2章_0019話_世話係のいない1ヶ月 1
「ケイトリヒ様のご様子は?」
「あまり芳しくないですね。今夜も例のものを用意しておきます」
「よろしくおねがいします」
西の離宮の夜。
廊下で交わされた、ガノとメイドの会話が静かに響く。
本城と違って、領主夫人のいないこの宮は夕方を過ぎると最低限の使用人とケイトリヒ王子の側近を残して閉鎖される。外にはラウプフォーゲル城所属の護衛騎士が立ち、出入りを厳しく管理されるのだ。
これは以前、王子の部屋を盗聴しようとした不届者がたやすく宮に接近できたことに領主が怒り狂って定められた決まり事。ちなみにその犯人の正体は公表されることなく、この事件そのものがラウプフォーゲル城の不名誉となると誰かが考えたのか、それ以降誰も話題に出さない。
そういう事情もあるので、もしも離宮内に夫人がいたら「軟禁状態」なんて言われてしまうかもしれない。だがこの実際には夫人はおらず、いるのは洗礼年齢にも満たない幼い王子となれば防衛上はそんなに特別なことでもないだろう。
初めてガノに教わりながら、小さな王子の湯浴みを手伝ったエグモントは立派な浴槽を軽くシャワーで洗い流しながら物思いに耽る。ケイトリヒの護衛騎士になる前の彼ならば、そのような下働きのようなことをさせられたら憤慨していただろう。
だがひとりでは生活もままならない幼い王子の世話をするにあたり、自分の役目がただ王子の身を守るためだけの存在でないことをエグモントは実感している。
(このシャワーの魔道具も、繊細な絵付けが施された白磁の浴槽も、並の貴族では手が出せないほどの高級品。このようなものを与えられるケイトリヒ様はやはり御館様に特別な寵愛を賜っているといっていいだろう)
真鍮のレバーをひねると、シャワーがピタリと止まる。
小さな違いだが、これすらも素晴らしいと感じてしまう。
ラウプフォーゲル城の騎士隊はどの領よりも恵まれていて、宿舎には管理人と使用人が多数常駐している。寝台はいつも清潔で、訓練後や就寝前には湯浴みも許されている。騎士用のシャワールームは天井に張り巡らされたパイプからジョウロと同じ仕組みでお湯が落ちてくるだけのもので、数人が同時に使うと勢いが失せる。レバーはいつも力任せにキツく締められているかポタポタ漏れるかのどちらかだ。
それだけでも兵舎としては立派なものなのだが、それに比べるとこのシャワーは単体という違いはあれど素晴らしい魔道具だ。逆さにしても勢いよく湯が出るし、その湯は常に適温でほのかにいい香りまでする。
「王子がお使いになった後であれば、我々が使っても構わないとペシュティーノ様からお許しが出ております。ただし、使用後の清掃は自分で行うこと」
とガノが言ったときには、エグモントは心底驚いた。この贅沢な浴槽とシャワーを側近騎士にも使わせるなんて、普通の貴族では考えられない。
あの白く小さく、幼いが賢い王子のことを考えれば考えるほど、エグモントは今までの騎士としての考え方がいかに現状とそぐわないかを思い知らされる。
(貴人の身を守るだけの護衛騎士では不足。私は、王子の庇護者にならねばならない)
寝間着というにはいささかかっちりしすぎている服装に着替え、エグモントは王子の部屋へ向かう。部屋の前ではガノとメイドの女性が話していた。
「今日はどのようなご様子ですか」
エグモントが聞くと、ガノが眉尻を下げて答える。
「やはり寝付きが悪いようです。何事もなく寝てくれたのは最初の3日間だけでしたね」
「今日もギンコ殿が?」
「はい、ギンコ殿がいれば最初はよく眠れるようなのですが、あまり長くは続かないご様子で……いつ泣き出すか、心配で部屋を離れられないんです」
メイドの女性が少し疲れた顔で小さなため息をつく。それも仕方ない。
王子の世話係であるペシュティーノが城を発ってからもう1週間と3日。
最初の3日以降、王子は幼児がえりしてしまったように毎晩ひどい夜泣きを繰り返しているのだ。寝ぼけているのか言葉も意識も定かではなく、ただただ泣き喚く。最初の数日はギンコが舐め回して落ち着かせていたようだが、今ではそれも効かなくなってきた。
「例のものは」
「こちらに」
メイドが差し出してきたのは、文官服。
ペシュティーノのもので、洗濯物として預かったものをそのまま保管していたそうだ。
「泣き出したら、これで包んで背中を優しくポンポンしてあげてください。ここ数日はそれで落ち着きましたから」
ガノがエグモントに真剣な顔で説明する。
「ペシュティーノ殿の匂いで安心するのですね」
「そのようですね」
「余談ですけれどメイドたちの間でもペシュティーノ様からはいい香りがすると聞いています。ペシュティーノ様はエルフの血筋を色濃く継いでいらっしゃるのかしらね」
エルフの体臭は花の香り、なんて言われているらしいがエグモントはエルフを見たこともない。だが確かに年齢的に男盛りといってもいいペシュティーノから男性的な匂いがしたことはないな、と思い出す。匂いなど気にしたこともなかったが。
ガノは商人をしていたこともあってエルフを見かけたり話したことはあるが、体臭を感じるような関係ではなかったと笑ってその話を聞き流した。
「まあ確かにペシュティーノ様のこの服はいい匂いがしますね。失礼。ではエグモント、今夜はよろしくおねがいします」
エグモントが文官服を渡されたその瞬間、王子の部屋から弱々しい子供の鳴き声が聞こえてきた。
「やはりこの時間ですわね」
「そうですね……一度ペシュティーノ様には早めにお戻りいただくよう、連絡をしておきましょう。では、頼みます」
ガノが仕切るのを気に入らなかったエグモントだが、今となってはもうその差は歴然としている。ガノはペシュティーノにも王子にも気に入られ、エグモントは今ひとつ信用されていないことは本人も気づいていた。そしてその影響は当然、メイドたちにもある。自然と生まれたこの差に憤るのは得策ではない、とエグモントは冷静に判断して今では大人しくガノの言うことを聞いている。彼が年下でなくてよかった。
エグモントはなるべく音をたてないように王子の部屋に入って寝室のドアをのぞき込むと、暗闇に光る金色の瞳がまっさきに目に入る。
「失礼します」
「えうっ、えうぅ……ふえええ、ふえぇえん」
なんとも弱々しい、赤子のような鳴き声が響く。
巨大な銀狼が頬ずりするように王子を包み込んでも、すすり泣きが止むことはない。
「ふぇえ、ひ、ひうっ」
「ケイトリヒ様、大丈夫ですよ。ここにはケイトリヒ様を傷つけるものはいませんよ」
エグモントは持っていた文官服を小さな体にふわりとかけ、優しく頭を撫でる。
「えぅ……ふすっ」
目元をびしょびしょにした小さな王子は、文官服を握りしめて口元に手繰り寄せると、ごろんと毛皮に埋もれ「プスー、プスー」と妙な寝息を立ててキレイに眠ってしまった。
さきほどぐずっていたことなんて忘れてしまったようだ。
(……なんとか、ペシュティーノ様の代わりになれないものか)
エグモントはそう考えながらケイトリヒを撫でていると、ギンコが突然グルル、と唸りはじめた。人語を操るこの銀狼からそんな音を聞いたことがなかったエグモントは、驚いて後ずさる。
「な、なんですか、どうしました?」
「リーネル卿。貴方からは、謀略のニオイがします。他のものは主への純粋な愛を感じますが、貴方からは感じない。一体なにを思って主の頭を撫でたのです?」
「そんな事は……」
エグモントが言葉に詰まると、銀狼の輝く黄金の瞳がさらに光った気がした。
「主には、ペシュティーノ様の匂いがついたこの布があれば充分です。貴方はもう去りなさい。私から警戒されたくなければ」
エグモントも引き下がるわけにはいかず対抗するようにギンコを睨みつけたが、ちらりと見えた鋭い牙が目に入った瞬間たじろいだ。言葉が通じるにもかかわらず獣のように飛びかかってくるとは思えないが、それでも本能的な恐怖には抗えない。
「……失礼します」
エグモントは音を立てないようにゆっくり後ずさり、寝室を出た。
(私が王子の唯一の庇護者としての立場を確立するには、障害が多すぎる)
ギンコに疑われているのは痛手だ。これまで王子の前では仲良くできていたのに、とエグモントは舌打ちしたい気分になる。
(ペシュティーノを排除するのも、これだけ王子が肩入れしてしまっていては難しい。取り入るにも銀狼が邪魔をする。となると別の方法を考えなければならないな)
エグモントはぐるりと王子の私室を見渡す。
豪華な浴槽と、高度な魔道具を持つ王子の割には簡素な部屋だ。
城の騎士隊をやっていた時代にはカーリンゼンの私室に入ったことがあるが、家具も調度品も必要以上に贅沢なものだった。優秀なアロイジウスや屈強なクラレンツと違って消極的で弱気なカーリンゼンはさほど周囲から将来を有望視されているわけでもないのに、やはり母親の存在は大きい。
(母親、か)
エグモントは苦々しい気持ちでため息をつくと、王子の私室を出て自室へ向かった。
「エグモント?」
道中の廊下に位置するガノの個室から、部屋着のガノが顔をのぞかせる。
「王子のご様子は?」
「ペシュティーノ殿の上着をお掛けしたらすぐに安らかに眠られた。ギンコ殿は私のことがあまり気に入らないようで追い出されてしまった」
自らの選択ではないことをことさら強調するように言ったが、ガノは特に反応せずに「それは仕方ありませんね」と言うとそっけなく部屋へ引っ込んでいった。
もともと平民のガノに対して壁を作っていたのはエグモントの方なのに、ガノの方から壁を感じると無性に腹が立つ。
エグモントは今度こそしっかり舌打ちして、自室に戻った。
(やれやれ、ギンコに嫌われるとは。やはりエグモントは『善い犬』ではなさそうだ)
ガノは、ドアの外からハッキリ聞こえた舌打ちを聞いてため息をついた。
――――――――――――
眠い。
猛烈に眠い。
「ふわぁ……はう〜」
大きなあくびをしてため息をつくと、リンドロース先生がくすくすと笑った。
「すっごい大きなあくび! チェットリン草が吸い込まれそうになってましたよ! 夜ふかしでもしたんですか?」
乾燥したチェットリン草は、見た目はただの枯れ葉だ。風属性を含んでいるので簡単に風に舞うと書いてあったのであながち吸い込まれる可能性もなくもない。
「いつもの時間にねてます。でも、よなかに目が覚めてるみたいで……ふわぁ」
「目が覚めてるみたい、って……覚えてないんですか?」
「おぼえてないんですよ」
「おやまあ、それは眠りの精霊のイタズラかもしれませんね。王子殿下は精霊に好かれそうな魔力をしてますので、眠りの精霊に頼んでみてはどうですか?」
「ねむりのせいれい?」
ファンタジーな名前だけど、この世界には精霊もいるし魔法もあるんだから笑い飛ばすこともできずに聞き返す。
(主、眠りの精霊とは我のことにございます。しかし主の下僕たる我に、主に断り無く魔法をかけることは不可。ご命令を)
頭の中でウィオラが話しかけてきた。あ、眠りの精霊って闇の精霊のこと?
「こんやためしてみます」
「やり方はご存知ですか? 黒い布とろうそくを用意してですね」
「リンドロース卿、王子殿下に出自不明の儀式を教えるのはお控えください」
少し離れたところで本を呼んでいたガノがピリッとした声で言う。
「出自は明確ですよ! 東のエルフ式です!」
「それならなおのことお控えください。東のエルフと帝国は今、険悪でしょう」
「でも東のエルフはラウプフォーゲルにはあまり敵意がないと聞いていますよ?」
「議論をするつもりはありません。ペシュティーノ様は貴方を調合の教師として呼んだはずです。無駄話をせずに責務を果たしてください」
ピリッ、からズバッ。ガノってときどきシンラツ。
リンドロース先生はやれやれ、と肩をすくめて調合学の授業を続けた。
授業のあとは、庭園が見えるテラスのカフェスペースみたいなところでお昼ごはん。
ギラギラとした強烈な日差しをレースカーテンみたいなテントがいい感じに光を和らげてくれる。いや、テントじゃなくてタープっていうのかな、こういうの。しらんけど。
レオは早速、毎日安定的に入手できるようになった生乳を活かし、バターをたっぷりつかってカリカリサクサクのクロワッサンを焼いてくれた。今日はそこに薄味のプルドポーク的なお肉と、ラタトゥイユっぽいごろごろ野菜を挟んで具だくさんクロワッサンサンド。野菜の甘味とお肉の塩っけが相まってすごく美味しい。
サラダっぽく添えられた小皿には、野菜たっぷりと見せかけたお魚のほぐし身たっぷりのマリネ。白いから気づかなかったよ。でも美味しい。酸っぱさがまた食欲をそそる!
もちろんデザートにはプリン。卵の黄色味が強く出ていて、おいしそう。
「おいしい!」
「ケイトリヒ様にそう言って頂けると本当にここへ来てよかったと思えます。ビネガーも帝国の一部地方では保存用として使われているのですが、今まで城では使われていなかったそうですよ。活用法を本城の料理長にお話したら喜んで頂けました」
レオも嬉しそうに答える。
「異世界レシピはあまり教えちゃダメっていわれたんじゃなかった?」
レオの異世界料理のレシピは正直、かなり価値がある。そのため簡単に教えてはいけないとペシュティーノから言われていたはずなんだけど。
「ほ、本城の料理長には構わないと言われてます、大丈夫です。料理長は異世界レシピの価値を理解してらっしゃいますし、活用法をお教えするだけでまたラウプフォーゲル伝統の料理に一工夫加えた新しいメニューが生まれるかもしれませんし!」
レオがあまりに慌てるので、おかしくなってクスクス笑う。
そばにいたガノもつられて笑っていた。
「そうだ、レオに聞きたいことがあったんだ。ちょっときて」
耳打ちするような仕草をすると、レオも理解したのか屈んで耳を近づけてきた。
「(この世界に召喚された異世界人には、特別な力がひとつ授けられるって精霊から聞いたんだけど)」
レオはその事か、というようにふむふむと頷くと俺に耳打ちしてくる。
「(その事は明かしてはいけない、と同じ立場の異世界召喚勇者からいわれているのですがケイトリヒ様には構いませんね。私は『食材鑑定』と呼んでいます。植物や魔獣の肉に含まれる成分が大まかにわかる能力です。……戦闘には役に立たないでしょう?)」
「(せいぶん? たんぱくしつとか? 炭水化物とか?)」
「(もうすこし詳細で、例えばお米ならデンプン質のなかでも粘りけをもつアミロペクチンがどの程度含まれるか、とか、じゃがいもの芽に含まれる毒素のソラニンが芋の中にどれくらい広がってるか、とかですね。これ、俺が調理師学校で習ったこと以上のことは出ないんですけどね。異世界ではすごく役に立つんですよ)」
ほえー! これは知識がないと使えない能力だな。
レオって意外とこの世界でチート的な存在なのかも。
「(それで、精霊様から聞いたのですけれど。ケイトリヒ様は慢性的に【命】の属性が不足しているそうです。それを補うためには成分的に言うとタンパク質が必要だそうで)」
それを聞いてハッとメニューを見ると、たしかに肉や魚や卵などタンパク質をふんだんに使った料理ばかりだ。高タンパク低カロリー! いや、クロワッサンはまあまあ立派なカロリーがあるか?
「マッチョになっちゃう……!」
「いや、その前に大きくなりましょう」
レオが笑う。メニューを工夫してくれるレオには悪いけど、しばらく成長できないらしいからな。責任感じないでもらいたい。
美味しい昼食を楽しんで、残さず全部食べました。
昼食の後は自習の時間でモートアベーゼンの魔法陣を改良する予定だったのだが、眠すぎて机に突っ伏して寝た。
気づいたら、カウチに寝そべるガノの胸の上だった。
ハッと顔を上げると、ガノの青緑色の瞳。
「あれっ、いつのまにこんなにほんかくてきに寝たの」
「机に突っ伏して寝る姿勢がおつらそうに見えたので私が運んだのですよ」
ガノが笑いながら髪を梳き、背中をぽんぽんしてくる。
ああ、ダメなんですそれ。寝ちゃうんです。ガノの背中ポンポンはペシュティーノに次ぐおやすみ効果!
はい、寝ました。
再び気づいたら、もう外は茜色に染まる夕方。
ガノもウトウトしていたようだ。
「夜ねむれなくなっちゃう」
「以前のケイトリヒ様はこれくらいお昼寝しても夜もしっかり眠られてたんですけどね。最近は眠れていないようですが、何か怖い夢でも見ますか?」
「わかんない」
「今夜は私が添い寝しましょうか」
「いいの!?」
「おや、そんなに喜んでくださるなら早くすればよかったですね」
ガノが俺を抱き上げて立たせる。
「もうすぐ夕食の時間ですが、召し上がれますか?」
「もちろん食べるよ!」
ペシュティーノが不在になって以来、俺の楽しみはもっぱら食事。お勉強も勉強している間は楽しいけど、その後のペシュティーノとの会話がないからやっぱり寂しい。
それに今は親戚会に向けて貴族の爵位や家名、家族構成を覚えるという微妙な勉強。
こういう勉強こそ、ペシュティーノとの会話は復習にも補習にもなるのでタメになるとは思っていたけど、思っていた以上にそれを楽しみにしていたことを痛感させられれた。
夕食は薄切りポルキート肉のしゃぶしゃぶサラダと、白身魚とキノコの包み蒸し。しゃぶしゃぶのタレは胡麻ダレっぽいけど、ちょっと風味が違う。きっと何かを代用してるんだろうけど、よくここまで再現できるもんだ。包み蒸しはアルミホイルがないので葉っぱで代用するという大胆なメニューらしいけど、包んだ葉っぱは盛り付けの段階でサヨナラしているので普通のバターソテーみたいな見た目。
濃厚なバターにちょっとレモン果汁っぽい酸味と香りがついて美味しい。
ピンポンほどの大きさの手鞠おにぎりは見た目も鮮やかで味もバリエーションがある。
「コレおいしい! これもおいしい! ぜんぶおいしいー!」
「これは『手鞠おにぎり』というのですか。米がこのように鮮やかなメニューになるとは流石の異世界料理ですね」
「精霊とお話してわかったのですが、もう少し俺の魔力が上がればフリーズドライ製法を魔法で再現できるかも。そうしたら色んなものが保存食になりますし、料理のバリエーションも格段に上がりますよ!」
今日も夕食はガノとレオが一緒。ガノはレオの説明するフリーズドライについて、兵糧として活用できないか議論している。俺の魔力なら不可能ではないけど、そもそもフリーズドライがどういうものなのかを俺が理解していないのでレオと同じようには使えないだろうというのが精霊の見立て。
知識が力になるって、こういうことなんだなー。
就寝時間。
寝台ではギンコが既にスタンバイしている。ふわふわの毛並みはダイブしたくなるくらい魅力的だけど、なんとなく眠りたくない。
「ケイトリヒ様、おまたせしました。もうおネムですか?」
お風呂に入ってきたガノが部屋着で寝室にやってくる。
いつも騎士服しか見ないので、なんか新鮮。
ガノとギンコに挟まれてベッドに転がる。
「まだねむくない……ねえ、ちょっとおしゃべりしよ?」
「ええ、いいですよ。いつもペシュティーノ様とはどんなお喋りをされてるんですか?」
「ええっとね、じゅぎょうで習ったことを話すと、かんれんした知識とか、学院でのおもいで話とかしてくれるよ」
「そうですか。残念ながら私は学校を出ていませんのでペシュティーノ様のようなお話はできませんけど、もしよかったら授業で習ったことを私に教えて頂けませんか?」
「おしえる? ……おしえる! うん、いいよ! ガノ、学校いかなかったの?」
「ええ、子供の頃から家業を手伝っていましたから。でも手伝いながらでも、大人たちは私にいろいろなことを教えてくれましたよ。商人という家業柄、出会いには事欠きませんでしたからね。私から教えられることがあればいいのですが」
「きっとあるよ! おもいついたらおしえてね! あ、でもガノはきょうの調合学のじゅぎょうは、いっしょにいたもんね?」
「ええそうですね。リンドロース先生の授業はどうですか? わかりやすいですか?」
「うん! あのね、このまえはココロートのじゅえきをしぼるやり方をおしえてもらったんだけど、そのときに先生がね……」
「うん、うん」
ガノは自然な切り返しで俺の会話を引き出し、上手に相槌を打って会話の幅を広げ、ときどきタイミングよくツッコミを入れたりして笑いを生む。
さすが商人。話術の天才かな? カウンセラーとかになったらすごい手腕を発揮しそう。
ときどきギンコも興味深いのか「それは正しい手法なのですか?」なんて疑問を突っ込んでくる。だんだん興が乗ってめちゃくちゃ喋った。
「ふう、いっぱいしゃべってつかれた。ガノもおはなしして? 僕はおしろのそとのことあまりしらないから……」
「そうですねえ、では行商で出会った面白い貴族のお話をしましょうか」
ガノはネタ的な話の話術もすごくおもしろくて、ギンコがなんかお門違いの感想をいうこととかもおもしろくて、何度も笑い転げたがそのうち疲れていつのまにか寝てた。
「ケイトリヒ様」
ぱちりとガノに起こされて目を覚ます。うーん、よく寝た!
俺を起こしてくれたガノはもう騎士服を着て、髪もビシッと立っててキマってた。
いや、お風呂上がりも髪は立ってたっけ?
「ふぁぅ……おはよー……ガノって、なにもしなくてもそのかみがたなの?」
「髪型ですか? 特に何もしていませんよ。寝癖がひどい時に濡らすくらいです」
ちょっと触ってみたくなって手を伸ばしたら、想像以上に硬かった。
マシュマロおててに刺さりそうな勢い。
そういえばギンコはいつも、朝になるといつの間にかいなくなっている。朝ごはんが待ちきれないのかな。
「ケイトリヒ様、ペシュティーノ様がお戻りですよ」
「えっ!」
「さ、お顔を拭きましょうね」
「ペシュ! ペシュはどムゥッ」
ペシュはどこ、と叫びそうになったところをぶにっと温かい布を押し付けられる。
清拭は気持ちいいから好きなんだけど、今はペシュに抱っこされたい気持ち100%。
「ケイトリヒ様、ただいま戻りました」
顔を拭きえたのを見越してか、ペシュティーノが部屋に現れた。
いつもどおり文官服をかっちり着こなして、10日近く旅をしていたとは思えないほどいつもどおりの姿。
「ペシュぅ!!」
ベッドを飛び降りて駆け寄ると、ペシュティーノも嬉しそうに俺を抱き上げて顔をまじまじと見つめられ、ぎゅうと抱きしめられた。これこれ、この匂い。はー、落ち着く。
「フンスー! フスー! スンスン、フスー!」
「ふふ、ケイトリヒ様、鼻息が荒いですよ。寝起きで動いてお身体がびっくりされてるのではないですか」
「おもいっきりにおいかいでるだけだからきにしないで!」
「そ、そうですか。ケイトリヒ様、ハービヒトのお土産と、ジュンと集めた素材の一部をお渡しするので隣の部屋へ参りましょう」
「うんっ! あっ、でもおきがえがまだ」
「すぐに終わります。そしてお昼過ぎには発たねばなりません」
「あっ……そ、そうなんだ」
久しぶりに会えた喜びが、少し萎んでしまう。やっぱりまだお出かけは続くんだ。それならばペシュティーノの言うとおり、着替えてる時間も惜しい。
「さ、そんな悲しそうな顔をなさらないで、お土産をご覧ください。ガノ、ギンコはどこに?」
「朝方になるといつも姿を消すのですが、何をしているのでしょうね? ケイトリヒ様が大声で呼べば来るのではないですか」
ペシュティーノとガノが何かを期待する目で俺を見るので「ギンコー」と呼んでみる。
一拍遅れて、窓の外から大きな影が現れて「お呼びですか」と巨大な銀狼が現れた。
「ギンコ、なにしてたの?」
「私も獣のはしくれ、この肉体を維持するには栄養を摂取せねばなりませぬ。体慣らしも兼ねて、谷底で狩りと食事を済ませて参りました」
「たにそこ?」
ラウプフォーゲル城は小高い丘の上に位置しているが、湖側には巨大な城下町がひろがっている。そんななか城から出ちゃって大丈夫なのだろうか。
「……北の坂道を下った先の谷底ですか?」
「はい、あそこは良い狩場です。ペシュティーノ殿には許可をもらいましたが、何か問題でもございますか?」
ガノと俺は顔を見合わせてペシュティーノを見る。
「灰闇の谷の魔獣を間引くのはお城にギンコを置く条件として御館様に提示されたギンコの仕事です。そういえば話しておりませんでしたか。そう、朝食として狩りに出ているのですね」
「はいたにのやみ?」
「はいやみのたに、ですケイトリヒ様。灰闇の谷は全体的にすり鉢状になっていて城下町と街道方面からは隔絶されているのです。その地形を利用して、街道や平原に出た厄介な魔獣は追い込んで突き落とすこともあるんですよ」
ガノとペシュティーノの説明によれば、そのおかげで灰闇の谷は自然の蠱毒壺みたいな状況になっているらしい。谷底の魔物は他の地域よりも平均で1ランクから2ランクほど高くなっていて、増えすぎないように騎士の過酷な討伐訓練に使われることもあるという。
あれかな、ワイルドなサファリパークてきな? 管理された自然公園みたいな?
食肉供給の場でもあるそうで、城下町のほど近くに高ランク魔獣が闊歩する地域が存在するのはラウプフォーゲルだけらしい。おかげでラウプフォーゲル騎士は冒険者に劣らぬ戦闘力と適応力と状況判断力を持ってるんで有名なんだって。
ラウプフォーゲル、つよい。
「近頃は近隣諸国と戦争ばかりしていますから、谷の魔物の討伐に人手が割けないというお話でしたので。ギンコは食事にありつけますし、ラウプフォーゲル城としても新人騎士の心を折らずにすむということで御館様とギンコの間で盟約が結ばれたのですよ」
父上とギンコの間に!? いつの間に!
「それよりも、良いものが手に入ったのです。さあ、参りましょう」
ペシュティーノはやけにご機嫌で俺を隣の部屋へ連れて行く。
まあ、俺としてはお土産なんてどうでもよくてペシュティーノがいてくれるだけでいいんだけどね。
隣の部屋はクローゼット代わりの倉庫。
部屋の中心に置かれた木箱の上に、馬の鞍のようなものが乗っている。
何の皮なのかわからないがアイボリーっぽい色で、豪華すぎない刺繍や縁飾りなどがとってもおしゃれ。馬用にしては小さい。
「……くら?」
「子ども用のポニーの鞍を、魔狼にもつけられるように手直ししてもらいました。ギンコの背に乗せたら、きっと凛々しいお姿になるかと思いまして!」
ペシュティーノがニコニコしている。テンションたかめ。
「ほほう、馬のように鞍を! 主を背に乗せるのは私の役目となるのですね、光栄にございます!」
ギンコもノリノリだ。いいの? 狼なのに。
俺としては鞍なしでワイルドにまたがるのが絵的に理想なのだが、俺のへっぽこ筋力ではしがみつくのが精一杯。全速力の状態なら問題ないが、テクテク歩いているときまでひっつきむしみたいに寝そべっていては、たしかに凛々しくはないね。まちがいない。
ペシュティーノとガノでギンコの背に鞍を乗せ、ついで俺を乗せ、せっかくだからと立派な服に着替えて離宮の中庭を散歩すれば、愛くるしい俺はもうアイドル状態。
通いのメイドはきゃあきゃあと歓声をあげ、警備の騎士たちもニヨニヨしてはギンコの姿を二度見三度見して硬直する。だいたいこのパターン。
……だから、別にアイドルになるのは求めていなくてですね?
ペシュティーノがいればいいっていったでしょ。
でも、悪くない……かな?