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2章_0017話_王子様の会計事情 2

精霊の力を借りて、魔法陣設計のひみつ道具を作ろうという計画は目下進行中。


ペシュティーノはモートアベーゼンの改良を急ぐよりもそちらの魔道具を完成させるほうが今後の作業効率に関わると判断して、好きにさせてくれている。


「最初の魔道具はケイトリヒ様にしか起動できないものにして頂けると助かります」

ペシュティーノがときどき俺と精霊の会話にアドバイスをくれるけど、それについては全く心配しなくて良さそう。

ウィオラとジオールが完全に俺基準で設計してるみたい。

名前が長いのでニックネーム風に呼ぶと、2人|(2体? 2柱?)はとても気に入ったようだ。「親愛を感じる」「ヒトになった気分」と、今日もゴキゲンだ。


「タブレットからこう、にゅ〜っとコードが伸びてて、その先にペンがついてるみたいなやつはどうかな」


今日は図書室でガノと2人で魔道具設計ちゅう。

ガノと2人ではあるけど、俺が話しているのは精霊。精霊は俺にだけ姿が見えて、声だけガノにも聞こえるモード。つまり何も知らない城の護衛騎士なんかが俺の姿を見たら、俺が一方的にガノに話しかけてる感じに見えると思う。

俺がざっと書いた魔道具の形の案を見て、ガノが首をひねる。


「ペシュティーノ様が作った魔道具の原型は投影型だったかと思いますが、銘板(タブレット)型にするのは何か理由があるのですか?」

「ん……べつに、前世でつかいなれてるからってだけだけど」


「なるほど、異世界の道具に近づけているのですね。しかしそれは危険ではないですか?もしレオのように、外国から入国した異世界召喚勇者がいたら、ケイトリヒ様に異世界の何らかの影響があることが判明してしまいます」


「それに主、このそのコードはなんで? 主しか使わないって想定だから、その魔道具には主自身が魔力を供給するし、主が両手に持てばコードと同じ役割をするよ?」


俺自身が電池でコード。

電子機器の常識はあまりこちらの世界に持ってこないほうが良さそうだ。

というか、異世界でもタブレットとペンは有線じゃなかったな。


「うーん、じゃあペシュティーノがつくった投影型のほうをベースにして……」


「そういえば、ペシュティーノ様は杖をお作りになる話をしませんでしたか?」

「杖?」


「冒険者や宮廷魔導士などの魔術師は、魔力があると言われたらたいてい杖を持つものですが……私も一応、持ってますよ」


ガノが腰からすっと引き抜いて俺に見せてくれる。箸よりも長い菜箸みたいな、特に何

の装飾もされていない、茶色い棒。持ち手の柄尻の方にちょっとだけ飾り彫りがあるくらいだ。俺が手を伸ばして触ろうとすると、少し引っ込められる。なんなのさ。


「ケイトリヒ様は魔力が多いと聞いています。この杖は私の魔力に合わせて作られたものです。魔力を流さないでくださいね、壊れてしまいますから」


なるほど、意地悪じゃなかったのか。


触れてみると、茶色い棒はたしかに魔力をよく通しそうだ、という触り心地。

どういう感覚かといわれると説明しにくいけど、そう感じた。


「これ……ほね?」

「おや、よくわかりましたね。たいてい木製と間違われますし、実際に杖は木製が多いのですが。これはとある魔導士が借金のカタに売り払ったと言われる杖を調整したものです。なんでもクセが強くて誰も買い手がつかず、私の元へ流れてきたという代物です。妙に私と相性がいいようで、愛用しています」


壊しちゃ悪いと思って手を引っ込める。


「杖は魔力の出力を安定させるために使われる道具ですが、主には必要ないでしょう」

「でもさー、主は『普通』を望んでるんでしょ? だったら形式的にも持ってたほうがいーんじゃないかなー? ま、作るの大変なのはわかるけどさ」


たしかに、魔導訓練場で炎の柱を生み出したときも、とくに杖は使っていなかった。

必要かと聞かれるとわからないけど、みんな使ってるなら使いたい。


「じゃあこのペシュがつくった四角錐の魔道具と、杖でいいんじゃないかな」

「なるほど、杖を魔道具の代わりにすると。そうなると、杖作りに素材が必要になってきますね。ヒトの世で一般的に流通しているものでは、主の魔力に耐えられません」

「精錬ならボクらで簡単にできるけど、もととなる素材を無から生み出すとなるとね〜、まあ不可能じゃないけどボクたちへの負荷がちょっとね」


「ふか?」

「最悪だと数年間、顕現できなくなるかも。精霊体の姿を見せることも、脳内会話もできなくなっちゃう」


「それはこまっちゃう。そざいあつめはペシュにそーだんしよ? じゃあ、杖はあとまわしにしてこの三角錐……本体のほうからかんがえよっか」


図書館はペシュティーノの計らいで入室禁止になっている。

その日はじっくり「魔法陣設計機」についてあーでもないこーでもないと研究することができた。俺の頭の中では子会社の査察のとき製品デザイン部で見かけたCADソフトの画面がふわっと思い出される。

その俺の記憶を精霊たちが感知して「そういう動きにしたいのならこの術式を」とか「3次元設計なら何故銘板(タブレット)型にしようとしたんですか」とか助言とツッコミを入れられながら形にしていく。

マウスでパソコンを操作する姿を思い描くと「まだるっこしい操作方法ですね、手で直接操作できるようにすればよろしいものを」なんて無茶をいう。俺が生きてた時代ではスマホやタブレットがせいぜいで、立体映像を手で操作するなんてまだ映画の中の世界の話だったんだ。技術的には不可能ではなかったかもしれないけど、一般的ではなかった。


形にしていくといっても、出来ているのは精霊の意識のなかで術式が組み上がっていくだけ。モノが出来上がっているわけではないのでなんとなく不安になるけど、3日後にはペシュティーノの三角錐に実際に術式を入れて試運転することに。


試運転の日は外は嵐で、エグモントもジュンもお城の補強作業に駆り出された。なので俺の自室での発表会に参加してくれた観客はペシュティーノとガノ、そしてなぜかレオだ。

レオは多分、俺の異世界についての説明を補足する意味で呼ばれたんだと思う。


「じゃじゃーん。はい、これが『魔法陣CADくん・試作1号』です」


俺がちっちゃなお手々に四角錐をのせて2人に見せつける。

ペシュティーノのお道具箱に入っていた色々な魔道具をバラして色々くっつけたのだけど、外側の見た目は全く変わってない。


「じゃじゃ……? きゃどくん、というのはどういう意味なのですか? 私が作ったものから見た目は変わっていないようですが」

ペシュティーノのが困惑に満ちた感じで聞いてくる。まあそうなるよね。


「CAD作ったんすか!! すっげえ、え、ケイトリヒ様って天才? っていうか前の世界で一体何者……?」


「あ、よかった。レオはCADしってるんだ。前世は……いちおう、ふつーの会社員だったよ。僕じしんはCADを使ったことはないんだ。つかってる部署にお邪魔して、ちょっとPCの画面をみたことがあるだけ」


家族経営企業の何代目かの社長であることはなんとなく隠した。ほんとになんとなく。


「いやあ、俺も調理学科でスイーツ制作の大会に出る先輩が、なんかそういうソフト使ってデザイン設計してるの見たことあるだけで。っていうか見たことあるだけで作っちゃうなんて、マジ天才じゃないすか!」


「ほとんど精霊が僕のきおくをみていいかんじにつくってくれただけなんだけどね」


「レオ、言葉が乱れていますよ。そのような言葉遣いをしているところを他の使用人に見られては、不敬だと告発されてしまいます」


レオがガノから叱られた。


「あ、すみません……なんか、ちょっと前の世界の感覚になっちゃって。失礼しました、王子殿下」


「いいよ、僕もレオとはなしてるとなんだかぜんせのキオクがはっきりしてくるから。こういうたにんの目がないときだけげんていでたまには気さくにはなしたいな。ね、いいでしょペシュ」


俺が上目遣いでおねだりポーズをすると、ペシュティーノは一瞬だけ厳しい顔をしたが、すぐに破顔して「仕方ないですね」と言いながら俺を撫で回す。

ペシュティーノさん、ちょろいっす。


「それで、そのきゃどくん、とやらは魔法陣設計が簡単にできる魔道具なのですね?」


「うん、まあみてて!」


ててて、と走って俺の勉強机にボスンと座り、机の上に四角錐を置く。観客の3人がちいさな勉強机を取り囲むように腰を下ろす。目の前に大人の顔が3つ並ぶと、なんか圧がすごい。まあいいや。


「えーと……起動(アンファン)


精霊たちと決めた呪文を唱えると、三角錐のガラス部分がパアッと上向きに光を放つ。

光は筋状に伸び、三角錐の上10センチほどの空間に淡い光で描かれたただの正円が浮かび上がった。


「「「おおっ」」」

いいリアクションしてくれる観客だネー。


「この後はとくに呪文とか考えてないんですけど……これを、こうやって」


光の像でしかない正円に右手の指先をちょんちょんと触れるとそこに小さな円が生まれる。小さな円は、自動的に大きな円の中で均等な距離で配置されるようにしてある。

小さな円同士を指先でスッとなぞると、円と円の間に線が描かれる。魔法陣の設計上最も基本的な「連結」を表す式になる。もう一度なぞると、線は2本になる。そうなると連結とは反対の「抑制」の式。その2本線の間に横線を書き込めば、「支配」の式。


そして、肝心の小さな円の中に入れる記号を選ぶために、左手で画面外からスワイプするような動きをすると、基本的な記号がズラッと並んだリボンが現れる。

それを左手でちょいと引っ張って、親指でスワイプしてスクロールするような動きをすると、いろんな記号が出てきて……。ちなみにこの記号、すでに精霊の世界記憶(アカシック・レコード)をデータベースにした全ての記号がインストール済みだ。

俺の記憶に移すってのはちょとこわいので、外付けメモリに移したってわけ。


まあ、PCやスマホの画面の3D映像を手先で操作するような要領でちょいちょいと操作するとあっというまに14の記号を含んだ一般的な「1層魔法陣」のできあがり。

これは元のモートアベーゼンの魔法陣をベースに150センチほど浮かせて、時速80キロほどで飛行させる、という作用に書き換えたものだ。


1層、2層といった単位は最初に使った正円の大きな魔法陣のベースのこと。ちょっとややこしいけど、1つの作用を生み出す全体魔法陣(ザイレ)の中に1枚の単体魔法陣(クラエス)が使われているということを示す。城や街を守る都市防衛結界魔法陣となると150から200層くらいの設計が使われているんだそーな。いくらCADくんがいても気が遠くなっちゃうね。

歴史的に最も複雑だと言われている6千を超える古代魔法陣については、作用が1つではないので、そういうものはまた別の呼び方をされているんだって。ややこいね。

魔法陣1層に含まれる記号の数についても、かなり幅がある。今回の14個は市販されている魔道具の中では中級程度。1層魔法陣といっても記号が3つしか使われていない単純な魔法陣もあれば、200くらい使われている高度な魔法陣もある。


都市防衛結界魔法陣となると、前世に例えると都市銀行のシステムくらいの規模なんじゃないかな、とぼんやり考える。複数人でプロジェクトとして取り組むレベルのもの、ってかんじかな。実際、大掛かりな魔法陣は複数人で設計することが多いんだそうだ。


「す、すごい……正確できれいな正円で、しかも完全な等間隔で。この設計がそのまま組み込めるのなら、魔力のロスは最小限になりますよね、ペシュティーノ様?」

ようやくおれの発表に感想を言ってくれたのはガノ。ガノは魔道具の買付や下取りを行う商人から習ったそうで、基本的な魔法陣の知識はあるんだって。


「すげえ、PCの動きそのまんま。ディスプレイじゃなくて立体映像にして、それを直接編集するなんて映画の世界じゃん……」

レオも感動してくれる。ありがとう、俺も大体そのへんから着想を得ているよ。


「ペシュティーノ様?」

「ペシュ、どう? 便利でしょ?」


目と口を開いたまま微動だにしないペシュティーノが、ぐらりと傾いでガノの方に倒れ込む。慌ててガノが上半身を支えるけど、グッタリしたペシュティーノは重いらしい。


「ぺ、ペシュティーノ様!? 大丈夫ですか!」

「うーん……そ、想定外です……いえ、これは想定以上……魔法陣学の歴史が……」


そう言い残して、気を失ってしまった。

驚いて気を失うヒトはじめてみたよ!


その後、気を取り直したペシュティーノに出来上がった魔法陣はモートアベーゼンの改良版ですと説明するとまた気を失いそうになっていた。


こんなにあっさり魔法陣修正ができるとは思っていなかったようで、事業体勢の本格化を父上と相談すると言って出ていった。ついでに俺の杖の制作についても。

ペシュティーノとしては、俺の杖を作るとなると確実に高級素材が必要になると確信していたので、俺についている予算がかなり上がらないと作れないと思っていたそーだ。

でももうモートアベーゼン改善の見込みが立ったので、父上や公金から巨額の融資を受けても難なく返せる目処が立った。


いろいろなことが動き出しそうだ。



そんな矢先、事件は起きた。


ギンコはブリフのミルクを1日に1樽くらい飲んで、ぐんぐん大きくなっている。1樽ってどういうこと? 多くない?と思っていたが、それもそのはず、成長速度がおかしい。


今は俺から見たら……たぶん大きさは仔牛くらいで、見た目は足のぶっとい仔犬。将来的には馬車くらい大きくなるっていうんだから、まあ成長速度のことは置いといて、このサイズ感はいい。魔獣だし、犬とは違うんだろう。ペシュティーノたちも何も疑問に思ってないみたいだから、きっと普通なんだろう。っていうか、将来馬車くらいの大きさになるって表現は荷台に馬を含んでの話? 含むよな、この成長度。


こんなに大きくなっているのに、目が開いてなかったのが心配の種だった。

ギンコのお世話をしているのはつい最近正式に俺の専属メイドとなったララなんだけど、やたらと俺をギンコに会わせたがるんだ。


「目を開けないのは主ではなく私がお世話しているせいかもしれません」

「日に日に大きくなってますので、次にお会いになったときに驚かれるかもしれません。毎日数分でもいいので会ってあげていただけませんか?」

「最近、飲むミルクの量が減ったのです。主に会えず寂しいのかもしれません」


なんてことを毎日毎日言うものだから、随分とギンコを可愛がってるなと思ってた。


狩猟小屋でギンコを拾ってきてから数週間、西の離宮の中庭にゴージャスな革製のベッドをこさえて2日か3日に1度は撫でに行っていたんだけど。毎日お世話をするララとしてはもうちょっと目をかけてやってほしいと思っていたんだろう。


今日はララとジュンとエグモントと一緒に中庭へ。


中庭へ続くドアを開けると、革のベッドの上でまったりしていたギンコが頭を持ち上げて勢いよく尻尾を振る。ここ最近見慣れた光景だ。


「ギンコー!」

俺がててて、と駆け寄ると、ギンコは大きな体をむくりと起こして牙の生え揃った大きな口をパカッとあけて笑う。


「主!」

「えっ?」

「「ん?」」

「いまのは……」


聞き慣れない女性の声が中庭に響いたので、びっくりして立ち止まる。

ジュンとエグモントはララを見ているが、ララも首を振ってキョロキョロしている。女性の声といえば精霊のアウロラだけど、ジオールとウィオラ以外の精霊はまだヒトに聞こえる肉声を出せない。となると……。


「……まさか、ギンコ?」


「ギンコ! 我が名はギンコ! 主、ミルクはもういい。主の魔力がほしい」


静寂。


「すごい! ギンコ喋れるんだ! 魔力ね、いいよ! あげるー!」


「えっ? ええ!?」

「はあ!? ありえねーだろ、ちょっとまて!」

「ガルムって言葉を喋れる種がいるんですか……」


エグモントとジュンとララが困惑しているのが声でわかる。勢いででっかい仔犬のほっぺをわしわしーっと撫でると、身体からズズッとなにかが抜かれる感覚。あれ、これ安請け合いしちゃダメだったやつ?


(従魔ですから問題ありません。ゲーレは(わきま)えております)

俺の心配を、ウィオラが脳内会話で払拭してくれる。けど結構ズルズル吸われてる気がするよ。


(主はどんだけ吸われてもダーイジョウブ! だって神じゃん☆)

そうだ、俺って魔力量はハンパないんだっけ。

最初の魔法の実習のときも、目眩はないかとか気分は悪くないかとか聞かれたのは、それが魔力が枯渇したときの症状なのだろう。だいぶ吸われてるけど全然平気。


やがてギンコの銀色の毛並みが内側から輝くように光って、ムクムクと膨れ上がる。


「ええええええ」

「……なんっだコレ!!」

「まあ……まあ、まあ、なんてこと!!」


ギンコは離宮の2階に届くほどの、超巨大な銀狼に成長した。

パチリ、と開いた目は金色だ。前足の爪1本だけでも俺のふとももくらいある。


「ギンコ、ちょっと大きくなりすぎ……」

「これでは主に付き従えませんでしょうか。少し加減致します」


ギンコは水に濡れた犬のようにプルプルッと身体を震わせ、ひとまわり小さくなった。

それを何度か繰り返すと、馬車くらいの大きさになった。


「これくらいではいかがでしょう?」

「いや、やっぱりちょっと大きすぎるよ。喋れるんなら使用人ともいしそつーできるし、お家の中でくらしてもいいとおもうんだよね。でもその大きさじゃ……」


「家の中ッ!? 主の寝床に侍る光栄に浴すことが叶うのですか! ではもう少し!」


ギンコは口をパカーと開けて伸びをするような動きを繰り返す。

それを繰り返すと、最終的に俺が知ってる大型犬くらいのサイズになった。


「いいね! いいサイズ! ギンコー!」

「主!」


俺が手を広げると、ギンコがベロベロしながらそっと顔を擦り寄せてくる。飛びつくような真似はしない。だって確実に転んじゃうもんね。転ぶだけならまだしも、こんな巨体にのしかかられたら潰れちゃう。プチッとな。


賢いぞギンコ、さすが喋れるだけある。

シベリアンハスキーだかアラスカンマラミュートだか、とにかく巨大な狼みたいな見た目なのに尻尾が筋肉痛になるんじゃないかってくらいブンブンしてる。かわいい。

ふっかふかの首にぎゅうと抱きついて顔をうずめると、ほんのりいい香りがする。

前世ではこういう大きな犬を飼うの、夢だったなー。


「け……ケイトリヒ様」

呆然としているお付きたちのことを忘れていた。


「あっ、ねえねえ、すごいねゲーレって! 喋れるんだね!」


「ケイトリヒ様、ゲーレであることをご存知だったのですか!?」

「ちょ、ちょっと待て、ガルムが俺に……ゲーレを預けたのか……?」

「やっぱりゲーレですよね! うわあ、すごい。ケイトリヒ様の従魔がゲーレだなんて」


「ギンコ、背中に乗せて!」

「もちろんです主」


ギンコは俺に脇腹をくっつけるように近づくとサッと伏せをしてキラキラした黄金の瞳でみつめてくる。かわいい。


「わあい、うれしいな! おおきな狼に乗るなんて、なんかマンg……物語みたい!」

「主を背に乗せられるとは、光栄の極み。走りましょうか、飛びましょうか」


「ジュンのところまでゆっくり歩いて。飛んだらおっこちちゃうよ」

「そのような失態は致しません。風魔法でお守りいたします」


ギンコはそう言いながらも命令通りたす、たす、とゆっくり歩く。ふわふわの背中はつかまるところがないので首元の毛皮をギュッと握るけど、痛くないかな。


「ギンコ、ここにぎって痛くない?」

「ええ、ちっとも。狼の毛皮は分厚く、丈夫にできているのですよ」


ほほほ、と笑う声は妙齢の女性のようだ。そういえばギンコはメスだっけ。

ジュンの近くに行くと、ギンコは俺が降りやすいようにゆっくり伏せをする。


「ねージュン、言葉が通じる魔獣は四足歩行でも獣人っていうんでしょ? 獣人は従魔じゃなくて、従者だよね!」


ジュンは信じられないものを見る目で呆然としていたけど、ハッと我にかえる。


「そ、そうだな……たしかに魔獣学とかじゃそう習うけどよ。ゲーレっつったら、そもそも魔獣じゃねえ。っつうか喋るのか……そうなんだ……まあそうだよな」


「え、ゲーレは魔獣じゃないの?」

エグモントを見ると、彼もウンウンと頷いている。


「ゲーレは聖獣と言われる伝説の存在ですよ! 書物の中でしか見聞きできない存在だと思っていたのに……ケイトリヒ様の、ラウプフォーゲル王子の従魔になるなんて。これはきっと竜脈の意志です」

エグモントはハッとして膝をつき、深く頭を下げる。どうした。


「改めて、ラウプフォーゲルの希望の星たるケイトリヒ王子殿下に心からの忠誠をお誓い申し上げます。貴方様こそラウプフォーゲルの未来を担う王子殿下です!」


え、そういうのいらないんだけど。


「すまんけど、ララさん。ペシュティーノ様に報告してきてくれねえか? 俺じゃもうわけわからん。エグモントもヘンになったし、中庭に出て仔犬を撫でるだけでまさかこんな事態になるとは思……うわけねーよな! 俺の見通しが甘いとかじゃねーよな!」

ジュンも何故かガッハッハと笑い始めた。どうした。


「……ケイトリヒ王子の側近って、しんどいわー」


ジュン、コッソリ言ったつもりでも聞こえてるよ! もうちょっと包み隠してよ!!



「ギンコが、ゲーレであると? しかも、ヒトの言葉を喋る、ですって?」


新たな頭痛の種でも与えられたかのように、執務机に座っていたペシュティーノが長い指で目元を覆って大きくため息をついて持っていた書類の束をバサリと机の上においた。

お、俺のせいじゃないもん。


ペシュティーノが居たのは本城の領主側近の執務室。さながらオフィスと言ってもいいくらい広い部屋で、周囲はペシュティーノと似た格好をした文官たちが大勢でせわしなく書類仕事をしていて、なんだかパソコンが導入される前の時代の会社みたいな雰囲気だ。

周囲の文官たちは俺の来訪に驚いていたが、みな俺を見るなり眉と目尻を下げて丁寧に挨拶してくれる。可愛い子供って癒やしだよね。


「ペシュ、おしごとちゅう?」

報告していたジュンの足に抱きついたままペシュティーノの方をのぞき込むと、険しい顔が一瞬で笑顔になる。


「ええ、そうです。ここは御館様が領主としてお務めの仕事を補佐する部署です。文官たちの邪魔にならないよう、別のお部屋で話しましょうか」


「ヒメネス卿、申し訳ありませんが王子殿下と離席される前にこの書類を旧ラウプフォーゲル全領と帝都へ5部ずつ送付をお願いします」

「も、申し訳ありません王子殿下。こちらは御館様付の緊急案件ですので先に失礼いたします。ヒメネス卿、この正式回答書を金融組合(ギルド)と農業組合(ギルド)へ」

慌ただしく書類の束をペシュティーノの元へ持ってきた2人の文官が、俺に申し訳無さそうにしながらも遠慮なく仕事を頼む。


「ジュン、あちらの会議室へ王子殿下をお連れになってお待ちなさい」

「は」


ジュンが俺を抱き上げて執務室を横切るように会議室へ向かう。俺と目があった文官はニコリと笑ったり、しばし作業の手を止めてぼんやり見つめたりしてくる。


「あれが第4王子殿下……ヒメネス卿の庇護下にある王子殿下ですか」

「御館様が可愛がるのもわかります、なんと小さくて可愛らしい子でしょう」

「あのお姿は……お可哀そうに、あの小さな体で死に触れられるとは」

「噂では大変賢いとか。せめてもう少し身体が大きければ他の王子殿下に引けを取らない存在になり得るものを」

「さすがにあれほど赤子のように小さくては……ヒメネス卿も貧乏くじを引きましたな」


音選(トーンズィーヴ)で聞いたコソコソ話は、またもや概ね「可哀想な子」扱いだった。

俺ってそんな可哀想なの? 可愛いじゃなくて? まあ俺については何とでも言えばいい。ただ、俺の教育係であることでペシュティーノの評価が下がるのは嫌だな。

なんだか気分が悪い。


むっつりした俺を抱っこしたままジュンがソファーに座り、エグモントが興味深そうに室内を見回していると、こころなしか顔色の悪いペシュティーノがやってきた。俺を見つけると虚ろだった表情をすぐにニッコリと笑顔に変えて、手を伸ばしてくる。


高い高いでもするように高く抱き上げると、そのまま俺の腹に顔を埋めるようにギュッと抱きしめられた。俺はなんとなくペシュティーノの頭を抱えるように抱きしめ返す。


「すーーー……」


あ。俺、吸われてる? ペシュティーノに吸われてる。


「ふー……ああ、ギンコの話でしたね」


「ペシュ、いま僕のこと吸った?」

「はい? ああ、ええそうですね、ケイトリヒ様からはまだどこか赤子のいい匂いがしますから、嗅ぐと仕事の疲れを癒やしてくれます。ふふ、これで午後も頑張れそうです」


俺、アロマ? 笑顔で肯定されると何も言えない。


「それで、ギンコが喋れるという話でしたね。ケイトリヒ様が仰るとおり人語を解し、なおかつ人語を喋るとなると、聖獣の件はさておいて獣人の類と判断して差し支えないでしょう。帝国、さらに旧ラウプフォーゲル地域では比較的、獣人差別が穏やかです」


そこで言葉を区切って、ペシュティーノは俺のふわふわの髪に鼻先をずぶっと差し入れて再び吸う。俺、めっちゃ吸われてる。今まで気づかなかったけど、抱っこのときって結構吸われてた? 意識すると気になっちゃうじゃんか。


「ゲーレの件は、我々が騒ぎ立てずガルムだと言い張ればよろしいでしょう。なにせゲーレは今まで誰も見たことがないのですから。身体も小さくなったということであれば、金色の瞳をしているからといって即ちゲーレとして扱われることもないでしょう」


ペシュティーノは俺をゆさゆさ揺さぶって、にっこりと笑いかける。

俺もお返しとばかりにペシュティーノのサラサラの髪に鼻先をつっこんでスンスンする。

いい匂い。男臭くないのに、女性っぽくもない。いわゆるユニセックスって匂い?


「御館様には私から報告しておきましょう。中庭のベッドを撤去し、部屋を用意してあげてください。給金の必要ない護衛が一人増えたと思いましょう。……給金は、要求してきませんよね?」


ペシュティーノが俺に聞いてくるけど、しらん。

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