第2部_4章_184話_聖教法国 1
聖教法国への諜報活動について、いったんの完了報告がきた。
「……キミが執行者?」
シャルルに連れられてやってきたのは、完全に忍者。目もよく見えないので、黒子と言ってもいいかも。ホクロじゃなくてクロコね。あの、布で顔おおってるひと。
「初めてお目にかかります。仰るとおり、我が名は執行者のイーロ」
ヒト型をした黒い布の塊が腰を折って片膝で平伏し、背中が床と平行になるくらい頭を下げる。……まじで忍者!
「……」
執行者はゴッドメイカーであるハイエルフの中で、唯一神候補を「選別」できる権能を持つ。選別とは、「世界の害になる神候補を処分することができる」っちゅーこと。
俺のこと無条件でスキスキしてくるハイエルフの中で、唯一俺を殺す可能性があるハイエルフだ。まあいきなり殺されるはずはないと思っていても、やっぱり緊張する。
ペシュティーノの長い脚の後ろにもじもじと隠れるようにすると、シャルルが笑った。
「執行者はケイトリヒ様に害をなす存在ではありませんよ。他のハイエルフが付き従っている神候補には手出ししないのが執行者の制約です」
「そのとおり。殿下は既に使徒に調律者、預言者、記録者に殲滅者まで付き従える最も神に近い神候補。既に私の権能からは離れたと申してもよろしいでしょう」
使徒はシャルル。調律者はイルメリ、記録者はセヴェリ、というかオラクル・ベンベ。
あとの2人は誰ぞ?
「正確に言うと観測者に封印者、探求者も隠遁者も伝承者……」
「わかったわかった、いちいち言わなくていい。とにかく多くのハイエルフが既にケイトリヒ殿下のもとに集っております。私が『選定』することはないと思っていただいて結構ですよ」
執行者のイーロは、なんというかクール。
権能のせいか俺に傾倒するような様子もない。
あとやっぱりシャルルに冷たい。シャルル、ハイエルフの間でも人望なさすぎ問題。
そういえば王国でおイタをしでかしたハイエルフの11人も俺の配下ってことになってたね。
まだ会ったこともないけど、彼らの存在がこんなところで役立つとは思ってなかった。
「人数に加え、殿下は異世界人の魂と肉体に手を加えていた同士の悪行さえも止め、自らの懐に入れられた。慈悲深く寛容な、まさに神にふさわしい人格者であらせられます」
「それは半分、シャルルが勝手にやったことだけどね」
「しかし、実際、処分するつもりはなかったでしょう?」
「それは……そうだけど」
異世界になじめず、精神的に不安定だった異世界召喚勇者にこの世界の人間の肉体をあてがった……というのは俺の中の倫理観的にはあまり褒められたことじゃない。
なにせこの世界の人間を犠牲にしている。
だが、実のところ彼らは全て、犠牲すら「合意のもとで」成し遂げていた。
異世界召喚勇者に肉体を提供した犠牲者たちが、本当にすべてを理解したうえで犠牲になったかまでは俺にはわからない。ひとことで犠牲と呼んでいいかも悩ましい。
善悪で断じるには難しい話だ。
複雑だけど、そこに過去のスタンリーのように自由や意志を奪われた人物がいないのなら許容してもいい、という程度でしかない。
「……殿下は、生来の人格者である以上に素晴らしい資質をお持ちです。一方的な価値観や視点をよしとせず、つねに自身を疑い、改め、正し、刷新していく。これは多くの人間には難しいことです」
イーロは表情が全く見えないけど、声色は優しい。
褒めてくれるのは嬉しいけど、正直俺としてはノンポリで、中庸で中道、優柔不断といえばそうでもある。
はからずも権力者として生まれてしまったせいもあってさすがに政治的に無関心を貫くことはできないけど、凝り固まった過激な思想に偏るのは良くない、ということは心がけているつもり。
これってたいていの、普通に育った日本人なら似たようなものじゃないかな……と思うけど、自分が普通だと思うのもよくないか。
日本にだってニュースやSNSの情報を鵜呑みにして端的な思想に偏るヒトだっていた。
……それに、この世界に召喚された多くの日本人……いや、他の国もいるから地球人といったほうがいいかな。彼らはまだ思想や価値観も柔軟な若者ばかりだ。
「……まあ、僕のことはいいよ。法国についてわかったことを、おしえてくれる?」
俺の言葉に、イーロは少し俯いた。
言いにくいことでもあるのかな。
「まず、最も申し上げにくいことを先に。神の権能である【予見】を強引に顕現させられた異世界人、リク・マツモトを法国の御神体として祀りあげ、その実は傀儡として操っている人物は我らの同士。ハイエルフの仲裁者です」
シャルルが顔をしかめる。知り合いなのかな。
ペシュティーノの足にぎゅうとしがみつくと、抱き上げられた。
「ケイトリヒ様、座りましょう」
ペシュティーノの膝に座るのを見届けたイーロがそのまま続ける。
「仲裁者は……神を『作り上げる』ことに固執したハイエルフの一派の旗頭とも言える人物です。王国で異世界人の魂を入れ替えていた者たちは、仲裁者からその手法を学んだといいます」
王国のハイエルフたちがやったことは、どちらかというと単純な話だ。
多くの魔力を消費して召喚された異世界人が、この世界になじめずに心を病んでしまう前に、本人たちの同意の上でこの世界の人間の「肉体」を与える。
その目的はせっかく召喚した異世界人がムダに死んでしまわないように、という場当たり的なものにすぎない。
結果的に集められた異世界人の「肉体」は来たるべき日のために保存されていたようだけど、そっちは目的ではなかった。あくまで副次的なものであって、彼らも扱いに困っていたというのが本音だ。
なので今でも「異世界人の肉体」は宙ぶらりん。
俺の配下になったことで、「なんか有効活用してください」と言われたけどムチャブリが過ぎる。「精霊様の依代に!」とか言われても、ちょっと感情的にムリ……。
どのくらいの数があるのかわからないけど、まだ踏み込めてない。
しかし、聖教法国の仲裁者がやったことはちょっと別次元だ。
まず法国という独裁的な宗教国家を作りあげた上でこの世界の人間やエルフを犠牲にしながら異世界人を召喚し続けている。これについては裏が取れたとのこと。
エルフの里の行方不明エルフたちがどうなったかまではまだ確認できていないが、おびただしい犠牲者を出していることは間違いないそうだ。
召喚には多くの魔力が必要で、帝国でも王国でも共和国でも、多大な人件費と設備費を投じて召喚術を行ってきた。
だが、法国ではもっとお手軽に、費用ではなく人命を投じた。
まずこれが、俺の考える明らかな「罪」だ。
そして召喚された異世界人を、まるで家畜のように「役立つもの」と「そうでないもの」に分けた。この思考もなかなかにヤバイが、その後はもっとひどい。
「役立つもの」は一定期間、アンデッド討伐隊や筆頭僧兵として法国の民衆の「英雄」としてまつりあげ、政治的に利用。
そして「そうでないもの」については……どうやら「素材にしていた」というのだ。
「フー……。……素材、って、なに」
お腹にあるペシュティーノの右手をぎゅうと抱き締めると、左手で撫で回される。
密着してるので、パリパリが出るとペシュティーノに当たっちゃうから抑えないと。
「王国の同士がやっていたことと、近しいことをやっていました。ただ、法国の場合は本人たちの同意は当然無視していましたし、魂もまた肉体と同様に素材、として……」
王国では魂を移植したあとの抜け殻になってしまった肉体を保存していた。
それは、異世界の物質なので神の力を宿しやすいという性質を持つ。
「魂……ようは精神体……幽霊みたいなものだよね? 何につかうの?」
イーロはさすがに言い淀み、シャルルに助けを求めるように視線を向ける。
シャルルも苦々しい表情だ。
「どうやら、御神体とされているリク・マツモトという異世界人に……ええと、どういう方法かまではわかりませんが有用部分だけを抽出して、『注入』している、と……」
「ちゅうしゅつ? ちゅうにゅう?」
魂を……ちゅうにゅう? え……? 意味わからん……わからんけど……。
この世界では魂って薬液みたいなもんなの? 有用部分ってなに?
「主。僕たちが僕たちになる前の存在、おぼえてる?」
横からジオールが声をかけてきた。
ジオール……精霊たちが精霊になる前?
「毛玉?」
「そのもっと前」
ふわふわした玉みたいなやつだったはず。でもその前は……?
「ええと、ビンに入ってた。でも、モヤモヤだったり液体だったり色々だったよね」
「うん、それは神の力を持つ主に近づいて具現化した状態だったんだ。主に触れる前は何にもない、ただの魔力体だった。魂って、それと同じようなものだよ」
目に見えるものはなにもない。それが魂。
……そう言われましても、謎が深まっただけだよ? 一体なにを抽出して、何を注入するっていうんだい? よくわからん。よくわからんけど、今はまあいい。
問題はそこじゃなくて。
「つまり……つまりは、異世界人をころして、粘土細工みたいにいいとことわるいとこを切り分けて、御神体になってる子にいいとこだけをくっつけてた……ってこと? そうやって、神の権能である【予見】を無理やり顕現させた?」
「大まかには、そういうことで合っています。……ちなみに、殿下が情報表示を駆使してお救いになった11人は、『役に立つもの』として生かされていた異世界人。『そうでない』異世界人は……」
聞かなくても、もうわかる。
「役に立つもの」とされていたアランでさえ人体実験のようなことをされていたし、暴れたという理由でオビもミョンジェもひどい折檻と拷問を受けて死にかけていた。
タイセイは臆病だったせいもあって監禁されるだけで済んでいたとはいえ。
それだけでも悲劇だと思っていたのに、それですら「マシなほう」だったなんて。
「ふー……」
父上と皇帝陛下からの宿題として、法国を潰すか属国にするかしてこい、といわれた。
理由もなく他国を侵略するのは俺の価値観からすれば「悪」だ、と思っていた。
今、この瞬間までまったく積極的になることができなかったけれど。
これは侵略じゃない。少なくとも俺にそのつもりはない。
たとえ俺がすることが、その後の歴史に侵略と記されようが、これは間違いなく……。
「仲裁者を許すことはできない」
俺がぽつりと言うと、シャルルは砂を噛むような表情で俯いた。
きっとイーロも同じ顔をしているんだろう。
「僕の価値観からすると、彼は『悪』だ」
「……返す言葉もございません」
「不肖イーロ、これよりケイトリヒ殿下の配下となりたく存じます」
どうした突然!
「え、え……なに、とつぜん」
「執行者は神候補を「選定」する権能上、強さや魔力、権能といったものではなく、ヒトとしての思想を何よりも磨き抜いてきました。何千年も、何万年も、ヒトの行いを見てきた私が思い描く理想の神の姿は……ケイトリヒ殿下、貴方です」
そう言うと、イーロはすっくと立ち上がって忍者マスクをシュルリと脱いだ。
現れたのは、赤みのない黒い肌に、白髪の坊主頭。
そして、複雑な模様の刺青がほどこされたまぶた。
目は固く閉じられている。
「……ケイトリヒ様、執行者が素顔を晒すことは、忠誠を意味します。どうか忠義をお受け取りください」
シャルルが補足してくる。
たしかに諜報活動ができるハイエルフはレア人材だけどさ。急すぎん!?
「あ、うん……受け取ることはやぶさかでないけど、どうしてとつぜん」
「先ほどの理由では不足ですか。それに気づいたのが、今だったのです」
「はあ、そう。いや別にいいんだけど。じゃあこれから、その仲裁者から法国を解放する動きに、きょうりょくしてくれるってことでいいのかな」
「御意にございます」
……精霊を偵察に使えない以上、情報を得る手段は多いほうがいい。
スタンリーも暗部としての訓練を積んだとはいえ、俺としてはあまり危険な任務をしてほしくない。
ワガママ? なんと言われようと構わない。まだ子どもであるスタンリーが危険な目に遭うくらいなら、ワガママのそしりくらい受けてやる! 俺、王子やぞ! どやっ!
「執行者、イーロ。キミの忠義をうけいれる」
「……ッありがたき、幸せに存じます」
再びひざをつき、深く頭を下げたイーロをじっと見つめる。
「さて、目標は仲裁者と決まったけど……できればそれ以外の犠牲は出したくない。法国の全てが仲裁者と=ってわけではないだろうし」
「それについては……殿下の望み通りというのは、難しいかと」
イーロは一瞬、言い淀んだが淡々と説明してくれた。
悪行をつくす仲裁者……名をブノワ・カブールというらしいが、彼の思想はおおよそ帝国が建国された500年ほど前から法国という国に根付いている。
苛烈になってきたのはここ200年だそうだが、法国を構築する国民のほとんどはそれを国の「教義」として受け入れている状態だ。
支配者層も、非支配者層も、どんなに「教義」が理不尽なものであろうと、アンデッドの脅威から身を守るためには受け入れなければならない、と染み付いている。
寿命のないハイエルフが築き上げた、思い通りの国家というわけだ。
そして500年の年月をかけて作り上げたその国家は、仮に仲裁者……ブノワ・カブールが消えようと、手放そうと、今まで通りに自動的に機能する。
「仮に、そのブノワ・カブールを暗殺できたとしても、その地位を誰かが引き継ぐってことだね?」
「そのとおり。アイスラーを平定したように、都合のいい後継者がいれば話は別ですが……。思想まで仲裁者に浸りきった人物が後継者となり、これまで通り人民を犠牲にして異世界召喚を行い、選別して一部をリク・マツモトに捧げ、残りは使い潰す」
「そうなると……」
御神体となっているリク・マツモトを放置するわけにはいかない。
でも、どういう人物かはわからないが、同郷の……同じ境遇の彼を、断罪したくはない。
「話し合いで、すめばいいけど」
「御神体となっているリク・マツモトについては全く情報を得られませんでした。既に神の権能を宿している以上、私にとっては手に余る存在です」
神の眷属であるハイエルフにとっては、俺もリク・マツモトも同列の神候補。
イーロは俺を選んでくれたけど、ブノワ・カブールはリク・マツモトを擁立している、ということになる。
「神候補どうしが、神の座をかけて戦うなんてこと……過去にあった?」
俺が聞くと、シャルルもイーロも首を横に振った。
じゃあこれって異例ってこと!?
「候補者が乱立した時代はあったかと思いますが……ハイエルフがより優秀な候補者を選出していたはずです。有力な候補者を複数出すのは、どちらかが潰えるということ。ムダなので避けていたはずですよ」
たしかに。
世界を統べる神の擁立は、生半可なものではないはずだ。
「全ては、真なる神の御来臨を待つことができなかった仲裁者の不徳。継ぎ接ぎで人為的に作られた神候補であるリク・マツモトは哀れではありますが、消えるべきです」
シャルルが断言する。俺は、そこまで思いきれない。
「殿下が気乗りしないのならば、私が手にかけましょう。殿下の配下となった今、私には殿下よりも能力的に劣る神候補を屠る力があります」
イーロが無表情で提言してくれる。……それも、頷くことはできない。
「リク・マツモトについての結論は、すこし待って。できれば実際に話してみたい」
俺の言葉に、シャルルは不承不承、イーロは力強く頷いた。
うううう〜〜ん。
なんか面倒なことになってきた!
それから数日間、俺は聖教法国について正規ルートの情報を集めることに勤しんだ。
リンスコット伯爵……もとい、ダニエラ女史にはトリューの貸し出しをほのめかしながらどの程度の情報を持っているかを、ガノに探らせる。
冒険者組合で報酬を設定し、聖教法国に入国、さらには活動したことのある冒険者を集めて聴取する。
高高度飛行で魔導騎士隊を派遣し、空撮を行う。
だんだんと見えてきた聖教法国の実態は、想像以上に巨大なものだった。
マリアンネとフランツィスカとの合流を待ったのは、正解だ。
こりゃあ一筋縄ではいかないぞ。