4章_0057話_資金力と政治力 3
「紙が……高価な……理由ですか。それは……素材の……せいにございます」
俺専属の御用商人候補は、先日あっさり決まった。
本を用意できたのが3人のうち2人だけで、そのうち1人はたったの2冊、もう1人が大小にスクロールも含めて40冊とプラス色々、という圧倒的な差がついたのが理由。
その中で俺が満足する立派な製本された専門書は10冊程度だったけど、それでは不足だろうと紙束をまとめただけの本や厚紙の絵本のような本など、とにかく集めたそうだ。これはこれでこの世界の製本技術をうかがえるいい資料になる。
本はペシュティーノの言う通り高価な品なので、俺のようなまだまだ商人の界隈で信頼と実績のある顧客ではない購入者となると、なかなか数を集められなかったのだそうだ。これは風の精霊、アウロラの情報。
「素材? なにか特別なものなの?」
俺が42冊の本とスクロール、紙束、木札や木板など色々な情報媒体の素材を触りながら尋ねると、俺の専属御用商人となったトビアスが答える。
「本に……使われる……薄く丈夫な紙の……ほとんどは、魔樹と……呼ばれる……魔力を帯びた木から……作られた紙です。こちらの……分厚い厚紙の本は……木の皮を……加工したものなので……少々……お安いですが、それでも……魔樹なので値が張ります」
トビアスの喋り方は、妙に「……」が多い。ゆっくり丁寧に喋ってるのはわかるけど、ちょっとテンポが悪くてモジモジしちゃう。
「紙は、ふつうの木からはできないの?」
トビアスは薄笑いのような笑顔のまま、質問に困惑したようにチラリとペシュティーノを見る。
「普通の木ではまず薄く削れないのと、非常に脆いため紙には適さないのですよ」
削る? まさか。
「……この紙、魔樹から削り出してるだけ?」
「ええ、そうです」
まさかまさかの、この世界の紙はカンナくずみたいなものだった。
削っただけでこんなに手触りの良い、適度な弾力と強度となめらかさのある紙が作れるなんてたしかに魔樹だわ! 年輪や繊維質なんかも全く感じない。前の世界でコピー用紙なんかに使われてた上質紙よりも少しツルツルした手触り。
削り出すだけでこんな上質な紙が得られるなら、そりゃあ製紙技術は発展しないよね!
むしろ前の世界でいう製紙に近い技術を使っているのは、安価で質の悪い、紙とも呼べない品にあるようだ。つまり発展の余地しかない。
「ケイトリヒ殿下は……製紙業にも……ご興味が……おありなのですね。製紙組合には……知り合いがおりますので……何種類か……紙をご用意しましょうか」
「うん、いろんな技術がみたいな! 見本っぽいものでいいから、数を集めてほしい」
「承知……しました。……失礼、お聞きしたいのですが、今回の本は……製紙業のためにご用命だった……ということでしょうか?」
「ううん、それはついで。本はもちろん、読むためだよ」
「そうでしたか。もし……今後も……本をお求めでしたら、やはり……書店に足を運ぶことを……おすすめいたします。よろしければ……帝都の……信頼できる書店をご案内いたします」
トビアスの話では、今回彼が用立てられたのは3冊ほどの超貴重な本を除き、ほとんどが安価なもの。もう1人が手配した2冊もその超貴重なことから、書店としても貴重な本を御用商人に預けるのは2冊が限界なんだろう。トビアスはそこから自力で数を集めたということか。ガノの人脈もなかなかだけど、さすが御用商人だ。
ちなみに本を用意できなかった残りの1人も、スクロールや紙束などは持ってきたのでそれも全部購入した。
「……トビアス、こじんてきなことを聞いてもいい?」
「はい……何なりと」
ラウプフォーゲル城で見たときからなんとなく気になっていたが、御用商人候補の3人の中では妙に若い。他の2人がまあまあおじさんだったのに。
貴族に会うための上等な服を着ているが頭には謎のターバンみたいなものを巻いているのが奇妙だし、ちょっと不思議な……普通のヒトとは違うオーラというのか、魔力というか、そういうものを感じる。なにが違うかと言われるとぼんやりしすぎて定かでないんだけど。
「えっと、ねんれいはいくつ?」
トビアスは少し驚いたように目を見開いて、にっこり笑う。飛び抜けた美形ではないけれど、さすが商人というだけあって人好きのするいい笑顔。
「……今年で……95歳に……なります」
ペシュティーノがそれを聞いて、サッとガノの方に目を向けた。ガノが頷く。なんだろ。
「はーふえるふ?」
「いえ……マグニート族に……ございます」
マグニート。
デリウス先生から習ったぞ! 確かフォーゲル山の麓、マグマが滾る灼熱地帯に棲む獣人に近い性質を持った亜人。獣人に近いって、どのへんだろ。デリウスの外見からはヒトと違う特性は見当たらない。瞳がマグマのように紅いのが珍しいくらいで、肌は浅黒く、髪色は黒っぽい。
「ほえ。マグニート族って、わかくみえるんだね」
「人間の……年齢に……換算すると30歳前後……と……いったところでしょうか。マグニートの……特性である……紅い髪は……目立ちます故……染料で染めております」
広い応接室。俺からかなり離れたところで少し腰を折って話すデリウスの後ろにはウィオラとジオールもいる。……大丈夫かな。マグニート族って、精霊のこと感知する?
「栄えある……専属御用商人に……取り立てていただきましたこと……心から嬉しく……思います。おそれながら……私からも1つ……質問させていただいても……よろしいでしょうか」
「いいよ」
「今……帝国の貴族の間では……ケイトリヒ殿下のお噂は聞かない日はないというほどに話題です。そこで……囁かれているのが、精霊に愛されし……『神子』ではないかという……噂ですが、ケイトリヒ殿下……ご自身はどうお考えなのでしょうか」
んー、これはやっぱり、やんわり精霊のこと感知してるんじゃないかな?
俺が唇をいじりながら返答を考えていると、ガノが割り込んできた。
「その答えを王子殿下ご自身のお言葉として聞きたいのであれば、揺るぎなき忠誠を誓ってからですね」
要は誓言の魔法をかけてからということだろう。ペシュティーノも頷いている。
「ペシュティーノ様、ウィオラ様、ジオール様。ただ、この者に忠誠を捧げさせるのは、いささか留意すべき点が。我々側近と違い、彼は商人。常に大陸中を回り歩き、御用商人として王子殿下とのつながりが明確な彼には、ある程度の情報を外部に出すことを担ってもらいたいと考えております」
つまり「噂の出処係」か。
ステマ担当。大事だね。
「なるほど、つまり従来の方法では、やや厳しすぎるということですか」
俺の情報を誰かに話したら、死ぬもんね。
ジオールをウィオラに視線を向けると、彼らはガノのほうをジッと見ている。
「えーと、どの情報は大丈夫で、どの情報がダメかってのは、うーん」
「言葉を情報別で制限するのは難しいですね。本人が明確な意図を持って情報をほのめかしたり開示したりする必要性がある以上、死の制裁は外さなければ」
「はいはい! 誰を相手に何を話したかがわかればいいんじゃない?」
何故かアウロラが2人の後ろからぴょい、と飛び出して会話に交じる。
ウィオラとジオール、ガノがゴニョゴニョしはじめた。
トビアスは不自然なアウロラの出現にも、突然聞く不穏なワード「死の制裁」という言葉にも全く動じていない。やっぱり何かわかってるね? わかってるでしょ?
俯いたトビアスをジッと見ていると、なんだか頭の中で声が聞こえてきた。
(やはり彼らは精霊……しかも大精霊、いや精霊王に届くほどの力。側近に死の誓言魔法をかけて支配しているのか。情報を出せないのは、たしかに商売に響く)
「いや、べつに支配のために誓言の魔法を使ってるわけじゃないからね!?」
俺が思わず口にすると、ペシュティーノが慌てて長い指で目を塞いできた。
「(ケイトリヒ様、瞳に紋様が)」
「ごめ」
「主、マグニート族はヒトよりちょっとだけ精霊に近いんだよ。エルフ族やマーマン族、あとドワーフ族もそうだけど〜、主の魔力に共鳴しやすいから気をつけてねえ」
それで「心の声」がはっきり聞こえたってこと?
確かに今まで普通のヒトからあそこまではっきり本人の思考が読み取れたことはない。
エグモントから一瞬読み取れたことはあるけど、あれは本人の思考ではなく彼が見聞きした記憶だ。
あ、いや、一度だけあるな。俺がまだケイトリヒになったことすら自覚してないとき。周囲にいたメイドたちの心の声が聞こえたような……。
何か、心を読むことについて共通点が見つかりそうな気がして深く考え込む。
「……私の前で……そのようなお話を……隠すこともなく……なさるということは……取り込むことは……必須なのですね。拒否すれば……死……あるのみと」
「いやそんな物騒なこともしないから! 万一拒否しても、ウィオラがちょちょいと記憶操作してちゃんと生きて返すから安心して!」
俺は目を塞がれたまま、トビアスの不穏な思い込み発言をガッチリ否定する。
そこはちゃんと否定しとかないとね!
「主が思考を簡単に読めちゃうんだったら、やっぱりアウロラの言うとおり記録だけあればいいんじゃない?」
「それは誓言の魔法よりも更に複雑な魔術式になりますね」
「本人が開示する意志を持って開示したことと、そうでない場合のことがわかればよいのではないかと。御用商人は、元々顧客情報を口外しない口の堅さが信条です」
「そんな難しく考えずに、主に嘘をつかないって誓言だけでいいんじゃないの〜?」
4人……正確には3柱と1人のゴニョゴニョは続いてるみたいだ。
確かにアウロラの言う通り、トビアスに関しては俺に嘘をつかないというだけでいいんじゃないかな?
「本人への説明も兼ねて、本人まじえて相談すれば?」
俺が言うと、ガノもそのとおりだと言うので精霊と一緒にトビアスの誓言の魔法について妥協点を探ることに。
俺とペシュティーノは後はよろしくとばかりに本を持って退散。
本読みたいもんね! 特に分厚くて立派な製本の超高価な本4冊は、「魔法陣の歴史と継承」「大ラウプフォーゲル偉人録」「世界冒険英雄譚」「アンデット討伐と対策の変遷」。
どれもこれも面白そうじゃないか。物語があるのも高得点。
中身をペラペラと見てみたが、なんと手書き。そりゃあ高価だわ。そして文字の小さいこと小さいこと。すごく長く楽しめそうだ!
数日後。
「ペシュ、遺跡みたい! ラウプフォーゲルの南東にあるんだって。手つかずだって。精霊が知ってるって! ねえ見に行こう! 僕、城下町にも出られなかったんだしラウプフォーゲルの歴史を知るためにも、いいでしょ、ねえねえ!」
「だめです」
ぶー!
口をぶーの形にしたところを、つん、とオートミール的なものを乗せたスプーンでつつかれる。クリーム味で美味しいんだけど、微妙に苦手なんだよね。なんか粉っぽくて嫌い。
ぷいと顔を背けると、ペシュティーノがスプーンを置いてほっぺを撫でてくる。
「ラウプフォーゲルの南東ということはラバンの街の側にあるハルガミス遺跡でしょう。あそこは未調査のまま放置されて、危険なのでダメです」
「ハルガミス? ガルハミスじゃなくて?」
「それは物語の中に出てきたのですか? 実際の遺跡を捩ったものでしょう。とにかくあの遺跡は地中深くに何かがあるとだけわかっていますが、魔力を封じる空間が広がっているせいで調査ができないのです。万一ケイトリヒ様の魔力が封じられたら、どうなるかわかりますか?」
「ほぼ死ぬね」
「命に危険が及びます」
ジオールとウィオラが声を揃えた。
「しぬの!」
俺、弱すぎじゃない!?
「主の今の体は、魔力によって命の危険が隣り合わせですが、同じく魔力によってそれが抑えられている状況です。魔力が完全に断絶されたら……どうでしょう、新生児に近い脆弱な肉体しかありませんので、すぐにとは申しませんが命の危機です」
「いやいやすぐにだよ! 体温調整も筋力も魔力に頼ってるんだから、地下で寒かったり疲れたりするだけで死ぬよ! 遺跡のことは教えてあげたけど、行くのはダメ、絶対!」
筋力もそうなの? 初耳ですが!
「でも精霊たちやジュンたちが守ってくれるでしょ。僕、ラウプフォーゲルの城下町もろくに見学できなかったんだよ? ……もっとお外に出たいよ」
「魔力が封じられたら、僕たち精霊を呼ぶこともできなくなるんだからね!?」
「城下町はヒトからの害がある可能性が残っていたので仕方ありません。遺跡ではヒトではなく、環境の害があるやもしれません。心苦しいですが、諦めください」
「外を見たいのでしたら、エルフの里などはどうですか。グランツオイレにありますよ。ラウプフォーゲル西のマーマンの集落や、フォーゲル山のマグニートは?」
最後のペシュティーノの言葉に、しおれた俺の背がぴんと伸びる。
「エルフの里? どんな場所なの?」
「ええ、高い木々の上に住居を構える森の里です。今は限られた一部の人間しか進入が許されませんが、着々と観光地としての整地が進められているそうで。トリューで向かえばさほど難はありませんし、ケイトリヒ様の魔力はエルフにとって蜜のように甘い魅力。きっと歓迎してくれるはずですよ」
「マーマンの集落は水中? マグニートって、トビアスだよね! 住まいに違いがあるのかなあ、見た目はそんなに大きな違いがないよね。見てみたいな!」
俺はペシュティーノから出された亜人の話題にとびつき、その場では遺跡のことはすっかり忘れてしまった。
と、その場ではごまかされてしまったけれど。
結局、数日たっても遺跡のことが頭から離れない。
精霊に聞いた話では、2万年前くらいのものらしい。精霊の時間感覚はアテにならないけど、歴史で習った2万年前といったら旧ラウプフォーゲルの原祖であるマスタレーユ文明が花開いた頃。地球と違ってこの世界に存在した最古の文明は、なんと5億万年前まで遡ることができる。地球じゃ恐竜の時代だ。こちらでは長命の種族が存在するので、歴史の残り方が異なるんだろう。ハイエルフなんかは数千年生きるそうだ。想像もできないね。
「ねーギンコ……と、コガネとクロル。2万年前の文明って、知ってる?」
カウチで寝そべってでっかい本をペラペラめくりながら、その下で寝そべる3匹に話しかける。
「しばらくヒトと関わっておりませんでしたので、年月の単位があやふやですね。2万年前……どうだったでしょうか。肉体が代替わりしているので思い出せません」
ギンコが律儀に答えてくれ、コガネとクロルは「知らない」だそーだ。どうやらゲーレはおおまかなテリトリーがあるようで、現在の帝国の国土は代々ギンコの支配下にある。ギンコのしばらく、ってどれくらいだろ。
「ふーむ」
うつ伏せで本を読む姿勢に疲れたので寝転んでウトウトしていると、声がしてきた。
(件の文明は、正確には2万8千年前のマスタレーユ文明の港湾都市、ガナールの軍事施設だねえ。あのエルフじみた男のいうとおり、行くのはあまりオススメしないなあ。もう少し……そうだね、フォーゲル山のヌシを従えられるくらい強くならないと難しいとおもうよ。でも最終的には、行ってほしいってのはあるかな)
竜脈だ。そういえばコイツは世界記憶そのものなんだっけ。
「行ってほしいの?」
(まあね。だってあの軍事施設に眠っている兵器は、現代人には扱えないもんなー。万一ケイトリヒ、キミの発明が広まって便利な魔道具が増えたらさ……発掘する者が出てくるかもしれないっしょ? それはヤベーよ。かなりヤベー。でも幸い、今その地域を支配してんの、キミの父親だからね。簡単に発掘させないよう伝えておいたほうがいいかも)
「魔力は封じられるんでしょ? じゃあ、魔道具って使えないんじゃない?」
(説明が面倒だけど、あれは正確には封じてるんじゃなくて霧散させる結界の術式で、つまりその環境自体も魔術によるものなんだよね。だからその影響を防ぐ術式も作れる。そーとーに強力で堅固に設計したせいで今でも元気に働いちゃってるけど、キミが強くなったら解除できるはずだよ。そしたら強力な兵器が手に入る。対アンデッド兵器。ま、ニンゲンにも魔獣にも使えるけどさ、今は必要ないでしょ?)
現代人に手に余る兵器か……たしかに面倒そう。今は、って言うけど将来的にも必要になることありえる? うーん、大陸統一って話しになったらありえるかも?
それより強くなるって具体的になんだろな。魔力? 今現在で無限なのに。量じゃなくて質? うーん、わからん。
「じゃーおっきくなってからでいっかー」
(うんうん、遺跡のロマンに惹かれるのはわかるけどね、あれヤベーから)
渋々諦めることにした俺を、風がふわりと撫でてきた気がする。
これ竜脈かな? そのまま寝てしまった。
それから数日間は、ユヴァフローテツでずっと新型トリューの魔法陣設計。
トビアスが集めてくれた魔法陣の本の中に、いくつか興味深い記述があったので早速つかってみたくなって手掛けたら、熱中しちゃって一気に組み上げた。
俺専用トリューの戦闘機型で13あった全体魔法陣を5つにまで減らし、単体魔法陣もかなり整理した。削ったり足したり移管したりと大手術になったので、もうほとんど新しい複合魔法陣と言ってもいい。
「できたー! ……かな! バジラット、そっちはどお?」
「うん、まあこんなもんかな。主の魔法陣設計に合わせて作ったから、多分大丈夫だと思う。これ、組成表。ニンゲンでもギリギリ作れる……と、思うぞ」
俺の魔法陣設計の横では、バジラットがフォーゲル山で採れる貴重な鉱物を組み合わせて新しいトリュー魔石を作っていた。
組成表をざっと確認する。リンドロース先生に買ってきてもらった鉱物の本と照らし合わせると、とんでもないものばかり。
「金オスミウム……これ確か金以上のレアメタルだよね。エデンベリル、カオルチルは超貴重な宝石の鉱物名」
「ん、どれもフォーゲル山に十分に埋蔵量があるやつにしといたぞ。ただ確かにそこまで貴重なものだったら転用や転売に気をつけないといけないな」
たしかに前の世界では良いものが出ると大体悪いやつが買い占めたり盗んで悪用したりしたもんな。
「位置発信機能でもつけようか」
「とんでもねえ魔力を保有できるから、機能もつけ放題だぜ。主の戦闘機型トリューに入れた複合魔法陣でも万の単位で入れられるくらいの容量だ」
「それじゃあ接触するのを許可者だけにするとか、窃盗者を攻撃したり捕縛したりする魔法陣も入れられるねえ。ね、主! 魔力量を数値化する件もだいたいまとまったから見て見てー!」
ジオールが書類を渡してくる。バジラットは割と最初からニンゲンっぽかったけど、ジオールもすっかり書類仕事までできるようになった。
「現在市販のトリュー魔石の含有魔力を1として、バジラットが作った魔石は……最高品質で200億。安定品質で120億、か。すごい差だね」
これ単位作ったほうが良いかな? それにしても差がありすぎて基準値をもう少し平均化したほうが良さそう。
「ついでに聞くけど、僕の戦闘機型トリューに必要な魔力はこれで計算するとどれくらいになるの?」
「んー? ん〜、ちょっとまって」
ジオールがカリカリと黒板に計算を始める。ゼロが多すぎ。
「えーっと、いちじゅうひゃく……おく、ちょう、けい、がい……ええっと、主の世界の単位だと10穰くらい?」
わっつ? えーとえーと、俺も指を駆使してうんうん唸る。
「えーと、じゃあ10の24乗ってことか。ま、まあ僕の戦闘機のことは置いとこか」
「そうだねえ、主の戦闘機はちょっと規格外だよ。10穰は1秒間の消費量だし。この新型魔石の魔力量があれば、今回の新型トリューの複合魔法陣であれば8時間から14時間は全力飛行できる計算だから、充分だとおもうな!」
新型トリューは最高時速2000キロ。計算上は3000キロまで出せるが、安定速度がそれくらいってことだ。こちらの世界地図は昔の日本地図のように位置関係があまり正確でないけれど、それでもおそらくクリスタロス大陸は北米大陸と同じかちょっと大きいくらい。帝国であれば2、3時間もあれば端から端まで届くというわけだ。
最低8時間連続飛行ができるということであれば、充分。
「主、ご命令の人選について、アウロラとキュアの協力のもと40名に絞りました。彼らはラウプフォーゲルそのものへの忠誠心が高く、主に対し憧れや期待を抱き、新しい制度や組織体制に対し柔軟に対応しうる者と判断できます」
ウィオラが履歴書の紙束をそっと俺に差し出す。
「妻子持ちもいるけど、8割は独身だよ〜。まあこれは騎士隊の比率とあまり変わらないから特に問題ないよねえ? ユヴァフローテツに家族持ちを呼び込むいい機会になるかもね!」
「魔術全般に対する関心が高い人物を選出しております。もし我々に預けていただければ魔力を鍛えることも吝かではございません」
「まりょくをきたえる?」
キュアの言葉に、ちょっと驚いちゃう。だって魔力を鍛えるって常識としてどうなの? キョロキョロと常識人を求めて部屋を見渡すと、スタンリーがその視線に気づいて勉強の手を止めた。
うーん。スタンリーはちょっと、常識人……ではないかな? 多分。
「スタンリー、魔力ってふつう、鍛えられるの? ペシュに聞いてくれる?」
「……私のように九死に一生を得るような経験をしない限り、体内の魔力量はさほど大きく変わらないというのが通説ですが……一応、聞いてみますね」
あ、そういうこともあるんだ。そういえばそういう話してたな?
スタンリーが両方向通信で会話して、俺に向き直る。
「やはりありえない事のようです。ペシュティーノ様が詳しく聞きたいとのことでお部屋にいらっしゃいます」
あ、うん……仕事中なのにごめんね、ペシュ……。
「私が指導したジュン、ガノ、オリンピオ。彼らは元々潜在能力が高かったと思っていたのですが、もしや体内の魔力そのものを増やすことが可能ということですか?」
俺の勉強部屋に入ってくるなり、つかつかと精霊たちに歩み寄って問い詰める。
被害者はジオールだけど、それを言い出したのはキュアだからね?
「えっ、うん。自分の魔力に対して興味があれば、劇的にというほどじゃないけど、まあ増やすことはできるよ。ねえウィオラ?」
「そうですね。ヒトの間では個人の魔力量を測る魔道具が存在したかと思いますが」
「私のものはケイトリヒ様に壊されました」
あっ、あの古い血圧計みたいな、上が消し飛んだやつ?
「ま、主なら仕方ないね。でもどうだろ、今回のトリュー魔石の単位に合わせて、数値化した計測器みたいなの作ってあげようか? 新しく主の下僕になる組織のためにさ」
「助かります!! あの計器、実はかなり高価で微妙に信頼性が低いのです。精霊様の精度であれば正確無比に違いありません。……これも量産すれば相当売れそうですね」
ペシュティーノがガノみたいになってる。
「それで、具体的に魔力を増やす鍛錬というのはどのような指導になるのでしょうか」
ペシュティーノがキュアとウィオラに食いついた。精霊たちも得意げに説明するものだから、講義は白熱しているみたいだ。あ、終わったっぽい。
「ケイトリヒ様、どうやら精鋭部隊を結成する準備が整ったようですね」
「はいっ」
ペシュティーノがキリッと話しかけてきたので、思わず俺もキリッと返事する。
「では名前を決めましょう」
「よござんす」
「いまなんと?」
「いえなんでもないです、大丈夫って意味。レオと考えたもんね! 新しい魔導騎士隊の名前は、ミセリコルディア。慈悲、って意味のラテン語……あ、いや異世界の古語みたいなものだよ」
「慈悲……アンデッド討伐隊が、慈悲ですか。ケイトリヒ様という神が与えた臣民への慈悲ということですね」
「ちがうちがう。アンデッドへの慈悲だよ」
アンデッドだって、好きでアンデッドでいるわけじゃないはずだ。死にたくても死ねない生き物として、もしかしたら苦しんでいるかもしれない。もう終わらせたいのに、終わらない命のせいでさまよっているだけかもしれない。そう思うと、憐れに思えたからだ。
まあこういう観点は、フィクションの物語でアンデッドを見てきた異世界人である俺やレオの意見だからこの世界のヒトに理解してもらうのは難しいかもしれない。
そもそもこちらの世界のアンデッドは単純に死者とは限らないからね。
「アンデッドへの……慈悲。これは……なんと、思慮深い名でしょうか。臣民のために討伐するのではなく、アンデッドのためでもあると……我々はアンデッドはただの脅威としか見ておりませんでした。しかし生命の形を取る以上、ケイトリヒ様の仰るとおり痛みや思いがあるのかもしれませんね」
ペシュティーノはことさら愛おしそうに俺を見つめるとほっぺをぶにぶにこねくり回し、おでこにちゅーしてくる。うむ、わかってもらえて嬉しいです!
「ケイトリヒ様が以前気に入られた装飾絵師に、魔導騎士隊……ミセリコルディアの紋章もいくつか考案してもらいました。今お持ちしますね」
ペシュティーノが嬉しそうに出ていくと、部屋にはスタンリーと精霊たちだけが残った。
「あとは制服かー。そのままトリューに乗るから、飛行服ってことだよね。かっこいいのがいいなあ、シュッとしてて、なんかパイロットスーツみたいな……あ、でもやっぱりいちばんかっこいい男の服ってフォーマルスーツだよなあ……こう、魔法でブワッて変化するのとかどうかな?」
勢いよく妄想話を振ると、スタンリーがポカンとする。
「どちらにしても、スーツはスーツなんですね」
「いやスーツってのは、制服みたいな意味だから。飛行用と正装用がこう、ブワッ!って変化、っつーか変形できるといいよね? かっこいいとおもわない!?」
「はあ、変形……ですか」
うーん、スタンリーにはあまり共感してもらえなかったかー。