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1章_0002話_異世界、転生 2

「いやいやいやいや、神じゃないから。神になるのはキミ! あぶないなあ、あんまりテキトーに定義づけしちゃダメだよぉ、神なるんだからさ。 この声は、いわばこの世界のガイド音声みたいなもので実は人格は存在してないんだよね。キミが望む形、具体的に言うと『聞き慣れた話し方の声』という形でキミにアクセスしただけなんだ。今は夢って形でアクセスしてるけど、肉体が扱う魔力が安定してくれば覚醒状態でも好きにアクセスできるようになると思うよ! んじゃ、神になるため! 文字の勉強頑張ってねー!」


寝覚めは良好。

むしろ今まで目をつぶっていただけで脳は起きてたんじゃないかと思うくらい全く寝起き感がない目覚め。なんだか変な夢を見た気がする。

神|(仮)がまた何か新しい情報をくれたような……。いや、仮でも神って呼んじゃいけないんだっけ? と、思い出そうとしたところでお腹から子犬が鳴くような声。


「まあ、ケイトリヒ王子。お腹の虫が目覚まし時計だなんて、可愛らしいこと!」


俺の世話をしてくれる3人のメイドの中でも最も若いミーナはペシュティーノの次に俺に構うのが好きな人物だ。ペシュティーノは何か用事があるようでちょくちょく部屋を出ていくが、ミーナはほぼつきっきり。ときどき他の2人のメイドと交代することがあるけど、3日に1回くらい。


「さー、お顔をきれいに拭きましょうね〜」


ホカホカの蒸しタオルで顔から耳、首元まできれいに清拭されてきもちいい。


「今日の朝ごはんは〜、いつものポリッジ(麦粥)ではなくて、パンですよ! そろそろ固形にも挑戦してみましょうね〜!」


うねうねした彫金で飾られたシルバーのトレイに乗った木皿の上には、スライスされた黒っぽいパンが2切れ。少なく見えるが、ギュウギュウに詰まっているので重さ的には子ども用ご飯茶碗1杯分はあるだろう。

さらに卵スープのようなものと、ミルク。この世界で初めて見るパンをしげしげと見つめて匂いを嗅ぐと、ほのかにナッツのような香りがする。


「このパン、なにかはいってる?」

「まあ、王子はお鼻が利くのですね! カスターニエ()ヴァルヌス(くるみ)を挽いたものが練り合わせてありますから、そのままでも召し上がれますよ。もし食べにくかったら、はちみつもご用意してあります。ミルクもしっかり臭み抜きしてありますので、飲めるだけ飲んでくださいね」


陶器の小瓶を開けると、中には黄金色のはちみつがたっぷり。

ちょっと茶色っぽいパンの一番柔らかそうな真ん中にかぶりつくと、確かに栗の風味がした。あと、俺のひとくち、ものすごく小さい。体が小さいんだから顎も小さいのは当たり前なんだけどさ。そしてこのパン食べれば食べるほどものすごく重い。ぎっしりしてる。パンってこんなに重い食べ物だっけ……?


一切れの半分を食べたところでギブアップ。ミーナにどう言おうか悩んでいるとペシュティーノが部屋にやってきた。


「今日は黒パンですか」

「はい、中央貴族の間では白パンが流行っているそうですけれど、あれは太るばかりで栄養がないと言われていますから。今の王子にはすこし重いでしょうけど黒パンがよろしいですわ」


ミーナの言うことはあながち間違っていないんだけど、病み上がりの子供が食べるのは、消化に優しい白パンのほうが……いいとおもうな!


「ケイトリヒ様、無理なさらなくて大丈夫ですよ。今日は食べられる分だけにしておきましょう。その代わり卵のスープは全部召し上がってくださいね」


ペシュティーノは俺がギブアップしようとしていたのを察してくれたようだ。うっすらしょっぱい、旨味のない、ぬるい卵スープをかき混ぜているとペシュティーノが匙をそっと奪って俺に食べさせてくれる。別に食べたくないわけじゃないんだけど……あまり美味しくもないんだよね。微妙になんか……土っぽい味するし。


3口くらい食べさせられて、4口めを差し出されたとき、反射的に口を閉じてしまう。


「……ケイトリヒ様、これも無理ですか?」

ペシュティーノは呆れたような、悲しげなような微妙な顔で俺を見つめて、トレイの上に視線を向ける。俺が食べた量を確認しているようだ。


「いつもより少ないですが、黒パンを召し上がったのなら仕方ないですね。少し体を動かして、また食べられそうになったら食べましょうか」


体を動かす、と聞いてギョッとしてしまう。

この世界で意識を取り戻してからずっと、まともにベッドを降りたことがないくらい運動していない俺の体は健康とはほど遠い手足だ。ベッドの上でちょっと這い回ったりゴロゴロしたりするだけで息が上がる。


「からだ……うごかす……うごく、かな」

上手く回らない舌で俺が言うと、ペシュティーノが優しく頭を撫でる。

「途中で苦しくなったら、私が抱っこしますから。できる分だけでいいのですよ。苦しくなったときに、きちんと苦しいと言えるかどうかも成長のひとつです。まずは南側のバルコニーまで歩いてみましょう。そこからは西の離宮の庭園が一望できます。今はオルマやブレンゲ……お花がたくさん咲いているので、きれいですよ」


オルマヤブレンゲはきっと花の名前なのかな。

花にはあんまり興味ないが、外は見てみたい。


「おそと」

「そう、おそとです。おそとのお庭がどうなってるか見ましょうね」


コクンと俺がうなずくと、すかさずペシュティーノが卵スープの匙を俺の口元に差し出してきたのでうっかり食べてしまった。だいぶ冷えていたはずだが温かい。


「あったかい。これもまほう?」

「そうです、温める魔法ですよ」


この世界の魔法ってのは呪文を叫んだりなんかブツブツ呟いたりっていう動作は必要ないんだね。


「まほう、どうやってつかうの?」

「ケイトリヒ様は魔法に興味がおありなのですね。文字の勉強と平行して魔法も練習してみますか?」


「ぼくもつかえる?」

「ええ、もちろん。生活魔法であれば、誰でも練習すれば使えるようになりますよ。魔力が多い体質なら、魔導も使えるようになるかもしれませんね」


「まどうはまほうとちがうの?」

「ああ、そうですね。その説明が抜けていました。魔術はおおきく2つに分かれているのです。生活を便利にして、危険がないのが魔法。そして破壊が主な目的で、強い魔力が必要な魔導。魔導は攻撃魔法とも言いかえられます」


目的によって呼び方が違う魔法と魔導。魔術はそれらの総称。

うーん、似た言葉で意味も近くて線引も曖昧な割にちゃんと呼称が分かれてるって、すごくめんどいな。


「まほうでこうげきすることはできないの?」

「今はまだ難しいかもしれませんが……魔術のエネルギーとなる魔力は、ヒトや魔獣、アンデッド、そしてこの枕や布、石や水といった無機物にも、あらゆる存在すべてに宿っているのです。そのなかでも、『無機物に作用する』のが魔法、『生き物に作用する』のが魔導……というわけなのですが、わかりますか?」


「じゃあ、まどうで……おしろのかべをこわすことは、できない?」

「ええ、そうです。しっかり理解してますね! ただ、強すぎる魔導は無機物でも生き物でも関係なく作用してしまいますが、このような魔導を使える者はほとんどいません。今ではそういった強すぎる力は『大魔導』と呼ばれて区別されています」


聞けば聞くほど専門用語が増えて混乱しちゃう。今聞く話じゃなさそう。

ペシュティーノは喋りながら俺をパジャマからふんわりしたシャツに着替えさせ、かぼちゃみたいなパンツに腿まである長いソックスを履かされる。これ、前の世界ではコスプレ女子が履いてたニーソックスってやつじゃないか?


「しゃつ、だぼだぼ……くつした、ながい!」

「ケイトリヒ様のお年頃の男児ならこれが一般的な服装ですよ。まあ、たしかに……大きめのようですが」


「ペシュのくつしたも、ながい?」

俺がそう尋ねると、ペシュティーノは少し身じろぎした。……呼び方、変だった?


「あ……いえ、ああ、大人の靴下は膝下丈から足首丈くらい、ですかね。大人は長いズボンか、長いブーツを履きますので」


「ペシュ」

「はい?」


「……ペシュ?」

「ふふ、なんですか?」


「ぼく、ペシュのことまえからペシュってよんでた?」


頑是ない子供を優しく笑いながら相手していたようなペシュティーノが、急に真顔になった。


「……ケイトリヒ様、もしや……記憶が? ……いえ、2年近くベッドで眠っていらしたのです、記憶が混濁しても仕方ないとは思いますが」


え、2年近く?

まじで?

驚いていると、ミーナがコロコロと笑った。


「うふふ、ケイトリヒ様はもうペシュティーノ様のことを愛称で呼ぶことにされたんですね! 以前の『ペシュちー』がもう聞けないのは、残念ですわ」


うん、まあ日本語圏の子供にはきっと発音しづらいよね。

日本語圏と言っていいのか謎だけど。


「ペシュ、ぼくなんさい?」

「ケイトリヒ様は今年の明けに5歳になられたので、今は5歳と6ヶ月ですよ」


え!

あの、眠りの合間に聞いた「5歳の誕生日を迎えられないかも」って話から、もう5歳迎えて、さらに6ヶ月も経ったってこと!? じゃあ、あと6ヶ月もすれば小学校入学する年齢ってこと? この世界に小学校があるか定かじゃないけれど!


喋っても舌がなかなかうまく動かないし息も続かないので、我ながら子供っぽい舌足らずで断片的な喋り方だと思っていた。子供の発育は詳しくよくわからないが、自分の子供時代を思い出す限りではかなり遅れているかもしれない。


「……ペシュ、ぼく、へん?」

「変ではないですよ。年齢よりだいぶお体が小さいですけれど、ゆっくりですがどんどん元気になってきています。元気になれば、体を動かして、いっぱい食事すれば、すぐに大きくなれます。それに言葉も……いえ、とにかくすぐに良くなります」


頭や背中を撫で回されて、キュッと優しくハグされる。そうされると、今まで不安に思っていた自身の発育不全についても「まあ、そんな子もいるか」という気になった。


「あるいたら、またスープたべる!」

「……! そうですね、バルコニーで朝食を再開しましょう。気分転換にもいいでしょうし。ミーナ、お願いできますか?」


「はいっ! 果物もいくつかご用意しますね!」

ミーナは朝食のトレイを下げながら快活に返事をして部屋を出ていった。


「さあ、南のバルコニーまでお散歩です。お靴を履きましょうね」


ひょいと重さのないぬいぐるみのように抱き上げられ、ベッドの端に座らせられる。

小さな足をぴょこぴょこさせると、ペシュティーノの大きな手がその片方を掴んで布でできたようなバレエシューズみたいな靴を丁寧に履かせてくれた。

かぼちゃパンツに、ニーハイソックスに、バレエシューズ……。

これって、なんか間抜けなほうの王子様コスプレみたいじゃないか?


「かがみ」

「ふふ、あちらに姿見がありますので、まずはそこまで頑張りましょう」


ベッドからスルリと降りて、初めて自力で地面に立った。……つもりが、膝に力が入らずカクンと折れて分厚い絨毯に座り込んでしまった。

想像以上に弱い。自力で立てなかったショックに少し放心したけれど、2年近くも寝たきりだった子供なら仕方ない。少しずつ、リハビリだ。


ぷるぷるしながら腕を張って、ベッドのシーツを掴んでようやく自力で立ち上がった。褒めてほしくて顔を上げると、ペシュティーノと、ミーナと入れ替わりにやってきたメイドがガチめに泣いていた。


「ケイトリヒ様……!」

「王子、ご立派です! 不平も言わず、自力で立ち上がろうとするなんて……!」


俺、がんばった! でも後からしみじみと思ったのは、立ち上がるだけで褒められる子供に転生してしまった、という妙にやるせない感覚だった。


ペシュティーノの中指と薬指をキュッと握ってがんばって歩く。

5歳半といえど2年も寝ていたのなら発育は3歳児程度ということか。足運びがおぼつかなくても、これは仕方ない、仕方ない……。仕方ない、けども。

いや。俺、完全にヨチヨチ歩きだ!


その証拠にメイドの女性がすごく笑顔だけどちょっとハラハラした感じで俺を見ている。

ペシュティーノの顔は見えないけど、俺が足を踏み出すたびに握る手に力が入るのできっとメイドと同じ表情をしているのだろう。


「ほら、ケイトリヒ様。姿見ですよ」


自分の足運びに夢中で下しか見ていなかった。パッと顔を上げると、必要以上にゴージャスな額縁みたいなものに縁取られた鏡。

そこには……白い小さなふわふわが映っている。


え? これが、俺? 黒ずんでいた肌はいつの間にか異様に白くなっていたことは、自分で手足を見て理解してた。子供でさらに体が弱いとなると陽に当たらないので白くなるのも理解できる。いや、もしかしたら黒ずんでいたのは、病気っぽいものに伴う代謝的な何かが原因だったのかもしれない。しらんけど。

しかし髪の毛まで白いとは思っていなかった。ペシュティーノと、後ろにいるメイドと比べても俺だけ一人フォトショップで雑コラしたみたいに光源がおかしい。白すぎる。

あと……ペシュティーノ、でかっ!! 彼の身長が標準だとしたら、俺のサイズは新生児が直立した程度じゃないか?


「ぼく、ちっちゃい!」

「ケイトリヒ様、ペシュティーノ様はラウプフォーゲルでもかなり長身です。ご自分が小さく見えるかもしれませんけれど、すぐに大きくなりますわ!」


ミーナとは別のメイドが俺の側に屈んで目線を合わせ、そう励ましてくれる。

優しい世界だなあ。 ……確か彼女の名前は……ええっと。


「ありがと、ララ」

「ウフフ、どういたしまして。ああ、きれいなお目々ですわ」


ララは指の背で俺の頬をスリスリと撫でる。

そういえば目の色も明るいっぽい。ペシュティーノの手というか指を掴んだまま再びヨチヨチと姿見に近づくと、俺自身の顔の造形がよく見える。

瞳の色は、アイスブルーというべきか、ほとんど白に近い水色。

髪も肌も全部白いからそんなに気にならないが、前の世界の感覚からするとちょっと不自然な明るさだ。アルビノっていうんだっけ、こういうの。


「髪の毛、真っ白になっちゃいましたねえ。でも、これもまたお可愛らしいですわ」

「え」


前は違う色だったの?

思い出そうとしても何も思い出せない。前の世界での俺の外見が浮かんでくるだけだ。


「ケイトリヒ様、前のお姿が思い出せないのですか? 無理もありません、鏡を見ること自体、お久しぶりでしょう。以前ご覧になっていたころは、小さかったですから」


「そうですわね。ケイトリヒ様は死の精霊に連れ去られてもおかしくない大病から生き抜いたのです。死の精霊に打ち勝った証として、髪や目の色が変わるのはよくあることですよ。さすがにここまで真っ白なのは珍しいですけれどね」


よくあるんだ! いや珍しいんだ! どっちか知らんけど、まあ前の世界でもひどいストレスの後に髪が真っ白になるなんてことはあったみたいだもんな。実際にそうなったヒトを見たことはないけど。目の色まで変わるとは不思議な気がするが魔法のあるこの世界では、そうおかしくはないのかもしれない。


そう思うと俺自身の外見についての興味がスコンと消え失せた。


「おそと!」

「はい、はい。さあ、歩きましょうね。ララ、代わっていただけませんか? ケイトリヒ様、ララとお手々をつなぎましょう。私ではちょっと、その、腰が」


デカすぎるペシュティーノと手をつなぐには、ペシュティーノがかなり無理な体勢を強いられるらしい。すまんな。


ララの手はペシュティーノよりずっとふわふわで潤ってる。女性の手、って感じ。


お部屋のドアを開けて廊下に出ると、部屋以上に豪華な内装におもわず怯む。

マジでヴェルサイユ宮殿……行ったことないから知らんけど。とにかく宮殿と呼んで差し支えない豪華さ。

柱には1本1本複雑な彫刻がくっついてるし、壁にも浮き彫りが執拗に施されていて、きれいに色付けされているので落ち着かない。

壁とか平らでよくない?


内装に気を取られていると、足がカクンとなって座り込みそうになってララの手に力が入る。俺も手をつないだ腕一本で体勢を立て直す。歩行が全身運動だなんて知らなかった。

よちよち、よちよち。頑張って歩いたが廊下の曲がり角でふう、と一息ついた瞬間に頭がクラクラしてきた。足もガクガクしているし、握る手に力が入らない。


「ペシュ、だっこ」

「ケイトリヒ様……よく、限界を把握してご自分から言えましたね! 安心しました」


ペシュティーノがすかさず抱っこして、俺の頭をふわふわと撫でる。気持ちいい。

南のバルコニーというのは、廊下の曲がり角を曲がってすぐの場所だったらしい。


開放されたドアの向こうに広がるのは、レースカーテン越しの柔らかな光ではなく、ギラついた鋭い陽光。それをキラキラと反射させる木の葉。

ふわりと香る緑の匂い。土の匂い。微かに花の匂い。頬を撫でる風。


バルコニーに出ると、そこは……まさに、「宮殿の庭園」にふさわしい庭。いや、前の世界の洋風庭園からすると少し野性味が残っている部分もあるようだ。立木は形を整えないのがこちらのスタイルらしい。

一瞬、ムワッとした熱気を感じるがすぐに消えた。これも魔法かな?


「まぶしい」

「ケイトリヒ様、さあこちらのお帽子を」


バルコニーで待機していたミーナがヘッドドレスみたいな帽子をいそいそと差し出してきた。これ、フランス人形がつけてるのみたことある……女の子用じゃない?

そう思い出した瞬間、「や」と言って顔をプイと背ける。想定以上に子供っぽい仕草になってしまった。


「おや、お帽子が嫌いなのは変わりませんね。でも今のケイトリヒ様では日差しで目を傷めるかもしれませんので、少しだけ我慢してください」

ペシュティーノが困ったように笑うので、ミーナが俺の頭にそれをくくりつけるのを渋々許した。

バルコニーもまた豪華で、美術館かと思えるほどの彫刻が施された手すりと石造りの床、その上にはガーデンテーブルとチェアのセット。簡易的な日除けの天幕が張られているので直射日光にさらされるわけではなさそう。


「ララ、ご苦労です。こちらはもう大丈夫なので、次は琥珀の離宮へ手伝いを」

「はい、わかりました。王子殿下、それでは私は失礼しますね」


ミーナのほうがどう見ても若そうに見えるが、ララの上司らしい。ララは俺の手を両手で優しく包み込んで微笑むと、退席した。


「ララ、ばいばーい。またね。ばいばーい」


俺が叫んで手をふると、背を向けていたララが振り返って手をふってくれる。


「王子殿下、『ばいばーい』、とはどういう意味ですか?」

ミーナが聞いてくる。


「えっ? ……えーっと、かるい、おわかれのあいさつ……かな?」


思わぬツッコミを受けて、俺の頭の中では「ばいばい」について知っている知識を総動員したが、確か元は英語の「bye」だ。たぶん。英語が通じない世界? いや、今まで普通に会話を聞いた上で通じない言葉はなかった。普通の日本語でも、外来語は多い。それなのに今まで問題なく通じていたということは、英語が問題ではなさそうだ。


「子供の造語でしょう。よくあることだと聞いていますから……さ、ケイトリヒ様。もし召し上がれるようであれば少しでも召し上がってください。お膝の上で構いませんね?」


ペシュティーノが鉄製の椅子に座り、ミーナが俺の尻の下に柔らかいクッションをねじ込んでくれる。それでようやく、テーブルの高さが俺の胸元くらいの位置。

俺、小さい。すごく、小さい……。

ばいばいについてはいい感じに納得されてよかった。

こういう事は逆に、「しまった」とか「バレた」とか思うよりも、むしろ「え、普通そう言うでしょ?」みたいなスタンスのほうが良さそうだ。致命的にヤバい間違いなら、きっと大人が教えてくれるはず。間違ってナンボだ。だって俺、子供だもん。


テーブルの上には朝食べた卵スープが新しい皿で用意され、カットされた小さなフルーツが小さな脚付きの皿に宝石のように盛り付けられている。きれいだ。


「これなあに?」

俺が指差したカットフルーツは、淡い黄色味を帯びていて質感はりんごっぽいもの。


「それは、パルパですよ。ケイトリヒ様、お好きでしょう?」


パルパ。聞いたことないなー。

ペシュティーノが銀色のピックでパルパと呼ばれた果実を刺して、俺の口元に差し出す。

小さくカットされていると思ったが俺の口には大きかった。噛み付くと、シャク、と心地いい歯ごたえ。食感も香りも、ほぼりんごだ。酸味はほぼないけど、甘さも控えめ。


「おいひい」

「美味しいですか。よかったです。次はどれが食べたいですか? ナッツチェリー? ネーブルは少し酸っぱいかもしれませんね。口直しにスープはどうでしょう?」


ペシュが矢継ぎ早にオススメしてくるけど、俺の口の中はまだパルパでいっぱい。果物って、固形のままだと意外に消化にはよくないのでよく噛まないとね。ふた口めのパルパを頬張っていると、ミーナが笑う。


「王子殿下はパルパに夢中のようですよ。こんなにほっぺを膨らませて……なんて可愛らしいんでしょう、ずっと見ていたいですわ」


3口めのパルパに行こうとしていたところ、広いバルコニーの向こうに人影が見えた。

誰だろうと思ってそちらを見ていると、ペシュティーノとミーナもその存在に気づいたようだ。


「あ……アロイジウス王子殿下、クラレンツ王子殿下、西の離宮へようこそお越しくださいました」

ミーナが慌てて挨拶すると、2人の少年とその後ろに2人の大人。多分護衛かな。


ふたりとも王子殿下、ということは……俺の兄?


俺がごっくんとパルパを飲み込んだのを見届けてペシュティーノがゆっくり立ち上がり、そっと俺を地面に立たせる。

「(ケイトリヒ様、ご挨拶を。「兄殿下にご挨拶申し上げます」と言って、頭を下げるのですよ。さあ、やってみてください)」


「あにでんかに、ごあいさつもーしあげます」

俺がペコリと頭を下げると、思いのほか頭が重くてフラついたのをペシュティーノが支えてくれた。ぴょこんと顔を上げると、2人の少年は困惑しているように見える。

背の高いほうは奇異なものを見るような目で、太ったほうは……なんか意地悪そうだ。


「なんだあれ、白すぎないか?」

「よせ、クラレンツ。死線に触れた者の特徴だ。大病で死にかけていたというのは本当らしいな。随分良くなったときいて見舞いに来たが、やはりまだ……小さいな」


背の高い、少年のくせに眉間にシワをよせた厳しい顔つきのほうの兄は俺をしげしげと眺めると幾分か厳しさをやわらげた。

対して太ったほうの兄は、顔は吹き出物だらけで目も口も鼻も周囲の肉に圧迫されて小さいのに、俺を見てことさら意地悪そうに笑っている。


「ふうん、白いボビットみたいだな。なんかフラフラしてないか?」

「やめないか、クラレンツ。父上は兄弟仲良くといつも口酸っぱく仰っている。父上が息子とすると決めた以上、ケイトリヒは我々の弟だ。仲良くしなさい」


ペシュティーノが耳元で、背の高いほうがアロイジウス、太ったほうがクラレンツだと教えてくれた。


「ケイトリヒ。快気祝いとして尋ねたが、まだ全快とはいかないようだ。お古ではあるがいくつか玩具(おもちゃ)を持ってきた。たくさん食べてたくさん遊んで、早く元気になり、ラウプフォーゲルのために貢献できる大人になりなさい」


アロイジウスはことさら大人っぽい口調で言うと、俺に近づこうともせず踵を返して背を向けて去っていった。太った方の従兄上、クラレンツも慌ててそれに従う。

どっちの兄も、特に弟の俺に興味があって尋ねたわけではなさそうだ。

きっと誰か大人に言われて来たのだろう。


それより……。

「父上が息子とすると決めた」と言っていたということは、俺の父は本当の父ではないということだろうか。

毒親の疑いがある母親は俺が知る限り一度も会ってないし、父は本当の父ではない。

兄となる2人の少年はあまり俺の存在を歓迎していない様子だし。

かなり複雑な家庭環境のようだ。


「ペシュ、ちちうえはおうさまなの?」

「……ケイトリヒ様の父上は、ラウプフォーゲル領の領主で帝国で最上位の公爵位。皇帝陛下の次に偉い、ザムエル・ファッシュ・ヴォン・ラウプフォーゲル公爵閣下です」


でた、公爵! 爵位制度!! はい、馴染みない! 

どうせなら大名とか地頭とかのほうがまだ馴染みあるわー。

そして帝国、皇帝陛下。ここ、帝国なのか。

というか俺は……領主の子。なんで王子? 王の子じゃなくね?


爵位制度に帝政、ドレスに魔法、白い髪。完全にファンタジー世界だ。


「こうしゃくカッカ……」

「ただ、先程アロイジウス殿下が仰っていたように、実の父君ではありません。ケイトリヒ様の実の父は、公爵閣下の弟君であるクリストフ様です。血縁上は、公爵閣下はケイトリヒ様の伯父上にあたるのですが、クリストフ様はケイトリヒ様がお産まれになる前に亡くなったので……」


なるほど、伯父か。

公爵閣下は弟が亡くなったので、その子を自分の息子として受け入れたというわけか。

確かに公爵閣下の実の息子からすると、ちょっと思うところはあるかもしれない。

跡目相続に関わってくるとなると、さらにシビアなものになるだろうけど。俺は公爵家の継承なんて興味ありませんから。俺にその気がないとわかれば、俺を見て微妙な顔をしていた兄たちもそのうち態度を軟化させるだろう。


「ペシュ、パルパ!」

「……フフッ、はいはい、どうぞ。ナッツチェリーも食べてみますか?」


「たべる! たべたら、もじとまほうのおべんきょうするー」

「なんと、意欲的ですね。勉強をしたがるなんて、嬉しいことでございます」

「本当、勉強したがる王子なんて始めてみましたわ!」


いやいや、それは大げさだろう。


その日はそれから、ゆっくり昼まで時間をかけてフルーツと卵スープを食べた。

そして勉強の野望は叶わず、午後になったら寝てしまった。


今の体力では1日の4分の1の時間しか起きていられず、さらに食事をすると体力を消耗するらしくすぐ眠くなって、眠ると次の日まで起きない。

子供の頃は1日が長く感じていた気がするが、さすがにそんな生活を続けていたら、たしかに2年なんてすぐ経ってしまいそうだ。


だが体を動かすことを心がけたこの頃から、少しずつだが細かった腕や足がふっくらしてきて、首がフラフラしなくなってきた。寝ている時間も少しずつだが短くなり、食事量も少しずつ増えてきた。


ようやく「やせ細った病気のこども」からただの「年齢の割に小柄なこども」になってきたなあと思った頃には、俺はもう6歳になっていた。

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