4章_0053話_はじめての社交 2
親戚会当日。
去年は途中参加、途中退場だったので会場の雰囲気も何もわかったものじゃなかったが、今回は開始の挨拶が始まる前からしっかり参加。
大人も子供もきれいな服を着て、俺を見つけるとニッコリと微笑みかけてくるけれど。
俺はギンコの背中に乗ってるので誰も話しかけてこない。
今日はクロルもコガネも両脇にビシッと待機。スタンリーから「妙な動きをする者がいたら命を奪わない程度に足に噛み付いていい」と言われているのでなんだか好戦的な目つきだ。それを察知しているのかはわからないが、とにかく誰も近づいてこない。
「アロイジウスあにうえ、誰も話しかけてこないですね」
「当然だよ、ここは領主子息の控え席みたいなもので、僕たちが呼びかけない限り、あるいは父上の許可がない限りは近づいてはいけないことになっているんだ。領主子息に余計な交友関係を作らせないためのルールだよ」
なんだ、コガネとクロルの敵意のせいじゃなかったのね。
「おい、ケイトリヒ。ジリアンが来たぞ」
「あ! 魔導学院にかよってるとうわさの!」
ジリアンと呼ばれた従兄弟は、俺の視線に気づいてこちらに会釈をする。
14歳という年齢だが、ひょろりと背が高くて長い髪を後ろに束ねている。背中が丸まっていて、あの快活なゲイリー伯父上の息子にはとても見えない。
「ジリアン、こっちへ!」
アロイジウス兄上が代わりに呼んでくれた。
「1年ぶりです、アロイジウス殿下」
少し元気がない様子で半目で挨拶してくる。それなりに子供だというのに側近のひとりも付けていない。というか、ゲイリー伯父上もふたりの夫人たちもとっくに会場入りしているのに、なぜにひとり?
「ジリアン従兄上、そっきんは?」
「ケイトリヒ、親戚会に護衛や側近を連れてくる子息はいないよ? あまり自分が普通だと思わないようにね」
「えっ、そうなの。ちちぎみや、ははぎみは昨日のうちにお会いしましたけれど、ジリアン従兄上はひとりでこられたのですか?」
「ラオフェンの馬車に丸一日揺られても平気なのは、ウチの父と母たちくらいです。俺は2日かけてククルー馬車で来たんですけど……それでも……ウッ。すみません、ちゃんとした挨拶はまた改めて」
元気がないと思っていたジリアンは馬車酔いの名残で体調不良だったようだ。
引き止めては悪いのですぐに解放すると、彼は庭へと抜ける開けた窓へとフラフラと向かって、外のベンチで水を飲んで項垂れていた。
「クラレンツ兄上、ククルー馬車って?」
「ふん、なんだそんなことも知らないのか? ふん、教えてやる。ラオフェンドラッケよりも一回りちいさいトリ型の馬だ!」
このところデリウス先生と一緒になって教師役をしていた俺より、知っていることがあって嬉しいらしい。ほ、ほんとは知ってたけどね。
「ラウプフォーゲル城下町ではあまり見かけないが、辺境など悪路の多い地域では一般的な馬だよ。ラオフェンほどではないが馬車の乗り心地は悪い……らしいね。やはり二足歩行の馬は速度が出る分、揺れるんだろうね」
アロイジウスが補足してくれる。ハービヒト領も大都市なので悪路はあまり多くないのだけど、いろんな馬車を集めるのがゲイリー伯父上の趣味らしい。馬車集めるのが好きとかすごくぽいぽい。
「け、ケイトリヒ。あっち。あっち」
カーリンゼンがつんつんと袖を引っ張りながら耳打ちしてくる。
「ん?」
「げっ」
「あ……ケイトリヒ、キミのお目当てのもう一人が来たよ」
クラレンツは気まずそうに明後日の方向を向いているけれど、アロイジウスの視線を辿ると黒い髪に黒い瞳の、キリリとした少年がこちらをチラリと見た。
後ろにはおっとりした女性と、優しそうな男性がにこやかに談笑している。男性の方はヴァイスヒルシュ領主、ヴィンデリン・ブリッツェだ。
「エーヴィッツあにうえ!」
俺が声を上げて満面の笑顔で思いっきり手を振ると、領主夫妻も呼ばれた少年もギョッとしたようだ。あれ? まずかった?
エーヴィッツは少し困惑したように後ろの夫妻に視線を向け、夫妻も曖昧に笑うばかり。
「エーヴィッツ、よければ少し、こっちへ来て話さないか? ケイトリヒが、僕たち以外にも兄がいると知って会いたがっていたんだよ」
「ああ、そうだったんですね」
意志の強そうな太い眉を少し緩めて、俺を見てにっこり微笑む。後ろの夫妻も、アロイジウスの話を聞いて合点がいったのか和やかに笑っている。
エーヴィッツ兄上、かっこいいな。兄上たちのなかでは、ひときわ美形だ。スタンリーに並ぶね! 身長は少しエーヴィッツのほうが高いかな?
「はじめまして、ケイトリヒですっ!」
「ケイトリヒ王子殿下、はじめまして。ザムエル閣下の息子で、母方のブリッツェ家に養子に入ったエーヴィッツです。弟のヴィクトールは、少し体調が優れないので今年は留守番です」
ハグでもしようかとギンコから降りて近づいたけれど、エーヴィッツのほうは少し距離を置いて頭を下げてきた。
「けいご」
距離を取られたのがなんだか悲しくなってアロイジウスに視線を向けると、アロイジウスもやれやれ、とでも言うように笑った。
「エーヴィッツ、兄から頭を下げられてケイトリヒが困っているよ? 今はヴァイスヒルシュの子でも、僕らの兄弟でもあるんだから。敬語はナシだよ。エーヴィッツには驚きかもしれないがクラレンツもだいぶ大人しくなったんだ。できれば昔のことは忘れて、仲良くできないかな」
え、クラレンツと仲悪かったの!?
「クラレンツ兄上、エーヴィッツ兄上のこといじめたんですか!?」
「なんで俺がいじめる限定の話なんだよ! こいつもなかなかの性格だぞ!?」
「あ、ダメ! クラレンツ兄上はだまって!」
「っつーか……はあ?」
「だまって!!」
「な、なんだよ……」
仲が悪いというのなら、クラレンツが口を開くとエーヴィッツが逃げてしまうかもしれない。それよりもちゃんと聞いておきたいことがあるから、ちょっとクラレンツは黙っててほしい!
「エーヴィッツ兄上、魔導学院ににゅうがくするんですか!」
「えっ? あ、ああ。来年入学する予定だよ」
「わー! 嬉しいな、僕も、僕も来年にゅうがくするんです! 決定なんです! 行きたくなくても行かなきゃいけないくて……でも僕ちっちゃいから、頼れる兄上がいてくれたらなーって思ってたんです」
「ケイトリヒ、またぶりっこしてやがる……」
「クラレンツ兄上、ケイトリヒはまだ小さいんですから、寂しいのはきっと本当ですよ」
「ンなわけねーだろ、騙されんな。メイドに側近、護衛騎士も全員連れて行く気だぞ?」
クラレンツとカーリンゼンのこそこそ話は無視。
甘えた声で、まあ、クラレンツの言う通り思いっきりぶりっこポーズでエーヴィッツに近づく。エーヴィッツは面食らったようだけど、キリリとした眉がふにゃんと下がった。
「ケイトリヒでん……いや、ケイトリヒ。本当に、ちっちゃいね。確かに魔導学院の入学年齢は12歳だから、きっと周囲よりひときわ小さいだろうね」
エーヴィッツの小さな手が俺のふわふわヘアーをポムンと撫でる。
あまりの柔らかさに驚いたのか、それから両手で挟み込むようにポスポスされた。
どや、気持ちいいじゃろ。側近が苦労して維持している俺のふわふわヘアー!
だが頭を撫でられると俺も気持ちよくなるのだった。トロンとしちゃう。
「んあ、エーヴィッツあにうえ、そっきん何人つれてくる?」
「えっ? 側近?」
「このまえね、父上といっしょに魔導学院にいって、がくないせつめい聞いてきたの。でもインペリウムとくべつりょうが老朽化してるからあたらしく建てようと思って」
「……インペリウム特別寮を、新しく建て直す?」
「父上がもう校長とお決めになったんだよ。建設は、ケイトリヒの名目でするそうだ」
アロイジウスが補足して、エーヴィッツは目を丸くしている。
「ケイトリヒの名目で……?」
「エーヴィッツ兄上のお部屋も、いるでしょう? 側近なんにんくらい連れてくるかなあと思って。アロイジウス兄上とクラレンツ兄上が入学するようなら、ちょっと間取りもかんがえないとだよねー」
親戚会と違って、さすがに魔導学院には側近つれてくるよね?
「えっ……アロイジウス兄上が!? それに、クラレンツも!?!?」
エーヴィッツは驚きのあまり誰に視線を向ければいいかわからないようだ。
「いや、僕はまだ決まっていないよ」
「俺は……まあ、その……うん、まあ、そんなかんじ……」
せわしなく周囲をうかがっていたエーヴィッツの視線が、クラレンツに固定された。
「く、クラレンツ。オマエが、魔導学院に……」
「いや、違うんだ。俺だって別に行きたいわけじゃ」
「えー! クラレンツ兄上、いくっていったじゃないですか! 言ったもん! 言ったもんね、ねースタンリー!」
「いえ、まだしっかりとは仰っていなかったかと」
兄弟全員が飛び上がるほど驚いた。
俺のすぐ後ろにずっと控えていたスタンリーは、気配を消す魔法でも使っていたのか誰にも認識されていなかったようだ。
「だ、誰!?」
「ケイトリヒの側近だ。俺たちと同い年だよ」
エーヴィッツとクラレンツが普通に会話してる。これ、もう仲直りできたのでは?
「ご挨拶が遅れて申し訳ありません。私はケイトリヒ様の側近、スタンリー・ガードナーと申します。来年、ケイトリヒ様とともに魔導学院に入学いたします。お見知り置きを」
スタンリーはお手本のようなボウ・アンド・スクレープを見せ、ニコリともせずに顎を上げて見下すように兄上たちを睥睨する。
……ん? ガードナー?
スタンリー、いつのまにか家名ができたの?
「……本当に側近?」
「それな、ムカつくだろコイツ」
「クラレンツ殿下は私にムカついていたのですか。遠泳で私に負けたからでしょうか?」
「ブフッ!」
「コイツ! マジでムカつく! ケイトリヒ、注意しろよ! 俺だって王子だぞ!」
「身分以外に私の上をいくものがないとは、悲しい限りですね。ただ身分こそ、振りかざすのは良くないですよ、王子殿下」
スタンリーがニヤリと笑って明らかに挑発してる! なんて悪役顔!!
クラレンツがグギギってなってる! 可哀想すぎるだろ!
「スタンリー、この場所ではあまりちょうはつしちゃダメ」
「失礼しました」
「ブッフォ! ゲホッ、うふっ、ちょっ、ケイトリヒ……ブッフッフ!!」
エーヴィッツは臨界点を超えたのか、笑いを隠さなくなった。
「ゴホッ、う、うう゛ん! はあ、なんだかファッシュ家の兄弟の雰囲気が変わった理由がわかったよ。この小さな妖精の手にかかれば、クラレンツもタジタジだ」
エーヴィッツが俺の頭を抱え込むように撫でてきたので、勢いでぼすんと抱きつく。あんまりくっつくとちょうど股間あたりに俺の顔がくるのでちょっと横に避けて腰あたりにギュッとしがみつく。小さいって不便。
と、思っていたら脇にガッと手を入れられて抱っこされた。ちからもち!
「かわいいなあ。ヴィクトールも少し前までは僕のあとをちょこちょこついてきたのに、今はもう僕の身長に迫ってきてるから、こんな小さな子を抱っこするのは久しぶりだ」
そう言いながらふわふわヘアーに頬ずりする。みんなやるよね。
「エーヴィッツあにうえ、僕こうみえて7さいです」
「えっ!!? ヴィクトールと、い、2歳しか違わないのか!? てっきり3……いや5歳くらいかと、いや随分口が達者な子だと思ったけれど……ええ、そうなのか」
言い直したね?
アロイジウス兄上が、病気がちで発育が遅れてることやきょうだいのなかでは一番賢くてもう稼ぎ始めていること、それに魔力が多いせいで皇帝命令で魔導学院に入学しなければならない件などをかいつまんで説明してくれる。親戚中に知られていると思っていたけど初めて知る話も多かったみたいだ。
「それで魔導学院に……そうか、じゃあもう専属の側近や護衛騎士がついているのも納得だ。スタンリーだったね、魔導学院では一緒に学ぶこともあるだろう。よろしく頼む。それにしても新しい寮の件は、父上と相談してちゃんと回答するよ。魔導学院での側近の話は今、ヴァイスヒルシュでも話し合いの最中なんだ」
おお、エーヴィッツおとなだー! 自分で判断できないことは父に聞く。当たり前のことだけど、次期領主になるためにブリッツェ家の養子になっただけあってしっかりと教育が行き届いている。彼とクラレンツが並ぶことを考えると……ちょっと、頑張らないと。
エーヴィッツがにこやかに去ると、その後ろに並ぶように立っていた少年たちが現れる。
ジッとこちらを見て、声をかけられるのを待っているようだけど……。
「ケイトリヒ様、そろそろお腹が空いていませんか? 軽食を召し上がるならテーブルへ参りましょう」
「あ、僕もお腹すいたな。スタンリー、さすが気が利くね。ケイトリヒ、行こうか」
あ、そうですか。相手にする必要のない子息なんだね。
スタンリーに抱っこされてギンコに乗せられて、テーブル席へ。テーブルの上にはサンドイッチや小さくカットされたキッシュ、鮮やかな色のゼリーやミニタルト、ピンチョスやカナッペなどがキレイに並べられている。
「なんだこれ! すげえ美味そう」
「ほんとだ、キレイだね。もしかしてこれも異世界料理人のメニューかな?」
クラレンツとアロイジウスが俺の方を見るけど、どれのことを言ってるのかわからない。
ユヴァフローテツでは普通に出てきたものばかりなんだもん。
「この桃色のは、なんだ?」
「潰したじゃがいもに赤い魚卵を混ぜた『タラモ』という料理だそうです。香辛料が使われているので生臭さがありません」
「なあこれは? この赤いの、辛いのかな?」
「これはミニトマトです。トマトは召し上がったことがありますよね」
「この上にのってるぶよぶよは?」
「レオ殿は『くずもちふう』と呼んでいました。植物から抽出した凝固成分を使っているそうです。食感は独特ですが、クセのない甘さで美味しいですよ」
兄上たちの質問には、スタンリーが淀みなく答える。事前にレオに料理の説明を習ったらしい。それにしても物覚えがよすぎない!? しかも食べたことある風に説明してるってことは味見役もやってたね! うらやましいぞ!
「ケイトリヒ様にはこれです」
スタンリーがさっと口元に出してきたスプーンを反射的に口に入れる。
鼻に抜けるバニラの香りと、口の中でしっかり存在感のある硬めのプルプル!
「んう、ぷいん!」
「レオ殿いわく、『ようやくゼラチンの無臭抽出ができた』と言っておりました。異世界では膠をデザートに使っていたのですね」
そういわれてみれば固形のぷるぷるプリンは異世界では初めてだ。いわゆるプッチンできるプリン。いつもトロトロ系か、焼いたタイプのどっしり系のどちらかだったね。
「え、膠のプリン……?」
クラレンツが変な顔をするけど、膠じゃなくてゼラチンだから!
言いたいけど言って良いものかどうか!
「原材料は同じですが、工業用のものを膠、食用のものはゼラチンと呼ぶそうです」
ナイススタンリー!
美味しい軽食をもりもり食べていると、会場がざわついて壇上に父上が立つ。
父上がわざとらしくマントを翻してみせると、紳士も淑女も「おお」とどよめいた。
水マユのマントはやっぱり注目の的だね!
「今年もよく集まってくれた、大ラウプフォーゲルの家族たちよ」
父上が大仰に手を広げて会場中に視線を巡らせると、それを迎え入れるように穏やかな拍手が鳴り響いた。家族と呼んだだけあって、今更だけどほんとうにパーティーや夜会じゃなくて親戚会って感じ。
壇上で朗々と挨拶をする父上を見ていると、なんだか眠くなってきた。
視界がぼやけて頭が重くなってきたなーと感じるとすぐにスタンリーが座ったまま俺を抱っこしてくれた。重い頭を預ける背もたれを得て、背中もポカポカでスヤァ。
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「えっ? ……ケイトリヒ、寝たのか? このあとは社交の時間になるが……」
アロイジウスが驚いてコソコソとスタンリーに話しかける。
「今眠っておけば20分ほどで目覚めますので、どうかお許しを」
「いや、許すもなにも……小さいから、仕方ないと思うよ。でも父上のあのマントを見たら、ケイトリヒは話題の中心になるだろう? 大丈夫かな」
心配の通り、父上が水マユ事業の中心がケイトリヒであることを自慢気に発表すると会場中の視線が一点に集まった。アロイジウス、クラレンツ、カーリンゼンたちはあまりの熱視線に気圧されて俯いてしまう。
「す、スタンリー。ケイトリヒを起こせないか」
「この段階で起こしてしまうと、このあとずっと眠そうに過ごされてしまいます。ケイトリヒ様とお話したい者がいるのなら、待たせておけばよろしいではないですか。御館様にもそのように言われておりますので心配無用ですよ」
大人たちの無遠慮な視線に全く臆することなく、スタンリーは眠るケイトリヒの髪をそっと撫でる。するとどこからか笑顔のガノとペシュティーノが現れ、スタンリーにブランケットを手渡した。
まだ若い兄弟たちは、大人たちの視線を隠してくれる大人の登場にホッとしてしまう。
「水マユの製品紹介はケイトリヒの側近、ペシュティーノ・ヒメネス、買付依頼はガノ・バルフォアが取り仕切る。ケイトリヒは食べたらすぐに眠くなってしまうので、勘弁してやってくれ」
領主ザムエルの言葉に会場の大人たちはにこやかに受け入れる。
が、目つきは明らかに2人の側近に向けられ、領主の挨拶が終了次第ダッシュで詳細説明と交渉に入ろうとソワソワするものばかりだ。
わかりやすい、とアロイジウスは苦笑いする。
「兄君方。社交の席で、もし水マユ製品について尋ねられましたら我々に誘導お願いしますね。殿下方のお召し物に施された水マユ刺繍は今までにない最先端の技術です。存分に自慢なさっていただけるとありがたい限りにございます」
ガノがにこやかにいうと、クラレンツとカーリンゼンは素直に頷いた。
アロイジウスはといえば「ケイトリヒの事業に兄王子まで宣伝に使うとは、なかなか狡猾な側近だ」と一瞬訝しげに感じたが、ケイトリヒの台頭はもう今やもう既定路線。
であれば、そのケイトリヒと円満な関係であることを主張したほうがファッシュ家、はてはラウプフォーゲルの安定につながるのではないか。
アロイジウスがちらりと自身の側近のレオナルトに視線を遣ると、相変わらずペシュティーノのことが気に食わないのか忌々しいと言わんばかりの視線を向けている。
今ではこのペシュティーノさえ、領主の重要な相談役という扱いなので表立って無下にはできない。以前は面と向かって「下人」「上辺だけの帝都人」などと罵ったが、今もしそのような暴言が公になればレオナルトもただでは済まないだろう。
(……ケイトリヒの側近は、例え不遇の出身であろうと次々と功績を上げてどんどん立場を上げている。それに比べて……)
アロイジウスがチラリとペシュティーノを盗み見ると、ペシュティーノは視線に気づきニコリと微笑んできた。初めて彼を見たときは陰気な痩せぎすの女性のようだと思ったけれど、今は優しげで親身になってくれそうな雰囲気を醸し出している。
それもこれも、ケイトリヒが健康になってから劇的に変わったことだ。
(世話役に教師まで兼任するうえ事業の補佐までできる有能な者とは、初めて見たときは思えなかったのに)
アデーレ夫人から聞いた「魔導学院首席卒業」の言葉がアロイジウスの頭の中でこだまのように響く。
(ラウプフォーゲルを500年にわたって支える傭兵業は、すでに成熟した事業。誰が引き継いだとしても、劇的な功績を上げるのは難しい。しかしケイトリヒは今までラウプフォーゲルにもたらされなかった魔術の恩恵を呼び込む可能性がある。いや、間違いなく呼び込む。そうなると、僕もケイトリヒと同じ方向へ舵を切るべきかもしれない)
何よりも、アロイジウスは自身の側近の不足を誰よりも感じていた。
ケイトリヒの側近と比べれば、自身の側近たちの強みは出自だけ。ラウプフォーゲルで築いた先祖や家族の地位に漫然とあぐらをかいた名ばかりの有力者では、屈強なラウプフォーゲルをまとめ上げる領主にはなれない。
眠っているケイトリヒの寝顔を思わずジッと見つめると、スタンリーが不思議そうに首を傾げる。この少年も、どこから調達してきたのかやけに肝が座っているし、魔術では側近の中でも群を抜いているという。
「スタンリー、その……僕が抱っこしてもいいだろうか」
「……どうぞ」
スタンリーは少し名残惜しそうに眠っているケイトリヒを抱き上げて渡してくる。
向かい合うように抱っこすると、想像していたよりも重い。
「意外と重いな」
「眠っていると余計に重く感じます」
ケイトリヒはにゃむにゃむと体をモゾモゾさせながら肩口に突っ伏して寝息をたてる。
それを見て、周囲の大人たちがわらっているのをアロイジウスは感じた。
「まあ、ご覧になって。可愛らしいご兄弟ですこと」
「ファッシュ家の兄弟は仲良しですわね」
「弟思いの兄と、天才魔術師の弟か。ファッシュ家は安泰だ」
小さい頃に乳母がやってくれたように、抱っこしたままゆらゆらと体を揺らす。
天才魔術師の弟。
今度はその言葉がアロイジウスの頭の中にずっと焼印のように離れない言葉となった。
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目が覚めたらアロイジウス兄上のお顔が横にあった。
「わ、あにうえ」
「おはよう、ケイトリヒ。スタンリーが軽々と抱き上げてるから抱っこしたくなったんだけど、意外と重いんだね。大きくなった証拠だ」
アロイジウス兄上は疲れたのか、起きたらすぐに俺を下ろした。
やっぱかわいい弟をかわいがりたくなった? ふわふわヘアーに頬ずりしたくなった?
しかたないなー、サービスですよ?
がば、とアロイジウス兄上のお腹に抱きついてギューッとすると、兄上もギューッと抱き返してきた。うん、兄弟愛!!
「ケイトリヒ、寝ている間に父上が水マユの発表をされてね。側近たちが大変そうだよ」
「あー、それはー、もともとペシュとガノに任せるつもりでしたから! 僕らは、かわいいおめしものをみせびらかしてえいぎょーです! さーいきましょう!」
アロイジウスの眼の前でおもむろにバンザイをすると、うしろからスタンリーがジャケットをサッと脱がしてくれる。そしてサッと水マユでできたボレロを羽織らせて、かわいいケイトリヒ、完成! どや、かわいいやろ!
「アロイジウスあにうえ、おじーさまとおばーさまに会いたいです!」
「さきほど父上に聞いたけど、お祖父様とお祖母様は明日来られるそうだよ。1日目は一番参加者が多いからね、引退されたお祖父様たちには賑やかすぎるという話だ」
そうだったのか。残念。
というか、さっきからアロイジウスが俺の手をしっかり握ってくれている。
なんだか今日はアロイジウスくん積極的。いいおにいちゃん全開!
「じゃあ……だれにご挨拶しよ」
「マリアンネ嬢とフランツィスカ嬢には挨拶しなくて良いのかい?」
「うっ」
さすがいいおにいちゃん。痛いところを突いてくる。
少し離れたところで大人に囲まれたペシュティーノをチラリと見ると、おもむろに杖を取り出して両方向通信を使って「婚約の打診をしてきたご令嬢方にご挨拶するのは礼儀ですよ」と耳打ちしてきた。
わざわざ魔法使ってまで伝えてこなくても事前にめっちゃいい含められたのちゃんと覚えてますから!! あとこの距離でよく聞こえたね!
「……いきます」
「まだお見えではないとのことにございます」
スタンリーが丁寧に教えてくれた。なーんだ、よかった。
「ケイトリヒ、いまホッとしたかい?」
「いえっ↑? いや、ちょっとだけ?」
「あはは、声が裏返ったよ! ケイトリヒにはまだ婚約者の話は早いかな」
大きな声で笑うと、つないだ手と逆の手で頭を撫でてくる。
これはあれですか! 牽制ですか! いいねおにいちゃん、気が利く!
「アロイジウス殿下。ケイトリヒ様のお気持ちがついていかないことは重々承知しておりますが、数々の事業の中心である以上、早すぎるということはございません。あまりケイトリヒ様に逃げ道を用意しすぎないでください」
スタンリーが低い声でいうと、アロイジウスがピシッと固まった。
ちょ、ちょっと、いつもなら笑って流すところだけど、さすがにこういう公の場でそういう物言いは、不敬だよ? 小声だったので周囲には聞こえていないだろうけど。
ドキドキしながらアロイジウスを見ると、返事を考えあぐねているのか薄笑いのままフリーズしている。
「に……スタンリー」
「……失礼しました。我々側近としては、ケイトリヒ様のご婚約は名誉です。王子殿下に対し差し出がましい口をきいてしまい申し訳ありません。お許しください」
「あ……ああ、構わない。ケイトリヒを思っての忠言であろう。……うん、許す」
膝をついて頭を下げるスタンリーに、何故かアロイジウスのほうが居心地が悪いとでもいうように口ごもっている。何かをチラチラと気にしている様子だけど、なんだろう。
それよりも膝をつくスタンリーが可哀想になってそっと近づくと、スタンリーが立ち上がるのに合わせて流れるように抱っこされた。
「寛大な兄殿下に感謝申し上げます。では、失礼します」
あれ?
スタンリーは俺を抱っこしたままスタスタとアロイジウスの元を離れ、大人たちの波をかき分けてどこかへ向かっている。
「スタンリー? どこいくの?」
「ご挨拶をするのでしょう」
スタンリーがサッと俺を下ろしたのは、この大広間の少し高い位置にある大扉の前。
参加者はここで従者に名乗りを挙げさせて会場に入る。いわゆる「◯◯様のおな〜り〜」ってやつ。
なぜここに? と思った瞬間、従者が高らかに名のりをあげた。
「グランツオイレ領主、ハイアーミッテン侯爵フランツ・キストラー閣下とその姪御嬢、フランツィスカ嬢。そしてシュヴァルヴェ領主ラングハイム侯爵、フェルディナント・ラングハイム閣下とその御息女マリアンネ嬢。同時にご入場です」
あ、と思ったときには遅かった。
開かれっぱなしの大扉から大人の男性に連れられて入ってきたオレンジの髪と紺色の髪の2人の令嬢が俺を見つける。
高らかに「出迎えてくださったのね!」「嬉しいですわ!」と言いながら俺に駆け寄ってきた。周囲の注目は2人に一極集中。もちろん俺にも!!
す、スタンリー!?
俺を売ったのかー!!?




