2章_0024話_治療計画 3
ミイラの少年を前に、精霊と一緒に治療計画をあれこれ考えていた。
といっても専門的な医学知識のない俺からすると、計画というよりも相談に近い。
臓器の復元と並行して、筋肉と血液を増強する。少しずつ、時間をかけて、細胞分裂にはエネルギーを使うので、それを魔力と素材となる「生贄」で補いながら。少しずつ死にかけていた少年だが精霊たちの補佐によってなんとか死の危険からは遠ざけられている。根本的な治療ができなければ、精霊たちの補佐を失った瞬間からおよそ1日もたてば死んでしまうという。
何にしても「生贄」となる生物が来てからだ、と考えていたらいつの間にか翌日になっていた。
俺はいつの間にか少年の横で眠ってしまったようで、ジュンとギンコも狩りから戻ってこなかった。
ウトウトしてふと目を覚ますと、ぬいぐるみに抱っこされていてビックリした。
バブさん、でっかいよ。
そして3日経った昼過ぎ、彼らは帰ってきた。
とんでもない獲物を連れて。
ラウプフォーゲル城から険しい崖を下った閉鎖区域、俗称は「灰闇の谷」。そこにはおよそ集落からほど近い場所ではありえないほどの大型で凶悪な魔獣が普通に生息していた。
魔獣を生け捕りにしてきてほしいという俺の依頼を受けて、てっきりそこから見繕ってくるものだと思っていたが、違った。ギンコが強力な魔獣の気配を察知し、そちらへ向かったのだそうだ。そうしてジュンとギンコが生け捕りにしてきたのは……。
「こ、これはファングキャット!? しかも、3体も!! い、一体どこで捕まえてきたのです!? これがA級魔獣であることはジュンもわかっているでしょう、帝国では生息しているだけで大問題です。しかも3体以上はたしかS級指定……場所は!?」
3日もかかったのは、捕らえた獲物を持ち帰るためにかかった時間なのだそうだ。
「え、場所? ……し、知らねえ。ギンコに乗って移動したから……途中、なんか転移したような気もするし。なあギンコ、どこだったかわかるか?」
「うむ、生贄にするのであれば強力な魔獣のほうが良いであろうと判断し、我が眷属たちの情報を元に転移魔法を使った。かの群れは……ヒトの呼ぶ区域でいうと『デンテルへデルの森』の辺りを狩場とする眷属であったはずだ」
薬で眠らされたファングキャットは、大きな麻袋に詰め込まれた上からぐるぐる巻にされていて、顔だけを袋の外に覗かせている。もちろん口にも太いツルのようなものを巻かれて開くことは出来ないようになっていて、麻袋にもツルにも強力な魔法が練り込まれた逸品なのだそうだ。大きな荷馬車に乗せられたままのその3体は、1体がとんでもなく大きなオス、もう1体は一回り小さい若いオス、そして幼体。性別不詳。まあ関係ないけど。
とんでもなく大きなオスはサーベルタイガーのように凶悪な牙と、顔には爬虫類のような鱗や棘があって、顔だけ見るととても猫には見えない。
ギンコのように見るからに狼、というように見るからに猫な見た目をしていたら生贄として命を奪うのはどうも拒否感があったけど、こんなに魔獣っぽい見た目なら大丈夫そう。
「デンテルヘデルの森……確か、グランツオイレと共和国との国境線上にある、S級冒険者も好んで入らないという、あの?」
ガノが言うと、ペシュティーノも色々と思案した上で懐疑的な顔を向ける。
「まさか。身軽な馬車で……いえ、馬やラオフェンドラッケに騎乗したとして、どんなに急いだとしても片道で1週間はかかる距離ですよ?」
ガノとペシュティーノの疑いをよそに、ファングキャットを乗せた荷台にはたしかに「冒険者組合グランツオイレ支部」と書かれた刻印が押されている。
「だから、転移したと申しているでしょう。私はゲーレですよ? ヒト一人連れた状態でそれくらいのことが出来ないとでも? 主、如何でしょうか! この獲物で、ご満足いただけますか!」
荷台を曳くために巨大化していたギンコが、俺に近づくにつれてしゅるしゅると小さくなる。まあ……強いほうがいいかどうかは俺にもわからないけど、一応褒めておこう。
「うん、ありがと。ギンコ、いいこいいこ」
すり寄ってきたギンコの頭に抱きついてわしわしと撫でる。
キュンキュンと嬉しそうな声を上げるギンコ、かわいい。
「でも、幼体は……どうしよう」
「ケイトリヒ様、ファングキャットについては以前も申し上げたとおり、このクリスタロス大陸では数少ない危険な人食い魔獣です。ギンコやその眷属のガルムとはわけが違います。どんな慈悲を施そうとも、飼い慣らしたり再び野に放つなどという方法は許しませんよ。連れてきたのですから生贄として使わなかった場合、殺処分します」
ガノもジュンも頷いている。それがこの世界のルールというならば、仕方ない。
俺の一時的な同情心のせいで誰かが犠牲になってしまっては意味がないものな。
「うん、わかった……じゃあこれ、はこべる? おおきいのは、ジュンのおへやの窓のそとあたりに。のこりの2体はおへやのなかに」
「承知!」
「ゆっし、ちっと衛兵たちにも手伝ってもらうか」
「待ちなさい、ジュン。ファングキャットを生け捕りにしたなど、あまり広まってもらっっては困ります。3人ほどに留めなさい」
「え……あ、はい」
ジュンが戸惑ったような反応をしたことで、どうやらもう手遅れだということにペシュティーノとガノは気づいた。
後からペシュティーノに聞いた話ではあるけど、ファングキャットがどれだけ危険な魔獣であるか、もと冒険者のジュンであれば理解しているはず、と思っていたらしい。西の離宮にたどり着くまでも、騒ぎになっていないのはきっと隠密で運んできたからに違いないとペシュティーノとガノは踏んでいたが、勘違いだった。冒険者組合に荷台を借りた時点で、もう遅かったのだとまでは流石に気づいていなかったそうだ。
治療開始、1日目。
生け捕りという状態でもファングキャットというだけで不安視される一番大型のオスの肉体を使って、失った臓器の複製と機能低下した残った臓器の復元、そして縮小した筋肉と迷走神経の回復、減少した血液の増強を同時進行で進めていく。ウィオラとジオールの補佐を受けてはいても、とんでもなく複雑な作業だ。
頭の中で、まるで肉体を粘土細工として作り上げていくかのように、現状をスキャンしながら補強していく。材料となる粘土は、ファングキャットから吸い上げて魔力精製されたうえで、ヒトの身体として使えるように変換されて少年に補充されていく。
一部壊死してしまっていた部分も、みるみるとキレイに再生された。
1日目だけで、見た目はかなり回復した。
生きているのが信じられないくらいのミイラ状態から、闘病生活で痩せた少年、くらいには回復した。顔色は悪く、痩せてはいるけれど確かに生きている。
呼吸音が聞こえるようになったし、心音もしっかり聞こえる。
そしてこの1日で、生け捕りにされた一番大きなファングキャットは絶命した。
夕方には父上がやってきて、捕らえたファングキャットを見せろとせがんできた。
ここでジュンとギンコが隠密行動など何一つしていないことがバレた。
ペシュティーノもガノも薄々そうではないかと感じてはいたようだが、明らかになってしまうと怒り心頭だ。激おこだ。ガッツリ怒られてました。主にジュン。
でも父上はといえば、絶命したファングキャットを見せると原型をとどめていた頭を見て「頭は剥製に、毛皮飾りにする」と喜んで死体を引き取っていった。ラウプフォーゲルでは毛皮は死体の一部という扱いで、アンデッドを呼ぶといわれ忌避される、ってお針子たちから聞いた気がするだけど、間違ってたのかな?
この世界にも、なんか映画とかで見かけたクマの頭のついた毛皮飾りが存在するのか。
前の世界では動物愛護〜とかいう理由でとんと見かけなくなっていたよな。
剥製がアンデッドとして動き出すとか想像しちゃうと、めっちゃホラー。
しかし精霊たちが言うには、絶命したファングキャットは【命】属性を限界まで搾り取ってるので万が一にでもアンデッドにはならないと断言していた。
どいういうこっちゃ? よくわからないけど、断言できるならいいか。
治療開始、2日目。
前日の劇的な治療がしっかり馴染んでいるかの経過観察を含めて、臓器の復元作業を再開する。1日目の段階で生存に必要な機能の50%は復元できているので、その比率を徐々に上げていく作業だ。
1日目の劇的な変化を見て安心したのか、ジュンの表情は明るくなった。けど、城を騒がせた罰としてグランツオイレの冒険者組合に荷台を返しに行く作業を言いつけられ、粛々とそれに従った。もちろん一人でだ。
といっても、わざわざグランツオイレまで行くわけじゃない。流石に罰を与えるという名目のためだけに片道1週間かかる場所に護衛騎士を割くのは不毛だ。
ジュンの罰はラウプフォーゲル城下町の冒険者組合へ行き、グランツオイレまで荷台を返却しに行く人員を手配し、その費用を負担することだ。
ラウプフォーゲルとグランツオイレは険しいフォーゲル山岳地帯に阻まれ、直接行き来する冒険者や小隊を見つけるのは一苦労なはず、という理由でそれが罰となったのだが。
さすがは元冒険者というべきか、アッサリと請負人を見つけたようで、城を出て半刻ほどで戻ってきた。手にはいっぱいの果物やお菓子を持って。
久しぶりに冒険者組合で目一杯羽根を伸ばしたのか、ジュンの表情はさらに明るくなっていた。ペシュティーノもそれを見て「まったく反省していませんね」と呆れながらも、笑っていた。
少年を引き取ってからというもの、暗い顔をしていたジュンを気にかけていたそうだ。
こっそり、ガノから聞いた。
治療3日目。
アンデッド魔晶石を保管していた使用人の空き部屋が、ひとつ空いた。
いつのまにか保管していた木箱が全てカラになり、驚いたガノが報告してきたのだけれど精霊たちが「1日目でほとんど使い切った」と言うと、微妙な顔をしていた。
「普通、魔石から魔力や属性を使う場合は手をかざしたり近くに持ってきたり、装置にはめ込んだりする必要があると思うのですが、精霊様だからそういう手順は必要ないんですかね?」
と言って首をかしげながら、空き部屋の木箱を整理していた。
精霊に普通なんて通じないのだ! ……って、ペシュティーノが言ってた!
少年の状態は、見た目は大きく変わらず。
少し肉付きが良くなって、血色も良くなってきたくらいだ。
臓器のほうは、思ったより早く80%程度の回復を見せている。これなら、精霊の魔法による延命補助がなくても死ぬことはないそうだ。もう安心だね。
急激に髪が伸びて、爪や垢なども溜まってきたので、ジュンが甲斐甲斐しく世話をしている。洗浄魔法をかけるだけでなく、温かい湯で身体を拭ったり、爪を切ってあげたり、髪を梳いてあげたり。俺はメイドに頼めば、と提案したけど、ジュンは「弟や妹みたいに暴れたりつねったりしてこないだけマシ」と言いながら笑って楽しそうに世話をしていた。
意識は意図的に戻らないようにウィオラが操作してくれているのだけど、もしかしたら明日には意識を戻してもいいかもしれない。
そして、昨日と今日で一回り小さかったファングキャットの若いオスが絶命した。一応、父上に死体はどうするか聞いたら、「同じように加工して売る」と言って喜んでくれた。
売るの? 売れるの? なんかそういう仲間がいるのかな。
ちゃんと聞いたところ、ラウプフォーゲルでは毛皮を身につけることが忌避されているんだそーだ。壁に飾るとか家具はOKってことか。
残りは幼体のファングキャット。
餌も与えられず、袋詰めされたまま室内の片隅のカゴに放置されて3日。
いくら人食い魔獣といっても、まだ幼い個体を必要以上に苦しめたくはない。
心配になってそっと袋に近づく。
袋の上から荒縄で固く結ばれていて、いびつなヒョウタン型になったそれは、動く様子もない。薬で眠らせているという話だけど、大丈夫なのかな。
「いけません」
聞いたことのない声が室内に響く。
部屋の隅で書き物をしていたペシュティーノも、驚いて振り向いた。
「……近づいては、いけません。袋を開けば、それを……好機とみて、襲いかかる……獣は、そのために、袋の中で……牙を研いで、います」
ベッドの上の少年が、薄く目を開いて俺の方を見ている。片方の目は空洞のままだが、その瞳は……目をみはるような、鮮やかな紫色だ。
抜けていた上下の歯は昨日の時点で生え揃っていたので、発音も問題ないようだ。
震えながら上体を起こそうとしている。
「きがついたの!? ウィオラ、早いよ」
「いえ、申し訳ありません。私の術が甘かったのではなく、自ら術を打ち破りました」
「ほえー、そっか。もともとの素養かもしれないけど、この子すっごく魔力が高いね。しかも、魂が普通とちょっと……違う形になっちゃったみたい」
ペシュティーノが咄嗟に少年と俺の間に割って入り、そっと少年の額に手を置く。
少年はペシュティーノの警戒心を読み取ったのか、おとなしく起き上がるのを諦め、ベッドに身を預けた。
「術を、破ったとは。魔力が高いと聞けば、残念ながらいかに身動きができないしても無力な少年として扱うわけにはいきません。少年、名は?」
ペシュティーノが言うと、少年は目を閉じた。
「名前は……ありません。魔力が、高いのは……血統、かと思います。命の恩人である、あなた方を……害するつもりはありません」
少年の声は掠れているが、とても丁寧な喋り方だ。平民とは思えない。
「ねえ、どこかいたいところはある?」
「ケイトリヒ様、すみません。今は下がって」
「わかり、ません……まだ、自分が……生きて、いることが、信じられない。生きて……いる。ああ、生きて……私、は……いや、俺……? 生きて……」
少年は意識を失ったのか、言葉が途切れた。
「ペシュ、どうしたの? なんでそんなにけいかいしてるの?」
「意識を失ったようです。ケイトリヒ様、高い魔力を持つ者は瀕死で丸腰であってもケイトリヒ様くらいの子供一人どころか、無防備な大人をも殺すに十分な力を持つ可能性があります。身元もはっきりしない少年ですのでまだ敵性の有無さえわかりません」
「少なくとも、主に対する害意はないよ。主がファングキャットの袋に近づいたから、危険を知らせるために昏睡の術を破って覚醒したみたいだね」
ジオールが言う。その言葉に激しく反応したのはペシュティーノだ。
「ファングキャットの袋に……? ケイトリヒ様、何故ですか?」
「案ずるな、随身。万一少年が覚醒せずとも、主に害をなすとわかった時点で我々精霊が獣に手を下していたであろう」
「安全性の問題ではありません、意識を問うているのです。ケイトリヒ様、お答えください。何故、ファングキャットの袋に近づいたのです?」
優しいペシュティーノと違って、今はお叱りモードだ。
口調がトゲトゲしいので、なんだかじんわり涙が出ちゃう。
「どうなってるか、きになって……ただ、みてみようとおもっただけだよ」
「どれだけ危険な魔獣か、ジュンからも説明されましたよね? 袋には近づくなと言われていたのに、何故見てみようと思ったのです? 大丈夫だと過信したのでしょう?」
怒られてる。ガッツリ怒られてる、俺。
「う……ち、ちがうもん、ちっともうごかないから、しんでるかと……」
「いくら精霊に守られていても、危険がケイトリヒ様を避けて通るわけではありません。してはいけないと言われたことはしてはなりません。いいですか?」
「うぅ……」
「わかりましたか!?」
「わ、わかった。しないから」
「……約束ですよ?」
ペシュティーノは涙ぐんだ俺の頬を優しく撫でると、さっきまで目を吊り上げて怒っていた表情を和らげて俺を見る。俺のことが心配でたまらないのだと、オーラを見なくても伝わってくる。
抱っこをせがむと、優しく応えてくれた。
「ケイトリヒ様が近づこうとしていたものが何か、ご覧に入れましょう」
ペシュティーノは俺を抱き上げた状態から、杖を取り出して何かをつぶやいた。
ぶつり、と袋の口を縛っていた紐が切れて袋が口をひらくと、途端に激しく暴れ始めた。
「グギャァァ、グルル、ギョワアァァ!!」
狂った猫のような声を上げて激しく暴れまわる麻袋を見て俺は悲鳴を上げた。入っていたカゴから飛び出し、室内をのたうち回って動きを止めた。
恐る恐る目を向けた麻袋の口には、牙をむき出しにして目をらんらんと輝かせた魔獣の顔がある。少しでも近づいたら自らの命を賭してでも食いちぎると言わんばかりの目だ。
とてもペットの猫のようには扱えないことはよくわかった。
そして幼体も成体と同様に、顔には鱗と棘があってとても猫には見えない。
「可哀想だと思うかもしれませんが、これはヒトの敵になる以外ない存在です。もし少年の治療に使わないようなら、私が処分します。まだ使いますか?」
少年の方を見ると、この騒ぎの中でも先程喋っていたのが嘘のように眠っている。
「……うん、使う。まだ、内臓がかんぜんになおってないから」
「わかりました。ジュン、ガノ、袋を結び直してもらえますか」
騒ぎを聞きつけたジュンとガノがドアを開いたまま硬直していたのを見て、ペシュティーノが命じる。
「は、はい。直ちに」
「なんで、袋が開いたんですか!」
「ケイトリヒ様が興味本位で近づこうとしたので、我々の言う危険がどういうものか教えて差し上げたのです。ジュン、あなたの処理が甘かったわけではありませんよ」
「王子、いくら王子に精霊がついてて魔獣が懐きやすい体質っていってもな、ファングキャットだけはムリだ。二度と懐柔しようなんて思うなよ、肝が冷えるぜ」
別に懐柔しようとおもったわけじゃないんだけど、なんとなく口答えすると子供っぽいような気がして素直に頷いた。ジュンとガノが袋の口を縛る間もギャンギャンと鳴いて暴れる音が響いたけど、もう可哀想だとは思わなくなっていた。
治療4日目。
内臓の修復は100%完了。横に立っているジュンと、透視で内臓を見比べても遜色ない健康体だ。ただし内臓に限る。
「なあ、王子のその目、何が見えてるんだ?」
「ん? ないぞう」
ジュンは訝しげに俺を見る。どうやら「透視」を使っているときは、瞳に模様が浮かび上がっているそうだ。さらにライトのように光っているそうで、見ていて怖いとジュンに言われた。しょーがないだろ。
「うん、からだはもう大丈夫。あとは目だね」
「目ン玉な! オッケー、ネックラプターの目玉持ってくるぜ」
ジュンが意気揚々と部屋を出ていき、入れ替わりにガノが入ってくる。
「ケイトリヒ様、お疲れではないですか? 連日、治療にあたっていますが何か体調に変化はありませんか」
「へーきだよっ! あんまり眠くならないし、ごはんもいっぱいたべてるし」
体調の変化といえばそれくらいだ。妙にお腹が空く。
今まで子供用のご飯茶碗1杯分の食事を8回にわけて食べていたが、いくら食べてもお腹が空くので一回の食事量を倍に増やした。それでもお腹が空く。
レオは俺がたくさん食べるのが嬉しいらしく、せっせと非常用のおやつをこさえてくれるので助かっているが、体調の変化といえば大きな変化かもしれない。
「ふむ……急ぐ必要はないのですよ、彼は完治後もゆっくり療養してもらわねばなりませんから」
「うん、べつにいそいでないよ。でもおはなししてみたいでしょ?」
ガノは少し考え込んで、「そうですね」とそっけなく言った。
俺としては、ジオールが言っていた「普通とちょっと違う形になった魂」がどういうことなのかを確認したい。スキャンする限り肉体的には大きな違いはないので……もしその魂というのが精神面だというなら、話してみないとわからないと思っているんだ。
「目ン玉、持ってきたぞ」
でっかいガラス瓶を抱えてきたジュンが部屋に入ってくる。瓶の中は液体で満たされ、巨大な目玉が1つ、プカプカと浮かんでいる。ネックラプターの目玉だ。
「ケイトリヒ様、眼球の再生を行うおつもりですか?」
ジュンの後ろから、ペシュティーノも入ってくる。
「うん!」
「素材は、それだけで足りるのですか」
「精霊がいうにはね。ケモノの目はヒトの目と違って精度がひくいから、鳥類の目がひつよーだったんだって。あ、あとアンデッド魔晶石をちょっともってきて。僕のゆびくらいあればいいよ」
「……まあ、精霊様がそう仰っているのなら……そうなんでしょうけれど」
ペシュティーノはブツブツと不満げに呟いている。
その間にガノが隣の部屋からアンデッド魔晶石の小さな欠片を持ってきてくれた。
「とりあえずやってみる! ジュン、フタあけてー」
「ほい」
液体に浸かった白い目玉。なんだか表面はぶよぶよしてて、グロい。でも我慢、我慢。
精霊に言われたとおり、手を突っ込んでモチをちぎるみたいにうにゅん、と片手分をちぎりとる。
「「「え?」」」
ちぎりとった目玉を両手でこねこね。ぎゅうぎゅう押さえつけながらこねていると、どんどん小さくなって指でつまめるくらいになった。
「「「えぇぇ?」」」
もう一度、瓶に手を突っ込で片手分をちぎって、小さくなった塊と混ぜ合わせてぎゅうぎゅうこねこね。それを5、6回繰り返して、直径3センチくらいの玉にする。
それをしずく型にこねこねして……。
「「「えええ!?」」」
なんか外野がうるさいけど、ベッドによじ登って、しずく型の尖ったほうを目の奥に突き刺すようにズン、と入れる、と。少年がビクッと身体を動かした気がする。
「ごめん、いたかった? だいじょうぶ、おめめちりょうしますからねー」
ガノから渡されたアンデッド魔晶石も一緒に目の空洞の中に入れると、とろりと溶けて液体になった。はいおわり。精霊が言うには、明日には目玉が出来上がってるってさ!
「「「えぇー……」」」
「えきたいがこぼれないように、油紙でほごしてくれる?」
「あ、はい」
俺の治療を見ていた3人はあっけにとられていたが、ジュンがすかさず反応して言われたとおりに少年の左目を油紙とガーゼを貼り付けて手際よく包帯を巻く。
「え……ネックラプターの目玉って、あんな柔らかいものなのですか?」
「いいえ、そんなはずありません」
ガノが瓶の中に手を突っ込んで目玉を触っている。
「固い……」
「それに、あんな……揉むだけで小さくなるなんて……いや、あんな粘土のように揉む事自体ありえません」
ペシュティーノは額に手を当てて考え込んでしまった。
「すげーな、失くなった目ン玉がたったこれだけの術で再生しちまうなんて! 王子、ありがとな! これ、同じ手法が広まったらすごい金儲けできんじゃね? まあ、医療で金とるのはちっとエグいか」
ジュンは何の疑いもなく、ただ無邪気に感動している。
「いえ、ジュン。本来ならば眼球の再生は、同じヒトからの移植以外に道はない……はずなのですよ。これを成功させた例は、昨今では聞いたこともありませんが。ケイトリヒ様のこの御業は、誰にも話してはいけません……からね?」
「わかってるッスよ〜、これも王子の秘密のひとつでしょ?」
ジュンの軽口にかぶせるように、ガシャンと何かが落ちる音がした。室内にいた全員が音のした方に視線を向けると、エグモントがドア付近で立ち竦んでいる。
落ちたのは彼が手にしていた手甲のようだ。
「な……その子供っ、死にかけていたはずですよね!? どうして、突然、そんな……」
エグモントのまんまるな目が少年に釘付けだ。
これはちょっと……マズイことになった、かな?
「ウィオラ」
「御意」
ふわりと紫色の霧がエグモントを螺旋状に包むと、彼は目をトロンとさせてボーッとしてしまった。ペシュティーノがそっと腕を引いてゆっくり導くと、素直に足を動かして室内に入ってくる。目の焦点はあっておらず、口もだらしなく開いたままだ。
「……思考停止の術ですか。しかしこの状況は、さすがに言い逃れできませんね。エグモントには誓言の魔法はかけておりませんから、この際です。かけてしまいますか?」
ペシュティーノが言うと、紫色の霧が集まってシーツおばけの形になった。
「主。この者への誓言の魔法は、避けたほうがよろしいかと。すでに、何らかの類似の魔法がかかっております。ヒトの手でかけられた魔法よりも我々の術式のほうが強力なのは明白ですが、誓言の内容に矛盾が生じた際に精神が崩壊する恐れがあります」
ウィオラの言葉に、ペシュティーノとガノがピリッと緊張するのがわかった。
え、なにそれ。俺にも聞かされてませんけれども!?
そんな大事な話、さんざん胸のもやもやがなにか聞いたときについでの情報として教えてくれてもよくない?
「そうですか……やはり。では、記憶を改竄することはいかがでしょう? この少年が運び込まれたときの状況を、あやふやにさせるような術は?」
ペシュティーノがおっかないこと言ってる!
ウィオラもなんか首をかしげる用に考え込んでる! シーツおばけの首ってどこだよ、というツッコミは横に置いといて。
「それは容易いことですが、万一彼が他の者に少年の状況を既に話している場合に齟齬が生じ、記憶の改竄に気づく可能性があります。それよりは、順調に回復したかのような錯覚を持たせるほうが事実との乖離が少なくて済むかと」
ウィオラもおっかないこと言ってるぅ! ペシュティーノがふむふむして、なんか合意がとれたっぽい。ちょっとちょっと、俺の精霊なのになんでペシュティーノがGO出してるのさ! いやでも確かにそれが一番丸く収まる解決策だとはおもうけれども!
「ケイトリヒ様もそれで構いませんね?」
一応、ペシュティーノが俺に気を遣ってくれる。
「主は感情的には納得していないようですが、現実的に考えてそれが最適であるとお考えです」
俺が答える前にウィオラが言う。
……思考がつながってるって便利なようで、なんか納得いかない。
いや、それよりも、エグモントにかけられた誓言の魔法に近い何かのほうが気になる。
「ウィオラ。そのエグモントにかけられた何かって、調べられる?」
俺の言葉に、ペシュティーノとジュンとガノ、全員の目が真剣なものになる。
「主が求めているのは誓った内容とその相手にございましょう。残念ながら私の調べでは術式くらいしかわかりませんので難しいですが……」
(はいはーい!! アウロラに任せてまかせてぇ!!)
頭からシュポン!と勢いよく何かが飛び出したと思ったら、甲高い子供の声が響く。
(広く浅く、噂と流言を集めるならば風はうってつけ。小生ならば人の心の道理を、本音を、その深淵までも深く調べましょうぞ)
性別不明の落ち着いた声。
風の精霊アウロラと水の精霊キュアが飛び出したけど、その声はペシュティーノたちには聞こえていない。どうやらキーキー聞こえるだけらしい。
「じゃあ、おねがいね」
(はあい! わーいわーい、主のおねがい! がんばるー!!)
(不肖、キュアノエイデス。主の命を賜り至高の喜びにございます……!)
蛍光グリーンのふとっちょ鳥と、水でできた丸い金魚はその場をくるくる回ってポンと消えた。……さて、エグモントの件はこれで解決として。
「じゃ、この子は明日にはめざめるよていだから。明日からのよていを考えよっか?」
エグモントを部屋の隅のソファに寝かせていたジュンとガノ、そしてそれを見届けていたペシュティーノが、俺の言葉にコクリと頷いた。