第2部_1章_0140話_そのころ 2
現代日本で一ヶ月も船旅をした者が、どれくらいいるだろうか。
しかも、エンジンを持たない風頼みの古めかしい船で。
いわゆる冒険家といわれるアスリートじみたチャレンジャーでなければ、少なくとも聞いたことはない。
「ミズキ。この船、エンジンついてるよ。魔法式だけど」
青年の手元を覗き込んで、少女のように長い髪をふたつ結びにした少年が言う。
「アラン。見るなよ」
「いいじゃん! その手帳を手に入れられたのは誰のおかげでしたっけー?」
書いているものを覗き見された青年は不機嫌そうな顔を正して少年を見る。
アランと呼ばれた少年は、地獄の脱出劇のときには瀕死の状態だった。
ここ数ヶ月の旅でもなかなか回復せず、最初の頃はろくに歩けもしなかったことを思い出すと、ここ最近はとても元気になった。ミズキはしげしげと彼を見つめて、ふ、と笑う。
「……タイセイの様子は」
「今日も調子悪いみたい。ようやく食べられるようになったんだけど、さっきデッキで吐いてた。ミョンジェが世話してる」
タイセイは船旅が体に合わないようで、ここ一ヶ月ずっと具合が悪い。
親友のミョンジェはその間、献身的に介抱している。おかげで船員たちからも疎まれずに済んでいるので、ありがたい。
「ジォンユーとリョウは元気かな」
「一昨日かな? アオイが情報表示で見た限りでは生きてたから、きっと大丈夫だろ」
帝国に向かうため4ヶ月半にもわたる大陸横断の旅のあいだ、2人の脱落者が出た。
脱落というべきではないかもしれないが、ひとりは中国籍のジォンユー。旅先で知り合った女性と恋仲になりそのままその村で暮らすことにした。
そしてもうひとりがリョウ。異世界召喚勇者の特殊能力で「酸液放出」という微妙なスキルを持っていたのだが、旅先でそれが大活躍した。
がけ崩れで2週間足止めをくらった村で、昔から何度も大量発生していた虫をそのスキルで壊滅させたのだ。
英雄ともてはやされたリョウは、そのままその村に住むことを決めた。
聖教法国では無理やりアンデッド討伐に参加させられていたこともあり、戦いには慣れている。それも村では貴重なものだった。
2人ともポジティブな理由での離脱だったので、反対する者はほとんどいなかった。
「『ヒルコ』も離脱は別に構わないって言ってたけど、リョウはともかく……ジォンユーはきっと帝国で優秀な人材になり得たと思うんだよなあ」
「まあ、たしかに。僕よりずっと頭よかったからなー」
「おい、ミズキ! あ、アランもいたのか。陸が見えてきたってよ!」
「え、ほんとー!?」
「ああ、鳥の声が聞こえてきたからそうだろうなと思ってた」
「ははっ、ここ一ヶ月の船旅で俺たちもなかなかの『海の男』になったよな?」
「それはシロウさんだけー」
「日焼けしただけだろ」
シロウに誘われて甲板に出ると、水平線の向こうにうっすら青い山が見える。
「山だ。あれ、もしかして帝国のある大陸?」
「そうらしい。なんか一度、ばい……バイスキルシュ??とかいう港町に入るらしい」
「あーっと、それヴァイルヒルシュ、かな。帝国の南東にある領地の名前だね」
ミズキは近くにあった本を手にして手帳と見比べながら言う。
「昼過ぎには着くってよ」
「え、すごい近く見えるのに」
「アラン、稜線をみてごらん。あれはかなり高い山だ。見えている以上に実際には離れてるんだろうね」
「にしても、無事に着いてくれそうでよかったぜ。俺、歴史には詳しくないけどこういう船旅って伝染病が流行ったり、いいイメージないだろ?」
「僕も! カイケツビョーとか食料が不足するとか、ヒサンなイメージあったなー」
「ヒルコが『帝国籍の船に乗ること』って言ってくれたおかげかな。トイレも清潔だし、食料にも余裕があったみたいだし。シロウは、だいぶ船員と仲良くなったね。料理できるのはでかいなあ」
3人がしみじみと甲板で陸地を眺めていると、2人が近づいてきた。
「ヨ〜ッ! いよいよだなっ! 帝国って、すごい平和な国らしいから楽しみだ〜!」
「オビ、うるさい。ミズキさん、イシャンどこいるか知らない?」
「やあ、オビにアオイ。イシャンならたぶん船尾デッキで寝てるんじゃないかな」
「アオイ、顔にすっごい枕のアトついてる」
「うっさいなあ」
遠くに見える陸地を見て、オビとアオイも感慨深げにそれを見つめた。
「はあ、ここまで長かった……5……いや、6ヶ月? 半年!? いや、船上で7ヶ月目に入りそうだな!?」
「昨日でちょうど7ヶ月目だ。遺跡の街で1ヶ月半も足止めくらったのがデカかったな」
「その後の2週間の洞窟生活もなかなか」
「いやいや! 短くても俺は3日間の砂漠横断のほうが辛かっただろ!」
「ボクは最初の頃はもーろーとしてたからなー」
最後のアランの言葉に、全員がふと遠い目をした。
アランの状況は、本当に酷かった。ほとんど死亡していた状況をヒルコが改善し、意識を取り戻したあともずっとゾンビのように唸ることしかできなかったし、食事がまともにとれるようになるまでに1ヶ月以上かかった。
「よく生き延びたな」
ミズキがアランの頭に手をおいて軽く撫でると、「突然なにそれ、キュンしちゃう!」といっておどけて見せるアランに、全員が笑う。
アランは自称「男の娘」。恋愛対象は「今のところ男ではない」そうだが、化粧もコスプレもできない現状が不満らしく、よく愚痴を漏らす。だが誰もその愚痴に同意してくれないので、さらに愚痴るハメになる。仲間内ではそれが一種のネタ化していた。
「帝国は豊かな国らしいから、かわいいお洋服あるかなー?」
「さあ……女性が少なくて貴重で法に守られているような国だそうだから、女装すると罪になったりしないかな?」
「ゲーッ! そんなんサイアク!!」
「それよりも仕事があるかが問題だ。ヒルコがそんなとこまで面倒見てくれるなんて考えないほうがいい。オマエら、ミズキみたいにこの世界の文字ベンキョーしたんか?」
「うん! 日本語と近いからけっこー簡単だったよ!」
「え……マジ? うそだろ、アランに追い抜かれた。ショック」
「日本語と近いから全然ダメだヨ! 俺ガーナ人だよ!?」
「在日ガーナ人だろ」
そーだそーだ、とか俺より日本語上手い、とかわいわい盛り上がったあと、全員同じ方向を向いて黙った。
「なんかしんみりしちゃうね」
「そうだな……リョウが抜けて、ジォンユーが抜けて、9人になったけどなんとか帝国まで辿り着けそうだ。大変だったけど、旅が終わるのはやっぱりなんだか寂しいな」
「え!! シロウがそんなこと言うなんてすごい意外!! 俺たちシロウにずっと怒られっぱなしだったのにさ!」
「ははっ! ほんと、そうだな。穴は深く掘れとか、武器は毎日磨けとかさ」
「それは冒険者から聞いた話の受け売りだ。この世界の流儀というか、慣習を知らないとヤベえ場面で致命的にミスるかもしれないだろ。実際、遺跡の街で足止めを食らった理由はソレだ」
シロウの言う事件は、遺跡の街に着く前の野営から始まった。
「絶対に火を通して食べること」と言われていた冒険者御用達の保存食を、アランとアオイとキミタカが火を通さず食べてしまい、とんでもない事になった。
ただ腹を下すだけではなく、皮膚の薄いところに水ぶくれのようなできものが無数にできてしまい、足の裏にも及んだそれのせいで歩くこともできなくなってしまった。
遺跡の街でそれを説明して薬を求めたら、「生で食うなんて馬鹿だ」なんて笑い飛ばされた。あまりにも扱いが軽いので命に関わるようなものではないのだろうと高をくくっていたら、放置すれば死もありえると聞いたのは全員が完治した後だった。
「あれはひどい思い出だ……」
「ほんと、あれは異世界を感じたね。あんなヤバいものが普通に食料として出回ってるなんてさ、想像もつかないよね日本人には」
「その感覚がヤバいんだって、そろそろ実感してもらえたか?」
「シロウさんって見た目にそぐわずけっこう慎重だよね」
「俺はビビリなんだよ。異世界に来て、ビビリな性格でほんとよかったって思ったぜ」
シロウは今は9人となってしまった異世界召喚勇者パーティにとって「指南役」だ。方針を決めてみんなをまとめるミズキの実務的なサポート役。
9人の中でずば抜けた戦闘力を持っていて、魔獣やアンデッド相手にも遅れを取ることのない彼は道中に冒険者資格をとり、すぐにC級冒険者になった。実力的にはすぐにB級に昇格できるそうだが、それには実績が足りないらしい。
冒険者筋の情報が、今回の旅にどれだけ役に立ったことか。
それを実感して数週間後、ミズキとキミタカ、オビも冒険者資格をとった。彼らは1ランク下のDランクだったがそれでも冒険者組合から得られた薬草や魔獣、アンデッド出没の情報は、ただ街を通り過ぎるだけでは得られない貴重なもの。
異世界召喚勇者の固有能力といわれるものは、それぞれあまり役に立たないと思っていたがパーティを組んだことで大幅に変わった。
シロウの【斬全剣】。
戦闘特化の所以であり、剣そのものではなくシロウが持った剣型のモノに付与できるという桁外れのチート能力。これこそ聖教法国が「アタリ」と称した圧倒的な戦闘能力。
普通の剣のように、剣戟でさばこうと思ってもその剣すら斬り捨てる。
召喚のあとの最初の能力確認で何人もヒトを斬ったシロウは、一時期ノイローゼのような状態になったそうだが、今はどうにか折り合いをつけている。
ミズキは【察知】。
殺気や強い敵意のある反応、あるいは前もってマーキングしている対象ならば半径1キロ以上、敵意のないヒトや小型魔獣でも半径200メートル。「生物」限定ではあるが、ミズキは斥候に向いた能力を持っていた。この能力のおかげで、聖教の追跡を逃れることができた。シロウの斬全剣と組み合わせると、この2つだけで冒険者パーティとしてはなかなかの精度になる。
キミタカの【消去】。
これはここ半年でようやく制御できるようになった能力。キミタカが触れたものを、跡形もなく消す力。大きさや材質などに制限があるのか、「モノ」と「空間」どちらに作用するものなのかまだ不明。そして、消えたものがどこにいったのかもわからない。キミタカが能力を解析することを嫌がっていることもあり、あまり理解が進んでいない。
だが魔獣を狩ったあとの始末や、がけ崩れなどで通れない道の岩を消したりとなにかと便利な能力であり、冒険者組合の中でも一度は「Nランク認定したい」と打診があったが、キミタカが目立つのを嫌がったためDランクに落ち着いた。
ミズキもシロウも、帝国に行けば真っ先に解析したいと思っている能力だ。
オビの【咆哮】。
これは単純明快、大声を出して魔獣やヒトを怯ませる能力。
ただ異世界召喚勇者チートと言えるのは、アンデッドにまでその効果が及ぶこと。
アンデッドは怯むことはないといわれていたが、オビの咆哮を受けると10秒ほど動きを止める。これもまた、冒険者組合からNランクの打診が来たものだ。
本人ふくめ、異世界召喚勇者は全員「ショボい能力」だと思っていたが、この世界でアンデッドに効果があるものは何よりも重宝された。
Nランクとは「ランク付け不可能」というランク。
強さでは測れない特殊な固有能力を持っている冒険者を指すそうだ。
ドラッケリュッヘン大陸の冒険者組合では、天気予報や特定の鉱石をみつけるだけの能力者に与えているらしい。
帝国には暗殺専門能力や、ゲームでいう「インベントリ」……空間圧縮輸送の能力者などが登録されているそうだ。だがさすがの冒険者組合でも、大陸が違えばどこまで本当かはわからないくらい不確かな噂程度だ、と組合職員が語った。
ともかく、純粋な戦闘力としてのシロウと、それらを補佐するミズキ、キミタカ、オビの4人が主力となり、あとのメンバーは後方支援というかたちでなんとかドラッケリュッヘン大陸を横断してきた。
タイセイとミョンジェはつい最近、冒険者登録をして現在Eランク。正式な戦闘サポート役となった。
帝国へ向かう船が寄港する港町につく頃には「異世界召喚勇者パーティ」などと呼ばれて名が知れ渡っていたくらいだ。
港で乗る船を探していると、ある船員が手紙を渡してきた。
その手紙は日本語で書かれていた。
一、帝国国民は皇帝陛下とそれに準ずる貴族を敬い、叛意を抱いてはならない。
二、帝国国民には帝国議会が制定した法律を遵守する義務がある。
三、帝国国民は協力しあってアンデッドと戦い、これを滅しなければならない。
四、帝国国民の生命、生活、財産を脅かした者は、死を以てその罪を償う。
それを一人ひとり読み上げたミズキたちは、無料で船に乗せてもらえたのだ。どうやらヒルコが手配した船で、異世界召喚勇者を識別するためのものだと気づいたのは船室9人全員がそろってからだ。
船代を稼ぐため冒険者稼業を頑張っていたのだが、まるまる手元に残ってしまった。
「……ヒルコって、何者なんだろうな。まさか、王様だったりして……」
デッキの手すりに顎を置いて、ぼんやり見えてきた陸地を眺めてこれまでの旅を思い起こす5人は誰となくそう呟いた。
「異世界人だよ? さすがにそんなに要職には……それに、帝国に王様はいない。皇帝と領主だけだよ。まあ領主は王と呼ばれたりするみたいだけど」
「でも大陸を渡れる、こんな大きな船を手配できるってことはさ! すっごいお金持ちなのは間違いないよね!」
「そうだな。何にしても、俺達を救ってくれたヒトだ。面と向かって礼を言いてえな」
聖教法国の中枢、大聖殿の脱出劇は半年前のことだが、まるで遠い昔の記憶のようだ。
今は9人となったが、11人全員が無事に脱出できるなんて想像もできない生活。
大所帯での旅はケンカも意見の衝突もあったが、ようやくゴールに辿り着けそうだと思うと全員が感慨深く押し黙った。
「あ、見て。漁船だ」
「ほんとだ。帆がない? エンジン搭載かな」
「帝国はドラッケリュッヘン大陸のどの国より進んでるらしいから、大陸間の船だけじゃなく漁船にもエンジンをつけられるのかもな」
なんとなく眺めていると、漁船に乗っている小さな人影がこちらに向かって大きく両手を振ってきた。片手だけを振ると救難要請の合図となるので、両手は親交の合図だ。
ミズキたちも両手を大きく振って応えると、小さな人影は横にいた大人に声をかけて、こんどはその大人も両手を振ってきた。
きっと子どもが「手を振り返してくれてるよ!」なんて言ってるんだろうと思うと、異世界召喚勇者たちは微笑ましい気持ちになった。
こんな穏やかなやりとりは、ドラッケリュッヘン大陸の道中では味わえなかったことだ。
「あー、あれはアンタらが話す『えんじん』とはちょっとちがう、魔道具制御の漁船だ。最近はラウプフォーゲルの王子様のおかげで、あんな小せえ船でも魔道具付きが増えてきたな」
話を聞きつけた屈強な船員が、朗らかに話しかけてきてくれた。
この船の船員はみなミズキたちに優しいが、とにかく体が大きい。海が荒れたときなどはその巨体が全員、激しい怒号でやりとりする。ミズキたちをビビらせるのに十分だった。
「ラウプフォーゲル? その言葉、よく聞くよな。領の名前だっけ」
「今でも帝国の2/3を占める、元王国なんだってさ。今は分割されて、ひとつの領の名前になってるらしい」
「ああ、帝国にはラウプフォーゲルあり。ラウプフォーゲルと聞けば、王国も共和国もアイスラー公国も押し黙る、世界一の軍事力を誇る国だ」
「国なんですか? 帝国の領の一部じゃなくて?」
「正しくは領の一部であることは間違いないんだがな。帝国人は、帝国とラウプフォーゲルを分けて考える。帝国のことは『中央』、ラウプフォーゲルはラウプフォーゲル。それも大ラウプフォーゲルと旧ラウプフォーゲルとラウプフォーゲルの呼び方があってな」
なんだか早口言葉みたいになった船員が説明してくれて、ミズキはようやく本に書かれていた内容が自身の知識として落とし込まれた気がした。
本の説明ではラウプフォーゲルと帝国が反目しているような印象だったが、船員の話を聞くとそうでもないようだ。話しかけてきた船員は今回寄港するヴァイスヒルシュの出身らしく、そこは「旧ラウプフォーゲル領地」としてまとめられる。
そして王国時代のラウプフォーゲルのことを「大ラウプフォーゲル」と呼び、無印のラウプフォーゲルは現在のラウプフォーゲル領地を指すんだそうだ。
ややこしい、とその場にいた全員が閉口したが、語る船員の口調はとても穏やかだし、あまり政治色の強い主張や衝突のようなものもなさそうだと思った。
前世で観光案内を受けているくらいの感覚だ。
ドラッケリュッヘン大陸ではさも「この領地の王は◯◯だ」「いや✕✕だ」とか「△△から来たことは隠せ」とか、きな臭い話ばかりだった。
情勢が不安定なのは異世界の通常運行だと思っていたが、帝国は違うらしい。
「あの、帝国ではああいう船は普通なんですか?」
アランが漁船とは逆サイドの水平線を指差すと、遠くに大きな帆船が見えた。
「ん? ありゃなんだ? ……曳航してんのか?」
「大きな船が、なにか白いものを引っ張ってる……な?」
アランが指さしたほう、右の船側に近づいてみるが、遠くに見える船まで近づいたわけではない。相変わらずよくわからないそれは、この船と同じ方向へ進んでいる気がする。
「おぉーい、ジェッソ! あれ、なんだ?」
体の大きな船員は、声もでかい。マストの上にある見張り台に立って双眼鏡を眺める男に向かって言うと、同じように大きな声が返ってきた。
「あー、ありゃバルケルのアドレシアフローラ号だな。後ろになんか、網みたいなものを引っ張ってるみたいだが……なんだろうな? おい、船長に報告してくれ」
さほどバタバタする様子もなく、船員は淡々と作業のように報告と調査に入る。
ミズキたちは船員の仕事を邪魔しないように船室へ引っ込んだ。
ほどなくすると停泊のために船員たちが慌ただしくなったので、ミズキたちの判断は正解だった。出港と停泊、海が荒れたときは船員たちの怒号が飛び交うので、部屋で大人しくしていないと危ないのだ。これも1ヶ月の海上生活で学んだことだ。
船体が止まったような気がするが、船員が呼びに来るまでは待っていたほうがいい。
「んあ……なに、もう次の港に着いたの?」
「イシャン、どこで寝てたんだ? もう帝国に着いたぞ」
「え、マジ!?」
インド人のイシャンは慌てて船窓を覗き込むが、この窓からは何も見えない。
「ヴァイルヒルシュのワルシャ、って港町だよ。ここからは帝都まで、陸路でいく」
「帝国は平和なんだよな? 美味いもの、あるかなあ!?」
「あ!! そういえば、さっき船員さんに聞いたんだけど最近ラウプフォーゲルでカレーが食べられるお店ができたって!」
「嘘だろ!」
「マジ!?」
「うおお、テンション上がってきたー!!」
アランのもたらした情報にそう叫んだのはインド人のイシャンではなく、アオイとキミタカとシロウ。イシャンは「どうせ日本式のカレーだよね……」と寂しそうな顔だ。
「でもさ、日本式のカレーができたんなら再現できるんじゃない、インド式も」
「スパイスとかはある程度、同じなんだろ?」
「それがさ、俺のカーチャンがカレー嫌いなヒトでさ! 家でカレー食べるときは、小母さんが作ってくれてたんだけど、作りかた知らないんだよね!」
「インド人でもカレー嫌いなヒトっているんだな」
「いるよ! 日本人でも寿司キライなヒトいるじゃん!」
「たしかに」
「でもまあ、日本カレーでもいいや! 味はだいたい一緒だし!」
「一緒なのかよ!」
「そこはこだわれよ!」
半年の共同生活で衝突も反目も乗り越えた9人は、すっかりボケ役とツッコミ役が定着していた。イシャンはのんきでマイペースなボケ役だ。
ツッコミはアオイとシロウ。笑い上戸のアランが笑って、いい感じに終わり。
ミズキは、改めて9人を見回して「このメンバーでよかった」としみじみ思った。
「アンタら、異世界召喚勇者なんだろ? これから入国手続してもらうが、何か聞いてないのか?」
下船を呼びかけてくれた船員が振り向いて聞く。
「あ……そういえば、何も。聞いておいたほうがいいかな?」
「まあ別に変なことにはならんさ。今、帝国では異世界召喚勇者は大歓迎だからな。なにせラウプフォーゲルの王子の発明品は、多くが異世界人から聞いた話を元にして作られたものらしい」
「へえ、4人しかいないのに、法国とは大違いだな」
アオイがポツリというと、船員が怪訝な顔をした。
「おい、異世界召喚勇者の数は国家機密になる情報だぞ。どうやって知り得たかしらないが、あまり言わないほうがいい」
「あ、はい……すんません」
「心配だな。俺たちはラウプフォーゲル籍だからいいが、共和国の連中に聞かれたら攫われちまうかもしれねえぞ」
「え」
ミズキたちは、予想外の方向にきな臭いことを聞かされてたじろぐ。
「帝国は王国も併合することになって、クリスタロス大陸の覇者ではあるが一枚岩じゃねえ。帝国内でだってラウプフォーゲルの軍事力を牽制したい勢力もあるし、共和国とは国境沿いで年中ドンパチやってる。ドラッケリュッヘンに比べちゃ平和だが、あまり気を抜きすぎるなよ」
体の大きな船員が、労しげな顔で9人を見つめて言う。
このヒトはとても気の優しいヒトなんだな、と思ったのはミズキだけで、あとのメンバーは予想していた平和とは少し様相が違って落ち着かない様子だ。
「ご忠告ありがとうございます。導いてくれた人物に、ちょっと確認を取ってみます」
「ああ、そうしたほうがいい。下船は、もうちっと後のほうがいいか? 一応、港にも入国管理局の宿があるが」
「そこは安全なんですか?」
「……いや、船の中のほうが安全だろう。手早く済ませてもらえるとありがたい」
「わかりました。イシャン、頼めるかな」
「おうよ! たっぷり寝たし、返信まで持つと思うよ」
ミズキは廊下に出ていた9人の中からイシャンを呼び出して船室に戻る。
魔力消費の大きな情報表示を使って寝込まずに済むのは最も魔力の多いイシャンだけだ。
ヒルコは情報表示で相談すると、ほぼ5分以内には返答してくれる。半分以上は、いわゆる即レスだ。とても助かる。
イシャンは船室のベッドで横になって情報表示を使うと、すぐに起き上がった。
「ヒルコから返信だ。そのまま普通に入国審査してくれればいいって。嘘を付く必要はなくて、聞かれたことには答えていいそうだ。名前だけは間違えないように、だってよ」
「そうか。ちゃんと手配してくれてるんだな。手際が良いな……」
廊下で待っていた残りの7人にそれを伝えると、不安になっていた表情が和らいだ。
ここまできて入国審査で揉めるかもしれないと思うと不安になるのは仕方ない。
甲板には、立派な舷梯が伸びていた。
いままで寄港した港では、一人がぎりぎり通れるような心もとないサイズの上に、歩くとたわむような舷梯だったので、ミズキたちはそれだけで帝国の国力に感謝した。
タイセイなどは一度この舷梯から海に落ちて、それ以来足がすくんでうまく渡れなり、それからはミョンジェが背負って上下船するようになった。怖いのはタイセイだけでなく、乗船も下船も気が重くなっていたのは全員だ。
「すご! めっちゃしっかりした橋じゃん!」
「下に金属の補強がしてあるね。デッキと同じ高さだし、手すりもあるし。最高!」
「ふわー、大きな港町だな! なんか、いい匂いがする」
「ほんとだ。焼き肉っぽい匂い? いい街だな!」
舷梯ひとつで浮ついた気分を押さえて、9人が入国管理局の建物の前に立つ。
……浮浪者のように薄汚い衣服の男が何人もたむろしているし、目付きの悪い人物がこちらをチラチラと伺っている。
ミズキとシロウが残りのメンバーを守るように前にでると、軽やかに近づいてくる立派な軍服の人物が目に入った。黒髪に黒目、浅黒いが自分たちと似た肌の色。
「やあ、キミたちがシマタニミズキくんの率いるドラッケリュッヘン大陸からの異世界召喚勇者かな。私はキリハラノブユキ。帝国の異世界召喚勇者だ」
ひと目で自分たちと同じ異世界召喚勇者だと断じるには、あまりにも堂々とした姿と言葉に、ミズキは面食らった。名乗ってくれなければ「日本人に見た目の近いヒトもいるんだな」くらいに思っただろう。それくらいこの世界に溶け込んでいた。
「あ……あなたが、『ヒルコ』さんですか? あっ、私がミズキです。島谷水樹!」
「キミたちが『ヒルコ』と呼ぶ人物は別だ。俺は帝国のアンデッド討伐隊……軍に所属している。ビビらせてすまんが、移動に便利な乗り物を使えるのが軍限定でね。俺が迎えに来ることになった」
ノブユキと名乗った人物は、無精髭のよくにあう精悍な顔立ちのイケオジだ。彼を見てようやく、このくらいの年代の異世界召喚勇者が法国にいなかったことに改めて気づいた。
「あの、途中で2人離脱して」
「ああ、ヒルコから聞いているよ。佐藤涼くんとリ・ジョンウくんだったかな。まあ、本人たちが望んだのならいいんじゃないか。別に全員来なきゃいけないわけじゃないし」
ジョンウと発音すると、ジォンユーは苛つきながら訂正してきたっけ。リョウはあまり協調性のないタイプだったので、本音を言うと離脱してくれたのには助かった。
ミズキはそう思い返す。
「キリハラさん、私は……」
「まあ一度ゆっくりしよう。入国審査は別で行うから、こっちへ。街で宿をとってるからそこで話そうじゃないか。ヒルコの件は、しばらく待ってもらうことになるけどね」
淡々と言って踵を返して背を向けたノブユキに、9人が困惑しながらトボトボと付いて歩く。振り向いたノブユキが、何かを思い出したように言った。
「そうだ、キミたちは大変な旅をしてきたんだったな。改めて、ようこそ帝国へ! これから帝都に案内するから、ついてきてくれ。ひとまず、長旅お疲れさん!」
旅の仲間以外から「おつかれ」の言葉をかけられたのが久しぶりすぎて、ミズキは少し泣きそうになった。シロウと、なぜかミョンジェも涙ぐんでいた。
ようやく、旅が終わるんだ。
そう思った瞬間だった。