5章_0066話_オリエンテーリング 3
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「断られた、と?」
「は、はい。フィンガー先生、申し訳ありません。私ごときが何を言っても全く意にも介さぬ様子で、説得を試みようにも話すら聞いてもらえない状況でした」
ファイフレーヴレ第1寮の魔導戦闘学教師、サディアス・フィンガーはいつも顔を少し上に向けて相手を見下すような目線で見る。使い走りにされた男子生徒は、逆らえない両者の間に立たされるハメになり、消沈しているのが周囲の生徒たちからでもよく見えた。
「フンッ! 公爵子息という立場を盾に、教師の命令に背くというのですか! それこそ権力による横暴! 学院秩序の乱れを生む粗忽者! やはりラウプフォーゲル人というのは……」
「フィンガー先生、それくらいにしてください」
旧ラウプフォーゲル所属の生徒が顔を見合わせ、苦々しい表情で教師を見ていると彼らの後ろから背の高い生徒が凛とした声でたしなめる。
ファイフレーヴレ第1寮の証である真紅のタイをしめ、左腕には銀色の腕章。
新入生には分からなかったが、腕章は生徒会を示すものだ。
「去年ラウプフォーゲル兵が撤退した領地とその周辺領地が、いまどれだけ混乱しているかご存知ないのですか。先生のいっときの感情で、ラウプフォーゲル王子殿下を侮辱などしようものなら公爵閣下が黙っていません。ファイフレーヴレ第1寮の非となろうものなら我々の領地にも飛び火する可能性があります。どうか謹んで頂きたい」
「……アルタウス君。キミは私に意見するというのかね」
「意見ではありません、抗議です。私は共和国と国境を有するベローヌング領の騎士団長サイモン・アルタウスの息子、サイラス。我が領地に脅威を及ぼそうという動きには、真っ向から立ち向かう所存です」
「……私の家門が……だからといって……が、ナメた真似を……」
額に青筋をたてて、口元をヒクつかせた教師は相変わらず顔を上向きにしているが、何やらブツブツと呪詛じみた独り言を漏らしている。その様子が異様で、新入生だけでなく側にいた使い走りの生徒も後ずさった。
「フィンガー君、それくらいにしなさい。アルタウス君の言う通り、今年は去年と同じようにキミの発言が常に支持されるとは思わないほうが良い。さあ、次のグループ、前に出なさい! 杖を構えて!」
実技試験の監督をしていた老齢の男性教員がパンパンと大きな音で手を叩くと異様だった空気はかき消された。ざわついてはいるが新入生たちは落ち着きを取り戻し、実技試験に臨んでいる。ひときわ大きな魔導が披露され、火柱が2つあがると演習場にいた生徒たちの興味はいっきにそちらに集中した。
教師に抗議した生徒、サイラス・アルタウスは未だに怒りが冷めやらぬという様子の教師をちらりと一瞥し、観覧席へ向かう。
(今年の学院は去年までとは違う。勢力図は完全に塗り替わり、今まで好き勝手していた貴族たちは総じて放逐されるだろう。今後学院を掌握するであろう存在に、私は彼らと同じではないと訴えねばならない)
観覧席の階段を登る途中、騒いでいる生徒の声が聞こえてくる。
「あのラウプフォーゲル野郎、絶対に許さねえ……王子でも何でもねえ、アイツは護衛騎士だよなあ? それがこの俺に、あんな物言いをしたんだぜ、聞いたよなお前ら?」
「ああ、あれは許されないはずだ。父上にも報告しなければなりませんね」
「侯爵の名を出したのに全く怯まなかったよな。あれ多分バカだわ、そんな護衛つけるとかほんとラウプフォーゲルって野蛮人だよな!」
悪態に悪態で同調していく会話を聞いて、サイラスはため息をつく。
(帝国一の武力を持つ公爵令息の護衛騎士、しかも学院に同伴するような重要な側近がたかが侯爵令息ごときに怯むはずがない。彼らは情けなくなるくらい、周りが見えていないようだ)
最上階まで階段をのぼると、すぐに立派な騎士服を着た護衛騎士が見えた。こちらを見る目は鋭い。その制服は紺色の布地に白く輝く鷲の刺繍が映えている。
8歳という早期入学でありながら、すでに紋章まであるとは公爵閣下も件の王子殿下には目をかけているという証拠だ。ここまで明らかであるのに、階下の貴族令息たちは目が開いていないのではないだろうかと虚しくなる。
護衛騎士が警戒しない程度の距離で、腰に差した剣と杖がよく見えるようマントを開いて頭を下げる。
「ファイフレーヴレ第1寮の4年生、そして生徒会副会長のサイラス・アルタウスと申します。この度は我が寮の教師が不遜な物言いで王子殿下に失礼を致しましたこと、心よりお詫び申し上げます」
護衛騎士は幾分態度を和らげ、背後の騎士に声をかける。
しばらくすると、身軽な装いの護衛騎士が現れた。
「へえ、わざわざ詫びに来たのか?」
その護衛騎士は、試すように砕けた口ぶりでそう言った。彼はラウプフォーゲル男らしく長身だが、身体はまだ細身。おそらく若いのだろうが、不気味なほどの自信と奇妙な剣を携えている。
「はい、生徒会副会長として、この学院、この寮で起こったことには幾許かの責任があると考えておりますゆえ、こうしてお詫びに参りました」
「真面目だねえ」
「ジュン、からかうのはよしなさい。サイラス・アルタウス卿。王子殿下がお会いになります」
サイラスは驚いて顔を上げてしまったが、慌てて頭を下げる。
「そんなつもりはなかったのですが……光栄です」
腰元の剣と杖を素早く抜き取り、護衛騎士に渡すと、彼らは満足そうに頷いた。
「私は王子殿下の世話係にして出納係のガノ・バルフォアと申します。どうぞ、ご案内いたします。」
出納係とは、かなりの重鎮だ。
丁寧な口調や所作から、ラウプフォーゲルの貴族令息であろうことは想像に難くない。
まさかこんなにすぐに王子に会えるとは思わず、サイラスは緊張してしまう。
ドアのない部屋に入ると、ガラスにおでこをくっつけて下を見ている小さな少年。
……いや、少年とも言い難いほどに小柄な子が、パッと勢いよくこちらを向いた。
「ケイトリヒ様、ファイフレーヴレ第1寮の4年生で生徒会副会長のサイラス・アルタウス卿がご挨拶にいらっしゃいました。先ほど教師が無礼な言伝をしてきたのですが、そのことについて代わりに詫びたいと仰っています」
ガノ・バルフォアは先ほどの事務的な声色とは全く違う、親しげな様子で王子に話しかける。
「え、サイ……アルタウス卿のせいじゃないのに?」
真っ白な髪の少年……いや幼児が、こてんと首を傾げる。
なんとまあ、妖精のように可愛らしい子だろうか。
「アルタウス卿はベローヌング領の騎士団長の家門ですから。大局が見えていらっしゃるのでしょう」
ガノが明るく言った言葉に、サイラスは胃袋を素手で掴まれたような不快感を覚える。
(私の思惑はわかっているぞ、ということか)
「アルタウス卿……サイラスと呼んでもいいですか?」
「はい。はっ……? い、いえ! 王子殿下、私に敬語など!!」
「ケイトリヒ様、言ったでしょう。例え年上でも、ケイトリヒ様はこの学院の生徒に敬語を使ってはいけません。このように、礼儀を知る相手ほど困らせてしまいます」
真っ白な肌と髪の王子殿下の後ろには、大柄なラウプフォーゲル男たちよりも頭一つ背の高い金髪の男。噂には聞いていたが、彼が歴史上初めてシュティーリ家からファッシュ家へと鞍替えし、話題の王子殿下を育て上げ、今やラウプフォーゲルの重鎮となりつつあるという噂の魔術師か。帝都で彼の噂を聞かない日はないと父が言っていた。
悪い噂ばかりという話だが、目の前の長身の男はさも愛おしげに王子を見つめていて、そんなに悪い人物には見えない。
「うう……じゃあ、えっと、サイラス。ちょっと、いろいろ聞きたいんだけど、いい?」
「はっ、はい。私に答えられることならば、何でもお尋ねください」
「あのね、僕まりょくが高いの。だから皇帝陛下のめいれいで入学したんだけどね」
「はい、存じております」
「それでね、魔導のれんしゅうをしたいんだけど……あっ、サイラスはどんな魔導がつかえるの!?」
「えっ? あ、はい。中級は基本魔導を全種、上級は火と土をようやく体得したところにございます」
王子は「じょうきゅう……」と言ったまま黙り込んでしまった。
何か粗相をしてしまっただろうかと焦っていると、噂の魔術師が「ケイトリヒ様」とたしなめるように声をかける。
「あっ、ごめんね。それでね、僕もじょうきゅう……じゃなくて、中級あたりを覚えたいんだけど、あの先生に習いたくないから、なにかいいかいひさくないかな?」
「ケイトリヒ様? そんなことを聞くために彼を呼んだのですか?」
「ちがうもん、たまたま来てくれたから! だって学院のナマのコエは貴重でしょ?」
呆れた様子の金髪の男に、必死に言い訳する王子殿下。
なんだか微笑ましくなってしまい、緊張の糸が切れてしまったのかつい笑ってしまった。
「ほら、笑われていますよ」
「僕、しんけんなんだけど」
「し、失礼しました。決して侮ったわけではございません。王子殿下があの教師を忌避するのも当然にございます。件のサディアス・フィンガー教師は魔導戦闘学と従魔学、そして魔導戦術学を担っておりますが、どの学科も4人以上教師がおりますので、時間割さえ工夫すれば避けるのは簡単にございます」
ただし急遽当日に担当教師が変わることもあり、それだけは確実な回避策はないとだけ伝えておく。
実を言うとサイラス自身も、フィンガー教師の授業はなるべく避けている生徒の1人。
「よかったー。あんなアブナイ発言をへいきでする教師がいたら、ジュンがすぐ首斬っちゃいそうだからしんぱいだったよー」
妖精のような王子から放たれた言葉に、思わず温まっていた頬が凍る。
「ケイトリヒ殿下への不敬は、俺らの判断で斬首できるんだぜ」
「だとしてもあまりそういう場面は見せたくありませんね」
「私がケイトリヒ様の御目を塞ぐ時間くらいは与えてくださいね」
「あ、斬らないっていうせんたくしは、ないんだ……」
王子と側近の軽口に、背筋が凍る。
そうだ、入学式で公爵閣下自ら、反逆者の処刑判断は護衛騎士に権限委譲すると告げていた。これが何を意味するのかと言うと、彼ら護衛騎士のさじ加減ひとつで帝国への反逆者として斬首される生徒や教師が、これから出てくるかもしれないということだ。
(はやく、あの勘違い貴族令息たちの考え方を改めさせなければ……死者が出る)
心臓がどこか耳元や顔あたりに移動してしまったかのようにうるさい。
あのような横柄で不遜な生徒や教師は、ファイフレーヴレ第1寮に多い。他の寮はあまり身分差を気にせず公平だと聞くので、死者が出るとしたら自身の所属するファイフレーヴレ第1寮に違いない。そう、間違いない。そして近々、最低でも1人は出るだろう。
それも間違いない。
「生徒会の副会長だからといって、何もかも責任を背負い込むものではありませんよ。仮に同寮の生徒が不敬で斬首されたからといっても、16歳にもなれば成人です。彼らの行動については彼ら自身の責任です」
悪名高い「枯れ木の魔人」と呼ばれたはずの男が、慈しむような優しい顔でこちらを見て言う。やはり、噂とは当てにならないものだ。
「しかし彼らの増長と横柄を諾々と許してきたのは、この学院……そしてその全ての生徒たち。生徒会の一員である私にも、全くのゼロではないかと存じます」
「責任を感じるというのなら、まだ起こってもいないことを悔やむのではなく、今から行動してはどうでしょう。全てではなくとも、何人かの心は動かせるかもしれませんよ」
貴族然としたガノ・バルフォアが、人懐こい笑顔で親しげに助言してくれる。
たしかに、彼の言う通りだ。まだコトは起こっていない。
「……尽力いたします」
深々と頭を下げると、その下の回り込むように王子が覗き込んできたのでびっくりしてしまった。
「サイラス、あのね、それとね。ごがくゆう、になってほしいんだけど、どうかな」
「ケイトリヒ様、それは少し早いですね」
「人選に文句はありませんが、もう少し後に致しましょう。彼がラウプフォーゲルに近づいたと思われるのは、今は時期がよくありません」
側近たちにたしなめられた王子殿下は、不満げだ。
だが、サイラスにとっては思いがけない提案。
「ケイトリヒ王子殿下。身に余る光栄なお言葉、ありがとう存じます。側近の方々の仰るとおり、しかるべき時がきたら是非、共に学びの道を歩みたい所存にございます」
この魔導学院で死人が出るかもしれないという緊張感を押し殺して、精一杯の笑顔を見せると王子殿下も嬉しそうに、無邪気に笑ってくれた。不敬をはたらいた者をその場で斬首する。それがごく普通の環境で、王子殿下は生きてこられたのだ。
(……気を引き締めなければ)
王子殿下が御自ら御学友として誘ってくださったとはいえ、斬首から確実に逃れられるわけではない。
サイラスは、王子と護衛騎士に丁寧に挨拶をしてその場を辞すると、階下の無頼漢たちを後回しにして確実に打って響きそうな相手を何人か頭の中でリストアップする。
(まずは私に同調してくれる者を探し出し、選び抜き、味方を作らねば。賛同者が増えれば、あの手のつけられないドラ息子共も何かを感じ取れるようになるかもしれない)
そこまで考えて、ふと彼らの言葉を思い出す。
(……感じ取れるようになったとて、どうなるというのか。枯れ木の魔人……いや、ペシュティーノ・ヒメネスの言う通り、彼らはもう成人だ。私が駆け回って守るような人物ではない)
今にも駆け出そうとしていた脚を緩め、とぼとぼと歩く。
向かい側の観覧席には、同じファイフレーヴレ第1寮でこの4年間苦楽を共にしてきた同級生たち。平民を見下し、小さなお山の大将を気取って偉ぶっている生徒は確かに存在するが、そんな生徒ばかりではない。
(……私が守るべきは、彼らではなく勤勉で誠実な生徒たちのほうだ。彼らについては……できるところまでやれば良い)
新入生の実技訓練がつづく魔導演習場を横切り、級友たちの元へ向かう脚がはやる。
これが後の魔導学院ファイフレーヴレ第1寮の大改革の第一手であった。
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「なんかサイラス、ヒソーな決意をしていたように見えたけど」
ファイフレーヴレ寮のオリエンテーリング見学も終え、あたりはもう薄暗くなってきた。
山の合間にある学校なので、日暮れが早い。
「悲壮……まあ、そうでしょうね」
「僕のごがくゆうになるのはそんなにカクゴがいること?」
「原因はそちらではないと思いますよ」
「?」
なんだろう。
サディアス・フィンガー教師の授業を避けるといったせいでファイフレーヴレ第1寮に俺が悪い印象を持ってると思われたかな? ……いや、実際持ってるけど。
でもそこはサイラスのせいじゃないし。いやでもムダに責任感強そうな子だったからな。
まいっか。さて、次はインペリウム特別寮の懇親会。
護衛の隊列はゾロゾロと縦隊列で帰路につく。
そういえばファイフレーヴレ寮で会えるはずだったゾーヤボーネ領主令息とは会えなかったな。
魔導学院は大まかに2つの層がある。
下層階。
上層階からは全体から建物3階分くらい下に位置する学術施設の集まりで、建物と建物の間には決まった道がない。馬車の進入は不可で、巨大な広場のような空間。
上層階。
下層階を囲む幅広の道路が最内側で、その外にあるのは各寮の建物とカフェテリアなどの共用施設。生徒の生活の中心は上層階にある。
上層階は細かく分けるとまた色々あるんだが、それは俺にほとんど関係ないのでスルー。
魔導学院では主幹道と呼ばれる上層部の大通りは、ときたま馬車も通る。本を読みながら歩いている生徒もいれば、自転車に似た乗り物に乗った教師もいた。
全員、俺の護衛の隊列に気付くと驚いたように立ち止まる。頭を下げる者もいれば、不快そうに顔をしかめるものもいる。
「みられてるきがする」
「学院内でこのような護衛隊列は珍しいでしょうからね」
わかっちゃいたけど……悪目立ち。
インペリウム特別寮のには、他の寮と違って食堂がない。そのため、夕食会は寮の談話室で行われるらしい。まずは分寮でお着替えだ。
「……ゆうしょくかいの会場にムースがでたらどうしよう」
「ケイトリヒ様の目につく前にわたしが消し飛ばしますよ」
皇帝陛下との昼食会のときにきたヒラヒラのお洋服よりも、ちょっと控えめヒラヒラ服。ちっちゃなボタンを閉めながら、スタンリーが淡々と言う。
「どうやって?」
「ムースくらいの生物でしたら、火魔法を凝縮させて瞬きするほどの時間で完全に炭にできます。それを風魔法に乗せて外へ排除するという術式です」
例え話などではなく、ほんとに消し飛ばすんだ。魔法すごい。
「……今後まいにち、おひるごはんとよるごはんの前にきがえたりしないよね」
「今日は特別です」
俺の後ろに回ったスタンリーがギュッと帯みたいなものを締めるので「ぐえっ」と変な声が出てしまった。
「こ、これはこういう服?」
「ええ。リーゼロッテ夫人の説明に、シルエットをキレイに見せるためウエストは可能な限り締めるように、とあります」
「リーゼロッテ様とマルガレーテ様のお選びになったお召し物であれば間違いないとは思うのですが……いささか地味に見えますね……コホン。ガノ、どうですか?」
支度の終わった俺を見て、ペシュティーノが考え込んでいる。スタンリーは自身の支度もあるため部屋を出ていき、代わりにガノがいる。
「いいえ、さすが帝国一の流行発信者であるお2人の見立てといえます。この袖は豪奢でありながら繊細なメランション工房の立体感あるリバーレースが惜しげもなく使われていますし、襟元のフリルも天然のセーリクスをたっぷりとドレープにした最高級品です。ズボンの刺繍は……この厚み、糸の輝き。クラルティ商会の『パヴォーネ』のラインではないでしょうか? ええ、間違いありませんね。これは今、発注すれば2年待ちと言われている希少な製品ですよ。髪飾りの羽根など、ラウプフォーゲルでは『宝羽』と呼ばれるカルラのものではないですか。これは本当に贈り物ですか? そうなると高価過ぎると思うのですが」
ペシュティーノは話を聞いている間、言葉を失ってボーッとしていたようだが、最後の一言で我に返る。
「ああ、いえ、一部は実はお館様のオーダーで夫人達が発注したもので、購入したのはお館様です。私は衣装のことはあまりわかりませんので、ガノがそう言うのなら……まあ、間違いないのでしょう」
ガノは少し驚いたようにペシュティーノを見る。
「このお召し物の価値がわかりませんか!? なんと、ペシュティーノ様はご理解した上でこちらを選んだものと思っておりました。こちらは同じものを発注しようとすれば……そうですね、お召し物だけで100万FRは下らないですよ。髪飾りと宝石、あと靴は別です」
ペシュティーノがグフッと変な咳をしながら目を丸くしている。
100万FR……ってことは、日本円に換算すると約1億円!?
こ、こどもふくにいちおくえん!! 水マユはかなりボッてるとおもってたけど、そんな異常な金額でもなかったってこと!?
「ラウプフォーゲルのご令息が夕食会にご出席されるという状況を鑑みれば、これくらいが充分妥当なラインだと思われますよ。それにやはり、とてもよくお似合いです。これだけ高級品を惜しげもなく使っているにも関わらず、ケイトリヒ様の可憐な美しさを邪魔しない、とても品のある良い仕事をしています。ポイントであしらわれている小ぶりの琅玕翡翠も見事です」
ウィンディシュトロム寮の生徒も逃げ出すほどにペラペラと語るガノの言葉を右から左に受け流しながら、俺は思わずペシュティーノを見る。
ペシュティーノの目は、完全に「全然わからん」と語っているかのようだ。
大丈夫、俺も全然わからん。
「お食事のソースをこぼさないように気をつけますね」
俺が言えたのはそれだけだった。
インペリウム特別寮の食堂は、おもったよりひどくない。
ド大きなドアを開けるとすでに20数人のインペリウム特別寮生徒がテーブルに付いていて、俺とあにうえたち、そして他の3人の新入生を出迎えるために立って拍手してくれている。
王国ベビディア領の姫君、ゾーヤボーネ領の領主令息、共和国の首相令息、そしてエーヴィッツ、その次にクラレンツが入り、最後が俺。俺と一緒に手を繋いでスタンリー。
どうやら身分が高いほど後になるみたいだけど、スタンリーは側近枠なので別らしい。
「ようこそ、インペリウム特別寮の新入生の皆さん。我々は皆さんのご入学を心より歓迎いたします。私はインペリウム特別寮の寮長、リーゼル・シリングス。なにか寮で困ったことがあったら、私にご相談ください」
リーゼルとは、ちょっと女の子みたいな名前。背が高くて柔和そうな笑顔の優しそうな寮長さんだ。彼の隣には、大講堂でみかけた面白いヒトがものすごくニコニコしながら俺を見ている。目が合うと嬉しそうに手を降ってきたので、一応ニコリと笑ってあげた。
「さて、それでは改めて……インペリウム特別寮の新入生諸君。歓迎の意を表して、この夕食会の開催を宣言する」
それを合図に次々と給仕たちが食事の乗ったカートを走らせ、各々の皿に乗せていく。
給仕の軽やかな物音が響く中、寮長の生徒が軽く挨拶にはいった。
「特別寮では他の生徒と顔を合わせて食事をする機会がほとんどありません。この夕食会は貴重な顔合わせの場となります。食事と、お話を充分に楽しんでください。今年はラウプフォーゲルから4人も新入生が入りましたね。そして共和国に王国からも1名ずつ。そして今夜の夕食をご用意下さったゾーヤボーネ領の領主令息も! 豪華な顔ぶれの新入生と、お話ししたい上級生は多いでしょうが……あまり無理を強いることがないよう、ご注意をお願い申し上げます」
寮長の男子生徒はチラリとパトリック……あの入学式で見かけた面白い金髪の人……もとい、王国公爵家令息を見た気がする。学年順の席のため、パトリックは院生ということで新入生からは最も遠い席だ。
隣の席や向かいの席の生徒同士でワイワイと会話を楽しむ在校生席。
新入生の席だけはまるで記者会見するかのように別にされているので、隣としか話せないようになっている。
〈音選〉で会話の端に聞き耳を立ててみる。
「すごいわ、あのツヤは間違いなく天然のセーリクス(シルク)よ」
「小ぶりですがあの深い色合いは琅玕翡翠。そうでなければエメラルドに違いないです。さすが我らが誇るラウプフォーゲルのご令息」
「席の離れたあの御方は王子の側近を兼ねてらっしゃるのね。ずいぶん年長に見えるけれどおいくつなのかしら……もう婚約者はいらっしゃるのかしら?」
「あの一番小さな殿下が勅命で入学された御方ですか? 飛び級してまで魔導学院に入るとは、よほどの才覚をお持ちなのでしょうね」
「希少属性の適正をお持ちときいておりますけれど、王子ともなればファイフレーヴレ寮の授業を受けることはないのではないですか?」
「共和国の新入生も、首相の子らしいじゃないか」
OH……分かる人には分かってるようだよ、お召し物の価値が。
しかもスタンリーがモテてる! まあ、ラウプフォーゲルでは珍しいスレンダー体型だ。
男らしいゴツさを魅力と感じないような少女の年代に人気が出るのはわかる。
チラリと周囲を見るとエーヴィッツ兄上の隣、ぷくぷくとした手で上品にカトラリーを操って食事するイザーク・ジンメルと目が合った。
彼はニッコリと大福のように微笑むと静かな声で「我が領の自慢の料理をお楽しみくださいね」と言った。俺も愛想よく笑顔で頷く。
いや、大福のように微笑むってなんだ。まあいいか。
たっぷりの野菜と肉、大豆が入った具だくさんスープは旨味がしっかり引き出されていて玲央の料理にも引けを取らない美味しさだ。
「んん、美味しいですね!」
そう言ってイザークの方を見ると、彼は大福のように……いや、嬉しそうに微笑んだ。
エーヴィッツ兄上もイザークの方を見て「おおぶりの大豆にしっかり味が染みていて、食べごたえもあって美味しいです」と同調する。
イザークはやはり自領を褒められて嬉しいらしく、照れながらも領民のたゆまぬ努力のおかげ、などと謙遜しつつ大豆の豆知識などを教えてくれる。豆だけに。
ここで領民を出してくるとは、いい領主になりそうだ。
「俺はレオの料理のほうが美味いと思うけどな……イテッ」
クラレンツの空気読まない発言を、指先でドスッと突付いて制す。俺の指は小さくて細いので、意外に痛いんだこれが。
食事は和やかに進み、デザートが出てくるとクラレンツが微妙に不満げだ。
「……少ないな?」
「この後親睦会と称して会が続くので、あまり満腹にならないほうがいいのですよ」
「そうなのか?」
「クラレンツ兄上、ちゃんと〈入学のしおり〉読みましたか? 僕らインペリウム特別寮生は第2所属の寮を決めなければなりませんので、ちゃんと考えてくださいよ? 僕やペシュティーノが教えることにも限界がありますからね」
「僕は、クラレンツはアクエウォーテルネ寮が向いてると思うな」
エーヴィッツが言うが、確かにあの自由で楽しい雰囲気はクラレンツ好みかもしれない。だが研究というのは1つの大きな成果の下に、地道な検証や記録が隠れているのだというと言うとクラレンツが渋そうな顔をする。華やかな部分ばかり見てちゃ実際にはいって挫折しかねないからね。
「あの寮は座って教師に何かを教えてもらう、というよりも自ずから興味のあることを突き詰める、といった寮風らしい。座って話を聞くのが苦手なクラレンツに向いていると思ったんだが」
「うーん、興味、か……」
クラレンツは渋い顔をしているが、エーヴィッツの言うことも一理ある。
座学や話を聞くことなど、いわゆる普通の勉強に苦手意識のあるクラレンツは、興味のあることが見つかれば化けるかもしれない。
「確かに、エーヴィッツ兄上の言う通りかもしれません。クラレンツ兄上、1年生の間は第2所属寮を好きに変更できるらしいので、色々と試してみましょう」
「グラトンソイルデ寮とファイフレーヴレ寮だけは無理だ」
「僕たちはクラレンツ兄上のことを考えて言ってるのですよ、面倒がらずその2つの寮も一度見てみてください。たいして見ていないのですから、ちゃんと反論できるほど知らないのでしょう? あにうえの側近にも言っておきますから」
「えぇ……」
クラレンツが鼻にシワを寄せて嫌そうな顔をすると、その向こうで王国の令嬢がクスクスと笑っている。クラレンツがそちらを見ると、令嬢は見事な笑顔で取り繕う。
「ああ、ごめんなさい。お話が聞こえてきてしまって……しっかりした弟君がいらして、心強いですわね。帝国の方々は兄弟仲が良いと聞いておりましたが、本当だったので驚きましたわ。ウフフ」
「お、王国は違う、のか?」
クラレンツが少し頬を赤らめながら話の流れで訪ねる。
少女としゃべる機会は、帝国では本当に少ないので照れているようだ。
「領地によって考え方が違うので何とも言えませんけれど、兄弟喧嘩でしょっちゅう内戦を起こしているような領地もありますのでその方々には見習ってもらいたいものですわ」
王国では血統主義が強いそうだから、兄弟は生まれながらのライバル。それに食糧事情の悪さもあり、仲良くしている余裕などないのかもしれない。
それよりもクラレンツ、女子に話しかけられたからってあからさまに頬を赤らめたりしちゃって。チョロすぎて心配。
夕食会のデザートを終えた後は、談話室の模様替えのため一旦外に出される。
インペリウム特別寮は全員が集まれるスペースが談話室しかないため、食事会用から親睦会用にテーブルや椅子を入れ替えるのだ。
一時的に部屋に戻る生徒や、談話室前の広間で歓談する者など、ワイワイしている。
旧ラウプフォーゲル領の生徒達が4名、好機とばかりに挨拶にやって来た。
6年生のベンヤミン・ブラウア・ファッシュ。お家騒動で忙しいブラウアフォーゲルの領主令息。18歳という若さだがフランツィスカとマリアンネとバチバチバトルを繰り広げたナタリー嬢の叔父にあたる。
旧ラウプフォーゲル最貧領といわれるクラーニヒ領主子息のメンデルスゾーン兄弟。兄は6年生のロビン、弟は4年生でレロイ。
3年生の二クラス・ドレッセルは女性領主で有名なシルクトレーテ領主の令息。
そしてハービヒト領のジリアン。
ジリアンは明るくて気安いが、他の皆はずっと年上だというのにとても大人しい性格のようだ。俺に対して本当に自国の王子とでもいうように丁寧に接してくれる。それにどことなく「我らの王子」みたいな妙な身内感というか連帯感というか、持ち上げられてる感。
スタンリーを含めた俺たちが入学するまで、インペリウム特別寮には旧ラウプフォーゲル領の生徒が各学年に1人か2人の合計5人しかいなかったということか……。
まあ、肩身の狭い立場だったのかもしれない。
最貧領と言われるクラーニヒをはじめ、シルクトレーテ、ブラウアフォーゲル、そしてエーヴィッツ兄上のヴァイスヒルシュ。10領ある旧ラウプフォーゲル領の中でも、立場の弱い領ばかり。
そこに頭領たるラウプフォーゲル子息が2人、3か月後にはもう1人も入るとなれば歓迎が手厚くなるのもわかるってもんだ。
……インペリウム特別寮での扱いも、ちょっと不安な予感。