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4章_0055話_資金力と政治力 1

広い庭で、子供と大人の視線が俺に集中している。


ペシュティーノは思いっきりやれ、というけど、本当に大丈夫かな?


左手を広げて、手のひらに虹色の杖先をちょんちょんと触れると、フワリと小さな四角錐の「CADくん」が現れる。それだけでもどよめきが起こった。


「魔法陣も使わずに転送した?」

「そんな事ができるの!?」


なんていう声だ。

物質転送は珍しい魔法ではないけど、魔法陣も使わずに転送させるのは非常識なようだ。

ぺ、ペシュティーノ……本当に大丈夫? 思いっきりやれってことは、きっと何か意図があるんだろう。信じるよ?


スタンリーがCADくん受け取り、跪いて膝の上に乗せるとちょうど俺の腰あたり。

起動すると、フワリと空中に俺の肩幅くらいの円が現れる。無地の魔法陣ベースだ。

それに指先をちょんちょんと触れて、記号を加えて円で囲み、記号と記号を規定の線で繋いで……。


「あ……アロイジウス様、あれは一体なんの魔道具ですか」

「いや、僕も知らない」

「あんなに簡単に魔法陣が描けるのですか……?」


ええと、ほぼ記号の内容は「光」と「闇」、そして音を出すための「風」だけだ。熱を司る「火」や実際の物質を司る「土」「水」は一切使われていない。


「うーん、大きさはどれくらいがいいかな……さっきのよりも大きいほうがいいよね。1匹よりは2匹いて、戦ってくれたほうが迫力あるかな……うん、どうだろ。できたかな? ジオール、ウィオラ! ちょっとだけ見て!」


「ふむ、幻影を出すだけであればその程度で良いのではないでしょうか」

「音量はもう少し上げてはいかがですか?」


俺のボソボソ声に、スッとヒト型のジオールとウィオラが現れて応える。周囲の人々になんの反応もないので、もしかしたらあまり認識されてないのかもしれない。

前世の映画館くらいの音量を想定していたが、野外だから少し調整したほうがいいかもしれないな。


「主、実際の音の記号を調整するのではなく、環境を調整したほうがよさそうです。結界を作り、音を閉じ込めて反響させてはどうでしょう」

「ヒトの間では幻影は価値あるもののようですから、可視する者を限定したほうが良さそうですね。遠くから見えてしまうと兵士たちが勘違いしてしまうのでは?」


おー、盲点でした! よし、音響効果と可視範囲を限定する記号を追加して、と。


「できましたー! いきますよー!」


子どもたちから拍手が、大人たちから威勢の良い掛け声が飛ぶ。

幻影魔法って、本当に人気なんだ。


「あ、魔法陣どこに展開しよ」

「地面に直接描いてしまえばよろしいでしょう、1回限りですし」

「痕跡は残さないようにしましょう」


痕跡を残さないってのは精霊パワー?


魔法陣(アルゴーリスモス)起動(ラウフン)!!」

ほんとはこんな呪文は存在しない。魔法陣ってのは、なにかに組み込まれた上で起動に条件をつけるのが一般的だからだ。

スクロールに描かれたものならばスクロールを開けば、とか魔力を流せば、とか。

だいたい「魔力を流せば」っていう条件が多い。けどこの魔法陣はそもそも魔力でできているから、起動には俺の「起動せよ!」みたいな命令が必要なんだ。

地面いっぱいに刻印された魔法陣が青く光って周囲が夜のように暗くなる。


「な、何事だ!?」

「まさか、こんな広範囲で幻影結界を……?」


空にキラリと赤い光と青い光がきらめいたのを誰かが見つけ、指をさす。歓声があがり、皆の期待に満ちた目がなんだか嬉しい。

フッフッフ、壮大なスペクタクルショーの開幕だぜ!


空の光から青と赤のドラゴンが現れ、遠い空中で戦う姿。音は無く、ここまでは観衆もにこやかに楽しんでいてくれていた。想定していなかった阿鼻叫喚地獄は、その後だ。


「お、おい……なんだか鳴き声が……これはドラゴンの声か!?」

「羽ばたく音も聞こえる。ま、まさか本物なんじゃ!?」


赤と青の2体のドラゴンは、激しく戦いながら子どもたちのいる庭に着地したのだ。

翼を大きく羽ばたかせる轟音と着地の地響き音。

音だけで衝撃も風もないのに、その瞬間、「キャー!!!」という悲鳴とともに、何人かの子どもが逃げ出した。しまった、リアル過ぎたと思ったのは一瞬だ。


「ゴアアアァァッ!」

「ギャオオオォォン!!」


2頭のドラゴンが吠えた瞬間、後ろにいた大人の数人が腰を抜かした。

このあと2頭が炎と氷を吐いて戦う予定だったのだが、急遽中止!


「あっ、魔法陣(アルゴーリスモス)解除(ラーシュン)!!」


俺の甲高い叫び声と同時に、真っ暗だった夜空は青くなり、ドラゴンの幻影も消える。


「うわああああん!!」

「ひ、ひ、ひいぃぃ……」

「今のは……ほ、本当に幻影だったのか……?」


泣き叫ぶ子ども、放心する兵士、顔を見合わせる大人。


恐る恐る俺が後ろを振り向くと、父上が腕を組んで半目になっている。フランツは拍手喝采、フェルディナンドは放心状態、駆けつけたゲイリー伯父上はウッキウキで、全員俺を見ている。


え……これ、俺が怒られちゃうやつ……?



「大変申し訳ありませんでした」


夜。


父上の私室に呼ばれた俺とペシュティーノとスタンリー。後ろにはガノもいる。

ガノは水マユの発注状況報告の流れでいるだけで、別に父上が呼びつけたわけではない。

ペシュティーノがものすごく気まずい顔をしながら頭をさげて平身低頭で詫びる。


「いや、技術は認める。あの幻影は素晴らしいものだった。だがな、其方が把握していないレベルのものを、初見で衆人環視のなか出させるとは失態だぞ」

「申し開きもございません……幻影と侮っておりました私の失態にほかなりません」


「思い切りやれと言ったそうではないか」

「そ、その件もまことに……」


「だがな」


父上はペシュティーノの言葉を遮った。


「水マユの価格が高すぎたのか、思いのほか参加者の反応が鈍い。そう思っていたところのあれだ。本当は見越しておったのではないか、ペシュティーノ?」

「い、いえ。そういうわけでは」


「本当か? すべて計算づくではないのか? あの一件で、ケイトリヒの注目度は更に上がった。水マユと違って魔法陣のスクロール販売となれば、原価が安いだけにとんでもない利益率になろう」

「……いいえ、計算ではございません。あの幻影のドラゴンは真実、不慮の事故にございました。それを好転させるか否かは、これからにございます」


父は想定外の事態については説教しつつ、起こしてしまった以上はそれを上手く使えと言っているのだ。さすが領主、ほんとしたたかだな。


「うむ。今回は下準備が足りなかったが故に騒動となってしまったが、あれは事前に音がなることや、今までと一線を画すものであることを先触れしておけば度肝を抜くものだ。このまま失態として葬り去るのはあまりに惜しい。領主の間では軍事転用の話まで挙がったほどのものだぞ、捨て置くわけにはいかぬ」


軍事転用!? 考えてなかったけど、たしかに有効だ。今回は安全を考えて地に伝わる衝撃や風を完全に排除したけれど、それが加われば現実のドラゴンと見分けがつかない。

いや、ドラゴンのような派手なものではなく、軍隊の幻影なんかだせれば敵の情報撹乱に(はなは)だ有効だろう。実際に軍事衝突するまで幻影かどうか見分けがつかない部隊。これは強い。強すぎる!


「……ペシュティーノ。ケイトリヒが目を輝かせておる。これの手綱は其方に任せたぞ」

「は、はい。承知しました」


「ところでスタンリー、其方から報告があるそうだが」

「はい。ブラウアフォーゲルの令嬢、ナタリー・ヘルツェルがケイトリヒ様にちょっかいを掛けてきました。フランツィスカ嬢とマリアンネ嬢に撃退されましたが、おそらくこれからもしばらくはつきまといがあるかと」


え、そんなこと報告すること?

もう、大事にしちゃって……と呆れていたが、父上の表情を見る限り報告に値することだったらしい。眉をしかめて深刻そう。


「ロータルの孫娘……いや、ヘレーナの娘か」


「ぱぱ、ナタリー嬢にはなにかもんだいがあるのですか?」

父上は口ごもり、チラチラとスタンリーに視線を送る。スタンリーは何か知ってて報告したのか? やがてスタンリーが父上の催促の視線に根負けしたのかポツポツと説明してくれる。


現在のブラウアフォーゲル領主、ロータル・ファッシュはその名の通りファッシュ一族。父上もよく知る人物で、ファッシュの名に漏れぬ豪放磊落で実直な人柄だが、問題はナタリーの両親にあるそうで。


「ロータル・ファッシュ閣下は既にかなりのお年で、跡継ぎを指名しておりすぐにでも引退したいという意志を表明しているそうです。が、跡継ぎである閣下の長男と、その姉であるナタリーの母親がなにやら不穏な関係なのです」


どうも跡継ぎとして指名された長男はナタリーの母の弟。気が弱く優柔不断な性格のため臣下からの支持が乏しい。そこで我の強いナタリーの母が、弟ではなく夫か自分の息子を跡継ぎにしろと主張しているのだそうだ。ただわめいているだけなら笑える話だが、臣下からの支持を得てどうもきなくさい動きをしているという話。


「ムコが跡継ぎになることもあるのですか」

「父君の指名があれば、ありえないことではありません。ですが既に後継者の指名が実子にありながら、婿がその移譲を求めるのはありえないことです。この場合は婿自身が求めているのではなく、その妻ですが」


「そのナタリーの母君は、しんせきかいにいなかったですね」

「ええ、その後継者争いの責任を問われ、領主様から謹慎命令が出されているそうです」


スタンリーが淡々と説明する。なんだか随分と世事に詳しくなってきたね?

女性に強要はできない、って話だったけど父親は別なんだ。あるいは領主だから?


「うむ、盗人猛々しいとはこのことだ。旧ラウプフォーゲルは女子を大事にするが、後継ぎに関して女性が関わることはほとんどない。稀に例外もあるがな、シルクトレーテ領の領主のように」


旧ラウプフォーゲル領のひとつ、現在のシルクトレーテ領主は女性。先代の子どもたちの中で唯一の娘で、兄や弟を差し置いて領主となった女傑と言われている。女性を大事にする風習のあるラウプフォーゲルでは、女性領主の領は発展する、なんて言われているから忌避感はないようだ。そう、このお家騒動もどちらかというと、ナタリーの母自身が次期領主に名乗りを上げれば大きな問題にはならなかった。

お家騒動であることには間違いないが、まだ正当性が認められるからだ。


「ともあれブラウアフォーゲルは後継者争いの火種がくすぶる領ということだ。そんな領の令嬢がケイトリヒを求める理由はひとつ、何らかの勢力の力を増すために他ならん。スタンリー、よく報告してくれた。ケイトリヒもペシュティーノもそのあたりに限ってイマイチ勘が鈍いようであるからな、頼んだぞ」


えっ? いまなんと!? 俺とペシュティーノが、女性関係に疎いと言い切った!?


チラッとペシュティーノを見ると、あちらも「そんな」とでもいうような顔で呆けた顔のまま、俺の方を見た。しばらく見つめ合っていると、後ろから「御館様のご心配は最もです」とガノが追い打ちをかけてきた。


ちょっと!? 確かに面倒だとは思ってるけど、疎いワケでは無いよね!?

ペシュティーノはどうかしらないけど!


ふたりして「ガーン」の顔をしていると、後ろからノックの音が響いてアデーレが入ってきた。


「あら、ケイトリヒたちもいたのね。ちょうどよかったわ。『ベイビ・フィー』の報告をしたいからそのままいてもらえる? 狙い通り、ゲイリー夫人の2人と次世代層の若令嬢のふたつをがっちり掴んで、しっかり宣伝しておいたわよ、ほほほ」


なんでも、アデーレは「ケイトリヒには母も女きょうだいもいないから、自分に新しい化粧品を試してほしいと持ってきた」という話を美談にして2大巨塔の現役と次世代の4人を完全に味方につけたらしい。


「ハービヒトの義姉上方とフランツィスカ、マリアンネの2人。新旧2つの社交界の華を味方につけたとは、さすがの腕前だ。その4人を味方につければ、ラウプフォーゲルの女性層はほぼ味方についたと考えて間違いない」


「わたくしも久しぶりに腕が鳴ったわ。情報を小出しにして興味を逸らさせないやり方……鈍ってないわね。というわけでケイトリヒ、いま開発しているすべてのラインを20セットずつ用意できるかしら。割引は不要よ、正規料金で」


「20セット? 思いのほか少ないですね」

「ええ、ひとり3、4つずつくらいしか用意できないはず、と申しておきましたからね。こういうのは誰でも手に入る、と思わせてはいけないのよ。まずは彼女たちの身内から先に渡して、特別感を出さなきゃ。それに見合う現物だとも思うわ。あなたのところのメイドに詳細は伝えておいたから」


ウチのメイド?と不思議に思ってガノの方を見ると、「そのあたりはララが承っており、薬師工房とも調整に入っておりますのでご安心ください」と応えてくれた。そつがない。


「おまかせします……」

俺が力なく言うと、父上が笑う。あっ、女性の扱いに疎いと思われれしまうのはこういうところか!? 焦った視線を向けると、父上がさらに笑った。


「いやいや、構わん。こと化粧品に関しては、あまり男は口出しせんほうがいい。世間的に良いものだというのが認知されて、女性がおねだりしたらプレゼントするくらいの関わり方でいい。女性の美に対する執着というのは、女性によっては隠したいものでもあるようだしな」


「そうよ、この件は私に任せて頂戴。……といっても、もうハービヒト夫人の2人と若令嬢2人を籠絡した時点でほぼ達成ですけれどね。ハービヒト夫人はモノが良ければ勝手に広めてくれるし、若令嬢のおふたりはケイトリヒの事業と伝えてあるから全面的に協力してくれるわ。あとは放っておいても売れるわよ」


父上は満足そうに、頷いて、目を細めてアデーレを見ると、アデーレもはにかむように笑ってそっと父上に寄り添って……。ちゅーする? ちゅーするのかな!?

キャー、夫婦の時間はあとにしてもらいたいのです!

ペシュティーノとスタンリーがそっと目を逸したのに倣って、俺も壁にかかったデカいモンスターの頭の剥製に目を向ける。あ、あれスタンリーの治療に使ったファングキャットじゃん! 売れなかったのかな?


「ゴホン。ま、まあそういうわけだからケイトリヒ。今年の親戚会は、3日間全て出席しなさい。今日の幻影魔法陣の噂を聞きつけてくる者もいるかもしれん。それに明日は父上……其方のお祖父様とお祖母様もいらっしゃる。ずっと会いたいと仰っていたから、たっぷり甘えておいで。そうしてくれるときっと喜ぶだろう。明日明後日に備えて、今日はもう休みなさい」


「はあい!」


「ああ、ペシュティーノとガノは残ってくれ」

「あっ……父上、あの、やりすぎたのは僕なので、あまり叱らないであげて……」


「心配するな、その件ではない。ちょっと今後の産業についてすり合わせしておきたいところがあるだけだ。さ、行きなさい」

「ぱぱ、アデーレさま、おやすみなさい」


「おやすみ」

「うふふ、おやすみ、ケイトリヒ」


父上の部屋を出ると、ジュンとオリンピオとギンコたちがいた。なんかジュンとオリンピオは久しぶりに会った気がする。


「幻影魔法陣の件、叱られたか?」

ジュンがニヤニヤしながら言う。久しぶりでも意地悪だねジュンは!


「ちょっとだけね。でも結果オーライって言えるようにしなさいってさ!」

「ケイトリヒ様、失礼します」

スタンリーが俺をひょいと抱き上げてギンコに乗せる。足下ではコガネとクロルがはふはふ言いながらクルクル回ってる。かわいい。

ジュンが先導、コガネとクロルが左側、スタンリーが右側、後ろはオリンピオ。ギンコは俺の股下。その隊列で本城の長い廊下、西の離宮に向かう渡り廊下を割と早いスピードで歩く。警戒度高めの体制だ。


「なんだか、げんじゅうだね?」

「今夜の本城には、旧ラウプフォーゲル各所からお客様がお泊りです。本城にいらっしゃる方々は信頼のある御方ばかりですが、外部の者がおりますので念のためです」

横でスタンリーが応えてくれる。

渡り廊下の先、西の離宮の大扉にはいつもの倍以上の衛兵が立っていて俺たちが現れるとビシッと背筋を伸ばして敬礼をしてくる。

ほんとに厳重……。


「そういえば、エグモントは? 見ないけど」

「彼はラウプフォーゲル貴族向けにケイトリヒ様の事業の啓蒙活動のため別行動中です。ウィオラ様が付いておりますので、ご心配なく」


啓蒙活動……? ウィオラを伴ってる時点で、洗脳なのでは……?


その夜はスタンリーと一緒にゆっくり湯船に浸かって、厳重な警戒をかいくぐって西の離宮を抜け出す妄想をしながら寝た。



――――――――――――



「こんなお部屋があったのですか」


初めて「審議の間」に足を踏み入れたガノは、隠し部屋と称しながら謁見の間程もある広い空間に驚く。全てが真っ白で、非現実的な雰囲気は魔法空間であることを教えてくれているかのようだ。


「このような大掛かりな魔法仕掛けの部屋は初めて見ます」

「私も初めて入ったときは驚きましたよ。さあ、御館様がお待ちです。驚くのはそれくらいにして、お金の話をしましょう」


「今日はもう見聞きした後だから気楽だ。いつもここでケイトリヒのとんでもない報告を聞いているからな。ペシュティーノも、ガノも座りなさい。何か飲むか?」


「どうぞお気遣いなく」

「水があれば十分です」


ガノは大きな広いテーブルに水差しが置いてあるのを見て言う。ペシュティーノが報告をするときはいつも1人がけのソファが向かい合うような形だが、今日は6人がけの広い会議テーブルだ。


「しばし待て、じきに来る。その間、先程の幻影魔法陣についてざっと概算の収益を出したいのだが」


「あれは本当に想定外でした。あのように本物のようなドラゴンを生み出すとは子供の想像力とはとんでもないものです。既存の幻影魔法陣を一掃するほどのものになります」

ガノがそう言いながら早速バインダーのようのうなものを広げて何やら計算を始めると、ペシュティーノとザムエルが笑う。


「ガノ、隠していてすみませんが御館様には既にケイトリヒ様の魂が異世界人の大人の記憶をもっていることを明かしているのです。将来的に、このユニヴェールの神になるであろうということも」


ガノは計算するペンをピタリと止めてさっと周囲に視線を巡らせたあと、「それなら話はもっと早く済みますね」とだけ言って再びペンを動かす。

その様子を見てザムエルが「本当にケイトリヒの側近は大物ばかりだ」と笑った。


「すまん、遅れたな」


白い部屋に現れたのは、巨漢。ラウプフォーゲル騎士団長のナイジェル・アイヒベルガーと、その後ろには妙に背筋の伸びた中肉中背の中年男。ラウプフォーゲル財務長官、グスタフ・ベンケン。

2人はペシュティーノとガノを認めると何故か破顔した。ペシュティーノはそのような反応に慣れていないため、奇妙に思えたが続く言葉で納得する。


「また、とんでもない報告をお聞きになっていたのですか?」

「今度はどのような『金のなる木』のお話でしょうか、楽しみですね」


ペシュティーノが持ち込むケイトリヒの諸々の「御館様相談案件」は、ザムエルに報告された後に彼らに共有されているのだろう。彼らにとってもペシュティーノの報告内容はいつも胸躍るものらしい。本人からすると頭の痛くなるものばかりなのだが。


「今回は『金のなる木』の具体的な話だ。育成状況、収穫予想までな」

ザムエルが言うと、への字口をしていたグスタフ・ベンケンの口角が上がり、目が輝く。

「ほう! それは興味深い!」

ペシュティーノは面と向かってグスタフと話すのは初めてだったが、「これは完全にガノと同類だ」と直感し、それは正しかった。


ガノが算出したケイトリヒの事業の全ての原価計算、収益予測、成長予測の報告書を、5人の男が無言で10分ほど読み込む。真っ白の部屋には報告書をめくるペラペラという音だけが響き、その間もガノはカリカリと今回の新しい事業「幻影魔法陣」の報告書を書き上げていく。


「既に販売が始まっているトリューだけでもラウプフォーゲルの年間予算の8割の収益見込みである上に……新型トリューまで出したらと考えると……」

ナイジェルが唸るようにひとりごちる。


「化粧品は未知数ですが、水マユを高価格に据え置いた理由がわかりました。売り急ぐ必要がないのですね……さらに製氷に、砂糖。これはザムエル様が頭を抱える理由も仕方ない話です」

ものすごくニヤニヤしながらグスタフが報告書を読み込む。


「取り急ぎで出した算出ですが、現在市場に出回っている幻影魔法陣の販売価格と販売網の実際の売上の数字から割り出した、事業化したあとの収益予測の概算です」

ガノが無造作にテーブル中央に差し出した報告書を、ザムエルが受け取ろうとして横からサッとグスタフが奪い去る。


「純利益率の高さはすべての事業の中でも頭ひとつ、いえ2、3抜けていますね。やはり魔術の産業は旨味が多い。今まで手を出せなかったのが悔やまれますが……」

「グスタフ、よこせ」

「ああ、失礼しましたザムエル閣下」


ザムエルが書類に目を通すと、大きな手で額を揉みしだく。

「……ここ1年で、しかもかなり低めに見積もってもラウプフォーゲルの年間税収を超えるとは。いかんな、カネが集まりすぎる」


「何をおっしゃいます、ザムエル様。使い道は、もう決めているのでしょう?」

グスタフがニヤニヤしながら言う。ザムエルはその顔つきがイヤなのか、少し顔をしかめた。


「それがな、ペシュティーノとガノの算出では……主たる使い道となる『アンデッド討伐の精鋭部隊』ですら、この莫大な利益を消費するほどではないというのだ。そこで集まりすぎたカネの有益な投資先を探してもらいたい、というのが今回の会合の趣旨なのだが……私もここまでとは思っていなかったぞ、ペシュティーノ」


「じ、実は私もここまでとは……ザムエル閣下の仰るとおり、資金が一箇所に集中、停滞しすぎるのは経済市況に置いてもあまり健全なことではございません。今まで棚上げされていたラウプフォーゲルの公共事業なり、開発事業なりをユヴァフローテツから投資という形で肩代わりさせていただきたいと思っております」


「まだまだ、ケイトリヒ様は金の卵を抱えていらっしゃるでしょう!」

ペシュティーノの言葉に、ニヤニヤが止まらないグスタフがツッコミを入れてくる。


書類に没頭していたガノがチラリと顔を上げた。

「フォーゲル山の資源ですね」

「そう! それです! ザムエル様、まだまだフォーゲル山の資源については未知数ですが、場合によっては単に道を作ったり山を切り開いたりなどという公共事業ではとても追いつかなくなる可能性も秘めていますぞ」


「それは調査が済んでからだ、要らぬ期待を抱くでない」


「失礼、調査についてですが……ケイトリヒ様は精霊様のお力を借りて、ほぼフォーゲル山の資源について把握しております。問題は、輸送方法と経済バランスを崩壊させないための程度調整にございまして」

ガノもまたこめかみを押さえて困ったように言うと、グスタフが「ムッホ!」と変な声を上げた。慌てて口を手で押さえたグスタフを見て、ナイジェルが「こんなに高揚したグスタフを見るのは初めてだ」と嫌そうに言う。


「ザムエル様! ケイトリヒ様はもしや、ラウプフォーゲルを覇道に導くためにもたらされた世界の精霊……いえ、恐れずに申し上げましょう! 帝国を牛耳り、このクリスタロス大陸を掌握する統一皇帝! ……果ては、神にまで届こうという御方なのではないでしょうか!!」


グスタフの発言に、ザムエルとペシュティーノとガノがフリーズする。

「馬鹿者、落ち着け」と言いながらグスタフの背中をバンバン叩くナイジェルだけが一番落ち着いている。


「痛い、痛いです! 騎士団長、もう少し力加減をですね!」


「……確かに、これは危険だ。グスタフがその結論に至ったとあれば、商売を邪魔された者や事業を潰された者ともなると、全ての中心たるケイトリヒを恨む。そうなれば彼らはケイトリヒを邪神と(そし)ることだろう」


ザムエルがブツブツというと、ガノがぶった斬る。


「そのようなふざけた輩を生まないために、我々が先を読んで産業の展開の仕方、損切の仕方、そして投資先の選出をしっかり考えねばなりません。手っ取り早く中央貴族を敵に仕立て上げるというのも手ですが、それは最後の手としておきましょう」

ガノの発言に、再びグスタフが「オッホウ!」と変な声を上げる。ザムエルとナイジェルが頭を抱えてしまった。どうやら彼の日常的な奇行らしい。


「キミいいね! すごく良いね! まさかこんな側近がケイトリヒ様についているとは、なるほど納得な展開ですね! 今まで私が散々申し上げてきたラウプフォーゲルの事業の『甘さ』がケイトリヒ様の事業に限って見られない理由がよくわかりました!」


グスタフがバッ、とガノに向けて右手を差し出す。

ペシュティーノも何故か頭を抱えてしまった。


ガノがニヤリと笑って差し出された手を握り、がっしりと握手を交わす。

握手は貴族社会では絶対に見られないもので、商人同士がよくやる挨拶行為。


「ペシュティーノ、其方の提案だぞ。この2人を会わせようという話は、其方が言い出したのだからな」


無邪気に目を輝かせたグスタフと、腹黒さを隠さず不敵な笑みを浮かべるガノ。

ペシュティーノはこの2人を見て何故かジオールをウィオラを思い出していた。


「とりあえず、旧ラウプフォーゲルの最貧領クラーニヒに街道でも作るか?」

ナイジェルが空気を変えるつもりか呆れた口調で言うと、いち早くガノが反応する。

「ああ、当面の投資先としては程よいですね。ですが、街道建設ならば私の提案はヴァイスヒルシュ領から東側の中立領に向ける街道を推薦します。旧ラウプフォーゲルの一枚岩っぷりはもう不動ですので、中立領を取り入れていく方向ではいかがでしょう」

すかさずグスタフが変な声を上げて賛同してくる。

「クウウゥッ! 中立領の取り込みッ!! いいねえ、良いねえぇ! 積年の夢が! 金があればやりたかったことが、今! ケイトリヒ様の投資で! 叶おうとしているということですかぁっ! ガノ、キミの存在は私にとって福音だ! 精霊様の思し召しだ!」


軍事面のナイジェルと、カネを動かすグスタフとガノ。3人がわいわい盛り上がる中、政治担当のザムエルとペシュティーノの2人は取り残されてただ会話を聞いているだけになった。


「御館様、シュティーリであった私の台頭は、ケイトリヒ様に影を落としてしまいます。故に、もう一人()()()()を立てようと思うのですが」

「構わん。ユヴァフローテツ、ひいてはケイトリヒの周辺の人事は全て其方に任せる。其方も、あまりケイトリヒから離れたくないのであろう?」


ザムエルに言われ、ペシュティーノは西の離宮で眠る小さな寝息を思い出して自然と微笑んだ。


「……今の其方であれば、ラウプフォーゲルでも受け入れられるだろうな。昔よりも、ずっと表情が豊かになった。中央などでは表情を表に出すのは()()()()()と言われて嫌われるが、ラウプフォーゲルでは逆だ。表情のない中央貴族は何を考えているかわからんから信用ならんと言う。今の其方であれば、おそらくラウプフォーゲル女の妻を取ることも不可能ではないぞ?」


「お戯れはご容赦ください」


スン、と無表情になったペシュティーノを見て、ザムエルがくつくつと笑った。


大人たちの「カネ会議」は、夜更けまで続いた。

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