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5章_0073話_学院天国 1

勉強する気もしない気も、となりの席のかわいこちゃんに関係するなんて甘酸っぱい話は魔導学院には一切ない。いや、ないのは俺だけなのかもしれない。特別寮生は席決まってるし。


ともかく、その日は来てしまった。


「ケイトリヒ王子殿下〜ッ!」


語尾にハートマークが3つくらいついてそうな黄色い声で呼ばれ、振り向くとそこには予想どおり、絶世の美少女ナタリー嬢が可愛らしい小走りで駆けてくるところだった。


授業は完全に被らないように組まれているが、さすがに移動中まで完全に避けきるのは難しかったようだ。どうしよう、とキョロキョロしている間に、近づいてきたナタリー嬢は目に見えないなにかにボムンッと阻まれて止まる。


「あら、なにかしらこれは……? 結界!?」

「ヴァイスヒルシュ領主の御令孫、ナタリー嬢。公共の場で軽々しくケイトリヒ殿下のお名前をお呼びになるのは、礼儀に反しておりますよ。下がりなさい」


スタンリーが俺とナタリーの間に立ちはだかり、緑色の杖を突きつけて言う。


「えぇっ。ひどいですぅ。ケイトリヒ王子殿下にやっとお会いできると思ったら嬉しくて近づいただけなのに……」

「下がりなさい」


スタンリーが威圧的に言うと、お目々をきゅるるんとさせていたナタリー嬢はイラついたように目を(すが)めて彼を睨みつける。


「あの……貴方、ジャマなんですけど」

「邪魔なのはナタリー嬢、貴女のほうです。授業そっちのけで我が主のことをコソコソと嗅ぎ回り、後をつけ回すような真似は旧ラウプフォーゲル女性の品位を疑われますのでおやめ頂くよう忠告いたします」


「まあひどい。貴方こそラウプフォーゲル男としての品位が足りないのではなくて?」

「私は主を守る護衛です。女性であることを盾にしてならず者が近づくのであれば、私自身の品位など投げ捨てて主を守るだけです」


「ならず者ですって?」

「それ以外の何だとお思いで?」


えええ。スタンリーとナタリー嬢がめっちゃヤンキー同士のメンチ切り合いみたいに睨み合ってる。こわーい。こわーい!

スタンリーが気が強いというか度胸があるのは知ってたけど、ナタリー嬢、負けてない!

むしろめっちゃオラついた顔してる! ぶりっこキャラよりもそっちの方が個人的には好きだよ。


「さ、ケイトリヒ様、このスキに」

ガノがギンコの尻を軽く叩き、先導するエグモントも急ぎ足でその場を離れる。


「お、おいガノ、スタンリーはいいのか」

「彼はうまくやります。ケイトリヒ様が巻き込まれては面倒ですから」


その場はスタコラサッサと逃げるだけ。

スタンリー、ごめんよー!



「とうとうナタリー嬢に遭遇してしまいましたか」

ペシュティーノが報告を聞いて、盛大なため息をついた。


「御身の危険への対処は万全なのですが、婚約者の座を狙う女性への対処はどうにも難しいですね……公式に婚約者を決めて頂くくらいしか根本解決の策がありません」


帝国は貴族制だけど、結婚に関してはかなり地球のそれとは様相が違う。

女性が「嫁いで家に入る」という様式は王国や共和国では一般的な考えだが、帝国では古風で前時代的という感覚。だからといって地球の現代風かというと、それともちょっと違う気がする。だって、前世からも考えられないくらい女性の立場が強い。


つまりナタリー嬢に迫られてる俺、なんの防衛手段もない。

こりゃ困ったね。


「ちちうえにそうだんしよう」

「フランツィスカ嬢かマリアンネ嬢、どちらかと婚約させられるだけでは?」


「おふたりとの婚約をやんわり断るときにもいったんですけど、僕これからじゅんとうにせいちょうするとはおもえないんですよね」

「……、……そう……でしょうね」


ペシュティーノはものすごく深刻そうな顔で頷く。あまり考え込まないでほしーの。

俺がちっちゃいのはもう仕方ない。大きくなりたい気持ちはあるけど、無理なら無理でいいから。


「おふたりともだいぶ年齢差があるように見えるのに、さらに年上のナタリー嬢とではとてもじゃないけどつりあいがとれないよね」

「……年齢だけ見れば、そう無理ではないのですが……確かに、見た目ではそうですね」


「皇帝陛下にめいれいされて学院ににゅうがくして、そのさきで女性にこんやくをせまられるなんてこまっちゃう。にゅうがくしなければありえない事態だよね」

「……! なるほど、その手がありましたね! 勅命……もぎとりましょう」


ペシュティーノはなにかひらめいたように言うと俺を見てコクリと頷いて部屋を出て行ってしまった。


「……え、勅命って……皇帝命令? どゆこと?」


ぽつんと部屋に取り残された俺は、ギンコに向かって問いかける。

ギンコは「くぁ」とあくびをしただけで何も答えてくれなかった。



「やえいくんれん!?」

「うん。インペリウム特別寮生は側近を連れて行くことが許可されているそうだよ。参加は任意だけど、イベントみたいで楽しそうだからケイトリヒもどうだい? 来週にはアロイジウス兄上もようやく入学されるみたいだし、全員で!」


エーヴィッツ兄上が夕食の席で切り出したのは、全寮共通学科の「基礎魔導学」と「基礎戦術学」合同の野営訓練。

トリューの普及はまだまだごく一部の兵士に限ったこの世界、主な交通手段は馬と馬車。

父上と狩猟小屋に小旅行したあの日のように、この世界での移動は何日もかかるのが当たり前。


「僕、ばしゃとやえいがイヤでトリューをかいはつしたのに」

「それでも、まだ世界では主流だ。知っておいて損はないんじゃないかな? 不便を知れば、トリューの売り出し方にも役立つかもしれないよ」


なぜかエーヴィッツは野営訓練に来てほしいみたい。確かに遠足とか林間学校とかそういうイベントみたいで楽しそうだけどさ。


「俺も、父上と初めて行った狩猟小屋はキツかったな……なあ、トリューの馬車も開発中なんだろ? いずれ移動はトリュー馬車に替わるよな!? そうしたら、野営なんてなくなるんじゃねえか?」


クラレンツが目を輝かせて俺に期待の目を向けてくる。

たしかに、ちちうえから領主用の浮馬車(シュフィーゲン)を作れっていわれてたな……。作ってるのはユヴァフローテツの技術者だけど。


「そうですね。まあ、いずれは」

「なんだよ、微妙な返事だな」


「エーヴィッツあにうえの言うとおり、トリューや浮馬車(シュフィーゲン)のふきゅうにはまだ時間がかかるでしょうから。市販のトリューはさほどスピードもでないし……そうなるとやえいくんれん……したほうがいいのかな。ねえ、どうおもうペシュ?」


ペシュティーノは俺の分のローストポークを切り分ける手を止めて、少し考える。


「今後野営することがあったとしても我々が全てお世話しますから、ケイトリヒ様が何かされる必要はありません。が、経験……として参加をご希望されるようでしたら、野営用に護衛を手配いたしましょう」


これまた微妙な返事。


「ん〜、僕には、ひつようではなさそう」

「そ、そうか……」


エーヴィッツあにうえがめっちゃションボリしてる。

もしかして兄弟でイベントごとを楽しみたいという算段だろうか。だとしたらすげなく断るのもなんだかかわいそうな気がする。


「でもこのきかいを逃したらけいけんできなさそうでもあるよね」

「そうだよ! 自分で水場を探したり、薪を集めたりするのは実際にはきっと護衛たちがさせないと思うよ」


確かにそうだ。なんだかだんだんやってみたい気分になってきた。

要はキャンプだ。アウトドア訓練。


「アロイジウスあにうえとクラレンツあにうえと、エーヴィッツあにうえが全員さんかするなら僕もさんかしようかな」

「そうか! クラレンツ、どうだい?」

「お、おう……俺も別に参加するのはいいけどよ、なんでオマエそんな野営訓練楽しみにしてるワケ? 別に楽しいモンじゃねぇだろ」


エーヴィッツは照れたように口元をかきながらモゴモゴしている。


「いや……僕も、野営は護衛たちが何もさせてくれないからさ」

「あ〜、そうだよな。ヴァイルヒルシュの養父様はオマエに甘そうだもんな〜」

「それだけじゃなくて……き、兄弟で協力するって、なんかいい……と、思わない?」


「そっか、あにうえたちと一緒におでかけ! そうかんがえるとたのしそう! クラレンツあにうえも、さんかしよー!」


俺が甘えた声を出すと、クラレンツが鼻にシワを寄せてイヤそーな顔。どうもクラレンツにはぶりっこが通じないな。ギンコの背に乗ってランニングさせたこと、根に持ってる?


「ま、いいぜ。確かに楽しそうだ。野営の知識は護衛たちも教えてくれないからな」

「そうだよな、楽しそうだよね! ケイトリヒが参加するとちょっと大所帯になりそうだけど、それもまた訓練だよね」


エーヴィッツはごきげん。


「ジリアンはどうする?」

「野営訓練は学年関係ねえからな。俺もオマエたちの()()()で参加するよ。どちらかというと護衛側で。俺はオマエたちと違って野営経験は豊富だぜ。ウチの父親が誰か……知ってるよな?」


聞けばゲイリー伯父上は狩猟小屋で連泊するような生易しい狩りではなく、夜通し獲物を追うような本格的な狩りを子供の頃からさせるらしい。ハービヒトはいろいろ規格外。


「ジリアン先生だね!」

「そりゃもっと楽しくなりそうだな」

「うんうん! ……嬉しいなあ!」


つられて俺も楽しみになってきた。



そして週明け。

アロイジウスあにうえが入学!


ファッシュ分寮の大扉を、マントをなびかせて堂々とはいってくるあにうえカッコイイ。

制服は俺やパトリックに比べるとアレンジ少なめだ。それでも鎖骨あたりから腰上まであるボレロのようなマントにはでかでかとラウプフォーゲルの領章が色鮮やかに刺繍され、シャツもラウプフォーゲルを表す紫紺。ちなみに皇帝を表す色は真紅だそーです。


「これは……すごい屋敷だな」


「アロイジウスあにうえー!」


エントランスホールで上を見上げていたアロイジウス兄上にててて、と俺が駆け寄ると、軽々と抱き上げて少し上へ放り投げる。腕力がまだまだなので、ちょっとだけ高い高い。


「ケイトリヒ、少し重くなったかい? 入学しても元気そうで良かった」


「……今日からアロイジウス兄上も一緒かあ。なんだか母上がいないだけで、ラウプフォーゲルにいるのと変わらないな」

「あ、アロイジウス兄上。お待ちしておりました。ともに学べることを嬉しく思います」

「アロイジウス殿下、親戚会では結局ご挨拶できずすみません。これからよろしくお願いしますね!」


「クラレンツ、エーヴィッツ。ジリアンも、出迎えありがとう。ペシュティーノ、私の側近を頼めるだろうか」

「はい、ご担当の方はこちらへ。アロイジウス殿下の私室と施設のご案内致します」


ペシュティーノが丁寧に案内すると、4人の男性側近と1人のメイドが歩み出て、カンナに連れられていった。残りは2人の男性側近と、メイドが1人。こちらはアロイジウス付きの担当なんだろう。


「アロイジウスあにうえ、おなかすいてない? おひるごはんは、たべました?」

「ああ、馬車の中で軽く食べたよ。夕食会まではまだ時間があるね」


「じゃあ、きょうだいでおちゃかいしましょう!」

「うぇっ。お茶会って、女がするもんじゃないのか?」

「ラウプフォーゲルではその傾向があるみたいだけど、中央貴族なんかは男性だけのお茶会があるらしいよ」

「ああ、さすがエーヴィッツはよく知っているね。ラウプフォーゲルでは男が集まれば酒盛りか狩りになるけど、私達はまだ子供だからお茶会でもいいじゃないか。きっと美味しい軽食があるんだろう?」


アロイジウスが俺のほうを見ていたずらっぽく笑う。

ありますよ、子供がスキなメニューはたくさん! レオの得意分野だもんね。


ファッシュ分寮の裏手、広大な庭園に面したテラスに真っ白のガーデンテーブルとタープが用意され、兄弟3人とイトコ1人、そしてスタンリーの5人でお茶会。

スタンリーは気配消して言葉少ない感じだったけど、アロイジウスは話題を向けたりして気を遣ってくれてる。


「ケイトリヒがいちばん気に入った授業はなんだい?」

「うーん、しょくぶつがく!」


「へえ、植物学。どうしてだい?」

「おともだちができてね、いっしょのグループでおはなししながら勉強すると楽しいの」


アロイジウスがチラリとスタンリーを見る。


「シュペヒト領男爵子息のリヒャルト・ギーアスター、シュヴァルヴェ領ゼーバッハ男爵の後援で入学したヘルミーネ嬢、ゼーレメーア領の平民、ディーデリヒ・バルトの3名です」

スタンリーが補足すると、アロイジウスはふむ、と考え込んだ。


「シュペヒトにシュヴァルヴェ、旧ラウプフォーゲル籍か。ゼーレメーアはもともとラウプフォーゲル寄りだから問題ないだろう。しかし平民が2人、しかも女性もいるのか。……大丈夫なのか?」

「全員、私と同じ12歳です。ヘルミーネ嬢含め、生徒は皆ケイトリヒ様のことを愛くるしい弟を見るような目で見てますので、問題ないかと。それに彼女はリヒャルトと正式にお付き合いしています」


「えっ!? そ、そうなの!?」

「そうですよ。それがあるからこそケイトリヒ様に近づくのを我々が許しているようなものです。彼女は磨けばかなりの腕前の魔導士になりそうですので、男爵子息のリヒャルトにとってもよい伴侶となるでしょう」


知らない間に友達が精査されてたよ。


「で、残りの1人のディーデリヒとやらは」

「魔導具づくりの腕前を買われ、ゼーレメーア領主が直々に後援している生徒です。今はリヒャルトに懐いていますが、おそらくケイトリヒ様とは話が合うかと。成績次第ではユヴァフローテツの研究所へ引き込むことも考えています」


え。し、知らない間に友達が人材判定されてたよ。

うちの側近たち、抜け目なさすぎじゃない?


「それはゼーレメーア領主に仇なす行為にならないのか?」

「ケイトリヒ様と……いえ、ラウプフォーゲルとのつながりができるのです、歓迎しないとなればその領主は余程の愚鈍でしょう」


アロイジウスの懸念に、スタンリーが挑発的に答える。なんだかアロイジウスとスタンリーって仲悪い? いつもなんだかピリピリしてる気がする。


「にいに、なんでおこってるの?」

「怒っていませんよ。もしもゼーレメーア領主が我々の判断に横槍を入れてきたら、と想像して少し攻撃的な口調になってしまいました。アロイジウス殿下、失礼しました」


「……いや、構わない」


アロイジウスは何か考え込むようにして周囲を伺う。スタンリーの態度に腹を立ててるわけではなさそう。何を見てるんだろう……? 自分の側近たち?


「あれ、アロイジウスあにうえ。そういえば、側近のかおぶれがかわりました?」

「ん? ああ、よく気がついたね。父上の許可を得て、私自身で側近を選んだんだ。学院に連れてきているのは、全員新しく選んだ側近だよ」


以前ペシュティーノを罵倒した側近がいない。名前は忘れたけど……なんだか嫌な感じがするヒトだったから、連れてこなくてよかった。


「ビューロー、アロイジウスあにうえのほさかんは」

「はい、今日にでも数名連れてまいります」


「補佐官?」

「学院の時間割を管理する、学院での執事みたいなものですよ。私も1人、担当を付けてもらいました。クラレンツとジリアンは同じ補佐官を付けています」

「ああ……」

「うん、まあ」


ここで突然、レオ特製のスフレチーズケーキを頬張ってホクホクしていたクラレンツとジリアンの顔が曇る。さては……。


「クラレンツあにうえ、ジリアンあにうえ。ベッカーはきびしいでしょ」

「えっ」

「な、なんだよ知ってたのか!?」


「んん、なんとなくそうなんじゃないかなとおもってた」

「……なんで教えてくれなかったんだ」

「クソッ、俺としたことが見誤ったぜ……アイツはほぼ父上だ! あれだ、脳筋だ!」


「ははは、そんなことまで察するなんて、ケイトリヒはヒトを見る目があるんだね。ほぼゲイリー伯父上なんて、ジリアンは気が休まらないだろう」

「……アロイジウス兄上、クラレンツもですが、ジリアンは少し気を引き締めてもらったほうがいいですよ」


「お、お、おいエーヴィッツ。どういう意味だよ!」

「エーヴィッツ、チクる気か!? そうなったら俺も実戦戦術学での一件を黙ってられねえなあ〜?」

「……クラレンツ、キミといっしょにしないでくれ。その件は、すでに養父様に報告済みだ。おそらく父上のお耳にも入っているはずだろうから、脅しにはならないよ」


「おいおい、さっそく厄介事でも引き当てたのか? ジリアンとクラレンツはともかくエーヴィッツは一体なにがあったんだい?」

「アロイジウス! 俺とクラレンツはともかく、ってなんだよ!」

「いやともかくだろー。エーヴィッツは優等生だからなー」

「クラレンツあにうえ、そこなっとくしちゃだめ」


わいわいと盛り上がってしまったが、クラレンツ、ジリアン、エーヴィッツの3人が共通で遭遇した厄介事というのは、要約すると中央貴族関連のもの。


ジリアンとクラレンツは中央貴族からの安い挑発に安易に応戦してしまい、クラレンツなんかは手を出す直前だったそうだ。エーヴィッツはといえば、平民の生徒へのいじめじみたイジりを口頭で注意したところ、注意した相手が中央貴族の子息だったようで面倒な仕返しにあったのだそうだ。


「正々堂々と手袋を投げつければ良いものを、姑息なんですよ。授業で使う器具を独占して僕にだけ渡さないようにしたり、僕が発表しているときにクスクス笑ったり。不快で仕方ないのですが、あまり事を荒立てるのもどうかと思って大人しくしていたんです。そしたら調子に乗って授業終わりにすれ違いざまに足を掛けられて……転びそうになったんです」


え、それは手を出したこととかわらない。やりすぎだ。パッとペシュティーノを見ると、なんかコクリと頷いた。よくわからないけど通じたっぽい。


「エーヴィッツ様、その件について教師には告発なさいましたか?」


ペシュティーノが動いた。


「えっ? いえ、教師にはしていません。足を掛けてきた生徒に少し強めに怒鳴っただけで……そういう場合、どうするのが正解だったのでしょうか」

「実戦戦術学の授業ということでしたら実技はないので、護衛はいなかったのですね。エーヴィッツ様に無礼を働いた生徒の名はわかりますか?」


「い……いや、3年生の生徒で、ファイフレーヴレ第1寮という事しかわからない。僕が助けた生徒が何やらボソボソと『マイト男爵』『ヴァンニゲッタ高官』と呟いていたが、おそらく私怨と踏んでいる。その生徒もあまり……うまく喋れないようで」


「マイト男爵に、ヴァンニゲッタ高官……確か反ラウプフォーゲルを掲げる『共和国派』貴族に名を連ねる法服貴族に、長らく汚職の疑いがある関税管理局の副長官ですね。しかし3年生にもなって基礎学科のひとつである実戦戦術学の教室にいるとなると、さほど優秀ではなさそうです」

ペシュティーノがチラリとスタンリーを見ると、スタンリーも頷く。


「マイト男爵は共和国派の中でもクレール侯爵派ですね。最も反ラウプフォーゲル色の強い一派です。ヴァンニゲッタはクレール侯爵の資金源と言われるファノール商会を優遇した罪で何度か告訴されていますが、その度に証人が消されるというきな臭い人物です」


アロイジウスもエーヴィッツも口をポカンと開けてペシュティーノとスタンリーの会話を聞いている。


「す、スタンリー。キミは中央貴族のそんな細かな情報まで調べているのか?」

「はい、中央貴族の情勢と犯罪系は私の担当です。資金繰りの詳細と全体の金の流れはガノが担当で、軍事、武力面はジュンが徹底的に調べています」


まあ、実際に調べてるのは主に精霊なんだけど。はっきり言って、俺の側近が持つ情報は帝都の貴族でも知り得ないほどに深く詳しく、心理面まで暴くほどに赤裸々な情報だ。

表に出そうとするとなかなか証明しづらいけど、弱点を探ったり次の一手を読むにはかなり役に立つ。


「実戦戦術学ですか……ケイトリヒ様、エーヴィッツ様とご一緒に授業を受けられてはいかがですか?」

「ん? いいの? エーヴィッツあにうえといっしょにうけるー!」

「え、ペシュティーノ、ケイトリヒも実戦戦術学を受けるのかい? あれは騎士か魔導士になる者がとる学科だけど、いいのかな」


「僕、まどうしになるかもしれないよ?」

「いや、それはきっと父上がお許しにならないと思うけど……」

「知っておいて損をするような学問はありません。今は形だけですが、ケイトリヒ様はいずれ魔導騎士隊(ミセリコルディア)を率いることにもなるでしょうから」


エーヴィッツのカップがカラなのに気づいて、ペシュティーノが慣れた手付きでお茶を入れる。


「チーズケーキはお口に合いませんでしたか? ショコラのムースケーキもございますよ、いかがですか」

エーヴィッツはスフレチーズケーキを一口しか食べていない。他のあにうえたちのお皿はもうすでに空だ。


「いや、とても美味しいよ。少し喋るのに夢中になってしまったみたいだ」

「えーショコラもあるの! 僕たべたい!」

「俺も!」

「俺もー!」

「ショコラ……シュヴァーン領が売出し中の、カカオの加工品だね? たしかあれはとても苦いものだと聞いているけど」


「アロイジウス兄上、情報が古いぜ。いや、レオのレシピが最新すぎるのか。レシピが帝国中に知られれば、あのカカオってやつは相当売れるはずだ! なあクラレンツ!」

「ああ、なにせめっちゃ美味いもんなあ。勉強の途中で1片、2片食べたらなんかスッキリする気がするし」


まあそれはカカオというより、お砂糖の効果なんだけどね。


不穏な話題は意図的に封印して、それからはお食事の話題に花が咲いた。

レオのレシピが大人気で俺も嬉しいよ!


アロイジウス兄上の歓迎会にもなる夕食のメニューは何だろうなー? 楽しみ!



――――――――――――



「ジュン。急遽ですが、シフト変更です。3日後の世界史学を実戦戦術学に変更し、エーヴィッツ殿下とご一緒に授業を受けます。その日はパトリックとガノの予定でしたが、ジュンとガノに変更します」


「承知しました」

「おう、わかった」

「承知しました……が、差し支えなければ後学のために変更の意図をお聞きしてもよろしいでしょうか?」


ペシュティーノが椅子に座り、両袖机(ペデスタルデスク)に置かれたシフト表を挟んでガノとジュンとパトリックが横並びに立っている。ケイトリヒの発案で作られた「シフト表」は少ない護衛で効率よく任務と休暇を取らせる素晴らしい案だ。

おかげで全員が任務とは別に余暇と鍛錬、そして様々な外部活動を補佐することができている。


「エーヴィッツ殿下が学ばれている実戦戦術学の教室では、帝国の中央貴族の共和国派が幅を利かせているようです」


「なんと! 共和国派といえば、ラウプフォーゲルからすれば敵ですよね!? そこにケイトリヒ様を放り込むのですか!?」

パトリックは大げさに驚いた声を上げるが、ガノもジュンもペシュティーノも何故そのように心配するのかわからないというほど冷静。


「正確に言えば、ケイトリヒ様を放り込むのではなくジュンを送り込むのです」

「はあ……?」


パトリックはよくわかっていないようだ。


「まあ、パトリックにはできないことを俺がやるんだよ」

「そんな、ちゃんと教えてくださいよ!」

「ペシュティーノ様、彼も護衛であり側近です。教えるのは構わないのでは? ただ、パトリックは立場的にジュンと同じことはできない、とだけご理解いただければ」


「……いいでしょう。パトリック、貴方たちはケイトリヒ様の側近でありラウプフォーゲルの騎士でもあります。ラウプフォーゲルの希望の星たるケイトリヒ様、並びにファッシュ一族の星たちを武力的にも政治的にもお守りするのが使命。それはわかりますね?」


「ええ、もちろんです! 私はケイトリヒ様にお仕えしておりますが、兄殿下たちもついでにお守りする所存です!」


「ついでに……まあ、その程度で構いません。さて、本題ですが。この魔導学院は長らく中央の貴族と帝国魔導士隊(ヴァルキュリア)、さらには官民、議会と商会。子息や令嬢の交流を表向きに掲げてあらゆる汚職と悪しき癒着の温床となっています」


「えっ!? そ、そうだったのですか……!? し、しかし生徒たちはそんなコトは知らないはずです、皆真摯に勉学に取り組んでいます!」


「そう、そこが問題なのです。明るい未来を思い描いて真面目に勉学に取り組む生徒たちを食い物にする大人がいるということです」


「そんな……許せません」


「私達も同じ気持ちですよ。そして皇帝陛下も同じお気持ちです。ケイトリヒ様が非凡な才能を示され魔導学院に入学を命令されたことはご存知ですね。ラウプフォーゲルの寵児であるケイトリヒ様のご入学によってラウプフォーゲルが魔導学院に介入し、帝都の汚職と癒着を払拭することを皇帝陛下は暗に望んでいらっしゃいます」


「はあ……ええっと、それで、我々は何をすれば?」


「オメーは何もすんな。どちらかというとオマエはラウプフォーゲルより王国寄りだろ、ややこしくなるからそういう面倒事には首を突っ込まないこと、これを守れ。いいな?」


「ええ〜! そんなぁ! 仲間はずれじゃないですかぁ!」


「出自を考えれば仕方ないでしょう。パトリックにはパトリックにしかできないこともあります。そのためには、くれぐれも中央とラウプフォーゲルの(いさか)いには触れぬように」


ガノの説明で渋々了承したパトリックだが、まだ疑問があるようだ。


「それじゃあ、我々……ではなく、ジュンは何をするんですか?」


「知りてぇのか? あんまいい話じゃねえぜ」

「知りたいです! 側近間の連携は必要でしょう? いつまでもお客様気分で接されてしまっては私も困りますから」


ペシュティーノは短いため息をついて、ジュンに頷く。


「ん〜……まあ、なんつーか、乱暴に要約すると、ウゼェ共和国派寄りの貴族のガキを正当な理由で2、3人ほど公開処刑する、って算段だ」

「ちょっと、本当に乱暴な要約ですね」

「ジュンに説明させた私が間違ってました」


ガノとペシュティーノがすぐに突っ込むが、パトリックは驚きのあまり目を丸くして言葉を失っている。


「こ、公開処刑というのは……言葉のまま……ですよ……ね?」


「そーだよ、衆人環視の中でズバッと。いくわけよ。一応、俺たち側近には全員、御館様からその権限を預かっているっていうテイなんだぜ。だからオマエがやっても本当は構わないんだけど、ちょっと政治的にアレだからよ、俺が適任ってことよ」


「……」

「……」

「……はあ……なるほど……なるほど!! つまり見せしめですね! ラウプフォーゲルの下で好き勝手はさせないという、意思表示ですね!」


「そそ! そーゆことよ!」

「そのような作戦が皇帝陛下の容認の元で成されるとは、やはり帝国の政治は苛烈にして効率的、無駄がありません! 陰なる蛮行に正当なる処刑で応じるとは!」


「何言ってっかよくわかんねーけど、オマエなかなか話の分かるヤツだな!」

「実のところジュン殿の言葉は4割ほどわかりませんが、私も貴方の冷酷なまでの任務遂行能力に感服いたしました!」


なんだか妙な化学反応が起こってパトリックとジュンが打ち解けたようだ。


ガノとペシュティーノは奇妙なものを見る目で彼らを見ると、お互いが同じ顔をしていることに気づき苦笑いした。

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