4章_0052話_はじめての社交 1
もともとの予定では、皇帝陛下の謁見が終わったらさっさとユヴァフローテツに帰るつもりだったのに。兄上たちの教育に協力したり城下町視察したり御用商人からお買い物してたりしてたら、もう親戚会の開催日程が近づいてきた。
もうこのままラウプフォーゲルにいればいんじゃない?
ということでダラダラとラウプフォーゲルにいるわけだけど、ユヴァフローテツからは毎日のように使者がやってきてあれこれペシュティーノと話して帰っていく。
俺もたまにディアナに呼び出されて戻ったりして、城とユヴァフローテツを行ったり来たりしていたらもう親戚会の日になっちゃった。
前回の親戚会から、もう1年たったのかー。
ユヴァフローテツへの移住もあって、なんだかあっという間だった。
今回の親戚会は、父上からしっかり社交するように言われているし、衣装も事前勉強もばっちり! まあ事前勉強は去年もやったんだけどね。あまり活躍せずにおねむになっちゃったから、今回はフル活用していきますよ!
ユヴァフローテツの産業を、帝国の半分を占める旧ラウプフォーゲル領にアピールするチャンスだ。まだまだ発展中のユヴァフローテツだけど、各地の需要や産業の傾向などを掴んで次の産業に活かせるかもしれない。なにせユヴァフローテツは魔法使いがたくさんいる街だ、ポテンシャルの高さは旧ラウプフォーゲルいちと言ってもいい。
ラウプフォーゲルにいる間は、社交のためのプレゼン資料づくりだ!
……と、思ってたけど。
「お砂糖の件はまだ内密にお願い致します。ケイトリヒ様と我々側近が乗る新型トリューについても、現状では公開を限定していますので口を滑らせないようにご注意下さい。問題なく公開できるのは……そうですね、水マユと白い塗料くらいでしょうか。製氷についても、小口であれば産業化しても構わないという方向になってますので、こちらは匂わせ程度であれば……」
ペシュティーノがなにかの書類を見ながら眉をしかめて俺に注意事を並べていく。
「えっ、お砂糖ダメ!? じゃあユヴァフローテツの庭園でヒルカンデの薬草が採れることとかは!?」
「ダメです。今でも産業化できるほど量が採れませんし、精霊様のお力あってのことですので将来的にも難しいですから」
「でっかい白菜は?」
「それもダメです。あれはユヴァフローテツの、しかも小領主邸限定です」
「浮馬車は?」
「それはもう先日の家臣会議で公開済みですので、目新しい情報ではないでしょう。ですが、売り込みということであれば目一杯かけていただいて構いませんよ」
「目玉産業がないな!」
「メダマ?」
親戚会の間、すべての人がその話題でひっきりなしになるような、注目の的となるようなネタがないと俺の存在感を示せない。というと、ペシュティーノはガノを呼びつけて、真剣に悩み始めた。……そ、そんな大事になっちゃった?
「確かにケイトリヒ様の仰る通り、昨年の親戚会ではトリューの発表という衝撃的なメダマがありましたからね。それがないとなると、確かに印象としては昨年よりも力を失ったように見えるかもしれません」
ガノがいうと、ペシュティーノも頭を抱える。
「しかしそう毎年毎年、衝撃的な発表を繰り返すわけにも……」
「いいえ、ペシュティーノ様。ケイトリヒ様が大きな発表をするのは親戚会が一番最初、という風習を続けていくことが重要です。ケイトリヒ様の、ひいてはラウプフォーゲルの存在価値、さらには親戚会の注目度がグッと上がります。ケイトリヒ様の着目点は正しいです」
そ、そこまで考えたわけじゃなかったけど……。
貴族は流行に敏感でなくてはならない。その流行の発信地が、常にラウプフォーゲルの親戚会になるとすると、帝国でのラウプフォーゲルの地位は上がる一方になるだろう。
「これは、御館様との相談案件ですね」
「ペシュティーノ様、私もお供いたします。公開を控えている情報の中で、できる範囲内で衝撃的なメダマになる案件がないか話しましょう。ケイトリヒ様もご意見を」
ざっと書き出したユヴァフローテツ発の目玉案件は……。
・戦闘機型、追従型の新型トリュー
これはあまりにも既存のトリューと一線を画す機能である上に、防衛面と近隣国のバランスも考えなければならないのでまだまだトップシークレット扱い。さらにはアンデッド討伐の精鋭部隊の設立と合わせて大々的に発表するつもりなので、温存。
・砂糖の帝国内栽培
クリスタロス大陸を揺るがす産業革命になる可能性が高い。特に王国の中でも友好関係にある親帝国派に衝撃を与えるものになるため、仮に公開するとしても取り扱いは慎重にしなければならない。さすがにラウプフォーゲルという、いち領地で公開の是非を問うには重すぎるので、保留。ちなみにこれは皇帝陛下を含めた帝国全体案件。
・アデーレにあげた温泉水の化粧品
女性の化粧品事業はラウプフォーゲルの産業としては初。旧ラウプフォーゲル領内でも化粧品を取り扱う商会は少なく、既存の殆どを中央貴族が牛耳っている事を考えるとこれが最も安全な目玉になり得るか? 上等な箱とキレイな容器も含めた、イメージブランディングも戦略化していかなければすぐにヨソに真似されてしまう可能性も大。要検討。
・光る宝剣
兄上たちにあげた、衝撃を受けると光る飾り剣。これはちょっと需要が少なそうだけどトリューの全身、モートアベーゼンのように子供への贈答品としてはよさそう。目玉にはなりづらい。却下に近い次点。
・水マユの生地
これは皇帝陛下に献上したので、もう話題としては約束されているものだ。それに存在としては元々あって、増産できるようになったというだけなので衝撃度は低め。ただ関連商品で衝撃的ないい物を作ればワンチャンありえる? 要検討。
・白い塗料
これ、実はじわじわと人気を博している。ユヴァフローテツ産業としては先駆けであり、既に一定の成果を上げているためここらで起爆剤として何らかのモニュメントとか建築物とかを作れば、爆発的に話題になる可能性はある。でもこれから建設するとなると時間がないし、製品としては目新しさがないので却下。
「こう考えると、化粧品一択な気がしてきましたね」
「水マユの生地は、御館様へ献上したマントをご覧いただければその価値は十分伝わります。しかし、領主クラスの身分でしか身に纏えない高級品、と限定してしまうのも勿体ないですね……」
ペシュティーノとガノが真剣だ。
レオがおやつを持ってやってきたので、ついでにレオも巻き込んじゃおう。
俺がざっくりとユヴァフローテツの産業化についてレオに説明すると、レオは遠慮がちに手を挙げる。はいどうぞ、レオくん!
「あのー……調味料って、話題にはなりませんかね? 精霊様と協力して作った、味噌と醤油、そして豆腐がある程度完成したんですけれど」
「あっ! 味噌! お醤油! いい! それいいんじゃないかな!」
俺の和食推しが炸裂するけれど、ペシュティーノとガノはあまり芳しくない反応。
「レオの料理が美味しいのは知っていますし、親戚会で出せば絶対にメダマになることは間違いないのですが……ユヴァフローテツでの産業化がしばらく難しいでしょう? その味噌も醤油も、原料はダイズ。旧ラウプフォーゲルでは生産量の少ない農産物です」
そう、大豆はこの世界ではゾーヤボーネというドイツ語そのままで呼ばれていて、帝国では割と一般的な農産物。日本では水田の田畑輪換の作物として使われていたそうだけど、この世界の大豆は育成条件が厳しいようで、旧ラウプフォーゲルでは微々たる生産量。
その育成条件の厳しい大豆を大々的に、領の総力を上げて生産しているのが、その名もゾーヤボーネ領。特産の農産物をそのまま領の名前にしちゃうくらい、大豆生産に本気なのがわかる。香川県が自らをうどん県と名乗る感じかな。
「ゾーヤボーネ領と組むくらいの気概がないと、将来的にも産業化は難しいですね。ユヴァフローテツでは精霊様の力がない限り、どう考えても生育は不可能ですから」
ガノがいうと、レオも残念そう。たしかに、産業化するには原材料の確保が必須だ。
「ゾーヤボーネ領は中央派でも旧ラウプフォーゲルでもない領ですよね。ラウプフォーゲルとの関係は、どうなんですか?」
俺としては和食を広めたいので、そう簡単にはあきらめたくない。
「ええ、真の意味での中立領ですね。主力の農産物であるダイズを広く売りさばくために、どの派閥に属することもなく良いバランス感を持った領主です。もし調味料として産業化したいと打診すれば、きっと良い返事がもらえるでしょう。それにしても今すぐというわけには行きません、御館様との連携を含めた調整が必要です」
他領との関係はさすがに父上を通さずには決められないもんな。保留案件。
「ん〜、じゃあ化粧品しかないかぁ……水マユ製品も、なんかマントみたいな大物以外で使いみちあれば良いんだけど……」
「ああ、水マユ! あの領主様が羽織っていたマントですね、あれはキレイでしたねえ、すごくファンタジーっぽい繊維ですよね! あれって全部使うと豪華すぎるんで、刺繍部分だけ水マユ繊維にするとか、レースの扇子とかにしたらいいんじゃないですか?」
ぺろりとレオが言うと、ペシュティーノとガノと俺の目がクワッてなった。
レオのそういうとこ、好きだよ!!
「なるほど、刺繍糸として……!」
「たしかにレースの扇子にしたら、女性人気は間違いありません」
「ポイント刺繍であれば、老若男女問わないもんね! レオ、冴えてる! さっそくディアナに連絡して、サンプルをつくってもらお!」
「領主様やケイトリヒ様くらいの身分であればあの豪奢なマントがお似合いですけど、ペシュティーノ様やガノ……側近や騎士たちが着てる服にもワンポイントで刺繍してあれば、目立つんじゃないですかね? 男性が身につけても様になる、ってのをモデルとして使用例をお見せするみたいな」
「レオ、冴えすぎ! それでいこう! ついでに、兄上たちやアデーレにも水マユ刺繍糸の物を身に着けてもらえば」
「今回のメダマは、化粧品と水マユの刺繍糸ですね」
ガノが力強く頷く。手配するべきことが頭の中で駆け巡っているのか、産業としての売上計上を想像したのか、目が据わっている。
「では私は決定した方針を御館様に相談してまいりましょう。手配はガノに任せます」
ペシュティーノはさらりとそういうとガノと頷き合ってさっさと部屋を出ていった。
ウチの側近、仕事が早い!
「ケイトリヒ様、おやつどうぞ」
「あ、うん。ありがとう、レオ」
「いえいえ! 俺、ケイトリヒ様の専属になってようやくこの世界の役に立てたなーって思えるようになりました」
うんうん、でも一方的な理由で攫われた拉致被害者みたいなもんだから、そんなこと気にしなくて良いんだぞ。
今日のおやつはフルーツたっぷり、練乳がけのミニパフェ。
練乳をかけるとちょっと酸っぱいフルーツでも俺がもりもり食べるようになるので、砂糖の消費を気にしなくて良くなったレオが毎日作ってくれる。ありがたいねー。
いや、今までレオが費用を気にしてたことあったかな? まあいいや。
刺繍糸として売り出そうという計画は、ディアナたちにもかなり歓迎ムードで迎え入れられ、サンプルは光の速さでできあがった。
刺繍ってこんな早くできるもの? ともあれディアナたちの熱意を無駄にしないためにも父上にプレゼンしに行ったら、たまたま見ていた家臣たちにも大好評。
ボタニカルな細身の蔓草の刺繍を、シルクのグローブやショール、扇子、男性向けにはサッシュのライン取りやボタンなどにあしらう。上品な輝きとはいえ全面に使われるとさすがに派手な虹色の輝きも、ポイント使いだと嫌味がない。
女性用薄手のシルクのショールの縁に刺繍を施したものをアデーレに見せると、宝石を見るかのように目を輝かせた。兄上たちもオシャレには興味ないと言っていたが、父上のカッコいいマントを見ただけにテンション爆上がりだ。
「シャツの袖とかにこの刺繍があるとチラ見えしてカッコイイんじゃないか?」
クラレンツは上機嫌で意見出したりしてる。それもなかなかいいアイデア!
「僕はこのグローブが気に入ったよ。手の動きに合わせて、虹色の輝きが見える」
アロイジウスも父上のマントとおそろいであることに上機嫌。
「ぼ、僕には似合わないから……ボタンくらいがいいな」
カーリンゼンは兄たちのように目立つ部分ではなく、最近流行りの布かぶせボタンを選んだ。控えめなように見えて、水マユ糸が使われている量でいうとなかなか多いやつ。多分売り出すとしたらショールの次くらいに市場価格が高くなるね。
「ケイトリヒ、其方が着るものを兄たちにも見せてあげなさい」
家族がわいわいと服を選んでいるのが楽しくなったのか、父上が俺に水を向ける。
「ぼ、僕はいいです」
「何恥ずかしがってんだよ、父上が言うんだから見せてみろよ」
「ケイトリヒは水マユ産業の立役者だからね、僕たちより立派なものを着て当然さ。見せてごらんよ」
「み、みてみたいです」
「そうよ、ケイトリヒ。私も、どんな仕立てなのか見てみたいわ」
兄上たちに加えて、アデーレまで。
いそいそとペシュティーノが持ってきたのは、もとから今年の親戚会で俺が着る予定として既に作られていたもの。襟と短い袖部分が繊細なレース編みになったボレロだ。全体が黒に染められているのだが、輝きが強いので銀っぽく見える。
そしてその背中には俺のシンボルの白鷲。小さくて着丈も短いので父上のマントよりは存在感薄めに見えるが、意匠としてはレースがある分、手間がかかっているとディアナがドヤ顔をしていた。
「まあ素敵! これはケイトリヒの白い髪によく似合うわ。さすがディアナね」
アデーレは素敵なショールをなびかせながらボレロを着た俺を360度ながめる。
「親戚会の当日にはタイツも水マユのものを用意するそうだ」
父上が満足そうに言うと、何故かアデーレも満足そうに頷く。
「素敵ねえ! たしかにドレスのボリュームがない分、足元にも虹色があるといいわ」
ちょっと離れてみたり、近づいてレースを指で確認したり、アデーレは本当に水マユ製品が気に入ったようだ。さすが女性はファッションに敏感ですね。
「其方のショールも、艷やかな赤い髪によく似合っている」
「まあ、嬉しいわ」
そりゃあディアナがアデーレのために作ったショールだから、髪色に合わせてうっすら暖色系に染め上げてますよ。アデーレもほんのり頬赤らめちゃったりしてさ!
はい、夫婦の時間。
「ケイトリヒ、その、水マユの刺繍糸はいつ頃発売するつもりなのかしら。確保してもらえる?」
夫婦のロマンティックタイムからハッと目覚めたアデーレが商談を持ちかけてくる。
「おかいあげですか? 染めてない生成りの刺繍糸の形であれば、もうすぐにでも売れます。家族値段で確保しますよ」
俺がニッコリと言うと、アデーレも嬉しそう。嬉しいんだ。そうなんだ。
さすがに「タダでよこせ」とは言わないあたり、貴族だね。いや普通か。
「アデーレ、相手がケイトリヒだと思って油断せず、価格はちゃんと聞くのだぞ。家族割引されていても、相当な値段だぞ」
父上がちょっと引いてる。俺も正確な値段は知らないが、未加工の刺繍糸ならだいぶ値段が抑えられると水マユの養殖家が言っていた。どれくらいになるのかこっそりガノに聞くと、俺のボレロや父上のマントは加工代も込みで「ラウプフォーゲルの平均的な小領地の年間予算くらい」らしい。よくわからん。けど、小領地って市町村よりもちょっと小さいくらいの規模感よね。前世の感覚的にざっとみても多分、億はいく感じ。まあね、最上級の製品と希少な染料、それに最高のお針子の加工代が付けばそんなもんでしょ。
「じゅんちょうに増産できるようになってもしばらく値は下げないよていなので、家族割引はそうとう安いですよ?」
ガノから聞いた情報をさらりというが、父上は相変わらず渋い顔。
こりゃ相当高いね?
親戚会で大発表する目玉商品は、水マユに加えもう一つ。
温泉に含まれる美容成分を抽出した化粧水に加え、ユヴァフローテツの薬師たちが元から研究していた保湿クリームだ。
顔だけでなく全身に塗ることができ、なめらかでしっとりした肌になる。
一般的な香油よりベタつかず、微香なので香水と組み合わせても邪魔にならない。
乳液のようなミルクタイプなので、遠慮せずガンガン使えるテクスチャー。
そんなセールスポイントをユヴァフローテツの薬師たちがべらべらとまくしたてる中、目下の悩みは容れ物だ。
ミルクタイプなので本当はプラ容器のように軽いものに入れたいのだけれど、代替え品になるような素材は今のところ存在しない。少量のゆるい塗り薬などであれば撥水性のある革製品に入れることもあるそうだけど、保管には向かない。
ガラス容器に入れると、重さがあるので容器に指を突っ込んで取ることになるので衛生面が心配だ。スパチュラを使うとしてもこの世界の衛生観念を考えると指と大差ない。
そんなことをレオと話していたら「ポンプにすれば?」という話になった。
やっぱレオ、冴えてるわ!
というわけで出来上がった試作のポンプ付きガラス瓶1号。
化粧水と同様にオーロラ加工の繊細な飾り切りをされたクリスタルガラスで、ボディソープくらいデカいのに内容量は少ない。そして万一、足に落としたら完全に骨が砕けるレベルの重さ。まあこれは仕方ないね。詰替え用についてはおいおい考えよう。
そして化粧水のボトルもそうだけど、中の液体が劣化したり雑菌が繁殖しないように「清浄維持」の魔法陣を組み込む。この工程が加わることでガラス瓶が魔道具になるので、価格は倍にしてもいいとガノに言われた。信じるよ?
そして一番俺を悩ませたのはそう、化粧品のブランド名。
女性が憧れを持つような……美を体現したような……うん、わからん。
だって僕、前世も男の子だし! 子供だし!
もうこれは俺がつけるものじゃない! 女性に聞こう! と思ったけど、アデーレに聞くのはペシュティーノに止められた。
ブランドの名付け親が実母でもないアデーレになるのはマズイらしい。
俺の事業であることが霞んでしまう、という話だけど。正直、化粧品事業は誰かもっと適任なひとに譲りたい事業ナンバーワンです。
「ケイトリヒ様を連想させる名前でいいんじゃないですか? ほら、よく言われてるじゃないですか。妖精みたいに可愛いって。フェアリー、って入れたらどうですかね」
レオが言うけど、ペシュティーノもガノも渋い顔。
「『フェアリー』は聖教公語ですね。ケイトリヒ様の影響を残すならば古代語のほうがいいでしょう。ならば『フィー』……そうですね、『ベイビ・フィー』ではいかがですか」
直訳すると赤ちゃん妖精。
まんま俺やん!
「なるほど、『ベイビ・フィー』。いいですね。女性に限らず若々しい肌を保ちたい者が憧れるものでしょうし、ケイトリヒ様を連想させる言葉です」
やっぱ俺ですか。そうですか。
化粧品ブランドで考えていたけど、よく考えたらメイク用品はないわけだ。お化粧することによる装飾の美ではなく、肌のみに特化したスキンケアブランドと考えたら、まあまあいい名前かもしれない。
「じゃそれで」
俺ももう考えたくなかったので、結構あっさり決まった。
俺の悩んだ時間は無駄だったわけだ。クリスチャンなディオールとか、ジルじみたスチュアートとかシャネっぽいルルルとか、前世のハイブランドイメージに引きずられた俺の発想、ゴミでした。よく考えたらどれもこれも人名だわ。
ブランド名が決まったら、ロゴのデザイン。
ユヴァフローテツの装飾絵師に頼んで作られたロゴ案は、依頼した翌日に20案ほど出てきた。側近だけじゃなく、ユヴァフローテツの市民も仕事が早いです。
しかもどれもこれも、アイコニックで現代的なデザイン。かなりできがいい。
ペシュティーノなどは「簡素すぎませんか」と言っていたけれど、いろんな素材に刻印したり印刷したりするつもりなので、簡単な方がいい。それに、誰もが見てすぐ書けるくらいのもののほうが覚えてもらいやすい。
「この装飾絵師は腕がいいね。ガノ、名前を覚えておいて」
「随分と気に入られたようですね、調べておきます」
俺は20の案のうち、これは微妙というのだけ選んで残ったものからペシュティーノとガノに選んでもらった。決まったのは、前世で見たベントレー(車のブランド)のようなマークに、古代文字で「B.F」と入ったもの。英字にするとボーイフレンドみたいだけどこちらの文字なので気にしない。スキンケア用品としてはちょっとかっこよすぎる気がするけど、まあハイブランドってポジションだし、いいんじゃない。
「この模様、トリューでも使えませんかね?」
ガノがロゴを見て考え込んでいると思ったら、とんでもないことをぶっ込んできた。
スキンケア用品と軍用機で同じロゴを使うとか、ちょっと冷静になって?
「スキンケアにはいい語感ですけど、ちょっとトリューには可愛らしすぎでしょう」
「では、トリュー用の専用の模様とブランド名も考えてもらってはどうでしょう。ケイトリヒ様の事業とわかるように、全てこの刻印をすれば。ケイトリヒ様の仰る、ブランディング……ですか。それをトリューの事業にも活かせるのではないかと」
「それはいいですね。今現在既に販売されているトリューに今から刻印するのは難しいでしょうから、次の新型トリューから専用の模様を刻印しては? 今後ケイトリヒ様が発案された魔道具にその刻印をつければ、ケイトリヒ様の事業であることが明確になります」
ちょっとちょっと。
トリューって名前をつけるだけで十分ブランディングになるんじゃなかった? その名を付けられるのは俺が魔法陣設計した機体だけ、っていう商標登録も既に帝国で認可済みだから、もうブランド名は必要ないと思うんだけど。
「『トリュー』は乗り物の名前でしょう。今後、ケイトリヒ様がぼんやり考えているものだけでも相当に斬新な魔道具が作られそうな気がします。『きゃどくん』も然り。それらが全てケイトリヒ様のものであることを示すため、ブランド名をつけてはどうですかという提案なのですが……ケイトリヒ様はお気に召しませんか?」
ガノは口調は優しく、でも問い詰めるように迫ってくる。
ブランディングという概念についてあまりにしつこく聞いてくるものだからレオと一緒に熱心に説明しちゃったけど、失敗したかな。
まだ新型トリューの件も開発中だし、新しい魔道具ができたら考えよ?
必殺、課題を先送りにするの術!
そして、親戚会前日。
日が傾き始めた頃、去年と同じように二足歩行の恐竜……ラオフェンドラッケが曳く馬車が車輪の音を高鳴らせて現れた。出てきたのは2人の美女を連れたゲイリー伯父上。
相変わらず声がデカくて、西の離宮にいた俺にも遠くからガハハと笑う声が聞こえる。
「一番小さい甥っ子はどこだー!」
と叫ぶ声が遠くから聞こえてくるので、仕方なく西の離宮から挨拶しに本城へ。アクロバティック高い高いに加えて、2人のファビュラス夫人に抱っこされること1時間。
夫人はどうしても俺に着せたい服があると言い出し、とても女性が持ち上げられるような代物じゃないはずのトランクを軽々と持ち出し、中から魔法のようにお洋服が次から次に出てくる。
「親戚会のいしょうあわせは……おわってるんですけれど」
「もちろんよおチビちゃん、ディアナは今回の席に合わせた最高の衣装を用意していることでしょうから、親戚会で着てほしいなんて言わないわ。今回持ってきたのは、私たちの商会で新しく出す子供服なのよ」
「そうなの、これは普段着! こちらは寝巻きね、こっちは乗馬用。ああ、乗るのは馬じゃなくて狼だから、少し股の部分の素材を変えているわ。これはお帽子が苦手なおチビちゃんに合わせて少しデザインを変えたの。どう? 素敵でしょう!」
ラウプフォーゲルの社交界の中心人物、ハービヒト第1夫人と第2夫人は2人で共同経営をしている商会があるそうだ。彼女たちのコンセプトは「身分に限らず女性は着たいものを着るべき」という現代日本でも通じそうなもの。ドレスや下着のほかにも、パンツスタイルの乗馬服や騎士服なども扱っている。
あとからミーナに聞いたところによると、ラウプフォーゲルどころか中央貴族の女性からもかなりの支持を得ているそうで、名実ともに異世界のファッショニスタというわけだ。
「子供服のラインをつくるのですか?」
「ええ、そうよ。おチビちゃんと違ってラウプフォーゲル男児の可愛い時期は、一瞬で過ぎ去ってしまいますから、今までは子供服にこだわるなんて馬鹿げてるといわれていたのよ。でも、やっぱり我が子の一番かわいい姿は、絵紙に残すなり絵に残すなりして見返したいと思ってね」
「本当に、赤ん坊の時期なんて一瞬なのよ……ほとんどの子は10ヶ月もしたら走り回り始めるし、そうなるとすぐに筋肉質になるからいっときもジッとしていられなくなるし、抱っこも億劫になるし。おチビちゃんを見ていると私の息子たちの可愛い時期を思い出してしまってねえ。もっと可愛い格好をさせてあげればよかったと思ったのよ」
メロンかスイカのようなパンパンのお胸に、むぎゅうと埋もれるように抱きしめられて猫の子のように撫で回される。うーむ。これは夫人たちの、いわゆるやり残し症候群的なものなのか。
おふたりの夫人には、それぞれ4人と3人の子息がいる。ハービヒト領主の跡取りは早々に第一夫人の長男に決まっており、他の子息はすでに別の道を決めているそうだから継承権争いとは無縁だ。
貴族女性とはいえおふたり合わせて7人の息子を育てただけあって、子供の扱いにはソツがない。撫で回す手が気持ちよくてコテンと頭を肩に預けたら、ボソッと「やだ、可愛すぎて母乳でそう」とつぶやく声がバッチリ聞こえた。
それはジョークなの? 母乳ってそんなトリガーで出るものなの?
異世界で子供に生まれ変わっても、女性の謎は深まるばかりだ。