3章_0043話_ラウプフォーゲル城、帰還 1
トリュー新型機の機体は精霊に任せるとして、プログラム系……つまり魔法陣設計は俺の仕事だ。
「魔法陣設計となると、我の出番にございますね」
「本体のほうもやるけど、魔法陣にも僕が関わったほうが良さそうだね。世界記憶にアクセスできるのは、僕とウィオラだけだからさ」
魔法陣設計の補助は、ウィオラとジオールがやることに。
もともと精霊はヒトの発明品である魔法陣にはあまり精通していないのだけれど、世界記憶……つまり竜脈と通じて、過去のヒトの記憶全てを駆使して補助してくれる。
ネットで公開されてるオープンソースを検索できるレベルじゃない。
名だたるIT企業が作った過去のプログラム全てを閲覧できるレベルだ。
CADくんを使ってみっちり3日間。
「水平維持はこの記号だけでできるの?」
「うん! この記号を、こっちの高度計の魔法陣と繋げて……」
「空撮機能の魔法陣にも同調させましょう」
「だったらやっぱり動力系から切り離して、制御系にまとめたほうがよさそう」
「そうするとこの式は連結させたほうが安全性が高くなるね、うん、修正しよう」
「主、空撮で得た地理情報を処理して画像化する魔法陣を組みましたのでご確認お願い致します」
新型トリューの魔法陣は、動力、制御、計器、通信など、部門別に13の全体魔法陣を持つ超複雑な魔法陣として組み上がった。それぞれ最低でも10層、最高で33層あるので単体魔法陣の数は200を超える。
「ペシュ、たたき台できた! 理論上の試運転は一応成功してるけど、機体に入れてみて軽く作動させたいんだ。精霊の方の機体もあらかたできてるみたいだし、いいかな?」
「お待ち下さい。念のため私が確認……」
そこまで言って、CADくんで組まれた魔法陣のホログラムを2、3度見する。
「これは……複合魔法陣ではないですか……この、この魔法陣を、ケイトリヒ様が1人で……!?」
「ウィオラとジオールにも手伝ってもらったよ」
「とはいえ」
そう呟いたまま、ペシュティーノはフリーズしてしまった。
重なった魔法陣の層が塔のように堆く連なり、13個の柱のようになった魔法陣をしげしげと眺めて大きなため息をついた。なんか最近ペシュティーノため息つきすぎじゃない?
「私一人で見るのは……無理ですね。ええ、ケイトリヒ様の言う通りもう機体に入れてしまいましょう。それでいいです。もうやってみましょう」
ため息からのなげやり!
「その前に、衣装合わせがしたいとディアナから連絡が来ています」
「うっ……あ、あとじゃだめ?」
「今回は2着だけですので、サッと済ませてしまってはどうですか」
「衣装室に入ったら絶対2着じゃすまないもん!」
案の定、2着では済まなかった。
ユヴァフローテツでしか採れない「水マユ」なる繊維から作られた服の試作品と称して、5着くらいフィッティングした時点でギブアップ。
これもユヴァフローテツの研究者が生んだもので街の独自産業になりそう。
「よーし、じゃあ、『刻印』!」
CADくんの上に浮かんだ魔法陣ホログラムの13の塔が、まるで幽体離脱するようにユラっと輪郭を歪ませてシュルシュルとトリューの機体に入っていく。
トリューの機体は、精霊が作ってくれた戦闘機型。
前世の戦闘機よりたぶんだいぶ小さいと思う。ちょっと縦に長いけど、三輪バイクくらいの質量感だ。ところどころファンシーな装飾があって戦闘機ならではカッコよさは半減してるけど、優雅なデザインといえなくもない。異世界人が見ても戦闘機がベースとはわからないだろう。遠目に見たら巨大な鳥に見える。
レオに聞いた爆撃機の話とかは一体どこに活かされているんだろうか。
というか、トリューの飛行に必須のハズだった緑色の毛……ザザムクの毛はどこに?
これは父上が喜びそうなデザインだ。色はもちろん真っ白。白鷲そのままじゃん。
「毛がない?」
「あれは飛行成分を抽出して機体に効率的に取り入れてあります。毛のままのフォルムである必要はないですよね?」
たしかに、飛行に毛は必要ない。
シュルシュルと吸い込まれていく魔法陣を見届けて、いざ、試運転!
機体に近づくと、ふわりと体が浮き上がってコックピット部分に導かれる。
すごい、魔法仕様!
「お待ち下さいッ」
浮かんだ俺を長い指がガシッとホールド。
「ペシュ?」
「ケイトリヒ様自らが試運転に臨まれるなど、容認できません。此度の乗り物は墜落したら確実に命はないくらいの機能です。我々の誰かが……」
「あ、無理無理! これ、市販のチャチなトリューと違って魔石や……宮廷魔術師とか、それくらいの魔力じゃ到底飛ばないから! 主の底なし魔力、前提仕様〜!」
ジオールが、俺を捕まえるペシュティーノの手を引き剥がす。
「主と、随し……ペシュティーノ殿を守るくらいでしたら我々が一緒にいれば十分です。本来、精霊は契約主しか守らないのですがペシュティーノ殿の命を散らしてしまえば主が悲しみますから」
ウィオラがペシュティーノを誘導する。
戦闘機型のコックピットには俺は上から、ペシュティーノは下から乗り込むようだ。
それ大丈夫? 飛んでるときにパカッとか開いたりしないよね!?
ぽてん、と座席に座ると、シートが自動的に俺の頭と肩など、要所をキュッと握るように包んでくる。俺のオーダーのバケットシートだけど、なんか……生き物みたいでちょっと不気味。
「この座面の素材はなんでしょうか……肩、首、腰、膝としっかり包まれていて、体に密着するのに圧迫感がありません。とても安定感がありますね」
「ペシュ、足だしてもいい?」
「はいどうぞ、ああ、こういう体勢になるのですね」
俺の足の間にあるシートの膨らみはペシュティーノの後頭部のシートと一体化している。
そのため俺の足は投げ出すとペシュティーノの肩にかかるようになっている。
「後ろが見えないので、おみ足だけでも触れられるのは安心です」
「足はクサくないよ」
「存じておりますよ、誰がお風呂に入れてるとお思いですか」
ペシュティーノは俺のちっちゃなブーツをスポンと脱がせて、ニーハイソックス越しにふくらはぎをにぎにぎしてくる。あったかくて気持ちいい。
「シールド閉めるよぉー。そしたら操縦桿が出てきてシートベルトが締まるからね、びっくりしないでね」
翼の部分に立っているジオールが俺とペシュティーノを覗き込んで言う。
周囲がフワッと光って、アニメとかでよく聞く謎の効果音「ブゥ……ン」という音がガチでしたかとおもうと、戦闘機のキャノピーさながらのシールドが張られた。
歪みのないガラスのような質感で、手を伸ばすとペタペタと触れられる。
その瞬間、シュルルッ!と体に何かが巻き付いた。
「ウワッ、なに!?」
「こ、これは!? ケイトリヒ様、大丈夫ですか!!」
「だからぁ、シートベルトだってば! ペシュティーノはともかくさぁ、主は知ってるでしょぉ? それに驚かないで、って一応ゆったよね〜」
俺の記憶じゃこんなに勢いよく体に巻き付くようなシートベルトは存在しないからな!
両肩から伸びたベルトがみぞおち辺りで交差し、足の間の膨らんだシートから伸びた1本のベルトと繋がっている。チャイルドシートやジェットコースターなどでよく見る、Y字型のシートベルトだ。ちょっとハズカシイ。
ペシュティーノのほうは、上半身はXで固定され、腰に1本。俺もそっちがいいな!
キョロキョロと見回していると、ミニ精霊型になったジオールとウィオラがペシュティーノの目の前にちょこんと現れた。
「操縦は、ペシュティーノ殿にして頂きます……が、ほとんどすることはありません」
「空の上だから障害物を避ける必要もないし、ほとんど自動で飛べるように調整しておいたからね〜。でも、離陸と着陸のときはそれなりに動かしてもらう必要があるよ」
『ペシュティーノ様、ケイトリヒ様。通信の確認です、外から見る限り問題はなさそうですが、乗り心地はいかがですか?』
外を見ると、少し離れた位置から見守っているガノが杖先を口元にあてている。
「通信状況問題なし。乗り心地は快適ですよ」
『こちらも通信状況問題なし。壮麗な見た目ではございますが、乗り降りのときにケイトリヒ様が無防備になりそうですね。改善の余地がありそうです。では、試運転お願いします。お気をつけて』
ペシュティーノが精霊からなにやら操縦についてレクチャーを受けている。俺もふむふむ聞いていたが、基本操作は飛行機ゲームと大差ないようだ。
操縦桿も、以前の欲張り設計バイク型を見直して戦闘機と同じレバー型にしている。
異世界であれば本来パイロットに求められる緻密な操作や繊細な判断は、ほとんど魔法で補われている。たとえ機体が90度直角に傾いた状態で墜落しても、地面に激突する手前で風魔法が発動して安全に着陸できると豪語している。すごいな。
「では、飛びますよ」
昨今の新型トリュー試作品で飛び慣れているペシュティーノは、あまり緊張した様子もなく飛んだ。
ふわりと垂直に浮き上がったと思ったら、そのままぐんぐん高度を上げていく。
だいぶ高くなったけど、耳抜きする必要もないくらい変わりない。
「随分スムーズに高度を上げますね……さすが精霊様仕様の機体です。どれくらいの高度まで上がればいいでしょうか?」
「とりあえず2万メートルまで上昇しましょうか」
「めーとるとはトリュー独自の測量表現ですか? ああ、この計器には一応従来の単位も書いてありますね……ええっと、2万メートルというと、50リンゲ……ええっ!? そんなに高く!?」
「試運転を一般市民に目撃されては面倒でしょう」
ウィオラのもっともな指摘にペシュティーノが黙る。
『再び、通信テストです。えー、もうこちらからは空の小さな白い点にしか見えません。そちらの状況はいかがですか?』
ガノの声だ。
「通信状況問題なし。いつも空に溶け込んでいたフォーゲル山がキレイに見えます。ユヴァフローテツの湿地がはっきりと目視でき、街は小さな石粒のようです」
『それは、私もこの目で見られるのが楽しみです。ああ、こちらも通信状況問題ありません。引き続きお気をつけて!』
「んじゃ、高高度飛行に入ろうか! 一旦、最高速度出してみよう!」
飛行機のようなジェット音も出さず車のようなエンジン音も出さず、フィーンと不思議な音をたてながら前方向へ加速する。体はガッチリ固定されてるけど、高速移動にあるべき慣性の法則に伴う重力感(G)もない。
「いま、進んでるの?」
「はい。現在は……これは、『じそく』と読むのでしょうか? 初めて見る単位が多いですね。時速1800……2000キロメートルで東へ飛行中です。こちらの単位に直すと……刻速255リンゲ……えっ!?」
ペシュティーノが釘付けになったのはオートマッピング画面だ。
「も、もうラウプフォーゲル城の上空!? いえ、刻速255リンゲであれば不思議はありませんね。ああ、それにこのオートマッピング機能。水面や森林、等高線まで。ここまで正確な地図は見たことがありません。これは……ちょっと、問題ですね」
「音もしないしGもかからないから進んでるのか分かりづらいねえ?」
「主の体に負担になると思って極力カットしてるんだけど、ダメだったぁ?」
「ここまでカットできるんなら、このシートベルトいらなくない……?」
「主が高高度は怖いと仰るので」
今まで跨るタイプのバイク型だったから怖かったけど、ここまで外の情報をシャットアウトした状態でバケットシートにくくりつけられると、なんだか過剰な気がしてきた。
「シートはもう少し改善しよ。だってペシュティーノも特に何もしてないんでしょ? オートマッピング機能が充実して、目的地も自動入力できるようになったら空では寝ててもいいくらいじゃない?」
俺がそういい切る前に、機体がふわりと左へ傾いた。
「ペシュ、どこに向かってるの?」
「このまま東へ行くとハービヒト領に達してしまうので、少し北へ向かいます。いくら御館様のご兄弟の領地といえど、後から不法侵入が露呈するのは良くないですからね」
ペシュティーノの目の前に広がっている半透明のスクリーンには、様々な計器の数字とオートマッピングの画像。ほとんど透明の画面に、段々と地図が描かれていくのが面白い。
「今日でラウプフォーゲル領の地図完成させちゃう?」
「はっ、ケイトリヒ様! めまいや吐き気などはありませんか? このトリューはケイトリヒ様の魔力で動いています、もし枯渇症状などが出てしまったら……」
「ちょっとちょっと、そんな心配があったら僕たちが見逃すわけないでしょ。主にとっては、このトリューの高高度高速飛行でもなーんにも問題ないよ」
「今は肉体の縛りがあるといえど、主は神の権能をお持ちの半神ですよ」
「精霊様、その事実とケイトリヒ様の体調とは別です。ケイトリヒ様、どうなのです? いつもと違う感覚や体調の変化などはありませんか?」
ペシュティーノは心配性だなあ。
「うん、平気だよ。違いといえば……いつもよりなんだか、体がポカポカしてきた気がするような? イヤな感覚じゃないよ、なんだか体中の血行が良くなってる感じ?」
「イヤな感覚ではないとはいえ、過ぎれば体に毒となることもございます。いつもと違うようでしたら、戻りの魔力消費も考えて今回は戻りましょう」
精霊がブーブーと抗議するなかペシュティーノは断固として引かず。
その日はユヴァフローテツから東へ数百キロほどを飛行して戻っただけで終わった。
そして翌日。
俺の体調や様子にさほど影響がないことを念押しして確認すると、側近全員を「並列飛行型トリュー」に乗せて飛行することに。
並列飛行型トリューは、浮馬車と違って自力飛行ができる。
操縦の主導権は乗り手が持ち、見た目は完全に「空飛ぶバイク」なのだが、動力源である魔力の供給は戦闘機型トリューに依存することになる。まあつまり俺の魔力なので正確には自力飛行ではないんだが、飛行機能はあるってことだ。
こちらの機体ももちろん精霊が作ったのだが、見た目だけはユヴァフローテツの技術者たちが作った試作機とフォルムは似ている。ただ、中身と素材は全然違う。
「以前デザインしていた単騎型の新型トリューは側近のためのものだったのですか」
なんてペシュティーノは誤解してたけど、本当は俺とペシュティーノが乗るトリューもバイク型にする予定だったんだ。ただ実際に試作機に乗ってみたら、高いとこ怖すぎ問題が発生したので急遽新しく設計し直しただけで。
5機の並列飛行型トリューを連れて、高度2万メートルを最高時速4400キロメートルほどで飛ぶ。時速1200キロメートルが1マッハだから3.7マッハくらい? 地球の戦闘機でも最高時速3000キロメートル、と言われてたらしいけど、それは理論上の速さであって実際にその速度で飛ぶことはない、とレオが言っていた。よくわからないけどそういうものらしい。車にも最適速度があるみたいな感じかな?
離陸のときはガノとジュンは嬉しそうに、オリンピオとスタンリーは無言で、エグモントは悲鳴を上げながらだったが、10分も飛び続ければ全員慣れてきたみたいだ。
ちなみにギンコはスタンリーの後ろに乗っている。ギンコも無言だ。
そして今日は連続飛行時間の試運転も兼ねて、ラウプフォーゲル領全土のオートマッピングを目指すことに。
ペシュティーノはそれを持って父上に報告に行きたいらしい。
ラウプフォーゲル領の東側を南北に何往復もしながら空撮でオートマッピングしていく。
ペシュティーノにはだんだんと描きあげられていく地図が見えるのだが、側近たちは小一時間もすると集中力が切れてしまったらしい。
「なー王子、もうちょっと低いところ飛べねえかな? こんなに高いと地上の様子もわかんねえし、警戒することはなーんもねえし、俺寝ちゃいそうなんだけど」
ジュンが通信してきた内容はオリンピオが少したしなめるだけ。
他の側近たちも同意見のようだ。
「うーん、高度を下げるのはちょっと危険だからムリ。高度15000メートルにはフォーゲル山もあるし。せめて、みんなにも空撮の映像が見えるようにできないかな……ちょっとまってて」
通信を切って、ウィオラとジオールに相談する。
基本的に母体の戦闘機型トリューでできることは並列飛行型トリューにも共有できるらしいので、やってみることに。
「いま、空撮映像を並列飛行型トリューにも共有したよ。見えるかな?」
高解像度の空撮カメラは常時上からの映像を動画撮影している。並列飛行型トリューに送ったのはその映像の一部で、それぞれでズームしたり視点を移動させたり、Googleの衛星写真のように操作することができる。
「うぉっ! すげえ! なんだよ、そっちじゃこんなハッキリ下が見えてたのかよ! こりゃおもしれえな!」
「おお……街道を行き交う人々まで見えますね。これは面白い。おや、あの馬車は我がバルフォア商会の荷馬車ですね! 木材を運んでいるようです」
ジュンとガノが真っ先に反応した。
「街道だけでなく、草原や荒れ地に視点を向けると魔獣の群れや個体が確認できます。森のすぐそばの川に、金剛甲亀の親子がいますね」
「あれはメーテ川でしょうか。あそこはブレオマン橋ですか! あの辺りは妙に道がくねってると思ってましたが、ああいうふうに曲がってたんですね……」
オリンピオとエグモントも興味深そうに話している。
「あ……アンデッド」
スタンリーのボソリという声に、全員が反応した。
「どこだ!!」
「スタンリー、近くには何が?」
「降下しますか!?」
「規模は!」
「いえ、もう既に数人の、子供?らしき体格のヒトが取り囲んでめった打ちに……あ、動かなくなったみたいです」
ペシュティーノがジオールに言われるまま何やら操作して、スタンリーが見ている視点を全員で共有する。オリンピオから「こんなこともできるのですか」と感動する声。
映像では確かに、10代前半くらいの小柄な少年たちが集落から少し離れたところで集まって動かなくなったアンデッドを取り囲んでいる。そのうち2人が集落に向かって走り出したので、きっと大人たちを呼びに行ったのだろう。すぐに大人たちも集まって、動かなくなったアンデッドに火をつけるところまで見届けた。
ラウプフォーゲルの平民、つよい。
アンデッドの顛末を見届けるため少し減速したが、その後はトップスピードで飛び回り、約2時間ほどでラウプフォーゲル全土の地図ができあがった。らしい。
俺は、途中で寝ちゃいました。
――――――――――――
「来たか、ペシュティーノ。今回はどんな驚きの報告があるやら……クラッセン、審議の間を開け」
「承知しました」
執務室に現れたペシュティーノを見るなり、ラウプフォーゲル領主・ザムエルはすぐに立ち上がって指示を出す。ここのところペシュティーノの報告は目まぐるしく様相が変わる上に、とんでもない極秘事項をガンガンとぶっ込んでくるのでザムエルとしては楽しみで仕方ない。
「して、其方がわざわざ城へ来たということはだ。オベリスク建設に水マユ製品の確立、水耕栽培技術に白い塗料。製氷に砂糖などという大陸を揺るがす予備案まで抱えた上で、我が息子ケイトリヒは、今度は一体何をした?」
ザムエルが笑いながら白い革のソファーに身を預けながら聞くと、ペシュティーノは少しこめかみを押さえて手にしていた筒状の紙をテーブルに置き、スルスルと広げる。
「……、……、……!! こ、これは」
テーブルいっぱいに広げられた紙は地図だった。
見慣れたラウプフォーゲルの土地を描いた、線と単色の濃淡だけの地図。
だが、その精度は信じられないほどに緻密。ヒトの手で描くには年単位の時間が必要になるであろう精密さ。
「なんとこれはまさか」
「御館様、もう1点ございます」
再び広げられたのは、絵紙で撮影された風景によく似た……こちらも地図だ。真上からの視点というのは斬新だが鮮やかな色合いで、フォーゲル山の山肌は赤く滾り、ラウプフォーゲル城下町そばの湖は輝くような光を湛えた群青色。
「まて、これはもしや」
「はい。ケイトリヒ様が設計なさった新型トリューが完成しました。そして、試運転を兼ねてケイトリヒ様が考案された『空撮』機能による上空からの精密な絵紙です」
ザムエルは信じられないと言わんばかりに地図に手を触れようとするが、その手にペシュティーノが筒状の拡大鏡を手渡してくる。紙にぴったりとくっつけて覗き込むタイプの拡大鏡だ。
「こちらでご覧ください」
言われるままに拡大鏡を地図に置き、覗き込む。そこには街道を歩く人々や丘の上でくつろぐ魔獣の群れ、森の木々の間を飛び交う鳥までハッキリと見えた。
「なんだ、これは」
「精霊様のお作りになった撮影魔道具と、ケイトリヒ様が設計なさった魔法陣で作られたものです。あまりの精度に今後の『空撮機能』の活用法についてご相談させて頂きたく」
ザムエルが言葉を失う。
無言でたっぷり考えたうえで出てきた言葉は、「ラウプフォーゲル城の上空を飛んで撮影したにも関わらず、誰一人気づかなかったのか」だけだ。
ペシュティーノはその深刻さに、深く頷く。
「それともうひとつ。このラウプフォーゲル領全土の撮影に要した時間は1刻(2時間)です」
「なんだと」
ザムエルは髭に手を当て、揉み込むようにしながら中空で目を泳がせる。
「つまり、この精度の地図を? 地上にいる誰にも知られずに……短期間で、作れるというのか」
「はい。帝都はもとより、共和国、王国、果てはドラッケリュッヘン大陸……その先までも可能と言えるでしょう」
これは、一体どれほどの軍事的価値になるのか。
算出しようとしても計り知れないほどだ。
「待て。撮影に1刻(2時間)、と申したな? では、新型トリューは想定通りの速度が出せたということか」
「はい、想定以上です。最高速度は刻速で約600リンゲ|(約時速4700キロメートル)。風の護りがあるため高度は上空50リンゲ(2万メートル)まで上昇可能で、ほぼ無音です。そしてそれは側近が乗る5機の並列飛行型トリューを伴った状態です」
ひとつだけ難がある、と付け加えたペシュティーノに、ザムエルが身を乗り出す。
「この新型トリューは、魔力消費量が尋常でないため魔石での駆動は不可能。乗り手には必ずケイトリヒ様を含める必要があります」
「ケイトリヒの膨大な魔力でしか動かせぬというのか。それは大丈夫なのか?」
「撮影の後半は、寝ていらっしゃいました」
「今なんと?」
「眠ってらっしゃいました。膨大な魔力が体を流れ出るのは、気持ちいいそうです」
思考が停止したのか、ザムエルはぼんやりと中空を眺めるだけになってしまった。
ペシュティーノは同じ状態になった経験があるので、黙ったままザムエルの意識が戻るのを待つ。
「……ケイトリヒは……」
再び髭を揉むように動かし、なんとか考えを整理しようとしているザムエルを、ペシュティーノはただじっと待つ。
「……ケイトリヒは、本当に神になるのだな」
「いいえ、どうやら能力だけでは神には到達できないそうです」
ペシュティーノはゆっくりと順を追って、噛みしめるように説明する。
ケイトリヒが世界記憶たる竜脈の意志から聞いた言葉。
神になるために必要な条件、手順、要素。
具体的な方法を聞いて、ザムエルは頭を抱えた。
「それは……つまり、クリスタロス大陸統一皇帝であるな」
「やはりそうお考えになりますか」
ペシュティーノとザムエルは顔を見合わせて、同時に特大のため息をついた。
「千年前の、真皇帝の野望をラウプフォーゲルの子であるケイトリヒが受け継ぐとは」
「もう一つ申し上げますと、ケイトリヒ様は全く、微塵にも、神になることも皇帝になることも望んでいらっしゃいません。できればユヴァフローテツで小領主・兼・研究者として一生を終えたいと仰っていました」
「なんということだ……そんなところがクリストフに似るとは」
「私もその望みを聞いて、少し唖然としてしまったのですが……」
「いずれにしても、ケイトリヒは今のまま功績を上げ続ければ必ず皇位継承順位がつく。そしてすぐに上位に食い込むだろう。そうなれば中央貴族の苛烈な敵意にさらされる」
「承知しております。差し出がましいことではございますが、万一中央貴族との正面衝突と相成った場合……」
ザムエルはニヤリと笑った。
「今度は其方が私に覚悟を問うか」
「いえ、これは相談です」
「よい。ここで言葉を濁しても仕方ない。ケイトリヒを巡っては、もはや触りの良い言葉などではとても収集がつかぬ。クラッセン、茶を持て」
ザムエルが少し声を張って言うと、少し間をおいて白いテーブルの上にふわり、と湯気の立つ緋色の茶が2つ現れた。熱さも気にせず一気に飲み干すと、ザムエルはふふん、と笑った。
「其方はシュティーリ育ちであるから存じておろう。ラウプフォーゲルが何を望んで、軍事的に圧倒的に格下であったはずの帝国の軍門に下ったか」
「もちろんです」
「ラウプフォーゲルに代々受け継がれる積年の願いを、我が息子が叶えるやもしれん。これは楽しくなってきたぞ。もはや覚悟などという言葉では表しきれぬ。月並みな言葉になるが、これは希望だ。ラウプフォーゲルの希望の星だ!」
「では」
「いいだろう、ペシュティーノ。誰も聞いていないこの部屋だが、其方に約束し、ここに宣言しよう。私は、ケイトリヒが次期皇帝となるその時が来たらーー」
ラウプフォーゲルの秘密の部屋である審議の間に高らかな声が響く。
それを聞いたのは、ラウプフォーゲルの敵と言われ続けてきたシュティーリ家育ちのペシュティーノだけだった。