5章_0061話_入学式 1
「これおふとん……?」
俺の目の前にあるのは巨大な透明の球体。
かの有名なランドマークのエントランスにある地球儀みたいなデカさ。その透明な球体の下には、ふんわりした柔らかなクッションがバラの花びらのように連なっている。
広すぎ。
新しい寮のエントランスは都内の一流ホテルの豪華さで広さは4、5倍あったし、廊下や吹き抜けも目がチカチカするほどのロココだかアールデコだかの装飾が目にうるさい。
反対に自室は、ゴージャスさは家具や調度品にちょっとだけ残っているけど、全体的にはシンプルモダン。
前世ではちょっぴり西洋風漂う新築高級マンションの一室です、と言われても納得できる見た目だ。家電はないけどね。
そして【命】属性の目減りを防ぎ【死】属性をより扱いやすくするための睡眠スペースを精霊が念入りに設計したと聞いて楽しみにしていた寝室がこれ。
球体。バラ。なんすかこれ。
「この屋敷自体が雑多な外部の魔力を遮断する効果があるそうですが、この寝台はそれをさらに強固なものにしているそうです。この寝台の床下は第5の山で入手したアンデッド魔晶石の倉庫になっています。この球体が、魔晶石の魔力を効率的に取り込むそうですよ」
ギンコの背に乗って口を開けたままになっていた俺を、ペシュティーノがひょいと抱き上げてバラの寝台にポイと乗せる。ころりと転がると、寝台はふかふか。
というか、今どこから入った?
ペシュティーノが上掛けをかけてくれようと身を乗り出すと、上半身が透明な球体の面をするりとすり抜けて入ってきた。ガラスのようにみえるけど膜みたいな?
「ふぁんたじい……」
「どうですか、寝心地は」
【命】属性がどうこうというのは体感的にわからないけど、体を横にしても下にした肩や腕が圧迫されないし、仰向けに寝てもなんかいい感じの体制になる。うつ伏せに寝ても苦しくない。
「いいかんじ!!」
「それはよかったです。精霊様肝いりの、安眠の魔法もかけられているそうです」
ペシュティーノがいつものように涅槃像の格好で添い寝をすると、「これは確かに素晴らしい寝心地ですね」と言って俺の背中を撫でる。あ、それだめ、寝ちゃう。
「あとお風呂とべんきょうべやと、食堂と図書室と……ぜんぶみたい!」
「明日でも良いのではないですか? お腹が空いているようであれば軽食を運んでもらいましょう」
お? めずらしくペシュティーノがおサボりモード?
引っ越しに向けて忙しくしていたのか、少し疲れてるみたいだ。
壁画のように壁に埋め込まれた大きな時計の時間は9刻半。お昼寝と呼ぶには遅すぎるし、お腹も空いた。
「じゃあサンドイッチでも……ペシュ?」
「……」
ペシュティーノはスースーと安らかな寝息をたてて眠ってしまった。
俺の前でこんなにしっかり寝入るなんて珍しい。
「あ、もしかして安眠の魔法……?」
「そうです。主よりもペシュティーノのほうが睡眠を必要としている状態だったようですね。食事を運ばせますので、主も屋敷の確認は明日にしてお休みください。今、とても良い具合に【命】属性が結界内に充満し、ペシュティーノを介して最適化されています」
透明の球体の外に、紫色のローブを着たウィオラがいる。
サイテキカ? ってどゆこと?
その後ろからひょいとジオールも顔を出した。
「いままで添い寝でじっくり馴染ませてた【命】属性が外部に霧散しない分、みっちり主に流れ込むよ! うーん、主にわかりやすい表現にすると……【命】属性を熱に例えて、いままでフライパンの上で冷えていくままだったものが、土鍋になってフタまでついたかんじ? そして取り込み装置のペシュティーノが中に一緒にいるかんじ!」
わかりやすい表現かはよくわかんないけど効率がいいことはわかった。
「でもペシュ寝苦しそう。スーツだし」
「では私が夜着に着替えさせましょう」
「じゃあ僕がレオに連絡してサンドイッチ作ってもらうね」
すやすや寝ているペシュティーノが珍しくておでこをぺちぺちしてみたり鼻の穴をじっくり覗いてみたりしてたけど、やがて軽食が届いた。食パン1枚分くらいの軽いサンドイッチと、レオお手製シェイクと小さなとろとろプリン。
寝る前と聞いて消化に良さそうなラインナップだ。
お腹が空いてたので夢中で食べて、気がつくといつのまにかペシュティーノが夜着に着替えてた。心なしか肌もさっぱりしてる。ウィオラが着替えと一緒に清浄魔法をかけてくれたのかもしれない。
ピクリとも動かないペシュティーノを抱きまくら替わりにして、大きな体に上掛けをかけて、おやすみなさい。
なんだか頭がモゾモゾする。
ぱち、と目を開けるとペシュティーノが横に座ったまま俺の頭を撫でていた。
スーツだ。
「ああ、ケイトリヒ様。ようやくお目覚めになったのですね」
「え? ようやくって……ペシュ、いつのまにきがえたの」
「ケイトリヒ様はまる三日寝ていらしたのですよ。体調はいかがですか?」
まる三日!?
パッと時計を見ると8刻半。なんで!?
しかし明らかに今までと違う感覚がある。
「たいちょう……ちょうげんき!! すごいげんき! 走りたいくらい! あ、でもお腹すいた」
「安心しました。食事にしましょう」
ペシュティーノが俺の脇に手を入れて抱き上げると何か不思議そうに俺を見た。
そのまま立ち上がると、何故かその場に降ろされる。
「……ケイトリヒ様、背が伸びました?」
「えっほんと?」
ペシュティーノは少し離れて俺を見るが、あまりよくわからなかったみたい。近づいてきて肩を撫でたり抱き上げたりして、「はやり少し大きくなった気がします」と呟いた。
その後、ガノが巻き尺で身長を調べてくれたところ、いままでずっと体重の増加はあれど身長は25スールでピッタリ止まっていたものが、今は26スール。
これにはミーナもララもカンナも大喜び。ペシュティーノに至ってはすこし目を潤ませるほどに喜んでくれた。俺は実感もないし、1スールがどれくらいのものなのかちょっとまだ理解できていない。
「えー! すごいですね、1スールも伸びたんですか! たった3日で3.3センチもなんて、どこか体に痛いところとか無いですか? 夜食をタンパク質多めのメニューにしといてよかったなあ、今日も高タンパクメニューですよ!」
喜びの伝播でメイドたちがキャッキャしていた自室に朝食を運んできたレオが言う。
えっ待って。レオ、1スールが何センチか知ってるの!?
「れ、レオ。もしかして、この世界の単位とメートル法の換算方法をしってる!?」
「そりゃ……ああ、そっか。ケイトリヒ様は知らないですよねえ。共和国の異世界召喚勇者は、召喚されたあと1ヶ月ほどこの世界のお勉強をさせられるんですよ」
世界の情勢、簡単な歴史、一般常識、そしてアンデッド対策法。これらが異世界召喚勇者に必須とされる勉強。その後、希望するものには各種法律や詳しい歴史などを教え、著しく必須項目の習得が遅い人物にも6ヶ月間の猶予があるんだそうだ。
6ヶ月たってもろくに常識を覚えられない異世界召喚勇者はどうなるんだろう……?
「ケイトリヒ様は異世界単位でいうと、75センチで9キロ。1才児検診でも『ちょっと小柄ですね〜』くらいのサイズでしたけど、今回78センチになったなら、ようやく1才児の平均くらいっスね!」
「いっさいじ!!」
「あ、俺の通っていた専門学校では乳児から児童の食育にも力を入れていたので。高校生までの平均身長と体重は、だいたい覚えてますよ。テストに出たんで」
さんざんこの世界ではやれ3歳児だとかときには2歳児だとか言われてたけど、この世界のヒト大きいからそう見えるだけなんだろうって思ってた。ペシュティーノは特別デカいし、スタンリー以外の側近もなかなかデカいし、俺以外がデカいんだと。
しかし。前世の、異世界の単位と平均を持ち出されてようやく現実が見えた気がした。
「しょ……しょっく……僕……い……っさい……じ……」
その場にガクンと大げさに膝をつくと、ペシュティーノがサッと抱き上げてきた。
「ケイトリヒ様、小柄なのはもとよりご存知でしたでしょう。今は成長した事実を喜びましょう。少しも伸びなかった上背が、1スールも伸びるなんて快挙ですよ!」
ペシュティーノが高い高いをするように俺を掲げ上げると、メイドたちも「ペシュティーノ様の仰る通りです!」と声をそろえる。いつも無表情なスタンリーも微笑ましいものを見るように笑ってる。ガノも、周囲の騎士も、俺の成長を祝福するように微笑んで柔らかく拍手なんてしてくれたりしている。
なんだか嬉しくなってきて小さいことなんてどうでもよくなってきた。
「かいきょ!」
「そうです、快挙です! さあ、食事にしましょう。3日間召し上がってないのですから可能な限りお腹に入れてくださいね」
自室のダイニングスペースには12人掛けの大きなテーブルがあり、その長辺の真ん中の椅子だけ高さとサイズ感がお子様チェア。俺用だな、ってすぐわかるやつ。お子様チェアだけど、作りは一番豪華。なんか宝石とかついてる。
「いすが」
「ケイトリヒ様のお食事用の椅子です。もしお望みであれば、自室に側近やご兄弟……食事を共にしたいと思える親しい友人ができたときは、いつでもご用意できます」
「そっきんとも!?」
「ええ、いつでも。ですが今日はもう全員食事の後ですので、私とスタンリーがご一緒しますね」
レオが次々と並べる食事は、食器から豪華。クリスタルのようにキラキラ輝くガラスや、貝殻のような形でオーロラ加工されたもの、純白や淡い色合いの陶磁器に繊細な絵付けがされているものなど、今までとはレベルが違う。
「食器のグレードがあがった」
「お気づきですか。御館様が、ラウプフォーゲルの地場産業を助ける意味でも高級品を買うようにと仰るのでトビアスに手配してもらい最高級の食器を揃えました。もちろん来客用のものもございますが、これはどれも最高級のさらに上、一点ものの特級品ばかり。ケイトリヒ様専用のものです」
ラウプフォーゲルの北西、シュヴァルヴェ領との領境あたりは陶磁器が有名な地域なんだそうだ。この世界では陶磁器そのものが貴族向け。さらに純白であったり絵付けがされたものは愛好家も多く、本に並ぶほどの高級品もざらにあるんだそうだ。
俺としては食器にあまり興味はないのだけど、さすがにここまで変わると目につく。
「いやあ、俺のメニューはあまり高級食器向きじゃないなって思いました。もしパーティーとかされる場合は、事前に教えて下さいね。ラウプフォーゲルの料理長に、盛り付けが得意な助手を手配してもらいますから」
オーロラ加工のガラス食器に入れられると、レオ特製ごろごろベーコン入りのポテトサラダも上品に見える。ゴージャスな縁取りの大皿にてんこ盛りになっているのは、どうみても肉じゃがだ。骨付き鶏もも肉のコンフィや、ローストムームなど肉料理もたくさん。
「僕とペシュティーノとスタンリーの3人じゃ多すぎるよ。レオは? ミーナたちももうごはんたべちゃった?」
「あっ、俺は軽く食べたんですけど……もしよかったらご一緒したいですね! 改善案とか聞けたら嬉しいッス!」
「ご一緒してよろしいのですか!? それではお言葉に甘えて!」
「メイドはご飯最後なんですー。いいんですかー?」
「ひええ、もったいない!」
魔導学院の寮に来て3日経ったみたいだけど、初めてのご飯はみんなで!
ワイワイ楽しい食卓うれしいな! 3日分をとりもどすように、お腹がぽっこりするまで食べちゃいました。満足!
食後はしばらく休んで、お風呂へ。
お風呂好きの俺のために、ジオールたちがかなり力を入れて設計したらしい。
それは楽しみだ!と軽い足取りで浴室へ向かうと……。
そこは、ジャングルでした。
WHY?
俺の中の熱帯植物のイメージそのままの植物たちが青々と生い茂った小道には、小さな光の粒がぱやぱや。これ白の館の浴室にもいた微精霊だよね。
籐で編まれたような軽く押すだけのドアをくぐると、そこは……。
なんていうんだっけ、こういうの。
高級なプール。やたらデコラティブな装飾のバーカウンターみたいなのがあって、一休みする簡易的なベッドのスペースがあって、青い水をたたえたプールが……。
あれ、お風呂は?
「これプールだよね。おふろは?」
「こちらです。温泉水は毎日フォーゲル山から転送させています」
ベッドスペースの奥にこれまた装飾過多な大扉があり、その向こうが浴室。
磨き上げられた白の大理石に銀色で統一された装飾に、ところどころにある巨大な生花が室内全体に温かみを出していますね、はい。
プールはオリエンタル風、お風呂はヨーロピアン。このへんは俺の高級に対するイメージのせいだろうか。欲を言うと風呂は日本風が良かったんだけど。
床から少し低くなった湯船にはすでになみなみとお湯が張っていて、お花と花びらが浮かんでる。うーん、らぐじゅあり〜。
「おふろはいる!」
「はいはい。では着替えましょうね」
俺は脱がされるだけだけどペシュティーノは湯帷子に着替えないとね。
「ペシュ、がっこうのとしょかんすぐ行ける?」
「もう行かれますか? この寮にも図書室がございますよ。先日ケイトリヒ様が購入なさった本と、ラウプフォーゲルの蔵書をいくつか。あと旧ラウプフォーゲル各領主にお声がけさせていただき、蔵書の寄付を頂きましたよ」
「へー! すごい!」
蔵書を寄付してくれたのは、子息を預かるハービヒト領とヴァイスヒルシュ領の2つ。あと来年にはまた数人旧ラウプフォーゲルの領主の子を入学させるつもりらしく、追って寄贈がある予定らしい。ありがたいねー。
「あ! そういえばあにうえたちは? 僕の1日後にくるって話だったから、もういるんじゃないの?」
「ええ、エーヴィッツ様はいらっしゃいますよ。3日も寝込んでいると聞いて心配してらしたので、明日はご一緒に朝食をとりましょう」
「クラレンツあにうえは?」
「少し準備が遅れてらっしゃるそうです。明日には到着するという話ですが、どうでしょうね」
もー、なにしてんのクラレンツあにうえ!
3日間眠ってたのに、その日はご飯とお風呂を済ませたらまた寝た。普通にぐっすり。
また体が成長してるといいな!
(いやー、それは無理だとおもうわ。精霊がつくったこの屋敷が、ここ数ヶ月で溜め込んだ【命】属性を3日で吸い取り尽くしただけだから、そう簡単には同じことは起きねーから。まあ、今後はアンデッド魔晶石で補充していってね。あんまりあのエルフじみた男に頼りすぎるのもよくないもんなー。あでも【命】属性を吸い取るって言っても命には別状ないからね? たぶんちょっと疲れやすくなるとかその程度なんで。ま、がんばって〜)
……竜脈が夢に出てきた気がした。
「エーヴィッツあにうえ!」
「ケイトリヒ、心配したよ。体はもう大丈夫なのかい?」
食堂のドアの向こうに見えたエーヴィッツに思わず駆け寄る。
目がチカチカするほど豪華な屋敷だけど、人が少ないせいかどこか寒々しいと思っていたので姿を見てつい嬉しくなっちゃった。
「へーきです、せいちょーするために寝てただけですので!」
「そういえばちょっと背が伸びた? かな? どれ!」
エーヴィッツがひょいと俺を抱っこする。
アロイジウスやクラレンツと比べて、エーヴィッツはなんというかスキンシップ上手。
でも正直、スタンリーもそうだけど子どもの抱っこっておっかない。
「おもいでしょ?」
「うーん、まだまだ軽いな。ちゃんとご飯を食べないとね!」
すとん、と降ろされて2人で手を繋いで食堂のテーブルへ。
「しょくどう、ひろいですねえ」
「ああ、1日目はこの広い食堂で1人で食べたんだ。ちょっと寂しかったよ」
「ふぇっ! そうだったんですね! 僕もこっちで食べればよかったー!」
「ああ、まだケイトリヒが寝ていた日さ。昨日は部屋で食べると聞いたから、僕も部屋で食べたよ。それにしても、ケイトリヒの専属シェフのレオ・ミヤモトの料理は本当に美味しいね! あんなに柔らかいお肉は初めて食べたよ」
エーヴィッツは何かを思い出しているようにうっとりと目を閉じる。
そうでしょうそうでしょう! なんたってレオは日本の調理学校に通ってた……エリートとは言えないけど、ここ異世界では専門性の高いエリートでしょうから!
「あんなに凄腕の、しかも異世界召喚勇者のシェフをどこでみつけたんだい?」
「もりでひろいました!」
エーヴィッツは一瞬ポカンとしたけど、次の瞬間腹を抱えて笑った。
いやホントなんですけど。
「そうか、フフッ、森で……ハハハッ!」
エーヴィッツあにうえは笑い上戸みたいだ。
今日の朝食メニューはブリティッシュスタイルだ。ふわふわとろとろのスクランブルエッグに、でっかいベーコンステーキ、フレッシュなサラダとバターたっぷりのトースト。飲み物はフレッシュなフルーツジュース。
食器がグレードアップしたこともあって、ホテルの朝食みたいだね。
「この卵、すごく柔らかい。濃厚で生っぽいのに全然臭くないね? ヴァイスヒルシュ領で使われてる卵と同じものなのか……?」
ふわとろ卵に始まり、トーストのカリカリふわふわ食感に驚き、サラダのフレッシュさに驚き、ジャムの存在に驚き、フルーツジュースの甘さに驚く。
ひとしきり驚いて食べ終えると、何気ない雑談を交わしながら意を決したように言う。
「ケイトリヒ、この数日間は『主人がいないので』という理由で会えなかったんだが、料理人を紹介してもらってもいいだろうか? 少し聞きたいことがあるんだけど」
チラッとペシュティーノの顔色を伺うと、なんでも無いという顔で頷いた。
「いいですよ。レオー」
俺が呼ぶと、ドア付近にいたメイドが慌てて走り去り、レオを連れてきた。
結構遠くにいたのね。
やってきたレオは、シェフコートに赤いネックチーフ。頭の白いバンダナを取って丁寧に膝をつく。
「お呼びでしょうか、ケイトリヒさッ王子殿下」
いま「様」って呼ぼうとしたけど直したね? 様でも良いと思うんだけど。
「エーヴィッツあにうえがいろいろ聞きたいって、答えられるものは答えてあげてー?」
「承知しました」
「聞きたいことは3つだ。まず1つめ。この卵はリヨードのものか?」
「いえ、ラリオールクックの卵にございます。毎日、ラウプフォーゲルの冒険者組合から買い付けております」
エーヴィッツ兄上の顔が驚いたまま硬直した。
「ケイトリヒの食事にはずっとラリオールクックの卵を……?」
「はい。ケイトリヒ様は、いえケイトリヒ王子殿下は幼い頃から食が細く少ない食事で十分な栄養を得られるよう、常にラリオールクックの卵を仕入れております。ラウプフォーゲルの冒険者組合などは新鮮度を見分ける技術もあがってきたそうで、なんでも卵の採取だけで生計を立てる冒険者まで出てきたとか」
へーそうなんだ。知らない間に冒険者を育てていたらしい。
「レオ、リヨードのたまごってなに?」
「あれは味が薄くて雑味が多いうえ、白身と黄身が分かれていないので異世界料理に向いてないのですよ」
白身と黄身がわかれていない? そんな卵あるんだ?
「ケイトリヒはリヨードの卵を知らないのか……。2点目だが、このとてつもなく柔らかいパンについても、レオ殿が焼いたものだろうか?」
「はい、私が毎朝焼いております」
エーヴィッツは信じられないとでも言うように真剣な顔で考え込む。
「わかった。最後だが、このジュースとジャム。この材料は、フルーツだけかな?」
「は、あー、いえ? あの、まあ……加糖してあります、けども」
レオは明らかにしまった、というように焦っている。
チラチラとペシュティーノに助けを求めるような視線を向けているが、ペシュティーノは無視しているのか気づいていないのか反応しない。
「加糖……つまり、砂糖を加えているのだな」
エーヴィッツは何か難しい顔をして考え込むと、キリッとした顔で俺に向き直る。
「ケイトリヒ。ラウプフォーゲル公爵閣下と父上との話し合いで、食費は不要という話でまとまっていたのだがな。この豪華な屋敷に、蛇口をひねるだけで出てくる湯。掃除不要の魔法術式に、衣類の洗濯類まで魔法で済ませる。それに加え、ラリオールクックの卵や砂糖が当たり前のように出てくる食事……いくら旧ラウプフォーゲルの絆があるとはいえ、これらをすべて無償で享受するわけにはいかないと思うんだ」
「んー」
と言われても、多分いらないんだよなあ。
「ペシュ、どうおもう?」
「エーヴィッツ様のご懸念は至極真っ当にございますが、これは我らが御館様とヴァイスヒルシュ領主であるエーヴィッツ様の父君が交わされたお約束。我々が口を出すことではございません」
「はい、エーヴィッツあにうえのおきもちはいま聞いたので、あとはあにうえの父君とおはなしして? 僕はおかねのことはわかりませんのでー」
俺が白々しく言うと、ペシュティーノがフン、と鼻を鳴らした。笑ったね?
「そうか……そのとおりだね。いや、すまなかった。だがそれだけ素晴らしい料理だったということだよ。レオ殿、質問に答えてもらい感謝する」
「は、はい。ではデザートをお持ちしますね」
「やったー! レオ、きょうのデザートはなあに?」
「えー、ブドウと練乳のパルフェ……です」
「ブドウ……!!」
またエーヴィッツが目を見開いた。
生で食べられるブドウって、この世界では超高級品なんだよね。ワイン用のすっぱいやつは結構そこらじゅうで収穫できるそうだけど。精霊に頼めば、ユヴァフローテツの裏庭で俺が抱えるくらいの巨峰サイズがモリモリ収穫できるってのはナイショにしないと。
午前中は、エーヴィッツと2人で寮の図書室の整理のお手伝い。
本来貴族の令息がやることじゃないんだけど、勉強がてらという名目だ。実際の本の整理はメイドたちがテキパキとやってるので、その横で本のタイトルをチェックしたり、気になる本があったらチラ読みしてみたり。要はひやかしだ。
ヴァイルヒルシュ領のブリッツェ家寄贈の蔵書は、農業系の本が多い。
「ヴァイスヒルシュ領は通年気温と湿度が高い。採れる農作物も、他の土地では採れない珍しいものが多いんだよ。ライバルとしては、気候の似ているシュペヒト領かな。まあ、あちらのほうが何倍も上手だけどね」
「シュペヒト領ではコーヒーがとれるんですよね」
「よく知ってるね。でもケイトリヒにはちょっと早すぎるかなあ。父上は僕にもまだ早いというくらいだから」
「オトナがのむんでしょ? ドキドキさせる効果もあるんだって。貴族だけじゃなく、きっと平民も飲んでみたいとおもうよね」
「平民か……そうだねえ。平民に浸透させるには、まだ時間もかかるだろうし、販売戦略も変えないとね」
「ヴァイスヒルシュの農産物」という本を2人で読みながら、エーヴィッツは考え込む。
次期領主教育をされているだけあって、領に対する思いは強いみたいだ。
俺が「魔法陣と魔法術式」というでっかい本を引っ張り出そうとしていると、スタンリーが手伝ってくれた。
「ケイトリヒは魔法に興味があるんだね」
「魔導学院に入学するくらいですから! エーヴィッツあにうえはここで何を学びたいとおもって入学したのですか?」
エーヴィッツは少し眉根を寄せて、言葉を選ぶように考え込む。
「僕も同じだよ。魔法を学びたい。だがその根底には領民と、その生活を守るためという目的がある。ヴァイスヒルシュは旧ラウプフォーゲルの中では貧しい領だ。困窮する領民を差し置いて、僕だけがこのような環境で贅沢を享受するのは、申し訳ない気持ちになるんだよ」
「こんきゅう……といっても、旧ラウプフォーゲルでは食糧問題はそんざいしないってききました。いのちをおびやかすような状況ではないんでしょう?」
「ああ、食料の面では、確かにね。だが、医療面や衛生面など、生活水準では他の旧ラウプフォーゲル領からはかなり遅れを取っている。それに……いや、これはいいか」
エーヴィッツは責任感が強い子みたいだ。まだ11歳だというのに、もう時期領主としての指名を受けているせいもあって思いが強すぎるように見える。
「だいじょうぶですよ、あにうえ。今は父君がしっかり領をささえてらっしゃるのでしょう? 今の領のことは父君におまかせして、しょうらい領のためになにができるかを学びましょう! あ、これにはトイレ用のスライムの調教魔法が書かれていますよ」
「えっ、そんな魔法が? ラウプフォーゲルでは小さな村にもスライムトイレがあるらしいじゃないか。やはり疫病予防にはトイレの整備が不可欠だな」
「うんうん、エーヴィッツあにうえは領主になるんですから、今は心配することよりも学ぶことがだいじですよ」
「……ケイトリヒはなんだか、ときどき大人っぽいことを言うなあ。やはり教育係が子ども扱いしないのがいいのかな? ……ふふ、聞いてくれてありがとうね」
エーヴィッツがチラリとスタンリーを見ながら俺の頭をなでてくる。
えっ。
いまめっちゃスタンリーのお膝に座ってますけれど、これは子ども扱いではない?
「ケイトリヒがあまりに大人っぽいから、つい口を滑らせてしまったことにするけれど……ヴァイルヒルシュには、領民の生活水準に関係してもうひとつ大きな問題があるんだ。ラウプフォーゲル会議では絶対に議題に上がる内容だから、いずれは知ることになると思うけど」
う。なんかすごい告白を聞かされそうな気がする。
「詳しくは閣下から聞くと良い。ヴァイスヒルシュでは長年『流民問題』が深刻なんだ。もし、天才魔術師のケイトリヒが何か魔術的な方向から問題解決の糸口を思いついたら、是非僕に教えてほしい。僕から父上にお願いすれば、なんでも協力できるはずだ。それだけ覚えておいて」
エーヴィッツはニコリと力なく笑うと、俺の反応を確認することなく本のほうを向いた。
流民問題……初めて聞く話だけど、アンデッドとは違うのかな。
言葉から想像する限り、不法に入国した移民みたいなニュアンスかな?
エーヴィッツの言う通り、機会があったら父上に聞いてみようかな。
魔導学院の見取り図はこちらです 気になる方はどうぞ
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