9章_0134話_女学院卒業式 2
女子生徒に粗相をすれば断罪されるので怖かった。
そう言っていたルキアの気持ちがいま、たいへんよくわかった。
来客用の貴賓室は、みっしりとした目の詰まった明るい黄色の絨毯と立派な花飾り。
取り囲まれたドレス女子100人|(推定)の視線からは逃れられたけど、まだここは女子寮なんだと思い知らされるような内装だ。
オリンピオと数人の魔導騎士隊を馬車に残し、俺の側近と兄上と数名の隊員は貴賓室に詰め込まれ、誰も口を開かない。シーン。
ドアの外から女子のキャッキャした声がうっすら聞こえてくるせいだろうか。
誰も動かない。
たぶん、心の中は皆同じだろう。
(居 心 地 悪 い !)
ありていに言うと、もうすっごく帰りたい。
しかしそういうわけにもいかないので、俺が場の空気を和ませるしかない……!!
「じょしりょうって、なんだか女の子の秘密の園〜ってかんじでキンチョーしますね」
「ん、あ……ああ、そう……だな」
「……」
エーヴィッツあにうえ、顔色悪いよ! なんか、なんかゆって!
「クラレンツあにうえ、エーヴィッツあにうえ、おちゃがしのクッキーおいしいよ。じょしりょうには、お菓子づくりが上手なシェフがいるってフランツィスカから聞いてたけど本当においしい〜」
「おう……」
「……」
なんかゆってー!
「エーヴィッツ殿下、そんなに緊張していたら体調を崩します。幸い女子生徒たちから見えない部屋に案内いただけたので、少し身体をほぐしましょう。さあ、立って深呼吸を」
顔色の悪いエーヴィッツを見かねたのかペシュティーノがそう言って、引っ張るようにエーヴィッツを立たせ、肩や背中を優しくさする。エーヴィッツも自身のガチガチ具合に気づいたのか、ようやく深呼吸して、ペシュティーノから言われるままに肩を上げたり下げたり、少し腕を広げたりしてリラックスを促されている。
「……なぜ、そんなに緊張するのです? 衆目にさらされるならばまだ理解できますが、このような密室で。これからこの部屋にいらっしゃるのはよくご存知のご令嬢でしょう」
スタンリーがガチめに不思議そうにクラレンツに聞いている。
そゆとこやぞ!
「お、お前は気にしないかもしれないが、俺たちにとっては婚約者えらび……一生がかかってるんだ。ヘマをしたら女子に一生笑われることになるんだぞ」
「女学院の女子生徒がこの世界の全ての女性というわけではありませんよ。魔導学院にだって女子生徒はいるじゃないですか。ここでヘマをしたら一生笑われるなんて、考えすぎです」
スタンリーの言い分に、エーヴィッツが少し苛立たしげに彼を睨む。
今のあにうえたちにはちょっと届きにくいアドバイスかもね……。
「私はヴァイスヒルシュの領主になる者。ここでみっともない姿をさらすわけにはいかなのです。何も考えないことなど、できない」
「次期領主だろうが元奴隷だろうが関係ありませんよ。何もかも完璧にこなす者などいないのです。ほんの少しのみっともない姿すら受け入れられないような相手なら、エーヴィッツ殿下は袖にしてもいい。そういうお立場なのですから、もっと堂々としてください」
す、スタンリー。言い方! いや、言い方っていうよりその表情、おやめなさい!
ものっすごいゴミクズを見るような目で兄上たちのこと見下げてるやん!
表情だけで不敬罪になるぞ!?
「お……おう?」
「袖にする……って」
「理解してないのですか? あなたたちに見合う女子生徒はエントランスにはひとりもいませんでしたよ。彼女たちはおそらく平民か、下級貴族。さすがにクラレンツ様やエーヴィッツ様の婚約者の座を狙うには少々不足している女子生徒たちです」
「え、そうなの?」とでも言うようにキョトンとした兄上たちは、いつの間にか緊張も忘れてスタンリーの話に聞き入る。
「もうひとつ。昨年からずっと右肩上がり調子のケイトリヒ様のお側にいるお二人は、今最も注目される令息です。しかし、お二人がたとえ少々失敗されても、その価値が揺らぐことはありません。なぜなら、ケイトリヒ様が後ろにおわすからです」
ん?? なんか話が変な方向に行ってないか!?
クラレンツもエーヴィッツも、こっち見ないで!?
「ラウプフォーゲル男児たるもの、小さく縮こまってはなりません。堂々と、失敗してもなお『これこそが自分のやりかたである』と言い切れるほどの気迫を持つのです。今、クラレンツ様とエーヴィッツ様にはそれだけの力と魅力があります。なぜなら、その後ろにケイトリヒ様がおわすからです!」
「ちょ、っと、スタンリー?」
「……たしかにそうだな。言い方は悪いが、俺たちは今ケイトリヒのおまけみたいなもんだ。どんな失敗をしても、俺たちを無視できる奴らは少ないだろうな」
「なんだかすごく肩が……軽くなった」
「えっ、あにうえたち!?」
「ご覧ください、ケイトリヒ様のこの微塵にも緊張を見せぬいでたちを。これぞ強者の風格。これぞラウプフォーゲル男児。その自身の裏打ちは、確固たる実力! そう、万一令嬢たちが害なす存在になった場合はいかようにも消しされるという力をお持ちであるからこそです」
「なんで戦う前提!?」
しかも令嬢相手に!
「そうか……たしかに、べつにアンデッドと対峙するわけでもねえ。どうってことねえ、相手は女子だ。戦ったら勝てる」
「それはそうだ。僕は一体何に怯えていたのか……」
「いやだからなんで戦うの!?」
「クラレンツ様、エーヴィッツ様。あなたたちには、力がある」
「力が……ああ、間違いなくある。女子たちよりは当然な」
「腕力も、権力もある。ケイトリヒには劣るが、魔力だってある」
「なんかヘンな方向に……」
「強き者は、優しくあれ。ラウプフォーゲルの教えです」
「そうだ、俺たちは強いからこそ、優しくなれる。それがラウプフォーゲル男の誇りだ」
「その通り。もしも令嬢たちが危険にさらされたら、僕たちならば守れる」
「どんな危険?」
でもなんかあにうえたちの心理としてはいい方向に向かってる? かもしれない?
あと戦う相手を令嬢じゃなくて令嬢を脅かす誰かにシフトしたのにはホッとした。
「さあ、肩の力を抜いて。群がる女子たちは、魔導学院で取り入ろうとしてくる令息たちと大差ありません。そのほとんどが価値のない人間です。その中から、緊張などに目を曇らせることなく真の価値ある婚約者を探し抜かなければなりません」
「ああ。父上もそれを期待していらっしゃる」
「スタンリーの言う通りだ……僕は、過剰に自分を追い込みすぎた」
あれ、あれ? なんかすごくいい感じになってきてる?
「戦いに勝ちたいと願うものこそ、敗れることに臆する。戦いを前に臆せぬ者は、傲慢か愚か者か、どちらかです。王子たちは、この戦いの意味をよくご存知だ」
クラレンツとエーヴィッツは、先程までの情けない表情とはうってかわってキリリとスタンリーの目をまっすぐに見つめて頷く。
「勝ちましょう。絶対に」
「ああ、俺たちは勝つ。俺たちが、戦場を支配するんだ」
「ふ……負けないよ、クラレンツ。支配するのは、僕だ」
えーと、これから行く場所ってダンスパーティだよね?
スタンリーの妙な鼓舞のおかげですっかりいい意味でのやる気に満ちた兄上たちと一緒にチェッタンガをしながら待つこと半刻。
ドアの外からかしましく聞こえていた女子生徒たちの声もすっかり消えた。
パーティ会場に移動したんだろう。
「ラングハイム侯爵令嬢とハイアーヴァロウ伯爵令嬢がお見えになりました」
魔導騎士隊の隊員が恭しく開けたドアから、しずしずと侍女たちを連れて部屋に現れた2人は、さながら女神! と呼ぶには若すぎるので、少女神? ロリ女神?
髪から肌からつやっつや、お化粧は控えめなのに輝いてる。
マリアンネは薄桃色、フランツィスカは若草色のドレスで、上品な虹色に輝くはごろもみたいな薄い布はきっと水マユだろう。
服飾のことはよくわからないけど、よく似合ってる。
「わあ、すごくきれい!」
俺が思わず言うと、澄ましていた2人がプッと吹き出した。
「うふふ! 嬉しいですわ、ケイトリヒ様。ありがとう存じます」
「もう。そういうときは、手を取ってそれぞれに言うべきですのよ。でもまあ、構いませんわ。思わず出た、という感じが素直っぽくて嬉しいですもの。ね、マリアンネ!」
顔を見合わせてコロコロと笑う2人は、本当にキレイだ。
髪を結い上げているせいか、以前商館で遭ったときよりもグッと大人っぽい。
ててて、と2人の元へ駆け寄ると、2人ともわかっているかのように俺に手を差し出してきた。その手にちゅ、ちゅ、と口付けると2人もしゃがんで俺の頬に口付けてくる。
「きょうはダンスの代行として、クラレンツあにうえとエーヴィッツあにうえに来てもらいました。緊張してるみたいなので、おてやわらかに」
「あら、ご安心を。ダンスになったら緊張どころでなくなりますわ」
「そうそう。『女学院の跳ね馬』と言われたわたくしたちのダンスに、ついてこられますかしら? フフフ、楽しみだわ」
マリアンネとフランツィスカは、兄上たちの方を見て不敵な笑みを浮かべる。
女学院の跳ね馬って……跳ね馬マークといえばポルシェとフェラーリなんですが、そっちが? そっちが跳ね馬ですか?
しかし、こっちもなんか戦いに臨むような気迫なんですが?
もっかい聞くけど、いまからダンスパーティなんだよね??
「ふっ。負けねえぜ」
「運動量でいえば我々のほうが有利……この勝負、一歩も譲りませんよ」
勝負になってる。いつの間にか。
女子組と男子組の間に、なんだか火花が見える気がする。
てかラウプフォーゲルのダンスパーティってそういう? これが常識なのかね?
どうなのペシュティーノ?
チラリと側近たちを見ると、何故か全員、生ぬるく見守るような目線。
あ、これ日常っぽいな……。
俄然、将来が不安になってきました。
女子寮はすでにほぼ無人。
パーティ会場の一番最後の入場者は俺たちだ。
マリアンネとフランツィスカを連れ立って会場入りすると、華やかなファンファーレと高らかなコールの声。
「ハイアーヴァロウ伯爵家フランツィスカ嬢と、ラングハイム侯爵マリアンネ嬢、そしてそのお二方の婚約者ラウプフォーゲル公爵家ケイトリヒ殿下のご入場です」
高らかすぎてプロレスのリングコールっぽい。
コール係の男性も、最後でちょっと張り切っちゃったのかもしれない。
俺は2人の間で手を握って……まあ、完全にお姉ちゃんに連れられる幼児って感じだが、とりあえず頑張ってエラソーに歩く。
後ろには兄上たちと側近、そして侍女たちが続く。魔導騎士隊は会場の外で待機。
会場にいた女子生徒もその同伴者も平伏の姿勢だ。
女性はスカートを広げ優雅に屈み、男性は直立のまま腰を60度ほど折って頭を下げる。
女学院には帝国民のみ、現在では侯爵以下の爵位の親を持つ生徒しかいないので、多分このなかで最も身分が高いのは……。
「ああ……マリアンネ、なんて美しいんだ」
マリアンネの父君、シュヴェーレン領主フェルディナンド、彼だ。
娘と全く同じ色の髪色をした彼の隣には、フランツィスカの伯父、グランツオイレ領主ハイアーミッテン侯爵のフランツもいる。
フランツはフランツィスカを可愛がっていることは間違いないが、フェルディナンド卿ほど溺愛しているわけでもない。伯父と姪という距離感もあるが、どこか似たもの同士のような友達っぽい関係。
……そういえば、フランツィスカの両親とは親戚会で軽く挨拶した程度。公式な場での後見人は、常にフランツだ。マリアンネと身分的に肩を並べるための気遣いかと思ったが、どうも違うようだ。詳しくは本人から語られるまでそっとしておこうと思う。
「それではラウプフォーゲル公爵家ケイトリヒ殿下より、開会のお言葉を賜ります」
え゛ッ!?
きいてないけど!!!
パッとペシュティーノを見ると、そっと口元を手で隠して俺に両方向通信を送ってきた。
「(私共も聞いておりませんでした。クラレンツ殿下とエーヴィッツ殿下の紹介ののち、単に『卒業の夜会を開催をここに宣言する』とだけ仰っていただければ結構です)」
優秀なアドバイザー!
「か……かいかいの挨拶のまえに、今宵ダンスの代行をしてもらう兄上たちをご紹介します。ラウプフォーゲル公爵ファッシュ家第二王子」
「(ケイトリヒ様のお立場でしたら『次男』と)」
「あ、次男、クラレンツ。そして、ヴァイスヒルシュ領主ちょうなん」
「(そちらはもう他家になってるので第一王子でよいです)」
「んあ、だいいちおうじエーヴィッツ殿下! です! ご令嬢の皆様方、ご卒業おめでとうございます! 卒業の夜会の開催をここに宣言しなす!」
んぐおおお最後噛んだ!
生ぬるいクスクス笑いのなか、高らかにファンファーレが鳴って会場の女子生徒たちがサササーっと捌けて中央にスペースができる。
あ、いきなりダンスタイムですか!
「あにうえたち、よろしくね!」
「まかせろ」
「見守っててね」
「マリアンネとフランツィスカも、おてやわらかに」
「うふふ、ケイトリヒ様と踊れないのは残念ですけれど、今日は楽しみますわ」
「婚約者のお兄様をめいっぱい高く売って差し上げますからご安心ください」
頼もしいなー。
さすがフランツィスカ、こっちの思惑もまるっと理解してる。
俺が握ってた2人の手を、颯爽と前にやってきた兄上たちに引き継ぐ。
ダンス代行の礼儀だ。俺が許可して踊ってもらってますよ、というテイ。
シャキッと胸を張って堂々とエスコートする兄上たち。
衣装と髪型のせいもあって、すごく大人っぽい……。
クラレンツとマリアンネ、エーヴィッツとフランツィスカのペアが中央でスタンバイすると、まあまあ早めのテンポの曲の生演奏が始まる。
け、結構早くない?
ちょっと音の感じが独特、と思って生演奏のオーケストラピッチを見ると、ハープのような弦楽器と金管楽器が多い。打楽器も立派な物があるが、あまり使われていないみたい。
早いテンポの明るい曲に、2組のペアが動き出す。
これは……えっ。
動きとしては、前世のクイックステップに近い、かなり激しい振り付けだ。クイックステップは、広く取られたスペースをまるでうさぎが跳ねるような軽やかなステップで駆け抜ける、運動量がハンパないダンス。
足元がバタバタしてしまうと見苦しいのでパートナーとの連携度みたいなものがモノを言うダンスなんだけど……。どちらのペアもシンクロ度やばい。すごい。語彙力がなくなるくらいすごい。
フランツィスカは快活なイメージなので、なんかよく似合うのでわかる。だがおっとりしたマリアンネも、激しい運動量を微塵にも感じさせない優雅さでF1カーのように俺の目の前を走り抜けた。
もちろんクラレンツもエーヴィッツも、涼しい顔でリードしている。
いくら運動に自信があるといってもこれは一朝一夕で身につく優雅さじゃない。
「すごい! すごい、すごーい!」
俺が思わず拍手すると、マリアンネとフランツィスカが少し遠くからパチンとウィンクしてきた。かわいい! 俺の婚約者かわいい!
ハッと冷静になって周囲を見ると、他の令嬢たちもおおむね俺のリアクションと同じ。
見とれていたり、きゃあきゃあ言いながら「素敵!」とか「今のは難易度が高いわ!」なんて言いながらダンスを楽しんでいる。
やがて曲がだんだんテンポを落とすと、いっきに20組ほどのペアがダンスに参加した。
父親が相手の令嬢もいれば、同年代の少年や少し年上っぽい相手など、男性側の年齢は様々だ。1組だけ、女性同士で踊っているペアもある。同級生かな?
みんな素敵なドレスを着て、嬉しそう。さすがにクイックステップは2ペアだけが踊るファーストダンスのときだけらしい。ダンスパーティーといっても格式張ったものではないようでステップを失敗して笑い合うペアもいたり、年上の男性パートナーから教わりながら踊るペアもある。
とにかく、楽しそう。兄上たちのダンスが場を温めたのかな〜。
そう思うとやっぱり代行してもらってよかったし、特訓してよかったし、スタンリーの謎の励ましも結果的にはよかった。
「ケイトリヒ様、奥の休憩ブースへどうぞ。令嬢たちが踊り疲れたときのため飲み物を用意してお待ちしていましょう」
「うん!」
ダンスホールの端をゾロゾロ引き連れながら歩く途中、何人か令嬢から声がかかった。
もちろんスタンリーに。ラウプフォーゲルでは、女性からのダンスの申し込みを断るのはマナー違反。ただ一つだけ例外がある。
「今は職務中ですので王子殿下をお送りした後に、私からお誘いに参ります」
そう、騎士などが職務中の場合。
スタンリーの場合俺の側近なので、一応、俺の護衛が優先されるのだ。
「こんなにおんなのこいっぱいいるのに、声かけられたあいてを覚えていられる?」
「今は特に簡単です。皆、趣向を凝らしたドレスを着ていますから」
たしかに。この会では卒業生の間でドレス被りはご法度。
万一ほぼ同じようなデザインになってしまった場合、家格が下の令嬢が退場させられることもある。ただし本人同士の取り決めで「おそろい」を望んだ場合は別らしい。
なんとも女の子っぽい話だ。
やっとたどりついた休憩スペースはダンスホールよりも少し高くなっていてダンスがよく見える。ふかふかのソファとローテーブルのセットの横には身なりの良い給仕が数人立っていて、俺を見て深々と頭を下げた。多分、これ俺用のスペースだ。
「ケイトリヒ様はこちらです」
一番近い端っこのソファによじ登ろうとしたところをペシュティーノに抱っこされてお誕生日席に移動させられる。3人掛けのソファ。もしかしなくても、マリアンネとフランツィスカが左右に座るんだね。
上品な花だけが飾られたテーブルに、次々とピッチャーやアフタヌーンティースタンドに載せられたお茶菓子がずらずらと並べられる。
「スタンリー、ガノ、それとパトリック。あなたたちは離れても問題ありませんよ。少し顔を売ってきなさい」
「……はい」
「ありがとうございます」
「踊ってきます!」
ジュンとオリンピオとペシュティーノは居残り。
ちなみにだがシャルルとルキアは不参加。理由はお察しだ。
兄上たちはいつの間にか相手を変えて、ゆったりおしゃべりしながらダンスしている。
婚約者探し、順調じゃない? しかし俺、何もしてなくない?
まあ本人たちがしっかり売り込んでるので俺は余計なことはしないでおこう。
「ジュンも踊りたいんじゃない? だれか踊り疲れてもどってきたら交代ね」
「いや、俺はいい」
ジュンがこちらをちらりとも見ずに、どこか遠くの1点を見つめながら答える。
……これ、ジュンが警戒してるときの反応だ。なんだろう。なにかいる?
ジュンの視線の先を見つけようと俺も遠くを見ようと首を伸ばすと、ペシュティーノが目の前に立ちはだかった。むむ、連携しているな?
「ケイトリヒ様、お腹はすいていませんか」
ペシュティーノは笑顔で小さなプリンのカップを手渡してきた。……確かに、微妙におなかすいてる。朝は緊張してたので、あまり食べないようにいわれてたんだ。
「ん、プリン? どうしてプリンがここに」
「この卒業式の軽食を担当しているシェフはラウプフォーゲル城料理長の愛弟子でレオ殿のレシピを元にスイーツのお店を出した者です。ラウプフォーゲルでも話題の店だそうですよ。わずかですが、レオ殿にも売上金の一部が入る仕組みにしているとか」
そうか、道理で。すこしあっさりめの3カップ1パックで120円ほどのプリンの味だけど、ふつうに美味しい。あっさりしてるので2カップいけちゃう。
ふとジュンの視線の先が気になったけど、ペシュティーノが知ってほしくなさそうにしているから知らんぷりすることにした。
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「先ほどはお声がけありがとう存じます。よろしければ一曲……」
「申し訳ないですけれどそのお申し込み、わたくしのあとにしてもらえないかしら」
声をかけてきた女子生徒を正確に覚えていたスタンリーが、彼女にあらためてダンスの申込みをしようとしていたところにフランツィスカが割り込んできた。
「しかし、先にお声がけいただいたのは……」
スタンリーの反応を気にすることなく、フランツィスカは手を差し出す。
「あの、どうぞお気になさらず、フランツィスカ嬢と先にどうぞ」
女子生徒は居心地悪そうに身を引いてフランツィスカに場を譲った。
「……では、後ほど。フランツィスカ嬢、お誘いいただき光栄です」
「1曲だけお相手よろしくね」
手を取り合ってダンスホールのダンスの波に紛れ込むと、フランツィスカはスタンリーと全く目を合わせることなく、スタンリーのリードに優雅に乗る。
「女には女の戦いというものがあるのよ。貴方は手を出さないで頂戴」
「……もしや、ホールの端のアレにもお気づきなのでしょうか」
「もちろんよ。マリアンネは知らないでしょうけど、わたくしは把握しておりますわ。ケイトリヒ様の側近の御手をわずらわせることなく自滅させますので、お付きの黒髪にもそうお伝えいただける?」
「伝えますが、彼の危機感知能力は本能じみたものです。完全に排除されるまでは態度を変えませんよ」
スタンリーのリードでクルリと回ったフランツィスカが「面倒ね」と満面の笑みで言う。
「ちなみに先ほど貴方と踊りたがった令嬢、フォロック派の重鎮の娘よ」
「存じております。どういう手を使ってくるのか、少々興味がありました」
「わかってるならいいのよ」
「……私にも独自の情報ルートがありますので、ご心配なく」
「あの黒髪にも?」
「いえ、あれはこういった情報戦は向いていません。ただ近く迫る危険には獣のように鼻が利き、ケイトリヒ様以外には懐きませんので操ろうとしてもムダですよ」
「操るつもりなんてないわ」
「どうだか」
曲が終わり、手を離してお辞儀をし合う。
「あなた、生意気ね」
「お褒めに預かり光栄です」
「気に入ったわ」
「……」
手を引いてダンスホールから退場すると、そこには先ほどの令嬢が待ち構えていた。
「横入りしてしまってごめんなさいね。ケイトリヒ様の最側近ですもの、少し親睦を深めておきたくて。許して頂戴ね」
「そ、そんな。フランツィスカ様と踊るのは側近の方ならば名誉です。わたくしなどが許す許さないの話ではございませんので、どうかお気兼ねなく」
「そう。優しいのね、ありがとう。では、私はケイトリヒ様のところへ参りますわね」
フランツィスカは優雅にお辞儀すると、クルリと背を向けてその場を離れた。
その背中を見送る令嬢には、敵意のようなものはない。ただ純粋に憧れ、焦がれるような熱い視線。スタンリーにとっては意外だったが、表情には全く出ない。
「では改めて一曲、ダンスを申し込ませていただきます。失礼ですが、お名前をお尋ねしても?」
「あっ、私ったら、無作法でごめんなさい。イルムガルトと申しますわ」
スタンリーは目線で、続きを待つように促す。
「イルムガルト……シュパーマー、です」
「ではシュパーマー男爵令嬢。御手を」
三白眼のオッドアイは神秘的だが決して友好的には見えないし、ニコリとも笑わないのはかなり威圧的なのにスタンリーに見惚れる女子生徒は多い。
卒なく踊りながら、スタンリーはすぐ近くにいる令嬢を分析する。
(……どうやら、アテが外れたようだ。政治的な意図はまったく無いな)
フランツィスカが忠告した「フォロック派」とは、精霊教を強く信仰し、共和国と仲良くするつもりはないが共和国内の聖教とは和解したいと願うフォロック家を中心にした一派。
聖教はケイトリヒを取り込みたがっているので、何かしら思惑があるのではと疑ったのだが……。単純に、個人としての好意だな。と、スタンリーは断じた。
(くだらない)
スタンリーが養子になったガードナー家には、跡取りがいない。いずれ自分にも婚約者をあてがわれるだろうことを、スタンリーは理解していた。
(家ではなく、ケイトリヒ様に利がある相手でなければ意味がない)
スタンリーはどうやら自分は女性に好かれやすい外見らしいということだけは自覚がある。アロイジウスがナタリーの派閥を利用するために婚約者にしたように、ケイトリヒやマリアンネ、フランツィスカにとって厄介そうな家や派閥の令嬢の気を引ければ役に立つのではないか、と考えていたが。
(ここにいるのはほとんど旧ラウプフォーゲル領の令嬢。フランツィスカ様が把握して対処できるのであれば、私に出番はなさそうだ)
スタンリーの理想の婚約相手はここにはいなさそうだと思い至ると、急速にやる気が消え失せた。
程なくして、ダンスホールの端でなんらか不穏な気配を漂わせていた令嬢も、別の令嬢複数人に取り囲まれて、抑えた声でまくしたてられたあとに姿を消した。
音選で「あんたが黒幕だったのね」だとか「絶対に許さない、二度と人前に出られなくしてやる」なんて言葉が聞こえたが、被害者がケイトリヒ様に敵意を持っている令嬢だったので知らん顔を決め込む。
ジュンの警戒もその令嬢が消えてようやく解けたようだ。
これがフランツィスカ嬢の采配なのだろう。
まったく、ケイトリヒは味方選びが上手すぎて、せっかく暗部にまで移籍して磨いた腕の使い所がない。
それが、スタンリーの目下の悩みだった。
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