第2部_2章_163話_帝国東部地域 1
「アイスラー公国を、平定、ですか? 制圧ではなく?」
スタンリーがほぼ無表情で放った言葉に、俺もやや困惑。
船旅の途中でアイスラー公国と一戦交える可能性があることは側近の間でも懸念として上がっていたこと。
しかし、あの国の戦力は原始人並であることはもう公然の事実ですからネー。
魔導兵器を備えたこの船と空を自由に飛び回る魔導騎士隊、そして俺の超破壊的魔導があれば、スタンリーの言うとおり交戦というより制圧が正しい。
「んー、もしも、もしも襲ってきたらね? この大型船を見てアイスラーの武力で襲ってくるなんて、正直バカなんだけど、アイスラーだとわかんないでしょ」
「あの国にはバカしかいませんからね」
これが悪口じゃなくて事実ってところがまた悲しい。
アイスラー公国には「賢くなると力が衰える」という謎の信念がある。よりバカでより強いやつが偉くなるのだ。そんな国、手がつけられない。
「それで、ついでに上層部を殲滅して国を手に入れようということですよね」
「いやせんめつはしないよ!? たぶん……」
スタンリーは生まれだけでいえばアイスラー公国の王子だ。
公国の王であるバルウィン・フレッツベルグの息子。よりバカで強いやつが偉いという思想のなか、賢かったスタンリーは家族からもひどい扱いを受けていたそう。
……詳しく聞くと殲滅したくなっちゃうだろうから、あえて聞いてない。
とにかく、俺が聞いたら泣いてしまうだろうとペシュティーノが心配するくらいにひどい扱いだったということだけ聞いた。
「それは残念です。アイスラー公国の扱いについて、私に気兼ねは不要です。公を討ち取った後に後継者が必要ということであれば、名目だけは受け継いでも構いません」
「あ、そういう手があったか」
船内の貨物室に厳重に保管されている城馬車からファッシュ分寮に入った俺とスタンリーとペシュティーノは、広間に置かれたソファセットでまったり相談。
ペシュティーノの予想どおり、スタンリーにはアイスラーへの思い入れはゼロどころではなくマイナス。
「……たしかに、公とその親族を殲滅すれば自動的にスタンリーが公爵位を継ぐことになりますね。まあ、アイスラーでは血統主義と実力主義が半々だと聞いております。血筋としても実力でも、スタンリーであれば簡単に掌握できます」
「せ、せんめつはしないから……」
ペシュティーノが言うと、スタンリーは微妙に耳を赤くしている。
実力を認められて嬉しいんだろうなあ。俺が褒めても受け流すのに、ペシュティーノから褒められるとどうしても照れ照れするスタンリーかわいい。
俺の褒め言葉にも照れてほしい。ペシュティーノがうらやましいぞ!
「支配者一族の掃討。それだけで国が手に入るなら、最も犠牲としては少なく済むでしょう。それだけであれば、私が単身で遂行しますよ」
「た、たんしん!?」
「ケイトリヒ様、この件についてはスタンリーの案が最も合理的で成功率も高いです。ご心配であれば魔導騎士隊を4、5人つけても良いでしょう」
うーん、そんな片手間に国を手に入れていいものか悩ましい。
単純に支配するだけならたしかにスタンリー単身でことたりるけど、その後の国家運営となると簡単にはいかない。支配するだけしてろくに政治をしなければ、公国の民から恨まれないとも限らない。
「……ちちうえとそうだんする」
「それがよろしいでしょう」
アイスラー公国はいつ攻めてもいいぞみたいなこと言ってたけど、ホントに手に入っちゃったら責任が発生するもんね。
せいじのはなしはパパにそーだんだー。丸投げとも言う!
さて、最初の寄港地、ヴァッサーファル領への寄港は一瞬で終わった。
クラーケンの肉を売りさばいて野菜や水を手に入れただけで、本当に2時間ほどで出港したそうだ。
港には俺の寄港を聞きつけた領主が出迎えに来ていたそうだけど、俺が昼寝してる間にコトは終わっていた。すまん、ヴァッサーファル領主。
申し訳ないのでお手紙書いて転送陣で送ったところ、喜んでくれたみたい。
俺の直筆文書は貴族の間ではキチョーなのだ。なにせ子どもだからね!
ヴァッサーファルは鉄道の内陸線の建設に全面的に協力してもらってる領なので見ておきたかったけど、逆にチラ見だけでは済まなそうってとこもあるので、訪問は改めて。
こうなると同じ状況のウンディーネ領には上陸しちゃうと差をつけちゃうことになるから面倒だなー、と思っていたらペシュティーノから同じことを言われた。
「まさかこれほどまでに補給が迅速に終わるとは思っておりませんでした。寄港先によって滞在時間に差が出ないとよいのですが、こればかりはわかりませんね」
今回急いで港を出たのは、背後に嵐が迫っていたからだそう。
お天気が理由となるとヴァッサーファル領主も何も言えないよね。
次の寄港先、ゼーレメーア領は帝国東部の「極貧領」といわれる3領のなかでは、人口は少ないけど産業があるので裕福なほう。初期投資が低めで利益率が高い魔道具開発を手掛けたはいいけど、優秀な人材はどうしても中央に流れてしまってなかなか領の発展を引っ張ってくれるような産業とならず苦戦していると聞いている。
ゾーヤボーネ領主令息とのお茶会で出会ったディーデリヒの故郷だ。
「ディーいるかな」
「彼はゼーレメーアではなく鳥の巣街にいますよ」
魔導学院で様々な領の生徒と仲良くなったはいいけど、優秀な人材と認めた人物をかたっぱしから懐に囲いまくってるせいで、旅先で会える人物がいない。ちょっと寂しい。
そしてマリーネシュタットの軍港を出発してからはや一週間、最初のワクワクはすっかり干からびて船の上はタイクツのキワミ!!
ドラッケリュッヘン大陸について予習すべきことはほぼ終わったし、見渡す景色は海ばかり。つまらん!
船員たちは、暇な時間は釣りやカードゲームをしてる。
トランプっぽいものがこの世界にもあった。
船員は「カルテ」って呼んでる。ドイツ語で「カード」の意味だ。
紙が高いこの世界では、薄く削り出した木板をカード代わりに使ってるみたい。
潮にあてられてだいぶ変色しているせいで書いてあるマークが見えにくい。そのせいで裏か表かもわかりづらい、さらに分厚いのですごく扱いにくそう。
マークは2種類で15までの数字が書かれている。30枚の簡易トランプだ。
「レオ、トランプつくろ」
「いいですね。実は共和国にはトランプっぽいものはありましたよ。多分、異世界人が考案したんでしょうね」
魚釣りをする船員の横、釣れた魚を丁寧に観察したうえで三枚おろしにしているレオをぼんやり見ながら言うとレオも乗り気。この世界では娯楽が少ないから、ギャンブルもひとつの娯楽だ。
「トランプのデザインは基本4属性のマークにしてはどうですか」
「それいいね」
木箱の上にだらしなく座る俺の横で、日除けとなるタープを支えていたガノがカネの匂いを嗅ぎ取ってピクリと反応した。さすが目ざとい。
「新商品の案ですか? しかも、カルテの代わりとなる? カルテンシュピールの新商品となると貴族の間でもきっと人気が出ますよ」
カルテンシュピールってのは英訳するとカードゲーム、って意味のドイツ語。まあこの世界では古代語だ。一応、遊戯用のカードというのはたくさんあるみたいだけど、どれも薄い木板が一般的なんだって。まあつまり、扱いにくいし割れやすいし、ささくれなんかがあれば手に刺さるので不人気。
一部のギャンブル好きの間では人気らしい。
「いんさつした紙をプラスチックで保護して……デザインは、フォーゲル商会の絵描きに頼んで、シンプルで見やすいデザインに」
「貴族用に芸術性の高い豪華なものと、平民用のシンプルで安いものを作ればどちらにもウケそうですよね。単純なゲームなら平民でも十分楽しめますし。ケイトリヒ様のお立場があれば、大会でも主催すればきっと一気に広がりますよ」
ゼーレメーア領での寄港までのあいだ、俺とガノとレオで平民用と貴族用の2パターンのトランプのデザインと設計図を書き上げた。途中からパトリックが加入して俺の走り書きを少し追記するかたちで肉付けされた。
ジャックとクイーンとキングについては、この世界では微妙に政治的に見えてしまうのであえて「主精霊」「大精霊」「精霊王」に変更。
一応、4属性はカル、キュア、アウロラ、バジラットをデフォルメしてる。ウィオラとジオールは、ジョーカーで。
ジョーカーって2枚あると、どっちかひとつ御蔵入りするよね。
どっちが予備カードになるかはユーザー次第ってことで。
2日でデザインと製品の要件をまとめあげてフォーゲル商会に送ると手工業部門長のオリバー・ボーデンシャッツがノリノリの返事をくれた。
すぐにサンプルを作るって。平民用は、可能な限り販売価格を抑えてほしいという件も全面的に賛成してくれた。
もつべきものはデキる商会だな〜なんて言ってると、レオが「そんなもの持てるの公爵令息だけですからね」と呆れてた。たしかに〜!!
というか、トランプができるならその他のカード系ゲームや、トレーディングカードなんかもできそう。……まあこのへんはおいおい。
寄港が明日となった日の夜、なんかすごい叫び声が聞こえて目が覚めた。ケンカかとおもったけど、たくさんの野太い男の声が、遠吠えみたいに……叫ぶと言うより、吠えてる。
「な、なに」
「ゴーストがでたそうです」
ハンモックに仰向けのペシュティーノの胸の上でピョコンと顔を上げる。
眠そうなペシュティーノが優しく頭から背中をなでるけど、すっかり目が覚めちゃった。
「え!! ゴーストって、ゆうれい!? いるの!? ほんもの!?」
「そうですよ、ゴーストは幽霊です。いますよ、外にたくさん。ご覧になりますか?」
「やだやだやだこわい!!」
「怖くないですよ、船乗りたちが怒声を上げれば散る程度です」
あそういう!? あれは悪霊退散的な叫び!?
「叫ぶと散るの?」
「厳密には声に反応しているわけではない、という研究もありますが……まあとにかく勢いのいい声や気合などで霧散しますね」
よわっ!
「じゃあヒトやモノにとりついたり、悪さをすることはないの?」
「そういうものは悪霊と呼ばれて駆除の対象になります。無害なゴーストでも大量に発生している場合、集まって悪霊になることもあるので散らしておくのが正しい対処法なのですよ」
やっぱそういうのいるんだ!
「悪霊のくじょってどうするの」
「専門の者もおりますが、魔導師までいかなくともある程度魔力のある冒険者であれば依頼を請け負うこともあるそうですよ。たしか専門の魔法があったかと思いますが……ケイトリヒ様はゴーストが怖いのですか?」
「なんか説明聞いてたらこわくなくなってきた」
「それはよかったです」
幽霊の怖さって、正体不明でどこにいるか定かでなく、なにするかわかんないってとこだったのかもしれない。
この世界では普通に幽霊という存在があって、それを駆除する手段も確立されてる。
そうなると、魔獣と大差ない。
「みてみたい」
「……子どもは影響されることがあるのであまり近づけないようにと言われていますが、ケイトリヒ様であれば問題なさそうですね」
「えなにそれやっぱこわい!」
「自我が未熟なものや心が弱っているものはゴーストへの耐性が低いのですよ。ケイトリヒ様は違うでしょう? しかし怖いのならやめておきましょう」
やっぱり幽霊って精神に関係する存在なんだ。
ウィオラによると、この世界では幽霊と精霊ってあんまり厳密な区分がないらしい。
ざっくり分けるなら自然にフワッと湧くのが精霊で、ヒトや魔物の心から発生するのが幽霊だそうだ。それけっこー重要じゃない?と俺は思うけど、精霊からすると大した差じゃないらしい。いまだに精霊のことはよくわからない……。
とりあえずゴーストは海の上じゃなくても多分これからしょっちゅう出会うだろうってハナシ。じゃあいまじゃなくていいか。
恐怖も棚上げできる子どもです。
翌日、ゼーレメーア領の港町に着いた。……けど。
「ものっすごい寂れてるね」
「この港はこの先の主要港を補佐する副港なので、見どころは特にないですよ」
甲板の手すりから身を乗り出す俺を、後ろからスタンリーが抱っこ。
この港は荷下ろしをせず、この先の航路へ進む船のための補給所なので作業員と荷物があるだけで街らしいものはない。つまんなーい。
せっかく寄港に向けて朝からおめめランランで甲板待機してたのにがっかりだよ。
船首にぽてぽて移動すると、誰かの忘れ物の釣具があったのでなんとなく釣り。
ボーッとしてるとなにやら遠くで騒がしい声。
……昼間でもゴーストって出るのかな? あとでペシュティーノに聞こ。
「ケイトリヒ様、ゼーレメーア領主がご挨拶したいと港にいらしています」
「え! こんな寂れた港に、領主さまが?」
オリンピオが呼びに来てくれたんだけど、つい口に出ちゃった。「寂れた、なんて領主様の前では言わないでくださいね」とちゃんと叱られた。すんません。
巨大な豪華客船級の船は小さな港では舷梯がかなり下の方からしか伸ばせないので、ペシュティーノに抱っこされて階段をいっぱい降りて、下船。
船から出たところでギンコの背中にのせられる。
ギンコの背に乗る姿は一番かっこいいんだけど、階段降りるのは苦手なんだよね。
背中がだいぶナナメになるからズリ落ちちゃう。
「ラウプフォーゲル公爵令息、ケイトリヒ殿下にご挨拶申し上げます。ゼーレメーア領にようこそお越しくださいました。ゼーレメーア領主ガイス伯爵エメリヒ・プロプスト、そして聖教帝国南部筆頭司教リカエルが心より歓迎申し上げます」
ゼーレメーア領主は、みため20代くらいにみえる若い男性だ。
長い髪をゆったりうしろでまとめていて、領主と聞かなければ吟遊詩人っぽい。
この世界にいるのか見たこと無いけど。
「りかえる?」
「私の洗礼名です。ゼーレメーア領主は、帝国南部の聖教をとりまとめる筆頭司教を代々兼ねているのでございます」
「せいきょうの、しきょうさま」
俺がポカンと復唱すると、ゼーレメーア領主はふにゃりと笑った。
「殿下は司教よりも尊いラウプフォーゲルの星にして帝国の昇れる太陽。聖職者に様付けは必要ありませんよ」
「で、でもりょうしゅさまでもありますし」
ゆったりと座った領主が、俺に向かってそっと両手を重ねて差し出してきた。
なんか初めてみる姿勢。なんかくれってこと? どうすればいいのこれ。
ちょっと不安になってキョロキョロするけど、側近たちもよくわからない作法みたいでお互いを見てる。
パッと目についたのはゼーレメーア領主の側近の女性。
俺に向かって必死に、片手を置くような仕草をしている。……手を出せってこと? 出していいの? なんかへんな仲になったりしない?
ゼーレメーア領は今やヴァッサーファル領やウンディーネ領と同じく、旧ラウプフォーゲル準所属といってもいい。中立領とは名ばかりで、完全にラウプフォーゲル寄りの領。
まあ、滅多なことはしないだろう……と女性のするとおりにしてみた。
領主の重ねた両手の上に、ぺちょっと俺のましゅまろハンドを置く。
すると、領主はそっとそれをつつみこんで恭しく額を寄せた。
「我々、ゼーレメーアの民は帝国の昇れる太陽、ケイトリヒ・アルブレヒト・ファッシュ様に曇りなき忠誠をお誓い申し上げます。その証として、ここに祝詞を捧げましょう」
いきなり忠誠誓われた! ちょっとまって!
「がっガイス伯爵カッカ、それはちょっとまって」
「殿下、私のことはエメリヒとお呼びください。未熟な私でもしかと感じ取れます、精霊様の比類なき庇護が。殿下こそが聖教の祖であり、また帝国を導く王にして主。どうか私の忠誠がその御心に届きますことを心より願い申し上げます」
過去イチ陶酔してくるヒトが突然現れた!!!
こわい!
「まだはやい! まだはやいです! 皇帝になったらよろこんでその忠誠をうけいれますんで、今はまだ王子としてあつかって!」
うっとりしていたエメリヒが「あ」みたいな顔で止まった。
彼の後ろでソワソワしてた側近たちが、俺に向かって「救世主……!」みたいな目で見てくるし、ものすごい光速で頷いてる。俺に仕草を教えてくれた女性だけが少し残念そう。
これどう考えても領主の暴走だよね! そうだよね!! あと側近の女性! キミは領主の行動を助長してるね!? 覚えたかんな!
今現在もしっかり皇帝陛下が健在でらっしゃる今、領主が勝手に次の皇帝に忠誠誓っちゃだめだよね!?
「ああ、王子殿下は年若いながら思慮深くとても謙虚で冷静でいらっしゃる、まさに王の資質!! 不肖エメリヒ、早計に忠誠を捧げたことをお詫び申し上げます……!」
めっちゃウットリした顔で俺を称賛しながら反省してる。ちゃんと反省して!?
いきなり陶酔されてすごいびっくりするわー!
淡々として見えたゼーレメーア領主だけど、俺が触れたとたんなんか目の色が変わった気がする。何かを察した? 精霊の庇護を感じたってホント?
チラリとウィオラとジオールの方をみるけど、すっごいボーッとしてる。
ねえ精霊?
しかし、ゼーレメーア領主が帝国の聖教を牛耳っていることは今日初めて知った。
聖教と関わることは今後もあるだろうから、ここらで仲良くなっておくのもアリっちゃーアリなんだけど……エメリヒ、陶酔が過ぎる。
「ケイトリヒ王子殿下にご報告申し上げます。ただいまヨゼフィーネロミルダの観測士が今夜は大時化になると。王子殿下のご予定に差し支えなければ、一晩停泊したいと申しております」
「おお、なんということでしょう! 私の祈りが精霊様に届いたのですね! 王子殿下、ぜひ我が領に一泊だけでもご滞在ください! 腕によりをかけて歓迎の宴をご用意いたします!」
「うたげ」
イラネー。と思ったのが声に現れてしまったのか、エメリヒは慌てて「自慢の郷土料理をご賞味いただけるようすぐに手配します!」と言い換えた。
郷土料理か! それは食べたいぞ!
チラリとペシュティーノを見るけど、スンとしたまま俺を見つめ返すだけ。
……俺が決めろってことね。
「アウロラ、どうおもう!」
俺の頭からシュポンと黄緑色のふとっちょ小鳥が飛び出して、くるくると回る。
「はいはーい! えっとねえ、ムリヤリ風を吹かすこともできなくもないけどぉ、あまり強引なことしちゃうと歪がでちゃうんだよね。だからなるべく天候は変えないほうがいいかなー」
「キュアは」
同じくシュポンと飛び出した水の金魚が、ぷやぷや浮かんでぺちょりと俺の肩にとまる。
ちょっとつめたい。
「海流もまた風に同じ。大時化は船乗りにとっては害しかないものでも、海に棲まうモノにとっては恵みとなることもございます。時を待ち、やり過ごすことを提案申し上げます」
「うむ」
聖教は精霊を敬うというハナシを聞いているので、ちょっとドヤッて精霊を出してみた。
案の定、エメリヒを始めとした聖職者らしき人々が跪いて両手を組み、神聖なものを見る目。めっちゃキラキラしてる。
「では、停泊のじゅんびを! 出港は、風が吹き次第!」
「承知しました。オリンピオ、魔導騎士隊に伝達を。ガノ、領との調整を。ジュン、王子の身辺警護についてすり合わせを。パトリック、王子の寝所の手配を。そして……」
ペシュティーノが次々と側近に命令を下す中、困惑気味にフリーズした。
スタンリーは俺とニコイチなのでよしとして、パトリックの横にいたのは……。
「あれ、シャルル。いたの?」
「ええ、先ほど合流しました。ゼーレメーア領に一泊するのですね? 私は旅程の状況を皇帝陛下とラウプフォーゲル公爵閣下にご報告いたしますね」
シャルルは今回の旅の一団のなかで、最も転移魔法陣を活用しまくってる。
帝都とラウプフォーゲル城下町と無条件で往来できる転移魔法陣を一番喜んだのはシャルル、ってくらいだ。
「あ……こ、これは魔術省副大臣、シャルル様」
「今はケイトリヒ殿下の側近ですので、敬称は不要ですよ」
エメリヒはシャルルの存在を認めてギョッとした。
まあそうだよね。シャルルは皇帝陛下のお目付け役みたいなもんだ。
「領主閣下のご挨拶については、私個人としては正当なものと考えますので皇帝陛下に報告したりしませんよ。ご安心ください」
シャルルが言うと、エメリヒは明らかにホッとした。
けっこー危ない橋わたってましたからね?
エメリヒは側近たちに何事か指示をすると、側近たちが散り散りに去っていった。
残ったのは数人の護衛と二人の側近だけ。領主としてはちょっと大丈夫?って人数。
「殿下、よろしければ私がゼーレメーア領をご案内いたします。領の首都はここから早馬で2日ほどの距離ですので訪問は難しいでしょう。隣の港町で歓迎の宴をご用意しますので、それまでのあいだご一緒に……」
エメリヒが目を輝かせて一歩前に出るけど、このヒトとずっと一緒はちょっとイヤだな。
でもこれも社交だし……。
「えーと。じゃあ、おねがいします。でもここは副港だときいたのですけど」
「はい、距離としては半リンゲも離れておりませんので、西の主要港イェレーにご案内します。そこであれば、ゼーレメーア名物料理もたくさんございますのでお楽しみいただけるかと存じます」
ペシュティーノも一緒だけど、最近は俺の自立を促すためか求められない限りは助け舟を出さないように決めたらしい。チラチラ表情を盗み見てもすごいスンとしてる。
くそう。でもこれも王子として自立する一歩なんですね! 難しい判断を迫られたときはしょうがないから聞くけども!
「ゼーレメーア名物料理ってなにがあるんですか?」
「そうですね、子どもに人気なのはゴーストぺぺでしょうか。ふわふわした、甘い焼き菓子です。食事ですとやはり海産物ですね。ゼーレメーアの近海でしか採れない海藻を使った料理は肌にいいと聞いております」
ゴーストぺぺって、名前がどうなの。しかし肌にいい……海藻!? まさか!
「あっ! レオ、レオをよんで!」
「ただいま」
少し離れた場所にいた魔導騎士隊が俺の声に反応してサッと走り去る。
「たしか殿下のお抱えの、異世界人料理人でしたか? 彼の料理はここゼーレメーアにも評判が届いております。聞くところによると、異世界では海産物の料理が人気だったと」
「そーなんです! レオから美味しい海藻料理を聞いているので、海藻と聞いてきっとレオがまた美味しいものをつくってくれるんじゃないかとおもっておりまして!」
やってきたレオは、領主であるエメリヒに上品にご挨拶したけど明らかに興奮状態。
「ここには……アレがあるかもしれません」
「アレ、ですね!」
俺とレオが目配せしてニンマリしていると、エメリヒがそれを見て嬉しそうに「殿下は側近とも異世界人とも、仲がよろしいのですね」と笑っている。
そう、アレがあるとないのとでは大違いなのだよ。
黒いパリパリのアレ。おにぎりに欠かせないアレ。再現上手のレオでも未だに近しいものを作れていない、アレ。
そう焼海苔!
海苔を求めて、いざゼーレメーアの港町へ!