5章_0067話_不安と波乱の授業 1
インペリウム特別寮の夕食会のあとの懇親会で、とんでもない爆弾情報が寄せられた。
それはブラウアフォーゲル領主子息、6年生のベンヤミン・ブラウア・ファッシュからもたらされた一言。
「ケイトリヒ王子殿下には申し訳ないことになって……私からお詫び申し上げます」
「へ? なにが?」
「あ……ご存知ないのですか。ケイトリヒ殿下がお見えになったら、絶対に放っておかないだろうと思っておりましたが……ファイフレーヴレ寮のオリエンテーリングに参加されたのですよね?」
「ええ、でも観覧席からちょっとのあいだ演習場をみていただけです」
「ああ、それで……いや、実はナタリーが女学校の入学を急遽とりやめて、魔導学院のファイフレーヴレ寮に入学したのです」
俺の後ろにいた側近たちが、バッと俺たちを見たのがわかった。
空気感でわかった。なんかヒュッって息を呑む音がした。間違いない。
「え」
「インペリウム特別寮への入寮を求めたのですが、入寮は領主の実子か、その配偶者のみに許されるものです。仕方なくファイフレーヴレ寮に入ったのですが……ケイトリヒ殿下にはもうグランツオイレのフランツィスカ嬢に、シュヴァルヴェ領のマリアンネ嬢という最強の婚約者がいらっしゃるのに……」
いやまってそれもちがうから!
「こ、こんやくはまだしてません!」
「しかしあのおふた方であれば、ラウプフォーゲル次期領主の夫人としての資質は立場的にも性格的にも、理想でしょう。ナタリーはワガママ放題に育った困った子です。妙な動きをしないよう、父上から仰せつかっているのですが……もしもご迷惑をおかけしたならば、ラウプフォーゲル公爵閣下に報告される前に、何卒私めにお申し付けください」
ハの字マユがどこか気弱そうに見えるベンヤミンは、背中を丸めてものすごく申し訳無さそうに小さな俺に頭を下げる。
ファイフレーヴレ寮の授業に……別次元の波乱の予感がー!!
これは、ほんとうに時間割をしっかり考えないとやばそう。
ナタリーにつきまとわれるなんて勘弁してほしいから、彼女の時間割も把握しないといけない。そこはベンヤミンにお願いするしかないな。
爆弾情報投下までの懇親会では、ジリアンがファッシュ分寮のスゴイ建築についてべらべらと喋ったり、エーヴィッツが分寮の昼食会に皇帝陛下とラウプフォーゲル公爵閣下がご来訪されたことを自慢したりと平和なものだったんだけども。
ナタリー来襲の話を聞いてからというもの、俺のテンションはダウン気味。
旧ラウプフォーゲル勢力に阻まれてなかなか俺たちに話しかけられなかったその他の領主令息、令嬢たちがようやく機を掴んで話しかけてきた頃には、疲れて眠くなっちゃってた。
「ケイトリヒ王子殿下、私はビブリオテーク領主三男の……」
「私はテアータシュタット領の……」
「わたしは……」
どんどん周囲の声がモゴモゴ聞こえ始めてもう限界。
となりのスタンリーにより掛かるように抱きつくと、すぐに察して抱っこしてくれた。
「ケイトリヒ殿下は生まれつき高い魔力の扱いがまだあまりうまくできず、疲れやすいのです。残念でしょうが、今日はこれで失礼させていただきます」
スタンリーからペシュティーノに手渡されると、もうダメ。
俺の記憶はそこまでだった。
翌朝。
「きのうは衝撃的なはなしをきいたきがするけど、ねむかったから夢かもしれない」
「ケイトリヒ様、これが希望授業申請書です。ナタリー嬢の時間割を入手するまでは、主にグラトンソイルデ寮の授業を選択しましょうね」
朝食時に現実逃避してみたものの、横からズバッとペシュティーノに否定された。
ですよねー。ちょっと無理ありましたよねー。
ペシュティーノが持ってきた平たい木箱の中には、かまぼこ板のようなサイズの薄い木札がたくさん入っていて、それぞれ科目名が記されている。
「これ、なに?」
「魔導学院の全科目の授業工程表です。さすがインペリウム特別寮は全ての授業に参加可能とあって量が多いですね。ファイフレーヴレ第2寮所属だった私のときは、この木札を得るための試験もあったのですが、無条件で選択できるものが多いです」
かまぼこ板を1枚手にとって見てみると裏には授業が開催される曜日が記されていて、自分で時間割を作る際の参考にするためのものみたい。
同じものが4つ、クラレンツとエーヴィッツとスタンリーの分もある。
「あ、調合学。これって3年生からうけられる授業じゃなかったですっけ?」
「インペリウム特別寮生は何年生から何を受けても良いのですよ。ただ、授業についていけるかは自身の努力次第です。身の丈に合わない授業を受けて取り残されては意味がありませんから、授業選択は重要ですよ」
蒸し鶏のハムを頬張ってミネストローネスープで流し込んで、木箱の科目札を1枚1枚あらためていく。
「ケイトリヒ、ちゃんと朝食をとってからにしてはどうだい」
「そうだぞ、そんなの後でだ、後!」
「この白いのなんかスッぺ!! うぇ、なんだこれ!」
ジリアンはヨーグルトがニガテみたい。
「フルーツソースをかけてたべるとおいしいですよ。ケイトリヒ様は、はちみつでよろしいですか?」
スタンリーがジリアンに木苺のコンポートをすすめ、俺には懐から取り出した小瓶を見せてくる。
「うん! はちみつ!」
「えっ、まさかその蜂蜜……ヴァルトビーネのものじゃないか?」
エーヴィッツがめざとく指摘してくる。お目が高い。
「ええ、ケイトリヒ様は食が細くてなかなか栄養がとれないので、お館様が献上品を下賜してくださったのです。味見してみますか?」
「ええっ! い、いいのですか!?」
「俺はいいわ」
「俺も」
クラレンツはあんな体型してたわりに、甘いものがニガテ。ジリアンはよくわかんないけどヴァルトビーネと聞いた瞬間顔をしかめてた。なんだろ、嫌な記憶でもあるのかな。
エーヴィッツはピックに絡めたヴァルトビーネの蜂蜜を口入に入れると、顔をほころばせていた。エーヴィッツは甘いもの好き、と。
「あにうえたちは、ごじぶんで授業きめるんですか?」
「ああ、側近と相談して決めるつもりだよ」
「まあそうだな……たしかに重要だから、誰かと相談しながらのほうがいいかな」
「あ、もし心配ならインペリウム特別寮生は授業計画の補佐役を雇えるから、一度相談してみたらどうだ? 下の寮の離れに、家政学科ってとこがあるからそこで相談できるぞ」
おお、さすがジリアン先輩!
「そう仰ると思って、すでに1人1名ずつ手配しております。学院内でのちょっとした授業補佐なども含めて依頼しておりますので、手ほどきを受けてください。ジリアン様はすでに慣れておいででしょうが、エーヴィッツ様やクラレンツ様は不慣れなこともありましょう。私が全て補佐するわけにも参りませんので、これを機にヒトの使い方を学んでください」
ペシュティーノが慣れた手付きでお茶を淹れながら穏やかに言うけれど、言ってる内容はちょっと厳しめ。まあペシュティーノは俺の側近だからあにうえたちの面倒を100%見るのが難しいのはわかるけどね。
今は魔導学院出身のペシュティーノを、あにうえの側近たちまでもがアテにしてる状況だからちょっと釘をさしたつもりなんだろう。あにうえたちもちょっと気まずそう。
「ねーねー、だれかきたみたい!」
「追い払ウ? おきゃく?」
ヒト型のアウロラとカルが食堂のドアの向こうからぴょこんと顔を出して聞いてくる。
「ああ、客人ですので何もなさらないでください。案内は私達がしますので」
「そっか〜、はぁーい」
「おきゃくカー」
アウロラとカルはすぐに顔をひっこめて、どこかへ行ってしまった。
最近は何をしているのかしらないが、ファッシュ分寮の周囲で飛び回ったり駆け回ったりしている姿をたまに見る。使用人たちは気にしてないようなので、見えてないんだろうと思うけど……。
「……け、ケイトリヒ。あの子たちは、ケイトリヒの側近……なのかい? ずいぶんと小さい子みたいだけど」
「あの子たち?」
「どれのことだ?」
見えてた。エーヴィッツには見えてたよ。
クラレンツがなにかに気づいたように「ああ、あれか」と納得してそれ以上何も聞こうとしない。え、それは逆になぜ!? 何に納得したわけ?
「おいおいおい、あの子たちって何だよ。俺だけ知らない何かがいるわけ!? 俺にはペシュティーノが急に誰かに向かって指示したようにしかみえなかったけど!?」
「え、たったいま来客を告げた子たちがいたでしょう。見えなかったんですか?」
ジリアンはエーヴィッツ以外の使用人やペシュティーノを見るけど、みんなスルー。
「まあそれはおいおい、見えるようになったらご説明します。ジリアン様も含めて、全員着替えたら応接室に集まってください」
ペシュティーノがトレイに食器を乗せて片付けようとしていたところ、木苺のコンポートが少しだけ残っているのに気づいてスプーンでキレイに掬って俺の口元に差し出してくる。条件反射的に口を開けてパクリと食べると、甘ったるい木苺の味。
「んまー」
「今日開催される授業はどれも基礎的なものです。急ぎで受けなければならないものは無いはずですので、今後のためにしっかり考えて時間割を決めましょうね」
エーヴィッツもクラレンツも俺も「はあい」と返事をして、さっさと食堂から出ていく。
「えっ、ちょっとまってさっきの小さい子の話は? いやいや待って待って、俺そういうのニガテなんだよ! 小さい子ってどういうやつ!? なあエーヴィッツ! てかクラレンツもなんで気にしてねえんだよ! どーなってんだ?」
「ジリアン。ケイトリヒの周囲にはな、不思議がいっぱいだ。気にするな」
クラレンツが意味ありげな言葉でジリアンを説得してた。
やっぱり何か感づいてたんだな。クラレンツ、意外とオトナ。
インペリウム特別寮生は、特別寮というだけあって色々と特別だ。
4つの寮の授業を無条件で全教科受講できることもそうだが、入学の概念があっても卒業という区切りはない。他国からの留学生などはその限りではないようだが、基本的に何年生でも学びきったと思えば卒業できるし、学費と寮費が払えるのなら院生として何年在籍しようが問題ない。まあ後者は理由がない限りあまり外聞がよくないので、いつまでも在籍するのは研究者くらいらしいけど。
という話を訥々と説明してくれたのは、インペリウム特別寮家政学科の学長にして筆頭教師、ヘンドリック・ビューロー。父上と来た学院見学のときに、寮を案内してくれた執事っぽいヒト。
実際、特別寮に入る生徒の執事になるようなヒトを教育・育成しているそうだから、いうなればこの学院の「執事長」だ。スタンリーはこの家政学科を学ぶ予定だそう。
「ケイトリヒ様は私、ヘンドリック・ビューローが担当致します。クラレンツ様、エーヴィッツ様、ジリアン様のご担当は、6名候補を連れてまいりましたのでその中からお気に召した者をお選びください」
あ、俺は選ばせてくれないんだ。
学院の時間割の管理と学院生活を補佐するということは、確かに相性って必要になるだろうね。クラレンツなんかは自分が何を学びたいか、何を目指しているかもまだはっきりしていないわけだし。どの授業が学習意欲を引き出させるのか、何を身に着け何になるか。日本の小・中学校と違って専門的で高度なことを学ぶこともあって、子供の判断力だけでは決めにくいこともある。子供の特性を見抜き、ニガテも得意もひっくるめて成長させる補佐でないと困る。
その点、精霊の見立てによると6人ともプロ意識の高い人物のようなので安心。
家政学科の中でも特に優秀な人物を連れてきたようだ、とキュアが感心していた。
まあ、俺にはペシュティーノが付いてるから、彼らはペシュティーノの補佐みたいなもんだ。だから相性が必要ないのかも。
「え〜……選べっていわれても、俺、誰でもいいんだけど……」
「クラレンツあにうえ!」
「は、はい?」
「あにうえの将来をいっしょに考えて選択授業をほさする人物ですよ。たしかに、ぜんいん専門家ですので、きっとだれをえらんでも問題はないでしょう。でも兄上がなっとくしたうえで、このヒトがえらんでくれた授業だからしんらいできる!ってヒトをちゃんとえらんでください。でないと……。でないと……!」
うーん、クラレンツを焚き付ける効果的な脅し文句は……!
「でないと、たんとうをペシュティーノにしますよ!!」
「ヒッ! わ、わかった! ちゃんと考えるから!」
「えっ。ケイトリヒ、ペシュティーノを貸してくれるのかい?」
「エーヴィッツあにうえはダメです! ヴァイスヒルシュ領につれていかれたら、僕が困っちゃう!」
ふとペシュティーノの方をみるとすごい微妙な表情で俺を見つめている。
……ご、ごめん。脅しに使ってごめん。
「ケイトリヒ様はインペリウム特別寮においての選択授業の重要性をしっかりご理解なさっていらっしゃるようですね。私達と致しましても、渋々従っていただく主よりも、信頼関係を築ける主であることが望ましゅうございます。主のお役に立てることが我々の責務であり、喜びでもあります。どうか、エーヴィッツ様もジリアン様もそれを念頭においた上でお選びいただけると幸いにございます」
インペリウム特別寮の在学中、家政学科の執事候補と信頼関係を築くことができた生徒はそのまま雇い入れる事が多いんだそうだ。つまりここでの付き合いは一生モノになる可能性が高い。是非きちんと考えてほしいんだが……大丈夫かなあ。
エーヴィッツは俺の話を聞いて、6人の候補にそれぞれ積極的に質問をしている。
もし主が大胆な挑戦をしようとする時は、どのように対応するか。
逆に慎重すぎて踏み出せない場合にどういうふうに発破をかけるか。
もし不正を行った場合はどのように諫めるか。
もし機嫌が悪いときにはどのように対応するか、など。
6人とも全員領主令息に渡しても恥ずかしくないプロフェッショナルなので、答えは大まか一致してるんだけどやはりそれぞれ微妙に性格が出る部分がある。
エーヴィッツは6人のなかで言葉は丁寧だがやや大胆な発言が見え隠れしたヨナス・バウアーを選んだ。してそのこころは?
「僕は頭でっかちなほうで、どう行動に出るかを考えている間に好機を逃すことがよくあるんだ。そういうときに、行動を促して、新しい提案をしてくれるような人物がそばにいてくれるとありがたい。側近たちはよくやってくれているが、やはり父が僕の性格に合わせて選んでくれた者たちだからね。性格も似ているんだよ」
エーヴィッツの理由に、ヘンドリックもヨナスも満足そうにうなずいた。
自分の弱点をしっかり補ってくれる補佐がほしいってことね。客観的に自分を分析できていて、とても賢い選択だと思う。俺も満足!
「ちょ、待てよ、エーヴィッツがそんな基準で選んだら、俺は口うるさくて細かい奴を選ばなきゃいけなくなるじゃないか!」
「そっ、そうだぞエーヴィッツ! 俺はそういう側近を振り切るために寮制の魔導学院の入学を決めたんだ! 去年はなんかいい感じに選んでもらうだけだったから、今年もそんな感じで行こうと思ってたのに言い出しにくくなったじゃねーか!」
「……クラレンツ兄上、ジリアン従兄上?」
俺がジロリと睨むと、2人がぴたりと口を閉じる。
ビューローも苦笑いするしかない。
「おふたりの補佐官については、ケイトリヒ様がお選びになってはいかがでしょうか?」
「やっ、いやっ、まてまてまて!」
「ケイトリヒの選定はたぶんウチの父上とあんま変わりないとおもう! 選ぶ! ちゃんと選ぶから!」
クラレンツとジリアンは残った5人の補佐官候補をジッと見つめて、「じゃあ……」と口を開く。
「エーヴィッツあにうえみたいに、しつもんしないの? せめてどのヒトが口うるさいタイプか、そうでないタイプかくらいはわかると思うけど」
そう言われてクラレンツとジリアンは顔を見合わせ、それぞれ質問する。
だいたい、「やるはずの勉強をやってなかったときにどうするか」とか「どう考えても父上に怒られるようなことをした場合どう父上に報告するか」なんていう失敗前提の話ばかり。ほんと大丈夫か。
「決めた! 俺はこの親近感を覚える感じのミヒェル・ベッカーにする!」
「ああっ! おれもそうしようと思ってたのに!」
2人は、一番体格がよくて言葉少ないタイプの人物が気に入ったみたい。
あまり口うるさくなさそう、というところが魅力だったみたいだが、俺の見立てからするとおそらくこの人物……なかなかスパルタだと思うな。
だってクラレンツもジリアンも、「失敗したあとの対応」ばかり聞いてたけど、そもそも補佐役は「失敗させない」ために頑張らせる役でもある。
ミヒェルは概ね「仕方ない」というニュアンスだったけど、それは全力を尽くして結果が失敗であれば次を見据えるしかない、という意味合いな気がする。
つまり、行動の前段階でみっちり準備するタイプだ。
「じゃあベッカーに2人を担当してもらう、ってことでもいいんじゃない? どう?」
「そうですね、魔導学院内での補佐だけでしたら複数生徒を担当することもございますので、問題ありません。将来的なお話は、その時が参りましたら」
ミヒェルはちょっと嬉しそうに余裕ある笑みをうかべて答える。
そうそう、この感じ。「みっちりシゴいてやるぜ?」感ある。
「スタンリーは」
「私は自己管理も学習の内ですから、補佐官は必要ありません。ビューロー氏の下につきケイトリヒ様の補佐官になるべく学んでまいります」
チラリとペシュティーノを見ると、彼も頷いた。そういう話でまとまってるんだろう。
「じゃ、それぞれ授業計画をたてましょう」
応接室での面接会|(?)は終わり。
それぞれ契約書にサインしてもらって、自室で時間割作成に入る。
クラレンツとジリアンはどちらの部屋に呼ぶか悩んだが、結局そのまま応接室で作成することになったみたい。
「ペシュ、ペシュ。ビューローを僕の自室によんでいいの?」
ファッシュ分寮は共用施設のある1階、あにうえたちの部屋がある2階、そして俺の自室がある3階と分かれていて、3階にはあにうえたちも入れないことになっている。
秘密がいっぱいありすぎるからね。
「ええ、インペリウム特別寮の補佐官は契約で、主の秘密を漏らしたら命を奪われるという非常に強い魔法契約で縛られます。心配には及びませんよ」
「え、いのちを」
「執事という職務はそれほどに重要な情報を扱うものです。契約などなくても口の軽いものには勤まりません。精霊様からもその契約の術式が確認できたという知らせをうけております。誓言の楔がなくとも問題ありません」
魔法でカンタンに忠誠を誓えるのは良いことだけど、気持ちがついてこない忠誠ってなんだか俺の中ではカンタンすぎて不誠実に思える。
まあこれは魔法のない世界で生きてきた感覚なのかもしれない。
「これは……なんとも、見事な……内装でございますね」
ビューローは俺の自室に案内された途端、ぴたりと止まって静かな動きで周囲を見回して思わずというふうにそう言った。
あれ。廊下のほうがゴージャスなロココだかビクトリアンだかの装飾過多な感じで、自室はシンプルモダンな内装なんだけど、どのへんが見事? と思ってふと後ろを向いたら、壁一面の幻影風景。今は風になびく青々とした草原と花畑、美しい湖、そして雪帽子をかぶった青い山の風景が広がっている。前世で言うとアルプスとか、カナディアンロッキーみたいな? 帝国ではあまりお目にかかれない景色だ。白の館にも同じものがあったので標準搭載として認識してたけど、これって相当高度な魔法らしい。
「あー……ええ、ここにはしけんてきに作った魔法術式や魔法陣がふんだんにつかわれてます」
なるほど、と頷いたビューローの目が真剣。
これは面倒なトコにきた、とか思われてないだろうか。
「では、早速授業計画についてお話したいところですが……その前に、どうしても皆様にお伝えして、方針をお尋ねしたいことがございます」
俺とペシュティーノとガノとスタンリー、そしてビューローが自室のソファセットに腰掛けたところで、ビューローが切り出す。授業計画を立てる上で大事なことなんだろう。
「どうぞ」
「開口一番で恐縮です。……この度、私がケイトリヒ王子殿下の担当に相成りましたのは学院の命令です。ファッシュ家の御曹司の補佐官に、下手な人員を推薦すれば学院家政学科の沽券に関わるというのが理由ではありますが」
ビューローはそこで一旦言葉を区切り、少しいいにくそうに顔を曇らせた。
「……実は、シュティーリ家の息のかかった人物から、ケイトリヒ王子殿下の内情を探るスパイにならないかという打診を受けました。情報提供だけで高額な報酬を提示され、露呈した場合は海外逃亡という保障をつけて、です」
ペシュティーノの顔が険しくなる。
「……家政科には契約魔法があるでしょう。ビューロー、あなたはカネと命を天秤にかけるほど困窮しているとでも?」
「いいえ、そのようなことは。ただ、その人物いわく契約の魔法術式をすり抜ける魔法を編み出した、と主張しておりましたが眉唾ものです。いずれにしろその話は家政学の宣誓に則り断っております。私がお尋ねしたいのは……」
ビューローは改めて側近たちの顔を見つめて言う。
「私が主と頂くケイトリヒ王子殿下にとって、シュティーリ家がどの程度の敵となりうるのか、という点です。侍従長ペシュティーノ様のお考えをお聞かせ願いたい」
なるほど?
もう今となってはビューローは俺側のニンゲンってことね。
「ふむ、なるほど。敵であることは認識したが、どこまでが敵なのかということですね。正確に言えば、シュティーリ家の全てが敵というわけではありません。ラウプフォーゲル公爵閣下とラグネス公爵はいがみ合いは不毛という共通認識をお持ちですので、過去の因縁に囚われぬ付き合い方をされていらっしゃいます。ですが」
ペシュティーノは言葉を区切り、憎しみをたっぷり塗り込めたような声で言う。
「問題は、あのぼんくら息子のヒルデベルトです」
おれが思わず「ムフッ」と笑ったことに、ビューローはびっくりしたようだ。
あ、すみません。ペシュティーノが「ぼんくら」って言うたびなんか面白くて。
「ケイトリヒ様の生母があの男の同母妹であることを理由に、なにかと絡んでくる油汚れのような男です。そしてあの男が仕切っている帝国魔導士隊も、どうも動きが怪しいですね」
あぶらよごれ!! 新しい例え出てきた!
「ではその……母君についても」
ビューローはこちらを伺うように見てくる。
ははぎみ? カタリナのことかな? まあ敵だよね、たぶん。
ちょっと首を傾げてペシュティーノを見ると、ソファの上で脚をプラプラさせていた俺を抱き上げて膝に乗せる。
「その通り。母親であるカタリナが、ケイトリヒ様に何をしたか帝国で知らぬ者はおりません。ヒルデベルトと同じ、あるいは実母である分それよりも質の悪い敵です」
「万象、承知しました」
ビューローは腹が決まったのか、至極丁寧に頭を下げた。
「では、早速時間割の作成に参りましょう。王子殿下の学習進度についてお聞かせいただきたいのですが……」
ビューローはペシュティーノから聞く俺の学習進度にいちいち驚いてくれる。
特に古代言語学と魔法陣学については信じられないというほうが強いみたいだ。
「これは……お聞きする限りでは、もう3年生の授業に入ったほうが良さそうですね」
「ああ、それと。敵というわけではないのですが、極力接触を避けたい生徒がファイフレーヴレ第2寮におります。ナタリー・ヘルツェルというのですが」
「女子生徒ですか。承知しました、彼女の提出している時間割を入手しましょう」
「できるのですか」
「家政学科には全生徒の時間割が集まりますから。それにしても、こんな幼い頃から女子生徒との接触に気を配らければならないとは、やはりラウプフォーゲルの王子殿下は違いますな」
「僕もう8さいだよ」
「これは失礼しました」
みため1歳児だけどね……。
時間割についてはビューローがいい感じにしてくれそうだ。
スタンリーはビューローのアドバイスを受けながらあーでもないこーでもないと色々と組み換えをしているみたい。避ける授業や生徒がないから組みやすい、とスタンリーは言ってたけど、それでもやっぱり大変みたい。優先順位を明確にして、それが下がったものは後期に、さらに最初から学びたいのなら来年にしてもいいとビューローが言う。
なるほどなー。ふむふむとスタンリーの授業選択の様子を見ていると、ペシュティーノが俺の頭を撫でながら、なんだかボーッとしている。
「ペシュ、どしたの? なんかしんぱい?」
「ああ、いえ……」
なんだろ。ちらちらと下からペシュティーノの様子を度々見ていると、苦笑いしながら仕方無しに話してくれる。
「さきほど、ケイトリヒ様が仰った脅し文句……『担当をペシュティーノにする』というものですが」
「あっ、あれはごめん。あれがいちばん効くとおもって」
「ええ、理解できます。理解できるのですが、クラレンツ様の反応が、やや傷ついたというか……そんなに嫌われるようなことをしただろうか、と考えてしまいまして」
そういえば「ヒッ」って言ってた。
あれに傷ついてたんだ。やっぱりごめん、ペシュティーノ。
「クラレンツあにうえはペシュそのものがニガテっぽいです。ちせいてきな男性? といえばいいのか。ファッシュ家の男とちがって、ペシュは怒ってるのかどうかも分かりづらいですから。僕はすぐわかるけど。たぶん同じりゆうで、スタンリーのこともなんかニガテというか、ライバルというか。そういうかんじです。気にするひつようないよ?」
「そうでしたか。そういう理由なら致し方ありませんね」
「うんうん、イタシタカない!」
ん? 俺、言えてた? 俺の中では言えてたつもり。
顔を見合わせてむふふと笑うと、ビューローが横から「王子殿下はお優しいお心をお持ちなのですね」と言って笑った。
「発音はもう少し練習する必要がありそうです」とも言われた。
キビシー。