2章_0028話_親戚会 1
「な、なんだこの料理は! 美味すぎるじゃないか! この小さな椀も、スープも、食べたことのない美味さだ!! おいザムエル、これはどうしたことだ!!?」
食べ物を口に入れて2秒ですぐに叫べる伯父上ってすごい。
本当に味わっておっしゃってますかね?
「あー、料理長。ハービヒト領主への料理説明を頼めるか」
父上は会話を厭うように丸投げです。
本来なら異世界メニューは社交界での話題の的、親戚会での目玉コンテンツとなる予定なので領主自らが説明するのがスジなんだけど。相手が実の兄だからか、雑です。
「ケイトリヒ様の専属にして異世界の料理人、レオ・ミヤモトが考案、製作した調味料、『ミソ』と『ショウユ』と『シオコウジ』をふんだんに使ったメニューにございます」
本城の料理長がどこか誇らしげに言う。ちゃんと名前を出して説明してくれるなんて、誠実なひとだな。まあ、今のところレオと俺の精霊たちの協力の元でしか作れないから手柄を奪おうとしても無理なんだけどね。
そういう事情とは関係なく、レオはなんでもホイホイとレシピを教えてしまうから、メイドたちが心配していたくらいだ。きっと料理長もレオの誠実さに応えてくれたんだろう。
「ほう、ケイトリヒの専属とな!? 異世界人を雇い入れているとは驚いた! ケイトリヒ、一体どこで見つけてきたのだ?」
伯父上の声は広いテーブルでも端から端までバッチリ届く。斜め前の俺からするとちょっとうるさいくらいだ。アデーレ夫人はいつもの不機嫌な顔と違って、常に上品な微笑みを湛えている。さすが貴族。
「もりでひろいました」
俺が正直に言うと、ドッと笑いがおきた。本当なんですけど。
「ケイトリヒが言うと、まるでドングリでも拾ってきたかのようですね」
アロイジウスが笑う。
この世界、ドングリあるんだ! やっぱり子供が拾ってくるものの代名詞なんだ!
異世界との意外な共通点みたり。
「まあ、間違ってはいないのだが補足すると、その異世界料理人はケイトリヒの側近となったバルフォア商会の息子と縁があったそうでな」
父上が補足してくれる。あ、そうか。確かにガノとの縁がなかったら、公爵令息である俺の専属にするには手間取ったかもしれない。
「ほう、バルフォア商会か、最近よく名を聞くな。たしか木材事業でウィオレンド商会を買収したとか。たしか、以前妻にナッツを献上してきたな。そこの息子がケイトリヒの側近になるとはな、先物取引にも明があるらしい」
伯父上が俺を見てニヤニヤと笑う。
「はい、ガノはおかいどくでした」
俺が言うと、大人たちがまたドッと笑った。兄上たちはよくわからないまま、曖昧に笑っている。クラレンツだけは料理に夢中だ。ブレないね。
ハービヒト領主である伯父上とその2人の夫人を交えた夕食会は、伯父上の独壇場だ。
いつもは威厳に満ちた父上も伯父上を前にすると「ふてくされた弟」感がある。マイペースで人気者の兄ゲイリーに、空気が読めすぎて気を遣う弟ザムエル。さらにその下の弟である俺の実父クリストフは、おそらく上の2人から可愛がられていたんだろうな、と、なんとなく思う。
「なんだケイトリヒ、ちっとも食べておらんではないか。もっと食え、食え!」
「兄上、ケイトリヒのお腹は小さいので、一度にたくさんは食べられないのです。食事量はそこのペシュティーノにしっかり管理させています故、ご心配なく」
俺の後ろに控えていたペシュティーノが深く頭を下げる。俺の食事量を見たら大半の大人が言うであろう事を、伯父上が案の定口にしたので父上が素早く説明してくれた。ありがてえ。
「いっぺんにはたべられませんが、いちにち8かいたべます! ときどき10かい」
「ほお、そうかそうか! えらいぞ! 専属の料理人が異世界人ならば、メニューも豊富だろう。確かに10回でも食べれようなあ!」
ペシュティーノは1食で3人前食べるというのは黙っておこう。ヴァルトビーネのはちみつにお世話になっているのも黙っておいたほうがいいと言われた。あれはとんでもない高級品なので、父上が俺を贔屓しているように思われるからだという。
面倒だけどこれも処世術というやつだ。
「レオはごはんもおやつもおいしいです!」
「ん、レオ? ああ、先ほど料理長の話に出た者か。異世界人はレオというのか」
伯父上がガツガツと食べていた手を止めて、何か考え込みながら、父上をチラリと見る。
父上、よくわからないけど補足説明求められてます。
「帝国の異世界召喚勇者ではありません。共和国から流れ着いたそうです」
「なんだと? 共和国の間者である可能性はないのか!?」
父上の言葉に伯父上が驚いた。もしかして、ここ帝国では異世界から召喚された人物は領主クラスには全員共有されているのだろうか。
「兄上もご存知のとおり、異世界人というのは……独特でしょう。いくら共和国で召喚されたからといって、共和国の思想に染まりきるには相当の時間がかかるでしょう。異世界人は共和国人でも王国人でもなく、異世界人です」
レオは召喚されて半年もしないうちに共和国の召喚した庇護者の元から去ったこと、戦闘能力が皆無であること、異世界で料理の道を極めたいという意志があることなどをペシュティーノが軽く説明すると、伯父上も夫人も納得したようだ。
それに加えて、より伯父上を納得させたのは「レオ・ミヤモトは18歳で召喚された」という話だ。これは一般的な異世界召喚勇者からすると異例らしい。
大抵は12〜16歳くらいだそうだが、18歳となると自我もしっかりしているので簡単に異世界の常識には染まらない。政治思考もしっかり確立していたはずだ、と伯父上は安心したように言う。うーん、日本の18歳はそうでもないと思うよ?
「確かに異世界人は我々とは根本的な価値観が違うからな」
「帝都にいる異世界人も、面白い人物でしたわね」
「帝国では魔術省が身元預かり先になりますけれど、共和国では聖殿なのね」
「ていこくの異世界人はまじゅつしょうにいるんですね?」
「そうだ。本来、異世界人に求めるのは主に魔法の力だったからな。といっても、今や帝国は共和国や王国のようにアンデッド討伐にあまり異世界人の力を必要としない。昨今の目的は彼らの持つ進んだ文明の知識だ、あれは彼らにとっては些事でも国益となる。帝国の召喚法は数十年前から召喚前に事前に本人の承諾を得るという方針に変えたそうだ。するとどうだ、召喚される異世界人の質が大きく変わったそうだぞ!」
伯父上がワイングラスを掲げながら面白そうに語った。
「異世界召は非人道的と言われてきましたけれど、そういった声が小さくなったのは承諾を得るようにしたからなのね。質が変わったというのは、良くなったということかしら」
黙っていたアデーレが会話に参加する。
アデーレは異世界召喚勇者に興味があるのかな。
「うむ、改定前は錯乱したり即時帰還を求めたり、果ては自害するものまでいたと聞くが今では聞かんな。皆、一様に協力的で状況把握が早いという」
それって単に了承を得るようになったからだけの理由かな。時代的に「異世界転生」モノが流行ったってのもあるかもしれない。でも異世界召喚の時間軸がどうなってるのかは謎だ。デリウス先生の授業では1万年以上昔にも異世界召喚を行ったという伝承があるらしいし、その時現れた異世界人は手持ちの通信機械のようなものを持っていたという話も残っている。それがガラケー、あるいはスマホだとするなら、地球側でヒトが連れて行かれる時代はだいたい同じ時代に固定されているのかもしれない。
……レオはスマホ持ってないのかな?
「異世界召喚勇者に会ったことがあるのですか?」
アロイジウスが聞くと、伯父上は「もちろんだ」と答える。
帝都の中央議会に出席する領主であれば姿を目にする存在らしい。
割と馴染んでるんだね?
「帝国の異世界召喚勇者はアンデッド討伐にはあまり関与しないとは言ったが、名目としてはアンデッド殲滅を含めた帝国発展のための召喚だ、秘匿する訳にもいかんからな」
どうやら異世界召喚には多大な予算がかけられているそうだ。
帝国全体の利益のために召喚された異世界人ならば、たしかに中央で独占するわけにもいかないだろう。帝国の異世界召喚勇者はどんな人物なのだろう。
「共和国では、たたかえないいせかいじんは『やっかいばらい』されるってききましたけど、帝国ではたたかわなくてもいいんですか?」
俺が無邪気に言うと、大人たちが困惑した。
「そうか、料理人は共和国から来たんだったな。共和国ではまだ非人道的な召喚を続けているようだ。身体的に劣った異世界人の戦闘能力に頼るのは、いささか無理がある」
「知識や文明ははるかに上ですけれど、こと戦いの能力というと赤子なみと聞きますわ」
「異世界では魔物はおらず、日常的に戦いに身を置く人物は限られているとか。その戦いですら、こちらのような肉弾戦ではなく機械を使って戦うそうですね。それは身体も鍛えられませんことよ」
帝国では早々に異世界人の戦闘力について見切りをつけていたようだ。たしかに、父上や伯父上、それに騎士団長やその辺にいる護衛騎士などのラウプフォーゲル男と比べると、恵体と言われる欧米人でさえ華奢に見えるくらいだ。銃器をつかった戦いなら体型はさほど関係ないが、剣を振り回すなら絶対に異世界人……地球人のほうが分が悪い。
兵装は重いから扱うならそれなりに筋力も必要だろうけど、こちらの比じゃない。
「異世界人は、魔法や不思議な業が使えると聞いていますが」
アロイジウスが口を挟む。
「古代では宮廷魔導士を凌駕する異世界人もいたそうだがな、昨今ではとんと聞かぬ。本来の目当てである【光】と【闇】の属性適性も、20年前の異世界人を最後にとんと姿を見せぬ。とあれば、費用対効果の低下は目に見えているというのに……」
「あなた」
「実りのない愚痴は会議で発散なさってくださいな。今は楽しい夕食の時間ですわよ」
伯父上が愚痴っぽくなってきたのを、夫人が2人がかりで止める。
「おお、そうだな! 魔法といえば、ケイトリヒだ。ケイトリヒはとんでもない魔力を持っているそうではないか! 養子皇子の話も出たということだが、実際のところ属性適性はどうなのだ? ん?」
伯父上がおもがけないタイミングでぶっこんできた。
そういえば俺の属性適性ってなんなんだろう。結局うやむやになった気がするけど、全属性? 中央の魔法省の方々も、なんだか結果的によくわからなかったみたいな雰囲気だったような。答えあぐねて首をかしげると、父上が助け舟を出してくれた。
「それが、魔法省の鑑定を受けてもよくわからないという結果になったのだ。エルフの助言によるものではあるが、幼くして魔力の高い者には稀にあることらしい」
あ、そうなんだ。ほんとによくわからないんだ。
「エルフまで関わってきたか。まあ、確かにこの子はファッシュ家でありながらエルフの血筋も濃いように見受けられる。母方が……まあ、あれだからな」
あれ? とは?
シュティーリ家って、口に出すこともはばかられるほど嫌われてるの?
チラリと後ろのペシュティーノを見ると、そっと耳元で補足してくれる。
「ケイトリヒ様の実母の家は、ハイエルフとの間に生まれた子が起源とされて代々、高い魔力を持つことで知られています……かの家の名を出すのは、なるべく避けてください。そういえば言いそびれておりましたが、親戚会でも、です」
あ、ほんとにそんなにダメなんだ。
夕食のあとは、魔導学院入学の話になったり、俺名義の事業の話になったり。モートアベーゼン改良の話は明日の親戚会でお披露目だから、詳しい内容についてはまだ伏せられているみたいだ。アデーレと2人の夫人は興味津々だったけど、伯父上が話に乗ってこないあたりは父上から口止めされているのだろう。
あ、あと何故か以前父上にもらったぬいぐるみ、レディ・バーブラについて聞かれた。
気に入ったか、とか、もっと欲しいデザインはないか、とか。俺としてはすっかり忘れていたんだけど、さも大のお気に入りのように話したら大変喜ばれた。
フワフワだし気に入ってはいるよ? 忘れてただけで。
あれはハービヒトの服飾工房がフェイクファーを開発する工程でできた副産物らしい。
伯父上が自慢げに話してくれた。
そしてダイナマイトセクシーボディ姉妹の伯母上たちにしこたま可愛がられて、幸せいっぱいでベッドにIN。
前世ではそんなに気にしたことなかったけど、胸に限らず女性の身体の柔らかさって全ての煩悩を凌駕する至高だ。
なんて考えてたら添い寝してくれるペシュティーノにお胸がないことがとても残念に思えてしまった。いや、贅沢は言わない。ペシュティーノはもう少し、肉をつけてもいいと思うんだ! 筋肉でも贅肉でもいい。骨はやっぱり痛いんだもん。
(主、それを求めるは酷というものにございましょう。かの随身は、主に致命的に不足している【命】を意図的に主に捧げています。高い魔力、そして主との魔力的な絆、さらに自己犠牲に近い献身がなければ自らの【命】属性を捧げるなどという行為は、本来ならば生物において到底不可能なものです)
(ヒトや魔物みたいな生命体が、生命の根幹である【命】や【死】属性を操るなんて、ホントはできないからねえ)
ウィオラとジオールの脳内会話に驚くあまり、カパッと目が開いてしまう。
目の前には、添い寝してくれているペシュティーノの胸元。すっかり眠っているのか静かな寝息が聞こえる。
(僕が、ペシュティーノの【命】属性を吸い取ってる……ってこと!?)
(いいえ、随身が主に捧げているのです。主が求めていなくても、主は本能的に受け取ってはいますが吸い取っているわけではありません)
(うんうん、【命】属性を分け与えるなんて、生物の授乳以外では初めて見るよ。それも意図的にしているものじゃないんだけどね。ペシュティーノが大食いなのは、まあ魔力的に授乳してるから、って考えると納得がいく?)
魔力的な授乳!!
俺、中身は大人だと思ってたけど、肉体的には子供だし、魔力的には乳飲み子だった!
ショックがでかすぎて呆然としていると、ペシュティーノが寝ながらも何かを察知したのか俺の頭を撫で回す。
小学校か中学校で習った川柳が頭によぎった。
「寝ていても 団扇の動く 親心」
……習った当時は状況がいまいち納得できなかったけど、今ならわかる。ペシュティーノの添い寝は、【命】属性の魔力をゆっくりと馴染ませながら受け渡しするための時間。
あまりの献身的な愛情に、涙が出てきてしまった。
こんなお返ししようもないほどの愛情を受けたのは、前世でも経験がない。
うっかり鼻をすすってしまったことでペシュティーノが起きてしまった。
「……ケイトリヒ様? 怖い夢でもみたのですか?」
「んーん。へいき。めがさめて、ペシュがいてくれてよかったなーって、おもっただけ」
横向きに寝ているペシュティーノの脇にぐりぐりと鼻先をねじ込ませると、大きな手が後頭部と背中を優しく撫でて掛布をかけてくれる。あやすように背中を優しくぽんぽんされて、スコンと眠ってしまった。
翌朝。
朝から外が騒がしくて目が覚める。
「あら、ケイトリヒ様。まだ寝ててもよろしいお時間ですのに。起きられますか?」
おふとんのなかでムニャムニャしていると、ミーナが声を落として聞いてきた。
お外では誰かが走っていく音や、遠くから誰かに呼びかける声などが聞こえる。
「なんだかさわがしい?」
「本城にはお客様がもう集まってますので、この西の離宮にもいくらか伝播がございますわね。本城の馬車回しでどこかの馬車が横転したとかで人員が駆り出されましたわ」
ペシュティーノはいつの間にかいない。
「午前は大人たちの会議がありますので、王子にお呼びがかかるのはお昼過ぎですよ」
「僕、ねてたほうがいい?」
「うーん、そうですわね。今は護衛騎士も本城の手伝いに行ってますので、お部屋でおとなしくしていただけると助かりますわ」
「じゃあもうちょっとねよー」
「ケイトリヒ様、軽く召し上がってお休みになってはどうですか? ミルクセーキとビスケットを用意していますので」
レオ特製のミルクセーキは最近の俺のお気に入りだ。牛乳と卵という栄養満点な素材をベースに、どこか粉っぽい何かと色々なスパイスっぽいものが入っている。
甘いのいクドくなく、間にちょっとしょっぱいビスケットを摘むとそれがすごくマッチしてて、すごく美味しいんだ。たぶん、レオが考えた栄養補助食品っぽいものだとおもう。
多少食欲のないときでもグビグビ飲むものだから、1日2回は出てくるようになった。
ミーナはうふふと笑って俺にそっと掛布をかけてくれる。
外ではまた、遠くで誰かが言い争うような声が聞こえたけど事故があったのなら衛兵たちも大変だろうな、と思って意識を手放した。
――――――――――――
「西の離宮は開放されておりません。御館様の許可のない御方はお引取りください」
「其方、どこの家門の者だ。私はラウプフォーゲル議会の上級議員であるぞ」
「ここは御館様の命により封鎖されています。お引取りください」
いかにも貴族、といった立派な身なりの壮年の男性と、重鎧をフル装備した実戦的な護衛騎士が対峙している。お付きと思われる若い男たちは騎士の威圧的な態度におどおどしているが、主である貴族の男性はひるまない。
「ラウプフォーゲル上級議員、ラムラッテ・ベンブルクの名を知らんのか? 議員自らが不遇な第4王子殿下をお慰めせんとわざわざ来訪しているというのに、貴様らの判断で退けても良いのか」
「我々は御館様の御命に従うまで。お引取りください」
西の離宮は本城の別館として建てられたもので、敷地を共有しているため特に囲いなどはない。以前に不届き者が出たことで、西の離宮は本城と同レベルの警戒体制だ。
「話にならん、責任者を呼べ!」
その瞬間、離宮の中から大きな扉が開く。
姿を表したのはメイド姿の若い女性。
「騒がしいですね、何事ですか」
「ミーナ様、申し訳ありません。御館様の許可なき者の訪問を断っておりましたが、納得いただけずほとほと困っていたところにございます」
身なりの良い男性はミーナを見た瞬間眉根を寄せたが、衛兵たちが従っているのを見て様相を変える。
「貴女がこの離宮の責任者か。私はラムラッテ・ベン……」
「つまみ出しなさい」
「はっ」
ミーナの一声に、騎士たちが一斉に行動に出た。身なりの良い男性の肩口の衣服を掴み、ひねり上げて重鎧の身体で押しながら強制的に歩かせる。
「なっ、なんてことを! 私を誰だと思っている!! 不遇な第4王子にわざわざこの私がッ、く、よせ!! 放さんか!!」
「御館様の許可のない者はたとえ皇帝陛下の直轄であろうと通すわけにはい参りません。これに懲りたら親戚会の喧騒に乗じて王子殿下に取り入ろうなどいう下衆な考えは夢想するだけになさいませ。それと……」
襟首を掴まれた男は、側近の青年たちに見守られながら本城の馬車回しのあたりまで押しやられ、乱暴に突き放されるとみっともなく尻もちをついた。
顔を真っ赤にして怒鳴り散らそうとしたが、周囲には旧ラウプフォーゲルの領主たちの馬車が集まりつつある。中には小窓から覗いている馬車もある。
腕組みをして見下すように立ちはだかったミーナを睨むと、呪詛のようにブツブツとなにかを呟く。
「それと、次に我が王子を『不遇』などと断じた場合は不敬罪として処します。栄えあるラウプフォーゲル上級議員ならばその罪は理解されていますね? 斬首も厭いませんので、ご覚悟を」
ミーナが冷たく言い放つと、側にいた重鎧の護衛騎士はそっと剣の柄に手をかける。
さすがに青くなった男は、立ち上がって身なりを整えるとそそくさと去っていった。
――――――――――――
「王子……そろそろ起きましょうか」
「んふあ」
ほっぺをつんつんされる感触に目を覚ます。
ぱちりと目を開けると、クスクスと笑うミーナ。今日もよい目覚め!
「いまなんじ?」
「5刻ですよ」
いつも7時くらいにおきるので、今日はちょっとお寝坊だ。お顔を拭いてもらって、軽く歯を磨いてもらって、髪の毛を丁寧に梳かしてもらって、完成。
今日はお客さまの前に出るので、お着替えはきっと衣装室。
「ケイトリヒ様、今は召し上がれますか? レオがお目覚めのお時間に合わせて、パニーニというお食事を用意してくれましたが」
鼻をすんと鳴らすと、香ばしいベーコンのにおい。食欲をそそる香りに刺激されたのか、お腹が「グィ?」と疑問形で鳴った。たまにあるよね。
「たべるー!」
「まあ、ようございました。たくさん食べて、偉いですねえ」
室内のミニテーブルセットに並べられた朝食セットは、冷静に見るとほんとに小人の食事みたいだ。
俺の片手ほどのパニーニはパンがとても薄くカリカリに仕上がっている。パンというよりちょっと分厚いクレープ生地ってくらい。香ばしいベーコンと瑞々しい野菜。
そしてチーズ。そう、レオはとうとうウィオラとジオールの協力を得て、とろけるチーズの製法確立に成功したのだ。
チーズ自体は王国や共和国では存在するらしいけど、暑い地域の帝国では貴族の間ですら一般的ではないそうだ。そもそも乳業があまり浸透してないし。
「んー! のびぅー」
「まあ、今日は今までで一番伸びてますわ!」
熱々のパニーニはかぶりつくとカリッとクリスピーで、瑞々しい野菜とベーコンの脂がじゅわっと口に広がる。そしてそれをまとめあげる、とろけるチーズ! うまし!
そして量もちょうどいい。もうちょっと食べたいなと思うくらいの大きさで食べ終えてしまうと、あとは果物とプリンが入るのだ。
「かんぺきなちょうしょく!!」
「まあ、レオに伝えておきますわね、きっと喜びます! ケイトリヒ様、残さず食べて偉いですわ」
ミーナがお口を拭いてくれながら頭を撫で回し、かるくキュッと抱きしめられておでこにチュウされる。ララもカンナも、俺の専属になってからは同じように抱きしめたりチュウしてきたりする。普通の王子ってこんなにスキンシップあるのかな?
クラレンツとカーリンゼン兄上は母親がいるけど、アロイジウス兄上も同じようにメイドに可愛がられているのだろうか。いや、もう年齢的に無いか。
俺は見た目3歳だからな……。
どうでもいいことを考えていたら、コンコンと部屋がノックされた。
「主、おはようございます」
「ギンコ!」
「ケイト、おはよう」
「にいに!」
俺はぴょいとミニテーブルセットの椅子から飛び降りて、スタンリーとギンコに手を広げて駆け寄ると、ふたりとも100%受け入れ姿勢でハグしてくれる。
「今日は私達は西の離宮でお留守番です。主は領主の会合に出席されるのでしょう? ああ、私もヒト型になれれば主のお側を離れずに済むのに……」
「私も、今日はギンコと一緒に留守番です。ケイト、ヒトがたくさん集まっているみたいだけど大丈夫?」
「だいじょうぶ? って、なにが?」
俺がキョトンとしてスタンリーを見ると、スタンリーは「大丈夫そうだね」と笑った。
何を心配していたんだろう。
「ギンコ、ヒト型になれるの?」
「まだ私には修行不足ですけれど、いつの日か必ず」
えっ、まじで?
パッとミーナを見ると、「それは楽しみですね」と笑っている。スタンリーを見ても特に驚いた様子も疑わしい様子もない。え、この世界の狼は修行するとヒト型になれる? まるで妖怪だな。それともギンコが特別なの? ……あとでペシュティーノに聞こう。
「6刻になったらお針子衆が衣装を持って参りますので、それからお召し替えです。それまではお部屋でギンコとスタンリーとで遊んでてくださいね」
ミーナはそれだけ言い残すと、朝食の食器などを抱えて出ていってしまった。
部屋で遊ぶっていわれましても……。
ゲーム機があるわけでもないのに、中身大人な俺が遊ぶってどういう?
結構な難問なんですけども。スタンリーとギンコの顔を見ると、「何して遊ぶ?」みたいなワクワク味をかんじる。これは……ひねり出すしかない!
――――――――――――
「王子殿下はお部屋に?」
「はい、ディアナ様」
ディアナがいつものお付きのお針子衆を従えて、西の離宮にやってきた。
ミーナが出迎えて案内する。
「まあ、側近騎士を本城に奪われて身動きできないなんて、窮屈でしょうに」
「そんなことはありませんよ、ケイトリヒ様はお体が小さいですから」
「……? お体の小ささが、関係ございますか?」
「お体の小さいケイトリヒ様にとってはお部屋も広場と同じです」
ミーナの不可解な断言に、お針子衆は首をかしげる。
2階にある王子の自室に向かう階段で、ドッタンバッタンと激しい音が聞こえてきて、きゃあきゃあと甲高い笑い声が聞こえてきた。
「まあ、随分とお元気そうで安心したわ」
「し、少々こちらでお待ち下さい。王子をお連れします」
ミーナはお針子衆を王子の自室の隣の衣装室へ案内して、恐る恐る王子の部屋のドアを開く。が、ドアから溢れたのはモッフモフの毛。ドアの一面を被っていて、もふもふの壁のようだ。
状況が飲み込めず、もふもふに手を突っ込んで「もぎゅ」と握ってみると温かい。
毛の向こうでは、相変わらず子供の……ケイトリヒ王子の笑い声が響いている。
「主、迎えが来たようですよ」
「きゃーははは、ひゃはははふふっ、にいに、くしゅぐったーい!! あひゃー!」
「ケイト、迎えが来たって。そろそろ終わりにしようか」
「やー! もういっかいやるっ!」
「お、王子? そこにいらっしゃるのですか?」
「あ、ギンコ。ドアを塞いでいるようだよ」
「おや私としたことが。主、ほら降りてください。縮みますよ」
ドアの枠にみっしり詰まっていた毛の壁が、ぐん、ぐん、と2段階ほど勢いよく小さくなっていって、もそもそと動くとようやくミーナから部屋の中が見えるようになった。
「まあ、ケイトリヒ様……! す、スタンリーも」
2人の子供は顔を真っ赤にして汗だく、髪の毛もボサボサに乱れてはあはあと息切れ、さらにニッコニコの興奮状態だ。
「一体何をしてらしたんですか?」
「あのねー、ギンコのやまを2人でしっぽからのぼってみみにタッチするきょうそう!」
「私はハンデ付きです。ケイトリヒ様は前足から登って、私は尻尾から」
「いっしょにヨーイドンしたとき、僕のほうがかったもん!」
「それは私が後ろから支えていたからです」
「むー! にいにはギンコにみみぴんぴんってされてころげおちたくせにー!」
「それはケイトも一緒でしょう!」
小さなケイトリヒはスタンリーの腰に後ろからだきついて振り回すように動かしているが、小柄なスタンリーでも流石に動じない。スタンリーは器用にケイトリヒの脇腹を探り当ててくすぐると、また甲高い笑い声が響く。
「こ、こんなに楽しんでらっしゃるとは予想外でしたわ。ケイトリヒ様、だいぶ汗をおかきになってるようですわ。お召し替え前にかるく湯浴みしましょうか」
「はあい!」
「手伝います」
「や! にいにがてつだうとこちょこちょするでしょ!」
「ばれたか」
顔を見合わせて笑い転げる少年たちを見て、ミーナは「お針子衆を待たせることになる」という申し訳無さよりも、年相応の健全な姿を初めて見る嬉しさについ笑顔がこぼれた。
「湯浴みですか」
低い声にビクッとしてミーナが振り向くと、ディアナが仁王立ちしている。
お針子長たるディアナを湯浴みで待たせるのは流石に失礼だったかとミーナが焦っていると、ディアナはニヤリと笑って「手伝いましょう」と言ってきた。
その後、ケイトリヒはミーナとお針子衆とスタンリーの6人がかりで丸洗いされることになった。