3章_0037話_楽しいまちづくり 1
「わあ、でっかいはくさい! 僕とおなじくらいある!!」
「大きいですねえ! 今夜は鍋にしましょうね!」
「わあい、なべー!」
ユヴァフローテツに引っ越して、3ヶ月目に入ろうとしている。
どうやらこの間に、年が明けたようで俺もいつの間にか7歳になっていた。
この世界では新年を祝うような行事はなく、さらに子供の誕生日は10歳までは祝ってはいけないというしきたりなんだそうだ。
おかげで季節感が全然ないけど、今はラウプフォーゲルの基準でいうと、冬。
冬でもユヴァフローテツは相変わらず高温多湿だし下の岩砂漠は灼熱なので、もともと季節感はないっぽい。
行政施設は1ヶ月前に完成し、周囲には寮も完備。着々と移住者を受け入れている。移住者のほとんどが、ペシュティーノやガノなど側近経由で選ばれた、いわゆる縁故移住者。
そして小領主の館……市民には「白の館」と呼ばれているが、その周辺には鬱蒼、といってもいいほどのもりもりに茂った庭園ができあがった。
茂りすぎてもはや庭園には見えない。森だ。
見た目は森だけどいちおう野菜園でもあって、薬草園でもある。美味しい野菜や果物や山菜がとれて、貴重な薬草が無造作に生えている。
「レオ、こっちにはかりゅうそうが生えてるよ」
「おー火竜草!! ピリッとさせるにはいいですね、キムチ鍋にしましょうか」
「主、主ィ〜。下の岩砂漠で、迷いキャラバンがいたから追い返しておいたよッ! 中央の貴族から命じられた、商隊に偽装したスパイだったみた〜い! あははっ!」
ふわりと水の中を泳ぐように現れたのは、ライムグリーンの髪の毛をした少年。
女の子のような顔立ちと仕草だけど、少年従者の服を着ているので傍目から見たら少年に見えるはず。多分。
「うんうん、アウロラ、えらいえらい」
「わぁい! 主に褒められたァ〜!」
「……ころしてないよね?」
「ないない! もうそんなことしないよぉ」
スパイらしき来訪者は週1のペースでやってくる。真面目か?
もともとユヴァフローテツはへの道は、道もない岩砂漠を通るしかない。そうでなければ深さも良くわからない湿原を進むか、洗面器のフチのような山脈をたどるか。湿原には、ギンコいわくたいして強くないけど美味しいユヴァクロコディールだけじゃなく、他にも危険な水棲魔獣がいるそうだ。ユヴァフローテツのヒトは知らないらしいけどそれって大丈夫なのかな。
「主。小生が確認したスパイは湿地を渡って街に向かっていた者が2人。装身具などから鑑みて、おそらく暗殺者かと。始末しておきました」
濡れたようなツヤ、うねった黒髪を耳の下で切りそろえた少年はキュアノエイデス。こちらも少女と見紛う線の細い姿で、妙に色気のある笑みを常に浮かべていて、見る人が見ると不気味にも思える姿だ。体をすっぽり覆うローブのような姿は古い魔術師の姿だそうあが、ユヴァフローテツでは割とポピュラー。前世でよく耳にしたサイコパスって、きっとこんな感じなんじゃないかな。
「ころ……え?」
「始末しました。死ぬと、魂が世界記憶に戻ります。まだ完全に本流に溶け切らない間は情報が抜き出せますから。暗殺者は、どうやらシュティーリ家からの依頼のようですよ」
殺してないよね? と聞こうとしたけどムダだった。
アウロラの管轄は岩砂漠、キュアの管轄は湿原と山脈。後者を選んでやってくるのは身一つで侵入してくるので大抵は腕利きの暗殺者か、暗殺や潜入の依頼を受けた冒険者といったところだ。
「キュア、ころさずにじょうほうをえることはできない?」
「暗殺者は依頼人の証拠を残さないとペシュティーノ殿から伺っております。持ち物にそれらしきものはなかったので、死んでもらうしかありませんでした。主の元へ引き連れて参れば、『神の権能』で垣間見えたかもしれませんが」
え、暗殺者の頭の中をのぞくなんて絶対ヤダ。というのが態度に出てしまったのか、キュッとすくめた肩を、ペシュティーノがそっと包む。
「ケイトリヒ様、精霊様の判断は正しいです。商隊に扮したスパイと、暗殺者では性質が違います。むしろ死した暗殺者から情報が引き出せる精霊様がいらっしゃることで、我々も対策を立てやすくなります。シュティーリ家ということは、おそらく私を狙っていたのでしょう」
「お察しの通り」
キュアがニタリと笑う。キュア、もう少し笑顔の練習しようか……。
「それならしかたないね」
ペシュティーノを狙うなんて許せん。
ひとをころすのはやめようね、と言いたいところだけど、この世界では自己満足でしかない。ペシュティーノを狙うとどうなるかというのは身にしみてわかっていただきたいところだけど……伝わってるのかなあ。
「主」
「ん?」
「その、小生にも……」
「にも?」
「あの、アウロラへの褒美と同じものを」
「え? ほうび?」
「ケイトリヒ様、精霊様は主の喜びこそが至高。アウロラ様にしてあげたように、頭を撫でて差し上げては」
ああ、そういうこと? てか、それ褒美?
「キュア、えらいえらい」
「……ああ、至宝の歓びにございます……!」
口は達者でサイコパスっぽいキュアだけど、撫でられて喜ぶなんてちょっとかわいい。
頭を撫でられると、気持ちよさそうな猫みたいに目を細めて笑う。こっちの笑顔はかわいいのに……他の人に笑いかけるときは、なんかヤバい人っぽいんだよな。
「ケイトリヒ様、今日は冒険者たちが狩りから戻ってきます。お肉があれば、お肉の鍋にしましょうね。最近はずっと魚ばかりでしたから」
レオが俺と同じサイズの白菜を台車に積み上げながら言う。意外と力持ち。
「僕はぎょかいのおなべでも、べつにいいよ」
「いいえ、精霊様のお話では、やはり魚介よりお肉のほうが【命】属性が高いそうですから、あまり偏らないようにしましょう」
レオは軍手を脱いで麦わら帽子をかぶりなおし、肉の臭み消し用のハーブをプチプチと詰んでいく。まあ、レオが作るお肉料理は美味しいからおまかせしちゃう。
ユヴァフローテツは湿地からもたらされる恩恵で十分に住民たちが食べていけるのだが、肉の需要は常にあり、そして供給が少ない。その解消法としてジュンのツテで元冒険者が数人、移住してきた。
全員、何らかの理由で冒険者組合の登録が取り消された者たち。社会からは爪弾き者の状態だったのだが、その理由はすべて「質の悪い貴族と揉めたから」というもの。人格や品性にはなんの落ち度もないながら、不当に冷遇されていたヒトたちの中から移住を受け入れたヒトだけを選んだ。
住んでいた街では肩身が狭くなったせいで、中には家族で移住を決めた者もいる。
数は多くないが、今ではユヴァフローテツの食を担う重要な「狩人」だ。
「それにしても……果樹に魔樹、野菜に薬草に……随分とデタラメに茂っていますね。あのヒルカンデの薬草など、このような気候で育つわけないのですけれど」
ペシュティーノが庭園と言う名の森を見回して溜息をつく。
「俺らが管理する庭園だぜ? どんな植物だって、思いのままだ。ああ、アンタがお望みのレッドピピンはさすがにこの庭園じゃ大きくならなかったから、温室に移動させたぞ」
褐色の肌に銀色のドレッドヘアのバジラットが、そのへんになっていた木の実をブチリとちぎってポイと口に入れた。モグモグしてるけど、精霊って食事するの?
「たべた?」
「ん? ああ、食べたけど、主のする食事とは別モノだぜ。人は栄養源を口に入れて噛み砕くことで味や食感を楽しんでるようだがな。俺ら精霊が食べるのは情報収集みたいなもんだ」
そう言って、バジラットはそのへんの木の葉っぱをブチンとちぎってパクリと食べた。
「この樹のずっと下には石灰岩の地層が広がってる。この樹はそれを喜んでるみたいだ。他の小さな植物はそこまで根を張れないから、他の石灰岩を好む植物のために吸い上げて途中で吐き出したりしてくれてる。優しい奴だな」
バジラットがぽんぽんとねぎらうように木の幹を叩く。
そんな事がわかるんだ!
「すごい! バジラット、すごいね!」
「へへ。俺のことも、撫でてくれていいんだぜ?」
ずい、とドレッドヘアの頭を差し出されたので両手でもしゃもしゃと撫で回す。ウィオラやジオールと違って体が小さいせいか、感触はしっかりある。
(アゥ……カルもはやくヒトの形になりタイ。でもカル、いちばんヒトから遠い属性。カル、まだヒトなれナイ……アルジの役にたちタイ)
言葉が苦手なせいか、いつもあまり積極的に発言しない【火】の精霊カルブンクルスが頭の中でつぶやく。他の精霊はすべてヒト型になれたのに、カルはまだ難しいようだ。
まあ確かに、こんなに水だらけの土地じゃあ【火】の属性は成長できなさそうだ。
「主、【火】属性は燃える火炎だけが糧ではありません。【火】属性とは言葉上はそう名付けられておりますが、その説明は『火と熱を司る』とあるでしょう。【火】属性は主の知る空気と同じようにこの世界に万遍なく存在するのですよ」
ウィオラがそっと耳元に囁いてくる。いつのまにそこに。
そうだった。【火】と名がつくからどうしても燃え上がる火を想像するけれど、「熱」は温度が絶対零度……摂氏だとマイナス273℃より上であればどこにでも必ず存在する。概念でいえば、ある意味空気よりももっと根本的な存在といえるかもしれない。
(ウゥ、アルジ、ごめんなサイ。この土地にも、カルの属性はたくさんアル。カルは、ぶきようなダケ……)
別に精霊たちにヒト型になってもらいたいなんて俺としてはさほど望んでいなかったのだけれど。きにしなくていいんだよ、とカルを頭の中で慰める。
俺と契約した精霊たちは人工精霊と呼ばれる存在らしいけど、作られたものと言われても信じられないほど全員個性的だ。それぞれ違ってそれでいいじゃない。
そうやって頭の中でカルを慰めていたら、いつのまにか他の精霊たちは姿を消していた。
森のような庭園から野菜たちを運び出すための小さな荷台に、俺は白菜と一緒にちょこんと乗っけられて出発。白菜の他にも帝国では一般的なオベルジーネやカローテも収穫できたよ! 自家製のお野菜が採れる庭園って、すばらしい!
「うーん、熱をつかさどる、かあ。じゃあ氷のまほうも、りろんじょうはつかえるはず」
「……ケイトリヒ様、氷魔法と仰いましたか? 氷魔法は、帝国では絶対不可能な魔法と呼ばれているのですよ」
「えっ!? そうなの!?」
俺の反応を見て、ペシュティーノが眉をしかめる。
「まさか……」
「いや、ためしてみないとわからないけど! そんなにむずかしいりろんじゃないはずだよ? だって、熱をうばえばいいだけでしょ!」
「熱を、奪う……?」
ペシュティーノはガノと顔を見合わせて理解できないというように俺を見る。
「ケイトリヒ様、氷属性の魔法は、古代から常に研究されてきました。【命】と【死】の属性と同じく、現在は属性としては認められていませんが氷の魔法というものは存在しています。しかしその氷魔法を会得した者は寒冷地で生まれ育った王国や共和国の民に限られていて、帝国民が会得したという話は聞いたことがありません」
え、氷属性……? 氷自体がただの「低温になり凍結した水」なんだから、そりゃあ属性としては確立しないでしょう。ゲームとかでは便宜上、存在するかもしれないけどね。
「え、ペシュ、氷がどうやってできるかしってますよね? ちょーおんまほうは、どういうげんりでおんどを下げているのか、りかいしたうえでつかっているのでは……」
「……もちろん、氷が水からできることは存じております。調温魔法については、術式がほぼ数百年変わっていません。原理、というと……ヒトが快適と思う温かさに保つとしか……もしや、ケイトリヒ様はその理の真髄をご存知なのですか?」
ショック!!
そうか、魔法が発達しているせいで簡単な科学の原理すら追求されてないのか。こちらの世界ではなんとなく別のものとして扱われていたり、あるいは間違ったまとめられ方をしているのか!?
「温度」という言葉はあるのに、その定義が俺の認識と違う。
世界記憶の翻訳機能のせいで気づかなかった。
俺はおもむろに腰のポーチからレイピア型の虹色杖をすらりと抜いた。
「け、ケイトリヒ様、試すのはお待ち下さい」
「そうです、人目につかない場所でお願いします。火柱のような大規模な魔法……いえ、魔導になってしまっては困ります」
「へーきだよ! せつど、わかってる!」
それに氷魔法は、火や風などと違って現象の結果でできる物体だ。
大規模な魔法にしづらいだろう。
……もとい。俺の理論からいうと氷の魔法とは、メインは【火】属性魔法だ。
左の手のひらを上に向けて、その上の空間を杖先でかき混ぜるようにすると、白いモヤがうまれてキラキラと輝き、パリパリと音を立ててみるみる氷が育っていく。
周囲の空気に溶けた水蒸気を集めて、温度を奪って凝縮させて育っていく氷をを中空で保持。見た目はたいへん地味だが、温度を奪って周囲に逃がす【火】属性と、水蒸気を集める【水】属性、そしてできあがった氷を浮かせる【風】の属性をバランスよく含んだ、考えるだけでなかなかに高度な魔法だ。
「氷……本物の、氷、なのですか」
「そんな……」
ペシュティーノとガノが絶句している。
「りろんがわかれば、ペシュたちももっとかんたんにつかえるとおもうよ」
おててが冷たくなってきた。
俺の頭くらいに育った氷をポイと投げ捨てると「わああ!」と素っ頓狂な声を上げてガノが落ちないように素手で受け止めた。ちめたいよ?
「け、ケイトリヒ様! 帝国で、氷がどれだけ貴重なものかご存知……ないのですね! ええそうでしょう! よく思い返してみてください、氷なんて見たこともないはずです。いえ、魂の記憶ではご存知なんでしょうけども」
いわれてみれば、たしかに。
地球でだって、冷凍庫が各家庭に普及するまでは「氷売り」なんて商売もあったというんだから貴重なものなんだろうけど……魔法のある世界でもまさか氷が簡単には作れないとは思わなかった。
「先程申した通り氷魔法は存在します。ですが、このように手指の先で簡単に作られるものでは……ああ、なんということでしょう」
ペシュティーノも頭を抱えてしまった。
「……レオ」
「いやあ、そう言われてみれば、ですね。ラウプフォーゲル城には普通に氷室を使った冷蔵庫がありましたから勘違いしてましたけど。帝国に入ってから氷を見たこと、そういやないですわ。てっきりあの氷はなんか、魔法使いがちょちょい作ってるものだと」
「帝国……いえ、ラウプフォーゲルが王国から輸入しているものをお教えする機会がありませんでしたね。もちろん帝国にも氷を作る氷魔法を使う魔法使いは少ないながら存在します。が、消費魔力量や使い手の希少性を考えると輸入したほうが安上がりなのですよ」
ラウプフォーゲルと王国の輸出入。
現代社会の授業はラング先生に習ってたけど、そこまで詳しくは教わらなかった。
ラウプフォーゲルからは傷みにくい農産物を載せた船を出し、帰りに氷や魔法素材などを積んで戻ってくるのだそうだ。共和国とも民間レベルでは商業的な交流があるが、こちらは陸運がメインなので氷の大規模輸入は難しいのだそうだ。
しょっちゅう戦争してようと、商人はしたたかだね。
あ、戦争じゃないのか、小競り合い。ここ大事。
「氷を作る魔法、ティーカップ一杯分くらいなら俺でもできなくもないんですけど。すっごい魔力使うんですよね、もーそれだけで寝込むくらい。あれってもしかして熱量保存の法則を無視した術式になってるからなんですかね?」
レオがごろごろと白菜の載った荷車を引きながら言う。ほんとに力持ちだね!?
「そういうこと、なんだろうなあ〜」
「ネツリョウホゾンノ法則……? レオ殿が氷魔法が使えるのは共和国で身についたというわけではなく、異世界の知識があったからということですか? では帝国生まれの我々も、理を知れば使えるようになるかもしれないということになりますね?」
ペシュティーノがものすごく食いついてる。
「うん、そうだね」
「他にもそういった理はありますか?」
他にもって言われると、範囲が広い。一応基本的なもので、この世界でも通じて魔法に影響がありそうなものでいうと。万有引力、総熱量保存、作用反作用、力学エネルギー保存……といった、物理系の法則がメインになるかな。
フレミングの法則とかもあるけど、この世界そういえば磁石ってあるのかな?
「ジシャク、ですか? 語感から察するに……なにかの植物でしょうか」
ガノに聞いたが、全然察せてない。
「ほうがくをしるために、こう……針を、じゆうにうごくようにしたものとか? ほかには……てつをひきつける石、みたいなもの」
「方角を知る? 鉄を引き付ける?」
ペシュティーノとガノが顔を見合わせる。
レオがそれを見て困惑気味に「磁石って地球独自のものだったのか?」なんて驚いてる。
「バジラット、このせかいにはじしゃくって、あるの?」
「主の記憶を覗いてみたけどよ。まあ、似たようなのはあるぜ。でも特に有効活用はされてないな。天然の磁石の鉱脈はこの大陸にも……あるみたいだが、今のヒトの技術ではとても辿り着けないと思うぞ。あと、この世界じゃ主のいうコンパスみたいな役目は無理だな。地中深くに流れる竜脈のせいで、磁力は一定方向に向かない」
「え、じゃあたとえばさばくやうみでは、どうやってほうこうを知るの?」
「商隊などでしたら魔道具を使うことが多いですが、なくても冒険者などは太陽と時間さえわかれば大体の方角はわかります」
あ、そうなんですか。学校が一般的でない世界だけど、そういう生きる知識については地球よりずっと一般的に知られているんだな。
異世界人の影響が大きいと言われてる世界でも、学術的な法則まではまだ一般化していないのか。異世界召喚勇者は大事に保護されているらしいし、彼らから得た異世界の知識は中央に独占されているのかもしれない。
白菜を載せた荷車を館の裏手に停めると勝手口みたいなドアから助手の料理人たちが出てきて群がり、大きな白菜を見て喜んでいる。白菜って、ラウプフォーゲルでは珍しい野菜らしい。名称はそのまま「ハクサイ」と呼ばれている。これは異世界召喚勇者の名残なんだそうだ。
収穫物の運搬は料理人助手と騎士たちに任せ、俺とペシュティーノとガノはお部屋に戻って気になる話をお勉強と称して話し合う。レオは「新しい発見があったら教えてくださいね」といって、学術的なことはすっかり忘れて晩ごはんの仕込みにやる気を出していた。
「異世界の理について、ご存知の限りのことをご教示頂きたく存じます。可能であれば詳細まで伝授いただけますか? 少なくとも、氷魔法の理だけでも」
「共和国や王国のまじゅつしたちが氷まほうをつかいやすいのは氷がみぢかなもので、その性質をなんとなくりかいしているからでしょう」
俺は熱量保存の法則について、知る限りのことを教えた。
この世界でも水が凍って氷になることは知られているが、それは氷属性に近しいなんらかの魔力的なものが水に与えられることによって凍るのだとされているようだ。
実際にはそんな高等な技術は必要なく、水の状態で持っている熱を奪うだけでいい。
その理論をたどたどしいながらも質問も交えて教えると、ペシュティーノもガノも、ついでにいたスタンリーも氷魔法を使えるようになった。
「これは……魔法研究の、大革命です。知ってしまった今となっては何故、このように簡単な理すら思いつかなかったというのか。クッ、魔導学院出身でありながら、気づけなかった自身の不甲斐なさが恥ずかしい」
「ペシュティーノ様、この理については、あまり知られてしまうと王国側が圧倒的に窮地に立たされます。異世界の知識を独占している中央側の政治判断ではないでしょうか?」
「あのねにいに、おいしいおみずを凍らせて、うすくけずってシロップをかけると『かきごおり』っていうおかしになるんだよ。レオにつくってもらお!」
「しかしレオ殿はティーカップ一杯の氷で寝込んでしまうのでしょう? 氷は私が作ります。美味しい水、とはどういう水でしょうか? 精霊様に聞いてみましょう」
氷魔法の政治的判断は、ペシュティーノとガノにまかせよう。
俺たち子供は、かき氷が食べられるようになったね!ってくらいで十分でしょ!
「この件は、お館様にもご報告の案件ですね。承認が得られれば、ユヴァフローテツの豊富な水資源を使って氷の産業を興してもいいかもしれません。ラウプフォーゲルでも水は豊富ですが、あちらは魔術師が足りないでしょうから……いえ、これは誰から齎されたものだと問われると少し苦しいですね……」
「レオ殿でよろしいのでは?」
ペシュティーノとガノが顔を見合わせて妙な表情をしている。
うん、わかるよ? 俺もちょっと理解できるよ?
レオは本人が宣言する通り、お勉強が苦手なタイプだ。得意な料理系の話だと饒舌なのにいざ学術的な……たとえば小学校で習う理科や数学の説明とかさせると、ほんと下手。
理解してないわけじゃないのに、説明が下手なんだ。俺も上手な方ではないんだけど、レオの説明を聞くと自信持っちゃう。
「ざつだんのなかで知った、ってことにすればいいんじゃないかな? 僕も氷まほうがどんなものかなんて、せつめいをきくまでちがいに気づかなかったんだよ。かちのあるじょうほうだなんて思いもしなかっただろうし、共和国では氷はたいしてかちはないでしょ」
俺の一言で、レオを巻き込むことが決まった。
ユヴァフローテツの産業に、「製氷」が加わりそうだ。
おいしい水は……湿原にはなさそうなので、精霊の力を借りて作るしかないか。
翌日。
「主、中央行政区の区画整理にあらかた目処がつきました故『要楔』を穿ちに参りましょう。今日は天気も良く、竜脈との交信も良好です」
「かなめくさび? りゅうみゃくとこうしん?」
朝ごはんにウログチのネギトロおにぎりをパクついていたところに、ウィオラが突然進言してきた。ただ、内容はよくわからない。天気は最近ずっと良いけど。
ユヴァフローテツは思いのほか雨がふらないんだ。それなのにこの広大な湿原が維持できてるって、ちょっとおかしいなと思っているんだが、そういう辺りが「魔力的に稀有」な土地なんだろうか。
「この街にはねぇ、一応暫定の要楔が置かれてるみたいだけど。まあ、現代の魔術師がつくった石なんて、たかが知れてるよね! 主が穿てばここは千年も万年も栄える王国になるよきっと!」
「いやそんなことべつにのぞんでないけど」
ダイコンのお漬物を合間にカリカリとたべつつ、2つ目のおにぎりにかぶりつく。海苔はまだ代替品が見つかってないので、青菜を巻いたものだ。うまい。
ちょっと勢いで望んでないとは言ったけど、別に波乱も望んでないな。
「ケイトリヒ様、要楔と言う存在は存じませんが、街の基礎として護法魔法陣を街の中心に穿つのは重要なことです。もし精霊様の助言に則って穿つことができれば、この街はアンデッドや天変地異から守られ、繁栄を約束される街となるはずです。やりましょう」
ペシュティーノが言う。ふーん、街の防衛魔法陣みたいなものかな。
「主の魔力があれば、暗殺者も諜報員も近づけない盤石な護法陣が描けるはずだよ! 主は、この支配地をどんな街にしたい? 研究者を集めたシンクタンク学術研究都市? それとも経済活動が活発な商業都市? 交通の要になるのは位置的に難しそうだから……湿地を生かした観光産業都市や、土地は少ないけど水耕栽培で他の土地と差をつけられるから異色の農業都市なんてのもいいかも?」
俺の目指す、街の将来像か。
なんとなく研究者が集まってるから、ジオールが最初に挙げた学術研究都市を作ることをぼんやり描いていたけれど。将来像はひとつしかない、というわけではないようだ。
「その、要楔でそういうのがきめられるの?」
「御意。主が穿つ要楔に、どのような護法を施すかによってこの土地が持つ性格が大きく変化することでしょう。今の要楔には……そうですね、効力があまりにも微弱なのではっきりとはわかりませんが『閃き』と『隠匿』、そして『協調』の気配が強いです」
「まあ、それがこの土地と相性が良かったんだろうね。この街を作ったのは長クラスのエルフ族だって話だから、土地の気配を読む能力があったはずだよ。エルフの集落は、要楔を穿つことから生まれるからね〜」
土地の気配……そんなものが?
「ヒトが住む街には、誰かが最初に穿つというわけではなく、ある程度の規模になると自然と要楔が生まれることもあるんだよ。そういう要楔は、不安定で穢れを溜め込みやすい。自然と生まれた段階で、それを穿って固定化すれば、割と安定するんだよ。主の父の街、ラウプフォーゲル城下町なんかは城、あるいは領主という人間そのものが要楔の役割を果たしているといえるねえ。ヒトであれ建物であれ、そういう中心がはっきりと視認できる街は健全なんだ」
「要は……街の市民の、中心的存在を作り出すという感覚でしょうか」
「まあ、そういうことだね〜。今のまま放置すれば主そのものがこの街の中心になっちゃいそうだけどね。そうすると、主がこの街を離れにくくなっちゃうから、やっぱり別で作ったほうがいいと思うんだ。できればヒトやヒトが利用する建物じゃなくて、切り離したモノで」
うーん、行政を取り仕切る庁舎のそばに、街のシンボルになるようなモニュメントを用意すればいいのかな? 日本だと、よく大きなビルとか駅前とかにあるでっかいアートっぽいもの。
「ペシュ、このせかいって芸術家はいるの?」
「もちろんおりますよ。外に設置するなら画家ではなく彫刻家のほうが良いでしょう。であればテアータシュタット領のトロムリッツ卿がよいかもしれませんね。彼の作った『母子像』は帝都でも高い評価を得ていますし、子供の可愛らしさや躍動感の表現には定評があります」
「こども? なんでこどものちょうこくを?」
「ケイトリヒ様の像をお造りになるのでしょう?」
「そんなわけないでしょ」
「何故?」
「何故です!?」
「主でなければ、一体何をモチーフにするというのですか!?」
その場にいたガノ以外が全員、一斉に何故だと叫ぶ。
自分の像なんてつくるわけないでしょ。どんだけ自己顕示欲まみれてんだよ!
「ケイトリヒ様が将来偉大な存在になることは間違いありませんが……少し、時期尚早といえるでしょう。まだ公言できる実績のない今、そのようなものを作ってしまっては傲慢という悪評から逃れられなくなりますよ。あともう少し根本的な話ですが、そういうものは御自身ではなく他者が作るべきかと存じます」
ガノが冷静に意見してくれて助かった。
精霊はまあ社会性がアレだからともかく、ペシュティーノはちょっと冷静になって?
「ちゅうしょうちょうこく……か、りっぱなオベリスクみたいなものがいいかな」
ペシュティーノは残念そうだったが、この世界には抽象彫刻のような芸術は今のところ主流ではないそうだ。時代を先取っても構わないけど、抽象物はデザインが難しい。
少なくとも俺には無理。
無難に、宗教色を排除したオベリスクのような立派な塔にしよう。
精霊に任せすぎるのはマジ危険というのがよくわかった。
2023/10より連載頻度を変更します。「毎週金曜日」→「毎週火曜日、金曜日」
次回、38話は10/3(火)更新です。