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2章_0020話_世話係のいない1ヶ月 2

「これ、王子からオーダーのあった素材な。取り扱いはミェスさんに任せてあるから、不用意に触っちゃダメだぞ。取り扱いを間違えると……毒が出てきて手が腐るかもしれないぞ〜。ドロドロ〜、グチャ〜ってな!」


「あー、うん、きをつける」


「うわー、めっちゃ流された」


ジュンが真剣味のない声で脅してくるけど、俺の頭の中ではミェスさんって誰? でいっぱいだったので、リアクションが塩対応になってしまった。

ミェスさんはリンドロース先生のことでした。現役冒険者で素材には精通してるってことで、調合素材の管理なんかも兼任してくれてるそーだ。

いろいろ兼任してる。お給金どれくらい払ってるんだろ?


ジュンとペシュティーノは父上に何かを報告した後、俺と昼食を一緒にとってまた出発していった。でっかい木箱を5箱ほど置いて。中には調合用の素材がたんまり入っているらしいけど、ジュンにもペシュティーノにも絶対に触るなと言われているので放置。


今夜もペシュティーノはいないのかー。


「午後に予定していた地政学の授業は先生が急用のため取りやめになりました。ケイトリヒ様、いかがなさいますか?」


昼食後にペシュティーノを見送ってシュンとしていた俺に、エグモントが追い打ちをかけるように告げてきた。地政学の先生は地質や天候を観測・研究・報告書編纂する大きな研究所の職員で、奥さんが妊娠中と聞いていた。生まれたのかな。それなら授業どころじゃないよね。


「あかちゃんうまれるのかな? お祝い、よういしたほうがいいかな」

「あっ、すみません理由までは存じませんで」


「ふーん、そっか。ねえ、ガノは?」

「……ガノ殿はさきほどレオ殿が食材について相談があるとかで下の階におります」


あ。エグモント、ちょっとムッとした?

俺がすぐにガノ呼ぶもんだからちょっとジェラシー? まだまだ若いなー。


「リンドロース先生のちょうごうそざいの仕分け、僕もけんがくできないかなー?」

「本人がよいといえば構わないのではないですか? きっと調合学の勉強にもなるでしょうし……ただ、リンドロース卿が来るのは7刻半(15時)です。まだだいぶありますね」


チラリと時計を見るとたしかにまだ6刻(正午12時)すぎ。

随分とこの世界の時計の読み方にも慣れたもんだ。


「ケイトリヒ様。本城の中庭で頭ほどもある巨大な花が今満開だそうですよ」

「えっ! なにそれ!」


「オニダリアという品種で、ラウプフォーゲル研究所から御館様の第一夫人に贈られた株だそうです。毎年見事な淡い紅色の花を咲かせ、得も言われぬ芳香を放つとか」

「へえ〜! 見てみたいなー」


「……ご覧になりたいのなら、行ってみましょうか」

「え、でも本城へは……」


「本城へ行ってはならないと言われているのはギンコであって、ケイトリヒ様ではありませんよ。それに御館様とのご面会であればもちろん先触れが必要ですが、中庭を散策するだけです。どの王子殿下にも許されていることですよ。どうしますか?」


調合学の教本には、魔獣や鉱物のほかに植物についても多数の記載がある。魔獣には従魔学という別の学問があり、鉱物には地質学がある通り、植物にも植生学という授業が存在するのだが……。従魔学も地質学も、そして植生学も習いたいとは思っていたのに教師が見つからなかった科目だ。


「ねえエグモント、本城のお庭にはほかになにがあるの? デラハコベラやシロツムギはあるかなあ?」

「デラ……ベラ? それは、花ですか?」


「んーん、調合素材! 薬草っていったほうがいいかな? よくねむれるようになるお薬が作れるってウィ……ペシュが言ってた」

「薬草でしたか、私は花はそこそこ存じておりますが薬草はとんと存じませんで。よければ本城の庭師は私の知り合いですので、そういった薬草があるか聞いてみましょうか」


「にわし! 絶対しってる! こころおどるしょくぎょう!」

「ふふ、ではお外に出る準備をしましょう。だれか、ケイトリヒ様のご支度を」


エグモントが久しぶりにエラソーに声を張ると、ララとカンナがやってきてエグモントの指示通りにお召し替えをしてくれた。王子様っていちいちお外にでるのも大変ね。といっても部屋着にマントみたいな上着をはおってバレエシューズからブーツに履き替えただけ。そもそも部屋着がかっちりしたシャツだから着替えるほどじゃないんだけど……お帽子は必須らしい。やだなー。


「おぼうし、やだー」

「いけませんわ、王子殿下。王子殿下のお目々は色が薄いですから、目を傷めてしまいます。きれいなおめめを守るためにも、お帽子はつけましょうね」


「ご苦労。私は王子殿下を本城の中庭にご案内する。其方たちはここで待機していろ」

「「えっ」」


にこやかにしていたララとカンナがピッタリと揃った動きで驚いた。シンクロ!


「ガノ様をお呼びしましょうか?」

「必要ない」


「しかし本城であればギンコ様もお連れできませんよね」

「私一人で充分だ。本城だぞ? 御館様のお膝元で、城の護衛騎士も厚い。ゾロゾロと従者を連れて本城を歩き回れば今や第一夫人であるアデーレ様への覚えも悪いだろう」


ララとカンナは顔を見合わせて渋っているようだ。

よくわからないけど、俺は別にエグモントと二人でも構わないよ?

中身は大人だからね。イマイチ仲良くない人との表面的な会話なんて、お手の物だ。

あっ、イマイチ仲良くないとか言っちゃった。微妙な距離感のヒトっていったほうがいいかな。うーんこれまた微妙。


「エグモント、疲れたらだっこしてくれる?」

「もちろんですケイトリヒ様」


俺の心配はそこだけです。



ララとカンナが渋るなか、俺とエグモントは手をつないで西の離宮を出る。

サイズピッタリのブーツは初めて履くデザインだけど、俺のあんよに合わせて作られているのですごく調子いい。いくらでも歩けちゃいそう。


「おさんぽ、たのしいね!」

「まだお庭にも着いていませんよ」


エグモントが自然に笑ってる。受け答えは下手っぴで普通の子供ならつまんないだろうけども、以前よりも打ちとけたかな!

本城と西の離宮をつなぐピロティから見える庭園は、ほぼ立木と低木だけで構成されていて花や草は見当たらない。


「ねーエグモント、りきゅうの庭園はだれがかんりしてるの?」

「離宮ごとに庭師の責任者がいますが、確か西の離宮は今はいなかったはずです。ペシュティーノ殿が必要に応じて本城の庭師に依頼する形になっていたかと」


「じゃあ僕が薬草園つくりたいっていってもむりかー。僕とそっきんだけじゃ、おせわできないもんねー。たいへんだもんねー」

「薬草園がほしいのですか? ペシュティーノ殿に相談されては……いえ、私がお力になれるかもしれません。相談してみますね」


「ほんと? できるかな?」

「ええ、きっとできますよ」


エグモントは話し上手でも聞き上手でもないけど、それなりに俺のコミュ力で楽しくおしゃべりが続く。しかし。いくら手をつないでいてもですね。本城は、俺の短いあんよでは遠すぎるのです。


「エグモント……ちょっとつかれた」

「はい、抱っこですね。どうぞ」


大きく広げられた手に身を預けると、以前より少しは改善された抱っこで俺を運んでくれる。でも相変わらず長時間は無理って感じの抱かれ心地。微妙になんか苦しいんだよね。

なんで?


「おりるー」

「はいはい」


「やっぱりだっこ」

「どうぞ」


そんなやり取りを数回繰り返して、ようやく本城の中庭に到着。

形よく管理された大きな立木にキレイに刈り揃えられた生け垣にはところどころ小さな花が咲いている。俺の身長よりもずっと高いフェンスで囲まれた一角には、大輪の花や大きな草が生えているのが見える。その区画の中央には大理石っぽい石でできたテーブルセットなんかもあって、気軽にお茶ができそうな雰囲気だけど……今日は多分、暑すぎる。

セミに似た鳴き声なんかも聞こえてくるので、この世界にも居るんだろう。やだな。


フェンスで囲まれた内側を彩る花壇には大きな麦わら帽子を被ったおじさんがいて、小さなハサミを手に花の手入れをしているようだ。


「ヨナスさん、ごきげんよう」


「おや、リーネルの坊ちゃまではありませんか! そちらは……」

ヨナスと呼ばれたおじさん、いやおじいさんといってもいい男性は、エグモントを家名で呼んだ。麦わら帽子の下には白髪交じりの茶色い髪がボサボサに伸びた巨漢は俺の姿を見てハッと顔を曇らせる。


「坊ちゃま、まさかそちらは王子殿下ではありませんか?」

「ああ、第4王子殿下のケイトリヒ様だ」


「こんにちわ、ケイトリヒですっ」

俺が行儀よくご挨拶すると、麦わら帽子の巨漢は慌てて帽子を取って跪き、おでこが地面に付くんじゃないかというくらい頭を下げた。


「第4王子殿下にご挨拶申し上げます。本城で庭師を務めます、名はヨナスと申します。姓はなく、しがない平民にございます。エグモント様の父君、リーネル男爵にはたいへんお世話になり……」


「おや、お邪魔だったかな」


庭師のヨナスがつらつらと話し続けていたところに、身なりの良い男性がやってきた。

びっくりしてエグモントの手をギュッと握ると、エグモントは俺と目線を合わせるようにしゃがんで笑う。


「ケイトリヒ様、私の父です。危険はありませんよ」


たった今、ヨナスが言っていたリーネル男爵。エグモントの父。ラウプフォーゲル貴族。

騎士隊長のナイジェルさん以外では初めて会う貴族だ。……これ、いいのかな?

だんだん不安になってきた。エグモントについてきたのは、間違ってないだろうか。


「改めまして。エグモントがお世話になっております。ケイトリヒ王子殿下にご挨拶申し上げます。プラヴァット男爵ニクラウスと申します」


エグモントの父、ニクラウスは腰を折ってにこやかに頭を下げるが、膝をつくまではしない。穏やかで害意のなさそうな男性だが、目つきが妙だ。どこか値踏みするような不躾な目線を感じる。


「お噂はかねがね聞いておりましたが、本当に愛らしいお姿でございますね。まるで綿毛のような御髪に、陶器のような肌。さながら妖精のようです」


にじり寄ってきたニクラウスの顔が恐ろしくて、エグモントのふくらはぎに隠れる。


「父上、王子が怖がっています。少し離れてください」

「つれないな、エグモント。お前も子供の頃はこれくらい可愛かったのに、今では見る影もないな」


ははは、とエグモントとニクラウスが笑いあう。

俺としてはものすごく居心地が悪い。考えてみれば俺の周囲にいきなり知らないヒトが現れるのは初めてのことだ。父上やペシュティーノが問題ないと評しているのであれば安心できるんだけど、どちらも通さずに俺の目の前に現れるのは不安だ。


不安が大きくなってくると、エグモントの父であるニクラウスの胸元に赤いモヤモヤがあることに気がついた。


(……以前見た、エグモントと同じやつだ)


ちらりとエグモントを見ると、今はその胸元に同じものは見えない。

これって一体何なんだろう。精霊も知らないものとなると、彼らがよく知る魔法の類ではなく、ニンゲン特有のもの……?


「ケイトリヒ様!」


遠い背後から大きな声で呼ばれたので振り向くと、ガノとララが走ってくるところだ。

後ろには巨大な大男が二人。父上と騎士隊長だ。


「ガノ!」


俺はエグモントのふくらはぎから飛び退いてガノに駆け寄る。

抱き上げられて強めに抱きしめられると、ちょっとグェっとなった。


「らっ、ラウプフォーゲル公爵閣下にご挨拶申し上げますッ!」

先程は間延びした挨拶だったのに、ニクラウスは野球部のように声を張り上げた。


「ぱぱー」

「ケイトリヒよ、ペシュティーノがいなくて寂しいのか。こんなところまで来て、一体どうしたというのだ? 本城に来るならば父に知らせてくれてもよかろうに」


父上は野球部並の挨拶をスルーして、ガノの腕から俺を抱き上げる。

エスカレーションだ。

狩猟小屋以来、お久しぶりの父上と騎士隊長。あれから特に俺の魔法や精霊については言及されていない。ペシュティーノが上手くごまかしてくれたのかな。


「オニダリアという花が見たくて、つれてきてもらったんです」

「む、オニダリアとな? ヨナスよ、どうだ。咲いているのか?」


ガノとララは俺を抱っこした父上を前にして膝をつき、つむじしか見えないくらい頭を下げている。

エグモントも、ニクラウスも、もちろんヨナスも同様だ。


「は、はい。昨夜頃からほころび始めましたので、今は6分咲きといった見頃かと」

「そうかそうか、一番の見頃を見せてやろうとしたのだな。よいよい。ナイジェルよ、ケイトリヒを温室に連れて行ってやってくれぬか。ガノと、そこのメイド。其方もだ」


「「はいっ」」

「おっ、私が連れて行っていいのですか? よーし、花には少しも興味はございませんけれどもケイトリヒ王子殿下のためならばいざ参りましょう! そこの庭師。ヨナスといったな、案内せい!」


父上は俺を猫の子のようにひょいとナイジェルに渡す。

ここまで抱っこで渡り歩くと、エグモントの抱っこが最低レベルなのがよくわかる。父上もナイジェルさんも分厚い胸板でものすごく安定してるのでとても快適だ。

さすがおじさんは父レベル高い。


「ちちう……ぱぱは行かないのー?」

「うむ、彼らと少し話をしていく。温室で待っていなさい」


「はーい」


ナイジェルさんは俺を米袋のように軽々と担いで、ときどき落っことすマネなんかもしたりしてアトラクション抱っこで楽しませてくれた。


無邪気にキャッキャと笑うフリをしているが、ナイジェルさんの肩口の向こうでは父上とエグモントとその父ニクラウスが対面している。いい雰囲気とはいえない。


……もしかしなくても、俺、エグモントにハメられたのかも。


「ナイジェルさん、ぱぱとエグモントたちは何のおはなししてるの?」

「はっはっは、お父上は、本城に王子殿下を連れてくるなら連絡しろ、とスネているのですよ。ケイトリヒ様にお会いすると、お父上は気分がよくなられるようですからね!」


たぶんそれだけじゃないと思うけどなー。


「しってる! いやしこうか、でしょ!? ペシュもそう言ってた、僕をだっこすると、いやされるーって。ナイジェルさんも吸っていいよ?」


「すって? 吸うのですか? 王子殿下を?」


「恐れながら騎士隊長様。ケイトリヒ様の御髪か、腹のあたりにこう、鼻を埋めて吸うのです。大変いい香りがしますよ」


ガノが至極マジメな顔で進言するけど、ちょっとおかしいからね?


「ほう、どれどれ!」


俺のちっちゃな胴体をでっかい座布団みたいな手がむんずと抱え込み、でっかい鼻が俺のお腹にずむんと埋め込まれてぐりぐりされる。


「きゃははは! くしゅ、くしぐったいー! あは、きゃはー!」


「ふぐっ、ふむふむ!! んんん、確かにいい匂いだ!」


「んきゃぁーははは!」


不安げな顔で案内していたヨナスも、後ろで心配そうにしていたララも、俺の笑い声を聞いてつられて笑っていた。


温室で見たオニダリアは、バスケットボール4個分くらいのデカさでした。

誰だよ頭くらいって言ったのは! それ以上に信じられないくらいデカイじゃないか!

ツボミの状態なら頭くらいっていうことか? まあ、キレイですけれども。


ちなみにラウプフォーゲルで温室っていうと、外気より温かい部屋、ではなく外気より少し涼しい部屋、を指すらしい。ラウプフォーゲルは暑いからね。耐暑性のない植物はすぐに枯れちゃうので、温度を管理された「温室」に入れられるというわけだ。

温かい室内というわけではない。


その温室で植生学の話や、薬草園を作りたいという話をするとヨナスはとても喜んで色々と教えてくれた。ナイジェルさんは植物にはぜんぜん、1ミリも興味ないみたいでずっと眠そうにしていた。大人なのに素直ですね。


それからしばらく温室を見ていると父上がやってきて、植生学の勉強のためにお庭の手入れの様子を見たいと言うと笑顔で許可してくれた。ただ、本城に来るときは一報をいれろと念押しされた。そんなに俺に会いたいのか。親ばかだなー。


まあ、ケイトリヒくらい愛らしい子なら仕方ないか。



――――――――――――


時間は少し戻り、ラウプフォーゲル本城の中庭。


囲いの中は日光を好む耐暑性の強い草花が集められた区画に、大の大人が二人、先生に叱られる子供のように項垂れている。


その二人の前には、仁王立ちの仁王さながらの形相のラウプフォーゲル領主であり公爵、帝国の国土の訳3分の2の土地を支配する旧ラウプフォーゲルの頂点たる御方。


「プラヴァット男爵よ。一体、誰がケイトリヒに会う許可を?」


静かに詰め寄る声に、二人のこめかみから冷たい汗が流れる。


「お、恐れながら公爵閣下に申し上げます。私はただ、本日の報告会の前に旧知のヨナスと少し話そうと思っていたところ、愚息エグモントの姿が見えただけで……決して、決して王子殿下とお会いするために参ったわけではございません。お目見えしたのは全くの偶然にございます」


「ほう……そうか。ではエグモントよ。其方は王子の側近騎士としての勤めよりも、プラヴァット男爵子息として父の挨拶に応えたと。そういうわけか?」


エグモントは横っ面を叩かれたかのように目を泳がせる。

「そ……、……、そう、いうわけでは……私は、ただ……」


「王子の側近となる以上、家門のものといえども如何なる貴族の影響も排除しラウプフォーゲルただひとつに忠義を捧ぐべし、と。騎士隊の基本理念としてその教えは身についているものと信じておったが」


「……申し訳、ありません……! 全ては騎士として、私の不徳の致すところにございます! 息子を懐かしんだだけの父には、何卒、何卒お許しを……!!」


エグモントは膝をつき、両手を地につけ頭の天辺を地面につけるように下げる。

ケイトリヒが見ていたらさながら土下座だ、と思っただろう。


領主ザムエルはチラリと男爵のほうを見る。

息子が顔を青ざめさせて陳謝しているにも関わらず、あまり慌てた様子がない。苦悶の表情で目をつぶり、気持ち程度に頭を下げているだけだ。どうもこの男爵は気に食わない。

さりとてこれからもっと護衛騎士が必要になってくるであろうケイトリヒの、さらにケイトリヒ自身が選んだ護衛騎士を処分してしまっては都合が悪い。

ザムエルはそう考えると、短くため息をついた。


「今回は厳重注意ということで不問とするが、次はないと思え。場合によってはケイトリヒを奸計に巻き込まんとする謀略と断ずる。その場合の処遇は理解しておろうな」


「「はっ……!」」


二人は慇懃に頭を下げ、諾としたがザムエルは追い打ちをかける。


「このことは今後他のラウプフォーゲル貴族の間で繰り返されぬよう、注意喚起する。処分はないが、これが罰だ」


これに反応したのは、案の定父親の男爵だ。

顔をこわばらせ、ひくひくと頬と口元を戦慄かせている。息子のエグモントのほうはそれも仕方ないと言わんばかりに諦め顔だ。


(やはり、この件の発端は父親か)


ザムエルはギロリと目を険しくして男爵を睨みつける。

男爵はその気迫を正しく感じ取ったようで、戦慄きは怯えに変わっていた。


名誉を重んずるが実力と評価が全ての騎士にとって、不問となったのはほぼお咎めなしと同等だ。しかし貴族にとっては違う。不問という事実があれど、「幼い王子に接触しようとした貴族がいる」という噂がたち、それがプラヴァット男爵だということが露呈すれば貴族としての地位は下がる。地に落ちるというほどの失態ではないものの、嘲笑のネタとなりその地位の回復には時間と労力がかかるだろう。


この対処はいわば、息子ではなく父親に責を問う形だ。

息子のエグモントは気づいていないが、父親はそれを額面通り正確に受け取った。


「下がれ」


ザムエルが短く言うと、父子はすごすごと去っていった。


(プラヴァット男爵はラウプフォーゲルきっての保守派の一派だな)


保守派と完全にイコールというわけではないが、保守派の多くはアロイジウスを次期領主にと推薦するものが多い。ただ、保守派は何にしても動きが鈍く、これまで大きな政治活動をしてきたことがなかった。

ラウプフォーゲルの政治を取り巻く議会は主にタカ派とハト派と呼ばれるわかりやすい構図で、保守派は議会では少数だったはずだ。


(ハト派はアロイジウスに付き、タカ派はクラレンツに付いているようだが……まさか第3派である保守派にケイトリヒを推す派閥が生まれようとしているのか)


ザムエルは痛んでくるこめかみをもみほぐすようにすると、温室へ向かう。


(面倒だ、まったく)


ファッシュ家の男は、政治に向いていない。

ザムエルの兄は父からずっとそう言われていた。だが冷静で賢いザムエルはファッシュ家の例外ともいわれてきた。そう言われてザムエルはいい気になっていたものだが、今となっては自身も全く政治には向いていない、と父に言い返したい。


(大人というのは、何故こうも単純な問題をあえて複雑化したがるのか……)


胸からにじみ出るような、大きなため息がもれた。

こんなときは愛らしい息子の笑い顔でも見て癒やされるに限る。


ケイトリヒたちが消えた温室に向かって足を進ませると、鈴のように軽やかな笑い声が聞こえてくる。


ただそれだけでも、ザムエルの胸に爽やかな風が吹いた。


――――――――――――


その日の夜。


「るんっるん〜ふんふふ〜ん♪」


「ケイトリヒ様、ご機嫌ですね!」


夕食の準備をしていたレオが、俺のご機嫌につられてご機嫌な声で話しかけてくる。

ご機嫌連鎖反応だ!


「ちちうえがね、このりきゅうに薬草園をつくっていいって! にわしをなんにんかやとってくれるって! ね、レオもなにか、おやさいそだてる? あ、でも木はむずかしいかなー? どうだろー、でも精霊もたすけてくれるっていってるから、たぶんなんでもそだつよ! どーするどーする!」


「野菜園!! ケイトリヒ様、お願いがあります! いくつか香草の種があるので、それを育てたいのです! 是非、ぜひに!! ああっ……! 王子のお抱えで俺、幸せっす」


夕食の準備の手を止めて、レオは俺の手をにぎる。圧がすごい。


「野菜園ではなく薬草園ですよ……しかし、香草ですか。レオの持ち込んだ香草はどれもいいレシピになっていますからね。ケイトリヒ様、庭師にも秘密漏洩防止の策を講じなければならないかもしれません。といっても、この件はペシュティーノ様がお戻りになってからですね」


ガノがぴしゃりとレオのハイテンションの頭打ちをしてくる。


「ええ、もちろん構いません! ケイトリヒ様。私の手元には共和国で手に入れたジャガイモ、ハクサイ、ルッコラにカモミール。そして帝国で農家の方から分けてもらったダイコンにセージ、ミツバ。さらに私が山野を駆け巡って見つけたものでバニラ、山椒、バジル。どれも似ている、というだけで地球のものとは少しずつ異なりますが、充分代用品となる品質です。あ、あと染料になりそうな種も少々」


俺は全く料理ができないし食べる専門だったので、ピンとこないものもいくつかある。

ミツバってお吸い物に浮いてるやつだっけ? カモミールってお茶じゃないの? とか。

でも間違いなくわかるのは……。


「きっとおいしい!」

「ええ、これらが収穫できるようになれば今以上に美味しいお料理を作ってみせます! とくにバニラビーンズについては異世界でも貴重なスパイスとして高値で取引されていましたからね。製品化できれば、きっと世界中の料理人が求めるものになるに違いありません」


「え、バニラってきちょうだったんだ。いつもプリンに入ってるよね?」

「あれは私が見つけた野生のバニラを加工したものです。自生していたものを摘み取って加工方法を確立させるまで何回もその山に通いましたよ。おかげで魔獣のことを考えなければ脚力だけは冒険者並です! バニラは他のスパイスと違って加工方法を知らないと、あの特有の香りを生み出せませんからね。栽培が成功すれば、きっとラウプフォーゲルのいい特産になるはずですよ!」


レオがニヤリと笑うが、話が進むにつれてガノが険しい顔になる。


「ガノ、どうしたの?」

「……やはり異世界の智慧というのは強烈な魅力であり危険なカードたり得ます。レオがケイトリヒ様の庇護下に入ってくれて本当に良かったと痛感しているのですよ」


言葉とは裏腹に、ガノの目つきは鋭い。

これは、もしかして。


「ガノ、おかねもうけのことかんがえてる?」


「ハッ。いえ、決してそのようなわけでは」


「いいよ、おもいついたのなら僕のけんげんをつかっておかねもうけしよ? ほら、僕ってママがいないから王子のなかでもちょっとたちばがよわいっぽいし。資産はつくれるだけつくったほうがいいよね。じぎょうのネタは僕とレオだけでもたくさんおもいつきそうだし、もしガノがそれをつかって荒稼ぎできそうだとおもったならアイデアはえんりょせずだして」


「荒稼ぎですか。いい響きです」


ガノがウットリしてる。いや、日本の漫画表現を借りると、目が「¥」マークだ。

この世界の通貨が何なのかはそういえば知らない。


「さすが商人の家の子! ガノさんには食材でもお世話になりましたけど、マーケティングでもかなりのアドバイスをもらったんですよね。やはり商人の目利きってのは、料理人や王子とは違ったものがあるでしょう。ケイトリヒ様の人選は、すごいなあ」


レオの言葉にニコリと愛想よく微笑むと、ガノはそのままニヤニヤ笑いながら考え込んでしまった。多分、お金儲けについて考えてる顔。


その日の夕食はガノとレオの3人で食べて、お金儲けについて延々と話し合った。

ちなみにメニューは酢豚。こちらの世界でいうと酢ポルキート? ごろごろ野菜はちょっとずつ前の世界と風味や歯ごたえが違うけど、味付けはしっかり酢豚。

それに試作品の味噌を使ったうすーい豚汁。うすいけど微かに味噌の風味がして、ちゃんとダシもとってあって美味しかった。

キャベツとレタスの間みたいな葉野菜のアペリーフは、マヨネーズでたべると美味しい。


夜になるとギンコと一緒に寝台に入り、ガノと夕食の続きのようにお金儲けのお話をしながら寝た。最近は夜に起きることもなくなったみたいだ。お昼にウトウトしなくなったもんね。


そういえばエグモントはどうなったんだろう。

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