5章_0062話_入学式 2
クラレンツがやっと入寮した。
当初の予定より4日遅れ、しかも側近は1人だけ。
先に到着していた荷物に加え、あと2便あるはずなのにそれも着いていない。
「クラレンツあにうえ、そっきんは……?」
「言うな。他の連中は手違いで登録が漏れていて、入寮手続きをし直しているところだ」
クラレンツは俺とエーヴィッツが手を繋いでいるのを見て「随分仲良くなったんだな」と嫌そうに呟いた。
クラレンツとエーヴィッツは仲が悪かったというけれど、今は大丈夫みたい。美味しい食事に満足げだし、手違いでまだ届いていない生活用品も俺ではなくエーヴィッツに借りている。
「ケンカしてたんだよね?」とエーヴィッツにそれとなく聞いてみると、笑いながら「ケイトリヒの私物は高級品過ぎて借りにくいらしい」と教えてくれた。
そんな差がある?
そしてすぐにハービヒト領主の末息子、俺にとっては従兄弟にあたるジリアン従兄上が寮にやってきた。馬車にはでっかい布袋ひとつと木箱が2、3個しかなかった。
そして屋敷を見た状態で門の前でフリーズしてた。
「おっ、俺今年からここに住むのか……?」
「ジリアン従兄上、よーこそ! にもつ、それだけですか? おへやにはこばせますね」
「いやっ、まて、まてまて。ここの騎士はラウプフォーゲルの騎士だろう!? 俺の私物を運ばせるわけにはいかないだろ!」
「いえ、確かに所属モトはラウプフォーゲルですけれど、今は僕の私兵です。そして、僕がこの寮にいるあいだは寮に在籍する全ての子息を僕とおなじにあつかうようにという契約になっていますから、ごしんぱいなく」
「いやなにがご心配なくなのか全然わかんねえぞ!?」
「ジリアン従兄上」
「な、はい?」
「おことばづかいがみだれてますね? 家族のあいだであればそれでもんだいないですけれど、学院では他領の、それも多くは中央貴族の生徒からみられるかんきょうです。もうすこしていねいなことばづかいをしましょう」
「んあ……は、はい……」
ジリアンは俺の後ろで笑いをこらえているクラレンツとエーヴィッツを気にしているものの俺に逆らうようなことは言わない。一応、このインペリウム特別寮旧ラウプフォーゲル分寮で最も身分が高いのは小領主である俺だ。エーヴィッツは次期領主の指名を受けてはいるが、指名の段階であれば小領主よりは下となる。
「今日はちょっとひえますね。さっそくおひるごはんにしましょう! さ、はいって! メイドがおへやにあんないしますね!」
俺が小さな手でジリアンの手をキュッと握ると、ジリアンも優しく握り返して素直についてきてくれる。やっぱりこの世界のヒトは、老若男女問わず小さな子に弱い。
「なんだこれ……スゲエ」
食堂に並んだご馳走に、ジリアンのお腹もたまらずグーと悲鳴を上げた。
「きょうは、この寮のじゅうにんがぜんいんそろったおいわいです! スタンリーもそこにすわって! かんぱいしましょー!」
俺がブドウジュースを掲げると、すでに俺のペースに染まり切っているエーヴィッツとクラレンツが勢いよく「カンパーイ!」と声を上げる。ジリアンは戸惑いながらも、目の前のご馳走に釘付けだ。
「これ、ワインか?」
「ジリアン従兄上、ことばづかい」
「し、失礼。これは……ワインですヵ?」
「いいえ、これはぶどうジュースでス」
カタコトのジリアンに、クラレンツがカタコトで答えると、エーヴィッツが吹き出した。
「なんっだこれ、うめえ!!」
俺がジリアンをキッと睨むと、「お、おいしいですわね」と言い直した。
エーヴィッツがあまりに笑うので、俺もつられて笑っちゃう。
「もう……きょうだけですよ! あしたからビシビシしてきしますから!」
「はあ〜、助かるわぁ〜。もう下の寮で荷物まとめるのに疲れちまったんだよぉ〜。言葉遣いを改めるような気力、今はねえわ〜」
ジリアンはガックリ肩を落としながらも、ムーム肉のローストを頬張って「ウメッ」と呟くのを忘れない。
「そういえば、まえの寮……この寮の下にあるインペリウム特別寮ですけど、すみごこちはどうだったんですか?」
「どうって? 別に普通だけど。まあこっちの寮を一度見ちまうと、見た目はみすぼらしいだろうけど、不便はなかったぜ……いや、なかったよ」
俺が信じられないという目で見ると、すかさずエーヴィッツが「ケイトリヒから見たらそんなにひどかったのかい?」と聞いてくる。彼は見てないからね。
「だってムースがあるいてましたよ?」
「ああ、1階には結構でるんだよな。夜中もよく悲鳴が聞こえてた。でも生徒の私室がある3階ではあまり見なかったぞ?」
いやそういう問題じゃない。
顔をしかめているのは俺とクラレンツだけだ。もしかして、建物にねずみが出るのはラウプフォーゲル以外ではそう珍しいことではない……?
「その感覚ヤバいだろ。ムースはビョーキを運ぶんだぜ。ウチの母上なんて、実家がムースだらけだったから、どうしてもラウプフォーゲルに嫁ぎたかったって言ってたもん。一度東の離宮の外でムースを見つけたときは、天井と床板を剥がして徹底的に調べたもんな」
へー、アデーレはねずみ嫌いなのか。気が合うね。
「クラレンツあにうえのいうとおり、ムースはヒトにはきけんなびょうきや伝染病をはこぶんですよ。たてものには一匹たりともちかづかせないのがただしいです」
スタンリーがチラッと俺を見て、目を伏せる。
……ん? 何か言いたいことがあるのかな?
「そうだよね、スタンリー?」
「ええ、まあそうですね。正しいのは間違いありません」
「いやぁ〜……下の寮にもだいたいの城にも、クロアシマダラグ」
「ゴホゴホッ! ゴホン、ゴホッ! 失礼、胡椒の粒が……ゴホッ」
ジリアンが何か言いかけたところで、スタンリーが急にむせた。大丈夫?
「ゴホンッ……食事中にムースの話など、やめましょう。他領の者が耳にすれば、品位を疑われます」
「そうだね」
さすがスタンリー! その後の会話は柔らかいパンがどうやって作られるかや、肉の臭みの消し方など、料理の話に終始した。みんな美味しいものには目がないね!
そして明日はジリアンの案内で校内を回ることになった。
ジリアンはこの一週間は部屋の整理をする予定だったが、予想外に使用人たちが働いてくれるのでまるっと空いてしまったそうだ。
俺とクラレンツが見学した内容を話すと「全然カバーしきれてない」という話だったので生徒視点での案内を受けることに。楽しみ!
あ、その前に。
「あにうえたち、ちょっと僕のだいじな側近で、ごしょうかいしたいものが」
3人の兄たちは不思議そうにしていたが、食堂にはいってきたギンコとクロルとコガネを見てさすがにギョッとした。主にギンコに。
「この子たちは魔導学院の学校生活において僕の馬でもあり、ごえいでもあります。ふつうのガルムとはちがうので、ごしょーちおきください」
「いや、これはガルムではないんじゃ……」
「どう違うんだい?」
クラレンツは見慣れているが、エーヴィッツとジリアンはさすがに室内に魔獣がいるのに慣れないようだ。
「どうちがうかというと……その、ほかのひとにはナイショにしてほしいんですけど」
エーヴィッツとジリアンの顔が真顔になる。
「しゃべります」
「……え?」
「いやいや、そんなはず」
「我が名はギンコ。主たるケイトリヒ・アルブレヒト・ファッシュの忠僕なり」
「えっ!?」
「ウワッ! えっ! マジで!! マジでこのゲーレが喋ったのか!?」
「え、ジリアンあにうえ、いまゲーレって」
「いやゲーレだろ! だって金色の瞳じゃん!」
どうしよう。パッとペシュティーノを見るとなんかポリポリと指先で頭をかいている。
ねえちょっと本気でかんがえて!
「ジリアン様、彼らはガルムです」
「いやゲーレだって! 金色の瞳のガルムのことをゲーレっていうんだぜ!?」
ペシュティーノの淡々とした押し付けが効きません。
ユヴァフローテツではオトナな対応してもらえたけど、相手は子どもだからね?
さすがにもうごまかすのは難しいんじゃないだろうか。
「我が名はコガネ。いかにも、我々はゲーレである。だが、主がガルムであれというのならば我はガルムと言い張るぞ!」
コガネがものすごくエラソーに無茶を言う。ジリアンはなんだか混乱してきたようだ。
「あ、え……? この小さい方も喋るのか?」
「無礼な! 我らの本来の姿は、この部屋に収まらぬほどの大狼よ。しかし主に仕える以上、ヒトを無闇に脅してはならぬ。故にこのような姿をとっておる! 小賢しきヒトよ、我らがガルムであると名乗る以上、我らはガルムなのだ! よいな!」
クロルもものすごくエラソーに無茶を言う。
なんだかジリアンも「そうか……」みたいな雰囲気になっている。いいぞいいぞ。
よくわからんけどいいぞ。無理が通れば道理が引っ込むというやつだ。
「まあ、というわけであにうえたち、彼女たちもこの寮のじゅうにんなので、なかよくしてください。あ、学院のなかではしゃべらせませんので。いじょ!」
ギンコがスッと伏せをするのにあわせて、ひらりと背中に乗る。
「でわっ! またゆうしょくのときに!」
ジリアンが混乱しているうちに、颯爽と退散だ!
その日はそれぞれで過ごし、翌日。
4人で朝食を食べて、いざ学校案内へ!
「来週から毎日この道を行き来するのか」
クラレンツが不満げなつぶやきは、エーヴィッツもジリアンもスルー。だいぶ仲良くなったね。俺はもちろんギンコに乗って、横にはスタンリー。前はジュンが先導してるし、背後にはオリンピオとガノ、周囲には護衛騎士が4人いる。
ちょっとぞろぞろしすぎじゃない? 仕方ないか。
分寮の大扉から出て、両側に雅な庭園が広がるタイル張りの大きな道を出ると、今度は金属製のいかつい門扉。まだ分寮から出てないのに、ここまでもなかなかの距離ね。
門扉が音もなくスーッとふすまのように横にスライドして開くと、その先は切り立った崖になっていて、門扉前の広い空間はそこにせり出すようになっている。下にはインペリウム特別寮本館が見える。結構たかい!
「えー! かいだん?」
その門扉前広場の両側から、崖に沿って右はなだらかで長い坂道、左側はジグザグの階段が伸びている。高いところって見晴らしはいいけど、登るのが大変。
「いや、手間だろうからってことで下まで昇降魔法陣を作ったそうだ。真下まで降りて、インペリウム特別寮の中庭を通って校舎へ向かう」
先頭のジュンがせり出した広場の手すりの部分で何か操作するとフワッと足下が光る。
「えっ!? 昇降魔法陣……わっ!?」
一瞬で暗い小部屋に移動したので、ジリアンもエーヴィッツも驚いたようだ。
「こんなのあったのかよ! 俺、下のインペリウム特別寮から階段で荷物もって階段で登ったんだけど!」
「僕も、荷物は坂道を馬車で……急だったから、途中で馬が疲れちゃって一度休んだんだよね」
「それを聞いてせい……あー、ペシュティーノ様が大至急作ったらしい」
ジュンがサッと目を泳がせた。ほんと嘘が下手だね!
「えっ? 俺が来て一晩だけど、昇降魔法陣ってそんな簡単なんですか?」
「いや、もともとその……つくりかけで……そう、ほとんど完成間近だったやつを急いで完成させた、んじゃないか、な、多分。とにかく、この昇降魔法陣は分寮に登録された生徒、及び側近のみに反応するように作られてるそうだから」
ジュンがエーヴィッツとジリアン、クラレンツに昇降魔法陣の使い方をレクチャーしている。クラレンツはなんだか俺が色々隠し事をしているのに慣れているのか、あまりツッコんでこない。
そうしていると、急に昇降魔法陣が光った。
「誰かが降りてくるようです。ぶつかるといけませんので、端に寄ってください」
ガノの指示通りに兄上たちがはけると、ふわ、とペシュティーノが現れた。
「あれ、ペシュ」
「ケイトリヒ様、お忘れ物です。これを」
ペシュティーノがむぎゅ、と柔らかいものを押し付けてきたので反射的に抱きしめる。
あ、テディベアもどきのラテさん。
「え、これ」
「いかなる時でも持ち歩くように言われたでしょう。手放してはなりませんよ」
それだけ言うと、さっさと光に包まれて昇降魔法陣転送して去っていった。
「それは……レディ・バーブラとは違うみたいだな? ウチの父上があげたやつはどうしたんだよ」
「あれは僕とおなじくらいの大きさなのでもちあるくのはむりです」
鞍にまたがる股の間に座らせるように置くと、ちょうど頭に顎が置ける。いいかんじ。
ん? ジリアン、いまゲイリー伯父上があげたって言った? 俺は父上からもらったつもりでいたけど。まあ、父上のために伯父上が手配したのかもしれない。
小部屋は崖をくり抜くように作られていて、扉のない出口は申し訳程度に立派な柱と飾りぼりが施されている。出口を出ると、インペリウム特別寮の裏庭だ。日陰なのによく茂った低木がキレイに剪定されていて、薄暗いけど気持ちいい庭。
「庭はキレイなんだよな……」
クラレンツが呟く。俺も同意見だ。
「あ。寮のなかに入らなくていいようになってるんですね!」
以前、執事っぽい男性に案内されたドブくさい……いや、年季の入ったエントランスホールはすっかり取り壊されたようだ。3階だけが建物として残り、1階と2階部分は太い柱だけを残したピロティになっている。建物は東西に分かれててしまったけど、生徒の私室は3階に集中してるみたいだからきっとあまり大きな違いはないよね。
ピロティ部分には真新しい敷石が敷き詰められ、ここにも上品な低木がいいバランスであしらわれている。さりげなく花なども植えられていたりして、センスが良い。
「インペリウム特別寮には、いい庭師がいるんですね」
俺が言うと、ジリアンが「そうか?」と周囲を見回した。
「たしか、植生学の研究バカって言われてる上級生が仕切ってるって話だったな。たしかグランツオイレの男爵家の次男坊だったかと。確か名前は……何だったかな」
「さすがにそんな遠くの領の男爵家までは覚えてないな」
ジリアンもエーヴィッツも名前が出てこないみたいだ。
「アヒム・ハニッシュではありませんか?」
ガノが突然話に割り込む。
「あ! たしかそんな名前だったと思う。なんで知ってるんだ……ですか?」
「ジリアン様、私はケイトリヒ様の側近ですので敬語は不要です。この学園に在籍する生徒と教師の全ては、頭に入っております。ケイトリヒ様も、生徒の情報を知りたい場合は私かスタンリーにお申し付けください。学内の施設や地形、近道についてはジュンかオリンピオに」
「え……もしかしてぜんぶはあくしてるの」
「もちろん。ケイトリヒ様を護衛する上で不可欠の情報ですので」
うちのそっきんこわい。
クラレンツとジリアンが引いてる。エーヴィッツはなんか、「すごい!」ってキャプションがついたみたいに目を輝かせている。まあ……すごいはすごい……ね。
インペリウム特別寮の門を出たら、また広場。なんか、新宿のサザンテラスみたい……と表現したところで、茨城県出身のレオに伝わるかどうか。とにかくやたら長くて広いタイル張りの通りに、垂直に出たかんじ。眼の前には等間隔に立木が茂っていて、その一段低くなったところに様々な目的に応じた校舎棟がある。
「とおいですねー」
「これ、毎日往復するのか」
「遠いな……ケイトリヒは馬に乗ってるんだから疲れないだろ」
「それでもとおいもんはとおいです」
「3人とも履修するかわからないけど、武道の授業だけは気をつけろよ。演武場が下の街を挟んだ向こう側の山にあるから」
ジリアンが指さした方向を見ると、ちょうど高い建物の間から見える山肌に体育館のような施設がある。魔導だけじゃなく武道の授業もあるんだ?
「武道ってどんなじゅぎょうなんですか」
「選択制だから俺は採ってないんだけど、体力向上と基本的な剣術だけみたいだな。貴族はたいてい実家に騎士隊があってそこで師範をつけてもらえるから、武道の授業を採るのは平民が多いらしい」
俺がパッとクラレンツを見ると、明らかにそれに合わせてパッと顔を背けた。
「クラレンツはどうせ剣術なんてやってないだろ?」
エーヴィッツが言うと、「当たり前だろ」と悪びれる様子もなく返す。
「え、そんなのザムエル様が許すのか!? ウチは全員、5歳から騎士隊と同じ訓練をさせられたぞ!? ファッシュ家の伝統とか言ってたけど、あれ父上のウソ!?」
「ゲイリー伯父上はなぁ」
「僕もヴァイスヒルシュで基礎的な剣術は習ってるよ。師範は騎士じゃなく元冒険者だけどね」
ふーん、と俺が聞いていると、エーヴィッツがニコリと笑って「ケイトリヒにはまだ早いだろうね」と言って頭をなでてくる。僕もう8歳ですけど? でも体は……いっさいじ。
開けた中庭に出ると、5、6人の生徒が集まって何かを組み立てている。
「あれは何をしてるんですか?」
「さあ? でもタイが青だから、アクエウォーテルネ寮の生徒だな。ここは技術棟のすぐそばだから、何か魔道具の実験でもしてるんだろ」
「まどうぐのじっけん! みたいです!」
「ケイトリヒは魔道具に興味があるんだね」
「興味どころのはなしじゃねえ、コイツは自分で設計するんだからな」
「そうだったね」
「……あの幻影魔法はすごかったな」
エーヴィッツもジリアンも阿鼻叫喚になってしまった1日目の幻影魔法経験者だ。
生徒たちを見ていたら、組み立てた謎の箱からふわりと白い布?のようなものがヒラヒラと風に舞うように飛んだ。どうなるのか見守っていたら、頼りなくユラユラと蛇行しながらも中庭上空をなめるように大きな曲線を描いて飛び、再び箱の中にスポッとはいっていった。それを見届けると、生徒たちからはワッと歓声が上がる。
何の実験だろ?
気になって話しかけたくなったけど、エーヴィッツが「行くよ」と急かすので仕方なく諦めた。
「とうちゃーく。俺が紹介したかったのはここだよ、ここ」
ジリアンが笑顔で手を広げたその場所は、秘密の花園と呼ぶのにぴったりな、こぢんまりとした庭園。少し小高くなった丘のうえに高めの生け垣が周囲を囲っているし、高い木もあったりして近くの高い建物からも死角になる。
中央の噴水はキレイに手入れされているようで清らかな水が静かな音を立てているし、石畳と芝生がデザインちっくに入り組んでいるし、ベンチはゴージャス。
周囲は色とりどりの花が咲いているし、なんだかとてもロマンチックな空間。
「そういう決まりがあるわけじゃないんだが、ここはインペリウム特別寮のすぐそばだからあまり一般の生徒は近づかねえんだ。んで、一部の生徒の間では『王子様の庭園』なんて名前で呼ばれて、憧れられてるらしい。実際には俺のサボりスポットだけどな!」
ジリアンがガハハと父譲りの高笑いをすると、なぜかエーヴィッツとクラレンツの視線が俺に集まった。
「……ケイトリヒ、女子生徒に誘われてここについてきてはだめだよ」
「側近がいるから大丈夫だろうけどよ、気をつけろよ」
なぜ俺を心配する!?
「いやいやいや、まってください。王子ならクラレンツ兄上だってそうでしょう! 僕はこのからだなので、そういうハニートラップ的なことをしんぱいすべきは兄上たちです。とくにあそこで笑ってるのがいちばんしんぱい!」
俺がビシ!とジリアンを指差すと、ジリアンがさらに笑った。
「残念だったな! 俺は領主子息ではあるが、もう兄上が次期領主に指名されてるから、立場的にはもう普通の貴族と大差ない。ここで最も狙われるのは、次期領主候補に指名されてるエーヴィッツ。そしてまだ領主の指名がないクラレンツとケイトリヒなのだよ!」
「ご心配なく。ケイトリヒ様は私が命にかえてもお守りします」
何故か真剣な表情でスタンリーが俺のほっぺをそっと撫でる。
あれ? そういう話じゃなくない?
「ここは周囲から孤立しているし追い詰められたら逃走経路もない。ケイトリヒ様ならギンコが生け垣をひとっ飛びできるから問題ないが、女子生徒相手でなくとも用心しろよ」
ジュンが真剣な顔でエーヴィッツとクラレンツに言うと、なんだか微妙な空気になった。
「確かに僕やクラレンツの護衛はいつも授業に同席するわけではないから、危険な場所は知っておかなければならないね。ジリアン、ありがとう。勉強になったよ」
エーヴィッツがキリッとジリアンに向き直る。
あれ、そういう話……?
「あえ、ああ、うん」
ジリアンもなんか不発だ。
「あにうえたちはじゅぎょうに護衛をつけないんですか」
「うん、そこまで警戒するような場所じゃないと聞いているしね」
「いたほうが邪魔だろ」
「そーだそーだ! 俺は口うるさい側近から逃れたくて寮制の学校を選んだんだぞ!」
ジリアンが親戚会でも側近をつけていなかったのはそういうことか。まあハービヒト領には息子が7人もいてジリアンはその末息子だから、割と自由みたいだ。
いわゆるデートスポット的なつもりで案内したジリアンのプランが不発に終わり、肩を落としたまま次の案内へ。
しょげてしまったジリアンを励ましながら、実習棟から購買へ。
「食堂の食事とは別に、ちょっとした菓子なんかも売ってるんだ」
と言って案内してくれた購買は、文房具と駄菓子屋が一緒になったようなラインナップ。
「おかしなら、レオがつくってくれますよ」
「ああ、レオのお菓子は格別に美味いぜ。正直、この並びじゃあとても買う気にはなれないな。ジリアンはここで買ってたのか? 今後はいらないとおもうぞ」
学用品も、俺やクラレンツが持っているのは超一流品。
平民の生徒が使う物を見れて興味深いが、どれもこれも下位互換ばかりだ。
黒い棒を見て「これなあに?」と俺が聞くと、ガノが「平民の使う一般的な鉛筆ですよ」と教えてくれた。芯がむき出しですが!
俺やクラレンツが持っている鉛筆は、やたらゴージャスな飾り彫りがされた軽い金属のレフィルに芯が入っていて常に適度な長さで芯が出るようになっている。
芯がなくなったらここに買いに来るのかな、と思ったけど買い置きがあるらしい。
「はあ……やっぱラウプフォーゲルの王子は格がちげえな」
「わかってたことでしょう、ジリアン。僕はおそらくこの購買のお世話になることもあると思いますよ。見てください。このノートなんか、魔樹の生産地であるヴァイルヒルシュよりも安いくらいです」
エーヴィッツの言葉が気になって陳列されているノートを見ると、値段は60FR。日本円の価値に換算するとだいたい100倍として、6000円か。
子供の教育のためとはいえ、消耗品に費やす値段としてはかなり高い。
「60FRって安いのか?」
クラレンツがポロリと言うと、エーヴィッツがため息をつきながら答える。
「60FRもあれば、6人家族の平民が1週間食べられます」
ジリアンがエーヴィッツの言葉にうなずく。
「旧ラウプフォーゲルはどこも食材が安いからな。砂糖は別だけどよ」
そう言いながら全員がちらっと俺を見る。なぜなのか。
「このノートの紙はコアントロウ紙ですね。共和国や王国など寒冷地の魔樹で、ヴァイスヒルシュの魔樹とは別物です。一見すると高品質に見えますが、高温と高湿度の環境下では1年ほどで腐食しますので、エーヴィッツ様は購入されないことをお勧めします」
ガノが一気に説明して、ニコリと愛想笑いをする。
「コアントロウ紙……初めて聞いたよ、そんな紙があったんだね。そんな特性があるのなら、高温多湿の地域の多いヴァイスヒルシュ領の僕が知らないのも納得だ。逆にヴァイスヒルシュ領の魔樹は、寒さに弱かったりするのだろうか……?」
「仰るとおり、ヴァイスヒルシュ領で生産される魔樹の紙はフリントロウ紙と呼ばれ雪の降るような寒冷地域では脆くなってしまうという特性があります」
ガノの説明に、エーヴィッツは驚きクラレンツとジリアンは感心している。
そういえばガノの実家のバルフォア商会は木材を扱ってたんだっけ。
「魔樹の紙はきこうのへんかによわいんだね。魔樹のとくせいがそのままでてるのかな」
「そうですね。それが本の管理を難しくするため、値段が高くなる理由でもあります。この魔導学院のあるシャッツラーガー領は共和国と帝国の国境に面した領。北部で書かれた本を、帝国向けに写本するための商会や組織が古くからたくさんあったことから教育機関が発達した理由と言われています」
「そうか。帝国の本は共和国へ、共和国の本は帝国へ持ち込んでしまうと劣化するから写本する必要があるのか。それに写本は当然、文字の読み書きができないといけない。領民を教育する必要性があったんだ」
エーヴィッツの納得した様子に、全員「へぇ〜」と興味深く聞いている。
奥に座っていた店主の老人もその様子を見ていてニコニコと嬉しそうにしている。
「ケイトリヒ、お前の……いや、キミの側近は全員こんな感じなのか?」
「こんなかんじとは?」
ジリアンの質問がわからず首を傾げると、ジリアンが助けを求めるようにクラレンツを見る。クラレンツはなぜか無言で頷いた。
「こんな感じなのか……」
「ジリアン従兄上、こんなかんじってどんなかんじ?」
何故かジリアンとクラレンツは慰め合うようにお互いの肩に手を置く。
俺はよくわからないままエーヴィッツと店内の商品についてのウンチクをガノや店主から聞き出していた。
よくわからない何かの袂が分かたれた瞬間だった気がする。
魔導学院の見取り図はこちらです 気になる方はどうぞ
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