第2部_4章_191話_予見_2
「なんか海がドス黒くない?」
俺の言葉に、側近の何人かが「そうですね」みたいな通信を返してくる。
おそらく、皆言葉を失っていたんだと思う。
見るからにもう瘴気というか、アンデッドここから現れます感がぷんぷんしてくる黒く淀んだ海面と、岩浜に無造作に打ち上げられ波に足を取られながらよろよろと陸地を目指すアンデッド。
『リンメル男爵いわく、ちょうど満潮の時間なのでアンデッドが現れる頃だと』
リンスコット伯爵らを乗せた兵員輸送用のトリューに同乗しているスタンリーから通信が入る。
潮の満ち引きでアンデッドが現れるとか地獄かよ!
低い岩場には打ち上げられたアンデッドがまとまって数十体。他にも岩の間からまばらに姿を表し、岩に打ち付けられる波にボコボコに殴られるように身体を打ち付けながらそれでも陸地へ向かう。
陸地には丸太で組み上げられたバリケードのようなものがあり、アンデッドを一定の場所へ誘導するような形になっている。
そしてその先には……。
満潮の時刻に合わせて掘り上げられた巨大な落とし穴。
原始的だが効果的な退治方法だとは思う。
落とし穴の上には即席の櫓が組まれ、大きな砂袋が吊るしてある。
穴に一定以上のアンデッドが落ちたら、一気に砂で埋めるつもりなんだろう。
村人たちは慣れきった手つきで、全く慌てる様子もなく上陸してくるアンデッドを監視しつつ、バリケードを登ろうとするアンデッドを叩き落したりなどしている。
肝の座り方だけでいえばラウプフォーゲル人に近い。
200体ほどのアンデッドが上陸しただろうか。
ぞろぞろ、モタモタとバリケードに沿ってうーうー唸りながら歩き、最終的にはボトボトと落とし穴に落ちていく。落ちたアンデッドはもがいているけど、登るような知性もなくただ蠢いているだけだ。
なんか……人格はないとはいえ、哀れ。
9割がたのアンデッドが落とし穴に落ちきったら、リーダーらしき人物の号令のもと、砂袋がパッと開かれて一気に砂がアンデッドの上に落ちる。そして、討ち漏らしたアンデッドを片付けるために何人かが武器を持ってバリケードの中に入っていった。
発生したばかりの最弱アンデッドは戦闘職ではない村人のフルスイングで簡単に倒せる。
「砂から這い上がって出てくることはないのかな」
俺の言葉にしばらくして返事。
『リンメル男爵いわく、そのような事例は今のところないそうです。また、満潮の周期は約3日。その間に埋められたアンデッドは消え去り、同じ場所を掘り起こしてもいないのだそうですよ』
えっ、満潮の周期って3日もあるの? 地球だと1日に2回くらいなかった? こっちは潮の満ち引きについてシステムが違うんだろうか。
わりと定期的なアンデッド襲来にはそれなりに準備期間があるってことだね。
とはいえもちろん満潮のときにしかアンデッドが来ないわけでもないそうで、ポツポツやってくるアンデッドもちゃんと倒しておかなければならない。
海岸には1刻(2時間)交代で常にヒトが配置され、3日以上連続して海岸に滞在しないようにシフト化されている。そして、1ヶ月この仕事に携わった者は海岸線から遠いリンスコット伯爵領で1ヶ月療養が必要になる。
死人病の重篤化を予防するための措置だ。
この体制が確立されて回り始めるまで、実に多くのヒトが死人病からアンデッドになってしまったのだという。要した時間は30年。
リンメル男爵のご両親がアンデッドになってしまったこともおそらくそのせいだろう。
俺たちは海岸防衛ラインのすぐそばに着陸した。
不安げな住人たちが集まってきたが、リンメル男爵の姿を認めると安心したようだ。
「住人にも、すでに死人病の症状が出ているものがいますね」
俺は仰々しいマントをつけたペシュティーノに抱っこされた状態でトリューから降りた。
真っ白な法衣の上にたなびくマントには白鷲。
その姿を見て、何人かの住人は膝をついて祈るような姿勢をした。
一応このあたりにも聖教の教えはあるようだ。
「おぞましいほどの【命】属性です。主、ロムア遺跡に満ちていた【命】属性はここから流れ込んだものでしょう。おそらく、発生源は暗黒大陸……この地で【命】属性を吸い取ったとしても、それは対処療法でしかありません」
ウィオラがふわりと現れる。
「ん〜、たしかに海の向こうからとんでもない量の【命】属性を感じるねえ。主、ここはちょうどドラッケリュッヘン大陸でたまたま海のアンデッドが上陸しやすい条件になってるみたい。ここに『ホイホイ』置いちゃえばほぼ無限アンデッドだよ!」
ジオールが明るく言うけど、表情は微妙。若干キモがってるようにも見える。
「たしかに僕には【命】属性が不足してるって話だけど……形状としては、別にアンデッド魔晶石である必要ってないよね? エンブリュオンに全部吸収してもらっちゃえばいいんじゃないのかな」
俺の言葉に、ウィオラもジオールも反応しない。
「……我々にとっては【命】属性も【死】属性も、等しく不可侵の存在。我々に問われても答えを持ち合わせておりません」
「あ、そう。じゃあエンブリュオン!」
サッと左手を掲げると、手からニュルンと真っ黒なお魚が出てきた。
「ねえエンブリュオン、このあたりの【命】属性をいい感じに吸収したいんだけどさ。エンブリュオンに吸収してもらうのと、アンデッドホイホイ置いてアンデッド魔晶石化するの、どっちがいいとおもう? あるいはどっちもやったほうがいい?」
俺の手の中の黒い魚がビチビチッと跳ねる。
「どっちも」
相変わらず声ちっちゃい。
まあ魚だもんね。
「そう? じゃあおねがい」
パッと魚を掲げると、ビチビチッと空中を泳ぐように浮かび上がった。
あ、持ってなくていいの? よかった、前ずっと持ってたの結構疲れたんだよね。
エンブリュオンは黒いボディをブルルッと震わせて、シューッと海の方に泳いでいった。
もう見えない。
「行っちゃった」
「主、その間にホイホイを」
「あ、うん。バジラットー」
「はいよ! ……って、うわッすげえなこの土地! 大地そのものにも『命』属性が染み込んで満ちてる! キッモ! よくこんな土地にヒト住んでんな!」
まあそれは……リンメル男爵は使命として住み続けたんだろう。
この海岸から現れるアンデッドを放置すれば、大陸は滅ぶという明らかな未来。それを阻止するために、文字通り命をかけて。
「リンメル男爵、代々ご苦労だった。リンスコット伯爵も、大陸の危機に対処した功績は大きい。これからこの海岸には、二度とアンデッドは現れない」
俺がエラソーに言うと、2人は少し離れた場所で平身低頭に平伏した。
頭の中でデーフェクトスが「儂を呼べ」と言った気がする。
弓なりになった海岸線の上の空中で、真っ白な石膏像がメリメリと出来上がっていく。
形は以前アイスラー湿地帯に設置したホイホイとおなじく、オベリスク型だ。
「デーフェクトス」
「呼ばれました」
ふわっ、と背後から風を感じたので顕現したんだろう。
俺は海岸でモリモリ作られていくオベリスクを眺めていたんだけど、少し離れた位置で野次馬していた村人たちが悲鳴をあげたので振り向いた。
なんか、背後にいつのまにか真っ白。え、なにこれ? 幅を確認するためにキョロキョロと首を横に振ると、その幅は約……うーん、50メートルくらい?
首の体操でもしてるんか、というくらいぐいーん、と上に向けると、塔が立ってた。
え、塔?
急に? なにこれ? 俺なにしたっけ? デーフェクトス呼んで……デーフェクトス?
「え、デーフェクトス?」
「はい、儂の名はデーフェクトスですぞ」
……。
塔が喋った。
「でかくない!? さっきもまあまあでかかったけどさ!」
「あれは屋内用の分霊体。こちらは本体ですが、これでも縮小したサイズですじゃ」
俺がぽかーんとしていると、群衆からこんどは歓声があがった。
「みろ、海の瘴気が消えていく!」
え、うそ。なんで? あ、空中でスゴい速さで飛び回っているのは……魚?
エンブリュオンだ。
ドス黒かった海が、どんどんと青く澄んで、烟っていた空も晴れ渡っていく。
「ふぃ〜っ」
なんか一仕事終えたようなため息をつきながら、エンブリュオンが戻ってきた。
近づいてくる姿は、アユかイワシのようだった姿から一転して……。
「ブリ!? すごくいっぱい吸った気がするのに、まだ魚なの!?」
「まだぜんぜん足りないヨ〜、はやく爬虫類くらいには進化したいなア〜」
あ、声はわりとちゃんと聞こえるようになった。
ニュルンと俺のもとに戻ってきたので両手で抱えると、マジでブリくらいのサイズ感!
伝わりにくいかもしれないけど、ブリだよこれは! 硬いし!
「ねえエンブリュオン、この先に暗黒大陸っていってね、たぶん【命】属性に支配されちゃってる大陸があるっぽいんだけど、そこまで行けない?」
「無理だねエ〜、あまりにも主から離れすぎだよオ〜。でもたしかに、この先に大きな力は感じるねエー! アァ〜そこまで行けたら、エンちゃんも主も大きくなれるのになア」
エンちゃん? エン……エンブリュオンだからエンちゃん? ……かわいいやん。
「僕も大きくなる? じゃあこのあと暗黒大陸、いこっか!」
「ワアイ!」
「ケイトリヒ様、お待ち下さい」
ブリを抱えた俺ごとヒョイと持ち上げられた。
「今は暗黒大陸の話は保留で。まずはバジラット様のオベリスクを完成させましょう」
「あ、はい。そうね」
ペシュティーノに抱っこされ、真っ黒なブリは俺が手を緩めるとスルリと抜けて周囲を泳ぐように漂う。うーん、泳ぎ方もブリ! とまあそれはよしとして。
少し離れた海岸上空ではメリメリとオベリスクができているけれど、土台らしき台座から下が異様にどんどん長く伸びている。
「バジラット? なんかオベリスクじゃなくて、剣みたいになってない?」
「え、海底にぶっ刺すんだろ? 長くないとオベリスク部分が海上に出ないじゃん。主の偉業としてさ、ちゃんとニンゲンが見えるものが残ったほうがいいよな?」
「あそういう」
「どれ、そろそろよかろうて」
また塔がしゃべった。大きいけど音量は控えめね。耳に優しいね。
ズズズ……と奇妙な音がしたかとおもったら、超巨大になっているデーフェクトスが骨ばった手を伸ばしてオベリスクをほんとに剣みたいにワシッと掴んだ。
オベリスク部分を柄にして、土台が長―く伸びたもの……剣というよりランス?
ゆーっくりデーフェクトスが屈んで……海岸から少し離れた海にズズーンとぶっ刺す。
「……落とすだけじゃだめだったの? あ、まって、ちょっと、衝撃で波が」
「ヘドロの堆積したアイスラー湿原と違って、ここの海底は岩だからな」
「いやちょっとまってそれどころじゃ」
ゆっくりした動きで規模感がバグってたけど、オベリスクをぶっ刺した海面がドヨンとたわんでその衝撃波が海岸に迫っている。これやばい。海岸線を改めて見ると、この海岸線以外は高い岩でゆるいV字型になっているので、波の勢いがこの海岸に集中する。
俺たちの後ろには、リンメル男爵領のアンデッド防衛最前線基地がある!!
「き、キュア! 津波をどうにかして!」
「もとより承知」
俺の頭上にふわりとSSRデザインで現れたキュアが大仰に両手を広げると、今にも海岸線に迫ろうとしていた波が大きく高く跳ね上がって巨大な水の壁のようになった。
前線の村人たちから歓声があがる。誰が見てもスゴい景色だ。
「わああ」
キレイ……と思ったけど、波に透けてなんか黒いヒト型のものが見える。
よく見たら水の壁にアンデッドがいっぱい混ざってるぅぅぅ! 気持ち悪いよおお!
「水中にアンデッドいっぱいいるうう」
「そのようですね……これはアイスラー湿原以上のアンデッド魔晶石が期待できます」
なんかペシュティーノちょっと喜んでるうう。
ほんと考え方が俺ファーストなんだから!
勢いを空中に散らされた海面はしばらくどよんどよんしてたけど、すぐに落ち着いた。
巨大な水の壁で興奮していた村民たちもだんだん落ち着いてきて困惑気味だ。
どう説明しようかな……。
「アンデッドの瘴気に晒されながらも果敢に戦った者どもよ、聞け」
あ、背後の白い塔ことデーフェクトスが厳かに説明してくれるらしい。助かる〜。
「この土地に漂っていた瘴気は、我が主の命により全てが跡形なく消し去られた。今後、汝らを蝕むアンデッドの病はゆるりとその身体から出ていくことだろう」
困惑していた村民たちの顔がみるみる明るくなる。
「神成者様! それは、それは……し……死人病が、もう、誰にも発生しないということでしょうか……?」
口を開いたのはリンメル男爵。
「そ……」
「その通り。汝らが死人病と呼ぶそれは、この地に満ちたアンデッドの瘴気が原因。主がその原因を黒き魚にて消し去った御姿を、汝らもその目で見たであろう」
俺が喋ろうとしたらデーフェクトスが遮ってくる。
デーフェクトス……シャルルになんか言われてない? 俺に喋らすなとか?
俺が喋るといっきにユルくなるから? それは子どもだから仕方ないと思わない?
「そして海に聳えしは、我が主が精霊の力で作り出したアンデッド収集塔。アンデッドを集めて消す、主の発明品である。この海岸にアンデッドが上陸することは、今日この日以降、金輪際ないと思え」
喋りが厳かすぎてなんか怒られてるみたいな気分だった住民たちは、内容を頭の中で理解するのに少し間があいた。
顔を見合わせて「アンデッドが来ないって言った?」「俺もそう聞こえた」って確認してる。威厳ある喋り方って伝わりづらい。
「我が主こそは、この世界を統べ真なる神となる御方。聖教法国により紛いものの信仰を強いられた民よ。真なる恩寵と慈悲を目にしたのならそれを語り継ぐべし。真なる神の御姿をその目にしかと刻め」
「ちょっとまムッ」
パッとペシュティーノの手が俺の口を塞ぐ。
真の神に対して扱いがひどくない!?
「真なる神、神成者様!」
「アンデッドの殲滅者、世界を正しく統べる御方!」
「感謝申し上げます!」
あああ! 俺が、俺が神になっちゃうう!!
「ペシュっ!」
「ケイトリヒ様、ドラッケリュッヘンではとりあえず神になってしまいましょう。この地ではギフトゥエールデ皇帝の威光は届きにくいです。それならば名目を変えてもう神ということにしてしまったほうが」
神ってとりあえずなるもんじゃないでしょ!
俺の扱いっつーか神の扱いが雑すぎんか!?
「神成者様……発言をお許しいただけますでしょうか」
ゴツゴツした岩に膝をついたリンメル男爵とリンスコット伯爵が額を岩に擦り付けるように頭を下げて言う。家臣や村人たちもその姿に倣い、次々とひれ伏す。
「発言を許す」と言ったのはペシュティーノ。やっぱ俺に喋らせる気ないんだな。
「我が長男はアンデッド討滅の指揮官として長く前線に留まりすぎました。その身はすでに半分が崩れ落ち、わずかに意識が残るのみ……ここまで進行した病が、本当に治るのか心配で……手前都合の話を持ち出すことを、どうかお許しください」
……領民のために戦った人物だけが治らなかったら、俺の神としての慈悲にもケチがつきそうだな。それに、それだけ立派な人物ならばこれからアンデッド被害から立ち直る領地には必要な存在だろう。
「その子息のもとへ案内して」
「神成者様が御子息を見ると仰っています。案内を」
ペシュ、わざわざ俺の言葉を厳かに言い直すのめんどいからやめて?
いつの間にかデーフェクトスもエンブリュオンも消え、キュアもバジラットも消えて周囲には穏やかな海風が吹く。
ふと振り向くと、海上にそびえる真っ白なオベリスクがきらりと輝いた。
(この短時間でめっちゃアンデッド集まってるウ〜。よかったねエ主、もうアンデッド魔晶石には苦労しないよオ)
頭の中でエンブリュオンが話しかけてきた。
ほんとすごいアンデッド濃度だったんだな、この土地……これよりスゴいっていう暗黒大陸が気になるわ。
リンメル男爵の案内で海岸沿いの崖の階段を登り、少し歩くこと体感5分ほど。
ペシュティーノの足なのでスムーズだったけど、子どもには険しい道。
黒い岩が天然の要塞となった小さな村のような基地が見えてきた。岩の間にはみっしりと木々が生い茂り、ぶっとい根が岩のいたるところに絡みついて網目状に見える。
村の家屋は木製だが、村の向こうに見える巨大な石造りのピラミッドのような建築物は明らかに文明が違う。
ジャングルに飲み込まれた古代文明と、今でもそこに住む原住民……みたいな雰囲気があってエモい。
「あれなに?」
「リンメル男爵。神成者様があの高い建物は何かとお尋ねです」
「は、はい。あれはゴア帝国よりもさらに旧い時代に建造された神殿のようなものではないかと考えられております。歴史研究家ユリシーズ・シンフィールドが中心になって今も研究が続いておりますが、まだこれと言った確証はなく」
あ……こういうの、ヤバい。
(あれは古代の『精霊窟』だねえ)
頭の中でジオールがいきなり結論をぶっこんできた。
ね? ヤバいっていう俺の予感、当たったでしょ?
歴史研究家が長い時間をかけてずっと研究してるっつーのに、精霊がいきなり正解言うんだもんね、たまったもんじゃないよね。
ジオールの声は俺にしか聞こえてなかったから、ちょっと黙ってよう。
というか精霊窟ってなんだろね。まあいいや。今はリンスコット伯爵の息子さんのことを考えよう。
村の目抜き通りを進むと、黒い岩のピラミッドの手前に、木製の立派なお屋敷が見えた。
村人に子どもはおらずほとんど壮健な男性ばかり。
そういえばここは村ではなく、前線基地だった。
屋敷には清掃する人員がいないんだろう、ややホコリじみていたけれど作りは立派。
「息子は、この部屋におります。神成者様のお目汚しになってしまってはいけませんので、どうかハンカチなどがありましたら……」
リンスコット伯爵は青ざめた顔で言う。
……アンデッドになりかけているということは、そういうことか。
ドアが開けられると、鼻を突くような腐臭。
ペシュティーノが長い指先でつん、と俺の鼻先を少しだけつまむと、ニオイが消えた。
防臭の魔法だ。
広い部屋に大きなベッドが一つだけの部屋は、窓もカーテンもバリケードのように閉め切られている。薄暗い部屋に灯る弱々しいロウソクの光が、まるでベッドに眠る人物の命を表しているようだ。
「あ〜あ、こんなに閉め切ってちゃせっかく主が浄化した空気も入らないじゃない」
ふわりと現れたジオールが窓を壊すんじゃないかという勢いでバリバリと開けた。
リンスコット伯爵は一瞬慌てたけれど、すぐに考え直したようでぼんやりとジオールを見ている。
カーテンは窓の枠に打ち付けられていたようだ。窓枠は粘ついたものでもあったのか、開けるのに少し苦労したようだけど、開けた瞬間さわやかな潮風とキラキラとした光が入ってくる。
「ちち……うえ……ああ、息がしやすく……なりました」
「エーミール!」
ベッドから聞こえた弱々しい声に、常に冷静だったリンスコット伯爵が慌ててベッドに駆け寄って、重い緞帳のようなベッドカーテンをめくって跪く。
「神成者様、どうかお許しを……」
リンメル男爵が伯爵の行動を詫びるけれど、何も悪いことなどしてないよね。
「息子さんを見せてほしい」
「も、申し訳ありません。どうぞ、こちらへ……」
ベッドへ駆け寄るように近づいたのはジオール。
「これも、邪魔」
ベルベットのような重いベッドカーテンを無造作に引っ張ると、まるでそういう仕組だったかのようにハラハラと留め具が外れてバサリと取り除かれた。
骨組みだけとなったベッドの上には、不自然な膨らみの掛布と、そこから上体だけを出した人影。
そこには、アンデッド……ゾンビと変わらない見た目の生き物が横たわっていた。
腐った果物のようにぐずぐずになった肉が、かろうじて骨に絡みついて留まっているような腕。掛布に隠れた下半身は、もう形を留めていないのだろう。足らしい膨らみがない。
「ああ……いい風です……父上、お客様でしょうか……?」
ゾンビは、落ち窪んだ目を見開いたまましっかりした口調で喋る。
見た目はもう明らかに生き物ではなくなっているのに、ここまで自我が残っていれば、親は当然アンデッドだとは認めないものなのだろう。
これはさすがに、デーフェクトスが先に言ったように自然に治るようなレベルではない。
と、思う。たぶん。
(……ねえこれ、治せる?)
俺の不安げなテレパシーに反応したのは、デーフェクトスとエンブリュオン。
(今の主であれば問題ない)
(いま、【命】属性たっぷりある〜。死んでないヒト1人くらいなら大丈夫〜)
(マジで?)
見るからにアンデッドだけど、いうなればまだ死んでないヒト。死んだ人間を生き返らせるのは無理でも死んでないから治せる。そういうことなんだろうか。
「ケイトリヒ様、さすがにこれは……」
「ううん、イケるみたい」
ペシュティーノが心配して耳打ちするけど、精霊たちから「専門家」といわれるエンブリュオンとデーフェクトスが言うなら間違いないんだろう。
ジュンの足先だって、結構簡単に治してくれたし。
「ケイトリヒ様、お待ちを。この者の治癒は、間違いなく偉業となり奇跡となります。衆目の中、記録をとって行いましょう」
ガノが進言する。
そういうのちょっと気が進まないけど……。
「リンスコット卿。あなたの御子息は、これから神成者様の奇跡の慈悲の証明者となります。この基地にいる全ての者に証言者となってもらうため、御子息を衆目に晒すことを認めていただけますか」
伯爵はポカンと口を開けて、理解に時間がかかっているようだ。
「息子が……治る? 神成者様が、治してくださるというのですか……? この、この状態の息子が? 本当に?」
「あ、でも代謝用の生贄は欲しいみたい。男爵、このへんは大型魔獣いる?」
「は……え? 生贄……ま、魔獣ですか? 大型魔獣……は、はい、ここから西の森には大型のシームルグがおります」
「シームルグ?」
「失礼、大型の鳥の魔獣にございます」
ダニエラ女史が補足してくれる。そういやキミもいたね。
「鳥かあ……」
俺はチラリとスタンリーを見る。
スタンリーを蘇生するときに生贄にしたのはファングキャット。どうやら生贄にする魔獣で復帰後の特性のようなものに影響するっぽいというのがわかったのはスタンリーのおかげだ。
スタンリーはまさに猫のように夜目が効き、しなやかな筋肉と並外れた反射神経、そして魔力操作の能力を手に入れた。
鳥となると……うーん、どうなるかなあ。少しヒトと離れすぎてるかも?
「ほかにはいない? 鳥って大きく見えて、羽毛がほとんどでわりと可食部……じゃなくて、お肉が少ないから」
「他……となると、さほど大きくはありませんがギガントムーム……小型のムームの魔獣くらいしか」
牛かあ〜。まあいっか。
「ジュン、魔導騎士隊と狩りに行ってくれる? 今回は成人男性だから、量としてはスタンリーのときより少し多めだといいかも。なるべく生け捕りで!」
「承知しました」
ジュンは数名の魔導騎士隊を連れて、さっそうと出ていった。
「リンスコット卿。治癒の条件に同意いただけますか?」
ガノが改めて衆人環視のなかの治療に同意を求める。
……正直、この状態の息子さんを衆目に晒すのは勇気がいるだろう。
いくら意識がはっきりしているとはいえ、こんな状態になるまで基地の住人たちに隠していたとしたらなおさら……。
「息子が元通りになるなら、構いません」
伯爵はようやく生気に満ちた目で返事してくれた。
スタンリーはミイラ状態だったけど、今回はゾンビ状態。
サッとスキャンした限りだと、臓器はわりと無事なものの、手足はほとんど骨。
筋肉や皮膚は内臓よりも比較的つくりが簡単なので難易度としてはスタンリーのときより低いのはわかるんだけど……やっぱり気は重い。
「神の奇跡」を見せつけるにはいい機会だとばかりに公共放送用のカメラなど持ち出してガノが張り切ってる。
さすがに放送はしないよね……? 記録と報告用だよね……?
もしも放送なんてしちゃったら世界中の病人や怪我人が俺のところに集まっちゃったりしない……?
(怪我や病気を治すのは苦労するが、死人病であれば容易いぞい。主の有り余る【死】属性を少し分けてやればいいだけじゃ)
なんかデーフェクトスが言ってる。
無視だ、無視。




