6章_0080話_学院情勢 2
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「世界には暗雲が満ち! 圧倒的な死の軍勢の行進する靴音が! こちらへ、近づいてきています……それは、もう他人事といえるほど遠くない土地で! 精霊の慈しみの大地を穢しながら! こちらへ向かっています。今こそ! 無知なる民に我らの教えを……」
荘厳な聖堂のなかで、女性の金切り声が響く。聖堂を埋め尽くす聖職者や立派な服を着た高官たちを煽るような大きな身振りと演技じみた言葉。一部は深く陶酔した様子で、一部はいつものことだと無表情。そしてさらに一部の者は眉をひそめ、またあるものは呆れたように笑っている。
「また始まったぞ、聖女様の『世界滅亡宣言』が」
「何回世界を滅ぼせば気が済むんだ……バカバカしい」
ヒソヒソ話をしている若い下級司祭を、りっぱな法衣を着た女性司教がギロリと睨む。
金切り声がピタリと止まり、聖堂全体がしんと静まり返る。
若い下級司祭たちが、自分たちのせいで説教を止めてしまったかと焦りだすくらいにたっぷり沈黙したあと、祭壇で説教をしていた女性がガクンと首をうなだれる。
「教主さま? ……はっ! し、書記官! 音声録音の魔導具を持て!」
教主と呼ばれた女性の回りにいた司教がバタつきはじめると、その場にいた下級司祭や高官たちも半分眠っていた目を覚醒させる。
しばらくざわついていたが、やがてうなだれた教主がゆっくり背筋を伸ばす。
先程のヒステリックな金切り声とは全く違う、落ち着いた低い朗々とした声が響く。
「見えます……神々しい救いの光が。我らの主となるべき小さな太陽は南の地、火を吹く山の麓にご降臨めされた。そしてその回りを巡る6つの星は今、輝きを増して小さき太陽を守らんとしている。我らの主は、そこに立つ。主不在の永き時は、今終わりを迎える」
高位司祭たちが「口寄せだ」と騒ぐ中、女性教主はピタリと動かなくなり、スローモーションのようにゆっくりと傾いて倒れた。幸い近くにいた壮年の司教が抱きとめたため大事には至らなかったが、聖堂のざわめきは渦を巻くように大きくなった。
「……あの『口寄せ』があるからあの方は教主の座にいらっしゃるのか」
「随分説教の内容と食い違ってるじゃないか! 我らの主がついにご降臨されるとは」
「火を吹く山……フォーゲル山のことではないか?」
「協議会が出てきたぞ、本当にあれは『口寄せ』だったのだ!」
頭から足先まですっぽりと白い布に覆われた行列が、倒れた教主の女性を隠すように連れて行き、聖堂の中はますますざわついた。
「あー、静かに、静かに……教主様がお倒れになったため、今日の祭礼はここで終了とします。今のお言葉が『口寄せ』であったかどうかは、協議会が厳正に調査して判断するため軽率な公言は控えるように」
ざわつく聖堂から退席した数人の司教が静かに、だが確かに急ぎ足で廊下をすり抜けて堅牢な扉の会議室に流れ込んで固く扉を閉めた。
「……よりによって、下級司祭たちまで集まる祭礼中に『口寄せ』が表れるとは!」
「しかし教主様の正当性は証明できましたな。彼女の悲観的な説教には、近頃は信者からも苦情めいた相談が寄せられておりましたから……」
「そんな場合ではない! 『口寄せ』の内容を、其方たちはちゃんと聞いていたのか?」
司教たちが一斉に押し黙る。
「協議会の判断待ちではあるがあの言葉は、明らかに……今帝国で話題の、ラウプフォーゲル公爵家の例の子供を示していると思わんか」
「4属性の精霊と契約したと噂の子供か。6つの星が何を示すのかわからんが、火の山の麓と聞けばそう考える者が出るのは止められん」
「例の子供が精霊と契約している件はまだ上層部しか知らん。初めて聞かされる者にとっては荒唐無稽に映るだろうよ」
「よもや敵国である帝国に我らの主が降臨されたなどという解釈が広まれば、国境付近の僧兵たちの士気が下がる。協議会の判断を待って手遅れになる前に……」
顔を寄せ合ってヒソヒソと話し合う壮年の司教たちから少し離れた場所で眉をしかめた青年が、木製のテーブルをバンと叩く。
「……あなた方のように、『口寄せ』を都合よく隠したり歪曲させる輩がいるから、今回は多くの聴衆がいる祭礼中に現れたのではありませんか? ヒトの営みの結果でしかない国境の問題は、我らの信条たる教義よりも大事でしょうか?」
青年の言葉に、司教たちはため息をつく。
「カシエル、其方のような若い急進派はそうやってすぐに行動を急く」
「行動しないあなた方は穏健派と名乗りながら、今置かれた有力な立場を手放したくないだけでしょう。もし『口寄せ』がその言葉通りにラウプフォーゲル公爵令息であるとわかれば、帝国と手を取り合うことも考えるべきだ」
「何を言う、痴れ者めが!! 帝国は我ら聖教の中心であったオラーケル聖教法国を武力で解体させた『悪』であるぞ!」
「アヴリエル枢機卿、それは何年前の話ですか。今の皇帝は王国との友好路線を確立し、移民の法制度を整備し、史上最高の国力を有しております。古い考えに囚われていては共和国の政治腐敗に巻き込まれて聖教まで腐ってしまいます!」
「カシエル、口が過ぎる!! 呪われるぞ!」
老齢の司教がつばを飛ばしながらたしなめるが、カシエルと呼ばれた青年はさらに眼光を強めて言い返そうとした。
「これ、これ。火と水は相反する力でも、世界では常に調和を保ちます。反目する意見というだけで争ってはなりません。双方、控えなさい」
女性司教が法衣の被りをおろして穏やかな笑みで老人とカシエルの間に立つ。
「失礼しました、マグノリエル筆頭司教」
「お言葉に従います、マグノリエル筆頭司教。火と水は常に調和の中に。初めて教主様の『口寄せ』に触れて、興奮しておりました。頭を冷やしてまいります」
カシエルと呼ばれた青年は早口でそう言うと、2人の司教を連れ立って部屋を出た。
「まったく、あれは何事も急ぎすぎる」
「アヴリエル枢機卿、それに皆様。年嵩だというだけでカシエル統括司教を呼び捨てるのはおやめください。それと、彼の言った言葉は、我らの調和から生まれた1つの芽ぶきです。闇雲につぶしてはなりません」
穏やかな笑みをたたえた女性は、壮年の司教たちを見据えてしっかりした口調で戒める。
「も……申し訳ありません、マグノリエル筆頭司教」
「さあ、教主様のご回復を祈り、『口寄せ』を賜ったことを精霊に感謝しましょう」
女性司教の号令とともに、部屋に残った司教たちはもたもたと跪いて祈りだす。
祈りの祝詞を唱えながら、女性はカシエルたちが去ったドアを見つめた。
「火と水の調和に感謝を。土と風の不偏に感謝を。光と闇の……普遍に感謝を」
日常的に使っている祝詞を口ごもった女性に、うつむいた司教たちは不思議そうな視線を向けたがすぐに唱和に気を取られた。
(なるほど……たしかに、星は本来……6つ、ですね)
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「これは私が設計した防衛結界の魔法陣です。本当はここを『排除』の記号にしたかったのですが、どうしてもこちらの『限定』の記号と結び付けられず、泣く泣く『抑制』にして調整したのです。わかりますか、ここがどうしてもかち合って相殺されるんですよ」
「……うん、じゃあこういう接続のしかたにしたらどうかな。そうするとこの記号とこの記号はこっちに変えて……」
「ちょ、ちょっとお待ち下さい! それは禁じ手ですよ!」
「なんで?」
「なんでと言われると……」
「まあやってみようよ」
予定のない1日めの昼すぎ、ディングフェルガー先生が授業がないから、と言ってなんかツヤツヤした顔でファッシュ分寮にやってきた。一応、名目としては「魔法陣学の授業」なんだけど、これ完全に描画装置いじりたおし大会。
初めてゲーム機をさわる小学生なみに目をキラキラさせて魔法陣を設計しまくる、修正しまくる、印刷しまくる。先生に貸してる描画装置のプロトタイプには印刷機能がないので、結局俺の「CADくん」が頼り。
「殿下、次はこちらの魔法陣を見て頂けますか」
「ねー先生、もう僕つかれた」
先生のあまりの熱量に、楽しかったのはせいぜい1時間。あとは俺の「CADくん」を先生がいじりたおすだけになったのだが、先生、途中で失神した。
もしかして……失神、クセになってる?
「貴方、それでも教師ですか。魔導学院との契約が切れて正式に雇用契約するまではケイトリヒ様の教師でもあるのですから、節度を持ちなさい」
ペシュティーノがようやく意識を取り戻してグッタリしたディングフェルガー先生に、ものすごく嫌そうな顔でキレイな緑色の水薬を渡していた。
「それなあに?」
「ケイトリヒ様には必要ないですが、魔力の回復薬ですよ。描画装置の原型を長い時間触ったせいで、魔力が枯渇してしまったようです」
俺は全く魔力消費を体感できないのでわからないけど、ペシュティーノとジオールが作ったトリュー魔石を1とした魔力ポイントによる消費量計算によると、描画装置の起動にかかる魔力は0.3ポイント、そしてCADくんは80ポイント。
まあこれだけでCADくんが普通のヒトには起動できないってことがわかる。その後の操作についても、同じくらい差があるというわけだ。
……というかペシュティーノ、その魔力量計算、先に言っといてくれないかな?
さすがにそれを聞いたら先生も自制したと……いや、したかなあ?
「んぐ……ふう、相変わらず貴様の作る水薬は不味いな」
「文句を言うなら今すぐ吐き出しなさい」
ペシュティーノがディングフェルガー先生の口に無造作に杖を突っ込む。
こんなにペシュティーノが無遠慮なの初めて見るから、2人の絡みを見るのは面白い。
「ぶえっ! 何をする! えづくだろうが!」
「施しに礼も言えぬ者が教師を名乗るとは笑止千万です」
「悪かった、礼を言う」
「まったく……ああ、ケイトリヒ様。他の教師が見つかりましたよ、ぜひケイトリヒ様の自宅学習に協力したいと言ってくれる先生が8名も。あとで時間割を考えましょう」
あぶらよごれを見るような目で先生を見ていたペシュティーノが、パッと俺のほうを向いてニッコリと聖母のように笑う。からの、ナデナデ。この変わり身、すごい。
その日から、代わる代わる家庭教師の先生がファッシュ分寮を訪問してくれた。
名乗りを上げた先生のほとんどがウィンディシュトロム寮と、ファイフレーヴレ寮の教師で、アクエウォーテルネ寮からは1人だけ。グラトンソイルデ寮からゼロ。さすが実力主義を謳うだけある。授業に出ない生徒をフォローする気はないってか。
1年生から習う共通学科の中で、俺が修了してない「社会学」と「世界史学」は、ウィンディシュトロム寮の院生で優しいお姉さんみたいなマール・アイネムが。
女性生徒ということで警戒されたが、婚約者がいるうえに18歳。地元のウンディーネ領で孤児や移民の教育に関する施設の運営を目指しているそうで、子供の教育経験とラウプフォーゲルへのパイプづくりのために名乗りを上げたらしい。
素直に狙いを言ってくれると、ペシュティーノたちも警戒せずにすむからありがたいね。
まあ、俺はあまり普通の子供じゃないとがっかりされてたけど。
共通学科は複数の学科を教えている教師ばかりで俺のために人員を割けないだろうと思っていただけに、院生の協力はありがたい。
そして共通学科の1つでありながら一度も履修してない「生活魔法学科」と、ファイフレーヴレ第2寮の専門学科「魔法科:補助魔法学」、この2つの教師としてアンニカ・スヴェルド先生。凛とした女性教師で、ジリアンなんかは「鬼女」と呼んでたけどすごく優しい先生だった。俺が多すぎる魔力せいでコントロールに苦心してると知って、制御法を教えてくれた。
おかげで最初は消防隊の消火放水なみの勢いだった水生成も初めて魔法を使ったときのような水差しレベルに落とせたし、両方向通信も使えるようになった。
これで不意な迷子も安心!
……できればもう二度と味わいたくないけど。
そして俺が密かに一番楽しみにしていた授業、「植生学」。
教師は、グランツオイレ出身の院生アヒム・ハニッシュ。
初めての授業の日、俺ニッコニコでハニッシュを迎え入れたのに、なんかすごく嫌そうな顔をされた。かわいい俺のウェルカムスマイルを、普通そんな嫌そうな目で見る?
子供キライなのかな。
「あー……あの、いちおう我がハニッシュ家は代々グランツオイレ領主の側近を務めておりますが、私は家ではいないも同然の扱いです。グランツオイレとの繋がりについてはお求めくださいませぬようお願いします」
「だいじょうぶ、ぜんぜんもとめてない! もとめてないけど、あっちからすごいグイグイくるからだいじょうぶ!」
「ああ、領主閣下の姪御姫。姫のほうからかなり熱烈なアプローチをされてるという噂は本当だったんですね」
「うんされてる! ありがたいけど、こまる」
アヒムはパトリックとおなじ19歳とは思えないくらい老け顔。覇気のない、疲れた感じの丸まった背中に、愛想のないへの字口。目は眠たそうな半目だし、顔色は悪くて、髪もぼさぼさ。素体は悪くないと思うのに、とにかくなんだかだらしない感じ。だいたいいつも何かの葉っぱや小枝が髪の毛についてるのは四六時中庭園にいるせいだと思う。
「あの、大変失礼ですが殿下。勘違いだったら申し訳ないんですが、妙に……私に、謎の期待の眼差しを向けられているように感じるのですが……」
「わかっちゃう!? わかっちゃうかー!」
「理由が分からなすぎてこわいです。殿下に期待されるようなものなど、持ち合わせておりませんよ。私がお教えできるのは植生学だけですからね?」
どうもアヒムは自己肯定感が低いというか、自己評価を過剰に低く見積もりがちなタイプみたいだ。
「もちろん、きたいしてるのは植生学のちしきだよ。ね、こっちきて! きてきて!」
アヒムの手を両手でつかんでグイグイ引っ張ると、ものすごい困り顔をして周囲の側近に助けを求めるようにしてた。でも側近は当然俺の行動を黙認するのでムダムダ。
「ちょ、ちょっと殿下、ついていきますから。手を離してください、腰が死にます!」
「あそう? 僕ちっちゃいもんね」
だいたい大人のサイズの人は俺と手をつなぐと腰を曲げないといけないので嫌がるんだ。
スタンリーと兄上たちだけだよ、俺と好んで手を繋いでくれるのは。
応接室から連れ出して、やってきたのはファッシュ分寮の植物園、兼、野菜農園。兼、農業試験場。案の定、アヒムは目の前に現れた植物たちを見て口が開いたままになった。
「こ、これは……ヒトの手では絶対に生育できないと言われているヴァネリア!? こっちはクリスタロス大陸には根付かないといわれてたレッドピピン!? えええ、なんで」
「ね、インペリウム特別寮のていえんのせわをしてるのはアヒムなんでしょ?」
「こ! これはかつて異世界召喚勇者が愛したといわれる白菜! こんなに大きくなるのですか……こっちは初めて見ますが、おそらくネギ科。香草として使われる植物でしょうか? ああ、このツヤはすばらしい栄養価でしょうねえ」
「ね、アヒムきいてる?」
「これはもしや、甘草? ばかな、これは生育条件がかなり厳しいはず。学院の植物園でも1代しか持たなかったのに、生育順に畝が分かれているところから見るに……かなり定着している」
「アヒムー!」
「ふぁっ! はい! ケイトリヒ殿下、この植物園は一体どのような手法で、いえ、誰が維持しているものですか! ぜひ、庭師……いえ、もしや研究者? ご紹介して頂けないでしょうか!」
「かんりしゃは、僕」
「はい?」
「でもじっさいに手をいれてるのは……あ、いや、手はないんだけど」
「はい??」
「ハナチャーン! くらげー! パタコー! それと、カブ、ナッパ、ピノコ!」
バスケットボール大に育った植物系の精霊たちが、わらわらと木々や葉っぱの間から出てきて集まってきた。カブは待望の根菜系精霊、ナッパは葉野菜系の精霊。そしてピノコはキノコ系の精霊だ。どいつもこいつもバスケットボール大の毛玉を中心に、葉っぱや蔓のくっつき方でデザインが違ってて見分けやすい。
「この子たちにたのんで、そだててもらってるの。でも、やっぱりヒトがのぞむ姿と、植物がもとめるせいちょうってかならずしも一致しないでしょ? まあまあ大変でさ」
「こっ、これっこれは、主精霊!? こんな巨大でっ、こんなにハッキリ私の目にも見える精霊!? がっ、6つも!?!?」
あっ、失神する? ディングフェルガー先生みたいに失神する?
いいよ、ちゃんと後ろに騎士も控えておりますから! この寮の騎士は、ディングフェルガー先生のおかげで失神対策慣れしておりますよ!
どさ、と尻餅をつくようにその場に座り込んで、ぼーっと植物の精霊たちを目で追っている。失神はしないみたい。よかった。驚き方って人それぞれね。
「これ、以前植生学の授業の時にケイトリヒ様が頭の上に乗せてた……いや、でもあのときはもっと小さかった気がします」
「あっ、バレちゃった? 覚えてた? まあ気にしないで、アヒム、こっち。こっちに、熱帯をさいげんした区画があるの。そこでね、ウルバウムのけんきゅうをしてるんだけど、なかなかうまくいかないんだ」
「うっふあっ、うっっる、ウルバウムですか! それは興味深い!!」
呆然としていた目がギラリと光り、力強く立ち上がる。
やっぱりこのヒト、いわゆるマッドサイエンティストだ。研究バカだ。植物愛者だ。
褒めてますよ、一応。
「インペリウム特別寮のていえんのせわをしてたの、アヒムなんでしょ?」
「ええ、はい、それがウルバウムとなんの関係が?」
いや、もうこのヒトぜったいウルバウムのことで頭いっぱいだ……。
「ん、まあいいや。とにかく見て。で、よかったら僕とせんぞくけいやくしない?」
「ええっ! お、お抱え庭師ってことですかね! 私でいいんですかあ!?」
アヒム、さっきは老け顔って思ったの訂正する。めちゃめちゃ顔色よくなってるし目がキラキラしてるじゃん。なんか肌に張りまででてきて、ピチピチじゃん。19歳じゃん。
スゴイ変わり方だよ。
「水切りした切り花みたいにイキイキしだしたね」
「フフフッ、秀逸な例えですね! もし私が専属になったら、この区画を任せていただけるのでしょうか?」
「なにか、もっとよくなる案がある?」
「もちろんです! あのホッポウカブは隣にブナマメを植えてあげたほうがいいですね、ほどよく陽射しを遮って葉の病気を防ぎ、カブの部分がよく肥えます。あちらのロウゼンサイは薬草ですが成長過程で毒を出しますので、毒の中和するカブラネギを周囲に植えるといいです。あちらは……」
アヒムはめちゃくちゃ早口になりながら怒涛のように説明してくれる。……こういうヒト前世の高校のクラスにもいた。内容はパソコンのことだったけど。
事前に呼んでおいた、ファッシュ分寮の庭師が3人後ろに並んでふむふむと聞いているのにも気づかず延々と早口で説明するアヒムを、しばらく放置。ひとしきり興奮気味にマシンガントークを放って、ようやく落ち着いてきた。パタコたち植物精霊が、なんかすごくアヒムに懐いてる。まあ、理由はわかる。
「……で、せんぞくけいやくなんだけど」
「あっ、はい。すみません、少し夢中になってしまいました」
「すこしなの? まあいいや、くわしいはなしはガノに聞いてね」
「ケイトリヒ様の側近で、出納と外部雇用管理を任されております、ガノ・バルフォアと申します。貴方のご出身グランツオイレ領との今後の関係性についての注意点もまとまっておりますので、こちらの専属雇用契約書の内容はよくお読みください」
後ろで控えていたガノはスクロール状になった契約書を手渡し、内容を熟読して親や必要であれば領主などとよくよく相談したあとにサインするようにという注意も付ける。
アヒムはディングフェルガー先生と違って一応学生なので、まだ親や領の庇護下。そのへんの報告はアヒム本人からしてもらう必要がある。ちなみに雇用するこちらは、学院を通す必要がある。そっちはガノとペシュティーノがやってくれてるはずだ。
「ケイトリヒ殿下の……ラウプフォーゲル王子の、専属庭師……! いいえ、見栄えだけの庭師などではなく、研究作物にも携われる……!!」
アヒムの鼻の穴が開いてフガフガしてる。大丈夫かな。失神しない?
「……ぃ、やったーーーー!! ざまあみろ、帝立植物研究所め! 俺の入所希望を蹴ったこと、すぐに思い知らせてやる!! 俺の研究作物のあれこれが実現すれば、『帝都の伝統』なんてくだらないものすぐに風化させてやる!」
おっ、新しいキャラ? グッタリ系からキラキラ系、そしてフガフガ系? 情緒大丈夫?
「アヒム、帝立植物研究所に就職きぼうしてたの?」
「ええ、3年生のときから。しかし俺より遥かに知識の足りない中央貴族の生徒がどんどん採用されるなか、俺だけ落ちました。研究成果として提出した干害に強い芋は、研究所の職員に取り上げられて未だに戻ってきません」
そのへんの事情は、実は調査済み。
アヒムは詳細を省いてさらりと言ったけど、実際にはもっと陰湿で狡猾な裏取引があったことは本人もわかっているはず。アヒムは情緒あやしい割に、発言には慎重だ。
それがこの学院での不当な扱いの結果だと思うと、少し可哀想になる。けど、ことラウプフォーゲル男子については慎重さを持ちわせる人材って、なかなか貴重なんだよね!
「僕のところにくれば研究資金も、設備も、ついでに精霊のきょうりょくもあるよ!」
「王子殿下、私の心は決まっています。必ずや親とグランツオイレ領主を説得してみせます……王子殿下の婚約者選びに影響がないように」
キリリと言い放つアヒム、すごくしっかりしてる!! ハニッシュは男爵家だけど、グランツオイレ領主の側近を代々務める由緒あるお家柄だからか、考え方がとても貴族的。
今は言わないけど、レオとも協力してほしい。これほど理性的なアヒムならきっと上手に付き合えるはずだ。
「はいりょしてくれてありがとう。でも、婚約者のけんはだいじょうぶだよ」
「……大丈夫、というのは?」
「ラウプフォーゲル公爵閣下がケイトリヒ様の婚姻について制限されたのです。まだ婚姻の影響力について学ばれていない幼いケイトリヒ様に対して直接的な接触を禁じる、と。特に第一夫人としての婚約は、父である公爵閣下を通すようにと貴族会議で通達しています」
ガノが説明するとアヒムは「それはよかったですね!」と言ってくれた。
ナタリー嬢の奇行は、もはや学院中に知られているらしい。
帝国は女性の人口が少ないせいか婚姻や婚約についてはかなりルールや常識がガバガバで、どうやら貞操観念みたいなものも薄い。婚約者という存在も貴族男性が婚姻相手を確保するための手段であって、さほど拘束力のあるものでもない。
どんなに永く続いた婚約でも女性がイヤになれば、それだけで解消されるんだもんね。
ただ、女性側から熱烈にアプローチされると男性側には拒否しづらいのは事実。
ラウプフォーゲルの普通の貴族や平民であればそんなコトは心配する必要ないのだけど、俺や兄上たちのような未婚の幼い「王子様」だけは別、ということになった。
「公爵閣下を通さずに本人同士で婚約を交わした場合、第二夫人以下になるということですか。確かに、地位を狙うようなしたたかな女性にとっては効果がありますね。しかし単純に好意を持って近づく女性にとっては、むしろ近づきやすくなるのでは?」
「僕のみために、れんあいてきな好意をもつのはちょっと何かがおかしいでしょ」
アヒムとガノがハッとして俺を3秒くらいみつめたあと「確かに」と頷いた。
俺が言っといてなんだけど、なんかムカつく。
「……ちなみにその特例は、アロイジウス殿下を含む直系ファッシュ家令息全員に適用されるのですよね?」
「今はケイトリヒ様だけの特例ですが、近く正式に帝国法改定議会にかけられます」
「帝国法になるということは全領主子息に適用されるということですか」
「そうですね」
「……やはり、ケイトリヒ殿下の兄君たちの御身が心配です」
「何故です?」
「ガノ殿、ケイトリヒ殿下は少し特別なので別として、アロイジウス殿下とクラレンツ殿下、エーヴィッツ殿下の学内の評判をご存知ないのですか」
「別にされた!?」
「……兄君たちの、評判ですか?」
ガノがチラリと俺を見る。
アウロラたちは兄上のネタにあまり興味ないから、聞いてないよ?
「年頃の女子生徒ともなれば、色恋に夢中になるのは当然です。彗星のように現れたインペリウム特別寮の王子殿下たちは、その中心人物ですよ。……旧ラウプフォーゲル出身の女子生徒はクラレンツ殿下に、中央寄りの生徒はアロイジウス殿下、中立や平民の生徒はエーヴィッツ殿下と、かなり鮮明に好意が区分されているそうです」
「ジリアンあにうえは?」
「派閥に関係なく、ごく一部の生徒から人気と聞いています」
ジリアンはマニア層なのか。……なんかウケる。
「アヒム……みために反して、学院の噂話とかちゃんとはあくしてるんだ」
「植物園に引きこもる陰気な院生ですからね。何を話しても外部に漏れないので相談しやすいでしょうし、庭園を手入れをしているとお喋り好きの女子生徒の話は嫌でも耳に入ってきます」
アヒム、植生学の先生でもあり、優秀な研究者でもあり、優秀な庭師でもあり、まさかの隠密でもあった。なんてお買い得物件!!
「ごりょうしんと、グランツオイレ領主をぜったい、ぜったいに説得してくださいね!」
「は、はい」
絶対獲得したい人材だ! この際、フランツィスカが婚約者候補として多少有利になってもまあいいか、と思えるほどの。
俺のお台所の食材も、帝国の農業も、発展しまくっちゃいますよー!