5章_0064話_オリエンテーリング 1
新年あけましておめでとうございます。
今年も本作品をよろしくお願い申し上げます。
扉を開けると、予想通りの人物がそこにはいた。
「こうていへいか!」
俺がさも驚いたように声を上げ、わざとらしく口を押さえると皇帝陛下は満足そうにわっはっはと笑う。父上も笑っているが、先に食堂に来ていたらしいクラレンツとエーヴィッツとその側近たちは今まで見たこともない顔で硬直している。
エーヴィッツの養父ヴィンデリンはもともと大人しい人みたいだけど、ゲイリー伯父上はウソみたいに静か。黙ってるとカッコイイなー。
「よい、よい! ここではまあ、知り合いのおじさんだと思って気軽にしなさい」
皇帝陛下はそう言うが、領主たちも子供とその側近たちも「それではお言葉に甘えて」となるわけがないよね。
だが俺は中身が大人なので知っている。この手の権力者おじさんは、子供との気兼ねないコミュニケーションに飢えている!
「こうていへいかー!」
俺が両手を広げてぽてぽてと駆け寄ると、案の定、うれしそうに手を広げて迎え入れる。
「おおー! 今日は随分とまたかわいらしいな! どーれ!」
あいかわらず近衛兵がハラハラしながら見ているが、皇帝陛下は気にする様子もなく俺に手を伸ばし軽々と抱き上げると、俺とバブさんはちょっと宙に浮いた。
「おおっ!?」と変な声を上げた皇帝陛下の腕の中に、スポッとおさまる。
「以前抱き上げたときより軽くて驚いたぞ、あの重さはほとんど衣装だったのだな! んん、いい匂いがするな。強く香るのに全く嫌味がない。まるで本物の花を腕に抱いてるような……」
そう言いながら皇帝陛下は、俺をジッと見て「もしや、花の妖精か!」とおどける。
子供らしくキャッキャと笑うと、とても満足げだ。
「そういえばケイトリヒ、其方の料理人は共和国の元異世界召喚勇者だという話ではないか? 紹介してもらえるか?」
それが目的だったのか。玲央が共和国のスパイかどうかを探るため?
いや、それを疑っていればここに皇帝陛下が自ら足を運ぶことはしないだろう。
「レオのことですか? ごはんがおいしいからといって引き抜いたりしたら、いくらこうていへいかといっても……うらみますよ?」
俺が口を尖らせてそう言うと、皇帝陛下はさも楽しげに笑った。
「料理人の紹介は昼食をとりながらでも。ヴィンツェンツ様、どうぞお掛けください。
息子たちがずっと立ったまま座れません」
「おおそうか、悪かったな」
そう言って皇帝陛下はあっさり俺を降ろし、ゆったりと席に座る。広いテーブルには立派すぎる刺繍が施されたテーブルクロス、皿とカトラリーが並んでいる。
城では家長である父上が座っていた席には今は皇帝陛下が、その右手の一番近い席に父上が座り、左手にはヴィンデリン、そして父上の横に伯父上。
俺の席はなぜかヴィンデリンの隣。子供の中では一番上。
弱小子息だと思っていたけど、権力だけでいうとなかなか最強。
フィジカル面は相変わらず弱小ですけどね。
父上の右手にはクラレンツ、エーヴィッツと続く。
ペシュティーノが手際よく俺の首元にナプキンをつけてくれた。
「……それはケイトリヒ専用か? ずいぶん大きなナプキンだな……いや、もしかしてケイトリヒの身体が小さいのか?」
皇帝陛下がニヤニヤしながら俺を見ている。半目でジロリと睨むと、嬉しそうに笑った。「おいザムエル見たか今の顔! わっはっは、やはりお前の息子だな! いまの表情は儂がからかったときの反応にそっくりだぞ! 似てないと思ってたが親子だったんだな!」
皇帝陛下はご機嫌。
やがて給仕の担当者がカートを押して食堂へやって来て、各々の側近へ料理を提供する。
主人の皿の上に料理を乗せるのは側近の役目だ。子どもたちの側近はどこか不慣れだが、領主と皇帝陛下の給仕係はプロ中のプロなのだろう。
俺の皿にはペシュティーノが料理を置いてくれる。
「ペシュティーノといったな、其方。ケイトリヒの給仕までしておるのか」
皇帝陛下はいつかの父上と全く同じことを言った。
ペシュティーノのような才能豊かで貴重な人材が給仕をするのは、普通なら驚かれることみたい。
「ケイトリヒ様の食事は、全て私が管理致しますので」
ニッコリと笑って長い指でそっと俺の肩に触れる。俺は思わずその指をギュッと握った。
少し目をむいたペシュティーノが「どうしました?」と言って膝をつく。
俺が何も言わずに見つめるとフフ、と笑いながら「皇帝陛下はレオを連れて行ったりしませんよ、大丈夫です」と優しく髪を撫でてくる。
「はっはっは、ケイトリヒは料理人を気に入っているのか。大丈夫だ、儂はザムエルがあまりにも彼の料理が美味いと自慢してくるので腹いせに押しかけただけだ! 安心しろ、元共和国の者だからといって妙な言いがかりをつけたりもせんよ」
皇帝陛下の言質をとって俺はようやく安心した。
「はい、レオの料理はほんとうにおいしいです! レオのおねがいで、いろいろちょうみりょうを開発したのでそれもおたのしみください!」
異世界人としてより「元・共和国の」という点でどうなるのか不明瞭だったが考えてみればファッシュ家に入ってる時点でいろいろな障害はクリアしているはずだ。
運ばれた料理は深めの皿に綺麗に盛り付けられているので一見するとそうは見えないだろうが、これは「すきやき」だ!
肉が多めで生卵はすでに絡まってるけど、シイタケっぽいものには飾り切りが入っているし、本物のシラタキなのか不明だがシラタキっぽいものもある。
そして匂いは確実にすきやきだ。
「んんん、甘いような香ばしいような……だが肉汁の香りもして美味そうだ、頂こう」
皇帝陛下が食べたのを見届けて、父上や兄上たちが料理を口に入れる。皇帝陛下を含めて皆、感想を言う前にふた口めを口に入れているのが何よりも雄弁に「美味い」と言っているようなもので、俺は満足した。
「なんだこれは、一体何の味だ!? 美味い、美味いぞ!! この風味はムーム肉だが……こんなに薄く切られているのは初めて食べたぞ! だが薄いからこそ味が染みているし、柔らかい! さらにこの野菜たちに染みた甘じょっぱい味付けは、この濃厚な黄色いソースと良く合うな! 肉の脂はだいぶ落とされているが、その分豊かな旨味を感じる」
皇帝陛下、食レポお上手ですね。うんうん、わかる。醤油の旨味としょっぱさ、そして野菜や肉を引き立てるミリンの甘みってのは砂糖ともまた違っててご飯と合うんだよねー。
さらに陛下は大皿の肉料理も、付け合せのカローテも、グーケの浅漬けも、葉野菜の味噌汁も大絶賛。このところ胃腸の調子が悪かったという陛下は油っこくない料理を大変お気に召したようだ。「寄る年波には勝てんなあ」とか言いながら、それでも軽く2人分は食べていたところはさすがだ。
まあゲイリー伯父上は4人分くらい食べてたけど。
「さて、それでは料理人を紹介してもらえるか、ケイトリヒ」
きた。とうとうこのときがやって来たか。
といっても、呼び出されたレオは思ったより緊張していない。
皇帝陛下はレオに今日のメニューの説明を求め、生い立ちや帝国に流れ着いた経緯など、レオも説明し慣れてることを聞いただけだ。それでも皇帝陛下は満足そうだ。
気になったのは皇帝陛下が不思議そうに呟いた言葉のほうだ。
異世界召喚勇者の存在は直接的な国益にならなくても、断片的でもはるかに進んだ技術や知識は貴重な存在。そのため異世界勇者は対アンデッド能力を持っていなくても、何かしら異世界の情報を持っているので手放したくないというのが普通らしい。なのになぜ、共和国がレオの出奔を許したのか謎らしい。
昼食会はお開きの時間。
領主のみなさまも皇帝陛下も食事を終えて高笑いしながらサッサと去り、クラレンツもエーヴィッツもジリアンも午後のオリエンテーリングに向けて着替えと準備のため部屋に戻った。
嵐のような1刻でしたね。
オリエンテーリングの開始時間まで少し間があるので、食休みとしてバブさんをクッションにカウチにだらしなく座ると、ペシュティーノが入ってきて俺の正面にスツールを移動させて座る。なんだろ。
「ケイトリヒ様、皇帝陛下からの置き土産情報です。どうやら、今年の王国からの入学生のなかに、異世界召喚勇者がいるそうですよ」
「ええっ!? そ、それほんと?」
ここに来て新たな異世界召喚勇者! だらしなく座ってるばあいじゃない!
レオの流れから、王国の異世界召喚勇者の情報。ペシュティーノが難しい顔をしているってことは、これは暗に皇帝陛下から「引き抜け」という指示……?
「みてすぐわかるかな。日本人だったら名前でわかるだろうけど。あ、でも偽名をつかうかもしれないよね」
「名前も聞いています。ルキア・タムラというそうです」
あぶなっ。ルキアだけじゃ多分わからなかったよ! ジュンの祖先のジュンイチロウみたいに、明らかに日本人!って名前じゃないもんな。
「ひとり?」
「はい、1人だそうです」
「……さっきも皇帝陛下がおっしゃってたけど、ふつうなら異世界召喚勇者はくにから出さないんだよね」
「ええ、友好国の王国とはいえ、これまで帝国の教育機関に異世界召喚勇者が留学したことは1度もありません。今回が初です。先ほど大講堂で強引に挨拶してこようとした王国の公爵令息は、本来今年は卒業しているはずだったのです。院生として残ったのは異世界召喚勇者の保護のためかと。そう考えると、異世界召喚勇者はケイトリヒ様を釣る『餌』なのかもしれません」
「えさ? 僕の? 僕って、異世界召喚勇者でつれるの?」
「共和国の異世界召喚勇者を囲っていることが知られたのでしょう。アンデッド討伐に役に立たないとなれば、ケイトリヒ様とのつながりを作るための大使として派遣されたかもしれません。公爵令息の近づき方も不自然でしたし……」
囲ってる、って。ひとを異世界召喚勇者コレクターみたいに言わないでほしいもんだ。
まあ親近感があるのは事実だから、もしその王国の「タムラ・ルキア」が俺に近づいてきたら、人物像によっては受け入れちゃうかもしれない。
「どこの寮?」
「ファイフレーヴレ第2寮です」
「……それって」
「帝国の腐敗貴族の巣窟、第1寮でなくてよかったですね」
「そうだね、ってそうじゃなくて。たんじゅんに魔導をまなびにきただけという説は?」
「帝国に入学の断りを入れてきたくらいですから、それもありえない話ではないでしょうね。ですが彼らは確固たる後ろ盾がない。入寮費も学費も国庫から出ているはずです。食糧で困窮している王国が、ただ魔導を学ばせるためだけに異世界召喚勇者を帝国に渡すとは思えません」
そうか。
……まあ、公爵令息のパトリックだっけ? 彼の出方もあるし、異世界召喚勇者についてはしばし静観の方向でいいか。
オリエンテーリングの時間。
インペリウム特別寮は専門科目が4つしかなく、そのうち領主子息が選択すべきは3つ。残りの一つは、家政学といって上級執事や家令候補など、領主の補佐をするのが子供の頃から決まっている者が選択する授業だ。スタンリーは俺と逆にこれだけを選択する。
ともかく、インペリウム特別寮の学科については科目数も生徒数も極端に少ないためオリエンテーリングはない。そのかわり特別寮の生徒は、他の4寮の専門科目を自由に選択できる。
「グラトンソイルデ寮、ウィンディシュトロム寮、アクエウォーテルネ寮、ファイフレーヴレ寮の順で回りますよ。それぞれ半刻程度で見て回り、前の2寮と後の2寮ではだいぶ離れていますから途中で大食堂を通って……」
ペシュティーノが会議室の白い壁をプロジェクターのスクリーン替わりにして学院の見取り図を映し出し、俺の移動に合わせた護衛プランの説明をしている。側近と護衛の魔導騎士隊たちは真剣に聞いていて俺も一応聞いてるけど、学校なのにそんなに危険があるとは思えない。
生徒を驚かせるためギンコでの移動は控える、ってとこだけしっかり聞いてた。
今日は抱っこ移動ね。
「ケイトリヒ様にも防衛上の観点から申し上げておきたい心得がございます」
「ふぇっ、な、なんでしょう」
突然水を向けられてびっくりしちゃう。
「通常の外遊での心得は覚えていらっしゃいますか? ヒトによる襲撃に遭ったとき、ケイトリヒ様はどのように動くべきか」
「しゅうげき……あっ、しじがあるまでうごかない、こえをださない、みをまもる!」
正確には「精霊や魔導で応戦してはいけない」なのだが、それはこの場所ではちょっと控えておいた。騎士たちも俺の答えに頷いている。
聞いた時は不思議に思ったものだが、騎士たちが頷いてることを考えるとやはり戦場で護衛対象の子供がチョロチョロするのは恐怖なんだろう。ようやく納得できた。
「正解です。では学院のような不特定ではない、多数の一般人がいる場所での心得を覚えておいてください。護衛から離されてしまった場合、ケイトリヒ様くらいの年齢であれば『とにかく助けを求める』です。泣き叫び、大声を上げて周囲に危険を知らしめて注目を集めてください。これが何よりも優先です」
騎士たちがまた頷いている。そういうもんなの?
「はい、ケイトリヒ様、練習です。大声をあげてださい」
「えっう」
「護衛たちの姿が見えなくなったら? はい!」
「あー!」
「それでは足りません。周囲にいる生徒や教師にも、『何事だろう』と思わせるくらい泣き叫んでください。さあ、もう一度!」
なるほど、目撃者を増やすためでもあるんだな。
「あーん!!」
「もっとです!」
「ふわーーーん!! あーーー! わぁーー!」
「……まあいいでしょう。騎士たちも、今のお声を覚えましたね? これがケイトリヒ様の救難信号です」
「はふ……」
つかれちゃったよ。
さて、防衛会議はおわり。
制服にあわせたかっこいいお帽子をかぶって、ペシュティーノに抱っこされて、まずはグラトンソイルデ寮にしゅっぱつ! でも抱っこされてるとどうしても眠くなってスヤァ。
「ケイトリヒ様、着きましたよ。起きて姿勢を正してください」
「んにゃい」
「ペシュティーノ様、お帽子をとりましょうか」
「いえ、すぐに出ますしケイトリヒ様は気に入ってるようなのでこのままで」
「すぐにでるの?」
「グラトンソイルデ寮の説明会に興味がおありですか? 行政と立法ですよ」
「統治にいちばんひつようなものでは?」
「授業はそうですが、今日はその授業がどのようなものかの説明会ですよ」
「すぐにでましょう」
「そうでしょう? 説明に使う木札は説明会出席者にしか配布されませんので、それをもらいに来ただけです。あと、グラトンソイルデ寮への顔見せですね」
「かおみせ」
「威嚇と称しても構いませんが」
父上にも言いたいことだが、やたらめったら周囲を威嚇しないでほしい。
学生生活を送るのは俺だよ?
グラトンソイルデ寮のメインホールは、前世でいう大学とかによくあるごく普通のホールだ。シンプルだが品が良く、奥の壇上には「高潔であれ」「公平であれ」「公人であれ」という3つのスローガン的な垂れ幕が下がっている。悪くない内容だね。
「あ、エーヴィッツあにうえがいる」
「シッ……お静かに」
大広間に入ると、一気に俺に視線が注がれた。
俺のような小さな子が珍しいように好奇心丸出しの視線や、やや迷惑そうに冷ややかな視線など様々だ。
グラトンソイルデ寮はインペリウム特別寮の次に人数が少ない。それでも行儀よく椅子に座った新入生の数はざっと100人はいる。
不躾なヒソヒソ話が響くこともなく、シンと静まり返る大広間はさすが未来の高官。
ペシュティーノの話では、入寮者はもとより成績優秀者、さらに野心家で勉強熱心な者が多い。半端な優秀さでは蹴落とされるのがオチで、生半可な努力ではついていくことも難しいと言われる、まさに「ガリ勉寮」。
「インペリウム特別寮の方はこちらへ」
案内役の女性が生徒の集団から少し離れた位置に置かれた椅子へ案内してくれる。
エーヴィッツが座る席の後ろに案内された。彼の隣には見慣れない男子生徒の後ろ姿。インペリウム特別寮の新入生かな。
「軍事科防衛学、軍事科治安内政学、軍事科アンデッド対策学……経済科商法学、社会科都市開発学……」
難しい言葉が並んでいるが俺の知りたいことが山盛りだ。この世界の人の営みを知る上ではグラトンソイルデ寮が最適だろう。大広間では教師の紹介と、学科の説明が続けられている。
「ケイトリヒ様、資料も入手しましたので次の寮へ参りましょう。この寮は私でもご説明さしあげることができます」
「あはい」
想像以上にすぐだった。
次はウィンディシュトロム寮だ!
「ウィンディシュトロム寮というと私の世代では、商業科というイメージより目的不明の生徒が多いというイメージでしたね。学びの幅が広いというべきなのか……真剣に商業を学ぶ生徒は少なかったように思えますが、今も同じなのでしょうか」
ペシュティーノの説明に、俺を抱っこしたガノがふむふむと頷く。
「商人として必須な知識は算術や読み書きだけなく『人脈』と『嗅覚』だと私は思っています。そのためには他寮と積極的に関わり、情報を集め顔を売るというのは理に適っているのではないでしょうか?」
ガノの意見になるほど、とペシュティーノも頷いている。
「確かにガノの言う通りですね。私の見解は狭量だったと認めざるを得ません」
「い、いえ。決してそういうつもりでは」
「いえ、私は感心したのですよ。在学中は気づけなかったことです。成人しても異なる経験を持つ人物と関わることで、人は学びを深められるのだと改めて気付かされます」
ペシュティーノもガノも真面目だな。とはいえ、ほんとはノーテンキに学生生活を謳歌してる生徒もそれなりにいるんじゃないの? 平和な日本ではありえる話だけど、こっちではどうなんだろう?
ウィンディシュトロム寮の外観は、明らかに他の寮よりも風変わりだ。ところどころ用途不明なファンタジーデザインが施され、派手ではないものの「変わってる」。
だが入ってみると意外に内装は少し華美なくらいでギョッとするほど風変わりなものは見当たらない。俺のこころにやさしい。
「ウィンディシュトロム寮へようこそ!」
笑顔がまぶしい美少年が迎え入れてくれた。
なんかお花が見える! 気がする!
「この寮の特性というのは他寮のように明らかに見て分かる、といったものではないので不躾ながらご案内のお役目を頂きたいのですが、ご許可頂けますでしょうか? 私はウィンディシュトロム寮4年生、ヴィンフリート・メルテンスと申します。お気軽に、ヴィンとお呼びください」
主にペシュティーノを見ながらも、他の側近にも人懐こい笑顔をまんべんなく向けるところがアイドルっぽい。デキるアイドル。
「先程のガノの話がなければ断っていたところですが、ここは謙虚になって案内をお願いするとしましょう。いかがですか、ケイトリヒ様?」
「うん! おねがいしますっ」
ヴィンは嬉しそうにしながらも、「まるで妖精ですね!」と俺を褒めるのを忘れない。
いやあ、自分で言うのも何だが俺もまあまあ美少年だと思っていたが、上には上がいる。彼の抜けるような白い肌に淡い水色の髪、そして深いグリーンの瞳はアニメキャラがそのまま現実になったみたなルックスだ。
「ラウプフォーゲル公爵令息ケイトリヒ王子殿下。ご案内のお役目を賜り、光栄の極みにございます。さあ、どうぞそのままお進み下さい。まずは芸術学科をご覧に入れましょう」
洗練された所作と笑顔で、高圧的なペシュティーノや高位貴族である俺にも怯むことなく優雅に案内する。肝も座ってるみたい。
「ウィンディシュトロム寮の芸術学科は美術作品の制作のほか、舞台公演を行っております。見世物やショウのようなものもございますが、我が寮で力を入れているのは演劇で」
「えんげき!!!」
俺の唐突な叫びに、ヴィンも少し驚いたようだ。
「はい、小さいながら劇団を2つ抱え、帝国で公演を行っております」
「ガノ、げきだんですってよ! まどうがくいんは、じんざいのほうこですね!!」
「そ……そうですね」
「王子殿下は劇団に興味がおありなのですか? であればとても嬉しいですね、私も劇団に所属しておりまして、何度か主役もやらせていただきました」
ヴィンの美貌なら主役も当然だ。
「そうでしたか! ヴィンはおだやかながらも堂々としていて、他人からじぶんがどうみられているのかよく理解しているとおもいました。きっとすばらしいぶたいになるでしょうね! ぜひみたいです」
ヴィンは少し素がでたのか、完璧な営業スマイルを捨てて照れたように笑う。
「そう仰っていただけるなんて、平民の私には身に余る光栄です。もしまた主役の座を得られた時には是非、ご招待させてください」
「へいみんも貴族もかんけいないと皇帝陛下がおっしゃったではありませんか。そんなに謙る必要はありませんよ。僕、ヴィンのことおうえんしますね!」
ヴィンは「嬉しいお言葉……」といいながらもじもじしたように照れて俯いてしまった。
さすがに褒めちぎりすぎた?
まさか異世界で「推し」を得ることになろうとは思いませんでしたよ!
案内された演劇ホールの舞台では、定番の演目『ヴァイツフィルム生誕物語』の練習中。現在の全ての画像系魔法の祖といわれる投影機の考案者の半生を描いたサクセスストーリーだ。
絵空事と言われ発明をバカにされていた平民の主人公が、その発明のひとつ投影機を作り上げたことで皇帝陛下から名誉と地位を授けられ爵位を得る。
簡単に要約するとそういう内容なのだが、主人公が平民でさらに成功物語という夢のある内容ということで学院では常に一定の人気を誇る演目なんだってさ。
演劇の舞台装置は当然魔法じかけで、舞台照明や大道具、小道具までも非常に良く出来ている。前の世界よりも大掛かりで手が込んでいるくらいだ。
声も自然に拡声されているのか、舞台から一番遠いホールの後ろから入った俺達にもはっきりと聞こえる。これは実際の舞台だけでなく、動画になってもきっと充分娯楽として通用するレベル。
「舞台演出の魔道具はアクエウォーテルネ寮の研究過程で作られたものや、ファイフレーヴレ寮で研究中の魔法陣なども実験的に使われます。華やかでしょう?」
ヴィンがこちらを見ている気がするが、俺は舞台上の魔力の流れを探るのに夢中。
「ウィンディシュトロム寮は他寮と関係が深いのですね」
すかさずスタンリーがヴィンの相手をする。ちょっとまってね、すごい面白い魔法術式使ってるみたいだから! あっ、今のは俺の幻影魔法とちょっと近い。
「ええ。ウィンディシュトロム寮は世界を駆け巡りあらゆる物をつなぐ絆の精霊、ドゥラスロールを掲げておりますから。……王子、熱心にご覧になってましたが気になる演者でもおりましたか? よろしければ公演のあとご挨拶を……」
「いえ、えんぎではなく舞台装置がおもしろくて。光をだす装置はかなりせんれんされていますけど、大道具のいどう装置はかなり動きがあらいですね。なにか、いちぶの魔法陣が干渉しあってるのかもしれません」
「ケイトリヒ様」
スタンリーが少し咎めるような目線を送ってくる。
「あっ、も、もちろん演技もすばらしいとおもいますがどうしてもぎじちゅめんが気になってしまって、えへへ」
焦ったから噛んだじゃんか!
「ケイトリヒ様はアクエウォーテルネ気質でいらっしゃるのですね」
ヴィンは楽しそうにクスクスと笑う。
「私を応援すると言ってくださったのに、別の誰かに夢中になってるのかと邪推してしまいました」
ヴィンはいたずらっぽくそう言ってまた笑う。
なかなかの人たらしだな。美少年、恐ろしい。
劇場のあとは展示スペースへ。そこは専門の案内人がいるということで、ヴィンとはここでお別れ。
魔道具鑑定の簡単な判別方法、古代遺物の値付け方法まとめ、そして転移陣の商用化の課題と実現後の経済効果など。
グラフや絵などを用いてわかりやすい資料、ガラスケースのようなものに入った研究中の品々。さすが「商業科」と呼ばれるだけあって、プレゼンテーション力は際立っている。
そして展示の前には、数名の愛想のいい生徒が説明のためにスタンバイしていた。
恐らく俺……インペリウム特別寮の生徒が来ると聞いて張り切っているのか、遠目でも俺の動向をわざとらしくない程度に探る様子がよくわかる。
「ほう。転移陣の商用化……ですか」
「はい、ラウプフォーゲルの王子殿下、そしてご側近の皆様方。トリュー事業の話は今商人の間で聞かぬ日はないというくらいの話題の事業であることは存じております。成長目まぐるしいトリュー事業に、追いつけ追い越せと研究しているのがこちらの転移魔法陣です! 今、最も実現に近いと言われているのはこちらのグレッグモールト商会が商品開発している敷物型ですね。12年前の皇帝陛下の勅命以来、転移陣の研究は……」
ペシュティーノの呟きのような言葉をきっかけにスタンバイしていた生徒がペラペラと流暢に喋りだす。
研究内容の変遷をまとめた展示物をざっと見る限り、どの研究も常にネックは魔法陣設計と、消費魔力の効率。ペシュティーノはチラリと俺を見て「余計な事を言わないでくださいね」とでも言うようにニコリと笑った。わかってますって。
研究中のモノを見るだけで俺には魔法陣だけでなく、魔道具に込められた作用やその設計が全て手にとるように分かるので、とても勉強になった。
「あ……これは、じゅしそざい?」
展示品で作られているのは純度の低いガラス瓶のようにぶ厚く濁った色合いの容器だが、素材は確かに樹脂だと資料に説明がある。
まだまだ研究段階だが、純度を上げて異素材と組み合わせれば劇的に変貌するはず。
「樹脂……松脂みたいなものですか? それで容器を作るとは、不思議な研究をしている方もいるのですね」
スタンリーが呆れたように言うが、樹脂の可能性はおそろしく広い。
地球では石油原料ではあったが、原型は樹脂。つまりプラスチックが作れるのだ。
「レオの調味料のじゅようがたかまれば、それらをいれる容器がひつようになります」
密封できて、衝撃や揺れで破損することなく、軽い。
醤油や味噌は匂いが強いし、こぼれたときの被害も大きい。
輸送には専用の容器が必要だろう。
「あのっ、お、お、おっ王子! じゅ……樹脂素材に興味がおありでしょうか。ローレライでは、ほっ、豊富に取れる素材で、研究が、すすす、進めばあらゆる可能性が……」
おどおどしたメガネの生徒が意を決して俺達の一団に歩み寄った……が、その後ろから背の高い男子生徒が「どけっ」と言いながらそれを押しのけた。
「ラウプフォーゲルの王子様にはそのような地味な市井の素材よりも、御身を飾る模倣宝石はいかがでしょう! 傷つくことを心配するような部分の装飾にぴったりです! 例えば馬具など……」
背の高い男子生徒が愛想のいい笑顔でベルベットの箱を開き、俺に見せようとした。が、その生徒の視線が俺の足下から首元まで舐めるように見たあと、パタンと箱を閉める。
ま、そうだよね。
宝石の目利きならばなおさら。俺の首元のブローチも、ベルトにさり気なく使われている飾りも、ブーツに縫い込まれているものも、全部超一級品。
「ええっと、そこのあなた、せつめいをつづけてもらえますか? じゅしそざいのけんきゅうをしているのですか?」
「はっ、いっ……いえ、わた、私は……私は研究はできませんので、魔導学院の優秀な方に研究してもらいたいと、お、お、お、思っていて、いて、いた、のですが、ど、どなたも興味を示して頂けず……その……」
そうか、ここはウィンディシュトロム寮。
研究者ではなく用途や販路を拡大するための展示だ。
ガノに樹脂素材の用途を研究して欲しいと言っていた生徒の名前を控えさせ、その後もいくつか興味のある展示をしていた生徒の名前を控えてウィンディシュトロム寮を後にした。
いやあ面白かった! さすが商業科といわれるだけある。
ウィンディシュトロム寮は金儲けの予感をビシビシ感じるところだね!
次は大食堂を通って、アクエウォーテルネ寮だ!