3章_0045話_ラウプフォーゲル城、帰還 3
「まあ、これを私に?」
「アデーレさまは、もうじゅうぶんお肌キレイなのでおけしょうひんいらないかもと思ったんですけれど、じょせいのしようかんをおききしたくて! ユヴァフローテツの産業にぜひ、ごきょーりょくおねがいします!」
アデーレは見たことないくらいの笑顔で父上に「なんていい子なの」と連呼している。
容器のオーロラ加工ガラスは見た目に華やかだし、異世界仕込みの化粧箱も珍しいようで後ろに控えている侍女たちも興味津々だ。
「うおお、何だこの剣! 光ってるぞ!」
「装飾もキレイだね。これはシュタインメッツ領の伝統工芸、金糸細工じゃないか?」
「わあ……すごい、きれい!」
「おー、アロイジウス兄上、さすが! あんまりじょうぶじゃないんで、じっせんには不向き……あっ、ふだんはぼんやり光ってるだけですけど、しょーげきをうけるとピカッとひかります。めくらましくらいにはなるかと」
あまりネガティブなことは言うなって言われてるんだった。
アロイジウスとクラレンツが試しに剣を打ち合いキィン!と金属音が響くと、カメラのフラッシュ並の閃光が放たれる。それを見て兵士たちも「おお〜」なんて声を上げるものだから、得意げだ。気に入ってもらえたようでなにより。
「良い物を選んだな、ケイトリヒ。して、パパには何をくれるのかな?」
「ぱぱにはいっぱいあります。皇帝陛下にもけんじょうする水マユのきじとマント、これはディアナがてはいしてくれたのでひんしつはほしょうずみです!」
俺の合図でガノとエグモントがばばん!と献上品のマントを開いて見せつけてくれる。
背中には王冠をかぶった四翼の鷹、その背にはフォーゲル山を図式化したもの、ラウプフォーゲル領を象徴する草花などがゴージャスな刺繍で描かれている。
もちろんその刺繍糸も水マユで作られたものなので、上品な虹色をまとっていてキレイ。
「まあ、なんて素晴らしいの」
「うわあ! キレイですね、父上! 羽織ってお見せください!」
「濃紺色なのに光があたるといろんな色に見える……どうなってんだ?」
「すごい……」
アデーレと子どもたちの感嘆の声に満足そうな父上は、マントを羽織ってくるりと背中を向けてくる。うん、水マユの生地は軽すぎてふわふわするのが難点だったけれど、他の布と組み合わせてずっしりとした重厚感のある、領主がまとってふさわしい仕上がり。
さすがディアナ!
「これはいい。心なしか、涼感があるようだな?」
「はい、水マユのとくちょーです! ほのおも、ひざしもしゃだんするのでいつでもひんやりしてますよ。あとはおしろでつかうお砂糖とおやさいとこおり、浮馬車の1号機、あとぱぱ用のかざり剣と……」
「け、ケイトリヒ様。1つずつ、1つずつちゃんとご説明をお願いします」
ペシュティーノが慌てて俺に耳打ちしてくる。それを見て、父上もアデーレも、アロイジウスもクラレンツもカーリンゼンも朗らかに笑った。
うん、なんかすごく家族ってかんじ!
レオのメニューを学んだ城の料理人が作った昼食は、カツカレーだった。
重いっす。
「ぱぱ、かしんかいぎってなんですか。ラウプフォーゲルぎかいとはちがうんですか?」
「うむ。ラウプフォーゲル議会の前段階、領主の意向を決定する会議だ。私の発言は強制力を持つ故、慎重に決定しなければならん」
会社全体で行う会議の前の重役会議みたいなものか。
まあ、俺は幼児だし父上はそれ以上の話もしてくれないから、父上とペシュティーノにまかせておけばいいだろう。
父上に抱っこされた状態で会議室に入ると、そこは……THE・男祭り! 父上と同じくらいのサイズ感のおじさんたちが、半円型に3列並べられた机にみっしり座っている。
青年っぽいヒトもいるけど、ほとんどはおじさん。心なしか加齢臭がフワリと鼻に届く。どの世界でもおじさんって同じニオイなんだな。
わいわいと雑談していたようだけど、俺を抱えた父上を見てさらにヒートアップした。
可愛いとか可愛いとか可愛いとか、目を細めているおじさんとか好々爺ばかりね。
「静粛に、静粛に! 領主閣下より、会議開始のお言葉である」
議長らしきヒトが叫ぶと、30人ほどのおじさんがザッと立ち上がる。壮観!
「最初に、我が息子ケイトリヒから嬉しい報せがある」
父上はそう言うと、悠然と微笑みながら俺を見た。
「エッ!?」
また! なんにも! 聞いてませんけども!!?
ギョッとして父上を見ても、ニヤニヤしているだけだ。くう、父上ってちょっと竜脈と同じ性格?
後ろに控えていたペシュティーノが、ボソッと「浮馬車のことを」と囁く。
ああそれね!! もう、ちゃんと言ってよお!
「えーと! 40にんのりの浮馬車が、かんせいしました!」
俺が声を張り上げて言うと、おじさんたちから拍手と歓声が湧いた。
「かんせいさせたのは、ユヴァフローテツのぎしたちです!」
拍手と歓声が更に大きくなる。おじさんたちの雰囲気をしげしげと見ると、本当に嬉しそうだ。「これで迅速に兵員を輸送できる」とか、「僻地への派遣も可能に……」とかを明るい表情で話し合っている。どうやらラウプフォーゲルに貢献できたようだ。
「これからいっぱいつくるので、ごほうびください!」
ノリで叫ぶと、拍手と歓声がぴたりと止んだ。
やっちまったか?と周囲を見ると、おじさんたちは俺が何を言い出すか興味津々の顔。
やばい。ノリで言ったのに。
「ほう、ご褒美か。何が欲しい? 報奨金か? 利権か、領地それとも爵位か?」
爵位? 俺は将来的に小領主になった時点で子爵になる予定だが……あっ、そうか。
「ペシュティーノにしゃくい、ください」
「ケイトリヒ様、いけません」
俺がボソッと言うと、後ろからペシュティーノが静かに否定してきた。
「まだちょっと早いな。金は十分そうだから、領地か利権で手を打ちなさい」
むー。じゃあ選択肢にいれないでもらえるか! オトナって、もう!
「あ! じゃありょうち、ください。フォーゲル山のしゅうへん!」
地表に現れても一切冷えず、常に真っ赤に滾るマグマが蠢くフォーゲル山周辺の土地には領主がいない。なにせ領民がいないし、領地に誰も入れないとなるとそりゃあ誰の支配地でもないよな。強いて言うなら赤と黒のシマシマ髪のヌシの領地だ。
「フォーゲル山の周辺ですと?」
「あそこはS級冒険者でも周辺地域にすら脚を踏み込まぬ死地ですぞ」
「王子殿下はなぜそのような土地を?」
「ふむ、ケイトリヒ。確かにフォーゲル山周辺は、古くから誰の領地でもない。だがなぜその地を望む? 何か狙いがあるのか?」
「はい! だって、フォーゲル山のしゅうへんはしげんがいっぱいです! 金、銀、竜穴に魔石鉱山……ほうせきもいっぱいあります! おんせんからはおけしょうひんがつくれるし……ミスリルやアダマンムゴッ」
「け、ケイトリヒ様ッ!」
ペシュティーノの長い指が口を塞ぐ。
……フォーゲル山のヌシに聞いた情報、秘密だった?
「ミスリル鉱山は各地にあるが……アダマンタイトまで?」
「なぜ王子殿下はそのようなことをご存知なのだ?」
「あれですよ、ホラ……噂の。精霊の……」
「ああ……やはりそうなのだな……?」
おじさんたちがざわざわした雰囲気に、父上の高笑いが響く。
「ハーッハッハ! なんとも、そうだな。溶岩煮えたぎるフォーゲル山の資源については昔から噂されてはいた。水マユの増産とトリューを作り上げたケイトリヒならば、あるいは手が届くやもしれん。どうだ、この褒美に反対のものはいるか!」
おじさんたちの多くは歓迎ムードだ。だが、やはり一枚岩というわけではないらしい。
「フォーゲル山はラウプフォーゲルのみならず、旧ラウプフォーゲル全ての領民が心を寄せる霊峰であり財宝! 王子とはいえヒトの手に渡るのは如何かと存じ上げます!」
会議室の後ろの方からそんな声が上がったが、それを聞いたほとんどのおじさんたちはそれを一笑に付した。「畏れ多くて近づけなかったのではない、熱すぎるだけだ」とか「トリュー産業に不可欠な魔石鉱山まであるというのにその程度の理由で手を引けと?」とかさんざんの言われよう。そしてこっそり「精霊様に愛される御子にこそふさわしい土地」とか言ってるヒトいた! 誰だ! だいぶ情報ダダ漏れてるぞ!?
「賛成の者は、座って良い」
父上が言うと、後ろの3人くらいを残してほか全員が座った。
「反対意見もあるが、改めて会議で決定事項を定める。ケイトリヒよ、大儀であった」
父上は俺をポイとペシュティーノに渡して、退室するように促す。
俺の仕事、終了。ご褒美もらうだけの会議でしたか、そうですか。
ペシュティーノに抱っこされて本城から西の離宮への渡り廊下を歩く。
なんだかこの風景も久しぶり。
後ろにはガノとエグモントがついている。
「なんだか、会議の出席者のヒトたち精霊のことうっすら知ってるっぽかったですけど」
「ええ、目下ラウプフォーゲルのみならず帝国では噂になっていますよ。ケイトリヒ様が精霊様の寵児であると。まあこれは計画通りです。ケイトリヒ様の才子ぶりの理由付けとしては一番妥当でしょう」
そういえば精霊との契約は徐々に公開していくつもりだったっけ。基本4属性の主精霊なら、そう珍しいことではないみたいなのでひた隠す必要はないのか。
本当は主精霊じゃなくて大精霊だし、基本4属性だとしても4柱も同時にってのはやっぱり異例らしいのでそのへんは隠すけど。
「ヒメネス卿」
女性の声が後ろから聞こえて振り向くと、アデーレが侍女を連れてしずしずと歩いてくるところだ。この渡り廊下は西の離宮にしか繋がってないから、偶然というわけではないらしい。
「アデーレ様。ご機嫌麗しゅうございます」
ペシュティーノは俺をそっと下ろして丁寧に礼をする。アデーレは居心地悪そうにそれを見届けると、ちっとも麗しくない不機嫌声で言う。
「……ここは暑いわ。西の離宮にお邪魔しても良いかしら」
ペシュティーノは一瞬何を言われたかわからないとでも言うようにフリーズしたが、すぐにガノに目配せすると、ガノは優雅に会釈をして颯爽と走り去った。
「先触れなしに来てしまって悪いわね。そんなに畏まらなくていいのよ、ただ、ちょっと相談したいことがあるだけなの。あまり大事にしないでもらえる?」
「承知しました。ですが、最低限といえども西の離宮では貴婦人をもてなす用意もありません。よろしければ本城で……」
「いえ、そちらへ伺いたいのよ」
「……承知しました。お嫌でなければエスコートでも」
「嫌よ」
「失礼しました」
「アデーレ夫人、あまいもの、すきですか?」
「えっ? ま、まあ……そりゃあ、誰だって好きでしょう」
俺が話しかけると、ちょっと面食らったようにソワソワしはじめた。
どうやら俺には用がないらしいな。ペシュティーノに何の用だろう。
「離宮にもどったら、レオがおやつをつくってくれます! いっしょにたべましょう!」
アデーレは眉根を寄せて明らかに嫌そうな顔をしたが、少し考えて「いいわ」と言った。
やっぱり甘味の誘惑には勝てませんよね!? 嫌な顔はデフォなのですね?
今日のおやつはナッツチェリータルト。
俺の好みに合わせてざくざく食感、硬めのタルト生地にカスタードクリーム、そしてたっぷりのナッツチェリー。ナッツチェリーのカリカリの食感は加熱するとシャクシャクになるので、普通の生のフルーツみたいになる。美味しい。俺のお気に入り。
庭園を臨むオープンテラスに大きなタープを張って、調温魔法を施して会場は完成!
初めての女性客ということで離宮の兵士たちはちょっと遠巻きにしてもらい、メイドたちを表に並べる。ミーナは来客対応も慣れたもので、テキパキと優雅に指示してくれる。
ギンコをはじめとしたゲーレたちはお客様を驚かせるので、灰闇の谷へ出した。
アデーレはタルトをとっても気に入ってくれたみたいで「女性の集まるお茶会で紹介したい」と早速セールストークに入った。さすが敏腕! レオを呼んで、早速いろいろとレシピを買い取ってくれた。レオも褒められてご満悦。
おやつタイムを終えていい香りのするお茶を俺が飲み干すと、ペシュティーノがタイミングよく現れる。
「ケイトリヒ様、ハンマーシュミット先生がいらしてますよ」
「あっ! きょうはけんちくがくのじゅぎょうでした! ハンマーシュミット先生はユヴァフローテツではお会いできないから、このきかいを逃さないようにしないと! アデーレ夫人、しつれいします!」
「ええ、美味しいお菓子をありがとう。……お勉強、頑張ってね」
アデーレ夫人、最初のツンデレ設定はどこへやら。俺にはすごく優しいね?
そういえば俺に対してはあまりツンツンしてなかったか。
もしかしなくても原因はペシュティーノだった?
――――――――――――
迎えに来たスタンリーと手を繋いで去る小さな少年を見届けたアデーレが、暗い顔をして呟く。
「あの子は……ケイトリヒ殿下は建築学まで学んでいるの? どうすればあんなにお勉強が好きな子になってくれるのかしら……」
はあ、と大きなため息をついたアデーレを、ペシュティーノは座るよう促す。相談の内容は言わなくてももうわかってしまったようなものだ。
ミーナはケイトリヒの皿とカップを下げると、ペシュティーノにお茶を出し、アデーレにはお茶のおかわりを。その作業の速さと優雅さはアデーレでも瞠目したほどだ。
「ご相談の内容は、殿下たちの教育についてですか」
アデーレは一瞬、心底嫌そうな顔をしたあと何か吹っ切れたように話しだした。
「私と、元第一夫人の確執はご存知よね。存命のときは髪の毛をつかみ合って喧嘩するほど仲が悪かった私達ですけれど、故人となってしまった今はもうなんの気持ちもありませんわ。特にアロイジウス殿下は早くに母君を亡くされて、不憫に思います。最近は殿下と私の息子たちも仲良くしていますし……」
アデーレは言葉を切ると、続きを言いにくそうに目を泳がせる。
「皆まで仰らなくて結構です。私も、貴族派の連中が企んでいることは存じております」
無言。
さわさわと風に揺れる葉擦れの音と、カチャリとカップをソーサーに置く音だけが響く。
「相談している身で無礼ですけれど、貴方のそのなんでも見透かしたような態度、本当に嫌いですわ」
ペシュティーノは言われた言葉に動じる様子もなく、ふ、と笑う。
「……嫌いですけれど、教育に関しては類を見ないほど優秀であることは間違いないわ」
アデーレが後方に目配せすると、控えていた侍女がそっとテーブルに書類を置く。それをずい、とペシュティーノの方に突き出して睨みつけた。
「率直な感想を言って頂戴」
ペシュティーノが差し出された書類に目を通す。4枚、5枚と書類をめくるたび、眉根が寄っていくのをアデーレは絶望的な目で見ていた。
「これは、なんとも。その……率直さが信条の私でも、口ごもるほどの成績ですね」
「ああっ! ええ、そうなのよ! イングリットとは確かにかなりやり合ったわ、それは事実よ。でもお互いに決して、決して! 子どもには手を出さなかった。それが母親である私達の戦い方だったの。でも後ろ盾の貴族派たちといったら、そんな取り決めはお構いなしよ! クラレンツもカーリンゼンも、私の息子である前に、彼らが忠誠を捧げる領主ザムエル様の御子なのよ!? 叛逆行為といえるのではなくて!?」
淑女らしく声を荒げることはなく一気に喋ったアデーレは深呼吸をして、お茶を飲む。
差し出された書類は、クラレンツを担当した教師からの所見と成績を記した報告書。かなり直接的な言い回しで「勉学の重要性について今一度母君から苦言を」とあらゆる教師から詰め寄られている。領主夫人にここまで言い切るのも、ある意味清々しいほどだ。
「教師の手配を妨害されたのですね」
「そうよ。今でもそうなの。今でもよ! イングリットが亡くなって何年たったと思ってるのかしら。でも何の証拠もないわ。ザムエル様に直談判したくても、実行犯も首謀者もわからないの。お手上げよ。この城には、私の味方なんてほとんどいない。それは貴方も同じことだったでしょう?」
そうこぼして、アデーレは慌てて周囲を確認する。
「遮音の結界を張っていますから、ここにいる者以外に聞かれることはありません」
お茶を飲んだペシュティーノは、そっと机の上に青色のリボンを置く。アデーレに、手袋をはずしてその端を手に持つよう言うと、自身も同じようにした。そしてもう片方の手で口元を隠す。
『通信魔法の応用術です。リボンに触れたもの同士にしか、声が届かない仕掛けになっています。……では、頼みというのは殿下たちの教育担当を探すことだけですか?』
アデーレは、頭の中で響くような声に驚いた後に嫌そうな顔をしてみせた。
ペシュティーノに対してはどうしても理性より嫌悪感が先に走るらしい。
『ええ、差し迫った最も大きな問題はそれ。それだけでもどうにかしてくれれば私も動きやすくなりますわ。……クラレンツは勉強が苦手で剣術学校への入学すら渋っている状況よ。領主令息がどの学校にも行っていないなんて、外聞が悪すぎる。それに、入学したとしても遅れを取り戻すのは辛いはずよ。このまま変わらなければあの子に領主の器がないことは母親である私がよくわかっています。けれど、それを家臣から突きつけられるのは我慢ならないの』
ペシュティーノは考え込んだかと思うと、ハッとなにかに気づいたように中空を見た。アデーレもつられてそちらを見るが、何もない。
『何か懸念でも?』
『あ、いえ。なんでもありません。後ろの侍女は、3人ともゼーネフェルダーから連れてきた者ですか?』
『ええ、そうよ。彼女たちの裏切りは考えにくいわ』
アデーレが即答すると、ペシュティーノは困惑する。
『……なによ、まさか』
『振り向かないで下さいね。一番左の赤髪の女性は貴族派に情報を流しているようです。ですがここで唐突に解雇するのは悪手です。手元において、情報操作に利用を』
アデーレは落胆も驚きも見せず、静かにうなずく。
信用しきっていた侍女が間諜だったと知らされたのに、さすが貴族夫人だけあって冷静だとペシュティーノは感心した。すぐに信じたということは、おそらく何かしら疑念があったのだろう。それよりも……。
(でね、でね、そいつらは主の長兄を操っちゃおうって思ってるみたいでぇ)
(首謀者の男爵は亡き第一夫人への慕情があるようですね。アデーレのことは蛇蝎のごとく嫌っていますが、主の父が大事にしているため手を出すつもりはないようです)
ペシュティーノの目にはおしゃべりな緑色の鳥と、ブツブツと呟く水の魚が見えている。アデーレには見えても聞こえてもいないようだ。そんな状況に自分がなるとは思っておらず面食らった。ケイトリヒはこんな状況だったのか、とようやく思い知ったのだった。
お互いに青いリボンを手放し、アデーレは侍女に手袋をつけてもらう。
「当面は、クラレンツとカーリンゼンをケイトリヒ殿下の授業に同席させてもらう形でお願いできるかしら?」
「えっ、ああ、いえ……同席は全く構わないのですが。ちょっと……ケイトリヒ様は、今は私でも難解なほどの専門知識を学んでいますので一部の授業であればそのようにいたしましょう」
「そんなに進んでいるの?」
「ええ、私の専門分野である魔術や魔法陣でも魔導学院では5年生で習う授業をやっています。調合学に至ってはS級冒険者が教師ですので、私でも学んでいない実践的な調合薬を難なく調合してみせるので……こちらはこちらで、教師が間に合わないのです」
アデーレは歴然として開いてしまった学力差に今度こそ落胆の色を隠せなかった。
「いえ、でも年相応の分野もあるのですよ。社会学や世界史、帝国史などがそうです。あとは芸術系も……微妙ですかね」
ペシュティーノは慌てて付け足したが、クラレンツとカーリンゼンは識字も怪しいという成績だったので何の慰めにもならなかった。
「世界史と帝国史が苦手だなんて言えるほどすらも、歴史を学んでないのよウチの子は」
「荒療治になりますが……ケイトリヒ様におふたかたの教師をしてもらう……というのは如何ですか? カーリンゼン殿下はごく自然に受け入れそうですがクラレンツ殿下は負けん気もあるでしょうし、刺激になるかもしれませんよ」
「!! よろしいの? それって、素晴らしい提案ですわ。ケイトリヒ殿下の復習にもなりますわよね」
何よりケイトリヒが教師となれば、貴族派ごときに妨害できる相手ではない。
年下の弟に勉学を教わるなど、外聞は当然よくない。だが教育が遅れて外部に無能っぷりを晒すよりはよっぽどマシであるとアデーレは値踏みしたのだろう。
「お二方へのご説明は、アデーレ様からしっかりお願いしますね。もし一定の学力ラインに達したら、教師を変えてあげるという目標があるといいかもしれません」
「貴方には頭が上がらなくなってしまうわ、忌々しいこと。でもラウプフォーゲルの安寧のためだもの、私はいくらでも我慢できます。クラレンツたちもその覚悟を持ってもらわないといけない年頃になりましたもの。……では、費用面について詰めましょうか」
アデーレは侍女の裏切りのことなど聞いてもいないかのように自然に振る舞っている。
ペシュティーノは母親のたくましさを痛感した時間だった。
「なに、クラレンツとカーリンゼンの教師を、ケイトリヒが?」
ペシュティーノが領主ザムエルに報告に行くと、反応はいまいち良くない。
それも当然だ。クラレンツとカーリンゼンの教育が遅れています、と内外に公言するようなものなのだから。
「ケイトリヒ様が今学んでらっしゃることにおふたりの殿下が同席しても、進行度が違いすぎて挫折してしまう可能性があります。ケイトリヒ様が単身で教鞭をとるのも殿下たちの反発心を刺激してしまいますので、総合学科のデリウス先生の補助という形でお願いしようかと考えております」
ペシュティーノの言葉を聞いて、ザムエルもふむ、と納得した。
「そうか、そういう体裁ならば別段おかしくはないだろう。クラレンツは鼻っ柱の強い性格だ、ケイトリヒをやり込めるかもしれんぞ」
「ご心配には及びません。その点に関してはケイトリヒ様も負けておりませんよ」
ケイトリヒが強いのは鼻っ柱ではなく、魂が大人というだけあって論理的思考と豊富で巧みな語彙力を駆使した「口」撃なのだが。それに子ども特有の無邪気さの皮を被せて繰り出してくるので、大人でもタジタジになる姿を何度も見てきた。
まあ気が強いと一言で要約しても問題はないだろう。子どもだとナメてかかると、知識人でも痛い目に遭うということは内緒にしておく。
「ほう? それは意外だな。賢くて大人しく従順、というイメージだが」
「不必要なカドを立てないだけです。子どもにありがちな、理解が足らず反発するようなことが少ないですから。必要と判断した際はしっかり考えた上で反論しますし、通すべき意見はそうそう曲げません。しっかりとファッシュの血筋をお持ちでいらっしゃいます」
ザムエルはそれを聞いて「そうかそうか」と嬉しそうに笑った。
「だが……アデーレが其方にそれを相談したということは、やはり何者かから妨害が入っていたということか?」
「左様にございます」
「……ペシュティーノ、其方の報告によればケイトリヒの精霊たちは諜報活動も得意だそうだな。何か掴んでいるのではないか」
「何かも何も、明確に人物名からその理由、他のつながりまで事細かに報告してくださいました。が、精霊様の見る世界を我々ヒトの理に当てはめれば、証拠不十分としか申し上げられず」
「私ができることは、ないということか」
「今はまだ。しかし、確たる証拠を掴めましたらば必ずやご報告差し上げます」
「うむ、そこは心配しておらん。だがその罪をどこまで問うのかは悩ましい問題だな。アデーレは叛逆などと申していたが、クラレンツを排しながらもアロイジウスのことは擁立しておる。そう考えると一概に叛逆とは言えぬ」
「……」
すでに人物を特定しているようなザムエルの口ぶり。
クラレンツとカーリンゼンの教育を妨げる人物が、ラウプフォーゲルへの忠誠を疑われるかと言うとそうではない。そう言っているようなものだ。
言うなればアデーレこそが、王子の後見人として政治的に力不足だということだ。
「しかし、其方に助力を求めたのはさすがだ。アデーレは鼻が利く。私はアデーレのあの強かさに惚れたのだ、このままみすみす息子たちを堕落させはしまい」
「クラレンツ殿下は10歳、カーリンゼン殿下も9歳。まだまだ遅きに失するという時期ではございません。私とケイトリヒ様が介入する以上、1年後の入学時期までにキッチリと仕上げてご覧に入れます」
「うむ。ああ、ついでと言ってはなんだがその件で其方の意見を聞きたいのだが……クラレンツを入れる学校だがな、ケイトリヒと同じ魔導学院にと思っているのだ、どうだ」
「……はっ……?」
ペシュティーノはたっぷり5秒ほどフリーズした。
「其方、首席卒業なのだろう。どう思う」
「ええ、あの、そうですね……いえ、どうでしょう。クラレンツ殿下は、多少なりとも魔導や魔法にご興味がおありでいらっしゃるのでしょうか」
「知らぬ。アロイジウスと同じラウプフォーゲル城下町の剣術学校を考えておったが、あの体だ。体格は同年代の子よりも随分と発育がいいが、剣術学校の運動量についていけるとは思えぬ。アロイジウスは座学の成績は上の下といったところだが、剣術はなかなかの腕前だ。比べられては不憫であろう」
「それは相手がケイトリヒ様になっても同じなのでは」
「ケイトリヒはもう既に突出しておる。魔力だけで言えば宮廷魔導士をはるかに上回るとまで言われておるのだ、今更クラレンツが張り合う相手でもなかろう。アロイジウスを相手にすれば、才能の差が近しいだけに要らぬ確執を生みそうでな」
「なるほど」
ペシュティーノは魔導学院のカリキュラムを思い出し、なんとかクラレンツに見合ったものがないか考えてみるが、あまりしっくりこない。
「……魔導学院の履修学科は寮ごとに決められております。ケイトリヒ様は私と違って領主令息、さらには小領主なので特別寮と決まっていますが……私が所属していたのは魔導を学ぶ専門の寮でございまして。他の寮にどのような学科があるかくらいは存じておりますが、その内容まではわかりかねます。一度、クラレンツ殿下とお話をしてみて意見を申し上げてもよろしいでしょうか?」
「そうか。ならば此度の皇帝謁見の後、クラレンツとカーリンゼンを呼び出して魔導学院の様子を見てみるか?」
ペシュティーノは悩んでいた顔をパッと上げる。そんなことがまかり通るのは、他をおいても公爵家、さらにはラウプフォーゲル領主以外に存在しない。
その名目であれば、ケイトリヒにも将来的に入学する学院を事前に見ることができる。
「そうですね、保安上の問題がなければ是非お願い申し上げます」
「よろしい。では日程に入れておこう」
ザムエルもどこか嬉しそうだ。
その様子を見て、ペシュティーノはふと不安を覚えた。
クラレンツとカーリンゼンとケイトリヒ。アロイジウス以外の3人が結託するとなると、アロイジウスを擁護する貴族派が妨害に走るのではないか。
いや、それ以上に……。
「差し支えなければですが、アロイジウス殿下もお誘いになっては如何でしょうか」
「何故だ?」
「いえ、ご兄弟のうち1人だけ別というのはお寂しいかと存じまして」
「……ふむ? まあ聞いてみよう」
きっと、ケイトリヒならばそう思うだろう。
そう考えたペシュティーノは、兄たちと入学予定の学舎を楽しそうに見学する姿を想像して穏やかに笑った。




