9章_0129話_真剣勝負 3
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ときは少し戻り、ケイトリヒが「小鳥のおめかし部屋」と名付けた頃。
自習室ではマリアンネがハンカチに刺繍をしながら、フランツィスカは弓の手入れをしていた。
女学院は魔導学院と違い、現代日本の学校と制度が近い。
生徒たちは年齢と家格と学習進度によってクラス分けされ、そのクラスに教師がやってきて授業を行う。科目や授業内容によってはまれに移動教室があるが、多くはない。
ふわふわのクッションつきの椅子と、ティーセットが置かれた大きめの学習机は日本とは全く違うものではあるが、このクラスでは普通。
マリアンネとフランツィスカは、上級貴族の優秀者だけが集められたクラスだ。
「今日もアロイジウス殿下から文が届きましたの。とっても情熱的で……何度も読み返してしまいましたわ。素敵なサファイアのブローチも……」
「素敵! ナタリー嬢は愛するお方と結婚されるのねー! 羨ましいですわ!」
「アロイジウス殿下はきっとハービヒトのゲイリー様のような愛妻家になるお方ですわ」
教室の入口付近で、教室中に響くおしゃべりをしている女子集団を一瞥して、フランツィスカがため息をつく。弓の手入れをしているが、この場に矢がないことが残念だ。
ちらりとマリアンネに視線を向けると「わかってる」とでもいうように乾いた笑顔を向けてきた。
マリアンネが動かない限り、フランツィスカも動かない。
フランツィスカは自分がうっかりしやすいことを自覚していた。「うっかり」ムカつく女子生徒に暴言を放ってしまうし、「うっかり」横っ面をひっぱたいてしまう。
入学して1年目はなかなか苦労した。なので、反省の意味をこめてマリアンネのGOサインが無い限りは「うっかり」しないようにしているのだ。
意識して抑えられるものを「うっかり」と呼ぶのかどうかという疑問はさておいて。
ナタリー嬢はチラチラと2人の反応を盗み見るようにしながら、楽しそうに話す。
「名ばかりの婚約は虚しいですものね……。いくら将来が約束されていましても、愛のない結婚なんて、中央貴族のように醜聞を生むばかりですもの」
「本当に、中央貴族はゴシップが尽きませんわ。それもこれも愛のない結婚のせいだと思いますの。妻を大事にしない夫と結婚させられるくらいなら、妻ではなく母になるだけで充分ですわ」
「まあ! 母になるとしても、父親は選ばなければなりませんわよ?」
キャハハと高らかな笑い声が響いたので、周囲で座って自習なり刺繍なりしていた女子生徒も邪魔そうに視線を向けた。
しかし、ナタリーは親の爵位こそ子爵と低いものの、ブラウアフォーゲル領主の孫。
同じ子爵や男爵の下位貴族令嬢からすると、少し別格なのだ。
さらにこの教室にいる侯爵、伯爵といった高位貴族の令嬢からしても、お家騒動の真っ只中にあるブラウアフォーゲル領主の孫となると無視できない地位。
なにせ、お家騒動の顛末次第ではいっきに伯爵令嬢となる可能性もあるからだ。
ナタリー嬢はラウプフォーゲルにある女学院においてジョーカー的な存在だった。
教室内の女子生徒たちが、チラチラとマリアンネを見る。
女学院は魔導学院とちがって、家の爵位制度が完璧に作用する学校なので、この学院で最も高い爵位を持つのはマリアンネを始めとした侯爵令嬢。
お家騒動によっては伯爵令嬢になり、さらに公爵令息と婚約が決まっているナタリーよりも完全に上位に立てる存在は、今や女学院にはマリアンネしかいなかった。
フランツィスカは同じ相手と婚約していても、家は伯爵家。なにかあった未来のナタリーとは同等なので、微妙に強くは出られない立場だ。
アロイジウスの弟であるケイトリヒとの婚約は、この段階ではまだ噂でしかなく、決定的なものではなかった。
そのマリアンネに、周囲の女子生徒は「あのいけすかないナタリーを止めてくれないだろうか」という期待の視線が向けられている。
それに気づかない2人ではなかった。
「マリアンネ」
「なあに?」
フランツィスカの声に、教室中の女子生徒の耳がピクリと動いた。
けたたましく喋り倒していたナタリーたちも、ピタリと会話が止まる。
「ドレス、試着してみた?」
「もちろんよ! ピッタリだったわ。さすがディアナさまがプロデュースしてくださっただけあって、流行のバッスルドレスが取り入れられていてシルエットが最高!」
刺繍に集中していたマリアンネが、一気におしゃべりモードに入った。
周囲の女子生徒は「さすがフランツィスカ様だわ」と思ったに違いない。
マリアンネは生まれながらに大ラウプフォーゲルの姫として育てられているので、空気を読むことも周囲を推し量ることもしない性格だ。そして、周囲の期待の空気を感じ取っていても興味のないことはスルー。
ラウプフォーゲル公爵家に女子でも生まれようものなら多少は変わったのだろうが、彼女の「王女様ぶり」は女学院では名物でもあった。
そんな彼女を御せる唯一の存在がフランツィスカ。
「ええ、デザインは最高よね。でも、マリアンネには少し胸がきつくなかったかしら?」
「あ……いやわだ。そうなのよ。でもそれは仕方ないわよね、日に日に成長しているところだもの、ケイトリヒ殿下がご存知のはずないわ」
ここで「ケイトリヒ」の名が出て、教室は何の声もしないままざわついた。
女子生徒同士の視線がせわしなく飛び交い、ナタリー嬢の表情がこわばったのを、教室の全員が見ていた。
「ところで、フランツィスカのほうのドレスは? 私の方は、シックなピンク色と淡いスミレ色だったけれど、そちらはまた貴女に合わせた色なのでしょう?」
「私は1着目が淡い黄色で、2着目はエメラルド色でしたわ」
「さすが私たちの好みと似合う色を熟知してらっしゃるわね!」
「ええ、殿下自身がお選びになってるそうですけれど、微調整はディアナ様がしてくださいますもの、間違いようがありませんわ」
彼女たちがディアナと呼ぶ女性に全員の意識が向く。
ディアナといえば、あの有名な。
ラウプフォーゲル領主であるファッシュ家に代々仕えるベーレンドルフ家の長女で、騎士として名を馳せた女傑。
現在の公爵閣下の婚約者となることも噂になったが、結局幼馴染のイングリットにその座を譲り、彼女が儚くなるとキッパリと騎士を辞め、ラウプフォーゲル城のお針子になり、そこでも長になるまで上り詰めた才女。
騎士時代はそれはそれは腕のたつ刺突剣使いの麗人。
キリリと髪を結った凛々しい姿に中央貴族にさえ女性ファンがいたというほどの存在だ。
そしてお針子になってからは、「私が騎士としてお仕えしたい夫人に着て欲しい装い」という名目でドレスのデザインをしだしたからそれはもう大変な騒ぎに。
ディアナ女史のデザインしたドレスは社交界で、しかも中央でもラウプフォーゲルでも垂涎の的だった。
「ディアナ」という存在はそれだけでブランドだったのだが、その彼女がラウプフォーゲル公爵子息の、しかもケイトリヒ殿下の専属になったという噂は実のところトリューの発表やカテゴリエ7のアンデッド討伐、そしてローレライのラウプフォーゲル併合などの社会的な話題に埋もれてあまり知られていなかった。
しかも、2着もドレスを!?
クラスの女子生徒たちの興味はもう、礼儀を凌駕してしまった。
ひとりの生徒が、マリアンネとフランツィスカから少し離れたところにスカートを少しつまんで跪いて座る。爵位が下の令嬢からは声を掛けることを許されないが、声を掛けられるのを待っています、とアピールすることは許されている。
ただし、そのアピールを無視することは上位令嬢たちにとっても外聞が悪いので、よっぽどのときでなければアピール自体が無礼になる場合もあった。
マリアンネはフランツィスカとおしゃべりに夢中でその女子生徒に気づかなかったが、フランツィスカは「狙い通り、来てくれたのね」とほくそ笑む。
「マリアンネ、ドレスの話はみんな興味があるみたい」
「あら」
フランツィスカが女子生徒を指差すと、マリアンネはようやく周囲を見回した。
耳をヒクつかせていた女子生徒は、半分以上が立ち上がって期待する目線をマリアンネに向けている。
「まあ、困ったわ。帝都での婚約式もまだなのに」
「マリアンネ、そこは心配しなくて大丈夫! 女性側から婚約の話が伝え広がるのは、男性にとっては名誉なことですのよ?」
帝都での婚約式? その単語に再び、声なきざわつきが広がる。
ラウプフォーゲル女学院の生徒のほとんどは旧ラウプフォーゲル領所属だが、中立派の貴族も2割ほど在籍している。中立派にとっては、聞き捨てならない単語だ。
次期ラウプフォーゲル公爵に指名されている王子が、帝都で婚約式を挙げるとなると。
今まで静かな対立構造を保っていたはずの中央とラウプフォーゲルの関係が、一転する。
スルーを決め込んでいた女子生徒も、思わず立ち上がった。
「ウフフ、婚約の話となれば誰しも興味がありますわよね」
「ではこの場は無礼講ということでよろしいかしら、マリアンネ?」
「ええ、構いませんわ」
女子生徒は顔を見合わせて嬉しそうに笑い合う。
このクラスでは無礼講だからといって不躾な真似をする生徒はいない。
全員、高位貴族の成績優秀者なのだから。
そうしてクラスのほとんどが聴衆となる中、マリアンネはフランツィスカが促すまま、ほぼ洗いざらい話してしまったのだった。
正式に婚約した件、婚約の申し込みにトリューで来た話、もらった贈り物、婚約式が皇帝命令で帝都で挙げられる件……。
唯一フランツィスカが止めたのは、次の「デート」の件。
これは保安上の理由から話すわけには行かなかったが、マリアンネはポロリと漏らしそうになっていた。こういうところは、本当に危うい。マリアンネを溺愛する父親でさえ「フランツィスカが側にいてくれてよかった」と言うだけある。
「あの、それで贈られたドレスには水マユの刺繍は……?」
「もちろんされていましたわ。水マユのオーガンツァは虹色なのに、とっても上品で、軽くて柔らかくて、少しの動きでは波打って……とにかく素敵なの!」
「水マユにあわせた蛋白石のネックレスとイヤリング、ブレスレットのセットも素晴らしいの。わたくしのはエメラルドっぽい色味でしてけれど、マリアンネは?」
「わたくしが頂いたのは青系ですわ。瞳の青を引き立てるために、少し色味を抑えたと書いてありましたの。さすがディアナ様の見立てですわよね!」
「ドレスに、アクセサリーをセットで……! なんて素敵な贈り物でしょう!」
「ケイトリヒ殿下はトリューにトリュー魔石と大きな事業を次々成功させていますものね。ラウプフォーゲルの至宝と呼ばれるおふたりが嫁ぐ相手としてはこれ以上ないほどお似合いですわ!」
「幼い今でも立派な紳士でいらっしゃるもの、将来はさぞ素敵になることでしょうね」
たくさんの女子生徒からちやほやされてまんざらでもないマリアンネだが、フランツィスカは視線をそちらに向けることなくナタリーの発言を警戒していた。
この流れ、ナタリーにとっては不愉快極まりない展開のはずだ。
ナタリーはしばらくその様子を苦々しく見つめていたが、ついに何も言わずに教室の入口から出ていってしまった。
フランツィスカにとっては意外な展開。
てっきり噛みついてくるかと思って反撃の準備をしていたのだ。
もしも何か言ってこようものならクラスの違う彼女に「自分のクラスへ戻りなさい」と言ってやるつもりだったのに。
ナタリーはケイトリヒの婚約者の座を狙うために魔導学院へ編入したこともあって、女学院の「高位貴族であり、かつ成績優秀者」であるクラスから落ちたのだ。
アロイジウスとの婚約のおかげで来年は返り咲くだろうがそれでも留年生。
マリアンネとフランツィスカは成績優秀を保持していたため今年で卒業なので、関わり合うこともない。
くだらない勝負はもう決着した。
フランツィスカとナタリーだけの勝負であったならば、結果はわからなかっただろう。
だが、フランツィスカにはマリアンネがいる。
嫁不足のラウプフォーゲルで、上位貴族の令嬢2人と同時に婚約するほどの傑物など現れるはずはない、と半ば諦めていた夢がまさか現実になるとは思っていなかった。
そして、2人は素晴らしい鳥の巣街の案内を聞きながらしみじみと思う。
「……ねえフランツィスカ。素晴らしい婚約相手に恵まれたわたくしたちが言う言葉ではないのですけれど」
「どうしたの?」
「相手の地位や、その方からの扱いで勝負を決めるなんて発想、とっても悲しいと思いませんこと? ラウプフォーゲルの女として尊厳が足らないと思いますの」
「プッ……うふふっ! そうですわね、わたくしもそう思いますわ! でも、その下卑た争いにさえ負けたくないという気持ちもありますの」
マリアンネは何かを思い出したのだろう。
フランツィスカにはそれが何かわかったし、自分の価値観を全肯定してくれたようで嬉しかった。
「まあそれは大変だわ。実はわたくしも同じ気持ちですの」
「わかってるわよ。く……ププッ、あははっ!」
「ウフフッ」
「あれ、なにかおかしなこと言いました?」
「ああ、ケイトリヒ殿下のことではありませんわ。素敵な居住区だとおもいます」
「ごめんなさい、ちょっと女学院でのことを思い出してしまったの。殿下、ここには別荘地はございませんの? お祖父様が欲しがりそうですわ」
「ちちうえたちからもその要望がでましたので、どこか景観のいいところを用意するつもりです。ごよやくは、おはやめにー」
拙いながら、商人じみた言葉にフランツィスカはつい笑ってしまう。
マリアンネもつられて笑う。
当のケイトリヒはといえば、「2人がご機嫌でよかった」とホッとしていた。
そして、この日のメインイベント。
「小鳥のおめかし部屋」と名付けられたその施設は、ロマンティックな名前もさることながら内容も圧巻だった。
豪奢なエントランス、ふんだんに使われた純白の大理石、緻密な彫刻が施された装飾柱に、歪みのない完璧なガラス張りの窓から射す陽光。
どれも夢のような光景だ。
そして足を踏み入れれば、転移陣に幻影魔法、地味な発光魔法さえ幻想的なほどに贅沢に魔法や魔法陣を使っていることがわかる。
「なんて素敵なの……みて、この景色。滝がすぐ近くにあるのに、音が聞こえない」
「ケイトリヒ様、これを……わたくしたちのために造ってくださったというの?」
「もちろんです」
エヘン、とでも言うように胸を反らせる王子だが、まだぽっこりお腹のほうが突き出る。
そんな姿もかわいらしい。
「でもホンネをいうと、社交界でひとしきり話題になったら商用施設として増設、転用するつもりです。だから、おふたりにはいっぱいキレイになってもらって、めいっぱい宣伝してもらいたいです!」
キラキラした目で言うものだから、2人の少女は呆れるような微笑ましいような、でもやっぱり社交界の話題の中心になることは間違いないので嬉しいような、という微妙な反応になってしまった。
「おふたりのために、それぞれにおへやをつくったんです。こちらが『藍姫宮』、マリアンネ嬢のおへやで、こちらが『紅姫宮』、フランツィスカ嬢のおへやです」
フランツィスカは「まあ素敵!」と喜んだが、マリアンネは困惑気味だ。
「マリアンネ嬢、なにかごふあんでも?」
「あの、サロンにひとりで入るのは初めてで。いつもフランツィスカが一緒でしたから」
その言葉に、ケイトリヒが笑顔で固まった。フランツィスカの見立てでは、どう対応しようか思考がものすごい速さで回ってるのだろう。
「まあ、マリアンネったら。ラウプフォーゲル市内や女学院のサロンとはわけが違うのだから、ひとりでだって大丈夫よ! 侍女も護衛もつくし、なにかあったらケイトリヒ様を呼べばいいのだわ。ロルベーア城にいるとおもってくつろぎなさいな!」
「そそ、そうです! おふたりには、ごじぶんのおうちだとおもってくつろいでもらいたいと思ってます。おふたりにとっては見慣れない侍女かもしれませんが、全員技術をきわめたプロフェッショナルですので!!」
開放感のある談話室の両サイドにずらりと並んだ「エステティシャン」と呼ばれる女性たちが、一同にお辞儀をした。
横を通ったときから思っていたことだが、全員つま先から髪、肌、まつげの先まで、まるで「美」の魔力でもまとっているかのように艶めいている。
日頃から身の回りの世話をする侍女たちから丁寧にお世話されているマリアンネとフランツィスカだが「格の違う技術を持っているに違いない」と確信させるものがあった。
「すこしでも不手際があれば、僕を呼んでください。あっ、でも、あられもないすがたのときは、どうかごかんべんを! ええっと、何言ってるんだろ、そこんとこの采配は、たのむよキミたち!!」
ケイトリヒは慌てて矛先をエステティシャンたちに向けると、彼女たちはくすくすと笑って「かしこまりました」とか「おまかせください」などと口にする。公爵令息から信頼されている和やかな女性たちに、マリアンネも少し不安がほぐれたようだ。
フランツィスカはといえば、ケイトリヒの後ろにいる世話役のペシュティーノが気の毒そうにケイトリヒを見ているのが面白くて面白くて、つい吹き出してしまった。
そしてマリアンネとフランツィスカはそれぞれの部屋に分かれ、まずは優しそうな女性から今後おこなわれる施術の内容を説明してもらう。
まずは全身浴。
おつきの侍女に制服を預け、湯帷子を着ていい香りのする湯が張られた浴槽へ。
侍女が見守るなか3人がかりで身体を磨き上げられ、香油を贅沢に塗られ、髪は2人がかりで洗われる。
「フランツィスカ様は拝見するにどこも大変お美しゅうございますけれど、ご自身のなかで気になるところはございますか?」
「そうね……わたくし、髪がうねっているでしょう? 侍女が毎朝丁寧に梳かしてくれるのですけれど、痛くて。急いでいるときなどは大変ですのよ」
「まあ、痛いのは大変ですわね。では、クシ通りの良くなる香油を用意いたしましょう」
「それと、そばかす! 薄いですけど、大嫌いなの」
「そうなのですか? ケイトリヒ様はそのそばかすもまた可愛らしいと褒めていらっしゃいましたけれど……」
「そ、それは……それでも」
「ウフフ、ではそちらは、今日はメイクで消してしまいましょう。すぐにはなくなったりしませんが、『タイシャ』を促すことで薄くなるといわれております。そのようにマッサージいたしますね」
―いっぽう、マリアンネ。
「私は……顔が青白く見えてしまうことかしら。髪の色も青みがあるので、不健康に見えてしまうの。あまり色味のついた紅は使いたくないのだけれど、頬の赤みがないと病的に見えて……頬も唇も、血色の良いフランツィスカが羨ましいわ」
「なにをおっしゃいます、マリアンネ様のような透明感のある肌はわたくしたち女性の憧れですわ。血色を気になさっているようでしたら、お顔だけでなく全身の巡りを良くするマッサージをいたしましょうね」
「あとは……そうね、どうにもならないでしょうけど、わたくし自分の爪の形が気に食わないの。見て、丸いでしょう? フランツィスカみたいな……縦長の、女性らしい指になりたいのに」
「マリアンネ様の御手は絹のように白くて指が長くてお綺麗ですよ。爪の形までは変えられませんけれど、爪紅の技術があればほっそり見えるでしょう」
玉座のように仰々しいリクライニングシートに身を預けた少女に、美しい女性たちが群がってマッサージにネイルにヘアケア、フェイスエステなど全ての技術を注ぎ込む。
施術がおわり、ドレスとアクセサリーのフィッティングに入ると、マリアンネはどうしてもフランツィスカと一緒がいいと言い出し、結局フランツィスカの部屋へ移動した。
プライベートな部分をさらけ出す施術はほぼ終わっていたので、フランツィスカの部屋のテーブルセットでドレスフィッティングを行うことに。
「まあ、フランツィスカの部屋はほんとうに全然違うのね、鳥やお花の色味が全てフランツィスカに似合う色だわ!」
「そうなの? わたくしもマリアンネのお部屋が見たいわ!」
マリアンネ担当のエステティシャンは突然の移動でバタバタしたが、令嬢たちが部屋の内装の違いを楽しんでいる間に全ての準備を整えられた。
「ドレスのご説明担当はわたくし、ディアナ・ベーレンドルフにございます」
「「ディアナ様〜!!!」」
騎士からお針子となったディアナは親戚会や夜会などで出会うことも叶わなくなり、めっきり表舞台には姿を表さない人物となってしまったため、ほぼ伝説みたいになっていた。
マリアンネとフランツィスカの親世代の女性のほとんどが「ディアナ様ラブ」過ぎて、2人も感化されてしまっていた。
「ご令嬢、わたくしは使用人の立場です。『様』付けはおやめください」
「そう仰いましても、母からディアナ卿のご活躍は聞き及んでおりますので……」
「でも、でもケイトリヒ様の専属ということは、将来的にわたくしたちの依頼を受けてくださるということでよろしいのかしら!?」
「もちろんです」
「「キャア〜!! やったあ〜!!」」
令嬢2人の黄色い声が響いた直後、開く音が一切しないドアの前にケイトリヒと大人の男性護衛騎士が2人、立っていた。
「あら、ケイトリヒ様?」
「どうなさったの?」
「あ……いえ、悲鳴がきこえたものですから」
「なんでもないようです、さあ出ましょうケイトリヒ様」
「失礼しました!!」
大人の護衛騎士がケイトリヒを小脇に抱えて、サッと扉の向こうに消える。
一瞬の出来事だった。
「はしたない声をあげてしまいましたわね」
「油断していましたわ。外まで聞こえますのね!?」
「いえ、外からは一定以上の音量しか感知できない仕組みです。今のお声だけが届いたのだとおもいます。あと、ご令嬢がた。ケイトリヒ様はともかくですが、護衛騎士は仕事ですので、なにとぞご容赦を」
ディアナが沈痛な面持ちで深く頭を下げるが、マリアンネとフランツィスカはキョトンとしたまま何についての話なのか理解していなかった。
「ごようしゃ……?」
「あっ!! ま、マリアンネ! わたくしたちの装い!!」
2人は、素肌に薄衣をまとっているだけのいわゆる下着姿に等しいものだった。
見えているとしたら膝から下の素足だけなのだが、この世界では女性が素足を見せるなど言語道断なハレンチ行為。
「お仕事ですもの、仕方ないわ。それに結婚したら側近の騎士であれば何かと見られるでしょうし、あちらもその気はないのだから、いちいち咎めるのも面倒よ」
「えっ? そっ、そうかしら……マリアンネって、変なところで肝が座ってるのね」
ディアナとスタッフ女性たちは、意外に豪胆なマリアンネに胸をなでおろした。
「それより、居住まいを整えて、ケイトリヒ様にもドレスのお好みを聞きましょうよ。わたくし、ハービヒト夫人のようにいつまでも夫をドキドキさせる妻でいたいわ」
「あ……えーっと、それはどうかしら。殿方は女性のドレスを一緒に選ぶより、全部決めて綺麗になって、パッと現れたほうがドキドキなさるのではないかしら? ほら、わたくしたちが制服で現れたとき、ケイトリヒ様は照れてらしたでしょう?」
「そうかしら……」
「きっとそうよ!」
「ドレスに迷われたらぜひ、わたくしにおまかせください」
フランツィスカが慌ててマリアンネの提案を阻み、ディアナも横でフランツィスカの意見に小刻みに頷く。もしもこの様子をケイトリヒが見ていたら、フランツィスカとディアナぐっじょぶ!と叫んでいたはずだ。
かくしてそれから約2時間、ドレスや装飾品についてあーでもないこーでもない、という論争が繰り広げられた。もしもマリアンネの言う通りケイトリヒがこの場に強制参加させられていたら、30分もてばいいほうだろう。
そのあいだケイトリヒが何をしていたかというと、滝のカフェで鳥の巣街の調整の確認と、魔導騎士隊の配置についてみっちり白き鳥商団と話し込んでいた。
今まで棚上げされていた問題が一気に解決して、白き鳥商団もニコニコ。
満足するまでドレスにこだわることができて、令嬢がたもニコニコ。
ケイトリヒは度々来ていた白き鳥商団からの問い合わせが一気に解決に向かいそうでニコニコ。
ケイトリヒの初デートは、デートの内容とはあまり関係ないが多方面で成功だったといっていいだろう。
それがペシュティーノの出した結論であり、親族たちに上がった報告内容だった。
その報告書を見たザムエルが、微妙な顔をしたことは言うまでもない。
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