第2部_4章_185話_聖教法国 2
「……聖教法国首都、トリビュネクスの規模感は……帝都に勝るものがありますね。さすがにラウプフォーゲルに並ぶとまでは言い難いですが、迫るものがあります」
「これ、全部城壁で囲ってるってのか? とんでもねえ要塞都市だな」
魔導騎士隊が高高度空撮で得た地上の情報は、想像以上の収穫だった。
地球の都市ですらここまで画一的に整備されたものを、俺は見たことがない。
渓谷の間に作られたであろう都市は、さすが宗教国家だけあって威厳に満ちている。
実際に訪れたならば圧倒されるはずだ。
巨大な壁に囲まれた要塞のような都市は……正確にわからないけど、東京23区くらいはあるんじゃないだろうか。鉄道はさすがにないけど、高速道路のように見える陸橋はどうやら水路。渓谷の豊かな水を街に引き込んで、高低差を活かして交通に利用しているらしい。
「すごいですね。思想の統一がうかがえる町並みです」
ガノが空撮画像を見ながら言う。それもある。
暮らしている人々の生活や権利を優先していたら、こんなに画一的な街は不可能だ。
そして、壮大な町並みの中心部には明らかに支配しているとわかるほどに威圧的に高く空に伸びた城。宗教施設というより軍事施設のようだ。
「この要塞に住めば、たしかにアンデッドから襲われることはなさそうですね〜」
「しかし都市の規模からすると、人口は思ったより少ないようです。報告によると、これは教団による住人の選別のせい……この要塞都市に住めるのは、教団が認めた選ばれし国民だけのようですよ」
要塞都市の周囲には、農耕地と農村、工場など。
多くの国民は、この外周の集落で十分に教団に対して功徳を積んだ、と認められれば要塞都市に住むことができる。
「熟練冒険者の話ですと、この外周の農村部はほぼ奴隷労働、住居も食事も粗末なものしか与えられないのだそうです。それでも、壁の中での夢の暮らしを求めてこの地に集まる者は多い……そうして夢を見たまま奴隷労働で一生を終える国民も少なくないと」
「住人の選定方法は?」
「外周地域では戸籍のようなものが発行され、そこに『貢献度』なる評価値がついていくのだそうです。評価の基準まではわかりませんが、ユヴァフローテツの戸籍板と近いものがありますね」
交通の便が信じられないほど悪いユヴァフローテツにさえ、移住を求める人々があとを絶たなかった。それほどまでに「アンデッド対策が完璧な街」というのはある種の理想郷なんだろう。こちらの大陸ならばなおさらだ。
「法国の支配地域、思ったよりもひろいね? この想定はどこから?」
「空撮で確認できた僧兵の派遣地域と、冒険者からの情報を加味してやや広めにとってあります。リンスコット伯爵領とは、ぎりぎり接するかどうかという境界線ですね」
色々と聖教法国についての情報が集まってきたけれど、決まったことは「仲裁者ブノワ・カブールを排除する」ことと「リク・マツモトを無力化する」ことだけ。
まだ情報が少なすぎて作戦らしきものも立てられない。
「リク・マツモトが持つ権能は『予見』なんだよな? これってどの程度つかえるモンなのか、ハイエルフは把握してるのか?」
「神の権能である『予見』は、ケイトリヒ様が定義した『因果予見の右目』という名の通り荒唐無稽に未来を見るというものではなく、『因果律』という計算によって現状から予測される未来を見る、というものです」
シャルルの説明にジュンとパトリックが首をひねった。
サミュエルは初めて参加する会議で、様子を見ているのか発言する様子はない。
ただ、憎々しげに聖教法国の空撮画像を見つめている。
ありていにいうと「予見」という能力は日本で行われていた台風の進路予想と大差ない。
台風が発生していることはすでに現状の事実としてあるとして、そこからどのような進路を取るかは過去の膨大な気象データの蓄積と、風や気圧などのデータとの照合ではじき出される「予想」だ。
1時間後の予想は精度が高く、3日後の予想は精度が低い。
つまり「予見」の権能は、リク・マツモトの知る範囲でしか発揮されないということだ。
情報を全く知らない場所の大災害を「予言」することはできないし、知らない人物の行動を「予測」することもできない。
もしも聖教法国の細かな情報……例えば降雨量や地盤の状況、生物の活動状況などを全て把握していれば、国内の大災害くらいは「予見」できるかもしれない、というものだ。
リク・マツモトにどの程度の情報が集まっているかわからないので、これは未知数。
しかしこの権能、俺に顕現すればまたちょっと別格になる。
なにせ俺は最高権力と精霊による情報網があり、人間やハイエルフでも収集できない高度な環境情報が簡単に手に入るんだもんね。
自然災害はもちろん、暴動や反乱、組織犯罪といったことまで「予見」できるようになるんじゃないか、というのがシャルルの見立てだ。
まあ、俺がその権能を使うにはリク・マツモトから譲り受けるか殺すかしかないっていうね……気の重い工程がふくまれるわけだけれど。
「これまでと違い、相手は神候補とハイエルフです。我々の主であるケイトリヒ様と同じように、規格外の何かを持っている可能性も少なくありません。入念に準備し、備えすぎるということもないでしょう」
いったん、シャルルの提案でこの場はお開きに。
情報を得たうえで、どうやって目標を落とすかをそれぞれざっくり考えておいて、という話になった。
備えとして、シャルルとオリンピオは転移魔法陣の調整。
1時間に1万人という規模で兵を移送できる魔法陣の試験運用に加え、ガノとパトリックはそれらの兵に安全に寝食を提供できるキャンプ設営を精霊と話し合い。
10万人の兵士を1週間維持するくらいの備えは既にできている、らしい。
え、すごくない?
キャンプ地にはリンスコット伯爵領を含めた候補地がいくつかリストアップされている。
だが最悪の場合、水源のない山岳地帯や砂漠地帯だろうと精霊の力でなんとかなる、とジオールが息巻いていた。
どういうことかというと「ラーヴァナとカメオを召喚すればヒトに適した環境を作るのは一瞬」だそうだ。
自然精霊、つよい。
ちなみにジオールたちが作ろうと思うと、土地を扱う経験が少ないせいでひずみが出るかも知れないからやりたくない、だそうで。自己の能力を把握したうえでの計画だった。
正直でよろしい!
とりあえず万が一、法国と全面戦争になった場合はそういった準備が物を言う。
俺としては戦争は避けたいけど……正直、それ以外に方法が思い浮かばない。
戦う意志のない一般人まで巻き込むのが戦争だ。
できれば起こさないに越したことはない。
だが、戦争を起こしたくて起こしている国なんて稀だ。
それしか方法がないというのが、たいていの開戦の理由。
まあ中には戦争にするつもりじゃなかったのに、という理由もあるかもしれんけど。
とにかく戦争は簡単にとっていい手段じゃない。
特に、つよつよラウプフォーゲル公爵令息である俺だからこそ、なおさら。
お風呂で、ベッドで、トイレでもうんうん考えていると、ペシュティーノの長い指が俺の頬をつんつんしてくる。なんぞ。
「そう根を詰めてはいざという戦いのときに尽きてしまいますよ。ときには気分を変えて冒険者としての依頼をこなしてみてはいかがですか」
エルフの里での滞在は、すでに1ヶ月以上になっている。
側近も魔導騎士隊も交代制で城馬車で休んでいるし、食料はレオと隊員が現地調達に加え、ラウプフォーゲルからの転移輸送。
俺たちの滞在は里の生活に全く影響を与えないせいで、いつの間にか住人たちからも好意的に受け入れられているようだ。
魔導騎士隊なんかは故郷の家族へのお土産に、という理由で精巧な石製品を買ったりしている以外は、ほとんど経済活動もない。
ドラゴンたちも受け入れられ、今は小型サイズであれば里をうろついていても構わないという話になっているし、ジオールたちも居心地がいいのかおにぎりサイズの精霊の姿で自由に行動している。
里ではエルフとルナ・パンテーラ、ドラゴンと精霊とヒトが入り混じる平和そのものの画が見られる貴重な地域となっていた。
「そういえば、里には長居しちゃってるね」
「長老からは100年居てくれても構わないと言われてますが」
それはいわゆるエルフジョーク。
「イーロの情報が来てからというもの、冒険者活動はおやすみしてたね」
「ちょうど、エルフの里からの依頼も少し出てきています。いくつかこなしてみてはいかがですか」
俺としては確かにヒマなのだ。
父上と皇帝陛下との折衝はシャルルにまかせているし、軍事面はオリンピオ、諜報系の活動はペシュティーノとスタンリー、それに追加加入のイーロで進めている。
ガノはガノでフォーゲル商会との細かなやりとりで忙しい。
ヒマなのは俺とパトリックとジュンとサミュエル。
ミェスたち冒険者メンバーは報告書の作成に大忙し。
「4人でちかくの依頼に挑戦してみる?」
「ん〜、討伐系ならこのメンバーで問題ねえけどよ、調査系ならちと実力不足だな。ミェスさんがついてきてくれたらいいんだけどよ……」
「僕も調査系は自信ないですね」
「某はどちらも得意でございます」
パトリックとサミュエルは冒険者登録してないけど、俺の部下ってことでもしも功績を上げたら半分くらい俺のものになるっぽい。ジャイアン理論。
「依頼は……水質調査と、採取と、狩猟の3つだね」
「狩猟なら得意なんだけどな」
「僕は……うーん、その3つなら水質調査ですかね。採取は、精霊様の協力があればすぐでしょう?」
「では某は……?」
「うーん、パトリックを補助してほしいかな?」
というわけで、4人と魔導騎士隊のパーティで3つの依頼をこなすことに決定。歩ける距離なのでペシュティーノに行ってきますして、ギンコとクロルとコガネに乗って、石の荒野をトットコ進む。
風もなくていい天気。
一番最初は水質調査。エルフの里の近くにある水源地に異常がないか調査するというものだけど、良く考えたらキュアに聞けば終わりじゃない?
……といいたいところだけど、精霊では感知できない異常なんかもあるらしいから、水源地の水を採取してサンプルを作るのは必須。持ち帰ってエルフの里の調査員がしっかり調査するらしい。
サミュエルにサンプルの採り方の注意点などを聞きながら、次。
採取は、ファラの葉の新芽を摘んで来てほしい、というもの。
ファラの葉というのは前世で言うところのお茶の木だね。どうやらこの季節に芽吹く新芽は最高級のお茶になるそうだが、2、3日もすればすぐに葉が固くなるのでグレードが下がるんだって。これも緑茶と似てるよね。
多少は植樹してるらしいけど基本は野生なので前世の茶摘みのように効率的にはいかないし、期間は限られている。ってことで冒険者に依頼したいってわけだ。
これもアウロラとバジラットに協力してもらって、ほんの数十分でカゴいっぱいの新芽を採取して終了。イージーモードが過ぎる。
まあ、気晴らしのピクニックみたいなものだ。
「次の狩猟は……ロンロンバードの捕獲? ロンロンバードってなに?」
「ああ、里で見かけたぞ。このくらいの……飛ばない鳥だ」
ジュンが両手を肩幅くらいに広げて言う。……七面鳥みたいな?
「狩猟なら、エルフのほうが得意でしょうに」
「いや、そのロンロンバードについてだけはエルフにとって大変難しいのだ」
サミュエルいわく、ロンロンバードは肉も羽も骨も余す所なく使えるとても素晴らしい獲物なのだが、警戒心が強く、少しでも危険を感じるととんでもない奇声をあげるらしい。
耳の良いエルフにとっては失神するほどのものなんだとか。
「おまけにエルフの気配を学習したようで、半リンゲ先から気配を消さないと接近すら難しいのでございます。ゆえに里では、ロンロンバードの飼育を試みている最中でして」
鳴かない程度に飼いならして繁殖させているそうだが、まだ完全養殖というわけにはいかないようだ。ときどき野生の個体を入れないと、繁殖が続かないんだとか。
「なるほど、それで捕獲」
「ねえそろそろおなかすかない?」
俺が言うと、全員が静かに頷いた。
ほんとはもっと前からお腹すいてた?
「ごはんにしよう!」
「はあ、のんきなもんだな」
「しかし食事は大事ですよ。特にケイトリヒ様のような幼い時分はしっかり食べないと」
「某は携行食を持参しておりますゆえ、別でいただきまする」
道すがらジュンが仕留めたウサギのような魔獣を、精霊たちに処理させて軽く炙る。
ほとんどパトリックとジュンがやってくれたけど、俺も魔法で水出したりしたもんね!
「ほら、焼けたぞ」
「ありがとー」
串に刺さった肉をハフハフしながら食べる。
うーん、アウトドア! いい気分! 塩だけなのに、すごく美味しく感じる。
「おいしいね!」
「ああ、このゴルボビットはドラッケリュッヘン大陸でも食材として一般的らしい。そのへんにいっぱいいるぞ」
「ん〜、塩だけなのに旨味が強いですね。脂っこくもないですし、ケイトリヒ様が好きそうなお味です」
「ゴルボビットを簡単に狩るのは、エルフと我が一族くらいぞ……よもやここまでジュン殿の狩猟技術が高いとは思っておりませなんだ」
サミュエルいわく、ゴルボビットはエルフの里以外では高級食材なんだって。
太ったウサギみたいな見た目だけど、臆病で神経質なので並の狩人では難しいらしい。
さて、満腹になったから少しお昼寝でもしようかな。
その前に……。
「ジュン、おしっこ」
「ああ、あっちでするか」
ジュンが普通についてくるけど、そろそろもう1人でできるお年頃。
正直、前世では大自然の中でぶっ放したことはなかったけど、男の子ですので手順は存じておりますよ!
「ひとりでできる」
「なにもそこまで手伝ったりしねえよ。でもあんま離れるな」
ちょっとひとりで開放的な気分になりたかったんだけど、まあしょーがないか。
王子だし。
茂みに向かって用を足していると、なんだか不思議な気分。
うーん、こんなに開放的な気分はこの世界に転生してきて初めてかもな。
貴族の子どもってみんなこんな感じ……ではなさそうで、俺が特別小さくてか弱いせいでなかなかいろんなことを1人でさせてもらえなかった。
まあ、今もすぐそばにジュンがいるけど……。
なんて考え込んでいたら、目の前にモヤモヤが。
あれ? 精霊?
と、思ったときには遅かった。
バチン!と大きな音を立てて、目の前に巨大な魔法陣が展開された。
「あええ!?」
びっくりしておしっこ止まっちゃったけど、同時に身体がグンッと前に引っ張られる。
ちょっとまって! しまわせて! なんかしらんけどしまわせて!
「王子!!」
ジュンの叫び声がして、ガッと肩を掴まれた。
そしてあの、迷子になったときにゴロゴロと落ちた後、ポーンと宙に放り出されたような感覚。
「おちてる!?」
「大丈夫だ、俺が守る」
ジュンの腕にしっかり抱かれている。
迷子になったときは動転して何が起こってるかもわからなかったけど、今はジュンがいてくれているおかげか、少し冷静だ。
「転移魔法陣……?」
「ああ、そうみたいだ。移動時間が長い……精度が低いな。間違いなく、あの殺人鬼メガネが設計した魔法陣じゃねえ」
ジュン、そのあだ名もうやめたげて。
ディングフェルガー先生ね。
これはひょっとしなくても……誘拐された、かな?
しばらくの浮遊感ののち、ずむん、という衝撃。ジュンが俺を抱っこしたまま、地面に着地したみたい。さっきよりずっと暗い場所で、目が慣れない。
「おお、この御方が新たなる……ぎゃああ!」
「ひいッ! 僧兵、そうへ……ぐふっ」
知らないヒトたちの声が聞こえたかと思ったら、悲鳴に変わった。
よくわからないけど、戦ってるみたい?
「じ、ジュン」
「王子、無事か? 囲まれてる。俺にしがみついておけ」
ジェットコースターのようにブンブンとGがかかる中、ジュンはどうやら周囲の人物を斬り倒していっているようだ。怖いので目をつぶってコアラのようにギュッとジュンの肩口におでこをくっつける。
「お鎮まりください! どうかお鎮まりください!」
「手荒に呼び出してしまったことをお詫び申し上げます、どうかお怒りをお収めくださいますようお願い申し上げます!」
ようやくジュンが動きを止めた。
深く呼吸するジュンの細い身体が、すごく熱い。
「離れろ」
たっぷり威圧をはらんだ声でジュンが言うと、シーンとした空気の中でスススと衣擦れの音が離れていく。
「害意を示した者は斬る。近づいた者も斬る。そこの魔術師も、杖を地面に置け。さもなくば斬る」
ジュンの短い恫喝に、周囲の何者かは従ったようだ。
ようやくおそるおそる目を開き、周囲を確認しようと顔を上げると、ジュンがギュッと強めに抱きしめてくる。動くなということだろう。
でも俺も状況把握したい。
目だけで周囲を伺うと、どうやら教会……いや、こちらでは聖殿、か。そういう感じの場所。でも近くの地面にも柱にも壁にもおびただしい血が飛び散っている。
そして、血溜まりの上には何人ものヒトが横たわっている。
うう、生臭い。
「せいれい……」
「主!」「あるじー!」
ぽぽぽん、と俺の髪からおにぎりサイズの精霊たちが飛び出す。
ぷやぷやと周囲を飛びながらすり寄ってくる姿を見て、ホッとした。
精霊を完全に封じられたら、囲まれた状況を簡単に切り抜けるのは難しい。
「おおっ!」
「基本四属性に加え、あれはもしや【光】と【闇】の主精霊様では!?」
「やはりこの御方こそが真なる神候補なのだ!」
「黙れ」
ざわついた周囲に、メスばりの切れ味を持った低いジュンの声が響く。
それだけでシン、と静まり返った。
「お前たちが我が主にしたことは誘拐、簒奪だ。これを許すわけにはいかない」
ジュンはいつもの軽口ではなく、明らかに脅迫するような口ぶりで淡々と語る。
この淡々っぷりが、怖いよねえ。わかる。
大声出すより、淡々と言われるほうが怖いよねえ。
「心からお詫び申し上げます! 我らは新たなる神候補たるケイトリヒ王子殿下を害するつもりはございません! お怒りもご尤もにございますが、やむにやまれぬ事情が」
「貴様らの都合など知ったことか」
「どうか説明させてくださいませ! そのうえでもなおご納得いただけないようであれば、我々は殿下の命に従います! 自死せよと仰るならばそれも受け入れます!」
見知らぬ人とジュンの問答は続いている。
「あるじ〜、ここ、法国の首都、トリビュネクスの郊外だよ」
「ここにいる者たちはどうやら仲裁者とは思想の違う一派のようです」
「話を聞いてみる価値はあるかと存じます……もう何人か殺してしまいましたが、仕方のないことでしょう」
「あるじ、あるじ〜、ここの風、すごい淀んでる。とてもじゃないけどまともな統治されてる国の風じゃないよぉ」
……もう、どうやって聖教の首都を探ろうか考えてる最中だったっていうのに、いきなり誘拐されていきなり敵地のど真ん中ってこと!?
「おお……彼奴の真名をご存知とは、間違いない」
「やはりあの神候補は偽物だったのだ……我々は騙されていた!」
「おのれ、あの者の謀のせいで、国民がどれだけ命を落としたと……!」
「黙れ、っつってんだろうがよ!」
ドガン!と派手な音を立てて、傍にあった石像が崩れ落ちた。
でっかいハンマーでぶっ壊されたような壊れ方。ジュン、こんなこともできたの?
多くの人がいる室内で、ここまで無音になるものなんだ、ってくらいシーン。
「いいか、どんなに王子を崇めようと敵意がなかろうと、今のお前たちは敵だ。王子を誘拐し、敵地に強引に引っ張り込んだ敵だ。話を聞いてもらいたいというのならこの俺が許すまで声を上げるな。息の音すらさせるな。身動ぎもするんじゃねえ。話を聞いてもらいたいという度し難い願いを聞き入れてほしいのなら、言う通りにしろ、いいか」
静まり返った室内。
おそらく何人かは、ジュンの言葉に頷いているのかもしれない。
やがてジュンは少し息を吐くと、後退りした。
「精霊様、結界をお願いします」
「おっけー、まかせて」
ジオールがジュンの言葉に応えると、ブン、と音を立てて周囲に光の壁ができる。
「……ペシュティーノ様への連絡もお願いできますか」
「うん、わかった! ぜーんぶ伝えるから!」
アウロラの声。ペシュティーノはまた寿命が縮まる思いをするだろうけど、ジュンも一緒だし精霊から報告がいけばそれなりに安心してくれるだろう。
やがて熱く強張っていたジュンの身体が、「ふーっ」という大きなため息と同時に弛緩する。
「……精霊様、死体を片付けていただけますか」
「カルがやるー」
白く輝く浄化の炎が周囲を埋め尽くし、生臭いニオイが消える。
「あるじが可哀想がるかナ〜と思ったカラ、遺骨は残すネ」
カル……そんな気遣いまでできるようになって……でもいくら俺の崇拝者だといっても今の段階では全然可哀想だなんて思ってはいなかった。
事情を聞いたら変わるかもしれないから、カルの気遣いはありがたい。
ジュンが何かに座ったようだ。ようやくゆっくりとジュンから身体を離して、ぐるりと周囲を見渡す。
俺の背後にいたのは4、50人ほどの聖職者。司祭とか司教とかそういう区分はわからないけど、長いローブと聖教のシンボル、あと妙な帽子をかぶってる。
共和国からの賓客として式典にやってきたエルフ女性の聖職者とは、服装が違う。階級の違いなのか、共和国と法国の違いなのかまではわからない。
全員、食い入るように俺を見つめている。怖い。
でもさすがにジュンに斬り捨てられるのが怖いんだろう、全員吐きそうなの?というくらい頬をパンパンにして口をギュッと一文字に結んでいる。
でも目はキラキラさせてる。
目の前で何人か死んだはずなんだけど……。
やっぱり聖教って、なんだか不気味だ。
シャルルと話していても思うことだけど、価値観のすり合わせができそうにない感じ。
黙って目配せしあって頷き合う彼らの中から、代表らしき人物が1人歩み出て土下座するように平伏する。けど、口は開かない。ジュンの許可を待ってるんだ。
「まず確認だ、手短に答えろ。お前たちは仲裁者とは思想を別にしているんだな?」
「は、はい。仰るとおり、我らはドニ派と呼ばれる一派で……」
「質問にだけ答えろ。で、その仲裁者は今この状況を知らないのか? この場所は安全なんだろうな?」
「……はい、彼奴は知りません。この場も知られておりませんので安全です」
「ジュン、それは彼らの認識です。我らが動いた以上、なんらかを感知した可能性もあるとお考えなさい。……それと」
ウィオラがふわりとヒト型になってそっと俺を抱き上げる。
あ、以前よりだいぶ普通の肉体っぽい感触。
「それと、すぐに止血を。主の治癒をあまりあてにされても困ります」
「えっ」
座ってるジュンにパッと目を向けると、右足の甲から先……足の指先が消えていて、そこから血がどんどん広がっている。
「ジュン!!」
「うるせえ、大したことねえよ」
手際良く何かヒモのようなものを取り出して膝の下をギュッと縛り上げた。
「ジュン、いまなおしてあげるから!」
「やめろ。俺よりも、王子が意識を失うほうが問題になる」
……治癒には、膨大な【命】属性を使う。そして、【命】属性が不足すると、俺は昏倒してしまう。ジュンはそれが最も危険な状態だとわかっているのだ。
「でも」
「今は、俺の足より何よりも安全確保だ……こいつらの話は、正直どうでもいい」
ウィオラの言うように仲裁者はハイエルフ。精霊の動きを感知した可能性も捨て置けない。
いっきに緊張感が高まった。
ここから、仲裁者の一派との全面戦争に入る可能性だってゼロではない。
「ジュン、僕も戦う」
「……落ち着け。パリパリが出てっぞ」
ジュンはこめかみに汗を浮かべながら、ニヤリと笑って俺の頭を撫でる。
守られてばかりいられない。
もしも、この場所が仲裁者に特定されて、戦いになったら。
俺自身も、ジュンのことも、精霊のことも。
俺が戦って、守ってみせる。