6章_0078話_迷子 3
「ヘビ代さん、クモ美さん」
俺が意を決して呼びかけると、2人が俺を覗き込んでくる。
相変わらず俺はヘビ代さんのデコルテにくっついた糸のポッケに入ってるけど、ヘビ代さんは首が長いから俺と目を合わせられる。
「僕を、このまま地上にはこんで。おねがい。魔法が使える、いちばんちかい地上へ」
俺が言うと、クモ美さんが近づいてきて、俺の髪に鼻先で触れた。……彼女なりのキスみたいなもん?
そして予備動作もなく2人は再び高速で走り出した。2人とも走るという表現が正しいのかわからないけど。巨大な街を抜けた先、ドーム状になった岩の割れ目を進む。岩肌がむき出しになった道とも呼べない空間を走り抜け、鋭角にそびえ立った岩肌を登りながら進む。
(……従魔かあ。ギンコたちに加えて、とんでもないの従えちゃったな。ちじょうに出たら、彼女たちのことはどうしよう。さすがに学院には置いておけないよね……)
あれこれ考えていたら、いつの間にか寝ていた。
――――――――――――
「学院長、ラウプフォーゲル公爵閣下から、直轄捜索隊1万人を転送させたいとの申請書が届いております」
「またですか!? 先日1万人ようやく転送し終えたとばかりだというのに、これ以上は受け入れられません。シャッツラーガー領を侵略するおつもりかと返答しなさい!」
「……ご冗談ですよね?」
「はあ……ええ、冗談よ。私から断りの書状を送るから、学院護衛騎士たちも少し休むように伝えて頂戴」
魔導学院の学院長、ドロテーア・ロイエンタールは寝ていなかった。
彼女だけではない。学院の護衛部も、教師陣も総出で行方不明になったラウプフォーゲル公爵子息と特別捜索隊に参加したり、一部部隊の陣頭指揮をとったり、問い合わせに対応したりと学院全体が慌ただしい。
「学院長、生徒会が有志で結成された捜索隊の外出許可を求めています」
「許可しません。……いえ、ちょっと待って、学院側も対応したという事実を……許可する方向で、教頭に対応をお願いします」
「ドロテーア学院長、旧ラウプフォーゲルの領主から捜索隊という名目で領内に軍を入れる許可を求める書状がこんなに……」
「それは私ではなくてシャッツラーガー統治官にまわして頂戴。あ、待って。一旦、人員は十分すぎて統率が取れなくなっているから拒否するようにというメモ書きを追加しておいて」
「学院長、皇帝陛下からの……」
「……それはこちらへ」
学院長ドロテーアが仰々しい真紅の筒を手にした瞬間、その場に行列を作って次なる指示を仰ごうとしている補佐官や教師たちが息を呑んだ。
皇帝陛下からの書状。勅命だ。
学院長が意を決したように筒を開けると、部屋の外が騒がしくなった。
「お待ち下さい! 学院長はいま対応に追われ……」
「それを楽にさせてやろうと来たのだ、どけ」
制止する護衛騎士のことを全く意に介さずドアを勢いよく開けて部屋になだれ込んできたのは、左胸に四対の翼の鷲の徽章を掲げた兵士たち。
「学院長、失礼する」
「……ラウプフォーゲル公爵閣下。先日お目通りしたばかりですが、このような形で再びお目見えすることを……」
「挨拶はいい。捜索権限を私に渡してもらう。これは勅命である」
公爵は鷲よりも鋭い目つきで、今まさに学院長が開こうとしていた書状をチラリと見る。
学院長は、なんとかこの事態に収集をつけなければと躍起になっていたが、その役目もこの瞬間に終わるのだと思うと書状を開く気にもなれなかった。
「……皇帝陛下の御意向、承りました。これより魔導学院の名義で結成された捜索隊の全てを、ラウプフォーゲル公爵閣下の管理下に置くことを命じます。すぐに伝達しなさい」
「はい」
「学院長、シャッツラーガーの捜索隊については……」
「統治官にも同じ書状が届いている。全て我が指揮下だ。学院長、捜索隊の本部として学院の講堂をお借りしたい。よろしいか」
「もちろんです」
言いたいことは言い尽くしたといわんばかりに、ラウプフォーゲル公爵は立派な虹色の刺繍が施されたマントを翻して学院長執務室を去った。
「学院長……」
「……公爵閣下には逆らわないように、皇帝陛下と同等に忠誠を尽くしなさいと職員たちに伝えて。全員、公爵閣下の沙汰が下るまで一旦休みなさい。もう随分と寝ていないのでしょう」
「学院長こそ、少しでもお休みください」
「何かありましたらお知らせしますから、それまででも」
従者たちがあまりに心配するので、余程疲れて見えるのだろう。
ドロテーアはそう思った。
大きな革張りの椅子に背中を預けると、従者のひとりが温かい飲み物を運んできて、すっかり冷えてしまったものと取り替えた。
「ドロテーア様……災難でございますわね」
「災難……いいえ、これは国難です」
ドロテーアのつぶやくような言葉を、従者は聞き流した。
ケイトリヒ・アルブレヒト・ファッシュは父親であるラウプフォーゲル公爵だけでなく、皇帝陛下をも動かす生徒。勅命で入学したとはいえ、行方不明でここまで大事になるとは考えていなかった教師や生徒たちはその事実を目の当たりにして困惑した。
帯剣した四翼鷲印の騎士たちが学院中にあふれるのを見て、生徒たちは密かに確信した。
「帝国に、もはやラウプフォーゲル公爵の威光が届かない場所はない」
――――――――――――
「ふァっ」
目が覚めると、剣山のような山脈の向こうに夕日が沈もうとしているところだった。
真っ赤な空と優しい風。
「おそとだ!」
周囲を見ると360度全ての方向に、剣山のような山脈。の、岩肌。
「あ〜……ここって、もしかして……魔導学院のあるシャッツ山脈……? の、谷底」
V字型に切り立った谷の底には、山肌に沿って大きな切れ込みのような地割れがあり、ヘビ代さんとクモ美さんはそこから地上に出てきたようだ。
「せいれい!」
ぽぽぽん、と音をたてて全ての精霊が頭から出てきた。
「主ィ〜!!! 主、主、ごめんねぇ、僕たち姿を保てなくて、ごめんねぇ!! 分霊体で主の生存を側近に知らせるだけで精一杯だったよぉ」
「主、不甲斐ない我らをどうかお許しください……!」
「主、あーし、この周辺の状況調べてくるね!」
「小生も、危険がないか確認してまいります」
「ん〜、まずは側近に連絡だな。両方向通信ならウィオラかな」
「主、もう寒くなイ? カル、保温頑張った……でも力でなかっタ……ごめんなサイ」
飛び立とうとしていたアウロラとキュアを捕まえ、とりあえず全員ひっくるめてぎゅうと抱きしめる。
「……せいれい、出てくれなくてこわかった。こわかったよ……いなくなっちゃったかと思った。僕、せいれいがいたからいつもれいせいでいられたんだって、わかった」
「主……!」
「主ぃ、こわがらせてごめんね、ごめんね!」
ちっちゃなおむすびサイズの精霊たちが、俺の腕の中でもぞもぞ動く。
ポン、と音をたててジオールがヒト型になると、俺をぎゅうと抱きしめた。つづけて全員がヒト型になり、おしくらまんじゅうみたいになる。
「ち、ちょっと、さすがに苦しい……ぐるぢ……せいれい、しゅうのう!」
俺が号令をかけると、ぽぽぽんとミニサイズになってシュポッと髪の毛に入っていった。
一呼吸おいて、緑色と青色のミニサイズ精霊が再び出てきてシュンと空へ向かって飛んでいった。
さすがにヘビ代さんの胸元でカンガルー状態でぶら下がったまま夜を迎えたくないので、さっさと動かないと。
「あ!! しまった! 僕のふく! 杖は!?」
クモ美さんが、自分の背中からモゾモゾとなにかを取り出して俺に差し出してきた。糸に包まったそれは、指で簡単に解せるようになっている。
中には俺の服と靴、ベルトや杖も全て一式入っていた。
「ふわ……ありがと、クモ美さん! きがきくー!」
杖を取り出して、使ったことのない両方向通信についてちょっと考える。使ったこと無いけど……要は、電話だよね。通話。確か、ジュンはテキトーに相手の魔力を思い出して……とか言ってた気がする。相手の魔力。
他人の魔力なんて意識したことはないけど、知ってるとしたらペシュティーノだ。
杖の先っぽに向かって話しかけるように……。
「あー、あー、てす、てす。てすとです。ペシュ〜、ペシュ〜ペシュペシュ〜」
しーん。
……やばい。ここにきて連絡手段がないかもしれない?
険しい岩山の山脈の谷底で、こどもひとり、魔人ふたり。精霊が場所を把握して移動するにしても、それなりに時間が掛かるとして……。
「お、王子殿下―!!」
「へ?」
頭上から声が聞こえた気がして上を仰ぎ見ると、トリューに乗った魔導騎士隊が3人。宙に浮いて、旋回しながらこちらに近づいてくる。
「あっ! すごい! すごいぐうぜん! ここ! 僕ここだよー!!」
「ウッ、お気づきでないようだぞ。王子殿下、ものすごい声の大きさになってます!」
「もう少しお声を小さくしてもらってよろしいですか!? 耳が……!」
「すぐに参りますが……その、ヘビの亜人とクモの亜人は、敵ですか!?」
え!? ものすごい大声? おかしいな、両方向通信を使ったつもりなのに拡声になっちゃった。
「このひとたちは、僕をほごしてくれたの! 敵じゃないよー!」
魔導騎士隊の隊員たちはトリューに乗ったままゆっくり近づいてくる。
「王子殿下、お怪我などはありませんか」
「うん、だいじょうぶ。ねえ、僕がいなくなって、どれくらいたった?」
「今日で7日目です。3日目からは御館様が直接学院に捜索本部を設け、2万の兵を投じて捜索していました……お元気で何よりです」
「7日……! え、ちちうえが!? そ、それ皇帝陛下には」
「もちろん、皇帝陛下の勅命という名目で行っていることにございます。皆、ケイトリヒ様の御身を案じておりました。今、本部とペシュティーノ様に連絡を入れましたので間もなく浮馬車が参ります」
「浮馬車……ヘビ代さん、クモ美さん、ちょっと平らな場所をさがしていどうしてほしいんだけど」
ヘビ代さんもクモ美さんも、トリューに乗った魔導騎士隊の兵士を興味津々に見つめていたけれど、俺の言葉を聞いてすぐに動き出す。
「ペシュは? ペシュはどんなかんじ? たおれたりしてない?」
「……ケイトリヒ様のお顔をご覧になれば、すぐに回復しますよ」
やっぱり、無茶したんだ。……早く戻らないと。
体感で10分もしないうちに軍用の浮馬車が現れ、ヘビ代さんの巨体もクモ美さんも収納して飛び立つ。
2人を見た魔導騎士隊の隊員たちは驚いてたけど、俺に秘密が多いのは今に始まったことではないということで、全然動じてなかった。強い。
2人も、最初こそトリューで飛んでる隊員に興味津々だったがニンゲン自体に興味があるわけではないみたい。浮馬車に乗るとなると、警戒も拒否もせずスルリと乗ってくれた。強い。
浮馬車の隊には、ジュンとオリンピオとエグモントもついてきていて、俺を見るなりジュンなんかは顔をくしゃくしゃにして泣き出した。
つられるからやめてほしいの!
「ふぁ〜、やっと帰れる……だいぼうけんだったなあ」
俺は無邪気に浮馬車の中でおどけたように言ったけど、側近たちはどこか寂しげな笑顔をしている気がした。
「……もしかして、こんかいのことで誰かせきにんをとらされる?」
ジュンとオリンピオとエグモントはハッとして、視線を泳がせた。
どうやら当たりみたいだ。
「御館様に詳細な報告が上がり沙汰が下るまでは暫定で据え置きですが……側近の中で、誰かしら責任を負うべき問題でしょう。我々は護衛騎士でありながら、王子殿下を見失ったのです」
「そ……」
そんな、と言おうとしたけれど、大人の世界では当然のことだ。
……よし、俺が父上と直談判するしかない。大事な側近たちは俺が守る!
と、意気込んでいるところにオリンピオが被せてくる。
「御館様は魔導学院の大講堂で捜索隊の陣頭指揮を取っていらっしゃいます。捜索に関わった方が集まっているので、元気な顔をみせるようにと御館様からご伝言ですが、大丈夫でしょうか?」
「うん、げんきだよ。さがしてくれた兵士にお礼も伝えたいし、だいじょうぶ」
父上の命令とはいえ、小さな子供の行方不明捜索というのは兵士たちも焦燥感ばかりで達成感の少ない、つらい任務だったに違いない。前世でも、悲劇の事故などで生存者が救助されたという報道は少なからず皆を明るい気持ちにさせる。幸い怪我も衰弱もしてないんだから、期待に応えようじゃないの。
浮馬車は滑るように魔導学院の大講堂前の広場に到着した。
「ヘビ代さん、クモ美さん、ごめんね。ちょっとこの中で待っててね?」
2人は狭い箱のなかに詰め込まれているにも関わらず、妙にリラックスしている。
返事はないが、俺の言葉はしっかり理解してくれているようだ。従魔だと知ってようやく彼女たちの意思のようなものがはっきり汲み取れるようになった気がする。
「……ケイトリヒ様、そのお召し物は、どちらで?」
「クモ美さんがつくってくれた!」
「クモミ……? あの、クモの亜人ですか」
「うんそう」
オリンピオが俺を抱き上げて……というか手に乗せて講堂に入ると、真っ先に兵士たちが跪いて「ケイトリヒ殿下、ご無事で何よりです!」と声をかけてくれた。
中には目に涙まで浮かべてる兵士もいる。
「さがしてくれて、ありがとう! げんきだよ!」
講堂に集結した兵士たちのカタマリが、モーセの十戒のようにさーっと両脇に割れて道を開ける。その先には、立派なマントの父上。眉間にシワをよせて、ものすごく怖い顔をしてる。横にはあにうえたちとジリアンが涙を浮かべて俺を見ていた。
(……ちちうえめっちゃおこってる)
勅命をもらってまで軍隊を動かしたんだ、怒られても当然。心配の裏返し、ともいうし……あ、でも、もしかして俺にも何らかの責任が発生したら、どうしよう。
側近を守るどころじゃなくなってしまう。
「ケイトリヒ……!」
「よかった、よかった無事で」
エーヴィッツがぐしゃぐしゃに泣き、クラレンツも涙ぐんでいる。2人と肩を組むようにしているアロイジウスも笑顔だけど、目が潤んでる。ジリアンはエーヴィッツを見て笑ってる。
「ケイトリヒ」
父上の声が響き、兵士たちのざわめきも兄上たちの泣き声もピタリと止まる。
講堂全体が水を打ったように静まりかえるなか、父上が俺の方へ歩いてきた。オリンピオがそっと俺を床におろし、「立てますか」と聞いてくる。へいきだよ。
「ちちうえ」
「ケイトリヒ……! よく、よく……」
父上のしかめていた眉間が震え、鋭い眼光からボロリと涙がこぼれた。
「よく、無事にかえってきた……!」
「ちちうえ!」
裸足のまま駆け寄ると、思いっきり抱きしめられた。怒ってなかった。泣くのを堪えていたんだ。父上、ちょっと力が強いです。苦しくて、じんわり涙ぐんでたのがひっこんじゃったよ。
「ちちうえ、しんぱいかけてごめんなさい。側近たちをしからないで」
「……うむ」
父上はでっかい手で俺を撫でまわすと、きまり悪く目元を拭った。鼻も少しすんすんしていたけれど、すぐに落ち着いたみたい。さすが領主。
「ちちうえ、ペシュは」
「こちらへ向かっておる。すぐに来るはずだ」
バタバタ、と駆け込んできたような音がしたので後ろを振り返ると、そこには目が落ちくぼんで顔色の悪いペシュティーノと、ガノとパトリック。
……ペシュティーノは、きっと食事してない。足もふらついているし、目だけがランランと光っていて少し怖いくらいだ。ガノも目元のクマがひどい。パトリックもぱんぱんにまぶたを腫らしていて、かなり人相が違う。
……俺の側近たちは全員美形だったはずなんだけどな?
「ケイトリヒ、様……!」
不健康そうにランランと輝いていた目から、滂沱の涙がこぼれ落ちる。
見ていられなくなって駆け寄ると、ペシュティーノは抱きつこうとした俺の肩をガッとつかんで、全身をチェックするように撫で回す。
「ケガは!? 痛いところはありませんか? 食事はちゃんとできたのでしょうか? 怖い思いをしたのではありませんか? 寒い思いをしていませんでしたか」
膝小僧や両腕などケガをしやすい場所を撫で回し、傷がない事を確認して肉付きを確かめるためにほっぺや太ももをにぎにぎと確認してくる。
(前世で、こういう状況……妄想してたなあ。奇跡の生還をして、親や友人たちに喜ばれるところ)
残念ながら、というべきか幸運にも、というべきかわからないけど、そんな状況は実現しなかった。やがてそんな妄想をしても何の慰めにもならないと気づいて止めてしまったけれど、安易に「愛されている自分」を確認したかったんだろう。
……子供を大事にするという感覚が、こんなにも痛々しく、こんなにも重苦しいとは思っていなかった。
「ケイトリヒ様……よかった、よかった……よくぞご無事で……!」
無事を確認して、ようやくペシュティーノは俺を抱きしめた。
嗅ぎ慣れたペシュティーノの匂い。森みたいな爽やかなムスクの香り。
「ペシュ……う、ぅ、うわぁぁん! わあん、あぁーん! 会いたかったよぉ!」
ようやく帰ってきたんだ、という実感が湧いて、ギャンギャンに泣いた。
泣きすぎて気を失った。
薄れていく意識の中で、「そういえばスタンリーは?」と思いついたけど、抗うことはできなかった。
――――――――――――
「……ふ、やはり其方は心置きなく甘えられる存在なのだろうな。私が抱いたときはケロリとしていたというのに」
「御館様。此度の失態は……」
「今は良い。其方も、側近たちも今夜はゆっくり休め。書類作成のための文官は明日手配する。それまでケイトリヒを話せる状態に戻すように。いいな」
「……はっ」
眠ってしまったケイトリヒを抱いたペシュティーノと、側近たちと護衛騎士。
全員が跪いて頭を低く下げる。
「……全軍、撤収だ! 我が愛息が無事に戻った記念に、全員に褒賞を与える!」
野太い歓声があがり、エーヴィッツたちは思わず耳を塞いだが、ケイトリヒが目覚める様子はない。騎士たちはペシュティーノの腕に抱かれた小さな子供を、とろけるような目で見つめてニヤニヤとしながら撤収作業を終えて講堂をあとにする。
公爵はべそをかいていた兄たちのこともしっかり労い、その夜はファッシュ分寮に泊まることにした。
「そういえば、ケイトリヒを保護した亜人がいるという話だが」
「ええ、私も聞きました。お連れしているとの話ですが、どこへ?」
公爵とペシュティーノがふたりがかりで聞くと、オリンピオは少し視線を泳がせた。
「そこの、浮馬車におりますが……その、亜人と報告いたしましたが、そうとしか形容できなかっただけにございまして、ケイトリヒ様のおっしゃるところによると『魔人』であるとの話です」
オリンピオの聞き取りにくい低い声のせいではない。
公爵とペシュティーノは言葉を疑ったが、ちらりと視線を交わして眉根を寄せた。
「魔人……とな。クリスタロス大陸では昔話か与太話でしか出て来ぬが、その魔人で間違いないのか?」
「私にはなんとも申し上げられませんが、これまで見たこともない、驚くべき姿ではあります。ただ、ケイトリヒ様を大事にしていることだけはわかりました。言葉はできぬ様子で、我々に攻撃的な様子も見られません」
公爵は訝しげな顔を見せたが、ペシュティーノは微笑んだ。
「何者であれ、我らが御子を守ってくださったとあればお礼を申し上げたい。案内して頂けますか。オリンピオ、あなたはもう彼らと会っているのでしょう?」
「う、うむ。私もそうしよう。異形の亜人が相手とはいえ、礼を欠いては父の名折れだ」
「恐れながらペシュティーノ様、公爵閣下。その魔人は『彼ら』ではなく……」
2人はオリンピオに案内されるまま、浮馬車を覗き込んだ。
――――――――――――
「ふわ〜ぁ!」
ぱっちり目を覚ますと、そこはいつものバラの寝台だった。
むくりと体を起こしてまじまじと自分と周囲を見ると、いつものパジャマにいつもの石鹸の匂い。ぱやぱやと光の粒が舞うモビール。すぐ横には……スタンリーが添い寝してくれてる。いつもの風景。
……なんか、ひどい経験をしたような気がするんだけど、もしかして夢だった?
まだちょっと眠いから、ころんと横になってころころ転がってスタンリーの胸にぴったり背中をくっつけて……二度寝。これが最高に気持ちいいんだなぁ。
「ケイトリヒ様、目が覚めたのでしたら聴聞会へ」
「むあ」
スタンリーが後ろから髪の毛をふわふわ撫でながら言う。起きてたのね。
「ちょうもんかい?」
「……そんな格式張ったものではないのですが、御館様が行方不明の間の経緯を聞きたいと仰っています。同席するのはラウプフォーゲルの文官くらいですので、お気兼ねなく。朝食を食べたら参りましょう」
しぶしぶ起きて、朝の身支度。
「そういえばにいに昨日のでむかえに来てなかったけど、なにかあった?」
スタンリーなら何を置いても俺を迎えに来そうなのに、ちょっと不思議だったんだ。
「……その件ですが、また改めてご相談させてください」
「そうだん?」
よくわからないけど今は話すつもりはないようなので、大人しく改めることにした。
朝ごはんはおかずいっぱいのおかゆ。別に体調を崩してるわけじゃないんだけどおかゆ。久しぶりの温かいごはんは美味しかった。
スタンリーの言う通り、聴聞会とは一応名がつけられているけれど要するに「何があったかパパに話してごらん」会だ。俺は父上の膝の上で好き勝手に話し、それを横にいる文官がいい感じに書類にしてくれる。
「落ちたら水だった、と。……ケイトリヒ、其方、泳げないのではなかったか?」
「バブさんがういたから、しずまなかった。なにも見えなくて、こわかった……」
こういう場面ではペシュティーノが来てくれるはずなんだけどな。
「ケイトリヒ、ずっと落ち着かないようだがペシュティーノを探しているのか?」
「あっ、うん……ペシュは? ちゃんと眠れたかな? ごはんはちゃんとたべたかな」
父上はにっこり笑って、俺の頭をがしがしと撫でる。強いです、父上。
「お前がペシュティーノを案ずるように、ペシュティーノもお前のことを誰よりも想っておった。この7日間、食事も睡眠もろくに取れていないようだから少し休ませてあげなさい。今回は事故ということで仕方ないが、お前に何かあれば側近だけでなく、メイドや魔導騎士隊、ユヴァフローテツなど多くの人生が閉ざされる。簡単に死んではならんぞ。何が何でも、誰を、何を犠牲にしても其方は生き残れ。いいな?」
父上は俺の目をしっかり見据えながら言う。
「はい……」
もちろん死ぬつもりなんてサラサラないけど、そう言われると重い。
「生きてればいい」と「生きなければならない」ではやはり心構えが違う……気がする。
「ちちうえ……」
「ん、どうした。ベソをかいて……怖くなってきたか? 少し中断しようか」
「ちがうです、ちちうえ。僕があぶないめにあったから、側近たちは罰をうける?」
おそるおそる父上の顔を見上げると、おもわず涙が盛り上がった。
こぼれないように気をつけたけどムダだった。ぽろぽろとこぼれ落ちる涙を、父上が大きな手で拭う。
「……なにを言う。安心しなさい。其方が健康でさえいてくれれば、誰も罰を受けたりせぬ」
父上は俺の目を覗き込んで、ニヤリと笑った。
「けんこう……」
「そうだ。側近とは、其方の身の安全と健康を担う者。その責務を全うできなければ、罰するしか無い。だが……どうだ? 其方は今、健康か?」
「ふぁっ、けんこうです! めちゃげんきです! そっきんがいてくれればハッピー!」
慌てて答える俺を、父上はふふふ、と笑った。
「優しい子だ。ではまだ話を続けられるか?」
「でぇじょうぶです! 僕、ケガもなくトラウマもなく、げんきですから!」
ふんす、と鼻息荒くやる気まんまんで言うと、何故か文官たちもくすくす笑う。
今の「でぇじょうぶです」はわざと言ったんだよ? 噛んだわけじゃないからね!
「では早速、本題を聞きたいのだが……ケイトリヒ、あのヘビとクモの亜人の正体を知っているか?」
「うぇっ……えーっと……」
これは、言っていいものなんだろうか。
彼女たちが古代人の兵器だということは、竜脈、つまり世界記憶から得た情報なので、どこから得た情報なのかを問われるとちょっと、苦しい。
「……ケイトリヒ、この文官たちは心配ない。ラウプフォーゲルに忠義を誓い、ケイトリヒの秘密に口を閉ざす誓言をした者たちだ。もちろん、精霊様の助力でな」
え。ウィオラとジオールったら、俺の知らないところで父上の側近にまで誓言魔法を!?
……確かに俺には、どこからどこまでを秘密にすべきで何が公言しても安全な情報かを判断するための知識がまだまだ足りない。
父上がわざわざ誓言魔法までかけて俺の秘密を管理してくれている。
俺は父上に甘えてもいいんだ。
「えっと……るー……るーあ、ふぇ……ルーア、フルフェイス、フェムフェム? なんかそんな名前の、としに出ました。生命をもてあそんだつみで、何代か前の神がほろぼしたとし。数十億年前といってました。ヘビ代さんとクモ美さんは、その古代人がうみだした、へいきだって……」
「……そうか。それを教えてくれたのは、誰だ?」
下唇を指先でぴるぴると弾きながら、どう答えようか考える。
でももうここまで来たらごまかすわけにもいかない。
「えっと……竜脈」
「竜脈。竜脈は、話ができるのか」
「うん。自分勝手で、かってに話をようやくするし、いつもビミョーに足りないせつめいしかくれないけど、きけば何でも話してくれる」
「ほう。何でも、か。では神が何故失われたかも答えてくれるだろうか?」
「きけば、たぶん」
「尋ねたことはないのだな」
「うん」
「今は、話せるか? 竜脈と」
「どうだろ。竜脈?」
……返事はない。
「今はだめみたい。べつにもとめてないときに、かってに答えてくるときもあるのに」
「そうか。まあいい。では、その古代都市についてだが……」
その後も休憩や食事を挟んだりしつつ、俺のまとまらない話も根気よくゆっくり質問しながら「何があったかパパに話してごらん」会は丸一日続いた。