5章_0063話_入学式 3
あっという間の2週間だった。
この期間で魔導学院の主要な講堂や実習室は大体わかったし、トイレの場所もバッチリ。これ大事。
そして新しい寮でのあにうえたちとの生活も、すっかり慣れた。
ジリアンやエーヴィッツははじめこそおっかなびっくりな部分も多かったけど、ラグジュアリーなプールで遊んだり遊戯室でチェスの原型のようなチェッタンガを習ったり、修学旅行のような楽しい時間だった。
ちなみにクラレンツはまたスタンリーに競泳で負けてた。
エーヴィッツはカナヅチだったが、スタンリーの指導で少し泳げるようになった。
見学する魔導学院の中にも徐々に生徒の姿が増え、あまり気軽に出かけられなくなった頃にはもう入学式前日。
「今年の入学式は壮観だろうなあ。何しろザムエル様が来るだろうから」
「えっ! ちちうえくるの!?」
「そんなの聞いてねえぞ!?」
「いや、当然だろ! 息子が2人、いや正確には3人も入学するんだ。その上こんなクソ目立つ寮なんか建てちゃってさ、来ないわけ無いだろ!」
ジリアンの発言に、エーヴィッツだけはなんか照れたように嬉しそうにしている。
どうもエーヴィッツは父上……ラウプフォーゲル領主ザムエルの息子だと言われるのが気恥ずかしいらしい。事実なのに、へんなの。
そしてジリアンの言葉遣いは諦めた。何せクラレンツも似たような感じでダメダメなのでせめて外でちゃんとしてればいいやという話になったのだ。
そっかー、と思ってたら突然寮のエントランスホールの扉がバーンと開き、ものすごいでっかい声で「これは見事だな!!」という大声が響いた。
父上のような父上じゃないような。
驚いて出迎えると、父上とゲイリー伯父上がいた。でかい。
ここ最近ずっと魔導学院の生徒しか見てなかったから、余計デカく見える。
オリンピオとかは例外として。
その後ろにエーヴィッツの養父もいるんだけど全然見えない。決して華奢なわけじゃないんだけど、ファッシュ兄弟がでかすぎるんだよね、肩幅とか。
「ゲエッ! なんで父上もいるんだよ!」
「ジリアン! ゲエッとはなんだ、実の父を見てゲエッとは! さあ来い! いつまでもお前は……おおっ! ケイトリヒ! お前は相変わらずちっちゃくてかわいいなあ!」
ゲイリー伯父上の猛攻に備えていると、父上がそっと俺を抱き上げた。
「ケイトリヒ、クラレンツ。そしてエーヴィッツ。どうだ、寮での生活は」
声の質はゲイリー伯父上とほぼ同じなのに、落ち着きが違う。
こういうとこが父上が跡継ぎに選ばれた要因なんだろうか。あるいは反面教師のゲイリー伯父上のおかげかもしれない。
「かわりなくすごせてます!」
「東の離宮もいいですが……やはり寮に入ると、なんだか刺激的です。エーヴィッツやスタンリーみたいな同年代と過ごせることも多いですし」
おお、クラレンツがまともな受け答えを! なんだか嬉しいよ!
「身に余る贅沢に驚くこともありますが、充実しています。これからも勉学に勤しみ、大ラウプフォーゲルの系譜ヴァイスヒルシュ領の民を導くため精進いたします!」
エーヴィッツあにうえの言葉にクラレンツとジリアンがシーンとなる。
領主を次ぐ気ゼロの2人とは覚悟が違うのだよ、覚悟が! とでも言われたかのような気まずさ。ちょっとでもクラレンツ成長したなと思った俺の感動が突き返されたわ。
「そう肩ひじを張るでない。次期領主候補の指名を受けているとはいえ、其方はまだ若いのだ。好きなことをして、興味あることを学びなさい。それがいつかヴァイスヒルシュに還元される。なあ、ヴィンデリン」
「領のことを考えてくれるのは嬉しいが、エーヴィッツには悔いのない学生生活を送ってもらいたい。そうでなければ、ファッシュ家に顔向けできなくなってしまうよ」
父上が俺を抱っこしたままエーヴィッツの頭を撫で、ヴァイスヒルシュの領主は肩を優しくたたく。父上は少し離れていたクラレンツにも腕を伸ばし、がしがしと頭を撫でる。2人ともむず痒いように笑いながら、嬉しそう。
「ほらっ! ザムエル叔父上だって好きなことをしろって!」
「お前は好きなことをし過ぎだっ! 言葉遣いをケイトリヒに指摘されたそうではないか! だから側近をつけろとあれほど言ったのに、この寮でも付けん気か! 来いっ! いつものアレをしてやる!」
騒がしい父子はギャーギャーと攻防を繰り返したあと、何故かジリアン従兄上が高い高いされていた。痩せてるとはいえ、俺の見立てでは160センチはあるジリアン従兄上を軽々と垂直に放り投げるゲイリー伯父上の筋力は素直にすごい。
っていうかあれ、罰だったの!?
ポカンと見ていると、父上がゆさゆさと俺を揺する。
「お前もやってほしいか?」
「あ、あれは罰なんですか」
「ジリアンにとってはな。小さい頃に兄上がやりすぎて、漏らしたことがあるのだ」
ええ、可哀想……。
ちなみに現代日本では高い高いのやりすぎは虐待扱いされるから注意だ。
「僕にはごほうびです!」
「そうか、では」
おもむろにポーンと上へ投げられた。この浮遊感! たまらーん!
「キャー! うひゃふへへへぁっ!」
声変わり済みのジリアンの悲鳴と、俺の甲高い歓声が入り交じるエントランスホールが笑顔に包まれた。
昼食はレオ特製のステーキ。
俺以外のファッシュ家の男たちは、大きな皿にこぢんまりと出てきたステーキに不満げ。だが食堂のテーブルすぐそばに移動式鉄板焼きグリルを設置した瞬間、男たちの目が輝いた。
「熱々をご用意しますので、お好きなだけ召し上がりください」
俺だけでっかいハンバーグだったけど、それ以外の男たちは子どもでも400グラムはあるだろうでっかいステーキ肉を3枚以上食べていた。父上とゲイリー伯父上は6枚目で少し苦しそうにしてたけどなんとか食べきっていた。2キロ以上食べるなんてしゅごい。
ソースもレモンペッパーにデミグラス、スパイシーチリソースやオニオンソース、わさび醤油におろしポン酢とバリエーション豊か。口直しににはお肉に合うピクルスも用意されていて、父上たちも大満足。
ヴァイスヒルシュの領主は最初は遠慮していたけど、レオが次から次に焼き上げるものだから途中からフードファイトみたいになってた。
食事が終わったら、新しい寮をすみずみまでご案内。
俺はたくさん食べておネムなので案内役はあにうえたちに譲りまーす。
ふと目を覚ますと、バラの寝台の上に父上が大の字で寝ていて、俺はその胸の上で寝ていた。これペシュティーノと同じパターンでしょ! どんな寝心地なのか寝転んでみたら安眠の魔法が効果てきめんだったやつでしょ! 父上疲れてるんだなー。
寝起きの父上はちょうごきげん。
「半刻しか寝ておらんのに、夜中眠ったかのようにすっきりだ!」と言って精霊の安眠魔法をラウプフォーゲル城の自分の寝台にもかけてほしいとおねだりしてた。
ユヴァフローテツの分霊たちを派遣しましょうかね。
それからエーヴィッツあにうえとチェッタンガをしたり、クラレンツ兄上と剣術の稽古をしたり、全員で庭園を見て回ったりと休日みたいに過ごした。
「ところでぱぱは明日の入学式に参加されるためにいらしたんですよね」
「ああそうだ。公爵令息がこの学院に入学するのは25年ぶりだからな。しかも皇帝命令でな! まあ、学長から是非にと請われて来たのだ」
父上はワッハッハと豪快に笑ったあと、「どこぞのぼんくら息子とはわけが違うのだ」とニヤニヤしながらペシュティーノに向かって言う。ペシュティーノも口角が上がるのを必死でこらえてる。父上からみてもシュティーリ家の跡継ぎってぼんくらなんだ……。
次の日。
俺とクラレンツとエーヴィッツは新入生がつける小さなブーケとリボンのブローチを付けて、父上やジリアンよりも早めに寮を出る。
学院から届けられたブローチのブーケは濃いピンク色をした花をメインに、淡い黄緑色のリボン。暗い色の制服に合わせて作られたのだろう、エーヴィッツとクラレンツにはよく似合ってる。
「ケイトリヒ様のお召し物には、どうも浮いて似合いませんね」
ガノが呟くと、バジラットが「そうだな」と言いながら、花のにおいを嗅ぐように顔を近づけてきた。みるみる花の色が淡い青色に変化する。
「こんなかんじでどうだ?」
「うむ、良いのではないでしょうか。私も服飾は門外漢ですが、さすがに制服の色味が全く違うのですからブーケの色も変えたほうが良いでしょう」
ガノが振り向いてエントランスに集まっているジュンやペシュティーノたちに同意を求めるように言うが、全員ノーリアクション。父上まで「そういうものか」と言って関心なさげ。ファッションに対して意識低すぎ系側近しかいない。
「……次に雇い入れる側近は、是非服飾に長けた方だといいですね」
ガノがちょいちょいと俺のジャボのフリルの膨らみをいじりながら、いじけたように呟いた。わかるよ、その気持ち。ただ、気持ちだけね。ファッションは俺もわからない。
さて、気を取り直して全校生徒が集まる大講堂へGOだ!
今日もギンコに乗って。ちゃんと学院の許可はとってますからね。
インペリウム特別寮から大講堂まではわりと近い。
ジュンとオリンピオとエグモントとガノ、それにスタンリーとフルセット護衛に加えてペシュティーノつき、さらにミーナとカンナまで一緒に移動だ。前と後ろには魔導騎士隊の護衛騎士もいる。今までで一番ぞろぞろしてる。
分寮を出て、インペリウム特別寮を抜けるとぱらぱらと大講堂へ向かう生徒がみえた。
「ひと、すくないですね?」
「通りにいるのはインペリウム特別寮の生徒だよ。ほかの寮の生徒は、人数が多い上に移動が大変だから早めに集まるとケイトリヒの側近から聞いたよ。それにインペリウム特別寮の生徒は皆、領主子息だ。他の寮の誰よりも身分が上だから、後に入場しなきゃ」
エーヴィッツがよこでニコリと笑う。
なるほど、貴族社会ってそんなもん。
大講堂に入ると、用意されている席は満席。エーヴィッツの言う通り、俺たちよりも早めの集合時間だったみたいだ。
前世の入学式のことはだいぶ遠い記憶だけど、なんか新入生って後から顔見せみたいに入場してなかったっけ? こっちでは一緒に入場して一緒に座って待ってるんだね。
「ケイトリヒ様、こちらですよ」
俺の意識が会場に向かっているせいでギンコもそちらに向かっていたところを、ガノに強制的に逸らされる。階段だ。え、2階席?
「インペリウム特別寮の生徒は防衛上の理由から全員2階席です」
スタンリーが補足してくれた。なるほど?
2階に上がって部屋に案内されていると、長い廊下の向こうにずらりと整列している生徒たちが見えた。全員カナリアイエローのタイをしているけれど、制服の色はまちまち。やっぱり、けっこう制服って変えても良いんだね! 俺だけ浮かなくてよかったー。
「あれは?」
「インペリウム特別寮の生徒たちですよ。特別寮の中でもファッシュ家は公爵位なので別格で、ああやって出迎えるのが礼儀なのです。顔をあげるのは無礼にあたりますから、声をかけたりしてはいけませんよ」
出迎えてくれた生徒をさっと流し見ると、男子生徒は右手を胸元に当てて頭を下げ、女子生徒は足がすっぽり隠れるスカートを少しだけつまんで広げて頭を下げている。
兄上たちが入学の最低年齢というだけあって、どの生徒も背が高く大人っぽい。でもやはりラウプフォーゲル人と比べると男子も女子もみんな華奢で小柄。ホッとするサイズ感。
廊下の小部屋に案内されると、そこはオペラハウスの個室みたいになっていて講堂全体が俯瞰で見える。騒いだりする生徒はおらず、全員行儀よく椅子に座って雑談など交わしながら待機しているようだ。
ギンコに乗ったまま手すりを掴んで下の座席を見回していると、生徒たちが立ち上がって後ろの方に向かって敬礼や頭を下げている。誰か来たのかな。見えないな。
「ケイトリヒ様、そんなに身を乗り出しては危ないです」
ペシュティーノに回収されて、お椅子へ。
ぼんやりしていると部屋に父上がやって来て、俺の隣に座った。俺が見上げると、ほっぺをうりうりしてくる。ちょっと痛い。
入学式は、俺の記憶よりずっと実務的。
校長先生のおはなし〜とか、PTA会長のおはなし〜とか生徒会長のおはなし〜とか、そういうものは一切なし。
手元に配られたちょっと上等な木札に書かれた「全寮共通科目一覧」に沿って授業内容の説明だ。入学式というか、入学説明会? 式典みたいな概念はないのかな。
飽きてきたし、薄暗いし、お腹すいたし椅子が体に合わないから体勢が微妙だし、だんだん眠くなってきた。壇上中央に飾られている帝国旗にならんでラウプフォーゲル旗があるのがちょっと不思議に思っていた。
もぞもぞしているとガノがタイミングよくちいさなたまごパンみたいなものを差し出してきた。さすが気が利くー! 食べながらもぞもぞしていると父上が抱き上げて、膝に座らせてくれる。やっぱお膝最高。
「帝国第一領、ラウプフォーゲル領の領主にしてラウプフォーゲル公爵、ザムエル・ファッシュ閣下より新入生へ激励のお言葉を賜ります。生徒、起立!」
予想外の人物紹介に驚いたのは俺も同じだが、何故か会場がざわつく。
特別寮のすぐ下にの一般寮の生徒たちの内緒話を音選する。
「え、ラウプフォーゲル領主様が? 本物!?」
「はっ初めて見る……すごい、あの方がファッシュ家の当主様!」
「皇帝の次に偉い人なんだよね?」
「この場にいらっしゃるってことは、子供が入学してきたってことじゃん! やべぇ!」
どういう「やべぇ」なんだ。前世のようなただの感嘆詞なのか判断がつかない。
とにかく父上はとても有名人であることがわかった。
父上の目の前に、学院所属の使用人みたいなヒトがスタンドマイクみたいなものを差し出す。こっちの世界にもあるんだ。でもなんか形がヘン。マイクというより、歌手や声優みたいなプロがマイクの前につけるポップガードみたいだが、それが本体?
と、いうかご挨拶は、俺を抱っこしたままでよろしいの??
「若人諸君、ゼームリング高等魔導学院への入学おめでとう」
堂々としたバリトンボイスが会場に響くと、会場はうっとりした女子生徒、目を輝かせる男子生徒が目立つ。これがカリスマというやつか。
父上の演説は主に「アンデッドを殲滅するための魔導を学び、人々の希望となることを目指せ」という内容。新入生をすこぶるやる気にさせたようだ。
英雄たるもの、努力を怠らず。騎士たるもの、慈しみを忘れず。魔導師たるもの、学びを止めず。か。なかなかいい言葉だ。
「そしてこちらが皇帝陛下の勅命で入学した末息子ケイトリヒだ。洗礼年齢よりも前の早期入学であることに加え、病気がちだったこともあり見ての通り小さい。だが魔導の才能と学習意欲、そして能力はおそらくラウプフォーゲル、いや帝国一となるであろう」
え、ちょっと父上、なに仰ってるんですか?
「ラウプフォーゲルの領主指名とは関係なく皇帝命令で入学した以上、ケイトリヒに万一害なす者がいれば帝国への反逆者として処されることを忘れるな。そしてその判断基準は護衛兵に権限委譲してある。くれぐれも誤解されることの無いよう努めよ」
父上の演説が終わると、妙にムラのある拍手が響いた。
中には席を立ち、手を掲げて拍手する人や左胸に右手をあてて敬礼のポーズをとる人もいる。かたや、形式だけの拍手で困惑したように顔を見合わせる生徒も。
……いやいやいやいや、ちょっとまって!!
父上がそんな凄みきかせちゃったら俺、めちゃくちゃ腫れ物になってしまいます!
どうしてくれるのさ!
でももう言っちゃった後だし、しーらない! あとは野となれ山となれだ。
「ち、ちちうえは有名人なのですね」
相変わらず抱っこされたまま俺が何気なく言うと、エーヴィッツとクラレンツが信じられないという目でこちらを見ている。正直、親戚以外の貴族は皇帝居城でちょっと見たくらいだし、平民など馬車から見たことがあるだけ。ユヴァフローテツの市民はちょっと普通の平民とは違うみたいだから世間に当てはまらない。
自慢できることじゃないが、世間知らずのお坊ちゃまであるこの俺が世間の評価などを知るはずもない。本当に自慢できることじゃないんだが、仕方ないだろ。8歳だぞ。
「……本当に能天気だな、ケイトリヒは……いや、ケイトリヒなら仕方ないか」
クラレンツが呆れたような顔でため息をつく。何が仕方ないんだ?
その後は皇帝陛下代理人という人物が壇上に立って話し始めた。父上に比べればカリスマ性は無いものの、聞き取りやすく穏やかな口調はとても好感の持てる演説だ。
「あれ、あのかたはジンメルさん?」
「そうですね、皇帝陛下の筆頭文官でいらっしゃいます」
横のスタンリーが答えてくれた。
本当は俺を膝に乗せる係なんだけど、役目を父上にとられてそわそわしてる。
そうだ、あのカイゼル髭。皇帝居城で案内してくれた筆頭文官だ。
「皇帝陛下はおみえにならないのですか?」
「ただの入学式に皇帝陛下が直々にいらっしゃるわけないよ。帝国のどこの学校でも入学式の式次第には『皇帝陛下のお言葉』が組み込まれてはいるけど、皇帝陛下御自ら出席なさっていたのはもうかなり昔のことだ。それでも筆頭文官という重要な側近が寄越されるということは、この学院には期待されてらっしゃるのだろうね」
エーヴィッツが子供に言い聞かせるように優しく言う。
ジンメルさんはゆったりと話しながら生徒たち一人ひとりに語りかけるようにゆっくり見つめながら喋る。その動作は、演説者としてはとても優秀だ。さらに俺と目があった瞬間、ジンメルは少し頷いて微笑んだ。俺も愛想笑いを返す。
広いホールだが、思いのほかあちらからもよく見えるようだ。
「私自身はもちろん、今上皇帝陛下も貴方達の活躍を……」
ジンメルさんは今まで流れるように話していた言葉と動きをピタリと止めた。
何事かと生徒たちが注目する中、彼はニコリと微笑んで続ける。
「貴方達の活躍を願い、皇帝陛下が御自らお見えになっています。皆様、ご起立を!」
突然仕切り始めたジンメルに、生徒たちは困惑しながら起立する。
舞台袖から大層立派な衣装の大柄の人物が現れ……紛れもなく、皇帝陛下だ。
わあっ、と歓声が上がり、階下の生徒たちは波紋が広がるように跪いて頭を垂れる姿勢をとる。一部跪いていない生徒は、おそらく外国の生徒だろう。
「平伏の必要はない。皆、楽にいたせ。着席して良い」
片手を上げて生徒たちを座らせると、ホール中をぐるりと見回す。
ジンメルと同様、俺を見つけてニコリと笑って軽く手を挙げたのは多分、わざとだ。俺も満面の愛想笑いで返す。
「魔導は不可能を可能にする」
何の前置きもなく、皇帝陛下はよく通る声でそう言った。
「そして、国の力……国力とは、全ての国民のことだ。そこには貴族も平民も、騎士も足萎えも関係ない。全ての民が国を形成する血肉であり、骨であり、魂であり命である」
再び皇帝はぐるりとホールの生徒たちを見つめる。
「帝国、王国、共和国。国の隔たり無く、よく学び、よく遊び、よく愛せよ。自らの家族を、自らの周りで自らを活かす命そのものを守れる力を持て。それこそがこの大陸を等しく発展させる力となるだろう。力を持て! ギフトゥエールデ帝国の最高権力者である皇帝として、其方たちに望むことはそれだけだ。以上!」
バッと片手を挙げた皇帝陛下につられて、生徒たちのほとんどどが操られたように席を立ち、我に返ったように拍手をする。次第にそれは大きな渦となり、喝采となった。
「皇帝陛下万歳!」
「ギフトゥエールデ帝国万歳!!」
皇帝陛下は本当に言うだけ言って、豪奢な刺繍で彩られたマントを翻して舞台袖に消えていった。後には「本物の皇帝を見た」という実感がにわかに湧いてきて興奮した生徒たちのざわめきが消えない。
式を進行していた司会役の教師が落ち着かせるのに苦労していたが、その後は教師の紹介と午後の予定の告知だけだ。落ち着かせるのは難しいと判断したのか教師たちの紹介は手早く済ませ、予定よりもかなり早く昼食の時間になった。
「すげえ、すげえ!! ラウプフォーゲル公爵閣下と皇帝陛下同時に見ちゃった!」
「まさか皇帝陛下が出席されるなんて! 特別寮の席をご覧になってなかった? ラウプフォーゲル公爵閣下のご令息が勅命で入学されたからかしら」
「噂には聞いていたけど、公爵閣下は思慮深くて素敵……皇帝陛下も豪胆で素敵!!」
「くっ、俺、帝国人で良かったあ! うおお、頑張るぜ!」
「貴族も平民も関係ないと、皇帝陛下が仰ったのだぞ。信じられるか!?」
「(王国の王とはだいぶ民から寄せられる感情が違うのだな)」
「(共和国の宰相とは比べ物にならん豪快さだな。帝国の強さの象徴だろう)」
生徒のざわめきや内緒話を音選で聞くと、皇帝陛下も人気者だ。
ゲームとかアニメとかでは帝国というと「悪の巣窟」みたいな描かれ方をすることが多いのに、この世界の帝国は違うとレオが言っていた。確かに今上皇帝はいい治世を敷いているようだ。
入学式は終わり、小部屋からでると何やら廊下が騒がしい。
魔導騎士隊が、生徒となにやら話しているみたい。
「あっ、王子殿下が! 頼むよ、少しだけでいいから! ね、ケイトリヒ王子殿下!」
側近たちを刺激しないように少し離れたところから笑顔で話しかけてきたのは緩くうねった豪奢な金髪が目立つ立派な服装の青年。制服は紺色の布地と金糸の刺繍でアレンジされていて、見るからに絵本や物語に出てくる「THE・王子様!」といった風貌。
随分砕けたしゃべり方をしてくるけど、何者なんだろう?
「ラウプフォーゲルの王子たちにご挨拶したいのだ、道を開けてもらえるだろうか」
王子顔の生徒は満面の笑みで丁寧な言い回しだが、断られるはずもないという自信を感じる聞き方。権力慣れしてる。
ペシュティーノがボソッと「そういえばあれがいましたね……」と言って、俺の前にスッと歩み出て魔導騎士隊を制止する。あれ? って言った?
「恐れながら王国公爵家パトリック殿下。ご挨拶はインペリウム特別寮での懇親会で頂きたく存じます。今は何卒、ご容赦を」
断られるとは本当に思っていなかったのだろう、パトリックと呼ばれた金髪の青年は笑顔のまま「え?」とでもいうように首を傾げ、ペシュティーノを見つめる。
王国の公爵家子息か! たしかに想定外の存在。
青年の後ろの側近らしき男たちが「王子、戻りますよ」「だから言ったでしょう」などと耳打ちしているが丸聞こえだ。
「そちらの小さな王子様とだけでも、駄目かな! ちょっとだけ! 僕の方から名乗るだけでいいから! ねっ!? ちょっとだけ!!」
予想外に食い下がってきた金髪青年パトリックは胸の前で手を組んで「お願い」のポーズをする。きっとこれで色んな人を従わせてきたのだろう。
だがペシュティーノには効かない。
聞こえてないとでも言うように黙礼して背を向けるペシュティーノの背中に追い縋りつつ、俺の興味津々の視線に気づいたのかバッチリ目があってしまう。
(あ、目があっちゃった)
金髪青年パトリックは俺を見て「んにゅふっ」と変な声を上げて笑った。そして素早い動きで俺と目線を合わせるように、もっと言うならプロポーズでもするかのように恭しく跪いて「僕、パトリックっていうんだ! 院生だよ! よろしくね!」と言い放った。
同時に後ろに控えていた側近が両側からお笑い芸人並に勢いよく、豪奢な金髪がなびくほど強く叩いたので、パトリックの満面の笑みがブルンと揺れる。
「王国の公爵令息が簡単に跪いてはなりませんっ!!!」
「この阿呆王子! 何度言えば分かるのですかっ!!」
「痛いな! なんてことするんだ!」
「(それはこっちのセリフですッ!)」
「(相手は帝国一のラウプフォーゲル公爵家の令息ですよ! 礼を欠くような真似はお止め下さい!!)」
「(だから礼を込めて目線を合わせただけじゃないか!)」
「(ああもう黙って下さい、側近の方に改めてと言われたでしょう!)」
パトリックは追加で叩かれ、さらに耳を捻り上げられて「いでで」と言いながら席へ押し込まれた。
ぽかんと見ている俺に気づいたパトリックは、ニコッと笑って手を振ってくる。
そしてまた側近に叩かれた。
「ぺ……ペシュ、ペシュ! あのヒト、おもしろいヒトです!」
「そうですね。あの方には、ケイトリヒ様を抱っこされている御館様が見えていないようです。心配ですね」
ガチめに心配されてる。なんかかわいそう。
ちなみに王国の公爵令息とは、国は違えど公式には同じ立場。
だが王国と帝国の国力差にくわえてあちらは留学生という立場でもあるので、若干俺たちのほうが上。それでもあっちのほうがだいぶ年上だから偉ぶるつもりはないけどね。
父上も面白いものを見たというように笑ってた。おおらかですね。
大講堂から寮へ戻るのは、高位貴族かららしい。
「これからのよていは? 入学式、おわり?」
「昼食のため寮に戻ります。お館様もいらしてますので、ご一緒に会食となります。クラレンツ様もエーヴィッツ様も、寮に戻られたらすぐに着替えて食堂へいらしてください」
スタンリーがそう言うと、2人の顔がパアッと明るくなる。
父上と食事できるというのはそれほど価値のあることなのだろう。
父子4人でわいわいしながらファッシュ分寮への道を歩く。俺は抱っこされてだけど。
こういう場面でアロイジウスとカーリンゼンがいないのは残念だな。
寮に戻って部屋に戻り、制服から正装に着替える。食事のために正装するって……貴族は面倒だな。城ではここまで厳格ではなかったんだけどな?
スタンリーが手早く着替えを手伝ってくれたが、服が妙に親戚会の時のようにフリフリしている。というかこの衣装、初めてみた。
「こんな服、いつのまにつくったんですか?」
「ゲイリー様の御夫人方からの贈り物です。入学祝い、だそうで」
なるほど納得。
そしてなぜか、スタンリーは最後にバーブラのぬいぐるみ……バブさんを手渡してきた。バブさんは抱っこすると前が見えないんだよ。
「なんでこれ」
「何も聞かずにお持ち下さい」
昼食の席にゲイリー伯父上が? ……まあいるだろうね。それにしてもなぜ、と怪訝な目で見ると、スタンリーが「何も聞かないで下さい」と繰り返した。スタンリーはウソを付くのが得意じゃないのだろう。
どうやら昼食の席でサプライズがあり、黙ってろと言われているのだと簡単に想像がついた。ギンコたちも部屋でお留守番ときくと、だいたいわかる。
俺も中身は大人だから、何も聞かずにバブさんを受け取る。
食堂の扉の前で側近騎士全員が立ち止まり、ガノがバブさんを抱えた俺を抱き上げる。
最近はなるべく抱っこ禁止、っていわれてたはずなのに。
「え、なんで?」
「……何も聞かないでください」
ガノもスタンリーと同じことを言っている。なんか予想がついてしまった。
魔導学院の見取り図はこちらです 気になる方はどうぞ
https://novelup.plus/story/415852563/548075209