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2章_0017話_王子様の会計事情 3

「ペシュティーノって、いそがしいんだね?」

ある日の夜、俺を寝かしつけるペシュティーノにおもむろに切り出す。

父上のお仕事を補佐しているという話は聞いたけど、ギンコのことを報告しに行ったときの執務室は慌ただしかった。仕事をたくさん頼まれていたみたいだし、もしかしてイビられてるんじゃないかなと心配になった。


「ええ、文官の中でも私は特に魔力が高いですからね。私がいる間は魔道具をほぼ無制限で使えるのですが、そうでないときに書類送付が停滞するのですよ」


「文官が使う魔道具ってどういうものがあるの?」

「文書の送付と複製の魔道具ですね。たいていどこの領でも書類仕事をする場所にはあると思いますよ。消費魔力はさほど大きくないのですが、ラウプフォーゲルの文官は魔力の高さを基準に採用されませんから負担が大きいようです」


コピー機とFAXか。俺の時代ではどちらも廃れてたけど、紙の書類が全盛期の時代ならばオフィスの神器と言ってもいいものだね。


「ふーん? それってヒトが魔力を流さないと動かないの? 例えば魔石に魔力を込めて、その魔力で動かせるようにすれば便利なのに」

「確かに便利そうです。しかし今ある魔道具ではできませんね。それに授業ではやりましたが、純粋な魔力を蓄積した魔力というのは人為的に作らないとほぼ自然には存在しないのですよ。大抵の魔石は純粋な魔力ではなく、何らかの属性に変異した魔力を蓄えていることがほとんどです。照明の魔道具には光の魔石、暖房の魔道具には火の魔石、というでしょう? 魔石の魔力をエネルギー元とするものは、単一な作用の魔道具にしか向いていないのです。複製や転送といった魔道具には難しいですね」


「属性のない、じゅんすいな魔力を込めるのはむずかしい?」

「ええ、授業でも魔力を込めるのは難しかったでしょう? 込めることも、それを維持するのも難しいのですよ」


(そんなこともねえけどなあ。俺が純魔力の蓄積に適した素材を教えてやろうか?)

(主であれば不可能はありませんね。純魔力を注入できる装置について、確か古代の知識があったはずです)

頭の中で話しかけてくる。この声は土の精霊バジラットと水の精霊キュアノエイデス。


「精霊が、難しくないって言ってる。もしかしたらこれも事業にできるかも」

「その話はまたにしましょうか。今は実は、御館様の命でモートアベーゼン事業について集中せよと。いえ、しかし肝心のモートアベーゼンの動力問題について解決でしょうか? ケイトリヒ様、その方法を明日起きたらすぐに書き出し……いえ、今すぐでも構いませんか?」


「うんいいよー!」

がばりと起きると、ペシュティーノが紙と鉛筆を用意してくれる。

精霊たちの囁きのままに魔力蓄積用魔石の素材と、魔力注入装置の設計と必要素材を書き出すとペシュティーノがそれをガン見して難しい顔をしている。なんだろ。

書き出しを終えると急激に眠くなってきたのでペシュティーノの脇に顔をうずめてふにゃふにゃしていると、ベリッと剥がされて寝台に転がされた。この扱い。


「ケイトリヒ様、冒険者組合(ギルド)と話す必要がありそうです。すみません、私は少しこの素材について調べたいので今日はお一人でお休みください」


「えー! ひどい! せっかく眠くなったのに、めがさめた! せきにんとって!」

広くなった寝台でブーブー言っていると、ペシュティーノは何を思いついたか部屋を出ていった。まさか何も言わずに見捨てたわけじゃないよね?


ペシュティーノはすぐにギンコを連れて戻ってきた。


「今日の添い寝はギンコにお願いしましょう」

「身に余る光栄! 我が毛皮でどうぞお休みください、主!」


ギンコは嬉しそうに口をパカッと開けて、へっへっ、といいながら目を細める。

でっかいわんちゃんと寝るなんて!


「いいの! やったー! ギンコ、ここ! ここ来て!」

「はい主!」


ギンコはヒラリと寝台に跳び乗り、俺がポンポンする寝台に寝転ぶと、柔らかい腹毛のモフモフを押し付けるようにして抱き寄せてくる。

なんて贅沢な毛皮の寝台!! ぬくもりつき!

バフッとギンコの首元のふかふか部分に顔を埋めてモゾモゾうごいてベストポジションを見つけると、すぐに寝てしまった。


――――――――――


子供が眠ったら、夜は大人の時間。

といってもペシュティーノの夜の時間に色めいたものは全く存在せず、全てがケイトリヒ発案の事業進行のための準備や根回し、書類仕事などに割かれている。


愛用の両袖机(ペデスタルデスク)に座り、一息つくと先ほどケイトリヒが書き出した必要素材のリストの紙を睨みつける。


「よくもまあ、こんな高級素材を……」

ペシュティーノはふふ、と笑いながらその紙を机の上に置くと、立ち上がって何冊かの本を選んで机の上にそっと置く。隣の部屋ではケイトリヒが寝ているので、静かに。といっても物音で起きたことはほとんどなく、一度寝れば朝まで目をさますことはない。よく寝る子で手がかからず助かるとは思っているが、あまりにも起きないので不安な点もある。


ペシュティーノがいたシュヴェーレン領では赤子が眠ったまま目を覚まさずに亡くなったというのは珍しいことではなかったからだ。ケイトリヒはもう赤子という年齢ではないが、身体が乳児の頃からほとんど成長していないのでやはり不安にもなる。

ちゃんと歩けるようになってからは寝室を別にしたが、夜中に目が覚めてケイトリヒの息を確かめることがあまりにも多かったので今でもよく添い寝と称して一緒に寝ている。

ケイトリヒの中には異世界の成人男性の魂があるという話だが、ペシュティーノの添い寝を全く嫌がらないどころか喜ぶので、ときどきその感覚が抜け落ちてしまう。


ギンコはいい添い寝係だ。ヒトの姿をした女性であれば問題になっただろうが姿は狼で添い寝していても不自然ではないし、異変があれば誰よりもすぐに気づくだろう。


それよりも素材のリストだ。


「オンガラの肝、肉、健……火竜の角と爪、レッドピピンの実にネックラプターの骨……それにこれは……聞いたこともありませんね。ふうむ、全て依頼で集めるとなると他国どころか、別大陸に渡る必要まで出てきそうです」


ケイトリヒが書き出したリストは、本来なら調合素材としての用途で使われるものでないものや、魔導学院主席卒業であるペシュティーノでさえ名前も聞いたことがない素材まである。難易度が高いことで有名な調合学の授業でも常に成績トップを維持していたペシュティーノからすると、これは興味深いリストだ。


月甲花げっこうかの蜜? これはたしか帝都の薬草庭園の栽培品目一覧に似た名前が……」


ペシュティーノの夜は更けていく。



翌朝。

ペシュティーノは素材のリストと新しい事業報告書の草案を携え、領主への報告のために本城へ向かう。


領主の執務室前の廊下に差し掛かると、向かいから恰幅のいい妙な形の髭をした男性が従者を引き連れてこちらへ歩いてくるところだった。

ケイトリヒが見たら「偉そうに」と称したことだろうその男性は、道を開けて頭を下げる数人の若い女性メイドに好色な目を向けてニヤニヤしている。


(彼はラウプフォーゲル議会の上級議員、たしかメランヒトン男爵)


ペシュティーノはメイドと同様に男に道を譲るため壁際に立ち、頭を下げる。

男はペシュティーノの姿を認めると小さく舌打ちし、立ち止まった。


「帝都のムース(ネズミ)は大きくて汚らしくてガリガリに痩せているそうだぞ。そら、そこにいる。見てみよ! なんともでかいが、貧相でみすぼらしいではないか!」


恰幅のいい男はつばを飛ばしてガッハッハと笑い、従者に話しかけるように言うがペシュティーノは微動だにせず頭を下げたまま動かない。それからも何かと悪態をついたが、ペシュティーノが全く反応しない事に満足したのか笑いながら去っていった。


(下げた頭を叩きつけるような奴もいるなか、口だけで済むならまだマシなほうだ)


ペシュティーノは上機嫌の笑い声が廊下の角を曲がって姿が見えなくなったのを確認すると涼しい顔で再び廊下を歩く。側で一部始終を見ていたメイドに黙礼をすると、メイドたちは気の毒そうな顔を向けて黙礼に応え、急ぎ足で去っていった。


(ケイトリヒ様が臥せっている頃に比べたら、やはり格段に私の立場は変わった。以前だったら先程の男爵に迎合して、メイドまで私を嘲笑っただろうに)


ペシュティーノは領主の執務室前でそんな事を考えた。

ノックすると、領主お付きである執事のクラッセンがドアから現れ、丁寧に案内される。クラッセンの態度は昔から変わらない。ケイトリヒの母親であるカタリナがまだ身重の状態でラウプフォーゲル城にやってきたときも、誰もが煙たがり訝しがりシュティーリ家のスパイと疑うなかでクラッセンだけは丁寧に対応してくれた。


「また新しい事業案があると聞いたが、其方の見立てはどうだ」

ラウプフォーゲル領主ザムエルは挨拶も導入もなく目線も上げず、何か書類に書き込みながら直接報告内容に触れる。これはいつものことだ。


ペシュティーノは膝をつき、深く頭を下げたまま答える。

最初の頃は両脇に近衛兵が立ち、少しでも身じろぎすれば素早く制圧されるという緊張感の元で報告していたが、今では後ろに控えるだけになっている。

これも最近の変化だ。


「はい、帝国どころかクリスタロス大陸全土に鳴り響き、あるいは世界を牛耳る事業となりえると拝察(はいさつ)いたします。それ故に、この事業については今まで以上に慎重に事を進める必要がございますため入念に報告させていただきたいと存じます」


書類仕事をしていたザムエルがピタリと止まって片眉を上げ、顔を向ける。


「世界を牛耳るとな? その物言いは皇室への不敬となるぞ?」

「はい。承知の上で、この事業はそうなる可能性すらございます」


クラッセンはザムエルの合図を受けて、ペシュティーノの差し出した書類を受け取り、ザムエルへと渡す。ザムエルはペラペラと報告書を斜め読みすると、途中から表情を真剣なものに変える。


「クラッセン、審議の間を準備いたせ」

「承知いたしました」


ザムエルは立ち上がると、執務室の壁に飾られた大きな風景画の前までゆっくりと歩く。

霊峰フォーゲルを大胆なタッチで描いた数代前の領主の作品だという。


「ラウプフォーゲルの家臣でもない、傍系とはいえシュティーリ家の者を招くのは歴代領主の中でも初めてかもしれんな」


クラッセンが部屋の隅のチェストで何かを操作すると、風景画が揺らめく水面のような状態に変わった。ペシュティーノは確信的に「魔法制御された秘密の部屋か」と納得した。

領主の執務室ともなれば、これくらいの装置はいくらでもあるだろう。


「これは……」

「ついて参れ。近衛たちはそこで待て」


ペシュティーノにとってはここが正念場だ。ケイトリヒの世話役兼教育係として、領主であるザムエルを完璧に味方につける必要がある。

有象無象の貴族たちがどれだけペシュティーノを嫌おうと、この事業が軌道に乗ればケイトリヒは次期領主候補の線が濃厚になり、ペシュティーノは叙爵間違いなしだ。


ペシュティーノはザムエルに促されるまま水面のような壁をくぐる。

その先は、白一色の広いホールのような空間。床も壁も柱も天井もカーテンもカーペットも少しずつ色味の違う白で、中央には円形のテーブルと椅子が2脚向かい合っている。


ザムエルは戸惑うこと無くそのテーブルに向かって歩き、当然のように2脚のうちのひとつに腰掛ける。テーブルはお互いが手を伸ばせば書類を渡せるくらいのサイズで、ちょうどいい。


「この空間は……魔法制御されていますね?」

「そうだ。初代のラウプフォーゲル王から受け継がれる、許可なきものはいかなる者も侵入を許さず、必要なものが必要なだけ現れる部屋だ。便宜上『審議の部屋』と呼んでいるが、正式名称は別にある」


「必要なものが必要なだけ? 食料なども該当するのでしょうか」

「あまり聞くな。この部屋については存在自体秘匿されている」


「申し訳ありません。しかし1点だけ、もしラウプフォーゲル城に危機が及んだ際にはケイトリヒ様をここへ?」

「うむ、領主の家族と領主が許可した者の究極の避難所として作られた部屋でもある」


ペシュティーノはそこでようやく安堵の表情を浮かべ、ザムエルの対面に位置する椅子に「失礼します」といって腰掛けた。


――――――――――


「これはアシギリソウ。効能は止血、化膿止め。使い方は、細かく潰して濾して、汁だけを傷口に塗り込む……この石は〜、えっと、水泡石?」

「残念、白鉄石です! 見分け方は、こうやって指でこすってみて……」


今日は調合学の授業。

調合学については高度教育と呼ばれる部類で、ラウプフォーゲルでは教師が見つからなかった科目。しかしつい最近、都合がついたときだけ家庭教師をしてもいいという人物が見つかった。今日は数日前から楽しみにしていた授業なんだー!


「これはわかる! ココの枝! 樹液をねつしょりして、ココロートになるんですよね! ココロートは、ふんまつをこけーかするツナギ! の、そざい」

「おー! すごい、よく勉強してらっしゃいますねー! はあー、かわいいなー!」


ニコニコと愛想のいい、幼児向け番組の歌のお兄さんみたいな、あるいは優しさの権化みたいな先生の名はミェス・リンドロース。帝国に数十人しかいないS級冒険者で、やたらと俺のことをかわいいかわいいと愛でてくる。まあ、かわいいから仕方ないけど。


「じゃあ、さっそく下処理をやってみましょうね! これは素材の有効な効力を落とさないために必要な作業ですよー。もしいい素材を見つけて、調合に使おう! と思っても、採取したあとに下処理されているのと、ただ時間がたったのでは効果が変わることもあるんだよー。植物とかだとよく分かるかな? お花なんかは詰んじゃうと、枯れちゃったり萎んじゃったりするよね。魔獣の身体の一部なんかも同じだね。鉱物は安定していることがほとんどだけど、ときどき保存に注意が必要なものもあるよ。例えば……」


リンドロース先生が丁寧に説明してくれる中、頭の中では大討論会だ。


(惜しいですね、空気を断絶すればもっと効果が上がるのですが)

(えー、水泡石ってそんな用途に使われてんのか!? もっといい使い道があんのに)

(まったく、素材の素質の100分の1も活かせていない処理方ですね)

(どれもこれも、時間経過を止めればよろしいことでしょうに)


あーうるさいっ! 黙って! 僕は本当に効率的な処理方法じゃなくて、この世界で「普通」といわれる処理法を学ぶために授業を受けてるの!


俺が頭の中で怒鳴ると、精霊たちはピシャリと黙った。


そう、俺が知りたいのはこの世界の常識。もっと改善すべき点があるとしても、その元ととなる「現状の現実」を知らないことには改善しようがないんだ。そしてそれを知らないと、どの情報が有益でどの情報が収益に結びつくかも判断できない。


「この石については、空気に触れれば触れるほど効力が霧散していきますので油紙で包んで……」

「リンドロースせんせい、しつもんです!」


「はい、どうぞケイトリヒ王子殿下!」

ノリがいい。


「たとえば時間を止める魔法があったら、全部かいけつする?」

「んー、あー、そうですねえ、まあそうですねー、もしかして王子殿下、時間停止の魔法が使えるのですかー?」


優しそうに細められた目が、一瞬不敵にキラリと光った気がした。これはきっとひっかけだ。このリンドロース先生、歌のお兄さんみたいな印象の割になかなか鋭い気がする。


「え、そんな魔法ほんとうにあるのっ! おしえて!」

「あっはっは、いやー、ないよそんな魔法! 残念だねえ、とりあえず古代には存在したという記録があるけど術者が少なすぎて失伝したと言われているよー。もし知っているとしたら、きっと世界記憶(アカシック・レコード)とつながる精霊くらいじゃないかな?」


ニッコリ笑っているけど、目の奥が笑ってない。


「そーなんだー。世界記憶(アカシック・レコード)ってなあに?」

「んんー、世界記憶(アカシック・レコード)はね、竜脈とも言って……」

俺があっけらかんと聞くものだから、リンドロース先生も不敵な笑顔はなりをひそめて普通の応対になった。

この先生、なかなかに怪しい。一体どこから見つけてきたんだろう。



夜、おやすみ前。


メイドのカンナのお世話でお風呂に入り、ほっこり湯上がりでウトウトしていると少し肩が下がってお疲れ気味のペシュティーノが部屋にやってきた。

見るからに疲れてる感。


「ペシュ、つかれてる?」

「いえ……ああ、そうですね。少し疲れました」


ニコリと笑う笑顔もいつもより少し力ない。

大人には大人の事情があるんだろう。仕方ない、サービスしてやるか。

大きく腕を広げて、満面の笑みでペシュティーノを迎える。


「げんきが出るようにギューッてしてあげる! 吸ってもいいよ!」


ペシュティーノはしばらく固まっていたが、いそいそと俺の腹に鼻先をうずめてくる。

くすんだ金髪の頭をギューッと抱きしめたら、「スー」と思いっきり吸う音。

めっちゃ吸ってる。深呼吸してる。


「はー。お風呂上がりのケイトリヒ様はひときわいい匂いですね。元気が出ました」


頭をギューとしたせいで少し髪の乱れたペシュティーノは、ほっこりしたようだ。心なしか笑顔にも生気が戻った気がする。俺、いやし効果ハンパなくない?


「ケイトリヒ様、2ヶ月後にラウプフォーゲルの親戚会があります。ケイトリヒ様は新しい調合学のお勉強の他に、ラウプフォーゲル貴族の顔と名前を覚える授業と礼法の授業を集中的に行いましょう」


「しんせきかい」

「そう、親戚会です。今まで私もそういった会があるのは存じ上げなかったのですが、旧ラウプフォーゲル領ではほとんどがルーツを辿ればどこかが必ず親戚になります。中央の貴族も似たようなものですが。親戚会は社交界デビュタント前の前哨戦であり、6歳以上の令息令嬢のお披露目の場でもあるそうです」


ふーん。

俺の反応が鈍いので、ペシュティーノも首をかしげる。


「ケイトリヒ様、デビュタントの前哨戦ですよ」

「うん? うん」


えー! とか、やだー! とか言ったほうがいいのかな。

社交界デビュタントって、なんか女の子のイメージあるけど男の子は何するんだろう。

ダンス? このちっちゃい身体で? 無理無理。

そのへんはペシュティーノとか父上がいい感じにしてくれると信じてる。


「親戚会に合わせて、新しいモートアベーゼンの試作機の試乗をしようと思います」

「え、できるの?」


「できるように技術者を急がせています。もう新設計の魔法陣で動作することは実験済みです。コントロール面の問題点がありますが、試作機の試乗までに間に合わせる必要はありません」


ペシュティーノは説明しながら眉間にシワをよせていく。

なんか悩ましい件があるんだろうな。しばらく沈黙が続いた後、意を決したようにペシュティーノが言う。


「ケイトリヒ様、2週間……いえ、1ヶ月ほど私が不在でも、大丈夫ですか?」

「えっ!? どっ、どうして!!」


「モートアベーゼン技師との打ち合わせに『きゃどくん』にケイトリヒ様の杖、そして新しい事業の『蓄魔石』開発のための素材調達に、関係各所への説明や根回しなどで各地を飛び回る必要が出てきました。御館様は信頼できるものに任せてもいいという話でしたがまだガノやジュンに任せるには荷が重すぎます」


元冒険者ということでジュンも連れていきたいという説明をされ、そうなると俺は護衛が不足するので一ヶ月の間は城の外への外出が一切できなくなること、不足分の護衛を補うため父上の護衛を一時的に出入りさせるので情報管理に気をつけて欲しいことなど、色々と言い含められた。


この世界で俺がケイトリヒになって、ほぼ片時も離れたことのないペシュティーノと離れる。俺としては中身は大人なのでどうってことないと思う気持ちと、謎の不安で呆然としてしまう。


「どうです、想像してみて。大丈夫そうですか?」

「んぅ……だ、だいじょうぶ……だと……おもう……あっ、ガノはいるんだもんね!」


「ええ、流石にガノは置いていきます。ギンコも」

「ガノはいる……でもペシュいない……いっかげつも……」


想像するだけで、すでにじんわり寂しさに耐えられない。これ大丈夫かな。俺の大人な部分は問題ないと言うけれど、それとは別のところで不安、というよりも、もっと強い恐怖みたいな感覚がある。


「1ヶ月のうち、何回かは戻ってこれるかもしれません」

「ほんと!? ぜったい!? 1ヶ月かんぜんに会えないのは、ちょっとつらいかも! でも何回か会えるなら、なんとかなるかな! たぶん!」


ペシュティーノがニコリと笑って俺を抱きしめる。

今度は俺が抱きしめられる形だ。シャツの下の鎖骨は今日も尖ってる。


「寂しいときは、ギンコと寝る」

「ええ、ギンコの出入りは西の離宮では自由に出入りできるよう各所に伝達済みです。ただしさすがに本城へは連れていけませんよ」


こっくりと頷くと、髪をもしゃもしゃと長い指で撫で回される。


「アッ、そうだ。調合学のリンドロース先生はちょっとカンがよすぎるかもしれない」

「ああ、そうでしょうね。彼はハーフエルフですから、精霊の存在を直感的に感じ取ってしまうかもしれません。もしも完全にバレてしまったら精霊にお願いして沈黙の魔法をかけて、最終的には側近に引き込んでしまいましょう」


「え! あくとく!」

「いえ、実はある程度事前に話し合いを済ませています。6柱もの精霊が宿ってることまではわかっていないようですが、なにかしら精霊の影響があることは契約前から感じているようですよ。それを承知の上というか、それが理由で調合学の授業を受けたそうです。もちろん、場合によっては側近、というか専属冒険者であればなってもいい、という条件も含めて」


なんだ。わりとだいたい掌握済みなんだね。

じゃあ他に不安要素はあったかな。大丈夫か。なんかだんだん大丈夫な気がしてきた。

尖った鎖骨にぷにぷにと頬を寄せて、思いっきりペシュティーノの匂いを嗅ぐ。


「大丈夫な気がしてきた」

「ふふ、さすが大人ですね」


なんかちょっとからかうニュアンスのある声色。


「いつから出るの?」

「今週末から早速。時間が許せば戻ってくるかもしれませんが、そのままハービヒトに向かう可能性のほうが高いです」


「そっかー」

ハービヒト領って確かラウプフォーゲルお隣、父上の兄が治めている領地だっけ。


「おみやげ買ってきてね……」


そう言うと意識はどんどん遠くなって、眠ってしまった。


なんだか奇妙な夢を見た気がするけど、全部忘れた。



そして週末。


ペシュティーノとジュンは旅人のような重装備のマントを身に着け、雇ったと思われる御者や従者、見たこと無い服装の人物に囲まれて早朝から大きな馬車で城を後にした。


城のロータリーを出てだんだんと小さくなる馬車を見送ると、だんだんと寂しさがこみ上げてくる。つられて涙もぷっくり盛り上がってきたけど、さすがにここで泣くのは恥ずかしいなと思ってガノに抱っこをねだって肩口に顔を埋めた。


「さあ、ペシュティーノ様がいなくてもお勉強を頑張りましょうね。午前は音楽の授業ですが、開始までに時間があるのでもう少し眠りますか?」

「ゔん゛」


必死に我慢したのに、涙声なのバレた。

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