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1章_0007話_ラウプフォーゲルの王子 1

俺の部屋のドアの前に、5人の戦士……じゃなくて側仕えと、メイドと、お針子長が仁王立ちしてちっちゃな椅子に座る俺を見下ろしている。

その眼は真剣そのものだ。


「お食事のマナーは」

「カトラリーの大きささえ合っていれば完璧です」


「お召し物は」

「ご覧のうえで不満があって?」


「……御髪はもう少し整えたほうが良いのでは?」

「何を仰います! この自然なふわふわ感がたまらないのではないですか!」


「ご挨拶は」

「完璧です」


「お針子長からみて、いかがですか」


何の会話だろう……と思いながらも、ペシュティーノの口調は真剣だ。

俺も黙って聞いている。

お針子長のディアナは、インパクトのある大きな目を攻撃的な猫のようにスッと細め、口元をヒクつかせたかと思うと、地を這うような低い声で答える。


「……かわいい」


「ええ、そうですわよね、ディアナ様! 今日は特別かわいいですわ!」

「さすがお針子工房のお召し物です! ケイトリヒ様のかわいらしさが存分に活かされた素晴らしいデザイン!」

「どうしましょう、抱きしめたいわ!」

一斉にメイドたちから黄色い声があがり、ペシュティーノも満足そうに頷く。


これ、何の会?


「御館様と、夫人とご兄弟との晩餐会に不足はありませんね」

「強いていうならばお食事の内容と、ケイトリヒ様のお腹に不安がございますわ」

「その点は、量を大人の10分の1にするよう本城のシェフに通達済みです」

「大丈夫かしら……本城のシェフは常に御館様や兄殿下のメニューを担当してらっしゃるから、ケイトリヒ様のお好みに合うか」


「僕、嫌いな料理ないです」

俺が不満げに言うと、ペシュティーノとメイドが全員ちょっとジト目になった。

あれ? なんで?


「たしかに嫌い……ではないのかもしれませんけれど」

「ゲーしてしまう料理は割とありますよね?」

「私が存じ上げているだけで脂っけの強いモノ、処理の甘い肉、香味の強い野菜、土の匂いがする野菜、生臭い魚……こう考えるとケイトリヒ様は鼻がよろしいのかしら?」

「一口食べて無理だと思ったら、どうするか覚えてらっしゃいますね?」


「テーブルの下でチョキ」

「よくできました」


俺とペシュティーノとメイドたちの会話を聞きながら、ディアナは眉間にシワを寄せて低く唸るように「かわいい……」と連呼している。

それ、かわいいっていう顔じゃないけど大丈夫?


「もう9刻半(19時)になります。そろそろ参りましょう。貴女たちも、準備はよろしいですね」


「お針子長直々のドレスとエプロンです、不足ありません」

「ペシュティーノ様もケイトリヒ様の側近として素敵ですわ」

「王子付きのメイドとして恥じぬ振る舞いを致します」


ディアナは大人たちの会話を聞いてふと我に返り、3人のメイドに向かって「うむ」と言って頷いた。どういう感情? ディアナのこと、ちょっと理解したつもりになってたけどやっぱりわかってないかもしれない。


「では私が抱っこを……」

「お待ちなさい、これを」


ペシュティーノが抱き上げようとしたところをディアナが強引に止め、いままさに俺を抱えようとしていたその左腕にふわっふわの内側ボアがついたマントをばさりと乗せる。

……とくに寒くないですけど?


「本城にいらっしゃるのは筋肉の塊のような御館様と護衛騎士たち、そして成長期の少年である兄殿下たち。夫人のアデーレ様は夏でも冬用のタイツを履いて晩餐会に臨むことを存じております。ケイトリヒ様には必ず必要になるでしょう。お召しになる必要はございませんが、お持ちください」


おお、ディアナがこんなに長文喋るの初めて聞いた気がする! 晩餐会が催される本城の食堂は、父上の体感温度を基準に室内温度が調整されるということか。西の離宮では常に俺の適温で調整されているから気にならないけど、今は夏真っ盛りだった。


「ケイトリヒ様は寒がりですもんね」

ララが優しく抱き上げて、ペシュティーノの左腕のふわっふわのボア生地のマントの中にちょこんと俺を座らせる。


「……かわいい」


ディアナは俺を見ると、また低く唸ることしかできなくなってしまった。


実は異世界の大人の魂が入ってる、とペシュティーノにバレたはずなのに。

俺の生活は1ミリも変わってない。

むしろ前よりさらに可愛がられてる感、ある。


ペシュティーノと2人きりの時の会話のときだけは、以前より子供扱いされることが無くなったかな? くらいしか実感がない。

相変わらずトイレもお風呂も食事も、大人の世話がないとできないお坊ちゃまだ。

もしかしてサイズのせい? やっぱり体が小さいから? そうだよな。きっとそうだ。



ペシュティーノに運ばれて食堂に入ると、その場にいた人物の注目を集めた。

アロイジウス兄殿下、クラレンツ兄殿下、カーリンゼン兄殿下にアデーレ夫人、そしてたくさんの使用人たち。

俺はペシュティーノに促されるまま夫人のアデーレに挨拶し、兄上たちにも続けて挨拶する。アデーレ夫人は初めて見るけど、ふとっちょ兄のクラレンツとそっくり。でもお化粧の力かお手入れの結果か、肌は吹き出物だらけのクラレンツよりもツルンとしててキレイだ。鮮やかな赤毛は兄弟の誰とも似ていない。本当に髪色って遺伝じゃないんだ。


「ケイトリヒ、以前会ったときよりもだいぶ健康的になったね。よかった、あのとき見た様子では少し心配だったから安心したよ」

アロイジウス兄上が兄らしい笑みで俺の挨拶を受け入れる。


「あのときはお部屋からバルコニーまでも歩けないくらいでしたが、今では歩けます!」

俺がニッコリ笑って応えると、アロイジウス兄上もつられてニッコリ笑ってウンウンと頷いてくれた。優しいお兄ちゃんってかんじ!


「たしかに前あったときは、今にも死にそうだったもんな」

「あ、兄上……」


意地悪そうなふとっちょクラレンツが見下すような姿勢で俺に悪態をついてきたが、俺はニッコリをキープ。クラレンツの同母弟、カーリンゼンは兄とそっくりのふとっちょではあるが気の弱い少年らしく、兄の不遜な態度に落ち着かないようだ。


「クラレンツ兄上、お見舞いの品ありがとうございました。あれからすっかり元気になりました。カーリンゼン兄上も、はじめまして。ケイトリヒです」


「は、はじめまし……」

「おいカーリンゼン、こいつに挨拶する必要ないぞ。どうせすぐ……」


クラレンツが何か意地悪を言いかけたところで、「御館様の御成にございます」と食堂に朗々とした声が響いた。俺はクラレンツの前から颯爽とペシュティーノに連れ去られ、自分の席の横に立たされる。


相変わらず2人の騎士を後ろにつれて早足で現れた父上は、以前の肩当てみたいなものはつけておらずマントだけだ。それでもゴージャスな宝石のついた装飾品に重厚な刺繍が施されたお召し物、立派なお髭と鋭い眼光は威厳の塊みたいに威圧感がある。


「楽にいたせ。今日は幼子のケイトリヒがいるのでな、和やかにいこう」

父上はお辞儀をしていたアデーレと兄殿下たちにそう言って顔を上げさせ、立ったまま俺の方に向き直る。


「どれ、ケイトリヒ。今日は随分かわいい服だな。前よりも少し肥えたか? おいで」

以前部屋でしたように、控えめにこちらに両腕を広げた。控えめ過ぎて子供は気づかないんじゃないかと思う「おいで」ポーズ。でも今回は明らかに「おいで」と言われた。

えっ。これは〜……行って良いのかな?


ペシュティーノがそっと背中を押すので、オッケーってことだよね!


「ちちうえ」


ポテポテと手を広げて歩み寄るとサンタクロースみたいに笑いながら抱き上げてくれた。


「ほっほ、よしよし。相変わらず軽いな。食事はどうだ? ちゃんと食べているか?」

「黒パンをのこさずたべられるようになりました! ポトフはカローテ(にんじん)が好きです」


カローテ(にんじん)が好きな子供が存在するとは驚きだ。なあナイジェル?」

「ラウプフォーゲルのカローテ(にんじん)は甘いですから、子供は存外に好きですよ」

後ろに控えていた父上よりも少し小柄な男性が、笑いながら言う。

騎士隊長のナイジェルさん。魔導訓練場で無礼な魔術師をシバいたおじさんだ。

父上はご機嫌な様子で俺を赤ん坊のようにゆさゆさして、椅子に座らせてくれた。


「今日の晩餐会はナイジェルも同席する」


長いテーブルのお誕生日は上座らしい。父上がそこに座ると、他の全員がそれを合図に座る。食堂奥のテーブル長辺には父上に一番近い席から順にアデーレ、アロイジウス、クラレンツ、カーリンゼンと並んでいる。手前側はナイジェル、そして俺の2人だけ。俺の目の前の席はアロイジウスということになる。

アデーレはその席順がやや気に入らないのか、俺のほうを嫌そうに睨みつつ、隣のアロイジウス兄上のこともチラチラ睨んでる。忙しいね。

俺の隣に座ったナイジェルさんが、俺をみてニコリと微笑むので俺も満面の笑みで応えておいた。


この世界では、コース料理というわけではないようだ。

中央に巨大なクローシュ(銀色のフタ)つきの大皿がいくつか並べられ、給仕がそれを次々にひらくとご馳走が現れる。


「おお、これはすごいですな! グロースレーですか、美味しそうです」

「昨夜の帰りに私が仕留めたものだ。新鮮だから美味いぞ」


アデーレも先程の不満げな顔を一転させ、兄上たちも立派なお肉の塊がうず高く盛り付けされたご馳走に喜色を浮かべている。

グロースレーって、たしか……鹿みたいな魔獣と聞いたような。

前の世界風に言うと、狩猟肉(ジビエ)のグリルといった皿だろうか。表面にはびっしりと胡椒がまぶされ、ミディアムレアに焼き上げられた肉はとても美味しそうだ。

メインのお肉の周囲には、卵を荒くマッシュしたようなサラダにトマトのざく切り、鮮やかな葉野菜などがキレイに盛り付けられている。宮廷料理〜ってかんじ!


シェフコートをまとった給仕が席に一人つき、それぞれのお皿に丁寧によそってくれるのだが俺の席はその役はペシュティーノ。きれいな所作で俺の大きな皿にお肉ちょっとだけと野菜を少し、卵サラダっぽいものを少し多めに乗せてくれる。

ペシュ、さすがわかってる! 卵サラダ食べたいってテレパシー伝わっちゃったかな。

肉は確かに美味しそうだけど、俺にはちょっとまだハードルが高い。


「ペシュティーノ、ケイトリヒにもっと肉を食べさせろ」

父上が俺の皿を見て不満そうに言ったので、俺もペシュティーノもギョッとなってしまった。あの、僕、多分……既に今のお皿で精一杯だとおもう……!!


「大きくなるにはお肉を食べないとですよ」

アロイジウス兄上が優しさ100%で追い打ちをかけてくる。俺にはこのピンポン玉大の肉でも、ギリギリ食べ切れるかどうか。しかも鹿に似た魔獣ということは、おそらく硬いんだと思う。


「今はまだお肉を食べるために大きくなってるさいちゅうなので、無理はしないようにと癒術士からいわれています。僕の食事量と好みは、ペシュティーノがしっかりはあくしてくれてますから、大丈夫ですよ!」

俺が笑顔で応えると、父上は「そうか」と言って引き下がった。アロイジウス兄上も、俺のしっかりした受け答えに感心したようだ。


「その量では、3歳の子供でも満たされませんわ。体調は本当にもう大丈夫なの?」

アデーレが心配を装って聞いてくるが、やはりどこか棘がある。


「からだが小さいので一度にたくさん食べられませんが、いまは1日に8食たべてます。総量でいうと普通の()()()子供と同じくらい食べられますよ。ご心配ありがとうございます、アデーレ様」


俺の受け答えを見て父上は満足げに、アロイジウス兄上も面白そうな顔をした。

アデーレは意地悪ママのように鼻を鳴らしてそっぽを向く……かと思ったが、なぜか複雑そうな表情をして俺を見ていた。あれ、もしかして本当に心配されてた?


「ケイトリヒ、家庭教師をつけたそうだね。一番好きな科目はなんだい?」

「歴史も地政学も古代言語もきょうみぶかいですけど……一番は魔法陣学です!」


「魔法陣学だって!? ろ、6歳で!? あれはかなり難しい学問だと聞いているけど……いや、それに地政学に古代言語なんて、ちょっと……早すぎないか?」

アロイジウスは驚き、クラレンツは顔をしかめ、カーリンゼンは尊敬の眼差し。

そしてアデーレは驚きから一転してペシュティーノを睨みつけた。なんで?


「魔導学院の主席が世話役ですもの、魔法陣学くらい指導できますわね。御館様、クラレンツとカーリンゼンにも家庭教師をつけてくださいな」


「新しい教師を雇うならまずはデリウス卿の授業を受けなさい。ケイトリヒはデリウス卿の授業を2ヶ月受けてから、高等教育に入っていいとお墨付きをもらったぞ」


え、クラレンツはデリウス先生の授業を受けてない? 読み書き算術と基本的な社会常識くらいしか習ってないけど、まさかそれもろくにできない……わけじゃないよね、公爵令息だもの、それくらい習得してるよね?

アデーレの咎めるような視線から逃れるようにクラレンツは目の前のお肉を一生懸命ナイフで切っている。……まさかね?


「そうか、きちんとデリウス先生の総合授業を受けての高等教育か……ケイトリヒはお勉強が好きなのかい?」

「はい、ずっとベッドの中でしたから。本を読みたくて、いっしょうけんめい文字を覚えました。もっとたくさん本を読みたいです」


父とアロイジウス兄上は満足そうに頷き、アデーレはプイと顔を逸らす。クラレンツは現実逃避か、お肉に夢中。カーリンゼンは心配そうに兄と俺とアデーレを交互に見つめる。


「おまけにケイトリヒ様は小柄な体格に見合わないほど高い魔力をお持ちです。ラウプフォーゲルから大魔導士が生まれるかもしれませんぞ、楽しみですな!」

騎士隊長のナイジェルさんが、完全にレアな俺の腕ほどもある肉をぺろりと口の中にいれて「これは新鮮ですな!」とか言いながら、わははと笑う。ほぼ噛んでなくない?


「……そうだ、琥珀の離宮からも見えたよ。すごい魔導だった。ケイトリヒは、その……もしかして、魔導士になりたいのかい?」

アロイジウス兄上が心配そうに尋ねる。魔導士になるってそんな心配されることなの?


「わからないです。魔導士がどういうものなのかもよくわからないし、これからいっぱいお勉強して、どうすればラウプフォーゲルの為になるかいっぱい考えます」


「……! そう、ラウプフォーゲルの為に、か! よかった」

アロイジウス兄上はどこかホッとしたように食事を続けた。

ん? もしかして、養子皇子になることを心配されてたのかな? いや、アロイジウス兄上は俺が癒やしの魔法を使えることは知らないだろうし……一体何を心配してたんだろうか。


ちょっと寒気を感じて足先をスリスリしていたら、ペシュティーノがふわふわマントを膝にかけてくれた。あったかーい! なんて気が利くの!

やっぱり寒いんだね、この部屋。


「ケイトリヒ、グロースレーの肉はどうだ、美味いか」

父上がおもむろに聞いてきてギクッとしちゃう。さっきから卵サラダとトマトっぽい野菜しか食べてないんだよね。ちょっと血がにじむレアっぽい肉が苦手でして……。美味しそうだとは思うんだけどね、見た目は。でもこの世界の肉ってのは、精肉の精度が前の世界と違うのか、食べるとだいたい臭みがやばい。


「まだ少ししか食べられてませんけど、美味しそうです」


表面の胡椒は何粒か食べたから、嘘じゃない。胡椒、オイシイナー。

でもさっきからチラチラ俺の皿を気にしてるので、多分食べてほしいんだと思う……父上が自ら狩ってきた獲物だもんな。新鮮って言ってたし。

前世でも、馬刺しは新鮮だと美味しいって話を聞いたことがある気がするし。


事前に練習したとおり、口に入る限界量の4分1ほどの量で。

体積にすると、人差し指1本分くらいが丁度いい……と。

俺の手には大きめのナイフとフォークを優雅に使い、グロースレーの肉を切り分けて父上がこちらを見ていることを確認してお口にイン。ちょっと大きかったかも。


こ、これは……!


熱くも冷たくもない肉! 噛むと何かの汁か液かがにじみ出てくる、肉! 前世では嗅いだこともない、いや、嗅いだことがあるとしたら動物園って感じのケモノ臭!

やっぱこれかー! こうなるよねー! うーん! どうしよう!!

テーブルの下でチョキ! 無理! 今は口の中のものをどうにかしないと!


「んふ」


噛めば噛むほど……口に広がる野生のフレーバー。大自然の香り。

厳密には全然噛めてない。肉の繊維は全然ほぐれない。いや今はほぐれないほうがいいのかもしれない。何せ色々しみだしてくるからね。鼻で呼吸はしない、しない、しなければ感じない……!


「ング」


もう無理。口の中から消すには飲み込むしかない。

本当は追い出したいけどそれはできない。貴族の王子様だからねっ!!


「ん、ん……んグッ」


たぶん、俺いま顔色悪い。


「ふう……」


ようやく肉の塊が喉元を通り過ぎ、思わず漏れたため息は野生のフレーバーの残滓。

ペシュティーノがサッと俺の手元にスープカップを差し出してくれたのでそれを飲むと、ようやく落ち着いた。やさしい玉ねぎ味。

落ち着いてようやく思い知った。事前のサイン「テーブルの下でチョキ」は、そもそも俺に余裕がないと無理だということを。


「……あまりケイトリヒの口には合わぬようだな」

「僕にはまだ早かったみたいです」


さすがに嘘はつけないのでやんわり素直に答えると、父上はちょっとしょんぼりなさってしまった。子供舌でごめん。


ペシュティーノが取り分けてくれたほんのちょっとの料理の他にフルーツを数種類。たっぷり2時間かけて食べ、晩餐会は和やかに終わった。実はグロースレーのほかにもお肉は色々あったのだが、どういうわけかペシュティーノが取ってくれなかったということはオススメできないメニューだったんだろう。個別に出てくる小鉢みたいなメニューは、本当に大人の10分の1くらいに調整されていた。


父上がもう子供は部屋に戻りなさい、という一声を合図にして晩餐会は解散だ。ペシュティーノに抱っこされて食堂を出ようとすると、アロイジウス兄上から呼び止められた。


「ケイトリヒ、少しいいかい? もし……」

「アロイジウス様、何をお話することがありましょうか。お部屋に戻りますよ」


兄上の言葉を遮ったのは兄上の側近だ。整髪料か油かしらないが茶色の髪をぺったりと後ろに撫で付けて、金細工のようなメガネをかけた神経質そうな男性側近。

いくら主人が子供でも、側近は主人の言葉を遮っちゃいけないんじゃないのかな。


兄殿下に呼び止められたので抱っこから床に立たされた俺が、不思議そうにその側近をまじまじと見ていると、兄上はそれを見て思い出したように側近に向き直る。


「無礼者、其方は私の主人のつもりか?」

「なっ……め、滅相もありません!」


「では控えていろ」

「はい、しかし……!」


「黙れ」

すぐには引っ込まない側近を、アロイジウス兄上は思いっきり睨みつけた。

アロイジウス兄上は側近とうまくいってないのかな……。


「すまないね、ケイトリヒ。実は先程の勉強の話なんだが、私も今、地政学と歴史学を学んでいてね。授業がない日に、一緒に本を読まないか? ケイトリヒがどこまで習っているか、歴史についてどう考えているか知りたいんだ」


それは……一緒に勉強しようというお誘いかな?

アロイジウス兄上はすごく真面目な子みたいだ。友だちがいるのが当たり前だった前世の学校と違い、比較対象のない家庭教師は刺激に欠けるとおもっていたところだ。


「いいんですか、兄上! うれしいな! いっしょにお勉強したいです!」

俺が喜んで見せると、アロイジウス兄上も嬉しそうに笑った。


「私が住む琥珀の離宮は、先代は父上の兄であるゲイリー様の離宮だったのだ。そのせいか本が少なくてね、もしケイトリヒが本を持っているようなら、持ってきてもらえるとありがたい」


父上の兄ということは、伯父上か。今はどこにいるんだろう。

俺が訪れる形になるのか。喜んだはいいけど、ちょっと面倒だな。というか多分……外出となるとペシュティーノが難色を示しそうだ。


「え、えっと……」

「ケイトリヒ様、アロイジウス殿下とお話してもよろしいですか?」


俺が口ごもっているとペシュティーノが跪いて声をかけてきたので、バトンタッチ。


「王子殿下がお楽しみにされている中、このようなお話は大変心苦しいのですが……ケイトリヒ様はまだお体が弱く、長い時間の外出はもう少し大きくなってからお願いしたく存じます。急に具合が悪くなった際に、琥珀の離宮の使用人では対応ができない可能性がありますゆえ、何卒ご容赦を」


ペシュティーノが丁寧に言うと、アロイジウス兄上はどんどんしょんぼりしていった。

「そ、そうか……すまない、無理を言ってしまったようだな」


「下人風情が、王子殿下の申し出を断るとは何たる無礼。貴様のような上辺だけの帝都人が、ラウプフォーゲルで大きな顔をしていると思うと寒気がする」


「レオナルト、やめないか! これ以上口を出したら、()()謹慎にするぞ!」

アロイジウス兄上の側近らしき、そのレオナルトと呼ばれた男は、憎悪の感情を隠しもせずペシュティーノを睨みつけている。


「アロイジウス様。こちらの殿下はシュティーリ家の……魔女から生まれたご令息です。アロイジウス様とは釣り合いません。さあ、参りましょう」


レオナルトはまだ少年といえるアロイジウスの二の腕を掴み、強引にこの場を去ろうとする。アロイジウスは一瞬、怒りに任せて抵抗するような仕草を見せたが、俺の視線に気がつくと「こいつの言うことは気にするな、またな」と言って渋々従った。


パッとペシュティーノの顔を見つめると、俺の視線に気づいて苦笑い。抱っこされたので耳元でボソボソと話す。


「あの側近の態度はアリですか?」

「いえ。もし今の一部始終を御館様が見ていらしたら、懲戒免職です」


「ペシュはアデーレにも嫌われてるね? なんで?」

「ケイトリヒ様、『夫人』をつけてください。仕方ないです、傍系ですが私もシュティーリの一族なので。アデーレ夫人も中央貴族寄りの領地出身ですが、彼女の家門はシュティーリと長年いがみ合っているゼーネフェルダー領、ゼーネフェルダー家のご出身です」


「僕の母もシュティーリみたいだけど、シュティーリって家門だよね。シュティーリってだけで嫌われるくらい、ヤバいの?」

「ヤバい……が何を意味するのかわかりませんが、まあ旧ラウプフォーゲル地域では蛇蝎のごとく嫌われていることは間違いありませんね。ただでさえ嫌われている家門なのに、ファッシュ家の子であるケイトリヒ様に無体をしたことで特にケイトリヒ様の母、カタリナは……今は魔女と呼ばれています」


「僕は魔女の子?」

「ケイトリヒ様はラウプフォーゲル領主のご令息です」


なるほど。俺に直接悪意を向けてきたのは、意地悪クラレンツを除けば先程のレオナルトが初めてだ。俺自身は半分シュティーリだが、ラウプフォーゲル領主の弟であるクリストフの息子でラウプフォーゲル生まれなので比較的受け入れられてる様子。

母は糾弾されても仕方ないとして、ペシュティーノのことが気に食わないヒトはもしかすると多いのかな? お針子工房でモッテモテだったのに? モテと身内認定は違うか。


「まじょ……母上は、今どこにいるの?」

「それは言えない事になっているのです、申し訳ありません。遠いところにいると思っていてください。あと、母上とは二度と呼ばないでくださいね。もし呼ぶ必要があるときはカタリナ、とだけお呼びください」


母親のことはあまり記憶にないので、ことさら興味はない。毒親をちゃんと社会的に罰しているのならむしろ日本よりも良い社会かもしれない、とさえ思う。


「じゃあ、魔導学院ってなんですか?」

「……魔術の全般を習う、帝国最大の高等教育機関です」


「その主席! ペシュ、すごいんだ」

「いえ、正直に申し上げますと、名前ほど魔術の実力はさほどでもない学校ですよ」


「魔術の実力はたいしたことなくても、成績は良くないと主席になれないでしょ?」

「まあそれは……そうですね」


「ペシュが側近でよかった」

「そう仰ってくださるのなら光栄です」


「……」

「……ふふ」


ペシュティーノはよっぽど嬉しかったのか、俺のふわふわヘアーに鼻を埋めて、頬ずりしてくる。

本城と西の離宮の間の庭園を抜けるピロティは真っ暗で、虫の鳴き声や初めて聞く鳥の声が騒がしいくらいだ。規則的に並ぶ柱に設置されたささやかな照明は全く足元を照らしてくれず、抱っこされていなかったら怖くて歩けなさそうなほど暗い。

そしてここは外のはずなのに全く暑くない。


「ケイトリヒ様は、はちみつの匂いがしますね」

「……」


ペシュティーノに抱っこされているから全然気にしてなかったけど、この通路、暗すぎて怖くない?


「……」


俺は大丈夫でも、ペシュティーノが誰かに狙われたらどうしよう。ペシュティーノを狙うって、どういうやつだろう。ペシュティーノの後釜に座って俺を操りたいやつ? シュティーリ家を嫌ってるやつ? 俺はペシュティーノに守られている。でももし今、誰かに襲われたら誰がペシュティーノを守ってくれるんだろう。


そう想像すると、だんだん怖くなってきてペシュティーノの首をぎゅうと抱きしめる。


「……ケイトリヒ様?」


今は護衛騎士はいない。これから雇うんだけど、今誰かに襲われたら……。


「ケイトリヒ様、どうしました?」


いや、俺にはこの世界の神になれるくらいの魔力がある。多分。

もしペシュティーノが危ない目にあったら、俺が守る。

まだ魔法も魔術もろくに使えないけど、きっとペシュティーノを守るくらいはできるはずだ。そうでなくては神の候補なんて意味も価値もない。

ぐるぐるといろんな事を考えたうえで出たものは、想像以上にオトコマエな結論だった。


ところが、今はそれどころではない。それよりもなによりも……。


「ケイトリヒ様……もしかして、気持ち悪いですか?」

「うん、吐きそう」


俺の言葉を聞いて、ペシュティーノは極力タテ揺れを抑えるようにスススと走り始めた。

すごい技術だ。

主の言葉を遮って主をコントロールしようとする側近と比べると、愛しかない。

もしかすると、あれもまた主に対する忠誠心なのかもしれないけどね。


離宮に着くなりバケツにゲーした俺は、あのクサい塊を飲み込んだときの10倍の苦しみで出した。最後は絞り出す力がなくて喉に詰まりそうになっていたところを、ペシュティーノがバンと容赦なく背中を叩いてくれたおかげてポンと出てきた。

生に近い肉片。もう二度と食わねー。


その後も、ものすごく丁寧にお口を洗浄してくれた。


ペシュティーノの愛情深さと観察力に感謝。

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