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1章_0004話_魔法と世界 1

「ケイトリヒ様、これはどういう……いえ聞いても仕方がないですね」


壊れちゃったペシュティーノは俺がぐったりと寝そべるベッドの周りをウロウロ歩きながら、必死に色々考えているようだけど俺には事態がわからない。

俺は別に疲れてぐったりしているわけじゃない。ペシュティーノが相手してくれないのでヒマすぎて寝転んだだけだ。


「そうだ、ケイトリヒ様ッ! めまいがしたり、倦怠感を覚えたりはしませんか!?」

「んー、全然」


キョトンとした俺を見て、ペシュティーノは再び長考に入ってしまったようだ。

器具を壊したのは多分俺なので申し訳ないけど、どうしてそうなったのかは全然わからない。でも先程と違って、体にはなにか、魔力と呼ばれるものが確かに存在していることが感じられる。肌を風のように、とか骨を音のように、とかは全く感じないけど、確かに存在する。体を巡ってる……と言われると、やっぱり血のような、が一番近いかな?


……たぶん。


「ペシュ、ペシュ。石をにぎったときには何もかんじてなかったけど、いまは魔力がある気がするよ」


「当然です、この世のものに魔力がないはずがありません。しかし……今なんと? 先程まで何も感じていなかった、ですか? 今は在るように感じるのですね?」


ペシュティーノはちょっとおバカになってしまったかのように俺の言葉を繰り返してゆっくり理解するとふむ、と言って再びガラスのような透明の石を台座ごと俺に差し出してきた。


「では、試してみましょう。もう一度石を手にとってください」

「ふぁい」


小さなお手々を伸ばして、台座の石を握ろう……として指が触れた瞬間、石は一瞬で完全な不透明の白色に変わって「ビシッ」と音を立てて割れた。

そして更に、割れた石は一瞬で白い砂に変わり、ドライアイスのようにふわりと小さな粒子になって完全に消えてしまった。


「……………………………………………………えぇ……?」


聞いたことのない情けない声に、思わず笑ってしまいそうになったけどペシュティーノのほうは真剣にわけがわからない状態のようだ。笑えない。


「白……そんなはずは……しかし魔力は確かに……先程のは一体……」


その場にへたり込んで頭を抱えること2、3分。

ガバッと顔を上げて、気を取り直したようだ。


「予定変更です、ケイトリヒ様。実際に魔法を使ってみましょう」

「わあい、やったー!」


ペシュティーノは腰のあたりからスッと指揮棒のような杖を抜いて、その先にボソボソと何かを話しかけ、もう片方の手で耳を押さえている。

通信の魔法かな? そんな便利なものもあるんだ。使ってるの初めて見た。


「……ケイトリヒ様、魔導訓練場の使用許可が下りました。外へ出かける準備をして、参りましょう」


「おそと!?」

「お外です」


お部屋とバルコニー以外に出るのは初めてだ。

ウキウキしていたけど、ペシュティーノが服装について悩み始めて俺のウキウキはだんだんと萎んできた。


「魔導訓練場にはラウプフォーゲルの騎士隊や専属魔術師などもいますから……このシャツは……ダメですね。こっちは……うーん、季節に合いません……くう、お召し物が全くありません! ミーナ! ミーナはいますか!」


ペシュティーノの叫び声を初めて聞いた。

実はかなり声が通るタイプみたい。


どこからかパタパタと音を立てて、ミーナが慌てて部屋に駆け込んできた。

「ペシュティーノ様、どうなさいましたっ!」

「緊急事態です。これから魔導訓練場にケイトリヒ様をお連れします」


「えええっ! お外に出る用のお召し物なんて、ありませんよ!」

「それでもすぐに、確認せねばなりません! どうにか見繕って、騎士たちに見られてもいいようにお着替えを!」


「は、はいっ! お、お待ち下さい! 新緑の離宮に言って、少し相談してきます! ララとカンナにも伝えて構いませんね!?」

「構いません、この緊急事態を乗り越えられるならば」


ミーナとペシュティーノは顔を見合わせてウムと頷きあうと、ミーナは風のように部屋を駆け出し、ペシュティーノは俺をほったらかしにして杖先にブツブツ話しかける作業に没頭してしまった。


事態がよく飲み込めないけど、俺にできることはなさそうなので寝ておこう。



――――――――――



ケイトリヒが状況把握を諦めて眠った頃。


ペシュティーノは城内では数少ない知り合いに、乳児サイズの立派な服がないかを打診していた。

ミーナは風のように駆け回り、なるべく身分の高い貴族の官吏などに小さな服がないかを聞いて回っていた。

緊急事態を聞いたララとカンナ……もうひとりのケイトリヒ付きのメイドもまた、心当たり全てに突撃するほど慌てていた。


そして……。


「ペシュティーノ様、こちらはどうでしょう!!」

ケイトリヒ付きのメイドの一人、カンナが持ってきた服は大人の正装を真似たような豪華な、それでいてミニチュアサイズのサーコート。それに小さなサイズのベルトに、飾り刺繍が丁寧に施された小さなブーツまで。


「これは……ケイトリヒ様のサイズにぴったりではありませんか! 一体どこで、このようなものを!?」


カンナは少し言い淀んだが、隠しても仕方ないとばかりにもじもじと打ち明ける。


「それは……あの、城のお針子が練習用に作る、ミニチュアドール用の洋服……です」


その場にいたカンナとララとミーナ、そしてペシュティーノは顔を見合わせたが、背に腹はかえられないとばかりに厳しい顔で頷きあうだけだった。



――――――――――



「ケイトリヒ様、お召し替えをしますよ。起きてください」


目を覚ますと、ペシュティーノとミーナとララと……あと、たしかカンナ。いつものメイド3人が揃って俺を起こしてくれた。勢揃いっぷりにびっくり。お外に出るのがこんなに大事になるとは思っていなかった。


「サーコートがしっかりしているので中のシャツは大きめでも問題ありませんね」

「こちらのシャツのカフスはあまりにも流行遅れです! ああ、おそらくクリストフ様が子供の頃のものですね……ペシュティーノ様のそちらをお借りしても?」

「このマントは定番の型なので、少し肩口で丈上げすれば使えそうです! ハッ!! ……ペシュティーノ様、ケイトリヒ様のお着替えは我々に任せて、ペシュティーノ様もお着替えください!」


自分の服装をパッと見たペシュティーノが慌てて自室へ向かった。

女性3人のメイドがきゃいきゃい言いながら俺を着飾ってくれるんだが……疲れる……。


やがて満足したのか、着替えたペシュティーノを含めた4人が感慨深そうに俺を少し遠くからじっくり見つめる。俺は疲れ切って背中が丸くなっていたが、無理矢理姿勢を正される。厳しい。


「ブーツがぴったりとは……驚きです」

「想定以上に立派になりましたね」

「このまま式典にも出れそうなくらい立派です」

「お針子見習いには感謝ですね」


口々に感想を述べあって、顔を見合わせてウンウンと頷いている。

なんだか戦場を共にしたみたいな雰囲気、やめてもらっていいですか?


そしていざ、魔導訓練場に向かう頃には陽が少しかたむき始めていた。


俺は妙に立派な服を着て、いつもよりやや堅苦しい服装のペシュティーノに抱っこされた状態で西の離宮から出る。


後ろには3人のメイドが控え、小さな隊列のように足並みをそろえて歩く。

領主子息が外に顔を出すって、こんなに大変なんだな……。


道すがら出会う執事やメイド、衛兵のなかには、声を上げて「なんと可愛らしい王子でしょうか!」と叫ぶものまでいたくらいだ。ペシュティーノもメイドも満足そう。

そういうことか。このためか。なるほどな。


本城と西の離宮をつなぐピロティから本城を横切って庭園を抜け、馬場を一瞥して魔導訓練場に着くと、総重量100キロはありそうな重鎧を着た巨人のような騎士と、ローブのような服装と腕に何か変な装飾を付けた意地悪そうな痩せ細ったおじさんが立っていた。


「突然魔導訓練場を使いたいなどと、わがまま王子に振り回されて大変ですねえ?」


意地悪そうなおじさんが口の端でニヤニヤ笑いながら言う。なにこのひと、感じ悪い……と思い至る前に素早く隣の騎士が突然その襟首を掴んで持ち上げた。


「貴様、ラウプフォーゲルの星たる領主閣下のご令息に対し何たる不敬! このままそこの武器庫に投げ入れてやろうか!!」

ド迫力の怒声。ニヤニヤおじさんは襟首を掴まれたまま、慌てて敬礼の姿勢をとった。

……なんか吊るし上げられてよくわからないけどたぶん、敬礼なんだと思う。


「だだだ、だいよっ、ケイトリヒ第4王子殿下にごっ、ご挨拶申し上げます!」

「それでいい……失礼しました。騎士隊長ナイジェルが、ラウプフォーゲルの星たる領主閣下の御子、ケイトリヒ第4王子殿下に不朽の忠誠と我が剣を捧げます。魔術師の輩はどうにも忠義が薄く、大変なご無礼を。しかしこれを機に、私、騎士隊長ナイジェルが直々に指導し直しますので、どうか今はお許しを」


重鎧の騎士は俺に向かって跪き、剣を地面に刺して頭を下げる。

……領主の息子、というだけでこんなに重い忠義を捧げられるものなのか。


「(ケイトリヒ様、ご挨拶を)」

ペシュティーノが耳元で囁いてようやく我に返る。俺は、その領主の息子ケイトリヒだ。


「きしたいちょーナイジェル、父への忠誠に礼を。しそくたるぼ……わ、私に、かわらぬれーせつに返礼を」


事前にこういう挨拶をされるので、こう返せとペシュティーノに道すがら言われていたことを、大体淀みなく言えた。……だいたい。


儀礼的な挨拶を一通り終わらせ、魔導訓練場に入ると、想像以上の観衆がいた。

正しくは観衆ではなく、騎士隊や魔術師らしき人物なのだが、第4王子が突然訓練場を使いたいと言ってきたらしい、みたいな噂を聞きつけて集まったのだ。

と、騎士隊長ナイジェルがオブラートに包んだ感じで説明してくれた。


興味半分、冷やかし半分といったところだろう。

だが、場内の雰囲気は刺々しいものではなかった。


なんとなく気になって辺りを見回すと、不思議と観衆の「気配」のようなものがわかる。


「あの子が母親に殺されかけた子か、可哀想に」

「あんな小さな体では領主様からも見放されるにちがいない、可哀想に」

「6歳であの体では、将来も騎士は無理だ。たとえ魔力が高くても、ラウプフォーゲルから魔術師を目指すなんて無謀過ぎる。可哀想に」


言葉として聞こえたわけではないが、ざっくりした観衆全体の「総意」のようなものが感じられた。だいぶ可哀想がられてるっぽい。まあ、別にいいけど。キニシナイ。


メイドの3人は訓練場の外で待機。

ペシュティーノは俺を抱っこしたまま訓練場のど真ん中へ向かう。

訓練場は、ただの壁で囲まれただけの広場みたいな場所だ。都市部の運動場みたいなイメージだろうか。地面は石畳と土の部分で分かれていて、天井はない。壁は城壁のように階段があって、二階と三階があるみたい。そこに騎士や魔術師がちらほらとたむろしてこちらを見ている。


「ケイトリヒ様、ここで魔法の練習をします。平気ですか?」

「うん」


「では、生活魔法の基本練習です。生活魔法は、ほとんどの場合で杖を使いません。ケイトリヒ様も、杖を使わずにやってみましょう」

「はーい」


石畳にちょこんと立たされ、ペシュティーノは屈んで後ろから俺を抱き込むように俺を支え、耳元でまあまあ大きな声で指導してくる。


「手をかざして……先程、魔力の流れを感じると仰ってましたね。それをほんの少しだけ手の先から出して、水を出してみましょう。水差しを傾けるように……生活魔法の基本、水属性魔法の水生成(ウォータ)です」


在ると信じれば在るようなものなのだから念じればいいんだろう。

手のひらが水差しの口だとして、それを傾けるように。


水平にした手のひらをちょっと傾けると勢いよく水がこぼれた。

すごい、本当に魔法って魔法みたいに使えるんだ!


観衆は「おおっ」と声が上がり、ペシュティーノが慌てる。


「ケイトリヒ様、そのまま止めて。もう水差しは空です、手はそのままで止めてみてください」


ペシュティーノに言われたとおり、空の水差しを想像したら、ピタリと水が止まった。

再び観衆から「おおっ」と声が上がる。

聞こえても構わないというように、「筋がいいぞ」とか、「6歳であのコントロールは素晴らしい」とか、「さすがファッシュの子だ」なんて声が聞こえてくる。

ちょっといい気分だ。濡れたお手々をじっと見つめるけど、本当に普通の水。

ぺっぺっ、と水気を切るように手を振る。


「ケイトリヒ様、気分が悪くなったり、目眩がしたりしませんか?」

「平気だよ」


「では次は風属性魔法。声や音は風にのって届きます。遠くの音を、聞きたいものだけ選んで……呪文は音選(トーンズィーヴ)です」

音選(トーンズィーヴ)


俺が呟くと、訓練場の城壁になっている壁の上の見張り塔の部分に立っている2人の兵士の会話がすぐ側で会話しているかのように聞こえてきた。

不思議。距離にすると50〜100メートルほど離れていて、さらにかなり高い位置にいてボソボソと話しているだけなので、当然普通ならば聞こえないはずなのに。


「あれが第4王子かー、ちっちゃいなー」

「俺の姉さんがこの前子供産んだんだけどさ。生まれたばかりの子と大して変わんないよな、あの小ささ……いや、側近の金髪がでかいだけかもしんねえ」

「いやそんなわけねえだろ。っつうか真っ白だな。髪の毛ふわふわしてる〜」

「撫でてえ〜。子供っていい匂いすんだよな〜」


「ケイトリヒ様、どうですか?」

「あそこの見張り塔の兵士が、僕の白いふわふわ頭を撫でたいって」


「ちょっと失礼します」

ペシュティーノは俺に耳をふさぐように促して立ち上がる。


「……拡声(レルム)。あー、そこの見張り塔の2人。たった今、ケイトリヒ様の白いふわふわ頭を撫でてみたいと話しましたか?」


魔法で拡声された訓練場中に響く声でペシュティーノが冷静に聞くと、驚いた見張り塔の兵士2人が飛び上がって慌てて敬礼する。


「すっすみません! おっしゃるとおり、真っ白なふわふわ髪の毛と私が申しました!」

「な、撫でたいと申しましたのは私です!! 大変失礼しましたー!!」


訓練場が、笑いに包まれる。

拡声、はレルム、ね。おっけ。ペシュティーノのマネをして、手を喉に当てて……。


拡声(レルム)! なでても、いいよー!」

俺の甲高い声が拡声されて響くと、再び訓練場が爆笑に包まれた。


「ケイトリヒ様ッ、これは生活魔法ではありません」

「えー? でも使えたね!」


爆笑の観衆の中から、笑っていない人々が目についた。

入り口で不敬をはたらいた意地悪なおじさんと同じ服装をした一団だ。

どうやら彼らは魔術師みたい。俺の魔法が気に食わないんだろうか。

たったいま覚えた音選(トーンズィーヴ)で聞いたろか。


「生活魔法とはいえ、あの年齢で初見で簡単に使ってみせるとは……逸材ですぞ」

「第4王子は魔術師になるやもしれませんな」

「しかしあの小さな体で、先程はあのような勢いの良い水を出してみせた……そろそろ魔力切れになってもおかしくありません」

「ラウプフォーゲル生まれの魔術師か……面倒だな」


えっ、面倒なの? 歓迎されるのかと思ってたけど。もしかして既得権益みたいな話?

王子が魔術に詳しくなったら、俺たち魔術師が好きなようにできない〜みたいな話だろうか。だとしたら……俺のほうが面倒だよ。


「最後です、ケイトリヒ様。指先から、蝋燭の火程度の炎を生み出す魔法。これは力加減を間違えると危ないので、慎重に。まずは私がお手本をお見せしますね。火属性魔法、着火(ブラットフォイア)


ペシュティーノが伸ばした手の指先から、ポウときれいなしずく型の火が生まれる。ローソクの火みたい。それをポイと投げると、少し先に火だけが落ちて少しの間燃えていたけど、すぐに消えた。


「この魔法で生み出す火はごく普通の火です。指先に長く乗せていれば当然、火傷しますのですぐに投げ捨ててください」

「えー、こわい」


それなら指先で燃やさず、指を向けた先が燃えるような呪文にすればいいのに。

着火(ブラットフォイア)の「ブラット」って、確かドイツ語では「葉っぱ」だ。

火を物体のように扱ってるからそういう魔法しかできないんじゃない?


俺はうーんと考えると、別の魔法を思いつく。

ペシュティーノのお手本と同じように腕を伸ばすが、人差し指を向けた方向に火が上がるように……。


点火(プンクトフォイア)


指からだいぶ離れた地面にポワッ、と蝋燭よりも幾分大きな火が上がる。

再び、観衆はわっと沸いた。魔術師たちはしきりに首をかしげている。なんか怖いので会話は聞かないでおこう。


「ケイトリヒ様、今の魔法は? 私が教えたものと違いましたね」

「だって。熱いのやだもん、こわい」


「……そうですか、まあいいです。では試しにもう1つだけ、やってみますか?」

「うん、やってみる!」


「目眩や倦怠感や頭痛は……」

「大丈夫!」


かぶせ気味に答えた俺の返事に、ペシュティーノは苦笑いだ。


「では、ケイトリヒ様が考える、可能な限り大きな炎を。ここにいる人々を怪我させない程度の、大きな炎を出してみてください」

「え。呪文は?」


「魔法でも魔導でもそうですが、呪文は魔力が変化する『概念』を固定するためだけのものです。誰しもが同じ呪文を唱えれば、同じ魔術が使えるわけではないのですよ」

「そうなの? そっかー、じゃあ……」


俺は顎に手を当てて、わざとらしく考え込む仕草で大きな炎を想像する。

炎って、目には見えるけど物体じゃない。現象だ。本来ならば水が無から生まれることがないように、炎だって空中で突然現れることなんてない。

そこに燃料があって、温度があって、酸素があって初めて発現する現象。

でもこの世界にはそういった物理法則は必要ない。

ただ「火を生み出せ」と願えば現れる。


きっとペシュティーノは、この観衆の度肝を抜くような炎を期待してるんじゃないかな。

よし、やってやろうじゃん。


手をかざし、目の前にイメージを描く。

熱を周囲に拡散させすぎないように、中央に集中させて。


火柱(フランメ)


ブワッ、と、目の前が真っ赤に染まる。

巨大な炎の柱が、俺の目の前で竜巻のように渦を描いて燃え上がり、訓練場の城壁を越えて大きく立ち昇った。こんなに巨大な炎の竜巻なのに、近くにいてもちょっと暖かいくらいで熱風はほとんどない。


「け、ケイトリヒ様! もういいです! 消して! 消してください!」

「はあい」


現れたときと同じように、突然火柱は消えた。

観衆だった騎士たち、魔術師たちは、全員あんぐりと口を開けて目を剥いている。


「練習はこれで終わりです。さあ、お部屋に戻りましょうね」

「うん! 楽しかったー!」


ペシュティーノは観衆が呆けているうちに訓練場を逃げるように走り去る。

訓練場の入り口で待機していたメイドたちも、その意志を察したのか行動が早かった。

呼び止めようとした騎士とペシュティーノの間に、メイド3人が体を割り込ませてペシュティーノを逃したのだ。

女性に無体を働けない騎士は慌てて手を引っ込め、俺たちを見送るしかなかった。


早足で城の庭園を抜け、西の離宮へまっしぐら……となるはずが、途中で止まる。


「カンナ、この衣装は城の専属お針子が作ったと仰ってましたね?」

「えっ? はい、そうです」


「今からその方にご挨拶できませんか?」

「ええっ? ええっと、お針子の工房は男子禁制なので、急いで聞いてきます! あっ、でも確かに王子が着ているところを見たら、悶絶しますよ!!」


「それが狙いです。さあ、急いで」

「は……はいっ!!」


カンナはミーナよりも早く、庭園を風のように駆け抜けて近くの離宮へ飛び込んだ。

……メイドってみんな足が速くなる魔法が使えるのかな?


カンナの駆け抜けたあとをゆっくり歩きながら追っていると、彼女はほとんどすぐに戻ってきた。


「お針子長のディアナ様から許可がおりました! 訪問を歓迎するそうです! すごいですね、男性でお針子の工房見学許可が下りたのは御館様と職人を除いてペシュティーノ様が初めてかも知れません!」

「御館様がお針子の工房を見学したことが?」


「なんか、工房の視察は御館様の毎年のギムらしいですよ」

「……御館様も苦労なさってるのですね。ケイトリヒ様、眠くないですか?」

「ん? んー、ちょっと疲れたかも……でもまだ大丈夫」


「素晴らしい。今が最高のコンディションです。参りましょう」

「?」


ペシュティーノはおもむろに片腕のカフスをブチッとちぎり取り「持っていてください」と言ってなぜかミーナに渡した。なんだろ? 作戦?



新緑の離宮は、名前とは全く関係なく城の中で働く使用人たちの離宮だ。

お針子を始めとして鍛冶師や彫金師、絵師など技術職の職人たちを集めた離宮で、居住区とは別に工房が存在する。らしい。


ラウプフォーゲル城でも最大の工房と言われているのがお針子工房。

城で使われるありとあらゆる布製品を手掛ける工房。


離宮の一室にあるその入口は、乙女チックなフレアカーテンと布製の造花、さらに色とりどりの刺繍に彩られていて、男性ならばとてもじゃないがその扉をくぐりたいとは思わない風貌。それはまさに乙女の世界への入り口かのように見える。


俺はだんだん眠くなってきたのでペシュティーノの鎖骨のあたりに頭を預けてグッタリ。そんな俺を、ペシュティーノはおもむろに俺の背中のマントで俺の顔を隠した。

ちょっと暗くなったので、オネムがはかどってしまう……。


「ようこそ、お針子の工房へ。歓迎しますわペシュティーノ殿」


すぐに凛とした女性の声が聞こえてきたので意識が戻る。


「西の離宮、第4王子ケイトリヒ殿下の側近ペシュティーノ・ヒメネスと申します。この度は衣装のお貸出ありがとうございました。せっかくなのでお貸し頂いた方に、ケイトリヒ様の愛らしいお姿を見ていただこうと参じました。突然の訪問のご無礼をお許しください」


あ、そういう理由で来たの?

なんだ、意外と普通の理由。女性の反応を待っていると、ペシュティーノが小声で話しかけてくる。


「ケイトリヒ様、もう少しがんばれますか? ディアナ殿にご挨拶だけしましょうね」


顔を覆っていたマントが除かれて眩しさにめをパチパチ、眠気にむにゃむにゃしているとどういうわけか女性の歓声が上がった。なんだなんだ?


よくわからないままストンと床に降ろされて立つ。床は重厚な板張りだ。


「さっ、ケイトリヒ様。ご挨拶を」


「ケイトリヒですっ。いしょう、ありがとうございました」

ちょこんと頭を下げると、再び女性の歓声。この歓声は一体、何なんだ。


「か、か、かわいいいいい!!!」

「ドールが……ドールが動いてるぅ! お声を出していらっしゃるぅ!!」

「なんてことなの! あんなかわいい生き物がいるなんて!!」

「ああ、私のデザインした服を着せたい……!! いえ、着てくださいお願いします!」

「だめ……ああ、ダメ……! 欲が……創作意欲がわきすぎて手がうずく!!」


ああ、歓声の理由は……俺か。


ちょっと眠すぎて意識がモーローとしているところに、ド迫力の美人が跪いて顔を覗き込んできた。無表情なのに目ヂカラはんぱない感じがド迫力すぎてちょっとびっくりしちゃう。目が覚めた。


「私はお針子長のディアナです。ケイトリヒ王子殿下、抱っこしてもよろしいですか?」

「うんいいよ」


お針子長のディアナは、俺を抱き上げるとちょっと縦に揺れる。

ん〜……やはり女性の抱っこは……どこもかしこも柔らかい!!

特に顎の下に大きくて柔らかくて温かい、ペシュティーノには存在しないクッションが!


前の世界の俺ならばムフフ展開だったはずなのだが、子供の俺にはそんなヨコシマな欲は存在しない。体を包み込むような温かさと柔らかさ。優しい香り。耳に心地よい音。

秒殺だった。



――――――――――――



「なんてことなの! 眠るお姿はまるで妖精じゃありませんか!」

「ああ……絵に残したい。スケッチしてこのお姿を……」

「お手々をご覧になって! ディアナ様の襟をギュッと握って……」

「お体が小さいからここにタックをいれてボリュームを出せば」

「スリーブはビショップかしら、マルムークかしら」

「ケープと合わせてはどう? オフィサーカラーにすれば凛々しさも加えられるわ」


ケイトリヒは眠ってしまったので、ペシュティーノはお針子たちの気が済むまでケイトリヒを愛でさせた。疲れて眠った時は、転がされても起きないので大丈夫。


「もうしばらくしたら暑さも和らぎますから、秋口に合わせてこちらの布を淡い緑に染めて仕立ててはいかがかしら」

「青や緑は寒々しいわ、少し赤みも足しましょう。この赤紫なんてどう?」

「ドレスとはまた違った楽しみがございますわね!」

「タイツはセーリスク(シルク)以外認めませんわ。金糸で刺繍をして……」


ケイトリヒを人形のように抱き上げたり股下を測ったり肩口を測ったりしているお針子たちを尻目に、ペシュティーノがため息をつく。


「困りましたね……お針子の方々がケイトリヒ様をご覧になって創作意欲をかきたてると仰って頂けるのは、光栄ですが……。いかんせんまだ幼い、しかも母たる夫人の庇護を受けられないケイトリヒ様の予算は限られております。お針子衆の方々が作る上等なお召し物を、そんなに何着も発注できません」


ペシュティーノは長い指を額にあて、悩ましげにため息をつく。

骨太で肌も髪も濃い色合いの多いラウプフォーゲルの人々のなかで、ペシュティーノの容姿は年若いお針子から見ても際立っている。淡い金髪、明るいライムグリーンの瞳、スラリと長い手足、スッキリと涼し気な顔立ち。それでいてラウプフォーゲル男にもまさるとも劣らぬ高長身となると、出自を抜きにすれば城の女性たちの間で噂になるのも仕方のないこと。


「まあ、ペシュティーノ殿……この妖精のようなケイトリヒ様が、ボロを着るなんてラウプフォーゲルの威信に関わりますわ。お召し物については私にお任せください」


お針子長、ディアナがキリリと言う。

その言葉に頷きながら、お針子たちも不敵な笑みを浮かべた。


「ケイトリヒ様は小柄ですから」

「御館様のお召し物を作った端切れでも、立派なコートが仕立てられます」

「……ただペシュティーノ殿のお召し物については便宜ははかれませんわね。当然、大人サイズの布が必要になりますから。ケイトリヒ様のお召し物の予算が浮きましたら、ぜひ貴殿についても我が工房で作らせていただきたいものですわ。……袖口のカフスが取れておりますわよ?」


「おや、気づきませんでした。どこかに落としてきたようです」


「あ……ペシュティーノ様、こちらに。ケイトリヒ様を抱っこしたときに落とされたようですが、お急ぎだったので預かっておりました」

「ああ、ありがとう」


ミーナがおずおずとカフスを差し出す。それを見てペシュティーノはお針子たちに見えない角度で、ミーナに向かって満足そうに頷いた。


メイドの3人はすでに気づいていた。

可愛らしい妖精のような王子に感心がないお針子たちは、長身痩躯の子煩悩紳士、ペシュティーノにギラついた目を向けていることに。そしてそのお針子衆は、衣服に気を配れないほど忙しく苦境の美男をなんとかしてあげたいと思ったはずだ、と。


「ペシュティーノ様、策士……」

「男性の色仕掛けなんて初めて見ました。ペシュティーノ様にしかできない芸当ね」

「あら、子供の色仕掛けだって初めてよ。寝てただけですけれど」


新緑の離宮から西の離宮へ戻るあいだ、メイドのミーナ、ララ、カンナはペシュティーノが今回得たものについてコソコソと話し合っていた。


「ミーナ、ララ、カンナ」


「「「はいっ」」」


「ケイトリヒ様はこれから、ご兄弟の中でもひときわ目立つ存在になるでしょう。忙しくなりますよ、覚悟なさい」


メイドたちは顔を見合わせ、嬉しそうに破顔した。


「「「はいっ!!」」」

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[良い点] 再開ありがとうございます! 初めましての兄様登場にこの先どうなるのかと様子を見てしまったのですが、4話目にして登場人物たちの人間味が増していて感想を送りたくなってしまいました。 メイドが以…
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