3章_0039話_楽しいまちづくり 3
オベリスクの建設予定地を見学したのち、開発が著しく遅れている街の西側地帯を視察することになった。
俺はギンコの背中で揺れてるだけなので、体力はぜんぜん余力ありですよ!
ときどきガノとペシュティーノが横からお菓子を口元に差し出してくれるし。
「主要機関や研究施設がほぼ東側に集まっているのには理由があるのです。西側は街区画のギリギリまで湿地が迫っていて地盤が緩いため建設が難しいそうです。さらに漁港と加工場が近いため、風向きによっては臭気が深刻で」
と、ここでタイミングよく魚の生臭いニオイがふわりと鼻をかすめた。
鼻を手で押さえると、ペシュティーノが俺の顔周りに杖を振る。とたんに森の中のような清々しい香りに包まれた。ニオイを感じなくさせる魔法があるの!? 便利!
「スライムは?」
し尿処理につかうスライムは、有機物ならなんでも取り込むんじゃなかったか?
「加工場で出る魚のごみは栄養が豊富すぎてスライムに与えると爆発的に増殖してしまうのです。なので定期的に台地の下の砂漠まで棄てに行っておりますが……それを求めて魔物が集まるため、そろそろ場所を変えなければなりません」
坂道の下に見える加工場は木造の倉庫といった感じで、屋根も壁もボロボロだけれど人の出入りは多く、威勢のいい声が聞こえてきて活気がありそうだ。
「ひと、おおいね?」
「魚の加工場はユヴァフローテツで唯一、市民でない者が出入りする場所です。周囲に柵があるでしょう? 市民登録がなければあの柵を越えることができないようになっています」
水の荒野と呼ばれるこの土地には、ユヴァフローテツの街以外にも湿地のほとりに小さな集落があるそうだ。その集落から船でやってきた村人が、水産物やそのほか村で自作した工芸品や日用品などをユヴァフローテツの街で売る。ユヴァフローテツの街は研究者だけの街かと思いきや、意外にも湿地の民を支える役目を担っているのだ。
「その柵……防御結界の一部のようですが。劣化していますね」
突然、ウィオラが俺のそばに現れて言う。
それを聞いたペシュティーノは少し離れた場所にいたジュンとオリンピオとエグモントになにか合図を出した。
「あちゃあ、入り込んでるね。うーん、ヒトに紛れ込まれた上で隠密を使われると、僕らの探索網では限界があるなあ」
ジオールも現れた。
「ジオール様、人数は」
「2……3、うーん、5? うん、たぶん5」
「隠密の手練がいるようです。……前方右手に斥候2」
ウィオラが呟いたとたん、ペシュティーノが杖を引き抜く。
同時にジュンが前かがみになって駆け出したところまでは見えた。
その後は不明。
ガノが俺を抱きかかえて「館に戻ります」と言って体が浮いた。
気がつくと白の館の玄関ホールで、ガノ以外の側近も精霊も、ギンコもいない。
バタバタとドレスを翻してメイドたちがやってきて、ガノから俺を受け取るとガノは無言で踵を返して館を出ていった。
え、これは……俺は強制排除されてしまったけども、これはもしかして。
敵襲だ!
ってやつですかね?
――――――――――――
「隠密の手練がいるようです。……前方右手に斥候2」
ウィオラのその声が響いた瞬間、ペシュティーノとジュンが動く。
ペシュティーノは、索敵魔法をかけた上で発見した目標に「目印設定」の魔法を。その間、わずか2秒ほど。
ジュンは目印設定される一瞬前からその方向へと駆け出し、設定された瞬間にその人物に肉迫、一太刀で両足の膝下を両断する。傾いだ体が地面に倒れ込む前にその手に持っていた通信の魔道具を蹴り上げ、放り投げられた魔道具をキャッチする。
目印設定の魔法は、対象の位置情報や外見から得られる状況や情報を一瞬で仲間内に知らせる効果を持つ。この場合はペシュティーノが術者で、仲間は側近全員。
ジュンが対象を斬り伏せる数秒前に、ガノはケイトリヒを抱いて緊急用の転移魔法陣を発動し、館へ。絶対防衛ラインであるケイトリヒが安全圏へ移動すれば、側近たちは即座に攻撃体制に入れる。
「ぐッ……!」
訓練された暗殺者なのか、うめき声は小さい。
瞬く間の出来事であったにも関わらず、もう一人の目標は即座に離脱しようと手元の魔法陣を起動しようとしていたところだったようだ。
だが横から現れた巨大な牙にバクリと体を挟まれ、こちらは大げさな悲鳴をあげた。
「ギャアアァ! ヒィッ、なんだこれはァ!! あっ、グッ……ぐふっ」
巨大化したギンコの口に両腕を拘束された状態で挟まれた男は、自分の状況を理解して足掻くのをやめた。鋭い牙は両腕両足を貫いて内臓にまで達し、口からは血が溢れた。
「ギンコ、変なものを食べてはいけません。ペッしなさい」
「承知」
膝から下を失った男も、首に突きつけられた長剣と巨大な銀狼を前に戦意を失った。引き抜こうとしていた武器から手を離し、バタリと倒れ込む。
「残り3人は」
ペシュティーノが短く言うと、戦意を失ってぐったりしていた2人はギクリと身を強張らせた。なぜ明確に3人であることを把握しているのかという驚きと、これから拷問でも始まるのかという恐怖だったが、場違いな明るい声がその空気を払拭する。
「あー、僕らにまかせて! こいつらのおかげで、目星がつけられそう! えーっと、ペシュティーノがやったみたいに目印設定すればいい?」
「ふむ……いえ、残り4人のようです。3人は暗殺者、1人は隠密魔法の専門家ですか」
ジオールとウィオラが魚の加工場に向かって独り言のように呟いているのを聞いて、暗殺者の2人は顔を見合わせる。お互いに深い負傷で脂汗が止まらず、出血のせいか息も荒くなっている。
加工場へはジュンとエグモント、オリンピオが向かった。エグモントとオリンピオの背中はまだ坂道を下っているところだが、ジュンはとっくに加工場の内部に入り込んでいるようだ。ペシュティーノが杖先で彼らに指示を出している。
それをじっと見つめていたスタンリーが、そっと近づく。
「ペシュティーノ様。これはもう始末するのでしょう? まだ生きているうちに試してみたいことがあるのですが、よろしいでしょうか」
「構いませんよ、好きになさい。ですが、何をするつもりです?」
「ウィオラ様いわく、私には主の『権能』の一部が使えるかもしれないとのことです。死ねばその記憶を読み取ることは簡単ですが、生きているものの記憶も読めるようになるかもしれません。主には、精神的な負担が大きいということで精霊様が禁じているようですが、私には適正があると」
「ほう、適正ですか。……スタンリー、やってみるのは構いませんが貴方の負担になるようなら貴方にも禁じますよ」
スタンリーは目礼すると虫の息の暗殺者に視線を落とす。
そこでガノが戻ってきた。
「王子の安全は確保しました」
「ご苦労」
「おや、まだ生きているのですね。残りは加工場に?」
「捨て置いてもいずれ事切れるでしょうが、スタンリーが何か実験をしたいそうです。たったいまジュンが加工場に潜伏していた3人を仕留めました。こちらは即死ですね。いまエグモントとオリンピオが隠密の術者を捕らえましたね。漁師に扮装していたようです」
ペシュティーノは何かが見えているかのように淡々と告げる。
実際に、ウィオラとジオールの補助を受けてペシュティーノはジュンとエグモントとオリンピオの3人の様子がぼんやりわかるようになっている。目印設定魔法の効果もあって、その情報はさらに多い。
事前に彼らに仕込んだ「感覚共有の魔法陣」の効果だ。
ケイトリヒがそれを体験していたらきっと「解像度の低い動画と質の悪い音声、そして元の世界では再現不可能だったニオイと触感が伴った不思議体験」と称しただろう。
精霊の力で不要な情報はカットされているものの、3人の感覚を1人が共有するとなるとかなりの負担だ。
ペシュティーノは隠密の術者が捕縛されたのを確認すると感覚共有を切断し、目頭を揉むように押さえる。
「スタンリー、それは……」
ガノが静かに驚いた声を上げるのでペシュティーノがそちらを振り向く。
そこには、カナリアイエローの左目に不思議な紋様を浮かび上がらせたスタンリーが目を見開いて2人の暗殺者を睨みつけている。彼らはその目に魅入られ、息をすることも忘れているかのように呆けていた。
その瞳に浮かぶ紋様は、たしかにケイトリヒが不思議な御業を使うときに現れるものと似ているが、少し簡略化されているように見える。
「ペシュティーノ様、あの、私はどうすれば」
街を案内してくれていたシュレーマンが巨大化したギンコをチラチラと気にしながら小さくなっているのを、ここにいる全員がすっかり忘れていた。
「ああ、とんだ視察になってしまいましたね。小領主様はもう戻られましたし、今日はこれくらいで切り上げましょう。スタンリー、そちらはどうですか?」
名を呼ばれたスタンリーは、ふうと大きなため息をついて目を閉じた。
同時に、ギンコに噛まれたほうの男が鼻と目と口、そして耳からも血を流して倒れる。やや間をおいて、膝下を切り落とされたほうの男も同様に事切れた。
「……2人同時は、流石に無理しすぎました」
そう言ってその場に崩れ落ちそうになったところを、ガノが受け止める。スタンリーは意識を失うほどではないがだいぶ消耗してしまったようだ。
「加工場の侵入防止柵の魔法陣は、書き換えが必要ですね。いえ、加工場そのものを建て替えたほうがよいかもしれません」
ペシュティーノはメモ帳をとりだして何かを書き込むと、涼しげな顔でそう言った。
――――――――――――
「わー! ギンコ、にいにたべちゃダメー!!」
白の館でおやつを食べていたら、ペシュティーノたちが戻ったと言うので出迎えたところギンコがスタンリーをくわえてたので慌ててしまった。
敵襲だ!とはいえ、敵性勢力はこちらに気づいていないという優勢な状況なのはわかっていたのでリラックスして待ってたのに。そんな場面を見てしまって完全にパニック。
「食べませんよ。スタンリーがどうしてもガノに背負われるのは嫌だというので仕方なくくわてきたのです」
ギンコはスタンリーを口にくわえたまま、流暢に喋る。
そりゃそうか、ギンコの喋りは風魔法で再現された音だものな。
「にいに、けがしたの?」
「少し疲れてしまっただけですよ」
一気に心配顔になった俺に、ガノが代わりに答えてくれる。
「意外にも揺れず快適でした」
ギンコの口からスタッと立ち上がったスタンリーが、淡々と感想を言う。
快適なの!? だいぶ動揺する絵面でしたけども! 元気そうで良かった。
「なにがあったの?」
「報告しますので部屋に戻りましょう。おやつを召し上がったのですか?」
ペシュティーノが俺の口元を指でぐいと拭う。
あ、エクレアのチョコかクリームかついてました?
「ジュンたちは?」
「1人捕らえましたので、地下牢へ」
え、この館の地下には牢屋があるのかい。
「つかまえてどうするの?」
「あまりにも頻度が高いので、何かしらの見せしめに使えないかと思案中です」
ペシュティーノがこわい。
いや、この世界では必要なことなんだろう、きっと、たぶん……。
「あんさつしゃ、みたい」
「ダメです。ちなみに、捕らえたのは暗殺者ではなく雇われの術師です」
ペシュティーノに抱っこされて部屋に戻り、ことのあらましを聞いたけど……暗殺者の5人は即死ですか、そうですか。シビアな世界ですな。
「狙いはペシュティーノ様のようですが、今までに退けられていた雑兵と違い組織だった動きをしていましたし、街全体に巡らせた精霊様の監視の目をかいくぐる術を使ってきたのは初めてのことです」
ガノが言うと、ヒト型になって話を聞いていたアウロラとキュアが目に見えてションボリと落ち込んでしまった。
「今までは荒野や砂漠からの侵入で隠密魔法も使ってなかったし、地元の漁師に紛れるなんて手の込んだこともしてなかったからね。しかしヒトの間に紛れるだけでここまで検知できないなんて、僕たちもうっかりしてたよ」
ジオールがなんの反省の色もない声色で明るく言う。
以前ラウプフォーゲル城で賊に盗聴されそうになったときには、精霊たちの索敵機能は直径1リンゲと聞いた気がしたけど。
「主、我々の索敵で感知できる『敵性因子』は、あくまで主に対してだけのものです」
「え!」
「それで構いません。つまり、今回の暗殺者共はケイトリヒ様に害をなすつもりはなかったということですね?」
「それは私も記憶を見たので、間違いありません。目標はあくまでペシュティーノ様で、ケイトリヒ様についてはむしろ危害を加えてはならないとされていたようです」
「え!? きおくをみたってどういうこと」
「スタンリーはケイトリヒ様の持つ『神の権能』の一部が使えることがわかりました」
ペシュティーノが言うと、ガノとジュンが心配そうにペシュティーノを見る。
それに気づいたペシュティーノが「叩かなくて大丈夫です」と言った。一度染み付いた習慣ってなかなかとれないよね。
「失礼します」
そう言ってジュンとエグモントが部屋に入ってくる。
神と精霊の話はこれからおくちチャックね!
「術者の拘束は」
「新入りのウィオラ殿のおかげで、万全です」
エグモントが答える。
その場にいるエグモント以外が、ウィオラ「殿」と呼んだことに身じろぎしたけど、素性を隠す上ではしかたない。たぶん、ウィオラや他の精霊も俺以外の人間からの呼び方なんて気にしない。
「あのような手練の魔術師を雇用できるとは、ケイトリヒ様は本当に魔力の高い人物に好かれる素質をお持ちなのですね。普通、元冒険者であそこまで高い技術を持つ者は誰かの配下につくなど考えたりしないでしょうに」
エグモントが目をキラキラさせて続ける。こころぐるしいです!
部外者にはウィオラとジオールは元冒険者の魔術師という設定にしてある。
エグモントは部外者じゃないんだけど……まあ仕方ない。
「権力が苦手で、子供好きなだけだよぉ」
ジオールがニコニコと会話に乗ると、エグモントも納得したようだ。ジオール……ほんとヒトらしくなって。
「で、どうする? 術者。キレイに洗脳しちゃって、逆に雇用主に差し向けるって手もあるけど!」
ジオールがニコニコ顔をそのままにエグい提案をしてきたので、エグモントの笑顔が凍った。
「それ、いいですね」
スタンリー。そんな提案に「すごーい」みたいな顔するんじゃありません。
「ふむ、洗脳魔法ですか。魔術省では禁術扱いですが、少し工夫すれば私でも扱えますので報復としては妥当な手段でしょう」
ペシュティーノも乗らないで! おねがいだから!
「見せしめとしちゃあ効果的だな!」
ジュンまで乗っちゃうの!?
エグモントがドン引きしてるよ! 俺はエグモント側だよ!?
ラウプフォーゲル人らしく血みどろには動じないエグモントだけど、こういう精神攻撃系の魔法は恐怖が勝ってしまうらしい。俺はどっちもイヤです。
「見せしめの方法は色々ありますが……その中では比較的、優しいほうですね。恐怖を煽るためのものではなく、単純に警告とするならばその程度で十分でしょう」
ガノも賛成ですか。
でも俺としてはガノの話が一番納得がいく。
領主令息の部屋を盗聴したくらいで斬首される世の中なら、もっとエグい見せしめ方法があるんだろう、きっと。どういうものかは、聞きたくないです。
「しゅぼうしゃは、わかってるんだよね?」
「ええ、そこはケイトリヒ様はお気になさらず。こちらが把握していることをわかっていないようなので、わからせるためにもひと手間かけましょう」
「ちなみに、いちおう、だれなのかきいてもいい?」
「……全て、シュティーリを筆頭とした中央貴族ですよ。トリュー事業の話題は既に中央まで及び、帝国全土を揺るがす大発明としてもてはやされています。シュティーリ以外の中央貴族は、その事業に隙あらば参入したい、あるいはかすめ取りたいと考えてスパイ行為をしているようですね」
「シュティーリだけは、ペシュティーノ様の暗殺が目的なのですね」
ペシュティーノがあえて流そうとした部分を、ガノが改めて話題にした。
「ケイトリヒ様にさえ手を出さなければ大目に見る、などという考えは、甘いと思いませんか? ねえケイトリヒ様?」
ガノがいつもより優しい笑顔で俺に同意を求めてくる。……何か考えてるな?
「うん、おもう。ペシュをねらうのは、僕がゆるさない」
「ですよね、私もそうです。個性豊かな我々側近をまとめる大事な世話役なんですから、何かあったら困ります。そういう意味では、狙いは確かではあるのですが」
絶対なにか考えてる。
ペシュティーノでは思いつかない、なんだかエグい報復を。
「ガノ、みせしめとはべつに、なにかおもいしらせる方法はないかなー?」
「私は政治については明るくありませんので、経済面での報復ではいかがでしょう? 領民や商会ではなく、元締めにのみ痛手がいく方法で。少々時間は要しますが色々と策がございます」
資本主義のはびこる現代地球では経済制裁こそが最も苛烈で平和的|(?)な報復手段だ。いや、場合によっては平和的とは言えないのだけれど、それは制裁された側の問題だ。
まあとにかく地球でそれができるのは、経済的立場が優位な場合に限る。
我らがラウプフォーゲル領と、シュティーリ家のシュヴェーレン領を単純比較した場合、圧倒的にラウプフォーゲルが強い。だが帝都、つまり皇帝とシュヴェーレン領が協力されると当然ながらラウプフォーゲルが劣勢になる。
それでも旧ラウプフォーゲル領が総出となったら、もうあちらに打つ手はない。
まあ、そうなると大事になりすぎて帝国が分裂しちゃうけど。
こちらでは地球よりはもう少し荒っぽいことも許されるし、バレないとなると、たしかにいくらでも手段はあるな。
俺とガノの視線がバッチリと合うと、ガノはこれまたきれいにニッコリ笑った。
その笑顔があまりにも悪びれないので、俺もニヤリと笑う。
「徐々に身動きが取れなくなるような策を、同時に仕掛けましょう」
「いいね」
「ケイトリヒ様……」
「ん?」
困惑気味に俺を見るペシュティーノだけど、キミが自分のことを棚に上げるからガノが動くんだよ? わかってるー?
「なんて悪どいお顔を」
「ひどい」
――――――――――――
某所。
「……『クィーン・ガルム』、『金糸雀の爪』に続いて『クムの枝木』までもが音信不通となったというのか」
昼夜もわからない薄暗い部屋。
フードを目深にかぶった者たちが粗末な机を囲んでいる。
椅子に座る者、少し離れて立ったままの者、それぞれいるが皆、机の上の同じものを見ている。簡素な台座の上に散らばった、透明の玉だったもの。
「安否の魔道具が砕けたということは……『クムの枝木』もまた」
「ああ、死んだ」
「何故だ!? 『クィーン・ガルム』は武闘派だった。名の知れた暗殺者だから見つかるのも無理はないし、そうなったら始末されるのもわかる。だが、後の2つは……」
「『クィーン・ガルム』の定時連絡が途絶えた際に安否がわからないから導入したこの魔道具だが、『金糸雀の爪』のときも割れた。奴らは『クィーン・ガルム』よりもかなり慎重派。毒を使う暗殺者だ、面も割れていない。なのになんの成果も出さないまま、魔道具は割れた」
「『クムの枝木』に至っては暗殺者でもない。諜報専門だ。潜入を得意とし、地元に溶けこみ、容易には判別不可能なはずなのに怪しまれているという報告も何もなく、突然死んだ。何故だ!?」
「事故という線もまだ残っている」
「何を悠長なことを」
「帝都からの移住者もいたはずだ、彼らは問題なく街に入ることができているのだから、全員が事故だなど考えられん!」
「一体どうやって」
「魔術省の研究員も、家族ごと数名消えている。皆、貴族と揉めて飼い殺しにされていた奴らだ。彼らがラウプフォーゲルの手に渡ったとなると、まずいことになるぞ」
「告発されるとでも? 底辺貴族の名誉など知ったことか、それよりも」
「告発など恐れることではない。まずいのは、技術流出だ」
好き勝手に話していた男たちの言葉がピタリと途絶える。
「……技術者は飼い殺しにされていたのではないのか? それならば重要な研究には携わっていないはずだ、持ち去る技術などないだろう」
「成果だけならな。だが、頭脳はすでに流出した。私が散々警告しただろう。魔法陣設計士のマルクス・ウンスタースベルガーだ」
何人かが、「またその話か」とでも言うように呆れたようなため息と仕草をする。
「お前たちは何もわかってない、あの天才少年がラウプフォーゲルの手に渡ったとなれば帝都の魔導研究はいつまでも優位性を保っていられない。そしてラウプフォーゲルが台頭してしまえば、魔術省は……」
「その話はいい! それよりも、我々が大金をはたいて雇った暗殺者が何故こんなにも成果を出さずに消されるのか、理由の予測の一つでもつかんのか!!」
1人の男の怒号に、全員が黙り込む。
「……地の利があちらにあり過ぎる。あの街は気候的にも経路的にも、孤立しすぎだ。正規ルート以外で侵入するのは無理というのが結論ではないか?」
「バカでかいだけの粗暴なラウプフォーゲル人のくせに、頭を回しおって。いや、これもあのシュティーリ家の魔人の入れ知恵か? 目障りな小僧めが」
「その目障りな小僧が、さらに厄介な子供を育ている。あれをどうにか抑え込まなければ将来的には帝都まで掌握されかねんぞ」
「古代の魔法の一つに『敵意や悪意を察知する』ような術式が存在したと聞く。もしやその魔人が術式を復活させたのか? 魔術省の人間ですら再現できていないはずだが……あれもまた、魔導学院を首席で卒業した能を持つ者だ。ありえるやもしれん」
重苦しい沈黙が部屋に満ちる。
「2年後だ」
重さに耐えかねた男が、絞り出すように声を上げた。
「2年後には、その渦中の子供が魔導学院に入学する」
「それまで待てと?」
「あのトリューとかいう乗り物を見て、待てるのか? あの利権から得られる富が2年でどれだけになると!」
「ではあの孤立した街に籠もるガキと魔人をどう始末できるというのだ! 侵入も潜入もできなかった、近づくことすらできていないではないか! 多少やりにくくなったとしても、時を待つほかない」
「……トリュー製造を妨害するのは」
「無理だ。工場はラウプフォーゲル城下町の目と鼻の先。領主直轄の兵士が警護していて密偵も潜入も情報収集も再三ためして、成功していない。現場からも不可能という声が上がっている」
「イダトール商会を絡め取った方法ではどうだ? 粗悪な模造品を作る商会など、探せばいくらでもあるだろう」
「それも考えたが、粗悪であろうと模倣するには大きすぎてコストがかかる。どうしてもやりたいというのなら止めはしないが、費用対効果が低すぎて私は御免だね。さらに特許取得まで、皇帝の一言で最優先通過。今までのラウプフォーゲルと違って、トリュー事業には隙がない」
「……2年間、何もせず指をくわえてトリューが売れまくるのを見ていろというのか。そんなことは私の主が許さない。何か他に手立てはないのか?」
「そうだ、お前の主が出ればよいのだ! 子供は、そっちの血筋でもあるのだろう? なんとかして帝都に引きずり出せないか、主に相談すべきではないか」
水を向けられた男が身じろぎする。
「……そうだ、我々では手の施しようがない。だが子供の母親は帝都にいるのだろう? 母親の情だとか愛だとかに訴えて、なんでもいいから呼びつけられないか?」
「子供はさすがに警護が厳しいだろうが、魔人ならばなんとか隙を作れるかもしれん。いや、2年間でできることはもうそれしかない」
「あの街から引きずり出す方法か……たしかにそれが一番現実的だ」
突然矢面に立たされた男は頭を抱えたが、この場の流れを考えるとすげなく断ることも難しい。
「わかった。提案はしてみるが、私の主の気性はみな知っているだろう。期待するな」
その場にいる全員が、同じ人物を思い浮かべる。
「わかっているさ。だが我々も同じ船に乗っているのだ。座礁してしまえば、船長や船員役割や身分に関わらず、全員が道連れになるだろう。船長に力仕事をしてもらうことだって必要な場面がある」
「皇帝陛下は冷淡だがひとたび仕事を離れると子煩悩で情に厚い。母親が訴えれば、無下にもすまい」
今までの刺々しい言い合いと違って、数人が同情的な発言をする。矢面に立たされた境遇よりも主との関係について同情を禁じえないのだと思うと、男はますます気が滅入った。
話し合いが終わり、男は不満を殺すように足音を忍ばせながら部屋を出る。建物は複雑に入り組んでいて、曲がりくねった廊下を抜け、隠し部屋を通り、階段を登って降りてようやく外に出る。
待機していた古い荷馬車に乗り、ヒトのあふれる市場の片隅で降りる。外套を変え、フードは相変わらず深く顔を隠すようにしながら建物に入り、また外套を変える。
そうしていくつかの建物を抜けるたびに外套が立派になっていく。
高級店らしき店に裏から入ると部屋で本を読んでいた男が立ち上がり、目礼をしてくるので銀貨を一枚渡し、外套を脱いで身なりを整えて部屋を出る。待ち構えていた上品な青年が恭しく頭を下げて上着をかけてくる。
「おくつろぎ頂けましたでしょうか」
「ああ、この店のサービスにはいつも満足している。また頼むよ」
青年にも銀貨を一枚渡すと、男は足早に建物を出た。
外には家紋入りの馬車が待ち構えていて、出てきた男を迎え入れる。
「遅かったですわね、あなた。また眠ってしまったのではなくて?」
「ああ、バレてしまったか。キミが待っていると思って慌てて身支度したよ。ここのマッサージは力加減がいいんだ、いつも眠ってしまう」
「殿方には色々なお店があっていいわね。私もお義母様のお小言のおかげで肩が凝って」
「女性の肩をマッサージする店などができては困る。夫の特権を奪うつもりか?」
ブルネットをゆったりと肩口に流した若い美人の妻に甘い言葉をささやくと、彼女も嬉しそうにはにかんで手を握り、男がその手に口づける。
「ああ、そうだわ。殿下の遣いから言伝がありましたの。すぐ戻れ、ですってよ?」
甘い空気をぶち壊す言葉に、男の口元がヒクリと震えた。
「もう、殿下も野暮よね。ふふ、おヒゲがピクピクしたところを見ると、あなたも不満なのね。でも仕方ないわよ、あなたは殿下の騎士ですもの。さ、戻りましょう」
男はわざとらしく大きなため息をつき、御者に向かって声を張る。
「この後の予定は中止だ。急ぎ、シュティーリ邸へ」