2章_0030話_親戚会 3
8歳、といったら現代日本では小学校2、3年生くらいか。
3人までは子供を産んでやってもいいとか、社交界の花であるハービヒト夫人のようになりたいだとか。特に女の子となると、年齢以上におマセなことを言うのもよく聞く話。
俺と面会希望者の「面会時間」は事前に側近たちの間で設定されていたようで、グランツオイレ領主との面会……でもあるけど、ほぼフランツィスカとマリアンネとの面会は実質15分ほどだったようだ。早く終わらないかなと思っていた俺には1時間くらいに感じたけどね。
その後に面会人として現れたブラウアフォーゲル領主代理の男性も領主の孫娘だという美少女を連れていたし、更にその後のヴァイスヒルシュ領主が連れてきたのは4歳くらいの女の子。これがあと7組も続くのかとゲンナリしていると、面会希望者は更に増えていると報告を受けた。
もーむりです。
ペシュティーノの「次の面会希望者をお通ししてよいですか?」という問いに「やだ」と答えてしまう。側近としては想定内だったようで、滞りなく面会希望者に断りを入れて面会希望者を解散させたようだ。今日ほど子供でよかったと思ったことはない。
「ペシュぅ、だっこ……」
「……まだ発表までには時間がありますね。少しお休みしていてください」
「はっぴょう?」
「ええ、それを聞いたら部屋へ戻ってもいいと御館様から言付けを頂いています」
なんだろうな、と思いつつも知らないヒトといっぱい話して疲れたので、ペシュティーノの安心、安全、安定の抱っこでウトウトしていると、程なく寝てしまった。
――――――――――――
ケイトリヒを抱っこするペシュティーノの元に、ズカズカと軍靴を高鳴らすような足音が近づく。領主、ザムエルの登場にケイトリヒの側近たちは膝をついて頭を下げる。
ペシュティーノも抱っこしたまま立ち上がろうとしたが、ザムエルは素早く手で制した。
「寝たか」
「はい、こうなると最短でも20分、長いときは40分は起きません」
「では10分で終わらせよう」
「恐れ入ります」
重厚なマントを翻し、ザムエルが再び広い会場の壇上に立つ。談笑に、ダンスに、食事に興じていた大人たちが誰に制されるわけでもなく口と手を止めた。
「親愛なる親戚縁者諸君。この会は、ラウプフォーゲルが王国であった時代から続く伝統ある行事であるが、此度は予想外の珍客が馳せ参じてくださった。図らずも確かに親戚縁者の一人となった人物を、今回だけは我が愛息に免じて受け入れてほしい」
よく通る声が会場中に響くと、人々は不思議そうに首を傾げたり声を潜めて話し合う。
それもそうだろう、この会合では毎年だいたい同じ顔ぶれで、珍客などと呼ばれるような人物を受け入れたことはなかった。だが、確かに親戚縁者であるというのなら、ラウプフォーゲルの長であるザムエルが言うのならば受け入れようじゃないかという前向きな雰囲気になっている。長たるザムエルは、正しくその空気感を受け取った。
「では、入場を許可する」
ザムエルが立つ壇上から最も遠い位置にあるドアは大きく開かれている。
そこから金髪の巻毛の青年とその護衛騎士たちが姿を表した。
その瞬間、和やかな雰囲気だった会場はピタリと凍りついたように会話も笑い声も止まった。息をするのさえ憚られるほどの緊張感が一瞬にして会場に広がる。
「入場を許可していただき大変ありたく存じます。この度は旧ラウプフォーゲル領での恒例行事に参加させていただき、光栄の極み。皇帝陛下の信頼篤き帝国の雄、ザムエル・ファッシュ・ラウプフォーゲル公爵閣下。その栄光に並び立つシュヴェーレン領ラグネス公爵家からこの私、領主アランベルトの長子、ヒルデベルトがご挨拶したく参上いたしました」
ざわ、と明らかな驚愕と拒否をにじませたどよめきが会場に広がり、小さな子どもを連れてきていた貴族などは護衛騎士に子供を会場の外に出すように命令している。
「はっはっは、ザムエル閣下! さすがにシュティーリ家の長子が、我々と同じ親戚縁者として数えられるというのは、いささか無理がありましょう!」
ざわつく会場の雰囲気を打破するように、ハービヒト領主ゲイリー・ファッシュが高笑いを響かせた。同調するように、曖昧に笑う貴族たち。
「ふむ、私もそう忠言したのだが。あくまで我が愛息の伯父としての参加と言われると無下にもできなくてな」
会場の大人たちの視線が、観葉植物の衝立で隠された一角に集中する。
そこにはついさきほど、壇上で可愛らしい声で挨拶をした領主令息がいるはずだ。
そしてその子の母親は確かにシュティーリ家の令嬢であった、と、このとき誰もがすっかり忘れていた事実を思い出した。そしてその母親は、まだ幼い子に無体をしたことで咎人としてラウプフォーゲルを追放となった。
「いったい、どの面を下げてやってきたのか」
「まさか王子殿下にお会いしたいなどと言うのではないか」
「伯父として、だと? 王子殿下はファッシュ家の子だ、かの家は関係ない」
聞こえても構わないというように口々に不満の言葉を言う外野をよそに、巻毛の青年は悠々と歩いて会場の中心まで歩みを進めて立ち止まる。
「……皇帝陛下へのご報告の後、中央貴族での評議会で耳にしました。我が甥、ケイトリヒは類稀なる魔力の才を持っているそうですね」
ピクリと眉を動かしたザムエルは、眉間に深いシワを寄せて何も言わない。
何か返事が来ることを期待していたヒルデベルトは、余裕そうな笑みを少し揺らし、何も返事がないことを悟ると再び話し出す。
「我が妹の所業が許されざる罪であることは理解している。しかしその子の才は、我がシュティーリ家から生じたものに違いないことは明白でしょう! いやいや、勘違いなさらないでくださいませ。何もその子をファッシュ家から奪うつもりは、まったくございません! ただ、我がシュティーリから生じたものならば、半分くらいは返して頂きたいという主張は……」
「口を慎め!!」
吹き抜けの会場の、2階部分の窓がビリビリと揺れるほどの怒号にヒルデベルトは飛び退いた。ヒルデベルトの周囲にいた護衛騎士たちも、壇上から放たれる尋常ならざる怒気に思わず足を引いた。
「……発言は、私の許諾を以てして解される。父君から習っておらんのか?」
静かだが有無を言わさぬ怒気。
ヒルデベルトのニヤニヤした笑みは引きつった愛想笑いに変わった。弁舌を得意としている彼だが、さすがに発言そのものを封じられては焦るしかない。
無言の睨み合い……否、蛇に睨まれたカエルとでもいうような状況がしばし続いたが、やがてザムエルから幾分か和らいだ声が漏れる。
「其方の父、ラグネス公爵アランベルト殿とは良い関係を築けている。ヒルデベルトよ。訪問の先触れを受け、公に領主通信で連絡した際の返答を伝えておこう」
父親の名を出され、明らかに目が泳ぐヒルデベルト。
それを観葉植物の隙間から見ていたペシュティーノは、「また父親に相談もせず行動に移したのか」と溜息をついた。ある意味ヒルデベルトは純粋というべきか阿呆というべきか表情を取り繕うのがファッシュ家以上に下手だ。ペシュティーノはそれを知っていた。
「『何を言っても何をしても構わないが、五体満足で返して欲しい』……とのことだ」
緊張に口角がヒクついていたヒルデベルトが、さらに顔を歪める。
まさかこの四面楚歌の状況で、父親にまで見放されるとは思っていなかったのか。
「ひ、ンくッ……」
ヒルデベルトの喉からしゃっくりに失敗したような声が漏れて、彼は赤面しながら慌てて護衛騎士の兜を叩く。
「おいっ!! 魔法が、魔法はどうしたッ!? 効いてないぞ!」
「すみません、殿下。魔法が……術式が組めません、ここは魔法制御されています」
「防御魔法も、精神制御の魔法も無効化されています!」
それを聞いて、ヒルデベルトはくしゃりと顔を歪めた。
「そんな、ばかな」
「もうよい。ペシュティーノ!」
「はい」
ザムエルが高らかに呼んだ名前と、それに静かに答えた声を聞いてヒルデベルトは顎を震わせて目をむいた。
観葉植物の衝立からスッと姿を表した金髪の長身の男が、小さな子供を抱いている。
その姿を見て、ヒルデベルトは混乱した。
「ペシュティーノ、その者たちを追い出せ。魔法を許可する」
「御意のままに」
素早く優雅な動きで腰のホルダーから杖を取り出したペシュティーノが音楽の指揮を執るように杖を振ると、ヒルデベルトとその護衛騎士たちが光に包まれて消えた。
周囲のラウプフォーゲル貴族たちが「あっ」という間もなく。
文字通り、あっという間に、だ。
シンと静まり返った会場に、ザムエルの低音ボイスが響く。
「うむ、見事だ。……して、どこへやったのだ?」
「城下町の東のはずれ、平民のごみ集積場へご案内させて頂きました。もしご心配なようでしたら追跡映像を空間に投影できますが、如何致しましょうか」
その言葉を聞いて、ザムエルが笑う。
ついでゲイリーも笑う。会場の人々も緊張の糸が切れたのか、ザワザワと笑いの輪がゆっくり広がっていく。
「ガッハッハ! ごみの集積場とな! 弟よ、見てみようではないか!」
「まったく、兄者は……しかし確かに心配だ。ペシュティーノよ、投影魔法を許可する」
その言葉を合図に、ザムエルの立つ壇上の下にササッとガノが座り込んで、小さな円錐型の装置を置く。
「なんだそれは?」
「空間の投影装置です。まだ開発段階ですので、音声はありませんが」
ペシュティーノがそれに向かって杖を振ると、円錐型の装置から光が上に向かって広がって何もない空間にスクリーン映像が現れた。
そのスクリーンには、家庭ごみの集積場に放り投げられたヒルデベルトと護衛騎士たちの姿が映し出されていた。音声は聞こえないが、騎士たちは鼻をつまみヒルデベルトはハンカチを取り出して口元にあて、髪や衣服を懸命に手で払っている。
「おおっ、なんだあの魔道具は!? まるで投影機のようではないか」
「見ろ、あの金髪小僧はどこかに尻を着いたんだろう、ひどく汚れているぞ!」
「髪にまとわりついているのは芋の皮ではないか?」
「なんと彼らに相応しい処遇か! 胸がスカッとしたぞ!」
最初は初めて見るものに驚いていた人々が、映されている内容を見て徐々に笑い出す。
ゲイリーは腹を抱えて笑い、ザムエルも呆れたように笑っているのを懸命に押し殺しているのがわかる。貴族たちは女性も男性も、この場に残った大きめの子どもたちも一緒になって大笑いの渦となった。
大笑いしているのは、アデーレもだ。
「ああ、おかしい! なんていい仕事をしてくれたのかしら!」
「ははは! 母上がそんなに笑うのを、初めて見ました!」
「おほほ、そうね、クラレンツ。ラウプフォーゲルに来て、一番笑ったかもしれないわ。それにしてもペシュティーノ! 毛嫌いしていたけれど、見直したわよ」
「母上、あのケイトリヒの世話役とは知り合いなのですか?」
「ええ、まあね……まあ、それも昔の話よ。彼があそこまでシュティーリと決別しているとは思ってもいなかったわ。あのヒルデベルトという男は、本当に嫌なヤツなのよ!」
「見ただけでわかります」
アデーレとクラレンツが顔を見合わせて笑い、アロイジウスも映像の面白さに耐えきれず吹き出してしまう。
映像の中のヒルデベルトは、何か柔らかいものを踏んでしまったのか変な顔をして靴の裏を確認しているところだった。周囲の騎士たちはごみがうず高く積まれたものに足を取られて何度も転んだりつんのめったりして、いつまでもおもしろ映像が続き、笑いの渦もいつまでも続いた。
――――――――――――
「くっ……清浄魔法をかけろ!! すぐにだ!」
「しかし殿下、まだごみの山を超えなければなりません」
「すぐにといっただろう!! 早くしろッ!!!」
「は、はい」
護衛騎士が浄火を唱えると多少身ぎれいにはなったが、相変わらず周囲はひどいニオイだし足元は不安定だ。
「この私の……護衛騎士の魔法まで無効化するだと? くっ……あの『枯れ木の魔人』め。カタリナを排除して、領主に取り入ったというのか。くそっ、いつまでもいつまでも、邪魔なやつめ! あのとき目をくり抜いておけばよかった! くそっ、くそッ、クソがッ! あのクソがッ!!」
むちゃくちゃに髪をかきむしり、地団駄を踏むように歩きながら杖に手をかけたヒルデベルトを、「いけません!」といって鼻髭を蓄えた年嵩の騎士が制す。
「いつものように気晴らしに魔導を放って、このごみの山が炎上でもしたらどうします。ここはラウプフォーゲル領ですよ。我々は暴力主義者になってしまいます。そうなれば、御館様でも殿下を守ることは不可能です。ここは堪えてください!」
額にいくつもの青筋を浮き立たせ、呼吸の荒いヒルデベルトは危険だ。生まれつき高い魔力を誇示して、自らが特別な人間であることを主張するように、魔導をでたらめに放つ。それでシュティーリ家の使用人を何人も辞めさせてきた。ときには物言わぬ姿になって。
現在の領主であるアランベルト……ヒルデベルトの父は人徳者として民からも慕われ、皇帝陛下の覚えもめでたく、敵対しているはずのファッシュ家とも良好な関係を築けているのに、なぜその令息ともあろう御方がこんなにも考えなしなのか。
髭の護衛騎士はそんなことをずっと考え続けているが、今日ようやくその原因の一端を見た気がする。
ヒルデベルトの妹、カタリナの側近として傍系からシュティーリ家の使用人として雇われたというペシュティーノ・ヒメネス。この男に対するヒルデベルトの執着は異常だ。
その事は薄々知っていたが、髭の護衛騎士はこの日初めてペシュティーノ・ヒメネス本人を見た。
ヒルデベルトは恵まれた容姿をしていると思っていたが、彼の美貌と並ぶと劣る。
素晴らしい魔力の才を持っていると思っていたが、彼には劣る。
高い教育を受け素晴らしい知識を持っていると思っていたが、言葉遣いひとつ、表情ひとつとってみても明らかに彼のほうが賢そうに見える。実際、賢いのだろう。
「売女の子のくせッ……くそッ、クソが! 畜生、畜生! 子供まで手懐けてやがった!あんなナリで、子供が懐くなんてありえないだろう! 公爵も、きっとアイツに操られているんだ……ラウプフォーゲルの奴らはカタリナを魔女と呼んでそうじゃないか。だが母親から子供を奪い、領主を操るアイツこそ魔女だろう! いや、魔人か」
髭の護衛騎士は一瞬、この男にも妹に対する愛情があるのかと錯覚したが、すぐに思い違いだと首を振った。メイドや城の騎士から聞いていた、過去にこの男が実の妹カタリナに対して行った悪行の数々を思い出せばとてもそんな感情を持っているとは思えない。
カタリナはそんな暴君の兄から逃げるようにファッシュ家の息子と駆け落ちしたのだ。
「殿下、馬車はラウプフォーゲル城に置いています。呼びに行かせますので、転移陣の近くで待機していただけますか。その間に僭越ながら身を清めるお世話を」
なにかに取り憑かれたように中空を眺めて口元をピクピクとさせていたヒルデベルトが、その言葉を聞いて徐々に冷静さを取り戻すのがわかる。
さて、領主閣下にはどのように報告すべきか。
この時ばかりは髭の護衛騎士も、ヒルデベルトも同じことを考えていた。
――――――――――――
「ふわぁー」
「お目覚めですか」
「うーん。なんだかにぎやかだね?」
「ええ、ケイトリヒ様が寝ている間にちょっとした事件がありましてね」
「じけん? なになに、どういうの!?」
「無礼者が現れたので、ごみ捨て場に捨ててきたのです」
「へ? ごみすてば……ば、バラバラにして、とかじゃないよね?」
「斬り捨ててはいませんよ。そのまま、転移させて落としただけです。さらにその後の様子をあの……ケイトリヒ様がお作りになった『きゃどくん』を元に作られた空間投影の魔道具。あれで……なんでしたか。レオ殿とケイトリヒ様で仰っていた、状況」
「『ナマハイシン』ですね」
ガノが割り込んでくる。
「ああ、それです。ごみ捨て場に捨てられた状況を、『ナマハイシン』したのです」
ほえー! なんで突然、そんなエンターテイメントなショウが繰り広げられてんの?
よくわからんけど俺も見たかった。
「ふうん。あれはまだ、おんせいが出ないけど、ウケたんだね?」
「ええ、御館様もゲイリー様も、アデーレ様まで涙を浮かべて笑ってらっしゃいました」
ごみ捨て場に落とされた人をみんなで見て笑うって……ちょっとなんだか前の世界の感覚からすると当人たちは不憫な気がするし、ちょっと悪趣味だと思うけど。
でもまあ、この世界ではちょっと悪いことするだけですぐ首とか斬っちゃうから、前の世界の常識とはちょっと違うもんね。
首斬られないで済んでよかったね、ってことにしておこう。
「むおんでもいいんだ。じゃあサイレントえいがとかつくってみたらウケるかな?」
「さいれんとえいが、ですか? それは……ああ、ケイトリヒ様。その話はまた改めていたしましょう。御館様から重大発表がございますよ」
会場から再び壇上に上がった父上は、最初の頃よりだいぶくだけた雰囲気になっている。
お酒が入って、なんか楽しいエンターテイメントもあって、ご機嫌みたいだ。
会場も同じようで、クラッセンが何度か「静粛に」宣言の代わりにハンドベルを鳴らすがなかなか静かにならない。
「あー、諸君。宴もたけなわというやつだが、ここで私の決断を発表したい。静粛に、静粛に」
さっきは威厳の塊みたいだったはずの父上が、いい感じにただのよっぱらいおじさんになってます。まあ、グランツオイレの領主フランツ様も「もっとくだけていい」みたいなこと言ってたし。そういうのが許される席なんだろう。
徐々に静かになっていくが、会場の大人たちにへんな緊張感はない。いい感じに場が温まってるみたいだ。
「うむ、先ほどの一件でおわかりの通り、シュティーリ家の落胤と言われるこのペシュティーノを、私は大変重宝している。それはおわかりいただけたであろう」
何故か突然ペシュティーノが取り上げられた!
いや、事業は俺とペシュティーノの共同運営だから、大人のペシュティーノが取り上げられるのは当たり前か。むしろラウプフォーゲルでペシュティーノが信頼を得ることで俺の立場も上がる。きっとそういうことだよね。
「ケイトリヒは天才的な魔術師の卵。世話役のペシュティーノは魔導学院主席卒業。我らがラウプフォーゲルにようやっと齎された、『魔術』の人材である。これをもって、長らく手つかずであったかの地が、主を得ることになる」
父上の言葉を聞いて、何人かが察したのか「おお」とか「ついに!」とか聞こえてくる。
なんぞ?
まったく話が見えませんけれど?
ペシュティーノの表情を伺うと、既に話を聞いているのだろう。
にこにこと俺を見るだけだ。なんなんだよぅ。
「ケイトリヒには、ラウプフォーゲル領の『聖域』と呼ばれたユヴァフローテツ小領地の統治を任せるつもりだ。成人するまではペシュティーノを補佐官とし、成人後には小領主とすることをここに宣言する」
会場がワッ、と歓声と拍手に湧いた。
え?
なんですと?
近くにいたゲイリー伯父上とフランツ様が「すごいことだ、おめでとう!」と俺に拍手してくれている。遠くにいる貴族も大声で「めでたい!」とかなんとか叫びながら、俺とペシュティーノに向けて惜しみない拍手で祝ってくれているっぽい。
えーと……意味わからんけど、「ありがとう」でいいのかな?
起きたばかりの目をしぱしぱさせながら、目をこすろうとしたけど手袋が宝石でぶつぶつしていることを思い出した。眼球傷つけるやつ。所在なくなった手のやり場に困って、仕方なく拍手に応えるように、ちょい、と手を挙げる。
するとドッと拍手が大きくなり、「なんと豪胆な子か!」と褒めちぎられた。
あれ、こんな予定じゃなかったんですけども。
戸惑いつつ父上を見たりペシュティーノを見たりするけど、みんなにこにこ笑顔。
とりあえずイイことみたいだから、詳しい話は後で聞こう。
にっこり笑うと、また拍手が湧いた。
うーん。
謎。
そうしてなんだかよくわからないまま、俺の親戚会は終わった。
実際には会自体は3日間開催されているそうだけど、初日以外はいわゆる「初日に諸事情で参加できなかったヒトたちも参加したテイで挨拶してっていいよ」期間。
本城には多くの来客が宿泊していて、来訪客も絶えずいるため、家庭教師の先生が呼べなかったり本城の出入りが制限されたり外出できなかったりするけど、西の離宮を出ない俺には関係ない。
そして西の離宮では、じわじわと引っ越し準備中だ。
なんでじわじわかというと、俺がこの離宮を出るのが半年後だからだ。
どうしてそうなったかというと、よくわからん。大人たちが決めた。
「で。いいかげん、ユヴァフローテツしょうりょうしゅがなんなのか、おしえてもらえませんかね?」
今日は魔法陣学の授業。
ペシュティーノとみっちり話せる日だ。
話そうと思えばみっちり話せるんだけど、親戚会が終わってここ数日はそれなりに忙しかったんだ。挨拶できなかった娘連れの貴族の面会依頼とか、そのお断りとか。娘を紹介したい貴族からのお手紙とか、そのお返事とか、その記録とか。お見合い写真的なご立派な肖像画が贈られてきて、その返送とか。
送りつけておいてどういうことよ、と思うけど、高価なものだから婚約しないなら返してほしいらしい。めんどくさいなあ。まあ全部メイドたちがやってくれたんだけどさ!
「ユヴァフローテツは地政学で習っていないでしょう」
「うん、でてきたこともない」
「それは最近ついた地名で、もともとは『水の荒野』と呼ばれていた地域ですよ」
「あ、それならきいたことある! たしか、ものすごくひろいしつげんちたい」
帝国は全体的に暑い地域だが、とにかく広い。
俺の雑な計算でざっと考えても、北米大陸よりも広いと思う。
そしてそんな広い帝国は全体的に気温が高いことは確かだが、暑いだけではなく様々な気候の特性を持った地域がある。
この世界では魔法や竜脈なんていう、天候とはまたちょっと違った要素もある。そのため前の世界の常識的な地理学が必ずしも当てはまらないというのは面白い。
そのひとつがまさに「水の荒野」だろう。
砂漠と荒野が広がる地域に突如現れる台地と山。そしてその台地は、何故か常に水がたっぷりと蓄えられた湿地なのだ。水は普通、上にあれば下に向かって流れていくものなのにその台地の上にある湿原は下の砂漠を潤すことなくとどまっている。
理由はわからないが、むかしから「そういう土地」らしい。ユヴァフローテツ……ドイツ語で「水浸し」を意味する言葉がつけられているのも納得がいく。
「そんなとこ、とうちするひつようあるの? こうやなんだよね」
「それが荒野ではなくなったから統治する必要があるのですよ。あの土地はどうやら、魔力学的に見ると稀有な特性を持っているそうでしてね」
ペシュティーノの話によると、2〜30年ほど前から「旅エルフ」と呼ばれる特定の居住区を持たないはずのエルフが好んで住み着くようになったんだそうだ。
それにつられてか、引退冒険者の魔術師や退役した宮廷魔術師などが好んでその地に住むようになった。そういった状況が続き今では立派な街となり、自ら「ユヴァフローテツ」と名付けたのだそうだが。
「ラウプフォーゲルからは街としての規模が大きくなってきたので統治官を置きたいと前々から打診していたのですが、街のほうがそれを認めなくて。『魔力も持たない者に従う気はない』と突っぱねられていたそうですよ。それでいて税金はきちんと納められていますし、住民管理もしっかりされている。なので御館様としてもなかなか強く押しきれなかったという話です。不本意ながら自治区のような状態が続いていたそうですが、ケイトリヒ様の話を聞いてユヴァフローテツの代表が自ら訪ねてきたそうです」
つまり……いままでラウプフォーゲルが手懐けられなかった、魔術師の街ってことか。
「僕のはなしを聞いて、って? なんのはなし?」
「……魔導演習場で火柱をあげた話です」
へー。そんなに話題になってたのか。
だいぶ前の話のように思えるけど、まだ半年くらいしか経ってないんだなー。
「ともかく、ユヴァフローテツはラウプフォーゲル城からもそう遠くありません。今では城の魔術師たちの相談役も担っているといいますから、社会的な影響力もある。そしてケイトリヒ様は中央から注目度が高いため頻繁に中央から使者が訪れることでしょう。彼らには御館様が手厚く囲い込むのを阻止したいという思惑もあります。その対策として、ケイトリヒ様を外に出してはどうかという判断ですね」
ふむ。中央からの使者の来訪は避けられないとして、父上がそれを断ると「囲い込みだ」と顰蹙を買うことになる。けど小領主となった俺が断ればそれは俺の判断とされるわけだ。なるほどなるほど。
というか親なんだから、幼い息子を囲い込むのって普通じゃないの?
それを阻止する中央って悪の組織じゃね? うーん、わからん。
「そとにだすついでに魔術師のまちをとうちしといてね、と」
「それもありますが、私の地盤固めにもなります」
「なるほど? 僕とペシュはいちれんたくしょーだもんね」
「いえ、ケイトリヒ様は私がいなくてもラウプフォーゲルで身を立てることができるでしょう。もちろん私ほど効率良くは行かないとはおもいますが……しかし私は立身出世しなければケイトリヒ様の将来の足枷となるやもしれません。ユヴァフローテツはケイトリヒ様のために、御館様が用意してくださった『舞台』なのですよ」
ペシュティーノはにっこり頷いて俺の髪をふわふわと撫でる。
「そっか。どうなるかわかんないけど、ペシュと側近と、メイドたちがいっしょにいくならどこでもいいや」
椅子の上で足をぷらぷらさせているとペシュティーノが抱き上げてきて、ちょっと強めに抱きしめられた。俺もそれに応えるように首に手を回してぎゅーとする。
「はい、この身果てるまでお側におります」
やっぱりペシュティーノと俺は一蓮托生だと思うんだよね。
よし、じゃあよくわかってないけどユヴァフローテツとかいう小領地の統治がんばろう。
次回は3話同時公開です
皆様からのいいね!は制作の励みになります!
気に入った方は、ぜひいいね!をよろしくお願いします。