第2部_1章_0145話_懐柔上手な王子様 1
入学から1ヶ月の5月。
ついに、事件はおきた。
そういうわけで、俺はいま絶賛おちこみ中。
年若い少年を一時の過ちで手打ちにしてしまったのは、本当に気分が悪いできごとだ。
だからといって手にかけたジュンを責めるつもりはない。
少々過激だったとしても、側近としての勤めを果たしたジュンに落ち度はないんだから。
「御髪のコサージュに水マユのレースを合わせるのは、すこし少女的過ぎましたわね」
「コサージュではなくこちらの髪飾りにしてはいかがでしょう?」
おちこみ中のなかディアナのフィッティングをしていたんだが、聞き捨てならない言葉にハッと意識が戻る。
「しょうじょてき!? 髪飾りもいっしょじゃない?」
「こちらはフォーゲル商会が成人男性のあいだで流行らせようとしている髪飾りです。家紋が刻まれておりますので少女には不向きのモチーフですわ」
貴族の女性は結婚して「この家で一生ずっと生きていくわ!」という決意のもとでないと家紋を身につけることはあまりない。
未婚であったり、家名に縛られず自由に生きたい女性は避けるらしい。
逆に女性が積極的に家紋を身に着けてくれるということは、夫や家門が愛されている証拠として「すげー」みたいに思われる。ゲイリー伯父上がそんなかんじらしい。すげー。
鏡を見ると、ヘアバンド状になったその髪飾りは2センチほどのメタルプレートに繊細な透かし彫りがほどこされ、片側には金属のプレートが輝いている。
まあるいおでこ丸出し。オールバックとはまたちがう、謎の「ウェイ感」ある。
俺の偏見かもしれないけど……。
「まあっ! 凛々しいですわ!」
「ミスリル製ですから、白い御髪にも合いますわね」
髪にちょいちょいと手を加えてくるお針子のアンをぼんやりながめる。
「……ケイトリヒ様、その、あまり王国の生徒のことはお気に病まれませんよう」
俺の表情を見て、アンがついにその件に触れた。努めて明るく振る舞っていた他のお針子もメイドたちも困惑したように顔を見合わせ、労しげに俺を抱きしめてくる。
そんなにわかりやすい表情だったかなあ。
「でもさあ、死んじゃったらおわりだよ。かわいそうだよ」
「殿下、令息の命を奪ったのはジュンではありません。分相応の教育を施さなかった親、あるいは教育係の責任です。聞けばアーサー様から事が起こることはすでに予見されてたという話ではありませんか」
「そうですわ、殿下! ご側近の皆様は、彼らに再三警告したと聞いております。御館様からも正式に王国貴族に抗議されたという話ですわ」
父上からの抗議……王国貴族にとっては処刑宣告と同じだ。
事件から一週間、王国から届いた新聞を見る気にはなれなかった。
「うん、あたまではわかってる。仕方のないことだった、と、思う。それはわかるんだけど……16歳の子どもが……と思うと、どうしてもきぶんが」
「殿下、16歳は子どもではなく成人ですわよ」
「分別のある年齢です。親や教育係の責任とも一概には言えない年齢ですわ」
「まあ、16歳でしたの? では責任は本人にあると言わざるを得ませんわね」
アンもカンナもミーナも冷たい。いや、それがこの世界の常識なのだから、冷たいと思う俺のほうが「甘い」んだろう。
「第一、王国貴族が失って困る令息を帝国に送り込んできているとは思えませんもの。あちらは血統主義が根強く残っていますからね、いつ斬り捨ててもいい問題のある子息が選ばれてるはずです。矯正されればよし、そうでなければ落ちこぼれてもらえば家督相続に関するいざこざは解決ですわ」
ララがおっとりした声でニコニコしながら言う。
発言と表情がマッチしておりませんが!
「王国ではありがちな話ですわ。北方人は常に食糧難という大きな問題を抱えてきた民族ですから、親は産んだ子を選り好みするんです。どの子により多く食べ物を与えるべきか選ばなければならない……そう考えると、哀れな民族ですわ」
落ち込んだ気分が、さらに沈んだ。えぐれた。地面えぐれた。
いくら成人してたって、親からしたら失ってもいい子どもなんているはずない。
でも、それはこの世界じゃ常識ではない……。
口にしたとして共感してもらえないと思うと、なんだかもっと気分が落ちそうなので不満げに黙るしかなかった。そんな俺を見てミーナが慰めるように撫で回して抱き上げるのでつい俺もふにゃふにゃと甘えてしまった。
「ケイトリヒ様はお優しい心をお持ちですわね……願わくば、これから先は他国の不躾な子の命ごときに一喜一憂させられることがございませんように、天地とあまねく精霊様にお祈りいたしますわ」
ミーナが言うと、頭からふわりと精霊が出た気配。
たぶん祈る先はキミたちじゃないとおもう。
「あ……ケイトリヒ様にはすでに精霊様がいらっしゃいましたね」
「ちょっと難しい願いだナ〜」
「お耳に入れない、というだけでよろしければなんとか……」
「ジオールもウィオラも、なにもしなくていいから! ミーナのはちょっとした定型文みたいなものだよたぶん」
ギュッとミーナにすがりつくと、精霊たちの気配が消えた。
はあ、次の登校が憂鬱になるなんてこの世界では初めてだよ。
次の朝。
「ケイトリヒ、王国の新聞が届いたみたいだけど読んだかい? 例の事件で、随分と王国貴族が叩かれてるみたいだよ」
「え」
読みたくないと思っていた新聞の話をアロイジウスが突然切り出してきたので、耳をふさぐこともできなかった。
「手打ちになった、って噂は一瞬で広まったけどよ、何をしたんだ?」
「ケイトリヒを面と向かって侮辱したと聞いているけど」
「俺は手を出そうとしたって聞いたぞ?」
「僕は側近にケンカを売ったみたいな話を聞いたけど……」
「あえーと、それぜんぶです」
俺が言うと、兄上たちもルキアも閉口した。
「ぜ、全部?」
「一度に?」
「いえ、1度めがあって、2度めがあって、3度めで手打ちです」
王国の彼らと俺は授業が全くかぶってない。
彼らは、俺がファッシュ分寮からインペリウム特別寮を通って授業に行くのを見計らってわざわざ後をつけてきて絡んできたのだ。
1度めはジュンとガノの護衛のときに難癖をつけてきて、ジュンがちょっぴり手荒に追い払った。
2度めは数日後、1度めの側近の態度を引き合いに出して「ラウプフォーゲルは横暴だ」なんてことをニヤニヤしながら声高に叫んだ。周囲の生徒はギョッとしてたけど。
そして3度めは、さすがに実際に俺に手をだしたわけではないのだが、調子づいた彼らが俺にむかって「あんなチビ本気出せば簡単に痛めつけられる」みたいなことを口にしたもんだからジュンがいい加減キレた、って流れだ。ジュンの殺気を読んだスタンリーがとっさに俺を抱きしめて視界を奪ったので、血は見てない。
「僕が1度めでキゼンとした態度を取らなかったのがわるかったんです。1度めにジュンが2、3個所ほど骨を折ってやろうかとゆってくれたのに、僕がゆるさなかったから」
「馬鹿を付け上がらせると面倒になる、っつーことが学べて、良かったじゃねーか」
「入学式のときの、ケイトリヒのあの威圧を知ってもまだ調子に乗れたという頭の軽さが僕には信じられないよ」
「新聞には、無礼を働いた令息の家門はまだラウプフォーゲルの王子に謝辞を送っていない、と手ひどく非難されてるみたいだけど、実際はどうなんだい?」
「中央のがいむぶを通じて謝辞はきのう、とどきましたよ。父上が抗議したあとだったみたいですけど」
「それじゃあ効果は半分以下だ。本来、真っ先にするべきだろ。王国は違うのか?」
「いえ、同感です。しかしそういうことができるようなマトモな家門であれば王家も取り扱いに苦労しなかったと思います。王国側の見解としても新聞にあるとおり、殿下が非常識な貴族に面倒をかけられたということになります。同郷のものとして、深くお詫び申し上げます」
アーサー、ビミョーにほんわか毒舌。
「ううん、アーサーは悪くないよ。だって事前にちゃんと忠告してくれてたもん。それを聞かずにゆるしたのは僕の責任だよ。こうなったのは、僕が2度もゆるしたせい……」
「ケイトリヒ、寛容さは美徳だけれど、獣のような愚か者には通じない。それがわかっただけ、よかったとしようじゃないか」
アロイジウスがさっきのジリアンと似たようなことを言う。
そう割り切れればいいんだけどね。
「最初の授業、はやいからもういきますね。ごちそうさま」
「……ケイトリヒ。少し、残し過ぎじゃないか?」
俺の皿を見て、エーヴィッツが声をかけてくる。
朝食はバイキング形式なんだけど、エーヴィッツは最初からチラチラと俺の皿を気にしていた。
「お、お腹が空いたらおかしをたべるので大丈夫です! いってきまーす!」
俺がそそくさと食堂をあとにすると、背後には微妙な空気が漂っているのが見なくてもわかった。
アクエウォーテルネ寮の建築学の授業が早いのは本当だ。
「建築学:魔法陣」については1年生のときに修了していて、3年生では「設計」と「建材」について学ぶ。
俺はディングフェルガー先生の影響で魔法陣に関係する授業をすべて先に取ったせいで入れ替わっちゃったけど、普通の生徒は順番が逆らしい。
「設計」についてはクラレンツのほうがすでにちょっと俺より授業が進んでるので、今日は一緒じゃない。
アクエウォーテルネ寮の生徒は、俺が教室に現れるとパッと顔をほころばせて側近を刺激しない程度に集まってくる。
「殿下、鳥の巣街の建築についてお尋ねしたいんですがお時間頂けませんか!?」
「小鳥のおめかし部屋のデザインについてお聞きしたいのですが……」
「殿下! ゴゴ・バウザンカリの設計書をご覧になったことは!?」
「鳥の巣街の基底部の建材について……」
「殿下、公共放送で見た魔導騎士隊の宿舎ですが……」
先日、生徒を手打ちにしたはずのジュンがいるにも関わらず、まったく怯まず建築系の質問をめっちゃ濃厚に投げかけてくる。
これがアクエウォーテルネ寮の通常運転だ。
「おい、あまり近づくな、囲むな!」
ジュンがめんどくさそうに言うと、生徒たちは「あっすみません」といいながらも散らない。ジリジリと離れて、「これくらいの距離ならいいですか?」とか言ってる。
オタクつよい。
珍しくウィオラが護衛に付きたいというので、今日はジュンとウィオラ。
ちなみにウィオラはにじりよる生徒たちに対して何も言わない。
ウィオラは精神を司る精霊なので、悪意を持っていないことはわかってるんだろう。
やがて授業が始まると、現れた先生も鳥の巣街の話ばかり。
それだけ建築学にとって鳥の巣街の存在は革新的だったようだ。
正直、設計者も建築者も精霊だからね。しゃーない。一応、表面上はシャルルが引き込んだハイエルフの設計士が設計した、っていうテイにはなってるけど。
一応、建築学では授業のたびに生徒たちに配る教本があるのだがそっちのけだ。
「教本の44ページを開いてください……あー、これね! このバセロニア手法のアーチね、これが最善にして最高の形だと思っていましたが鳥の巣街にも少しアレンジされて取り入れられていましたね、この、この柱の部分をあえて湾曲させることで高い負荷を分散させ、上層部の重みを支える下層部の陸橋に……」
教本を開いたと思ったらものすごい自然に鳥の巣街の話にシフトした。いかに計算高く完璧に設計されているかを熱く語ってくれる。
この先生、生徒たち以上に建築オタクだ。
ま、アクエウォーテルネ寮ではだいたいみんな性質がアヒム。アヒムがいっぱい。
頬を紅潮させて興奮気味に建築を語る先生のおかげで、なんか沈んでた気分がアガった気がする。だってお腹空いてきたもんな。オタクの熱量は偉大だ。
次の授業はウィンディシュトロム寮の「商業:物流学」なので学院の中央、大食堂を横切らないといけない。でも少し時間があるので、天気もいいし外のカフェテリアでレオ特製のお菓子でも食べよう。
ちょっとした天幕の張られた東屋風のカフェスペースには顔を突き合わせてディスカッションし合う生徒や、黙々と何かを書いている生徒がちらほら。空いている席は多い。
昼食時間が近いということで、多くの生徒は大食堂へ向かっているようだ。
「おい、ほんとにここで食うのか? ウィンディシュトロム寮のカフェテリアじゃだめなのかよ」
「あっちだとフォーゲル商会に就職したがる生徒からからまれそうだからやだ」
ウィンディシュトロム寮にはグラトンソイルデ寮との共同カフェスペースがあって、レオに弟子入りしたシェフが仕切っているので美味しいと評判なのだ。
レオのとこにそれなりにいいマージンが入っておりますからね、把握しておりますよ。
しかしジュンが渋るってことは、ここは防衛的にあまりいい環境じゃないってことかな。
場所が開けてるし、大食堂の建物も近く、死角が多くて周囲には高い建物も多い。
もしも遠方から狙撃するような暗殺者がいたとしたらよくない場所だと思うけど……この世界、スナイパーなんていないよね? え、これフラグじゃないよね?
「すごい遠くから狙い撃ちするようなあんさつしゃっているの?」
「は? そんなことできたらそれだけでS級冒険者になれるわ。俺が心配してんのはそんな特殊能力じゃなく、大食堂には不特定多数の生徒が多く集まるってことだ」
けっこう単純な理由だった。
「敵意の抽出はお任せください。主に敵意……を抱いているものは、直径1リンゲ以内にはおりません」
「あ、そっか。精霊サマがいたか」
ジュンはあっけなく警戒を解いた。
「敵意はありませんが……」
ウィオラがいいかけた瞬間、「あっ!」と素っ頓狂な叫び声が聞こえた。
振り向くと、件の王国ならずもの8人組……いや、今は7人組のうちの5人。
俺たちを見て、驚きとも恐怖ともとれないビミョーな表情をしているが、また絡んでくるつもりかな? もうスパッとやるのは勘弁してほしいからおとなしくしててくれ!
「……敵意はありませんが、恐怖があるようです」
ウィオラの言葉に、いつでも太刀を抜けるよう身構えていたジュンが少し脱力する。
「ビビッてんのにわざわざ大声だすあたり、ほんとガキだな」
ジュンの眼光に、完全にビビってる。
彼らは、問題の生徒を手打ちにした瞬間に一緒にいた5人だ。
そりゃジュンにビビるよな。
ビビる、なんて軽い表現ではおさまらない恐怖に満ちた目の色を見て、さっきまで建築オタクの偉大な熱量でアガッていたテンションがまた急降下した。
こんなに今さら恐怖に震えるくらいなら、なんでわざわざ俺に絡んで悪態ついてきた?
なんだか被捕食動物のように怯える5人を見て、やるせないような、それでいてちょっと怒りのような、複雑な感情が湧いてきた。
彼らは家門から、使い捨てのように魔導学院に送られてきた子息なんだろうか。
だとしたらろくな教育もうけず、ともすれば「ラウプフォーゲルを刺激しろ」とか、「帝国の支配に甘んじるな」みたいな見当違いな指示を受けたり、思想を植え付けられていたのかもしれない。
「キミたち」
色々考えが散らばっているのに、無意識に俺は彼らを見てそういった。
「ヒッ!?」
「な、な、なんだ……いや、なんですかっ」
「なんだよっ、声を出しただけで処刑されるのかっ!?」
ああ、彼らは本当に愚かだ。
しかし、まだ若い。
「こっちにきて、すわりなさい。おはなししましょう。でも、これはめいれいじゃない。イヤならさっさとどっかにいって」
俺がぽっこりお腹をムン、と反らして、エラソーに言うと、少年たちは困惑していた。
「は、話すって、何を……」
「命令じゃないって、なんだよ。俺たちに命令できるとでも……」
「やめろよ。おい、行こうぜ」
「でも」
「……俺は話す」
5人のうちの1人が、覚悟を決めたような顔で俺に向き直り、そろそろと近づいて東屋のテーブルセットの椅子のひとつに座った。椅子は8つある。
「おい王子、なにするつもりだ」
「いいからジュンは黙ってて。何か変なマネをしたときは、対応をまかせる」
「その際は私が主の目を隠しましょう」
ウィオラは俺の行動、というか衝動を理解しているのか、何も言わない。
やがて1人が逃げるようにその場を去り、4人の少年が東屋の椅子に座った。
俺が顎でしゃくるとウィオラが椅子に座り、その膝の上に抱き上げられてふんぞり返る。
椅子とテーブルがデカいからそのまま座るとね。膝の上に座るとちょうどいいのよ。
「なのりを許す。こっちから」
すっごいエラソーに言うと少年たちは反感を覚えたようだけど、ジュンが怖いせいで不承不承に名乗る。
セドリック、ケヴィン、エリアス、ジェイス。家名は割愛。
全員、王国侯爵家の次男以下でミーナの予想通り嫡男はいない。
居心地悪そうに目をキョロつかせる4人を尻目に、俺は悠然と、しかもすごくエラソーにふんぞり返ったまま、頭の中で精霊に話しかけた。
(アウロラ、どうだった)
(うんうんメイドの予想通り〜! 全員、親か、あるいは教育係とかそれに近しいヒトになんらかの偏った思想教育をされてるっぽいね! ざっと概要の情報を主の記憶にインストールするね、ちょっと頭痛がするかもしれないけど)
(いいよ)
その瞬間、アウロラが集めてきた8人分の情報が頭の中に流れ込んだ。
ズキンとこめかみが痛んだけど、しゃーない。
(いいですか、ラウプフォーゲルは大陸統一を目論む悪です。迎合してはなりません!)
(帝国の希望の星と言われている子どもの悪評を振り撒け。成功したら、嫡男としての可能性を考えてやらなくもない)
(ラウプフォーゲルは武力を掲げて王国を辱めんとする蛮族。その実態を王国に知らしめるため、魔導学院ではしっかり目を光らせなさい)
(もしも学院で好機が訪れたとしたら殺めてもいい。そうすれば、お前はラウプフォーゲルの魔の手から王国を救った英雄と謳われるだろう!)
悪意のある大人たちの声が一斉に聞こえる。
アウロラのインストール情報と、この場にいる4人の少年をスキャンするウィオラの魔力が同調して流れ込んだみたいだ。
「なるほど。キミたちは、誰かに言われて帝国と王国の仲をひきさくために入学したんだね?」
少年たちは反抗的な目をしたまま、グッと押し黙る。
「でも、わかったはずだよ。キミたちの力じゃ無理だ。なぜかというと、キミたちが無力だから」
俺の言葉に、さらに怒気を強めたのは4人のうち3人。
最初に俺と話すことを決めたセドリックは、冷静に俺の話を聞き、次にどんな内容が来るのか待ち構えている。……彼には期待できそうかな。
「キミたちがここで、大人の膝の上に座る僕になにか手を出そうとおもっても無駄。キミたちでは僕を傷つけられないし、傷つけようと心に決めて、行動にうつそうとした瞬間に首がとぶだろう」
全員の目の色が再び恐怖の色を取り戻す。
彼らは、首のとんだ現場に居合わせた者たちだ。
これがハッタリでもブラフでもないことは体験で理解している。
「そしてキミたちは、『帝国との友好に水を差した大罪人』として王国できゅうだんされる。先日の彼のように」
そこでようやく、1人が「ハッ、何言ってんだ? そんなわけないだろ」とボソボソ呟いた。声が小さいのは、不敬になるのを恐れたんだろう。声も肝っ玉もちっちゃいことで。
俺がサッと手を挙げると、その小さい手にウィオラが待ち構えていたように新聞を渡してきた。こういうときテレパシーって便利。
そして、その新聞をばさりと丸いテーブルに置く。
もちろん、今朝アロイジウスが読み上げた王国の新聞だ。
「ほめたたえる者がいるとしたら、それはキミたちをそそのかした人物だけだ。王国の主力の新聞社が、こんなに彼をこき下ろしているのは、なぜだかわかる?」
4人が困惑しながら新聞を広げると、そこには先日、ジュンに手打ちにされた少年がいかに愚かで迷惑なことをしてくれたかということがつらつらと記事になっていた。
新聞記事には王国の有識者に加え、首都の平民と手打ちにされた少年の家門が支配する領地民、いわゆる一般市民へのインタビュー記事もある。
そこでも手ひどい非難をされていた。
帝国の食料供給が絶たれたらまた餓死者が増える。フォーゲル商会が開発したという暖房器具を売ってもらえなくなるかもしれない。「温石」はすでに農業の前提になっているのに、供給が途絶えたらまた農作物がとれなくなる。街道建設で多くの失業者が職を得たのに中断されては困る。街に失業者があふれて治安が悪くなっても、王国では軍も解体されて再構築中だし、それを解決する力はない。
貴族だかなんだかしらないが、なんてことをしてくれたんだ。迷惑だ。貴族なら市民の生活をもっと考えるべきだ。自分で自分の首を絞めている。責任を取れ。
記事は、そんな内容だ。
4人のうち3人は明らかにそれを見てしきりに顔を見合わせてはうろたえ、1人……セドリックだけは修行僧のように天を仰いで何か達観したような表情になっている。
きっと、セドリックは全て気付いた。
「どうして王国貴族であるはずのキミたちが王国で悪者あつかいされるか、わかる?」
俺の問に押し黙ったが、セドリックが重苦しい声で答えた。
「……帝国との友好には、利が、あるから」
「そう。帝国と、僕の提案は王国の市民と多くの権力者にも大きな利益をもたらす。でもキミたちはなんとなくそれが許せなくて駄々をこねてるだけにしかみえない。すくなくとも、市民からはね」
「でもっ、その、利はタダなわけがない。市民に甘い密を与えて、支配するつもりなんだろう!? それは侵略だ。俺達はそれに屈しない!」
「それを誇り高い判断だと思う? 市民が寒さに凍えて命を落とし、食べ物が手に入らずに口減らしのために子どもや女性を帝国に売る。それがキミたちの守る誇りなの?」
セドリック以外の3人は、初めて聞く話のように驚いてみせた。
「口減らし、だって? 女性や、子どもが出ていったら、農村は衰えるばかりだ」
「そんな話、初めて聞いた。ね、捏造だろ!」
「いや、しかし……父上は人口流出に歯止めをかけなければという話をいつもしていた。あれは夜逃げや罪に追われたりしたものではなく、まさか……」
「……」
「僕が王国に利を与える理由が知りたいなら、おしえてあげる」
俺の言葉に、困惑していた4人がパッと顔をあげた。
「それはね、僕の持ち物であるフォーゲル商会のおきゃくさんになってもらいたいから! わかる? フォーゲル商会があつかうものはね、高級品なんだよ。でも高級品が買えるのは貴族か豪商くらいでしょ? もっとお金持ちのお客さんが増えれば、顧客が増えてフォーゲル商会も儲かるから!」
4人は困惑顔から、徐々にポカンとした顔に変わる。
「もちろん最初は帝国にお金持ちを増やすつもりだよ? でもそれでも人口全体の比率から言えば、帝国では今が0.4%程度で、どう試算してみても6%から増やすのは難しいんだよね。いちおう手は打ってるけど、たぶん6%にするだけで10年以上かかっちゃう。帝国はそれよりも、低所得者層を中所得に変えるほうが簡単なんだよね! つまり、王国の富裕層をとりこんだほうが利益がみこめるってわけ! でもこの計画にはどうしても王国の餓死者と凍死者による人口減少を食い止める必要があって……」
俺がペラペラと話しているとアーサーとパトリックが息を切らして遠くから駆けつけてきた。
「はっ、はっ、け、ケイトリヒ殿下、彼らと一体なにをお話になってるんですか!」
「なんで普通に同席してんですか、ジュン、どういうことです!?」
「俺がついてて変なマネさせるわけねえだろ」
「それはそうですけど!」
「き、キミたち。これ以上ケイトリヒ殿下に変なマネをすれば、王族としても黙っているわけには……」
「何もしませんよ」
セドリックが迷いのない口調で断言する。
「……我々が間違ってました。ケイトリヒ殿下は、王国や、我々の領地を……害する存在ではない。それは……別に存在することが、わかりました」
そう言って席を立つと、優雅にお辞儀をして背を向けた。
それにつられて、残りの3人も慌てて席を立つ。え……まだ話の途中なんだけど……。
まあいっか。
「セドリック。もしも、領地で政治的な力がほしいなら、ちょっとくらいきょうりょくできるよ」
「……いえ、遠慮します。それは、私が解決すべき使命です」
「そうかな。ひとりでできることなんてたかがしれてる。かしこい人物は、留学先で得た縁をうまくつかうんじゃないのかな?」
俺が言うと、セドリックは初めて心底面白いようにフフ、と笑った。
ほかの3人はただへどもどしているだけだけど、セドリックはうまくいけば、王国でいい手駒になってくれそうな気がする。
大食堂に消えていく4人の背中を見送ってニヤニヤしていると、ウィオラが俺の頭をふわふわと撫でてくる。
「主、もうすぐ次の授業が」
「あっ!! お菓子たべるじかんなくなっちゃったー!!」
ウィオラに抱っこされたまま、ジュンが小さな蒸しパンを俺に給餌しながら走る。
そんな光景を見て、魔導学院の生徒たちは「王子殿下はお食事の時間もゆっくりとれないほどお忙しいのね」なんて噂していた、らしい。
それを知ったクラレンツから「オマエ、有名人なんだからはしたないマネするなよ」なんて叱られたのは軽い衝撃だった。