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2章_0023話_治療計画 2

パラリ、パラリと紙をめくる小さな音だけが広い空間に満たされる。


床も壁も柱も天井もカーテンもカーペットも少しずつ色味の違う白い部屋。

「審議の間」と呼ばれる秘密の部屋で、護衛騎士の目も耳もない場所で領主ザムエルとペシュティーノが向かい合って座っている。間には白い大理石でできた円形のテーブル。


「……これを、あの子が描いたというのか」

「はい、私の目の前で。ケイトリヒ様は精霊と相談しながら描いたと仰っていましたが、それにしても、あまりにも、その……」


ペシュティーノが口ごもると、ザムエルは豊かな顎髭を片手で覆うように撫でて、眉間にシワを寄せる。


「精霊と話して描いたということは、()()は実現可能だというのか」

「理論上は、私も可能だと思います。ケイトリヒ様の開発した『きゃどくん』があれば、これまでの魔法陣研究と比べてもたった1日で100年分進化できるほどの効率です。ケイトリヒ様は精霊様の導きのもと、ヒトの歴史では失われた術式記号や魔法陣公式、果ては未知の素材とその効能まで知り得るとなると、もはや……」


ペシュティーノは言葉を飲んだ。

ザムエルは追求することはせず、製図用紙をいじる。

そこにはザムエルとペシュティーノが知る由もない、バイクと戦闘機の中間のような乗り物の絵。

2歳児にしか見えない6歳の子が描いたとは思えない精度で鉛筆書きされていた。


「事は魔法陣だけに限らず、100年先の進歩を得るような生易しいものでもなくなる、であろうな」

「はい。それに加えて、ケイトリヒ様は「現代の常識」をご存知ありません。魔導学院に入学なさる8歳までに徹底的に現代の常識と、発言にも気を遣っていただくよう教育しなければなりません」


「できると思うか?」

「はい。ケイトリヒ様は見かけこそ幼いですが、お心のほうはたいへん老成していらっしゃいます。天井知らずの価値を生み出す高度な知識を不用意に広めることがどのような危険を呼ぶかは、理解していらっしゃいます。ただ、今はその線引をご存じないだけで」


ペシュティーノの力強い確信めいた宣言を聞いて、ザムエルは眉間のシワをより深める。

ケイトリヒの描いた6枚ほどの設計図の素案をバサリと大理石のテーブルに置き、すべて見えるように横に広げていくと、テーブルがそれに合わせて変形していく。

この「審議の間」は高度に魔法制御された空間で、必要に応じて形を変える。テーブルにもその魔法がかけられているようだ。


「……実現可能と聞くと、子供の考える絵空事として投げ打つにはあまりにも惜しい。ここに小さく計算式まで入れて書いてあるが、つまり転移魔法陣を使わずに帝都まで1刻(2時間)ほどで移動できるという計算になるのであろう? これは軍事的に見れば、帝都どころか大陸中を手中に収めてもおかしくない改革となる」

「はい。しかし一つだけ難点が。精霊様は、ケイトリヒ様の魔力を基準に助言をしているようです。ですので、ケイトリヒ様が生み出すものは他の多くの魔道具や魔法陣と同様に魔力不足があらゆる点で足枷となるでしょう」


真っ白い部屋は静まりかえり、ザムエルが顎髭をいじる音さえ大音量に聞こえる。


「……旧ラウプフォーゲル全領地の魔泉、魔鉱石の産出量を見直し、その持ち主を改めて洗い出す」

「加えて『中立領』にもその手を伸ばして構わないかと。場合によっては王国にも」


うむ、とザムエルがペシュティーノの提案に頷く。


「秘密裏に進めねばならぬとわかってはおるが、さすがに我々だけでは到底手が足らぬ。文官の人員を増やさねばな……ふむ、どうしたものか。技術者のほうも工房を2、3買い上げても追いつかんな」

「もし御館様のご許可が頂ければ、中立領出身で中央貴族とのつながりの薄い優秀な文官をご紹介できます。今在籍する優秀な文官を引き込み、抜けた穴にそれらを据えては如何でしょう」


ザムエルが片眉を上げる。


「ほう、其方にそのような人脈が?」

「正確には私の人脈ではありません。強いていうならば御館様の人脈と申し上げたほうがよろしいかと存じます」


「私の?」

「ええ、私は同じ魔導学院を卒業しただけの繋がりしかありません。が、此度の遠征で少なくない数の卒業生が中央貴族の間で不当に扱われ、腹に据えかねていると聞き及びましてございます。中には中央貴族に奴隷のように扱われ、堪えきれず事件を起こし一家で処刑、追放されたという話まで」


ザムエルはそれを聞いて明らかに不機嫌そうに眉を顰めた。


「それがなぜ私の人脈となるのだ」

「傍系とはいえシュティーリの私がケイトリヒ様の世話役となり、重要な案件をまとめるために奔走したのです。御館様は出自に関係なく優秀なものを取り立て、生まれによって不当に扱うことをしない、と専ら他領の者には評判にございます。……イングリット夫人亡き後、アデーレ様を第一夫人に据えたことも関係しているかと」


イングリット夫人は長子アロイジウスの母で、生粋のラウプフォーゲル女。

幼い頃から次期領主の許嫁(いいなずけ)として教育され、旧ラウプフォーゲル領の全てからその将来を嘱望されたが、第一子のアロイジウスを出産した後に産褥熱を患い、儚い人となってしまった。

そしてその後釜に据えられたのが旧ラウプフォーゲル領の外、対立する中央貴族と地理的には中間に位置し、中立領と呼ばれるゼーネフェルダー領から嫁いできた第二夫人のアデーレ。


「未だにラウプフォーゲル議員の一部はアデーレの第一夫人冊封(さっぽう)に納得しておらぬ。頭の痛い話だが、外に目を向ければそのような効果があったとはな」

「こればかりはラウプフォーゲル領にいるだけでは図りきれぬものでしょう」


しばらく沈黙が続き、ザムエルは製図用紙を1枚ずつとりあげて再び読み込む。


「ケイトリヒは、寂しがってはおらんか」

「……はい、ええっと……はい?」


ペシュティーノは質問の意図がわからず、狼狽えてしまった。


「母親がいないのだ。子供は寂しがるのではないかと思っていたが……違うのか?」

「ああ、ああ。なるほど、そういう。ケイトリヒ様はカタリナと過ごした時間がまるで抜け落ちていらっしゃるかのように全く口にすることがありません。恋しがるほどの存在なのか……いえ、これは私の推量です。今度、聞いてみます」


「うむ。頼む。……ときに、ケイトリヒは、ぬいぐるみは好きか」

「ぬいぐるみ、ですか。ガルムを抱き枕にするくらいです、きっとお好きでしょう」


ペシュティーノはガルム|(正しくはゲーレだが)のギンコにほとんど乗っかるように抱きついてスヤスヤ眠るケイトリヒの姿を思い出し、ふとはにかんだ。


「……其方がそのような表情をするとは、6年前の張り詰めた頃を思うと変わった。今、ケイトリヒのことを思い出したのだろう?」


ペシュティーノは図星を指され慌てて口元を押さえる。


「よいのだ。其方がケイトリヒに愛情を注いでいることは、正直に言って助かる。私も愛情はあるが、どうも可愛がることよりも泣かせることのほうが得意でな」

「ケイトリヒ様は、御館様をお慕いしていらっしゃいますよ」


ふ、とザムエルが笑う。ペシュティーノもにっこりと笑う。

6年前にペシュティーノがこのラウプフォーゲル城にやってきて以来、こうやって笑い合うのは初めてのことかもしれない。


「我々は霊鳥ラウプフォーゲルの金の卵を託された。どんなに価値があろうと、卵は卵。無力で繊細な卵は、温めねば死んでしまう。しばらくは其方に一任するが、然るときになれば養母も必要となろう。心得ておけ」

「は……あ、ありがとうございます! 養母様のこともご配慮頂いているとは……誠に、心からありがとう存じます」


ペシュティーノがテーブルに手を付き深く頭を下げる。

母親が罪人となってしまったケイトリヒは、母親が不在のためそのままでは領主候補としては「正式に」認められない。

現在ザムエルは次期領主候補を正式に指名していないのでアロイジウス、クラレンツ、カーリンゼン、そしてケイトリヒの4人の息子が次期領主候補となることは暗黙の了解だ。

だが、アロイジウスには母方の親戚から養母がついているがケイトリヒにはいない。

ケイトリヒが他の兄と同様の領主候補資格を持つには、さらには帝都で名をあげるには、養母の存在は不可欠。それが帝国でもラウプフォーゲルでも共通の慣習だ。


「忙しくなるぞ。西の離宮の決済の全権を其方に託す。ケイトリヒの周辺を整えよ。いずれは外遊、あるいは小領地の運営を任せるやもしれぬ」

「はっ……!」


ペシュティーノの決意に満ちた目つきを見て、ザムエルは満足そうに頷く。

が、次の瞬間にふう、と息を吐いた。


「西の離宮の主ということは、其方は……私の第二夫人だな?」

「はっ……、……はい?」


ペシュティーノの反応が面白かったのか、ザムエルはガハハと笑った。

ラウプフォーゲル城の離宮は代々領主の妻かその息子が主となる。例外として母のいないアロイジウスの住む琥珀の離宮は、養母となる女性がメイド長と離宮の主の実務を兼任しているのだが書類上はアロイジウスが主となっている。

確かに婚姻関係も血縁関係もないペシュティーノが離宮の主としての実権を握るのは、例外中の例外ではある。


ペシュティーノは苦笑いするしかなかった。



――――――――――――



「わ、これなあに」


目の前にでっかい、薄紫色のぬいぐるみ。

耳はヤギのように大きく垂れていて、額の部分に布製のでっかい角が生えているし、手足にはこれまた布製のでっかい爪がついている。ボディとおなじくらいでっかい丸いしっぽがついていて、その先にもでっかい……角? 爪? 何か尖ったものがついている。

クマではない……よな。


「御館様が、ケイトリヒ様にと。これはハービヒト領で人気の、レディ・バーブラです」


ペシュティーノがずずい、と俺に差し出してくるので、仕方なく受け取る。

でかいんですけど。なんですかレディ・バーブラって。テディベアみたいな?


「ふわふわ! でも、まえがみえない」

「ああ、そうですね。脇ではなく、耳のところを抱きかかえてはどうでしょう」


ヘッドロックするみたいに抱きかかえると、ぬいぐるみの足がつく。でっかいしっぽが邪魔で持ち歩くのは難しそう。


「……ケイトリヒ様には大きいですね」

「でもふわふわ! きもちいいね! それに、おおきいのにかるい!」


前の世界ではマイクロフランネルとか呼ばれてたフワモコ仕様。これが植物性の天然素材だっていうからやっぱり異世界は驚きだ。


「まあっ!!! なんてことでしょう!」


カートでおやつを運んできたララが、俺の姿を見て悲鳴に近い声を上げる。

どんなことでしょう?


「大変だわ、可愛すぎます! これは、ミーナとカンナにも伝えませんと!!」


カートを置き去りにして、ララはパタパタと走り去った。

……ええっと、どういうことでしょう?


すぐにミーナとカンナがやってきて、2人ともララと同じような悲鳴に近い声を上げる。

「まあっ! まあ、まあ、これはレディ・バーブラでございますね!」

「一体どうしたのですかペシュティーノ様、これはなんてケイトリヒ様にお似合いの!」


「御館様からの下賜品です。ケイトリヒ様はご兄弟もいらっしゃいませんし、母たる夫人も不在のため寂しい思いをされているのではないかと」


「え、そういう?」


俺が冷静に突っ込んでも、ミーナとララとカンナは俺の周囲をぐるぐる回ってあらゆる角度からカワイイ俺を愛でまくっている。どうすればいいんだろう。


「これ、だっこするとまえがみえないの。おんぶしたらどうかな」


「おんぶ!! それも可愛いですねえ! 絶対に可愛いですよねえ!」

「紐を! ララ、紐を! たしかお召し物の棚の端に、端切れの布がありましたね!」

「これですね! どうぞ!」


あれよあれよという間にでっかいレディ・バーブラのぬいぐるみは俺の背中にくくりつけられた。でっかいぬいぐるみを背負った子供。……まあ、カワイイよなきっと。

俺の頭の後ろにはのけぞったレディ・バーブラの鼻先がつんつん当たる。

高めに背負っても大きな尻尾は引きずるしかない。


「ああっ! なんて可愛らしいんでしょう! これはディアナ様にもお見せしたいわ!」

「可愛さに卒倒してしまいそうです……」

「やはり少し大きすぎますわね。でもこれなら後ろに転んでも頭を打たずに済みますわ」


前は無防備ですがね。


そのあとはしばらくメイドたちのおもちゃになってあげた。お気に入りのぬいぐるみには普通名前をつけるものだと言われたので仕方なく「バブさん」という名前にしておいた。おやつを食べてからはディアナに見せに行くと称して新緑の離宮まで散歩。

お針子工房では同じように可愛さに悶絶したお針子たちと、低く唸るディアナに囲まれることになった。


帰り道に父上とバッタリ出会うと、俺がぬいぐるみを気に入ったと勘違いして満足そうだった。いや気に入ってないわけじゃないんだけどね。別に寂しくありませんからね?

母親のカタリナ? だっけ? 彼女のことなんてろくに顔も覚えてないし、恋しいなんて思ったこともこともありませんが? ペシュがいるからね!



「あーつかれたぁ」

「ふふ、今日も人気者でしたね」


新緑の離宮から西の離宮へ戻ってくると、帰ってきた感がすごいある。

豪華すぎて慣れないと思っていた西の離宮も、毎日過ごせば普通にホームだ。

メイドたちは予定外に新緑の離宮を訪問したため本来の仕事をこなさないと、と言って帰ってくるなり散っていった。


今日はレディ・バーブラを背負っていたこともあり、抱っこナシで新緑の離宮まで往復したのだ! メイドたちが3人ともついていたのでおしゃべりしながらだったというのもあり、距離は感じなかったけどとても成長した気がする! 体力的に!

メイドたちは俺のポテポテ歩きにもしっかり楽しげに歩調を合わせてくれるので助かる。

後ろにいたペシュティーノは少し辟易してたみたいだけどね。


エントランスホールに入ると、先の廊下でジュンが白いコートの男性と深刻そうに話をしているところが見える。2階からはギンコが俺を迎えるため駆け下りてきた。


「あ、ジュン! と、あのひと、だれ?」

「ああ……城仕えの癒術士ですね」


「ゆじゅつし。だれか、ケガしたの? びょうき?」

「いえ、城の者ではありません。ジュンが、怪我人を拾ってきたのですよ」


俺が父上のケガをきれいサッパリ治した術とは別、少しちがった「癒術」という魔法がこの世界には存在する。癒術の魔法でできることはとても少なく、前の世界でいうところの対処療法だけだ。

以前やらかしたので、俺はこの世界の医療水準を学ばざるを得なかった。

出血を止める。でも多すぎる血はだめ。圧迫止血などの物理的な応急処置と並行して行うことが多いそうだ。

腫れを鎮める。でも深刻な腫れはだめ。腫れの原因や仕組みを理解していないので、単純に鎮静してしまうと逆に自然治癒を阻害してしまうこともある。

痛みを抑える。でも深部の痛みは無理。うーん、意味ない。

よく聞けば内臓や迷走神経に関する知識もない。医療水準としては、下手すると前の世界の古代ローマ時代よりも遅れているかもしれない。正直、原始人レベルだ。

そしてその程度の知識であるため、おうちにある救急箱程度の治療しか出来ないのが癒術だ。しかしこれはラウプフォーゲル独特のもので、帝都やさらに共和国、王国となるともう少し医療水準が上がるそうだ。ただ、これは人体への理解度が上がるだけで癒術そのものには大した違いはないらしい。

なんでだろう。ラウプフォーゲル人が頑丈すぎるのかな?


「けがにん? どのくらいの? だいじょうぶなの?」

「……いえ、ダメでしょうね」


「えっ? ダメって、どういうこと? ……しんじゃうの?」

「ええ、もともと連れ込んだ時からほとんど希望はないと言われていたのです。ただ、身よりもないので野ざらしで死なせるよりは、と引き取ったそうで」


ちらりと視線をやると、廊下の向こうでは癒術士がジュンに頭を下げて立ち去るところだった。ジュンは俯いたまま髪をかきあげ、大きくため息をつく。そこにガノがやってきてジュンの肩に慰めるように触れる。


「ねえ、ペシュ……」

「お話はお部屋でしましょうか」


ペシュティーノはチラリと周囲を見る。西の離宮のエントランスには、俺の側近といつものメイド以外にもたくさんの使用人や兵士がいる。

素直に頷いて、おとなしく座っていたギンコにまたがって階段をのぼり自室に入る。


「あのね、ペシュ。『いっちゃいけないちから』のことだけど……」

「怪我人の件がケイトリヒ様のお耳に入れば、必ずその話になるだろうと思っておりました。ですから今日まで伏せていたのですよ」


「え」

「以前、精霊様が仰っていたでしょう。ケイトリヒ様には【命】属性が著しく足りていないのだと。そして、ケイトリヒ様が御館様に施したあの奇跡のような治療魔法。あれは、ケイトリヒ様の中の僅かな【命】属性を削る危険な術なのだと、精霊様から聞きました。ですから、ケイトリヒ様が怪我人を治療をしたいと仰っても許すわけにはいかなかったのです」


「……かこけい?」

俺が言うと、ペシュティーノがふ、と笑った。


「ケイトリヒ様、怪我人を治療したいですか?」

「うん。あの治療のちからが、どれくらいのこうかがあるのかもしりたいから」


努めて冷静に言うけど、ペシュティーノにはあまり効果がないみたいだ。

禁止された魔法が使えると思うと、少しドキドキしてきた。


「ガノが手配をして以来、各地の冒険者組合(ギルド)から続々とアンデッド魔晶石が集まっています。使用人用の空き部屋が2部屋いっぱいになるほどまで集まりました。これくらいあれば問題ないと、精霊様からも許可が出ています。そして御館様からも、どれくらいの治癒能力があるのか知っておきたいとお達しがございます。ケイトリヒ様がお望みならば、怪我人には申し訳ありませんが治療実験と称して極秘で治療しましょう」


俺の顔があきらかに明るくなったのだろう、ペシュティーノもニッコリと笑った。

ギンコに乗ったまま、回れ右して自室を出て1階のジュンの部屋へ。


ペシュティーノがノックすると、ジュンの部屋なのにガノが出てきた。


「ペシュティーノ様……に、ケイトリヒ様。なるほど、ケイトリヒ様のご意思ですね」


ガノは俺を見ただけで全て理解したようで、大きくドアを開けて入室を促してくれた。


「おい、何勝手にヒト入れて……って……王子?」


ジュンが暗い顔でパーテーションの向こうから顔を覗かせる。


護衛騎士の私室としてあてがわれている使用人部屋は、ワンルームマンションを想像していたのだがそれよりずっと広い。風呂やトイレなどの施設が室内にないからかな。

感覚で12畳から16畳くらいはあると思う。ちなみにエグモントにも部屋はあるが、実家からの通いのため仮眠室として使っているそうだ。


「王子、もしかして」


ジュンが泣きそうな顔で俺を見る。


「けがにんは?」


ジュンが退くと、その向こうに簡素なベッドとミイラのような人体が見えた。

ギンコがベッドの近くまで運んでくれたので、ベッドの上によいしょと座り直す。


掛布がかけられて上半身しか見えていないが、これで生きているのが逆に不思議というくらいひどい状態だ。怪我人というもんだから、もう少し局所的な……手足を失ったり、大きな損傷があるのを想像したのだが。見たところ左目がない以外は大きな損傷はない。

ひどくやせ細って粘膜は乾ききり、皮膚は全身が青黒く毛髪もまばらだけれど。


「……こども?」

「ああ、推定では6歳から8歳くらい、って話だ」


え、本当の6歳ってこんなに大きいの。ミイラのようにやせ細ってはいるが、身長はおそらくカーリンゼンくらいはある。カーリンゼンは何歳だったっけな。まあいい。


「精霊たち、ちからをかして。ひとまず、このからだのじょうたいをかくにんしたい」


なんとなく手をかざすが、魔法の使い方なんてよくわからない。

身体に流れる魔力を感じつつ、術式の存在しない魔法を使おうとしているせいで魔力が効果を発揮せずにただ霧散していく。


「状態を確認って……解析(アナリューザ)じゃだめなの?」

俺の髪の毛を揺らしてジオールが出てくる。


「主の求めるものではないようです。これは新しい術式を組まねばなりませんね。いえ、しかし主の持つ『神の権能』は、魔力とはまた異なるものです。主、魔法ではなく権能を使っては?」

同じくウィオラが現れ、肉声で助言してくれる。


「うーん、つかいかたがハッキリわかってないんだけど……それは魔法も同じか」


俺は魔法を諦めてベッドに手を付き、ただジッとミイラの少年を見つめる。


(この子の身体がいま、どんな状態なのか見たい)


ジッと見つめ続けていると、人体模型図のように皮膚の下や筋肉、血管や内臓が透けて見える。いや、見えただけでわかるわけでもないな。俺の医学知識はこの世界では高い水準かもしれないが、前の世界ではごく普通の一般人だ。

内臓が見えたからと言って原因がわかるわけでは……。


(あれ?)


ぼんやりと記憶にある人体の内臓を描いた絵。

この少年の腹部は、それとなんだか違う。


(内臓が……足りない? たしかこのあたりには肝臓があるはずだけど。それに、肺の形も歪んでる。でも外側に大きな外傷はない。これってもしかして……)


「この子、いったいなにをされたんですか」


俺が言うと、誰かがひゅっと息を呑む音が聞こえた。


重苦しい沈黙の後、ガノが慎重に言葉を選びながら淡々と答えた。


三叉蠍(みまたさそり)』なる人さらい集団の隠れ家がラウプフォーゲル城下町にほど近い農村で摘発されたこと。多くの子供がひどい状況で保護され、死体もあったということ。詳細はまだ調査中だが、子供はなにかの実験に使われていたのではないかということ。


「そしきの全壊にはいたってないんですね」

説明を聞いて俺が言うと、ジュンは重苦しい声で肯定した。

その非合法組織については許せないが、今はそれについて考えるときではない。


つまり、この子はヒトの手で人為的に傷つけられたということだ。そうなると損傷の傾向が見えてくる。内臓はレベルの低い外科手術の要領で取り出されたということだ。目的が殺すことではなかったのなら、延命の措置もある程度されていたに違いない。


(臓器がない。どうしてこの状況で生きられたのかわからないけれど、不思議と魔力から強い生存の意思を感じる。魔力がどうにかしたのかもしれない。でもどうすればこの状況を治療できる? 臓器移植? そんな大掛かりな手術は俺には無理だ)


「主、そこは魔力でどうにかなると思うよ。『複製(コピー)』しちゃえばいいんだよ」

「魔力で物質を形成する『複製(コピー)』ではなく、肉体を構成する物質を元にして形や機能を復元すると言ったほうがいいでしょうか。主、臓腑の復元にどのような物質が必要かは、ご存知のようですね」


(……? 臓器が、何から出来ているかなんて知るはずない。きっとタンパク質……だろうけど、それ以上のことは)


「主、主。落ち着いて。肉体の構成は、ヒトならそんなに大差ないんだ。自分や、側近たちの肉体を調べれば何が必要かなんてすぐわかるはずだよ」

ジオールの言葉に膝を打つ気持ちになった。ちょっと動転していて、そんな簡単なことすら思い至らなかった。


「さらに言えば主の認識でいうところの『動物』とも致命的な乖離はありません。種によって微々たる差異はあるようですが……つまりヒトが肉を食べて肉体を作り上げるように素材となる物質、つまり肉があれば、主が作り変えて不足の臓器を復元できます。もちろん、変換に伴って多少の損失(ロス)は生じるかと存じますが」


人体を構成する物質はタンパク質、つまり細胞。再生医療の希望となった多能性細胞。

分裂を繰り返しどんな臓器にもなりうる。細胞分裂。本来研究室で、あるいは体内で長い時間をかけて行われるそれには確かかなりのエネルギーが必要だったような……とにかくこの少年のギリギリ生きている身体だけの力では復元は難しいだろう。


「ジュン、ギンコをつれていっていいから『生贄』にする魔獣を狩ってきて。損失(ロス)分をかんがえると、大きければ大きいほどいい。なるべく、いけどり……じゃなくて、ひんしでもいいから生きてるといいな」


「お……おう!! それなら、それなら俺だってできる。任せろ、生け捕りだな! ギンコ、行こうぜ!」

「主の命とあらば喜んで! ジュン、鞍を外しなさい。背に乗るのを許しましょう」


「え、いやそれは遠慮するわ」

「ムッ。私の全速力について来れるとでも?」


「速さなら負けねえぜ?」

「ヒトごときが生意気な」


鞍はガノが外し、ジュンとギンコは飛ぶように部屋を出ていった。

静かになった部屋に、ペシュティーノとガノだけが残る。


「本当に……治療できるというのですか。この状態から」

ペシュティーノが独り言のようにつぶやく。俺だって、ここから全快したら奇跡だとしか思えない。


「ペシュ、いくつかそざいがひつようになりそう。ネックラプターの目玉と、火竜の角はあるかな」


「目玉は予備の素材として保管してありま。角は在庫がありませんが、市場に出回っているのですぐに入手できるかと。ガノ、冒険者組合(ギルド)で買付してきていただけますか」

「お任せください。他に必要な素材はございませんか? もし在庫がない場合でも冒険者組合(ギルド)で指定収集依頼として出せば入手できるかもしれません」


「んーん、だいじょうぶそう。ほとんどはジュンが狩ってきてくれるよていの魔獣でまかなえると思うから」


ガノは俺の言葉を聞き終えるとサッと跪いて部屋を飛び出した。

ジュンもガノも、この少年を救いたいという気持ちが強いらしい。


「……ケイトリヒ様、水を差すようで恐縮ですが。絶対に、無理はなさらないとお約束ください。許可を出した私を、どうか後悔させないでください。お願いできますか?」


少年の身体を透視することに集中していたが、その言葉にふと途切れる。


ペシュティーノのほうを見ると、懇願するような悲痛な面持ちで俺を見ていた。

少年を透視していた名残か、ペシュティーノの周囲にはフワフワとしたオーラのようなものが見える。とても温かくて、優しいのに少し悲しい……これは「心配」のオーラなんだろう。たぶん。肉体を透視していたはずなのに、ペシュティーノを相手にするとオーラが見える。なんで? 相変わらず「神の権能」は使い方がハッキリわからないな。


言われてみればそうだ、この魔法は俺の【命】属性を……つまり、今の俺の命そのものを削るんだ。【命】属性の魔力は、精霊の説明を聞くかぎり別に寿命が縮むってわけではない。でも今の俺にはかなり危険なほどに不足している属性、というのはペシュティーノにとって不安な話だろう。


「うん、わかった。そもそもいっきに治すのはムリだろうから、すこしずつ、僕にムリが出ないくらいに治していくね」


俺の言葉に、ペシュティーノのオーラから「悲しさ」が薄れていく。

悲痛な表情が和らぎ、少し冷静な顔になった。もう安心してくれたかな?


「ケイトリヒ様、背中のぬいぐるみ……邪魔ではありませんか? 取りましょうか」


そういえばずっと背負ったままだった。

軽いから忘れてたよ。

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