要約すると「今後は旧ラウプフォーゲル勢が魔導学院を支配することになる」と踏んでいる。
正直、正しい。すでにその流れは来ている。
「旧ラウプフォーゲル領で最も魔導学院への進学率が多いグランツオイレ領のフランツィスカ様がマリアンネ嬢に情報を流しているとも考えられますが、いずれにしてもお2人の情報網は侮れないということです。第一夫人候補としては理想的な能力ではありますが……こう外堀を埋められては、我々も心しておかねばなりませんね」
いよいよ2人とも俺の婚約者になる説が事実味を帯びてきてしまう。何しろ父上の許可を得て俺にアプローチしてるんだから、もう側近たちでは防ぎようもない。
ど、どちらか片方でも、エーヴィッツ兄上と婚約してくれないカナー?
気が重いとげんなりしている間に、もう今日は学院祭1日目。
演劇は午後なので、午前中は学院内を見て回ることに。
もちろん、それも予定通りにはいかなかった。
「ケイトリヒ様、早期修了お喜び申し上げますわ。さすが我らがラウプフォーゲルの王子殿下! その優秀さを誇りに思います!」
「ええ、我がシュヴァルヴェ領を慮って、私の招待を控えてくださったその優しいご配慮……痛み入りますわ。ここで積年の軛を断ち切り、次世代の新しい改革に立ち上がるケイトリヒ様のお側に控えなければ女が廃ります」
朝食おわった時間に、突然告げられた訪問はフランツィスカとマリアンネだった。
午後から来ると思ってたのに! ゲリラ襲撃!!
どうしよう。外堀埋められてるどころじゃないよ、ガンガン攻め入られてるよ!
ペシュティーノ! いや、ペシュティーノじゃ無理だ! ガノ! シャルルー!
「それにしても素晴らしい分寮をお建てになりましたのね。このホール、とても独特ですけれど天井が高くて明るくて、邸宅なのに森にいるように爽やかな気分になりますわ」
「本当に。表の庭園もまるで競うように色とりどりの花が咲き乱れていて、驚きました。腕の良い庭師を雇ってらっしゃるのね、さすが精霊に愛されるケイトリヒ様ですわ」
「おお! ケイトリヒ様はお庭に美しい花を咲かせる精霊だけでなく、ラウプフォーゲルの至宝ともいえるお嬢様方と仲良くなさってるのですね! ケイトリヒ様、もしよろしければ、私にもごあいさつさせて頂けませんか?」
援護射撃は予想外のところからもたらされた。パトリックだ! キラキラ王子のルックスと冗談みたいな社交の実力がいまここで発揮される!
「まあ、至宝だなんて」
「ケイトリヒ様、新しい側近ですわね? たしか、王国の」
「あっ、えーと、おうこくのレンブリン公爵セイラー家のさんなん、パトリックです。ただ、もう籍はぬいて側近入りしてますので、帝国民です!」
パトリックがお手本のようなボウ・アンド・スクレープを見せると、フランツィスカとマリアンネはその姿に目を見張った。……ラウプフォーゲルで同じくらい美しい所作ができる男子は、ほんと少ないだろうからね。
「まあ。王国の挨拶はとても優雅だわ。さすが公爵家の御方ね」
「ええ、このような御方がケイトリヒ様の側近になってくださったということは、ケイトリヒ様もきっとお体が成長されたら優雅な身のこなしをなさるに違いないわね」
フランツィスカとマリアンネは、パトリックのことを認めはしたけど、どうも態度が硬い気がする。もうすこしさ、キラキラ王子なんだから頬を赤らめたりポ〜ッとしてもいいんじゃない? このくらいの女の子って、ちょっと年上くらいの男がスキなんじゃない?
「公爵家から籍を抜かれたというお話でしたけれど、王室の殿下や姫殿下とは従兄弟にあたるのでしょう? お元気に過ごされているのかしら」
「そうそう、国王陛下の御令孫、オフィーリア姫殿下はお元気?」
「はい、オフィーリア姫はお元気だと聞いております。ラウプフォーゲルの花であるお嬢様方に気にかけて頂いてると知れば、きっと喜ばれることでしょう!」
パトリックのにこやかな返事にフランツィスカの目が一瞬鋭く光った。彼女はマリアンネよりも表情や感情を取り繕うのが上手くない。イヤなことや気に入らないことは一瞬、顔に出てしまう。
……な、なんなんだろうこのやりとりは……。
女性の感情の動きは複雑すぎてよくわからないが、政治的な判断となるとなんとなくわかる。2人はどういうわけか、パトリックを警戒している……?
「マリアンネ嬢とフランツィスカ嬢は、そのオヒーリア姫とおしりあいなんですか? パトリックのいとこと?」
2人とパトリックを交互に見つめると、2人は驚いたようにパトリックを見る。
当の本人は、まったく本音を見せない笑顔だ。社交においてはもしかしたらパトリックのほうが上手かもしれない。
「あら……ケイトリヒ様、オフィーリア姫をご存じないの? その……パトリック殿からは何も聞いてらっしゃらない?」
あ、これはもしかして。
2人は、パトリックではなくオフィーリア姫を警戒している……?
「しらないです」
「まあ! ごめんなさいね。もしかしたらそのパトリック殿は、王国からオフィーリア姫との縁談を進めるために遣わされた方かと妙な勘ぐりをしてしまいましたわ!」
「お恥ずかしい……私もそう思っておりました。ごめんなさいね、パトリック殿」
「勿体ないお言葉です! オフィーリア姫は今年で4つ。ケイトリヒ様のお側に立つにふさわしい女性になるかはまだわからぬ年頃です。対してお2人はそのお若さで、すでに十分な魅力と能力を兼ね備えた稀有な令嬢でいらっしゃる! ケイトリヒ様にはお2人のような素晴らしい伴侶が必要なのではありませんか?」
おいいいいい! こ、ここに思わぬ伏兵が!! パトリックー!
てかオフィーリア姫4歳なのかよ! 4歳に警戒するのかよ! いや俺の見た目を考えればそんな不自然でもないのか! いやそうじゃなくてパトリックー!!
俺が信じられない、みたいな目でパトリックを睨むけど、パトリックはニコニコのキラキラ顔だ。それもまたムカつく。
「まあ……! さすがといったところかしら、外からいらした方のほうが、よりご理解してらっしゃるということもあるのね」
「そうね、興味深いわ。パトリック、これから私達とケイトリヒ様との取次をよろしくお願いしますわね」
マリアンネが手を差し出し、パトリックがその手をとって深く礼をする。続いて、フランツィスカも。2人がこのやり取りをしたのは、俺の側近ではパトリックが初めてだ。
フランツィスカとマリアンネは、警戒していたのが嘘のようにパトリックの取り込みに動き出した。俺の側近たちは今まで全員、どちらかというと婚約者の決定に対してあくまで中立を守り抜いていたので2人からすると非協力的にみえたのかもしれない。
パトリックはその後も明らかに2人は俺の婚約者にふさわしいという発言を繰り返し、2人を上機嫌にさせた。
魔導騎士隊の大行列を連れて学院内を見て回る間も、フランツィスカとマリアンネは、パトリックに対してどれだけ自分たちが俺にふさわしいかを喋りまくっていた。
おかげで俺は2人を相手する必要がなくなってよかったけど、なんだろうこの居心地の悪さ……。他の側近はパトリックが2人の話に賛同するのを止める様子がないし、もしかしてこれも計算?
フランツィスカとマリアンネのおかげでソワソワしたけど、魔導学院の学院祭はなかなか見ごたえのあるものだ。
アクエウォーテルネ寮付近の中庭は植木や飾り付けが施され、上品なオープンテラスカフェ風に様変わりしていて、ところどころに屋台が出ている。日本でいうところの屋台ではなく、洒落たキッチンカーのような見た目だ。全体的に日本の学校の文化祭や夜祭というよりは、気取ったガーデンパーティーのような雰囲気。
ちなみに「ハニーディップ」ことメイド喫茶は、試験店舗ということでウィンディシュトロム寮の中で開かれてるようだ。防衛上の関係で、俺たちは今日は建物内には入れないことになっている。
まあさすがに婚約者候補をつれてメイド喫茶に行くのはね。
「わあ! いいにおいがする! ペシュ、あれ、なあにー?」
「あれは一口大のプレッツェルに粉はちみつをまぶした、下の町で人気のお菓子です」
「ペシュ、あれはー?」
「あれはブッターブロートですね。アクエウォーテルネ寮の生徒が作っているということは、何かしら新素材が使われているのかもしれません」
ブッターブロート……英語にするとバターブレッド。
そんなもの屋台にするほどの食事か?と思ったけど、屋台に並んでいるものは彩り豊かなものが上に乗っていて、すごく美味しそう。
ペシュティーノはそれだけ言うと、スススと屋台に近づいて注文していた。
戻ってきたペシュティーノが差し出してきたものは、薄く切った硬そうなパンの上にバターのようなものがたっぷり塗りたくられていて、その上にツヤツヤした細切れの野菜と肉が乗ったもの。ブッターブロートと名だけど、要はオープンサンドイッチ。
フランツィスカとマリアンネにも同じものを手渡すが、2人はちょっと戸惑ってた。
「おいしそう〜!」
「この野菜は『クルジェット』と呼ばれる、アクエウォーテルネ寮で品種改良された野菜だそうです。それに、グランツオイレで最近人気の新製法で作られたハムが使われています。美味しかったのでぜひどうぞ。もちろん、毒見も済んでおります」
ペシュティーノ、もう食べたんかい! ぬかりないな!
手渡されたブッターブロートは小さめ。パンの厚みと、もったりしたバター的ななにかの厚みと、てんこ盛りの具……いける!
「あー、んぐっ」
最大限に口を開けてかぶりつく。が。
「ブッ」
「う、クク……」
「全然届いてない……!」
俺の小さなお口では具までたどり着けない! 硬いパンとバター的な何かだけが口に広がる。味は……うん、パンとバター。パンはしっかりした歯ごたえで食べごたえがあり、バターは少しユルくてクリーミーなのでクロテッドクリームっぽい。
おい側近たち、というかジュンとガノ! 笑いすぎだぞっ。
スタンリーも謎の驚愕顔やめて!
俺がモゴモゴしながら不満顔をしていると、ペシュティーノが小さな匙を取り出して上に乗った具を上品にすくって俺の口に入れてくれる。
「んん! おいひい!」
「ようございました」
固唾を飲んで見守っていた屋台の売り子の生徒たちは、俺の反応を見て胸をなでおろしたようだ。お互いに「よかった」と言って破顔している。
フランツィスカとマリアンネも、ペシュティーノが用意してくれた小さなフォークを使って上品に食べていた。さすがに女性はかぶりつくのはダメなのかね。
「グランツオイレのあたらしいハムはそのままたべるにはすこし塩気がつよいけど、野菜とあわせるとちょうどいい! クルジェットはみずけがあるのにはごたえがあって、ジューシーでおいしい!」
俺が軽く食レポすると、売り子の生徒たちが「さすがわかってらっしゃる!」などとワイワイしている。
うん、クルジェットってズッキーニだな。
「まあ、こんなハムが我が領で作られているなんて……知らなかったわ」
「本当に、美味しいですわね。グランツオイレ領主様が食に力を入れている結果ですわ」
ワイワイしていた生徒が側近の陰になっていて見えなかったフランツィスカに気づいて、全員10センチくらい飛び上がって驚いた。
「お、恐れながらフランツィスカお嬢様にごあいさつ申し上げます!」
「申し訳ありません、気付くのが遅くなり……お代を頂いてしまいましたが、お返しします! お嬢様に召し上がっていただけるだけで、光栄の極みにございます!」
「よして頂戴、私は今日ケイトリヒ様とご一緒に学院祭を楽しむために参りましたのよ。それにお代はケイトリヒ様の側近が払ってくれたものです、私に返されても困りますわ」
フランツィスカはちょっと高慢に言うと、恐縮する生徒たちに笑いかける。
「美味しいハムをありがとう。ケイトリヒ様もお気に召したみたいですし、貴方達の頑張りを誇りに思うわ。これからもグランツオイレ領の発展のため、そして大ラウプフォーゲルのために精進してくださいね」
「身に余るお言葉、ありがとう存じます!」
「ありがとう存じます!」
唱和するように声を張り上げるもんだから、周囲の生徒が何事かと注目してしまった。
……フランツィスカって、グランツオイレでは影響力のある令嬢なんだね。対してマリアンネは、逆にシュヴァルヴェ領の生徒はほぼいないから気楽でいいかもしれない。それとも、こうやって自分を知ってる生徒がいなくてちょっと寂しいと思ってるかな。
様子を伺うけど、2人とも楽しそうにニコニコしているだけでよくわからなかった。
ブッターブロートはふた口食べて、残りはガノに食べてもらった。
あんまりいっぱい食べるとお腹の限界がすぐやってきて、観劇で寝ちゃうからね。
そのあとは魚介のスープ1杯と、巨大なソーセージと、なにかの肉の串焼きと、フカフカしたたこ焼きっぽいもの、8個入りを食べた。まあ俺は味を確認したくらいで、残りは側近にあげたんだけど。フランツィスカとマリアンネはたこ焼きっぽいものを1つ食べた以外はほとんど食べてない。女の子って少食だなと思ったけどどうやら貴族女性は人前で、しかも屋外で立って食事することに抵抗があるみたい。
それから、演劇の開場時間まではジリアンが入学のときに教えてくれた秘密の花園でまったり。フランツィスカもマリアンネも、それまでは学内の景観について一切触れなかったがこの場所は喜んでくれた。俺から見ると「やたら手の込んだ庭園」にしか見えないんだが、やはり女性好みの空間演出が施されてるみたいだ。
華奢なつくりの東屋の下で上品なベンチに向かい合って座ると、パトリックがすかさずお茶を用意してくれた。フランツィスカとマリアンネは満足げにムーサ茶を口にする。
「ケイトリヒ様はデートにもスキがありませんのね。少し歩き疲れたと思ったら、すぐにこのように休憩を挟んでくださるんですもの」
「本当ね、体力ばかりあるラウプフォーゲルの男性では珍しいですわ」
ウフフと2人は笑い合う。
スキがないのは俺ではなく側近のプランなんだけど……。
というか、これデートなの? 3人ですけど?
2人に向けていた視線をちょっと外して、おつきの侍女と目が合う。彼女たちも魔導騎士隊に丁寧に扱われて、とても満足そうだ。
「演劇には、ケイトリヒ様の御学友が出演なさると聞いていますけれど、どういう御方なのかしら。まさか女子生徒ではありませんわよね?」
フランツィスカがいたずらっぽく笑いながら言う。マリアンネもくすくす笑っている。
苦手だ、この雰囲気。
「女の子みたいにキレイなみためをしてるけど、男の子だよ。ヴィンフリート・メルテンスっていう、ウィンディシュトロム寮の生徒で準主役を演るらしいけど」
そこでちらりとガノを見ると、すかさずパンフレットのような冊子を渡してきた。
演目のタイトルは「妖精国の2人の王女」。あらすじを見ると、2つの妖精の国のそれぞれの王女が、1人のニンゲンの男に恋をする物語らしい。ええ……。興味な……。ヴィンには悪いけど、俺としてはアクション風味の強い「イリョス」のほうが好み。
「えんもく、こいものがたりみたいです」
「ええ、存じておりますわ! 原典は王国で書かれた戯曲で、ようやく帝国にも入ってまいりましたの。原作の書から恋歌を引用するのが今の社交界の流行りですのよ!」
「原典では血なまぐさいくだりも多くございますの。『フェガリ』ではそういった部分は省いて、ロマンチックに特化した仕上がりと聞いておりますわ。ケイトリヒ様とご一緒したい気持ちに嘘はありませんが、実はこの演目をどうしても観たかったのです」
俺より前情報ちゃんとつかんでる。そしてより俺の興味ない感じに仕上がってる予感。
やばい、寝てしまうかもしれない。ジリアンを責められなくなってしまう。
開場の時間になって演劇ホールに向かうと、外側も内側もとんでもないラウプフォーゲル騎士の数。全員実用的な剣を携え、入場する観客をひとりひとり丁寧にチェックしてる。
今回の上演では絶対に事件を起こさせないと、学院長が警護をラウプフォーゲル傭兵を雇って任せたらしい。
そんな中、俺と2人の令嬢とその護衛の一団は特別待遇でスルー。
なんか……すごいVIP感だしてしまった。嬉しいような気恥ずかしいような。
安定の2階席の半個室、貴賓席で開演を待っているとヴィンが挨拶にきた。
すでにバッチリ舞台衣装に化粧をした、王子様スタイルだ。
「ケイトリヒ殿下、ならびにシュヴァルヴェ領のマリアンネ嬢にグランツオイレ領のフランツィスカ嬢。お越しいただき大変光栄に存じます。演目中は是非、フェガリの夢の世界をお楽しみください」
フランツィスカとマリアンネはヴィンの美貌にかなりテンションが上がってた。
そして演目が始まると、俺のことはそっちのけで夢中。舞台は歌とダンスがメインのミュージカルのような仕上がりで、幻影魔法の演出も惜しみなく使われていて、確かに夢の世界にどっぷり浸るような仕上がりになっている。
俺も、途中までは魔法演出をつぶさに観察していて楽しかったんだけど。
なにしろロマンチック過ぎる言い回しは婉曲表現すぎて意味不明だし、そこでお姫様が泣き出す理由がわからないし、何に苦悩してるかも全然共感できない。
途中まですごく頑張ったんだけど……寝ました。
はい。ごめんなさい。