4章_0049話_帝立魔導学院 1
離発着場と建物をつなぐ屋上の長い廊下に、10人ほどの大人が出迎えてくれている。
父上が一緒だからね。
「校内の見学中は、トリューはここに放置ですか?」
「乗れるような者はいないので放置でよいかと思いますが、何者かに触れられるのもよくありませんので不接の結界だけ張っておきましょうか」
そう言ってペシュティーノは腰の筒状の物入れからスルリときつく巻いた羊皮紙を取り出した。革製の筒状の物入れは羊皮紙が入ってたのか……筆箱的なモノかと思ってた。
羊皮紙を杖先で触れて何かを呟くと羊皮紙が黄色の炎をあげて激しく燃えて消える。
一瞬、ガラス板のようなものがトリューの周囲を囲んだように見えたがすぐに消えた。
「結界って、魔法陣で作るのですか? 魔法? どういう効果があるのですか?」
「早速お勉強の気分ですか。ケイトリヒ様は好奇心旺盛でいらっしゃいますね」
ペシュティーノが俺の質問に嬉しそうに答えてくれる。
俺につられて、兄上たちも興味深そうにペシュティーノの講釈を真剣に聞く。
その様子を見て父上が満足そうだ。
結界とは「魔法で何らかの働きをもたらす空間の総称」らしい。
今、トリューに張った結界には、近づくものを一定の力で押し返す効果と、破ろうとする者の魔力を記憶する効果がある。普通の町中でもちょっと立派なモニュメントや重要な標識などの公共物に張られることがある。
定石の魔法陣があるので魔法陣が描かれたスクロール(巻物)も安価。
スクロールを使えば魔力をほとんど必要とせずに長く魔法を維持できるということで、平民たちにも愛用されている、という説明だった。
「魔法陣のスクロールが販売されているのですか?」
「魔法陣といえば開発するものだと思ってらっしゃるケイトリヒ様には意外かもしれませんが、普通に道具屋などに売っていますよ。腕に覚えのある者は自身で描いたりもしますが、刻印機で描かれたもののほうが完璧ですからね」
ペシュティーノが言うと、アロイジウスとクラレンツが驚いたようだ。
「そうか、ケイトリヒはスクロールを使わないんだ。都度自分で描いちゃうなんて、すごいね、もう魔法陣設計士になれるじゃないか」
「えっ、じ……じゃあこの前俺が御用商人から買った、ミニチュアドラゴンの幻影が出る魔法陣なんかも自分で描けるのか!?」
「なんですかそれ。幻影が出てどうなる魔法陣なんです?」
そんなものも売ってるのか。おもちゃみたいなものかな?
「いや、幻影が出るだけだけど……。流行ってんだぜ! 俺たちの間だけかもしんないけどよ、ドラゴンが出るのはレアだから持ってるだけですげーってなるんだ」
「ローエル家のお嬢様が見せてくれた、光る蝶がたくさん出る魔法陣はキレイでしたね」
「ち、蝶!? ウッ、僕は遠慮します……でも幻影を出すくらいの魔法陣であれば、僕でも描けると思いますよ。転移魔法陣とかと違って、設計に許可とか必要ないですよね?」
「……許可が必要な魔法陣まで設計できんのかよ……」
「ケイトリヒ、すごいんだなあ。刻印機を作れるくらいの腕前であれば、ものすごいお金が入るんでしょう、父上?」
「ふふ、そうだな。ケイトリヒはすぐに金持ちになりそうだ」
「刻印機?」
刻印機とは金属を削ってつくる、いわゆる魔法陣のスタンプのようなものらしい。
「機」とはついているものの羊皮紙や紙にペタンと転写するだけの、ごく単純な版画の仕組みらしい。
「私も傭兵時代はよく世話になっていました。ペシュティーノ殿が仰っていたものより少し値が張りますが、繰り返し使えるものや目を眩ますための陣は今でも持っていますよ」
そう言ってオリンピオが腰の筒をチラリと見せる。ハッとして側近騎士たちを見ると、ジュンもガノも、スタンリーさえも筒状の物入れを腰につけている。
「え! 僕だけ持ってない! 僕も欲しいです!!」
兄上たちも「スゲエ」とか言いながら目を輝かせている。
ラウプフォーゲルでは騎士の中でスクロールを扱える者は少数派らしい。
ペシュティーノが困ったように笑った。
「ケイトリヒ様は同じような効果を魔法陣を使わず魔法だけでやってしまわれるので必要ないでしょう? これは……スクロールケースというのですが、側近の持ち物で殿下が持つものではありませんよ」
「ケイトリヒ様には便利なスクロールを開発して頂けると嬉しいです」
滅多におねだりを駄目だと言われないので、ついしょんぼりしてしまった俺にスタンリーがすかさず別の提案をしてきた。スタンリー、さすが気遣い上手。
「売れそうな魔法陣は特許を取って刻印機を作りましょう。ガポガポですよ」
ガノがコソッと後ろから囁いてくる。ガポガポっていい響き。
「便利なスクロール? そっかー! どういうのが便利ですか!? スタンリーはどういう魔法陣が欲しい? ねえ、父上は? 兄上は……ドラゴンの幻影でしたっけ」
役に立てると思うとテンションが上ってしまった俺の怒涛の質問に、周囲が緩く笑う。
規格外と言われるのはいいけど、仲間はずれはちょっと寂しい。
まあそれはちょっと気分的な話だけど、トリューの消費魔力効率化の研究の真っ最中なのだから広く普及している便利な魔法陣を研究するのは道筋として間違っていないだろう。
あっ、すっかり忘れてたけど出迎えの方々がいるんじゃなかったっけ?
ふと渡り廊下の先を見ると、大人たちが頭を下げたまま固まっている。
領主直属護衛が歩み寄って何か話すとようやく顔を上げた。そうか、父上が許さないと顔をあげることも許されないのか。
爵位があるせいで学校と父兄の関係は前の世界とはだいぶ違いがあるね。
「ザムエル・ファッシュ・ヴォン・ラウプフォーゲル公爵閣下に御目文字叶いましたことを心より嬉しく思います。ゼームリング高等魔導学院の院長ドロテーア・ロイエンタールが閣下にご挨拶申し上げます」
グレーの長い髪を後ろにひっつめた老年に近い女性がキリリと背筋を伸ばして優雅にお辞儀する。年輪を重ねた目元は温和な知性が光っているようにも見えて、とても凛々しく見える女性だ。
「先代皇帝の御息女にしてシャッツラーガーの才女と謳われたドロテーア卿にこのような会い方をするとは、時代も変わったな」
父上が言うと、院長は眉尻を下げてニコリと微笑んだ。
「ここは学舎、誇れぬものは次世代に引き継ぐ必要はございません。帝国を高みへと導く翼を持つ雛は学院の大きな樹がお守りします」
「蛇は樹をのぼるぞ」
「雛には茨の巣がございましょう」
なんか例え話してるみたいだけどよくわかんないぞ?
ペシュティーノが後ろから抱き上げてきて、ギンコに乗せてくれた。左の足元にはコガネとクロルが、右隣にはスタンリーが俺と同じ目線。
「ケイトリヒ。魔導学院は寮によって学科が分かれているそうだよ。ケイトリヒが入るのは、インペリウム特別寮だそうだね。どんな学科があるのかな、騎士学校には無いものばかりだと聞いているよ」
アロイジウスが声を弾ませて聞いてくる。
「そうなんですか? 学科については僕もしらないです。寮をみてみたいですね!」
「では寮へ行こう。学院長、案内を頼む」
「あら。寮ですか? てっきり学内施設が先かと……いえ、承知しました。ビューロー、ご案内をお願いしますね」
院長の後ろに控えていたビューローと呼ばれた男性は一歩踏み出て腰からきっちり90度お辞儀をする。銅色の髪には白髪がちらほらと混じっているけれど、顔立ちにはあまり年齢を感じない。30代から40代前くらいかな?
「インペリウム特別寮をご案内させて頂く、ヘンドリック・ビューローと申します。学内は在校生が授業中にございますので、どうぞお静かにお願い申し上げます」
「授業のようすが見られますね!」
「そうだな。見てみたい授業はあるか?」
「えーと……じゅうまがく! あにうえはー?」
従魔学は魔導学院の中でも人気の学問だそうで、それだけのために魔導学院に通う生徒もいるそうだ。
「僕は実際に魔導を使っているところが見てみたいな」
「俺も」
「ぼ、僕もです。ラウプフォーゲルの魔導演習場は、僕たち入れませんから……」
兄たちはやっぱり派手なものがお好みのようだ。
「僕も出入り禁止になりました」
「それはケイトリヒの魔導の威力が強すぎて演習場の強度が保たぬせいであろう」
「う」
さすがに父上もご存知でしたか。
「ケイトリヒ、僕たちは危ないから立ち入り禁止なんだよ。ケイトリヒは、万一魔導の流れ弾が飛んできても守ってくれる護衛がいるから大丈夫だけど」
「この学校でも危ないのかな?」
アロイジウスとクラレンツがぺちゃくちゃと話しながら歩いていると、案内していたビューローさんが少し振り向いて説明してくれる。
「当校の魔導演習場はかの高名な対魔法防衛魔法陣の設計者、ヨアキム・ハスラーが手掛けた施設にございます故、安全対策は万全にございます」
「うむ……ラウプフォーゲルにある魔導演習場も規模は小さいながら、同じ人物が手掛けたものなのだが」
父上がちょっと言いにくそうに言うと、ビューローさんは歩きながら数秒無言になり、ひとこと「それは……失礼しました」と顔を青ざめさせていた。
どうしよう。俺、魔導学院でも実技禁止になっちゃうかもしれない。
日本の学校とは比べ物にならないほどの広い廊下をぞろぞろと父上と兄上と護衛騎士たちとで隊列を組んで歩く。途中で見かけた教室は日本の小中学校のような四角四面のものではなく、大学の講堂のようだ。大きな窓から中が見える教室は机が教卓を中心に同心の半円に並んでいて、緩やかな傾斜がついている。ドアには「アメテュスト」とある。
「アメテュスト?」
「こちらの講堂は最も大きいもので300席から400席。同規模は4室あり、それぞれ宝石の名が付けられております。本日は中央文官採用試験が近いので、その対策のための特別講義が開かれているようですね」
ビューローが淀みなく説明してくれる。講堂は満杯で、生徒たちはほとんど大人と変わらない姿をしている。若くても16、7歳くらいだろう。
「文官採用試験? 魔導学院では文官を目指す方も在籍しているのですか」
アロイジウスが興味深そうに窓を覗きながら言う。
「魔法を使う文官は中央だけでなく、どの領でも重用されます。そちらのヒメネス卿をご覧いただければご納得いただけるでしょう」
兄上たちの視線がペシュティーノに集まった。
「生来の魔力が高くなくとも、魔術のなんたるかを理解している文官は貴重です。違法の魔術を取り締まるのにも、便利な魔導具を扱うにも知識が必要ですので」
ペシュティーノが説明すると兄上たちもなるほどと感心したように頷く。
うんうん、いいぞペシュティーノ! いい感じに兄上たちの知的好奇心をくすぐってくれるね!
「ペシュ、あっちのへやはなんの授業してるの?」
「机に並んでいる器具をご覧下さい。何だと思いますか?」
「調合学じゃないかな」
アロイジウスが答える。
「周囲にある器具や、手元をよくご覧下さい。調合学は魔導具の素材を作るためのものなので鉱物や魔石などが多く使われ、作成される成果物も大容量のものが多いです。あちらはどうですか?」
「ん……いろんな草や花、食材のようなものも見える。調理学……? いや、薬学?」
「御名答です、アロイジウス殿下。あの青髪の生徒の右側にある圧縮機は粉状の薬を圧縮して錠剤にするためのものですので、あれは薬学の授業ですね」
アロイジウス兄上がペシュを見ながら嬉しそうな笑顔を見せる。
「ヒメネス卿、あの草だらけの建物はなんだ?」
「あれは精霊を呼び寄せるための緑地庭園です。精霊が好む草木と土、清浄な水が常に流れています。あの場所で微精霊を見たという話が年に何度かあがりましたね」
「精霊か! 見てみたいものだ!」なんて言いながらクラレンツもおめめキラキラ。
いやあ、精霊ならそこにいますけどね? 俺の後ろに、ボーッとした顔でついてくる紫と黄色の2人が。
カーリンゼンもキョロキョロと廊下の窓から見える景色を見渡してはペシュティーノにあれは何かと聞いている。ペシュティーノ、大人気。行列のできるペシュティーノ。
……なんだか面白くないな。
むい、と下唇を突き出していると、父上がほっぺをすりすりしてきた。
「拗ねるなケイトリヒ。今日1日くらい、ペシュティーノを兄たちに貸してやってくれ」
「すねてないです」
キャッキャしている兄上たちを尻目にギンコの背で揺れていたら開けた石畳の広間に出た。屋根付きの渡り廊下の先にはデコラティブな柵と生け垣があり、その向こうに建物が見える。
「この先に見える建物が領主令息と令嬢向けの特別寮、インペリウム特別寮です」
ビューローが手のひらを向けた先には、若干黄色っぽい色味の建材でできた国会議事堂を簡単にしたような建物が立っている。特別寮というわりに装飾の類は少なく、プレーンな小学校みたいにも見える。積み木っぽい。
「……なんと……」
父上がボソッとこぼした言葉が聞こえる。どういう言葉だろうな? なんと……素晴らしい? 味気ない? 黄色い? ちなみに俺の感想は「黄色い豆腐みたい」だ。
建物は豆腐だけど、妙に周囲の庭園だけは豪華。案内されるまま寮の中に入ると、内装は……普通だ。狩猟小屋よりも簡素で、なんというか……無味無臭の応接室って感じ。
豪奢な内装を見慣れている父上も兄上たちも無言。俺は内装どころの話じゃない。
「ちちうえ、なんだかこのへん、ヘンなニオイがします」
「む? そうか? ……言われてみれば、少し湿気ったニオイだな。ビューロー、このインペリウム特別寮の建物は建造されてどれくらい経っているのだ?」
「初代院長が皇帝陛下のご子息のために建てられたものですので、200年は経っているかとおもいます。しかし、当時最新鋭を誇った調温魔法と清浄魔法が施された石材で作られており……」
「ギャン!!」
犬の鳴き声に全員の視線が集まると、そこには俺の頭くらいありそうな巨大ネズミを前足で押さえつけたコガネ。ネズミは気絶しているのか絶命したばかりなのか、後ろ足がピクピクしていて逃げる様子はない。
それを見てようやく、ヘンなニオイが前世でドブ川の側を通ったときに漂ってくるニオイだとわかって目眩がした。
「ぴぇっ! ね、ねzッ……ボビッ!」
あまりにでっかくてびっくりしてギンコの背中からずり落ちそうになった俺を、スタンリーが抱きとめてくれる。ネズミ、じゃなくてこの世界ではボビットっていうんだっけ。
いやムースだったか? とにかくヘンな声になった。
「清浄魔法はほとんど崩れています。壁の一部や床下の一部などには残っていますが、害獣の侵入は防げませんね。これは……私が在籍した頃のファイフレーヴレ第2寮よりもひどい有様です」
ペシュティーノがポツリと呟く。
「個々人の私室については入念な護法陣で清浄が保たれておりますので……」
「この寮の在籍者は、今何名だ?」
ビューローの説明を遮って、父上がやや険しい口調で尋ねる。
「1年生から院生まで、約20名の在籍者とその側近で合計80名ほどです」
「……ならば勝手に改築するわけにもいかんな。ケイトリヒ、どうする?」
「すみません」
「うむ、申してみよ」
「すみません!」
「許す、申してみよ」
「ちがうんです、すめません」
父上はようやくゆっくり頷いて、「そうだな」と言った。
「ビューローよ、学院長に伝えよ。この老朽化した寮に私の大事な息子を預けるわけにはいかん。入学までに、私が責任を持って敷地内に新しい寮を新設する。どうだ、ペシュティーノ」
「はい、今後の調整も含めてお任せ下さい。手配いたします」
「皇帝命令での入学だ。建設費は中央からもいくらか補助してもらわねばならんな」
「御館様、そちらは私めにお任せ下さい」
ガノが一歩前に出て跪く。
にっこり笑ってるけど、多分何か企んでる! 絶対なにかある顔!
「うむ、バルフォアか。其方に任せよう。ユヴァフローテツの小領主館の建築でも目覚ましい活躍をしてくれたと聞く」
目覚ましい活躍をしたのは精霊なんだけど。父上もそのことは知ってるから、精霊に建てさせろ、ってことなんだろう。
「誠心誠意、主の快適な学院生活のために尽力いたします」
「「尽力いたします」」
ガノの後ろでいつの間にかウィオラとジオールが跪いている。
アロイジウスがコソコソとクラレンツに「あの魔術師の護衛たち浮馬車に乗ってなかったよね?」と話していたけど、そのあと勝手に「見えないところでトリューに乗ってたのかな」と納得していた。自己解決ありがとう。
老朽化が激しいインペリウム特別寮は入寮予定の部屋の内見もせずにさっさと出て、学内の見学だ。
寮の新設が手配できてよかったー。入学してからあの建物に済む羽目になったら……と考えたら、俺のSAN値が一撃必殺されるところ。この一日体験入学イベントは俺の未来の正気を守ってくれたってことで。
その後は早足で魔導学院内を見学。
兄上たちのお楽しみ、魔導演習場はラウプフォーゲルのものと比べて3倍以上広い立派なもの。でもやっぱり精霊の見立てでは、俺の拡散性放出魔法が直撃したら耐えられないだろう、という結論。
……俺の魔導の演習場は、ユヴァフローテツ裾の岩砂漠しかない感じがしてきた。
「観覧席」と名付けられたガラス張りの5階建てビルのような建物は、演習場を取り囲むように建てられていて、演習場の様子がよく見えるようになっている。
「このしせつ、なんのためにあるんですかね」
「未来の魔術師の実演を見てスカウトするためです。実際、宮廷魔術師は採用試験の前にここに来てめぼしい人材を『青田買い』しているそうで」
「え、それっていいの?」
「良くないですよ。魔導学院は教育施設ですから、本来どの軍部にも肩入れしてはならないと学院理念に記されているのですがね」
案内のビューローは寮の専用案内人だったようで、インペリウム特別寮の不備と父上の新しい新寮建設について報告するために学院長の元へ走って行ってしまった。
学内の案内人が来るまで、元在校生のペシュティーノが案内することに。そのせいか全員リラックスして雑談……もとい、学院批判も含めた裏話の話題に花が咲いている。
「やはり中央軍部と癒着しているか。ケイトリヒを見張るつもりなのだろうな」
「見張るだけならば見張らせてやればよいのですが、ちょっかいをかけられないとも限りません」
「うわっ、カーリンゼン、見たか今の? 火の矢みたいなものが飛んでったぞ!」
「あんな魔導が使えたらアンデッドも怖くないだろうなあ……」
「何言ってんだ、狩猟小屋で見たようなデカいアンデッドにはあんなもの効きやしない。もっとガーッ!とデカい火の玉とかじゃないとな?」
「あっちは風の魔導を使ってるみたいだ。的が粉々だ、なかなかの破壊力だね。全員体格が大きいということは高学年なんだろうね。しかしどの魔導よりも、ケイトリヒの火柱のほうがすごかったと思うんだけどなあ。ねえ、ケイトリヒ?」
アロイジウスが少し離れた俺を見てにっこり笑う。
「アロイジウス兄上、あれはもう演習場じゃ使っちゃダメって言われてるんです。たぶんここでも同じでしょうね」
それを聞いて、分厚くて太い指と蜘蛛のような長い指のふたつが頭と背中を撫でてくる。
「……無事に入学を迎えられるよう、根回ししておくしかないな。ペシュティーノ、ケイトリヒの下僕を少し借りれんか?」
「私に仰られましても……ケイトリヒ様が命じてさえくだされば」
父上とペシュティーノがチラリと俺を覗き込む。
「ねまわし?」
「お前の安全のためだ」
「お願いできますか?」
精霊のことか。
「ウィオラ、ジオール」
「はっ」
「はあい!」
「父上が、僕の入学のために色々準備したいんだって。手伝ってくれる?」
「無論にございます」
「うんうん、僕らに任せて! あんな崩れかけの根城なんて主を住まわせるわけに行かないし! 主にちょっかい出す奴なんて、クルクルッと丸めて捨ててあげる!」
「え、ちょっと物騒なことはヤメテ……」
「ケイトリヒ、公爵令息たるもの、それくらいやってのけなければならんぞ。まあ、今はまだ知らなくても良い。だがいずれは、な」
クルクル丸めて捨てるくらいやってのけろって? 父上、精霊のそれって例え話じゃなくてリアルですからね? 彼らは本気の本当に物理的に丸めるよ? 怖い子たちだよ?
「主の父よ、我々も力になろう」
「そうだ。我々もまた主の眷属。そして我々には、万を超える軍勢がいる!」
クロルとコガネが尻尾をフリフリしながら父上の前でお座りして誇らしげに言う。
兄上たちは演習場の魔導実演に夢中で気づいていない。
「……ペシュティーノよ、彼らも、その……」
「ええ、ゲーレです。軍勢の話もウソではないでしょう。おそらくガルムの群れのことかと思われます。差し出がましいですが……彼らではなく、彼女ら、にございます」
父上はペシュティーノとゲーレたちを交互に見ながら、小さくため息をついた。
「手勢が多いのは良いことだが……全てが中央に知れれば、国家転覆を狙っていると思われても仕方のない顔ぶれだな」
「お言葉ですが御館様、その手勢の中には『ラウプフォーゲル軍』と『傭兵団』も含まれてございます故、何卒お言葉は慎重にお願い申し上げます。どうか『大陸統一』と」
いやいや、国家転覆も大陸統一も、ラウプフォーゲルが言えば同じでしょ。
「お待たせしてしまい申し訳ありません。ラウプフォーゲル公爵閣下とご令息の皆様、ようこそ我が魔導学院にお越しいただきました。歓迎の意を表し、学内の案内を担当いたしますイルゼ・トロッチェルと申します」
40代くらいの女性が現れ、美しいカーテシーで挨拶する。父上が挨拶を受け入れて顔をあげると、女性は明らかにペシュティーノを見て微笑んだ。ペシュティーノ……年上キラーってやつ?
「トロッチェル先生、お久しぶりです。御館様、先生は古代言語学の学科主任にしてこの学院の教頭。そして私の恩師にございます」
「ヒメネス卿、立派になって……ラウプフォーゲルで文官をされていると聞いたときは驚いたものですけれど、今の姿を見たら心から安心しました。良い巡り合わせに出会えたのですね」
お互い慈しむような笑みを向け合う関係は、温かいけれど色恋を含んだものじゃなさそうだ。ゲスの勘ぐりしてすみません。
「ペシュのせんせい?」
「ええ、そうですよ。学院在籍時代の恩は返しきれる気がしないほどお世話になった御方です」
「……帝都の防衛軍のトップ、カウニッツ将軍のご令嬢か」
父上はやや警戒した目つき。
「御館様、ご安心下さい。トロッチェル先生は中央貴族と思想を同じくする方ではありません。ラウプフォーゲル寄りというわけでもありませんが、教育者として公平で誠実な中立を守る信頼できる御方です」
ペシュティーノが言うと、何故かジオールがすすす、と父上に近づいて耳打ちする。
なんてことでしょう、ジオールが内緒話まで覚えるなんて! 成長したね……!
「ふむ。其方がケイトリヒを預けてもいいと思うほど信頼しているのならば、私も其方の見立てを信じよう。案内を頼む」
女性がスッと俺の方を見て、にっこりと微笑む。
なにもかもゴージャスなラウプフォーゲル女性と違って清楚で控えめな、でも芯の強そうな優しい笑顔。
「はじめまして、トロッチェルせんせい。ラウプフォーゲル領主ザムエル・ファッシュの四男、ケイトリヒですっ! 僕、古代言語学はにゅうがくと同時に修了試験を受けるよていなので、あまりじゅぎょうでお会いできないのがざんねんです」
「まあ、まあ……なんて可愛らしい王子殿下でしょう。さすが首席のヒメネス卿が教育係となった御方ですね。本当に、お教えできないのが残念でなりませんわ」
俺の挨拶を聞いた兄上たちが、ガラス窓から離れて慌てて集まって先生に自己紹介する。
「アロイジウス殿下はもう騎士学校に通っていらっしゃるのですね。ではクラレンツ殿下とカーリンゼン殿下も、ケイトリヒ殿下と同じく魔導学院へ?」
「まだ決まっていない」
クラレンツはそう言ったが、カーリンゼンと顔を見合わせてモジモジすると、父上をチラリと見る。
「お前たちはどうしたいのだ? 学校を実際に見てみて入学したいと思ったならば、もちろん許可するぞ。その代わり入学前の予備学習はこれから頑張らねばならんがな」
クラレンツは嫌そうな顔をしたけれど、カーリンゼンはそうでもないようだ。
「おほほ、お父上は厳しい御方ですね。けれど、王子殿下のやりたいことを優先させてくれる素晴らしいお父上です。しっかりご自分で考えて悩んで、進路をお決めください。さあ、ではこれから私が魔導学院へ通いたくなるようなご案内をさせていただきましょう」
トロッチェル先生に案内されて、魔導演習場を出て学内をぞろぞろと隊列を組んで見学。
俺はギンコに乗ったままなので疲れないが、クラレンツとカーリンゼンはやや集中力が切れてきたのか説明を聞いても上の空だ。アロイジウスはふむふむと真剣に聞いている。
教室棟、実習棟は寮を見に行く道すがらに通ったので次は研究棟。
教師と院生、そして将来的に研究職を目指す生徒が出入りする棟だそうだ。これまでの功績と称して様々な展示物がある。
その中でも兄上たちが興味を示したのは投影機。
前世でいうところのプロジェクターのようなもので、スクリーンがなくても空中で映像を映し出す事ができる。ただ音声は対応していない。ペシュティーノがこれをもとに改良版を作ったとは聞いていたけど、原型は……でっかいね! 冷蔵庫くらいある!
「去年の親戚会でのあの映像、面白かったよな……思い出しても笑っちまうわ」
「あのひと、今年もまた来るのかなあ?」
クラレンツとカーリンゼンがニヤニヤしながら話している。
俺が寝てるときにあったショータイムか。
娯楽の少ない帝国では、1年前の動画でもまだまだ話題になるレベルなんだ。
サイレント映画の件、もう少し真剣に考えたほうが良さそうかな?