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1章_0005話_魔法と世界 2

「やってくれたな、ペシュティーノ」


「申し訳ありませんが、仰る意味を(はか)りかねます。ご教示いただけないでしょうか」


重厚な、ラウプフォーゲル領主の私室。

ペシュティーノは3日に1度、ケイトリヒの現状報告をするためにこの部屋を訪れることになっている。他の王子たちの教育係は1週に1度だが、今のケイトリヒは夫人の庇護のない不安定な状態のため領主ザムエルの命令で頻度を上げている。


「魔導訓練場での一件は噂になっておる。其方が意図せずこれを行ったとは到底思えぬ……が、其方の真意のほどは些事である。結果がもう出てしまったのでな」


ザムエルは数十枚の紙が綴られた紙束を差し出す。近衛がそれを受け取り、ペシュティーノに渡した。


「これは……」

「騎士隊と工房組合、そして城の魔術研究所からの意見書だ。ケイトリヒを魔術師として教育するため、庶子としてではなく他の王子同様に予算を分配すべきだ……というな。もともと庶子としては扱っておらぬというのにだ。……まあ、カタリナの一件のせいもありそう思われてしまったのも仕方のないことだが」


ペシュティーノは表面上、驚いた顔をしてみせたが、内心ではニヤニヤが止まらない。

想像以上にラウプフォーゲルの城の人々はケイトリヒに関心があったということだ。

想定外だったのは、魔術研究所が噛んできたことくらいか。

しかし魔術研究所の意見書だけ、少し様相が違う。彼らだけは、自分たちもケイトリヒの教育に携わりたいといった要望が書いてあった。


「其方を敵視していた魔術師たちだが、ケイトリヒには違うようだ」

「それは当然にございます。私は外様(とざま)ですがケイトリヒ様はザムエル様の御子ですから」


「魔術師の多くも外様(とざま)だ。彼奴らにケイトリヒを操られては困る」

「仰るとおりにございます」


「当然、中央に連れて行かれても困る」

「……」


ザムエルは深い溜め息をついた。


「まさに、躍進と危険、どちらも背負い込んだな? ペシュティーノ?」

「……御意にございます。ケイトリヒ様が他の王子殿下と同じか、それ以上にラウプフォーゲルで価値を認められるために危険を犯したことを、お詫び申し上げます」


薄暗い部屋に、緊張の糸が張り巡らされる。

2人の近衛兵士は目だけでお互いの表情を探り、主であるザムエルの言葉を待つ。


「一定以上の魔力量、あるいは上位属性の適正が認められた子は、皇帝の子……皇子として養子に出すため、中央へ差し出さねばならん。ケイトリヒを、中央へ連れ出すつもりであのような、衆目に晒して報告を免れぬような真似をしたのか? 答えによっては、其方を秘密裏に罰さねばならぬぞ」


2人の近衛兵が少しだけ身じろぎする。

彼らはザムエルが捕らえろと命ずれば、躊躇なく跪くペシュティーノの腕をひねり上げ、襟首を掴んで押さえつけて牢に入れるだろう。


「いいえ、御館様」


ペシュティーノはこれまでの柔らかな口調から一転、やや張り上げるような声で言う。


「御館様、その皇命には第一令の発付の後の皇帝陛下により追加の注釈がございます。幼すぎる子や、親元から離れることをひどく嫌がる子は成人してからの縁組とすることを認める、と。さらに成人後でも、本人の強い意志があればそれを拒否できるとも。ケイトリヒ様は御存知の通り、実年齢よりも外見はかなり幼く、またその心根はラウプフォーゲルを愛しています。たとえ皇帝陛下の直属兵が迎えに来ても、それに応じることは間違いなくございません」


「断言できると申すか? 子供の気分など、フォーゲル山の天気よりもあてにならんぞ」

「いいえ。このペシュティーノが断言致します。ケイトリヒ様は帝都行きを望みません」


魔力量の高い子供、そして上位属性……【光】属性と【闇】属性の適性を持つ貴族の子供は皇帝の養子となり、皇子となり、皇位継承権が発生する。

この帝命は初代皇帝が発し、今まで守られてきた。そもそも養子皇子の例は歴史的に見ても少ないが、これを拒否した子供や貴族はこれまでひとりも存在しない。


ひとつは当然、皇子となればそれを生んだ領地はたとえその皇子が世代交代にそぐわず皇帝にならなかったとしても、中央政権に深く関われるという利権。

もうひとつは、記録の中でそういった資質が確認されたのは、最年少でも12歳という、自分の意志をはっきり表示できる大きめの子供がほとんどであったという点。能力を高く評価された子供が、「選ばれしもの」として次のステージに行けると聞いて、野心を持たないわけがなかったのだ。


「ケイトリヒは違うと申すか?」

「ケイトリヒ様は、まだ6歳です。しかも、2年もの間病床に伏し、母親との関係はこじれ、今は家族との絆を切望しています。世話役である私が帝都へ行けないことを加味してもケイトリヒ様がラウプフォーゲルを出ることを受け入れるとは到底思えません」


「……信じてよいのだな。もう子供を奪われるのはたくさんだぞ。ケイトリヒは、我が弟クリストフの忘れ形見。中央に奪われるとなれば、ファッシュ一族から非難も免れぬ」

「不肖ペシュティーノ、この首にかけてお誓い申し上げます」


沈黙。

2人の近衛兵は身じろぎもせず、ザムエルはペシュティーノを睨みつけている。

後ろ暗いものがあるならば背筋も凍るような威圧の眼力だが、ペシュティーノはそれをまっすぐに見つめ返した。


「……よかろう。では慣習どおり、帝都へ報告する。すぐに皇帝直属兵士がやってくるであろうから、城の工房でケイトリヒと側近全員の正装を(あつら)えよ。新たな予算組が決まる前だ、今回の経費は領主付とする。今のままではみすぼらしくてかなわん」


「ご配慮に感謝申し上げます」


2人の近衛兵は、「秘密裏に罰する」ことがなくなってホッとした。



――――――――――――



「まあっ、なんて可愛らしいウエストコート! ケイトリヒ様の白い髪にきっとお似合いです! こちらのお靴も、ケイトリヒ様にピッタリですわ!」

「このジャボは見たことない形ですけれど、どうやってお召し替えすればいいのかしら」

「このトランクホーズは成長してもタックをほどけば調整できるようになっているのですね! なんて素晴らしい縫製……さすが城のお針子の品々です」


「ええ、ええ。そうでしょうとも。これでもかなり絞ったのです。すぐ成長してしまうでしょうから、あまりたくさん作ってしまっても無駄になりかねないと制すのが大変でございました」


一人部屋には広すぎると思っていた俺の部屋。

ミーナとララとカンナのメイド衆が、今しがた届いた衣装を一面に広げて見分し、ペシュティーノがそれを眺めている。……そして何故かお針子工房で出会ったダイナマイトボディのド迫力美人姉さん、もといお針子長のディアナさんがものすごく偉そうに仁王立ちしている。

さらに彼女は取り巻きみたいに3人のお針子を連れてきているので、広いと思っていた部屋でもぎゅうぎゅうに感じてしまう。

魔導訓練場での出来事から2週間しか経っていないのに、こんなにたくさんの服が出来上がるなんてすごい。早すぎ。

あの火柱事件から、特に何か変わることもない日常だった。あの衆人環視の実践授業はなんだったんだろ。俺の生活は変わらないけど、ペシュティーノはなんだか忙しそうにしている。裏でなにか動いてるのかな?


……しかし、貴族の部屋ってこういうときのために広いんだなー。

なんてぼんやりしていると、スススとド迫力美人姉さんが俺に近づいてきた。


「ペシュティーノ殿、試着しても?」

「……構いませんがケイトリヒ様が疲れたと仰る場合は即座に切り上げてくださいね」


え、なんで俺じゃなくてペシュティーノに聞くの?


ペシュティーノの許可を得たド迫力美人姉さん……もとい、お針子長のディアナは俺を猫の子のように抱き上げると、あっという間に追い剥ぎの如き手早さで俺をひん剥いた。


「ぴえっ」

「下着も何着かご用意しましたので、今後はペシュティーノ様におまかせします」


一応、男の子ってことでそこは気遣ってくれるのね。

かぼちゃみたいなぱんつ一丁になった俺に、魔法のように服を着せていくお針子とメイドたち。何にもしてないのに服が着せられていくぅ!

これも魔法!?

1着目は正装、2着目も正装、3着目は普段着? いや、これ寝間着? 必要以上に豪華な寝間着だな! 4着目は乗馬服、5着目、6着目と延々と続く。


「ああ……やはりお似合いですわ!」

「クラヴァットはもう少しはっきりしたお色がよいのではなくて?」

「やっぱりベルトはこの色では着る服を選びますわね、淡い色もご用意しなければ」

「お似合いですけれど! ここに! ここにブローチがほしいわ! 全く、彫金技師の奴らときたら仕事が遅いったらありませんわ! この服に合わせたアクアマリンのブローチを発注したのですけれど」


あれから2週間しか経ってないんだから、どちらかというとお針子工房の速さが異常なのでは……と考えながら、着せかえ人形になっていたが、いい加減疲れてきた。


「王子殿下! 次はこのウエストコートに、このブリーチズをあわせてみましょう!」

「ふえ……」


情けない声が出ちゃう。


「ケイトリヒ様、お辛い時は言葉にしてください。ケイトリヒ様は彼女たちに指示する立場のお方です。メソメソするだけでは……お針子たちは止まりませんよ」


ペシュティーノがそっと助言してくる。


「ミーナ、僕、もう疲れました」

「あら大変。もう半刻も経っていますわ、王子殿下がお疲れになるのも当然です」


半刻……たしか1刻の半分。総合学習で時計の読み方を習ったが……1刻は2時間、つまり約1時間。え、そんなに長い時間! 子供の俺がよくがんばったよね?


「やはり一度王子殿下がお召しになると、足りないものや今後のバリエーションなども浮かんで勉強になりました。王子殿下、ご辛抱頂きありがとう存じます」


ディアナがきれいなカーテシーで頭を下げると、取り巻きのお針子たちもそれに倣う。

さすがは城勤めの技術者、礼儀作法も貴族並みだ。

まあ、俺自身あまり貴族の礼儀作法をしらないので多分だけど。


お針子たちは再び創作意欲が湧いたのかあっさりと去り、部屋の中では散らばった服をメイドたちが丁寧に畳んだり吊り下げたりして片付けている。


「ケイトリヒ様、以前の魔導訓練場での実技で人並み以上の魔力があることが証明されましたので、教育方針が変更になりました。来週からは総合学問のデリウス先生の他に、歴史学、古代言語学、地政学、算術学の専門教師が毎日1刻間(2時間)ずつ授業しますよ」


「わあい! ん、でも1刻間(2時間)だけ?」

「足りませんか? これとは別に乗馬と音楽、そして私の魔法と魔導、そして魔法陣の授業がありますよ」


「まほうじん!」

「……魔法陣と聞いてそんなに目を輝かせるとは想定外です。嫌な人物を思い出してしまいますね……ともあれ、魔術系の授業は私が担当しますので、覚悟してくださいね」


「かくご? ペシュは厳しい?」

「厳しいですよ。不出来なときは……お尻を叩きます」


何故かメイドたちがギョッとしてペシュティーノを睨みつけた。

そんな大事じゃなくない?


「うそだー、いままで一度も叩かれたことないもん」

「嘘ではありませんよ。この杖でピシッと。……まあ、ケイトリヒ様は覚えが早いですし魔法で悪戯(いたずら)などもしないでしょうから、そのようなことはないと思います」


俺がケラケラと笑ってみせると、メイドたちはホッとしたように作業を再開する。

うーん、魔法で悪戯(いたずら)か。

確かに魔法を覚えたての子供なら、そんな事をしでかしてもおかしくないよね。

でも俺には茶化したり煽ったりするような友達も……いないし。


「ねー、ペシュ。そういうのを習う、学校ってあるの?」

「学校? ……ケイトリヒ様、学校へ行きたいのですか?」


ミーナやララはメイドの学校を出ている、という話を聞いていたからこの世界に学校が存在することは知っていた。だが貴族の子女が通うような学校があるのかは謎。

ペシュティーノの反応を見る限り、微妙だ。


「ん……ヘンかな?」

「いえ、ただ今の時点で専門教師をつけるとなると、入学年齢になる頃には学校で学ぶことはなくなると思いますよ? 高度な専門学校となると入学年齢はさらに上がりますし」


ペシュティーノは俺をジッと見つめて、少し首をかしげる。


「もしかして、ご友人をご所望ですか?」

「え? ごゆうじん?」


友人、という単語を聞いた瞬間、前の世界での記憶が溢れるように蘇った。

親友、悪友、少し話しただけのクラスメイトが時系列もバラバラに浮かび上がってくる。


6歳。小学校入学の前後。

ケイトリヒと同じ年代のときには、もう親よりも友人のほうが大事な存在になっていた。

親はほとんど家にいなかったし、そういえば小さい体を抱っこされた記憶も、あれは母親だったのかヘルパーさんだったのか。

でも、今になって思えば6歳となると家族との時間ほうが比率が高い。だからか、周囲の友人たちはそんな俺よりも家族を大事にした。子供ながらに孤立感を覚えていたような……気がする。

その当時に思ったことなのか、今になって思うことなのか、もう判断はつかないけれど。

今の俺に、6歳の子供の友人をあてがわれても多分、合わない。


「いえ、ゆうじんは……べつに所望してません」


きっぱり言うと、逆にメイドたちは心配そうな顔に、ペシュティーノも困ったような顔になった。


「あっ、でも同年代のゆうじんは、たぶん気が合わないかもなーと思うだけで! ちょっと年上の、やさしいお兄ちゃんとかがいてくれたら、いいなー! 本物のお兄ちゃんは、僕とおなじ王子だから、きっとお勉強や習い事にいそがしいですよね」


ベッドに腰掛けてプラプラしていた足をはしゃぐようにバタつかせて言うと、ペシュティーノが何かを思い出したようだ。


「ああ、そうでした。御館様から、護衛騎士の任命を急ぐように言われております。今度のラウプフォーゲル騎士入隊試験で、良さそうな騎士を見繕いましょう。入隊は16歳からなのでかなり年上ですが、ケイトリヒ様が気に入った者を雇いましょうね」


護衛騎士! そうか、俺って王子様なんだなー。

そういうヒトがいないといけないなんて、この世界ってやっぱり危険なのかな。


「おそとが危険だから護衛騎士が必要なの?」

「もちろんです。ラウプフォーゲルは帝国一治安のいい領地ですが、それでも魔獣はいますし、子供を(さら)うような組織もあるという話です。領主令息であるケイトリヒ様が護衛騎士も連れずに出歩くことは、御館様が許されません」


「あっ! 私もその噂ききました!『三叉蠍(みまたさそり)』っていう悪党が、蛮族の大陸から流れてきてるって。怖いですよね……でもさすがにラウプフォーゲル城下町では聞きませんよ。ラウプフォーゲルの聖殿はどこもガッチリ騎士が守ってますから」

ミーナが会話に割り込んでくる。


「せいでん?」

「そう、聖殿です。孤児(みなしご)や病気のヒト、事情があって家にいられなくなった女性や子供みたいな弱者が集まる場所ですよ。平民の間では『救済院』って呼ばれたりしてますけど、正確には聖殿といって一応、精霊教の宗教施設です」


中世ヨーロッパや日本の歴史を見ても宗教組織が貧民の救済をしてたりするもんな。

この世界ではその、精霊教ってやつが一般的な宗教なのかな。


「いちおう、なの?」

俺が言うと、ペシュティーノとミーナが笑う。


「ええ、ラウプフォーゲル……というか帝国では、あまり精霊教は熱心に信仰されていませんので。しかしまあ、もともとあまり厳格な戒律や思想もなく、無難な組織なのでほとんどの領が福祉施設として公金を渡して貧民援助の母体として利用しているのです」


「それって、横領とか大丈夫なのかな」

俺が言うと、ペシュティーノは驚いて目を丸くし、ミーナはケラケラと笑った。


「さすがケイトリヒ様は領主様のご令息ですね! ですけど領の騎士が常駐する中で横領なんて、命知らずにも程がありますよ!」


なるほど、金も出しているが手も口も出しているのか。

そう聞くと、その聖殿とやらはかなりいいように使われてるみたいだけどいいのかな。

まあ俺が心配することじゃないか。


「とにかくラウプフォーゲル領の王子が護衛の一人も付けずに外遊などできません。王子としての体面だけでなく、今後のためにも護衛騎士を早急に2名は雇わなければ。公務としての視察や慰問などに対応するとなると、将来的には6名は必要です。ああ、それと」


ペシュティーノが言葉を区切って、俺をジッと見つめる。

何か大事なことを言われそうなので身構えていると、なぜか力なく笑った。


「……近々、帝都からケイトリヒ様に訪問があります。その前に御館様と、ご家族と会食に臨みましょう。礼儀作法の授業は別枠で、私とディアナが担当します」


訪問? 心当たりはないけど、王子ならまあそういうこともあるよね。

それよりディアナ? あのお針子長のド迫力美人が何故。


「何故ディアナが、というお顔をされてますね。理由はディアナの強い希望です。お召し物の扱いをお教えしたいとかなんとか……」


ペシュティーノがちょっと苦々しい顔をしていらっしゃる。

もしかして衣装代として無理を言われたのかな? ディアナはいつも無表情なうえに女性陣の中でもひときわ高身長なだけあって高圧的な雰囲気だけど、俺は嫌いじゃない。

無表情だけど、俺にデレデレだ。

たまに俺を見て眉をしかめるけど、あれは多分照れだと思う。それがわかる俺、オトナ。


「ペシュ、いやなの? 僕、ディアナ好きだよ?」


俺が言うと、メイドの3人が片付けの手を止めてギョッとした顔で俺の方を見た。

あまりにもその動きが揃っていたのでびっくり。


「本当ですか!? 本当の本当ですか!? リップサービスではないですよね?」

「でっ、ディアナ様が……子供に好かれるなんて!!」

「ケイトリヒ様、それはぜひ、ディアナ様ご自身にお伝え下さい!」


なんだろ。ディアナってもしかして不憫なひと?

ペシュティーノに解説を求めて視線を向けるが、知らないようで首をかしげていた。

まあ、ディアナを気に入ってるのは本当だから別に本人に言ってもいいけどね。


「……その話で思い出しましたが。ケイトリヒ様、御館様とのご面会のときは、どうか怖がらないでくださいね」


「御館様は顔が怖いの?」


「け、ケイトリヒ様。御館様という呼び方はちょっと……」

「たぶんですけど、きっと傷つきますよ」

「御館様は子供に関心がないように見えますが、実は子煩悩でいらっしゃるのですよ。ただ、その……確かに、ご尊顔がですね、ケイトリヒ様の仰る通り……」


メイドたちが慌てて注釈してくれるけど、なんて呼べばいいのか。


「ケイトリヒ様、我々使用人は御館様と呼びますが、ケイトリヒ様は『父上』とお呼びください。……あるいは、まだ6歳ですので『パパ』とお呼びになったら、喜んでくださるかもしれません」


「ちちうえ……ぱぱ?」


そんな呼び方、前世でしたことないわ。そう思って口にすると、思いのほか拙い口調になった。だいぶ言葉に不自由しなくなったと思ったけど、やっぱり微妙にうまく発音しにくい子音がある。「た」行と「ぱ」行だ。あと密かに「ら」行。特にそのへんが続くと、とたんに拙い発音になる。

父親を呼ぶのに、どちらも入ってるってなんかあざといな。わざとじゃないんだけど。


「あっ、これは……」

「御館様もきっとメロメロです」

「私もメロメロですぅ」


軽やかな笑い声が響き、その日はその楽しい雰囲気の名残か、ものすごく楽しい夢を見た気がする。全部忘れたけど。



数日後。


早速始まった授業では、俺は優等生だ。

算術はもちろん、歴史学、地政学は前世のベースがあるので覚えやすい。

魔法は前の世界に存在しなかったものなので歴史や地政学にどう関わってくるか謎だったが、基本的にはちょっと扱いが違う「便利なエネルギー元」として理解できた。

古代や中世でいう石炭、近代で言う石油や核燃料などに置き換えられる。


魔力は生物の中で生成することができるが、自然エネルギーとしても存在する。

それが「魔力が溢れ出す泉のようなもの」であれば「竜穴」と呼ばれ、「魔力が凝縮され固形になったもの」であれば「魔晶石の鉱山」として、発見された土地は大いに潤う。

どちらも世界的に見ると特別に珍しいものではなく、この帝国内には多くの竜穴と鉱山があるが、どれもこれも貴族が独占している。


中世で石炭の産出地が力を持ち、近代でも原油の産出国が豊かになったように、鉱山や竜穴を持つ領地や地主は強みがある。

この世界では、そのような「魔力」がエネルギーとして取引されていたが、貴族が独占しているせいで一般人……いや、この世界では平民と呼ばれるが、彼らにはその恩恵はまだもたらされていない。前の世界との大きな相違点である魔力のおかげか、服装や政治制度は中世なのに技術や生活は現代に近いと言える。


夜になったらメイドたちが部屋に明かりを入れてくれるのも、厨房で料理のために使う火も、太陽に照らされすぎて室内が暑くなるのを防ぐのも、全て魔晶石に含まれる魔力を消費して対応している。前の世界でいう、電気だ。

そして魔力を使って動作するものは、家電ではなく「魔道具」と呼ばれている。

この魔道具もまた、開発も生産も流通も購入も全て貴族が独占している。

中には冒険者として名を上げたものや、一部の富豪は貴族と同様に魔道具を使っているそうだが、ごく少数だそうだ。


ガスライトのような見た目の照明器具は下に魔晶石を入れるポケットのような部分があり、つまみをひねると明かりがついて明度を調節できる。

厨房の調理器具にはコンロの他にオーブン、グリルが完備されているので、食文化としては単純に中世ヨーロッパあたりとイコールではなさそう。

空調については城の建材そのものに魔法が織り込まれている。帝国は国土の大半が前世で言うと熱帯から砂漠といった気候にも関わらず、快適に過ごせているのは王子様の身分のおかげらしい。

こればかりは境遇に感謝。暑いの苦手だもん。


じゃあ平民は照明や調理、また暑い時期をどうしてるのかと聞いてみると、デリウス先生は少し困った顔をした。デリウス先生もまた、ラウプフォーゲル領の貴族として暮らしているのであまり平民の生活を知らないそうだ。


これは今後の課題だな。


そして、古代言語学については……なんと、ドイツ語だった。文字は全く違うけど、発音も文法も完全にドイツ語。ここでも異世界のドイッチュラント|(ドイツの正式名称)の影響で〜という説明が来るかと思ったが、古代言語については発祥が謎なんだそうだ。


ドイツ語は前世のおかげで普通に理解も会話もできるので、共通語と同様、文字を学ぶ場ということにしておこう……。一応学んでおかないと、共通語と違って知っていることに説明がつかなくなってしまう。週に1度、1刻(2時間)無駄にしてしまうが仕方ない。


今日は魔法陣の授業だ。


最初の魔法の実践授業のときにペシュティーノが検査したあれこれは、どういうわけか完全になかったことになっている。属性を調べるための魔石が真っ白に染まって消えたことや、魔力計を吹き飛ばしたこと、すぐに魔法が使えたことについて尋ねても返事は決まっている。


「属性や魔力量など詳しいことは帝都の中央研究所が詳しく調べる予定です」

「今のケイトリヒ様の魔力は年齢からすると信じられないくらい安定しているのですぐに問題はありません」

ペシュティーノはそう言って俺についての情報は避けて、「一般的な」魔術をまずは教え込んでおこうという姿勢。俺は一般的なことよりも自分の状況を知りたいのだが、相手はペシュティーノ。手強い。


()()()魔力というものは生まれた瞬間から微弱な量を保持し、12歳から14歳くらいの思春期に個人差が出てきます。ケイトリヒ様のように幼い頃からずば抜けているのは、たいへん(まれ)なことです」


()()()()()幼い頃に魔法や魔導を習得してしまうと、驚いたときや不快なときに意図せず魔法や魔術を放ってしまうという事例があります。ただ、ケイトリヒ様は魔術を使うことを意図しない瞬間には()()()()()()()()()()()()ようです」


……聞けば聞くほど、俺が普通じゃないと教え込まれてるような気がするんだけど。


「つまり、僕は普通じゃないってことですか?」

「そうです! そういうことです。それをまず何よりも理解して頂きたい」


「できれば僕は僕のことを知りたいですけど」

「それがわからないからまずは一般論を学んでほしいのです。ケイトリヒ様がどれだけ一般論から逸脱しているかがわかれば、能力の使い方と、使ってはならないタイミングについても学べるでしょう」


子供用の文机の椅子にクッションを2個敷いて座った俺の顔を、ペシュティーノが覗き込む。


「……ケイトリヒ様は、ヒトやエルフが築いてきた魔術の(ことわり)から外れた別格の存在になるかも知れません。しかしそれがもし、『正しい順番で周囲に伝わらなかった』場合、ケイトリヒ様の御身を危険に晒してしまいます。なので、学んだことと自分の状況が当てはまらないときは、私に教えて下さい。最も安全で、且つ最善の方法でその理由や正体を説明できるよう努力致します」


蜘蛛のように長い指が俺の髪を梳くように撫でる。きもちよくて手にすり寄るようにすると、頭のてっぺんにモフッとキスされた。ペシュティーノもメイドたちもすごく自然にキスしてくるの、日本人気質の俺からするとすごく外国人っぽい。


コンコンコン、とやや速いテンポでドアがノックされる。

返事を聞かず顔をのぞかせたミーナが、慌てた声で「御館様のご来訪です」と告げると、ほぼ同時にドアと同じサイズの髭紳士が入ってきた。


なんか漫画とかでよくみるでっかい肩当てみたいなものから床につくくらいの長いマントを引きずって、すごく立派な格好をしてる。髭も髪も暗い茶色で、少し額が広めだが若々しい印象だ。眉も髭もきれいに整えられて、明らかに普通のおじさんとは違う。


「勉強中か。邪魔したかな」


初めて聞くくらいの渋いバリトンボイス。子供の耳には聞き取りづらい。


「お、御館様! 邪魔などと申しましょうか。ケイトリヒ様の学習の進みを是非、御覧ください」

ペシュティーノが姿勢を整えて跪く。ドアと同じサイズの軽鎧の護衛も、髭紳士と一緒に部屋に入ってくる。ものすごい圧迫感。

ペシュティーノもドアくらいの高さがあるけど、横幅が全然ちがう。


「オヤカタさま……ちちうえ!?」


この髭の巨人が? 俺の? 

驚きのあまりペシュティーノを見るとニコリと笑って頷き、「お父上ですよ」と補足してくれる。そう聞かないと信じられないくらい、似てないんだもんね! 俺と!


「ちちうえ!」


俺が思わず椅子の上で叫ぶと、髭紳士の父上は口の端を少し吊り上げた……気がする。

髭で見えないけど。


ポカンと見ていると、髭紳士はマントで隠れていた両手を出して、少し控えめに俺の方に広げて見せる。

これは……まさか、ものすごく控えめでわかりづらいけど「おいで」ポーズでは?

子供の扱いがわからないタイプ!? たしかにメイドたちもそんな事を言ってたような。

でも、扱いはわからずとも子供を受け入れる気持ちがあるのはわかる!

だって俺、中身オトナだもんね!


ぴょいと椅子から下りて、満面の笑みでパタパタと駆け寄る。


「ちちうえー!」


側まで駆け寄ると、脇に手を入れて軽々と持ち上げられた。ほんとうに軽々と。


「小さいな」


ふっとい腕を床と並行に伸ばした先にぶら下がる俺をしげしげと見つめる。

いくら小柄な子供とはいえその状態を難なく維持するって、力持ちですね。

父上は胸に抱き入れる様子もなくジッとしているので、俺もさすがに体勢がきつい。


「ちちうえ、お()げ!」

「ん?」


「お……ひ、げ!」

「おお、触りたいのか」


苦手な子音はもう一つあったようだ。

じたばたしていると、ようやく「潰してしまいそうだ」と言いながら普通に抱っこしてくれた。父の髭はさすが領主様ということで手入れされているようだ。触ってみるとゴワゴワした感じはなく、想像以上にモフモフしている。


「ちちうえのお()げ、ふわふわ! ちちうえは、僕のぱぱなんでしょ!?」


母親はどうやら毒親だったみたいだから、父親との関係はなるべく良好でいたい。

俺が無邪気にそういうと、キリリとしていたはずの眉がふにゃりと下がり、笑った。


「そうだ。私がパパだ。パパと呼んでごらん?」

「ぱぱ!」


「ふっふっふ」


なんか魔王みたいな笑い方をすると、父上は髭を俺の顔にこすりつけてきた。

いや、これは頬ずりか? キスか? わからんけどスキンシップ。


「ぱぱ、もふもふー! おしげっ、お、ひ、げ! ふわふわー!」

「ふっふっふ、可愛いな! 全く私を怖がらんぞ!」


父上のお付きの護衛騎士たちはどこか感慨深そうに「ようございましたね」と言いながら見ている。

ミーナもペシュティーノも嬉しそうに笑っていた。

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