4章_0047話_帝都訪問 2
皇帝居城は、ラウプフォーゲル城よりも縦も横も巨大ではあるが、どこか寒々しい印象がある。色味が石を削り出したそのままの灰色から白で統一されているせいだろう。
何も知らない人がラウプフォーゲル城と皇帝居城を比べた場合、ラウプフォーゲル城のほうが格上だと思うかもしれない。皇帝居城は前の世界でいうところの聖堂のような雰囲気だ。ユヴァフローテツの市役所とちょっと似てる。……市役所のほうが豪華かもしれない。
この世界の墓をまだ見たことがないので発言は控えたが、なんだか寒気がする。
「ケイトリヒ様、寒くございませんか? この辺りはラウプフォーゲルよりもずっと寒い地域です」
「寒……くはありません。ウィオラが調温魔法も施してくれてるようなので。ただラウプフォーゲル城と比べると、すこし寂しげな雰囲気の城だな、と思ってしまっただけで」
馬車回しのロータリーはラウプフォーゲルの倍以上の広さがある。
さすがは皇帝居城といったところか。
「打ち合わせ通り、馬車を出たらお言葉はなるべくお控えくださいますよう」
「はい」
「どうしても周囲にお伝えしたいことがございましたら、私をお呼び立てください。お言葉が他に漏れぬよう私に耳打ちし、私が代わりに必要なものに申し付けます」
「はい……」
(めんどくせえ)
「面倒がらず、お守り下さいね」
「は、はい」
一瞬、ペシュティーノに念話が通じてしまったのかと思った。
馬車が止まり、周囲を慌ただしく駆け回る人々の足音が聞こえる。
先にペシュティーノが馬車の扉を開けて降りると、ステップの下で跪く。
続いて父上がゆったりとステップを踏んで降り、クルリと振り向いて俺の手をとって慎重に抱き上げて降ろしてくれる。
馬車のステップは段差が急なのでまだ身体が追いつかないのだ。
後ろに引きずる布を整えるため、どこからか出てきたガノとオリンピオが布を手にして後ろに付く。その後ろにジュンとスタンリーが付いている。
父上の前には、父上の護衛騎士が4名、先導するように背を向けている。
ギンコたちゲーレの入城は許されなかった。まあ仕方ない。
正門をくぐると皇帝居城の衛兵たちが両側に一列に並び、貴賓となる俺たちを出迎える。
歴史の授業で聞いた話だが、皇帝陛下とラウプフォーゲル領主の関係は、単純な支配と被支配の関係ではない。中央からすると、帝国の安定を担うためにラウプフォーゲルは重要な領……むしろパートナーであると位置づけている。
また、中央騎士からすると屈強で誇り高いラウプフォーゲルの騎士は憧れの対象なのだという。確かに、整列した騎士たちからは、ラウプフォーゲル城にやってきたニヤけた魔導師隊とは全く違う雰囲気を感じる。
父上も、父上の側近たちも、そして俺の側近たちもスタンリー以外は軒並み中央の騎士たちより長身で立派な体躯だ。中でもオリンピオはずばぬけて大きく、無表情の中央騎士たちですら目で追うほど目立つ。
正直、騎士たちの腰よりも下の俺が着飾ったところで視界に入ってるか謎だ。
少し進むと、立派な正装をしたカイゼル髭の男が緊張した面持ちで父上に向かって優雅に最敬礼をした。
「ラウプフォーゲル公爵閣下、ザムエル様。そして公爵閣下ご令息、ケイトリヒ殿下。ようこそ皇帝居城へお越しいただきました。私、皇帝陛下の筆頭文官クヌート・ジンメルと申します。我々皇帝陛下側近一同、心より歓迎の意を表します。ご案内致しますので、公爵閣下の御前にて先導することをお許し下さい。」
「うむ、側近一同の歓迎と案内に感謝する。先導を許す」
皇帝の筆頭文官という男との対比のせいか、父上の声はとても低く、よく通り、威厳があるように聞こえる。声質というのは容姿と並んでカリスマ性の演出には欠かせない要素なのかもしれないとぼんやり考えていた。
「失礼ながら、ザムエル様。ここからは少し歩きます。御令息殿下の雅やかなお召し物ではご負担でしょう。側近に運んでもらってはいかがでしょう」
父上はふ、と俺の方を向いて「どうする」と手短に聞いてきた。
「お心遣いに感謝しますが、問題ありません。身体は小さくとも、私はファッシュの子にございます」
その答えに、父は至極満足そうに「では、案内せよ」と筆頭文官ジンメルに促す。
ジンメルは一瞬、目を剥いたがすぐに「ご案内します」といって先だって歩き始める。
先述に違わずカイザーブルグの場内は広く複雑に入り組んでおり、とにかく歩く。
俺が引きずる長い真っ白のマントを、花嫁のヴェールを持つように後ろからスタンリーが持って付いてくる。いつの間にか入れ替わってた。身長の問題? スタンリーも妙に軽いことにすでに気づいているだろう。
ジンメルは俺の足の遅さを気遣ってかゆっくり歩いているように見える。父上の側近や父上からするとイライラする速度だろうが、表向きは平然と足並みを合わせている。
あー、ギンコタクシーほしい。
そして開けた吹き抜けの広間の前に荘厳な扉が表れ、いよいよ謁見となった。
ここからは打ち合わせ通り、父上の側近1名と護衛騎士1名、俺にはペシュティーノだけがついてきて、残りの側近は入れないことになっている。
ペシュティーノが屈んで衣装をざっと確認し、前髪を少し指先でつまんで「完璧です」というようにニッコリ笑う。
俺もそれに笑って返す。父上がその様子を見ていて「ほう、余裕そうだな」と笑った。
荘厳な扉が、重厚な音を立てて開くと真紅の絨毯が伸びてその先には今は空の玉座がひとつ。両脇には、絨毯から一段低くなった空間があり、そこには上等な服を着た値踏みするように俺たちに注目する。目を輝かせている者もいれば、冷たい視線もある。彼らがいわゆる、中央貴族という人々なのだろう。
父上が歩みを進め、すぐ後ろに側近と護衛騎士がつく。
少ししてペシュティーノが歩くように促してきたのでてくてくと父上の数歩後をついて歩き、すぐ後ろをペシュティーノがついてくるのがわかる。今は姿が違うらしいけど、俺にはペシュティーノにしか見えない。
父上が跪いて項垂れたので、側近たちも俺もそれに倣って同じようにする。
両脇の人々からヒソヒソと「小さい」とか「妖精」とか「可愛い」とか聞こえてきた。
都合のいい聴覚フィルターとかかかってないよな? ポジティブな言葉だけ耳が拾う、みたいなフィルター。自分で想像してなんだが、あったら便利だな。
「皇帝陛下の御成にございます」
近衛兵らしき男の通る声が謁見の間に響くと、絨毯の両脇の人々も次々と跪く。
スタスタと軽い足取りの足音が聞こえ、玉座に座った音だけが聞こえた。
「皆のもの、楽にいたせ」
想像より若々しい声が聞こえ、絨毯両脇の人々が立ち上がる。父上は動かないので、俺もそれに倣って動かない。
「ザムエル、久しいな。面を上げ、楽にいたせ」
そうしてようやく父上が顔を上げる。
「皇帝陛下、この度は我が息子への謁見命令に従い馳せ参じましてございます」
「うむ、よもやファッシュから魔術適性者が出るとは思わなんだ。その子か。どれ、顔をよく見せてみよ」
父上は俺の前から一歩脇に寄り、俺に前に出るよう促す。てくてくと歩いて父上に並んで立つと、もう少し前にでるよう背中を押され、小声で「ご挨拶を」と言われる。
「お初にお目にかかります。ザムエル・ファッシュ・ヴォン・ラウプフォーゲルの子、ケイトリヒと申します」
俺は少し離れた皇帝陛下にも聞き取りやすいよう、なるべく大きな声でそう言って跪く。
が、大きな襟が重すぎて前のめりになり、襟の穂先がガツンと謁見室の床にぶつかった。
俺の貧弱な背筋力では持ち上げられない。重力を無視するのはあくまで俺の体にかかる重力で、地面に触れてしまうと効果がないらしい。
「うむ、しっかりした挨拶だ。面を上げ、近う」
体を起こそうとしても、持ち上がらなくてちょっとジタバタしていると皇帝陛下が大きく咳払いをした。
「……ぶふっ。ザッムエル、起こしてやれ」
「は」
父上から抱き上げられて、もぞもぞと肩に乗った垂直の襟を直していると皇帝陛下がニコニコと俺を見つめているのに気づいた。
「ケイトリヒ、皇帝陛下がお呼びだ。近くへ行っておいで」
「ふぁい」
父上から少し離れた瞬間、いつもと違う格好のペシュティーノがサッと俺の腰から飾り剣と杖のホルダーを外してくれる。
てくてくと歩いて皇帝陛下に近づいて、改めてその姿を見直す。
ピッタリと撫で付けられた金髪に、キレイに整えられたヒゲ。
王冠というよりはサークレットみたいな額飾りに、首の周りには金色の鳥の羽の襟。すごいゴージャス。前世じゃMVとかでしか見たこと無いかもしれない。毛皮はダメでも鳥の羽はオッケーなんですか。
オリーブグリーンの瞳がジッと俺を見つめて、ふにゃりと和らいだ。
「なんと可愛らしい子か。さあ、もっと近うおいで。さ、さ」
ちょいちょいと手招きする仕草が、なんつーか普通のおじさんっぽい。羽毛の襟巻きした普通のおじさんなんていないけど好感が持てる。
どの程度近づいて良いものかわからずにそろそろと近づくと、しびれを切らした陛下が玉座から立ち上がり、段差をゆったりと降りてきた。
その瞬間、周囲のざわついていた貴族たちが一斉に跪く。
おおっ、皇帝陛下の御威光はすごいなあ、とぼんやりしていたら脇に手をスポッと入れられて抱き上げられる。
「どーれ! ぬおっ、これはなかなかに重いな!! わっはっは! さすがファッシュ家の子だ! まだまだ体は小さいが、いずれは父のように逞しくなろう!」
持ち上げられただけでストンと降ろされる。
さすがにカッチカチのデカい襟が邪魔で、抱っこされたら陛下のあちこちにガツガツ当たりそうで怖かったからよかった。
近衛兵らしきヒトが陛下の後ろから玉座に戻るように丁寧に促す。玉座の周りには結界が張っているようで、そこから出られると防衛上問題があるのだろう。
陛下は笑いながら玉座に座り直すと、ニコニコと俺に向かって話しだした。
「ケイトリヒ、父は優しいか? ん?」
何か含みのある問いかけなのだろうか。ちらりと後ろを見ると、父上は「思うままに話しなさい」と囁いてきた。いいんですか? ペシュティーノが仲介するんじゃなかったの?
「はいっ、パパうえは優しいです。……あっ、ちちうえ! ちちうえはやさしいです!」
会場が穏やかな笑い声に包まれた。
「なんて可愛らしいお声かしら」
「ほんとうに、珠のよう」
お貴族の婦人たちが一斉に俺を褒めそやす。これはフィルターではないと思いたい。
それから魔法の勉強はしているか、とか、小領主になってどうだ、とか、魔力が多いようだが苦労はしてないか、とか。当たり障りのない問答がつづく。
「そうかそうか。それではケイトリヒ、其方は母がいなくて寂しくはないか? ん?」
「さびしくないですっ。側近もいますし、だいいちふじんのアデーレ様とも仲良くなりました。メイドもかわいがってくれるし、ギンコもいます」
「ギンコ?」
「先日ご報告差し上げました、子飼いのガルムです。よく懐いており、領地ではその背に乗って外遊しております」
「ほう、ガルムを手懐けるとは、魔術師だけでなく従魔師の素質もあるということか。末恐ろしいな!」
陛下は高らかにわっはっはと笑うと、貴族たちもつられてかザワザワと笑う。
でもなんだろう、陛下は何かを切り出そうとタイミングを見計らっている気がする。
キョトンとしたまま見ていると、陛下は玉座から上体を乗り出して俺に囁くように言う。
「……母に、会いたくはないか?」
「え」
実の母。カタリナ。
実子である俺を虐待し、挙げ句には殺しかけたという、罪人。
ラウプフォーゲル領を追放となり、行方知れずとなっていたはずの人物。
その事実に脳がたどり着く前に、表情に出ていたらしい。
皇帝陛下は、俺を顔を見て眉尻を下げた。
会いたくない、と大声で口に出したかったのに喉が締め上げられたように声が出ない。
恐怖感を振り払うように大きく首を横に降って、逃げるように父上にすがりつく。
「……怖がらせてしまったか。やはり、カタリナの罪状に疑いはないようだな」
「皇帝陛下。何のおつもりですか」
父上の低い声が謁見の間に響くと、ざわついていた貴族たちが水を打ったようにシンと静まり返る。
「実はな、いくら咎人とはいえ子と母を離すのは残酷なことだと私に主張してきた者がおったのだ。子は母を慕うものだし、母は子を想うものだから、子であるケイトリヒの心が落ち着いた今だからこそ一度会わせてみてはどうかとな」
皇帝陛下の言葉が、やけに遠くに聞こえる。
耳鳴りだ。
「ぱぱ」
父上の服をギュッと掴んだ俺の手が震えている。
母親の記憶なんてほとんどなかったのに、何故かとんでもなく邪悪な存在が俺に迫っているようないいしれぬ恐怖を感じる。これは……ケイトリヒの、体の記憶だろうか?
「大丈夫だ」
父上が俺に耳打ちして、そっと俺を引き離してペシュティーノに預ける。
ペシュティーノの腕に包まれると、不快な恐怖がスーッと引いていくのがわかった。
「よもや其の者は子持ちではないでしょうな。子を持つ親の考えとは、到底思えませぬ。無力で無抵抗な子を暴力で害した者を、再びその子に会わせようなどと進言するとは。残酷が聞いて呆れますぞ」
待てよ。
会わせようとしたということは……カタリナが、近くまで来ているということか?
フワッ、と俺の……大人である俺の記憶にない光景が脳裏によぎる。
ひどくノイズが入っているが、これは間違いなく……子供の頃の、ケイトリヒの記憶だ。
金髪の華奢な女性が目の前に立ちはだかり、俺に向かって何度も手をあげて打つ。酷く恐ろしいのに、顔は見えない。小さな手で自分をかばっても、その腕をひねり上げて痛がるところを狙って打つ。痛みへの恐怖と、理不尽への絶望。
思い出した記憶は一瞬だったし、逡巡したのも1秒にも満たなかったはずだ。
それなのに色々なものがごちゃまぜに混ざり合って溢れかえり、目からこぼれ落ちた。
「うあっ、やっ、やだぁー! うわ、うわあぁーん!」
ペシュティーノの肩口にぎゅうと頭を押し付けて泣き叫ぶと、幾分スッキリした。
「落ち着かせなさい」
「はい」
ペシュティーノは俺を抱き上げて、ぽんぽんと俺の背中を優しく撫でるように叩く。
いつのまにか大きな襟は外されていたのに気づいてなんだか我に返った。
ぐすぐすと鼻を鳴らしながらペシュティーノを見ると、「怖いことは何もありませんよ」と言っておでこにチュウしてくれた。うん、落ち着いた。
ひぐひぐしてるけど、そこは余韻で。
「……実はな、ザムエル。その進言とはまた別件で、その子の世話役に付いたペシュティーノ・ヒメネスについて捜査令状を出してほしいという要請が私のもとへ上がっている。名目は、『ファッシュ家令息の洗脳疑惑』だ」
「なんですと?」
父上が棘のある声で答えると、周囲の貴族たちもざわついた。
俺もそれを聞いた瞬間、ひぐひぐしていた体がピン、と逆毛でも立ったかのように緊張した。もしも猫だったら絶対、尻尾が膨らんでる。
「その人物はラウプフォーゲルには息子の洗脳を感知できる魔術師がいないとでもお思いなのか? 自分たちだけがその疑いを晴らせるとお思いであるならば、それは思い上がりも甚だしい。ラウプフォーゲルで立場を確立しつつあるペシュティーノを排除したいと考えているのが、一体誰の進言なのかお聞かせ願いたいですな!」
父上が明らかにギロリと一方を睨みつけたのを俺は見た。
俺の位置からは見えないが、父上には心当たりがあるのだろうか。
「こうていへいか! 僕からペシュティーノを取り上げたら、きらいになります!」
「こ、こらケイトリヒ」
「ちちうえ! ちちうえもペシュティーノはきちょうな人材だから貸してくれって言ったじゃないですか。ラウプフォーゲルでは魔術師がきちょうだとも。その人材を、僕の大事な世話役を、いいがかりをつけて奪おうとするなら、僕はそのたくらみを」
「ケイトリヒ様、いけません。抑えて下さい!」
体の奥の、胃のあたりからゾワッとなにかが湧き上がってくるような感覚。
体中の毛穴からそれらが放出され、植物のツルのように伸びて周囲に広がっていく感覚。
俺を抱きすくめていたペシュティーノの腕が強ばる。
「僕はそれを企てた人物を……草の根をかき分けてでも探し出し、司法制度の元に屈服させて再起不能になるまで社会的制裁を与えます」
水を打ったように静まり返った貴族たちの間の数カ所から「ヒッ」と声があがった。
先程まで拙い口調だった俺の言葉が、あまりにも流暢になったのも効果的だったのだろうけれど。たぶん、これは……魔力だ。俺の中の、なにか威圧的な魔力。
「これは驚いたな! これほどまでに強力な、しかもかように広範囲な威圧の魔法は初めて見たぞ! 子供とはいえこれほどまでに強力な魔法を使う者に、洗脳魔法などが施せようか? 魔術省大臣よ、其方の見解はどうだ」
突然名指しされたらしい魔術省大臣は、長いローブと長い白いヒゲを蓄えた見るからに魔法使いっぽい老人だ。大臣が座る椅子から立ち上がり、しっかりした口調で答える。
「ケイトリヒ殿下の魔力の多さは宮廷魔導士以上とは聞いておりましたが、ここまでとは存じませんでした。件のペシュティーノ・ヒメネスについても魔導学院では高い魔力を誇っておりましたが、ケイトリヒ殿下の比ではございません。仮に洗脳魔法を施しても、瞬時に打ち破られることでしょう。それにそのようなことをすれば、ケイトリヒ殿下から不信を買う結果となるだけです」
「なるほどな……つまり、ラウプフォーゲルの武器となってしまったペシュティーノ・ヒメネスをなんとか無力化したいと考えた連中が、愚かにも皇帝たる私に毒を吹き込んだということか。これは、由々しき事態であるな」
皇帝陛下はニヤニヤしながら俺を見ている。
……なんか、父上を含めて……俺たち、陛下にいいように使われてない?
「ケイトリヒや、可哀想に。怖がらせてすまなかったな。其方を害した母に会わせようとしたり、世話人を取り上げようとしたり。それは私の本意ではないのだ、わかってくれるか? きらわれてしまっては、私も悲しいぞ」
これ、さては皇帝陛下と父上の……芝居だな?
「こうていへいか、たいへんですね」
俺が言うと陛下はわっはっはと笑った。
「幼子から労われるとはな。さて、どう対処したものか……ザムエルよ、案はあるか?」
「今回脅かされたのはケイトリヒです。ケイトリヒよ、どうだ?」
え、どうだ、って? なにがどう?
もしかして俺にその、愚かな進言者への処遇を決めろと?
……まあ、提案くらいはできるか。
「ちちうえ、ラウプフォーゲルの傭兵は各領地に散っているですよね」
「ああ、帝国の海軍、陸軍、治安維持軍などほぼ全ての領の軍部に在籍しているな」
「ラウプフォーゲルの力を削ごうとしているヒトは、守らなくていいですよね?」
「うーむ。だが、民に罪はないぞ?」
「民は可哀想ですけれど、その主を頂いたことも民の責任です。民は税を払って主を頂いているのですから、領を危険にさらすような不出来な主を追い落とすくらいのことはしてもいいとおもいませんか」
「むむ、なかなか過激な意見だな。だがそうだな、少なくともラウプフォーゲル傭兵が完全撤退したところで、すぐさま民が危険に陥るわけでもないだろう」
「決まったか?」
皇帝陛下がものすごくニヤニヤしながら聞いてくる。
思わずジト目になってしまったのは目が上手く開かないだけであって、決して「このタヌキじじい」と思ったわけではない。ないったらない。
「僭越ながら提言申し上げます。……が、息子は退席させてよろしいでしょうか。泣いたせいか眠そうです、お許しを」
「うむ。ケイトリヒよ、大儀であった。下がって良い」
ペシュティーノが床に俺を立たせ、「失礼します」と言わせてからすぐに抱き上げて謁見室を足早に後にする。
まさかペシュティーノの話まで出てくるとは思ってなかったけど、姿を変えているとはいえ側にいてくれて本当に良かった。母親の件のあたりでは、ペシュティーノがいなかったらあんなにすぐに落ち着けなかった。
ぽすん、とペシュティーノの肩口に頭を押し付けると、何かを察してかギュッと抱きしめてきた。本当に、ペシュティーノって敵が多かったんだね。
これは俺が守ってあげないと。
皇帝居城の応接室に入ると、ガノやスタンリーたちが迎えてくれて一気に緊張の糸が切れた。カウチに座ると、そのまま眠ってしまった。
目を覚ましたのは帰りの馬車に乗りこむところ。
父上は俺を見て「起きたか」とだけ言って、すぐに馬車を出した。
皇帝陛下と父上のお話し合いの結果については、追って決定事項を知らせてくれるって。
来るときとは違う道筋を通ると「もうすぐラウプフォーゲルの庭が見えますよ」とペシュティーノが教えてくれる。そういえば帰りに見るという話だった。
窓を覗くと、御者には事前に話してあったのか馬車がひときわゆっくり徐行する。
青々とした芝生や立派なトピアリー、生け垣や草木のアーチなどで飾られた他の敷地と違い、ラウプフォーゲルの庭はガッチリと大理石のタイルで固められ、草一本生えていない。そして敷地の中央にはごちゃごちゃとした何かがトゲトゲと刺さったモニュメントのようなものがそびえている。
「あれはなんですか?」
「傷んで使えなくなった剪定バサミや刈り込み鎌、のこぎりやスコップなどの庭師の道具を寄せ集めて固めて作った、ただの塊ですよ。わざわざ降りて見るほどのものではありません」
父上も頷く。
「ケイトリヒ様のご先祖であるラウプフォーゲル領主のメッセージとして、『庭師の道具を武器にしてでもアンデッドを殲滅してやる』という意思表示だそうですよ。私は潔く合理的で頼もしく、素晴らしいと思いますが……中央貴族からはあまり好まれなかったようです」
「どうだ、ケイトリヒ。水やりも草刈りも手入れも必要ない、実に素晴らしい庭だろう?ご先祖は、この庭に継続的に管理費をかけるのが嫌で仕方なかったそうだ。まあ、おかげで子孫は代々、この庭に管理費を出さずにすんでいるわけだが」
父上は少し皮肉りながら笑ってそう言うが、俺もペシュティーノと同じ意見だ。
「その分、アンデッド殲滅のための騎士隊の人員や装備に予算がかけられると思えば素晴らしい判断だと思います」
ニッコリ笑ってそう言うと、父上は「お前は本当にファッシュの子だな」といって頭を撫でてくれた。
帝都のファッシュ邸に戻る頃には、もう陽が傾き始めていた。
「やはり遅くなったな。皇帝陛下のチェッタンガ好きにも困ったものだ」
「父上、チェッタンガとはなんですか? 父上は、皇帝陛下とは仲が良いのですね?」
「ああ、皇帝陛下とは騎士学校の先輩と後輩の仲だ。学生時代はお互い立場もあったから剣での勝負はできなくてな。よくチェッタンガで勝負していたものだ。夕食の後、ケイトリヒにも教えてやろう」
「お館様、ケイトリヒ様にチェッタンガはまだ早いかと……」
「何を言う、頭を使う勝負だ、年齢は関係ない。ケイトリヒは身体こそ小さいが、年齢の割にずっと聡明だからな、きっと強くなるぞ!」
チェスのようなものだろうか。それならば父上の言うとおり、ルールを覚えれば強くなる自身がある。将棋も囲碁もバックギャモンも得意なほうだ。運だけが物を言うゲームよりも頭を使うほうが勝敗に納得がいくので好きだった。
それにしても、あの後はなんかどっかの貴族の処遇を話し合うための時間だったはずなのに、ゲームなんかしてたの? そりゃあ遅くなるわ。
「ペシュティーノ様、こちらラウプフォーゲル城からの転送された書になります」
「ああ、ありがとうございます」
邸に入るなり、執事からいくつかの書類を受け取るペシュティーノ。
「私はこれから少し、お館様とお話をしますので入浴のお手伝いはガノかスタンリーにお願いします。ああ、洗髪料は城から持ってきているものを使って下さい。こちらのは質が悪いですから」
「はっ」
「承知しました」
ガノとスタンリーが静かに応える。
「ガノ様、今日は私が」
「いえ、ここの浴場は騎士が10人はいっても問題ないほど広いです。ついでですから、我々もお世話しながら入浴しましょうか」
ガノも割と風呂が好きだ。俺の世話をする時は、湯帷子を着て一緒に湯につかることも多い。
貴人の子を世話しているというよりは、小さな弟の面倒を見ているような気安さがいい。
それに対してスタンリーは、どこかビクビクした手付きが俺を不安にさせるので、この際ガノの器用な手抜き加減を習うといいと思う。
「家族風呂ですね!」
俺が楽しそうにそう言うと、ガノもスタンリーも、顔を見合わせて笑った。
ガノとスタンリーに丸洗いされながらはしゃぎすぎたせいで、ファッシュ家の益荒男たちが集まる夕食会では船を漕いでしまった。
見かねた父上が「もう寝かせてやれ」というので、お食事もそこそこにベッドへ。
枕の横に座ったペシュティーノのズボンをギュッと握ると、「お休みになるまでは側についておりますよ」といってくれたので、ホッとして力が抜ける。
「ペシュ、あのね。きょう、はじめてカタリナのこと思い出した。近くにいるんだとおもうと、こわかった。こわくて、泣いちゃった」
「怖かったのに、よくあのくらいで堪えましたね。立派ですよ」
ペシュティーノは俺を全面肯定。泣いちゃったけど、すぐ落ち着いたもんね? 子供にしては上出来だよね?
「カタリナ、もう来ないかな」
「……御館様が、この度ケイトリヒ様の代母を中央に届け出ました。おそらくそれへの悪あがきのようなものでしょう。もう不意打ちのような真似は皇帝陛下もお許しにならないはずですよ」
「だいぼ?」
「ええ。養子縁組が盛んな帝国では、その身元を保証するため領主や皇帝になる場合に必ず男親と女親が必要なのです。これは必ずしも実親でなくても構わないのですが」
両親のどちらかが亡くなった場合、本人の実家から選ばれるのが一般的だそうだけど。カタリナは、シュティーリ家だ。しかも亡くなったのではなく罪を犯して追放になった身。
ラウプフォーゲルがシュティーリ家からの代母を受け入れるはずがない。
「じゃあ、僕のだいぼになるヒトはラウプフォーゲル女性?」
「いずれ御館様から発表があるでしょうが、揺るぎないほどの根っからのラウプフォーゲル女性ですよ。シュティーリとしては無謀だとしても何らか抗議したかったのでしょう」
「だいぼが来たら、ペシュと離される?」
「ご心配なく。代母は代母、世話人は世話人です。以前も申したでしょう、私はケイトリヒ様が望まれる限り、この身果てるまでお側におります」
ならいいや。
とろんとした目でにっこり笑うと、ペシュティーノがおでこにチュウしてきた。
おやすみなさーい。